8話 最初の衝突

「なんで付いてくるんだ?」

「今日は一日暇だから、ジネットちゃんのお手伝いをと思ってね」


 教会を出た俺たちの後を、エステラが付けてくる。

 こいつのせいで俺だけ冷えた朝食を食わされたのだ。こいつは疫病神だ。


「(それに、君の行動も監視したいしね)」


 エステラが俺の耳元でぼそりと呟く。


「えぇい、顔が近い! 耳元でしゃべるな、ちょっといい匂いがして驚いたじゃねぇか!」

「君って、本当に素直な人なんだな」


 エステラが呆れたような顔で俺を見る。


 俺が素直に見えるなら、お前こそが素直だ。

 素直に見せているだけだからな、俺は。……香辛料のことを知っていやがったこいつは油断出来ない相手だ。どういうつもりか知らんが、あれ以降一切そのことには触れないし、普通に話しかけてきやがる。

 とりあえずは出方を窺うべきだろう。

 が、気分的にあまり一緒にいたくないヤツではあるんだよな。


「あ、そうだ。ヤシロさん」


 荷車を引く俺の前をとことこと歩いていたジネットが、くるりとこちらを振り返る。


「今朝の海魚、くださったのはエステラさんなんですよ」

「へぇ、そうなのか。おい、おかわり」

「君には感謝という感情がないのかい?」


 バカモノ。海の魚が美味いのは海のおかげだ。お前に感謝する理由がない。


「そういえば、海で魚を捕ってきた場合、どこで金が取られるんだ?」


 エステラがあの魚を捕ってきたというのなら、海魚が高くなる理由を知っているだろう。

 一体どこに税がかけられているのか、興味があった。


「どこって、普通に入門税だよ」

「ってことは、魚を持ち込む際に税金がかけられるんだな」

「そうだよ。魚と、人にね」


 エステラは、俺の聞きたかったことを汲み取ったのか、補足までしてくれた。

 住人でも、門を通る際には金がかかるらしい。いやらしいシステムだ。

 どれくらいいやらしいかと言うと、遊園地の入場料を客からだけでなく、店内で働くスタッフからも取るようなものだ。入場料を支払わなければ金を稼ぐことが出来ないのだから、尚更たちが悪い。


「海に近いのは三十五区で、そこの門を通るのに結構な税をかけられてしまうんだ」

「じゃあ、違う門から入ったらいいじゃねぇか」


 確か、この街の門は色々な区にあったはずだ。

 俺が入った三十区の門とかな。

 三十五区が海に近いということは、三十五区が魚に多めの税をかけたとしても利用する者が多いだろう。そうなれば、税をかけない手はない。

 なら逆に、海から遠い門を使えば、魚にかかる税金を節約出来るはずだ。


「そんなこと……考えたこともなかったな」


 エステラが感心して頷く。


「移動距離を考えて、最もコスパのいい門を通れば、海魚はもっと市場に安く出回るかもしれないね」


 キラキラとした目でエステラが言うものだから、俺はきっぱりと否定してやった。


「いや、それはない」


 税金が浮いたら、浮いた分は懐にしまいたいのが人情だ。

 市場価格は、競合他社でも現れない限りは下がらんだろうよ。


「でも、海魚が安く手に入るようになれば、みなさん喜ぶと思いますけど」

「漁師や商人は人を喜ばせるために商売をしているんじゃない。己の私腹を肥やすためにやってるんだよ」

「……わたしは、お客さんに喜んでもらえればそれで……」


 それは稀有な存在だよ。

 仮に俺なら、仕入れ値が下がっても料金は据え置きだ。


「俺が言いたかったのは、門を超える前に魚を仕入れれば利益が上げられるかもしれないという話だ」


 門の中で魚を買えば、どうしても課税後の料金になってしまう。

 ならば、門の外で買い付け、税の安い門から街へ入れば安く上がるのではないか、と思ったのだ。

 だが、人にも入門税がかけられているとなると、これはあまり良い方法ではないかもしれんな。


「君……凄いな」


 エステラが真顔で俺を見つめる。

 やめろ……おっぱい触ってからお前の中の女子をちょっとばかり意識し始めちゃってんだから、照れるだろうが。


「凄く、せこい」

「利口と言ってくれ!」


 誰がせこいか。

 浪費が嫌いなだけだ。

 浪費はバカのすることだからな。


 しかし、海の幸はゆくゆくは手に入れたいものだ。

 その際に無駄金を払わなくていいようにしておきたい。

 なんなら自分で行って素潜りとかしたいくらいだしな。


「それから、もう一つ。海魚が高くなる要因がある」


 俺が自己漁を考え始めたところで、エステラがさらなる情報をもたらしてきた。


「こいつにお金がかかるんだよ」


 そう言って、一つの巻紙を取り出す。

 双頭の鷲と蛇が描かれたエンブレム。

 そんなエンブレムが記された羊皮紙だ。


「領主の許可証だ」

「海魚を捕るには許可がいるのか?」

「そうだよ。自分が所属するギルドか、住んでる地区の領主のね」


 いくら海が広かろうと、誰構わず漁を許せば生態系に悪影響を与えてしまう。

 ……いや、この場合は、漁師の権利を守るという建前のもとに己の利権を確保してるって感じだろうな。

 確か、香辛料を売るためにはギルドに所属しているか、どこかの区の住人になっている必要があった。この街で身元を保証してくれるのはギルドと領主ってことか。

『強制翻訳魔法』みたいな強制力を考慮してみると……


 教会が国で、領主が地方自治体で、ギルドが企業ってところか。

 国の定める絶対的な法律(教会の戒律)があり、地方自治体の定める条例(領主の権限)があり、企業には企業のルール(ギルドの規則)がある。また、どの地方自治体に所属していようとも、ギルドに所属する者はギルドの規則にも縛られることになる。

 東京や千葉や埼玉に住む者が同一の会社に勤めているケースを例にとると……地方税を払う場所は違っても同じ会社の社員であれば、同じ規則に縛られ、同じ恩恵を享受出来る、ということだ。

 システム的には、そう違いはなさそうだ。


「で、そのマークが四十二区の領主のエンブレムなのか?」

「あぁ。四十二区に住むのなら、これから度々目にすることになると思うよ。契約書や許可証には必ず入っている紋章だからね」

「許可証ってのは、他にもあるのか?」

「いろいろあるさ。取引許可証に出店許可証。生活する上で許可が必要なものは路傍の石ほどもある」

「そのエンブレムの焼印でも模造すれば楽に許可証が捏造出来るな」

「滅多なことは言わないことだよ、旅人君」


 俺の鼻頭に指先を突きつけ、エステラは語気を強める。


「領主のエンブレムを悪用することは重罪。精霊神の呪いで人生を終了させるか、人間による刑罰で人生を終了させるか……そんな二択なんて御免でしょ?」

「……勉強になった、気を付けるよ」


 無知な旅人の世間知らずな発言は一度だけ大目に見る。と、そういう気遣いのもと、エステラは俺を『旅人君』と呼んだのだろう。

 エンブレムの悪用は重罪、か。

 まぁ、公文書偽造は日本でも重罪だしな。

 そこは厳罰を科しておかなければ、秩序が崩壊してしまう。

 公文書と通貨の偽造はどの世界でも重罪なのだ。


 とはいえ……


「その許可証、見せてもらってもいいか?」

「欲しけりゃあげるよ。こいつはもう失効している許可証だからね」


 許可証には、『失効』という大きな判が押されていた。

 どうやら、一回使い切りの許可証のようだ。……使い捨ての羊皮紙? なんてもったいない。


 しかし、都合がいいことにエンブレムにインクは被っていなかった。

 これで、細かい文様まで見ることが出来る。

 見ることが出来れば…………複製は容易だ。


 悪用しなければいいのだ。

 イザという時のために持っておいて損はない。

 俺は、もらった許可証を懐へとしまった。


「あら?」


 教会を出て五分ほど歩いたところで、ジネットが不意に声を上げた。

 大きな畑のそばで、二人の男が話し込んでいた。


「あそこにいるのはモーマットさんと……」

「行商ギルドの、アッスントだね」


 必死に何かを訴えているワニ顔の男は、行きしに少し会話を交わしたモーマットだ。

 そんなモーマットと話をしているのは、ブタの顔をした恰幅のいいオッサンである。


「どうしたんでしょう? 何か、揉めているようですけれど……」


 ジネットが不安げな表情で眺める。

 揉めているというよりかは、モーマットが一方的に怒っているという感じに見える。

 アッスントという商人はむしろ余裕さえ見える、横柄な態度だ。


「少し様子を見に行こうか」

「そうですね」


 エステラが言い、ジネットが頷く。

 俺もそれに従い、三人揃って言い争う二人のもとへと近付いていく。


「そりゃねぇだろ、アッスント!」

「なんと言われましても、もう決まったことですので」

「あ、あの!」


 ジネットが声をかけると、二人のオッサンは言い争いをやめこちらを振り返る。

 アッスントは余裕な感じでぺこりと頭を下げ、モーマットはばつが悪そうにしかめっ面を浮かべ視線を逸らす。


「これはこれは、陽だまり亭の。いつもお世話になっております」


 アッスントがジネットに挨拶をする。

 ってことは、こいつが食堂にクズ野菜を卸している業者の一人ってわけか。


「どうかされたんですか? 何か、揉めていたように見えましたけど」

「いえいえ。ギルドの決定事項をお伝えしていただけですよ」

「それが一方的過ぎんだろつってんだよ!」


 飄々と語るアッスントに、モーマットが我慢ならぬとばかりに噛みつく。

 しかし、アッスントは柳に風だ。


「モーマットさん。何があったんです?」


 俺は肩で息をするモーマットに落ち着いた声で話しかける。

 こういう時は、怒っている方に話を聞くのが得策だ。どうせ、アッスントに聞いても都合のいいようにはぐらかされてしまうのだから。

 モーマット寄りの意見を聞けば、アッスントは勝手に反論してくる。それで両者の意見をスムーズに聞くことが出来る。


「何がも何も、こいつは今まで1キロ1Rbだったところを、5キロ1Rbで売れと言ってきやがったんだ!」

「そんな……それじゃあ、えっと…………」


 ジネットが指折り計算を始める。……暗算出来ないのかよ、食堂経営者…………

 しゃーない。俺が助けてやるか。


「五分の一の価格ですね」

「そうだ! そんな安値で買い叩かれちゃあ、こっちは商売あがったりだぜ!」

「そう言われましても、これは既にギルドで決定したことですので」


 モーマットがどんなに激昂しようが、アッスントは「すでに決まったこと」の一点張りだ。交渉をしようという気すらないようだ。

 鷹揚に頭を下げ、話を終わらせようとする。


「今後はこの価格で買い取らせていただきますので、よろしくお願いいたします」

「待てよ! こんな買取額じゃ、俺たち農家は一週間と持たずに死んじまうよ!」

「……本当ですか?」


 モーマットの不用意な一言に、アッスントが食いついた。

 モーマットも失言したという自覚があったのだろう、言葉を詰まらせて黙ってしまった。


「『価格が変われば、モーマットさんたち農家の方々は一週間と待たずに全員死ぬ』と、そうおっしゃるんですね?」

「い、いや、それは言葉の綾で……」


 言葉に詰まるモーマット。しかし、アッスントは饒舌に、掴んだ勝機を逃さないよう捲し立てる。


「我らが尊き精霊神様は、虚言を何より嫌われます。もし、価格が変わることで皆様が死んでしまうというのであれば、ギルドとしても考えを改めなければいけません。ですがしかし、もしそれが虚言であったというのであれば……『精霊の審判』にかけさせていただかなければいけませんねぇ」


 アッスントがイヤらしく笑う。

 チェックメイト。そう言っているような目つきだ。


「どうでしょう? 試しに今回だけこちらの言い値で買い取らせていただけませんか? それで、農家の方全員が死んでしまわれるようなことがあるのかどうか、見極めさせていただきます。もし、死に直面した場合、すぐにでも差額分をお支払いし、次回以降は現在の倍額で買い取らせていただきます。ですが……」


 アッスントがモーマットに一歩、体を近付ける。それに合わせてモーマットは一歩後退する。


「もし、一週間経っても死の兆候すら見えないようでしたら、その時は『精霊の審判』を発動させていただきたいと思います」

「ま、待ってくれ! それだけは……!」


 今度は、身を引いたアッスントを追うようにモーマットが前進する。

 すがるように腕を伸ばし、アッスントに懇願する。

 その懇願を待っていたとばかりに、アッスントは満面の笑みを浮かべる。自分では聖者のような笑みのつもりなのか知らんが、これ見よがしに見せつけるように笑みを振りまいている。

 俺には、ハイエナの舌なめずり顔にしか見えないがな。


「では、そちらのお願いを聞く代わりに、こちらのお願いも聞いていただけますよね?」


 その一言で、モーマットはがっくりと肩を落とす。

 勝負あったと、悟ったのだろう。


「……分かった。5キロ1Rbでいい」

「いえいえ。違いますよ」

「……は?」


 情けない表情をさらすモーマットに、アッスントはさらに邪悪な笑みを突きつける。


「10キロ1Rbです」

「なっ!?」


 モーマットはアッスントに詰め寄り、両肩を乱暴に掴む。

 アッスントはされるがままで、しかし涼しい表情を浮かべている。


「だって、あんたさっきは5キロ1Rbだって言ったじゃねぇか!」

「それはさっきまでの話です。そちらが新たな条件を追加したのですから、こちらもさらに条件を追加させていただきませんと、釣り合いというものが取れません」

「だが、しかし、そんな……10キロ1Rbだなんて……それじゃあ、本当に俺たちは死ん……っ!」


 また、不用意な発言をしかけてモーマットは口をつぐむ。寸前で思い留まったようだが、もう遅い。最初の発言は取り消せない。


「まぁ、これはあくまで交渉ですので、気に入らないようでしたら蹴ってくださって結構なんですよ?」

「…………くっ」


 アッスントの肩から手を離し、モーマットはよろよろと後退していく。

 まるで意思を持たないからくり人形のようによたよたとした緩慢な動きで、完全に放心してしまっていると分かる。


「……モーマットさん」


 俺の隣で、ジネットが掠れた声を漏らす。

 見ると…………ボロボロと泣いていやがった。

 ……なぜ泣く?

 お前には関係のない話だろうに……


 モーマットの自滅は、まさにモーマットの考えなしが原因だ。自業自得というヤツだ。

 騙される方が悪い。

 今もまた、俺の持論が正しいと証明されたわけだ。


 それよりも危惧すべきは、その牙が陽だまり亭に向かないかということだ。

 仕入れ値を安くしておいて、売値を値上げする。そうすれば利益は一気に倍増だからな。


 俺がそんな危惧をしていると、ふとエステラと目が合った。

 ……なんだよ? 俺に何か言いたいことでもあるのか?

 睨み返すと、エステラはすっと視線を逸らした。

 ジネットの泣き顔を見たくないとばかりに、体ごと背を向けやがった。


「あ、あのっ!」


 突然、ジネットが声を発する。

 ……このバカ。

 今は口を挟むべき時じゃないだろ!


 俺は、この次の展開を想像して頭が痛くなった。

 そしておそらく、俺の思った通りの展開になるのだ。

 すなわち、ジネットがモーマットに助け船を出し、そこに付け込まれて食堂が不利益を被る。そして、ジネットはそれを躊躇うことなく受け入れるのだろう。「それでモーマットさんが救われるのなら」と。

 ところがどっこいだ。アッスントは食堂にも農家にも負担を強いるだろう。契約を交わした後では変更も出来ず、負荷の大きくなったまま、貧乏人はどんどん搾取されていくのだ。


「農家の皆さんの生活が傾くと、野菜の質も落ちると思います!」


 一丁前に、正論でアッスントを説得するつもりらしい。……まぁ、無駄だろうが。


「ほぅ……それで?」


 モーマットからジネットへと体の向きを変え、アッスントは軽く腕を組む。

 聞く体勢……というより、言論武装といった感じだな。「受けて立つ」と顔に書いてあるようだ。


「ですので、買取料金をもう少し高くしてあげていただけませんか?」

「しかしそれでは、当ギルドが不利益を被ってしまいます。我々も、ボランティアではありませんのでね、それは難しいかと」

「で、でも、これまでは1キロ1Rbでやってこられたじゃないですか!」

「我々ギルドも、今は厳しい状況に置かれておりましてねぇ」


 ギルドは厳しい状況に、ね……


「おい、エステラ」


 俺は、そっぽを向くエステラに近付き、小声で話しかける。


「今の発言は『精霊の審判』にかけられないのか?」


『ギルドも今は厳しい』という発言だ。

 これは、さっきアッスントがモーマットにした脅しと同じように活用出来るのではないかと思ったのだが。


「無理だろうね」


 端的な言葉で否定された。


「『厳しい』というのは、個々人の主観による判断が大きい。どんなに裕福でも『この程度では厳しいのだ』と言い張ってしまえば、それは嘘ではなくなってしまう」

「屁理屈がまかり通るのかよ?」

「判断のしようがないものは裁かれない」


 杜撰だな、『精霊の審判』ってのは。


「ってことはだ。絶対にあり得ないことで嘘丸出しだが、俺がお前を『愛している』と言っても『精霊の審判』では裁けないってことだよな?」

「……例えに悪意しか感じられないんだけど……まぁ、そうだろうね。君がボクのことを『愛している』と強く主張し続ければ、状況証拠がそれを否定しても、『精霊の審判』は『君がボクを愛している』と判断するだろうね…………なんだかこの会話、凄く恥ずかしいね……」


 エステラが頬を薄く染める。

 おぉ、こうして見ると女子に見えるから不思議だ。……まぁ、女子なんだけども。


「それより、いいのかい? 放っておくと、我らがジネット姫はとんでもない契約を押しつけられてしまうよ」


 おぉっと、そうだった。

 あいつから目を放すと、あり得ない契約にホイホイ合意してしまうに違いない。

 まったく、世話の焼ける店主だ。


「で、でもでも、モーマットさんはとても優しい方で、いつもわたしによくしてくださって……!」


 まるで見当違いな主張を始めている。

 優しさとかいい人とか、そんなもんが金になるかよ。

 商人を説得するには、金を動かすか、動かせなくするか、そのどちらかしかないんだよ。


「ですので、なんとかモーマットさんの負担が減るように、お願いします!」

「いやぁ、素晴らしい。さすがは陽だまり亭さんです」


 アッスントが乾いた拍手を贈る。


「分かりました。あなたがそこまでおっしゃるのでしたら、10キロ1Rbのところを5キロ1Rbへと戻すことも検討いたしましょう」

「本当ですか!? よかったですね、モーマットさん!」


 パッと表情を輝かせて、ジネットはモーマットに微笑みかける。

 モーマットも、「あ、あぁ」と、よく分からないままにぎこちない笑みを浮かべている。

 ……こいつらダメだ。

『5キロ1Rbに戻して』って……戻ってねぇじゃん。

 しかも、『検討する』つってるだけじゃねぇか。『検討した結果、10キロ1Rbで』ってことになるに決まってんだろ。


「その代わり、我々が被る不利益を、陽だまり亭さんの方で補填していただくことになりますが……よろしいですか?」

「そういうことでしたら、よろこ…………もがっ!?」


 慌ててジネットの口を塞いだ。

 ……こいつ、今、何言おうとした? マジ怖ぇわ、この天然。


「ん~! もごもご! もごもごもがもご!」


 ジネットが何かを喚いている。

 えぇい、しゃべるな。手のひらを柔らかい感触が行ったり来たりして気持ちいいだろうが! うっかりときめいちゃったらどうしてくれるんだ! ……しばらく手は洗わないでおこう。


 俺はジネットに顔を近付け、耳元で言う。


「いいから黙れ。これから俺がいいと言うまでは一言もしゃべるな」

「んん~ん?」

「何言ってんのか分からんが、言う通りにしろ。食堂がなくなってもいいのか?」


『食堂がなくなる』

 その言葉がジネットに突き刺さったようで、ジネットは急に大人しくなった。

 見ると、泣き出しそうな顔をしている。


「お、おい、バカ、泣くなよ?」


 俺が言うと、ジネットの瞳に涙が浮かび始め、今にも零れ落ちそうになる。


「そ、そうならないように、俺がなんとかしてやるから! だから、言うこと聞いて黙ってろ! いいな!?」


 強く言うと、ジネットは俺の顔をジッと見つめた後、こくりと頷いた。

 涙は、ギリギリ零れなかった。


 ジネットの口から手を放す。と、「すはぁ~」と、ジネットは大きく息を吸った。


「しゃべるなよ」


 俺が言うと、改めてジネットは頷く。


 さて……、と。

 ………………なんでなんとかしてやるなんて言っちゃったんだろ……

 あれかな? 自分が不利益被るのが目に見えてたからか?

 いや、違うな。きっとこれは金になるからだ。

 うん。俺の思惑通りに行けば、クソみたいな行商ギルドにひと泡吹かせてやれる。

 だから俺は動いたのだ。……まだ『精霊の審判』のルールは完全に把握していないけれど……まぁ、この程度の小者なら練習相手には持ってこいか。


 とはいえ、少し不安だな……


 ちらりと、エステラを見つめる。

 あいつなら、俺のサポートくらい出来そうか……


「エステラ、ちょっと手伝ってくれ」


 手招きすると、エステラは素直に応じ、俺の前まで歩いてくる。……近い近い近い! 近寄り過ぎだ!

 エステラは、俺に体をぶつけるくらいに接近し、耳元でぼそりと呟いた。


「ジネットちゃんを泣かせたな?」

「な、涙は零れてないから、セーフだろ?」

「…………なんとか出来るんだろうね?」

「お前が協力してくれりゃあな」

「…………上手くいったら、今回の一件は水に流してあげるよ」

「そりゃどうも。つか、お前何様?」

「女友達様さ」


 あぁ、そういや中学の頃も女友達様は幅を利かせてたなぁ。

「ちょっと! あんまりミヨちゃんに話しかけないでくれる?」「ミヨちゃん、迷惑してると思うから!」「ミヨちゃんと話したかったら、私を通してからにしてよね!」……って、お前は何様だ!? 俺が話したいのはミヨちゃんであって、おまえらガーディアンどもじゃねぇ!

 …………はぁはぁ、いかん。初恋相手のミヨちゃんのガーディアンどもを思い出してムカムカしてしまった。

 女友達様は、どこの世界でも厄介なもんだな。


「もししくじるようなら……刺すからね?」


 エステラが刃渡り20センチほどの、凶器としか呼びようのないナイフをちらつかせる。

 ……さすがに、日本の女友達様は、ここまではしなかったけどな。


 刺されたくないので頑張ることにする。


「ミスターアッスント。選手交代だ」

「おや、初めてお見かけする方ですね? どのようなご関係の方で?」

「昨日から陽だまり亭で働くことになったヤシロだ。姓は、訳あって伏せさせてもらうよ」

「(なぜボクのマネをする?)」

「(バカ正直に本名を名乗るのが嫌になっただけだよ)」

「(ボクに憧れてるなら素直にそう言えばいいと思うよ)」

「(はっはっはーっ。Bカップになってから言え)」

「(……刺すよ?)」


 マジなトーンのエステラから一歩離れ、俺はアッスントと対峙する。

 一歩動いたことで、ちょうどモーマットを背に庇うような立ち位置になった。


「ヤシロ……大丈夫なのか?」


 モーマットが小声で俺に尋ねてくる。

 ……お前に心配されるいわれはねぇよ。この自爆ワニ。


「農家の買取価格の前に、こちらから一つ頼みたいことがあるんだが?」

「おや、なんでしょう?」


 こちらから頼みを持ちかけたことで、アッスントの表情が和らぐ。

 交渉を有利に持っていけると踏んだのだろう。いや、この流れでさらにこちらから願いを追加したのだ、与しやすいと思っているのかもしれないな。


「現状、陽だまり亭は十一もの業者から仕入れを行っている。それを一本化したい」


 アッスントの小鼻がピクリと動く。


「それは……」


 一瞬、言葉を濁す。

 仕入れ先の一本化は、ギルドにしてみれば収入減に繋がる。輸送費が十人分減るのだから。 

 さて、どう出る?


「私個人ではどうにも出来かねますねぇ。各々の商人に、個別に話をしていただかないと」


 そう来たか。

 で、個別に話すと口裏を合わせたように「俺を切るとこの商品が手に入らなくなるぞ、損をするぞ」と脅しをかけてくるつもりか。

 そして実際に、切った商人が取り扱っていた商品を売らないようにし、どうしてもとこちらが頼んだところでぼったくり料金で売りつけると……

 コネのない弱小事業主には有効な脅しだろう。


 だが。


「じゃあ、まず手始めに、あんたとの取引を無しにしてくれ」

「よろしいんですか? 私との契約がなくなると、陽だまり亭さんは野菜が手に入らなくなるんですよ?」


 ほらな?


「ヤシロさんはお若いからご存じないのかもしれませんが、商人の間にもいろいろ複雑な取り決めがありましてね。私は野菜担当で、フルーツや魚には手を出していないんです。他の商人もしかりでして、どの商人ともバランスよくお付き合いしていただくのが、お互いのためかと思いますがねぇ……もし、マーケットを当てにしているのでしたら考えを改めるべきです。彼らは大量のまとめ買いを嫌います。毎日の仕入れは不可能でしょう」

「野菜なら、直接農家から買う手もあるだろう」

「直接? あっはっはっはっはっ!」


 突然、アッスントが腹を抱えて笑い出した。


「それはいけません。不可能ですよ」


 何がそんなにおかしいのか、アッスントはげらげらと笑う。


「なるほど。あなたの自信の理由が分かりましたよ。直接売買。確かに、それをすれば安く仕入れることは可能でしょう……しかし、それはルール違反です」

「ルールってのは、ギルドのか?」


 だとしたら、ギルドに加入していない俺には関係のない話だ。


「いいえ。教会のルールです」

「教会の?」


 俺は、隣に控えているエステラに視線を向ける。

 俺の視線の意味を汲み取り、エステラが説明をしてくれる。


「各職業の収入を守るために、教会は職業同士が競合しない仕組みを作り上げたんだよ。具体的に言うなら、漁業に加盟していない者が勝手に魚を捕って販売することは禁止されている。これは、価格崩壊を防ぐための措置で、決まった者たち以外はその仕事で儲けを出してはいけないとされているんだ」

「違反した場合は?」

「統括裁判所によって裁かれ、街からの追放や、悪質な場合は処刑もあり得る」


 まぁ、恐ろしい。

 つまり、密漁して破格の値段で売るなってことか。

 まぁ、そんなもんが横行したら市場が破壊されて取り返しがつかなくなるだろうからな。


「もっとも例外はあって、各区の領主の許可証があれば単発的にその商売を行うことが出来る」


 なるほど。

 それで、ギルド未加入の者が物を売る際には領主の許可証が必要になるってわけか。


「そして、行商ギルドは各生産者と契約を取り交わしておりまして、そこのモーマットさんは我がギルド以外の者に商品を売ることを禁じられているのです。違反した場合は、『精霊の審判』により、カエルです」


 ギルドと生産者の契約違反は統括裁判所ではなく『精霊の審判』によって裁かれるのか……

 あ、そうか。

 ギルドと生産者間の契約は『契約を守ります』っていうのに違反するから『嘘』になるけども、密漁は『密漁しません』という契約を交わしていないから『嘘』にはならないんだ。

 つまり、『嘘』ではない違反行為を裁くのが統括裁判所ってわけか。


「お分かりいただけましたか? ヤシロさんの秘策は、残念ながら実施出来ないのです。お気の毒様」


 う~ん、その勝ち誇った顔、ムカつくな。

 俺に言わせりゃ、お前こそお気の毒様だぜ。

 なにせお前は……俺の『叩き潰しても心が痛まないリスト』に入ってしまっているのだからな。


「ちなみに、ゴミを買い取ってくれるところはないのか?」

「ゴミ……、ですか?」

「あぁ。陽だまり亭の机と椅子をそろそろ買い換えようかと思うんだが……廃棄処分したいものを買い取ってくれる商人がいたら紹介してくれないか?」

「あはははっ! いや、ヤシロさんは本当にユニークな方だ。廃棄処分するものに金を出す商人なんていませんよ」

「は? なんでだよ、もったいねぇ」

「そう思われるのでしたら、ヤシロさんがその商売を始められてはいかがですか? 使えもしないゴミを、買い取る……ふふ、商売を」


 俺を小馬鹿にするように、アッスントはニヤニヤと笑みを浮かべている。

 そのムカつく笑顔、いつまで浮かべていられるかな?


「それで、どうされますか? 先ほどおっしゃっていた通り、私との取引を解除されますか?」


『先ほどおっしゃっていた』を、強調しやがった。

 つまり、取引を続けたければこちらが吊り上げる条件をのめよという前振りだ。


「もし、取引の継続をご希望でしたら、こちらから新たな価格を提示させていただいて……」

「いや、打ち切りでいい」

「…………は?」


 アッスントが固まる。

 理解出来ないものを見るような目で俺を見ている。


「だから、お前との取引は今後一切行わない」

「しかし…………後悔しませんね?」

「まぁ、たぶんな」

「そうですか…………いいでしょう。お好きなように」


 アッスントの声が、急に冷たいものに変わる。

 相当いらついているようだ。

 これも交渉の手口なのだろうが。

 あからさまに怒っておけば、次回の交渉の際に自分が優位に立てる。

 怒らせてしまった相手と交渉するためには、こちらが下手に出るしかないからな。多少の無理難題も聞かなくてはいけなくなる。

 アッスントは一貫して交渉を有利に運ぼうとしている。


 だが、俺には通用しない。

 なぜなら、次の交渉などないからだ。


 俺が余裕の態度でいるからだろうか、アッスントは居心地の悪そうな表情を垣間見せる。

 そして、俺への牽制のつもりなのは丸分かりなのだが、モーマットに対してこんなことを言い放った。


「契約していた場所が一つ減って、ギルドの運営はまた厳しくなるでしょう。こうなっては、10キロ1Rbからはびた一文負けることは出来なくなりましたね!」

「そ、そんな!」


 俺のせいで、モーマットにしわ寄せがいったのだというアピールだ。

 それに乗せられてモーマットが俺を睨む。

 って、いやいや。お前どっちにしても10キロ1Rbの条件のむ気だったじゃねぇかよ。


「それで売ってやれば?」

「バカな!? お前は俺たちに死ねと言うのか!?」

「言ってねぇよ。そういう極端な発想だから足をすくわれるんだろ」


 鼻息荒く憤るモーマットに、俺は冷静に言葉をかける。

 モーマットも、自分の落ち度を理解しているようで、それ以上は強く言ってこなかった。

 今にも泣きそうな、絶望に満ちた表情をしている。


「しかし、そうなったら……これからどうやって生きていけばいいんだ……」

「自給自足に頼るしかないんじゃないか?」

「そんなもの、今でもそうしている。ウチで食べるものは、全部ウチの畑で採れたものだけだ!」

「もっとたくさん自分の家用に確保すればいい。で、余剰分だけをギルドに売ってやれよ」

「野菜を大量に確保したところで、食べきれなければゴミになるだけだろう!?」

「ゴミなら捨てちゃえばいい」

「俺の野菜を無駄に捨てろってのか!?」


 モーマットのごつい手が俺の胸倉を掴み、ギリギリと締め上げてくる。

 恐ろしいワニの目が俺を睨む。今にもひと飲みにされそうな迫力だ。


「ちなみに、ゴミを売り買いするギルドは存在しないらしいから、そこは自由にやってもルール違反にはならないみたいだぞ」

「それがどうした!? 誰がゴミなんか買ってくれるんだ!?」

「俺」

「…………は?」


 モーマットがマヌケ面をさらし、手の力を緩める。

 その隙に、俺はごつい手から逃れ、襟元を直す。

 そして、背筋を伸ばしてモーマットに言ってやる。


「もし、大量にゴミが出るようなら俺に言ってくれ。10キロ20Rbで引き取りに来よう」

「なっ!?」


 これまで、モーマットたちが手にしていた金額は1キロ1Rb。10キロ10Rbだ。

 そして、ジネットが仕入れていたクズ野菜は10キロ80Rb。

 10キロ20Rbで俺が買い取れば、モーマットは従来の二倍の収入が見込め、陽だまり亭は四分の一の支出で済む。いいこと尽くめだ。


「といっても、ウチでも引き取れる量に限りがあるから、『近隣農家と相談して』総量は制限させてもらうけどな」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」


 俺の言葉に口を挟んできたのはアッスントだった。


「それは違反だ! 我々行商ギルドへの妨害工作だ! そんなことは認められない!」

「そうか? 俺は、『商品にならない廃棄物』を買い取るつってるだけだぞ?」

「廃棄物じゃないではないですか!?」

「廃棄物さ。一家庭で10キロも20キロも野菜は食わねぇだろ? 腐る前に捨てたって問題ないじゃないか。それとも何か? 農家が家庭で消費していい野菜の総量でも、ギルドは規定しているのか?」

「……いや、そんなことは…………」

「モーマットがどれだけ実家用に野菜を確保しようが、確保した野菜を捨てようが、それはギルドの与り知るところではないはずだ。そして……」


 俯き加減になったアッスントの鼻先に、俺は指を突きつけて、はっきりと言ってやる。


「『廃棄処分するものに金を出す商人なんていない』と言ったのはお前だろう? そして、こうも言ったな? 『そう思われるのでしたら、ヤシロさんがその商売を始められてはいかがですか? 使えもしないゴミを、買い取る商売を』と……」

「……くっ!」


 アッスントの額に、くっきりと血管が浮かび上がる。

 脂汗が滲み出し、テカテカとブタの顔がテカり出す。


「だから俺が始めるのさ。食堂との掛け持ちになるが、その新しい商売をな」


 そう断言すると、アッスントは完全に沈黙してしまった。


「お…………おぉ…………ってことは、俺たちは、これまでの二倍の収入が手に入るってことか!?」


 モーマットがわなわなと体を震わせている。


「単純か、バカワニ」

「なんだと!?」


 浮かれているワニに、俺は釘を刺しておく。


「陽だまり亭は貧しい農家を救済出来るほど裕福じゃねぇ。あくまで、『ウチで使う分だけは』従来の倍の値段で買ってやる。しかし、それ以上は俺にも捌けねぇ。そこから先はギルドと話し合っていいところで折り合いをつけるんだな」

「あ、あぁ……分かったよ。いや、でも、嬉しいじゃねぇか。俺の野菜の価値が上がったみたいでよぉ!」


 はしゃぎ回るモーマット。

 このワニ野郎はどうもイマイチ理解していないようだが……まぁ、あとのことは自分でやれ。

 俺は、俺がいいと思う野菜を安くで仕入れられるようになったから万々歳だ。

 農家の連中も、毎月一定額の収入が確保されれば、多少は楽になるだろう。

 少なくとも、全部の野菜を従来の十分の一で買い叩かれるよりかはマシなはずだ。


「……お見事」


 エステラが俺の肩に手を載せ、そんな言葉を囁く。


「相手が練習台レベルのバカだっただけだよ」

「いや、大したものだよ」


 エステラは満足そうな笑みを浮かべている。

 なんだか褒められているみたいで居心地が悪い。


「で、今の俺の話で、『精霊の審判』に引っかかりそうなところはなかったか?」

「そうだねぇ…………うん、大丈夫だと思うよ」


 イマイチ安心出来ないが、とりあえずは信用しといてやる。


「それよりも、ギルド開設の申請を領主に出した方がいい」

「ギルド開設?」

「新しい職業を始めた者は、それが属するギルドを開設出来るんだ」

「ゴミ回収ギルドか? いらねぇだろ、そんなもん」

「いや、必要になるよ。あとから別の誰かに開設されたら、そっちのルールに従わなければいけなくなるんだからね」


 なるほど、俺の商売に後乗りして美味い汁を啜ろうってヤツが出てくるのを防がなければいけないのか……


「開設の仕方が分からん」

「一週間分のお昼ご飯で手を打つけれど?」


 エステラがドヤ顔で俺に言う。

 …………まぁ、先立つものがない俺としてはありがたいが……こいつに借りを作るのか…………あ~ぁ。


「……了解だ。よろしく頼む」

「任せておいて。今日中に手続きをしておくから」


 俺の背中をポンと叩き、エステラは駆けていってしまった。

 ……あいつ、信用していいのかなぁ?


 モーマットは相変わらず興奮状態で、畑の中をのっしのっしと歩き回っては、思い立ったように雄叫びを上げていた。

 ……怖ぇよ。


 と、気が付いたらアッスントの姿がなかった。

 負けを認め大人しく身を引いた…………わけ、ないよな。

 何かを仕掛けてくるかもしれない。十分用心しなければ。


 そして、……こいつである。


「…………」


 自分の口を両手で押さえ、大きな瞳をうるうると輝かせ、頬と耳を真っ赤に染めたジネットが俺をジッと見つめていた。

 愚直に、『俺がいいと言うまで』しゃべらないつもりのようだ。……が、そろそろ限界が近いらしい。さっきからしきりに「しゃべりたいです! もういいですか!?」と、目で合図してきている。


「……しゃべっていいぞ」

「ヤシロさんっ!」


 俺が許可するなり、ジネットは俺に飛びついてきた。

 胸の辺りに、堪らん柔らかさが押しつけられる。


「凄いです、ヤシロさん! モーマットさんも、ウチの食堂も、みんなみんな楽になりました!」

「いや、まだなってないだろ?」

「これからなります!」


 相当嬉しかったようで、こいつは失念しているのだろう。

 ウチが楽になる分、ギルドが損失を被るということに。

 まぁ、このお人好しには気付かないでいてもらった方がいいだろうけどな。


「しかも、クズ野菜ではなくて、ちゃんとした野菜ですよ!? 凄いです! ウチに来るお客さんも、きっと満足してくださいます!」

「あの食堂……客来るの?」

「来ますよ、それは! 日に五人くらいの方がいらしてくださってます!」


 少ない……ゼロではないのがせめてもの救いと言えなくもないが…………五人って……飲食店として成り立っていないレベルじゃねぇか。

 こりゃあ、マジでなんとかしなきゃ、早々に宿なしリターンズになっちまうな。


「おぉい、お前たち」


 畑をのっしのっしと歩き回っていたモーマットが俺たちを呼ぶ。

 手には、色とりどりの野菜を山のように抱えている。


「感謝の気持ちだ。受け取ってくれ」

「ぅええっ!? そんな、悪いですよ! そんなにたくさん!」

「いいんだよ、ジネットちゃん! ヤシロがいなかったら、この野菜もクズ同然の価値しかなかったところなんだ。売り上げもそうだが、何より、俺んとこの野菜の価値を守ってくれたことが嬉しいんだ。どうかもらってやってくれ」

「いえ、でも……」

「じゃあ、ヤシロ! お前ならもらってくれるだろう?」


 遠慮の塊みたいなジネットを通り越して、モーマットは俺にそう持ちかける。

 タダでくれるというのであれば、こんなにありがたいことはない。

 これで、業者と早々に手を切れそうだ。


「ありがたくいただくとしよう」

「そうこなくっちゃな!」

「あの、でも、ヤシロさん……」

「ジネット。オッサンは野菜の価値が守られたことに喜びを感じているんだ。だったら、この野菜をお前が美味い料理にして客に出してやれば、オッサンは一層喜ぶと思わんか?」

「わたしの料理で……モーマットさんが、喜ぶ?」


 少し信じがたいという表情でモーマットを窺い見るジネット。

 モーマットは明確に頷き、豪快な笑みを浮かべる。


「そりゃいいや! ウチの野菜が美味いってこと、ジネットちゃんとこの客どもによぉく教えてやってくれ。そうすりゃ、俺も嬉しいぜ」


 モーマットの言葉を聞いて、ジネットの表情が明るくなっていく。


「はい!」


 そうして、ジネットはモーマットに駆け寄り、山のような野菜の運搬を手伝い始める。


 まったく。

 くれるというものをもらうだけでも小難しく考えやがって。

 お前の利益は俺の糧になるのだ。遠慮なんかさせるかってんだ。

 でなけりゃ、俺への給料も期待出来ないからな。


 なんにせよ、無料で野菜が手に入ったのは喜ばしい。

 教会への寄付とエステラへの謝礼はクズ野菜で済ませるとして、こっちの野菜はメニューに載せてしまおう。

 客単価を上げて利益を上げる。そして、さっさと店の改修を行ってもっと客を呼べるようにするのだ。

 店が繁盛すれば、いろんな人間が訪れる。

 そうすれば、この街の情報も手に入るし、コネも出来るだろう。

 おまけに、行商ギルドのようなきな臭い商売を行っている連中の情報も掴めるかもしれない。

 あくどい商売は俺のいいカモだ。


 この街のあくどい連中がジネットをカモにしているのなら、そのあくどい連中を俺がカモにしてやる。

 俺こそが、詐欺師ピラミッドの頂点に君臨するのだ。


 俺のやるべきことが見えてきた気がする。

 ジネットを助け、陽だまり亭を再建する。

 奇しくも、というか……、それはベルティーナやエステラが望んだことでもある。

 で、あるならば、ここは一つ善人ぶってみるのが得策だろう。

 俺のことを『いい人』だと思い込ませることが出来れば、色々役立ってくれるかもしれんしな。


「ジネット」

「はい」

「食堂を立て直すぞ」

「……え?」

「もっと客を呼べる、人気の食堂にするんだ」

「陽だまり亭を、ですか?」

「そうだ。毎日大勢の人が集まる、そんな場所にするんだ」

「お爺さんが……いた頃のように、ですか?」


 いや、爺さんがいた頃のことは知らないが。


 ジネットは言葉を詰まらせ、一瞬、泣きそうな表情を浮かべる。

 けれどそれはすぐに笑みへと変わり――


「……はい。頑張り、ましょうね」


 ――涙は、嬉し涙として零れ落ちていく。


 まぁ、精々利用させてもらうさ。

 この単純で世間知らずな、お人好しをな。






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