7話 赤い髪の麗人
教会の談話室に、ジネット特製の朝食が並べられていた。
学校の教室を一回り小さくしたような造りだが、学校というより幼稚園を思い起こさせる。
教会の中には礼拝堂しかないのかと思っていたのだが、色々と部屋があるようだ。まぁ、今まで教会なんか来たことなかったもんな。
礼拝堂は思ったよりも小さく、三十人も入ればいっぱいになりそうなほど小規模だった。
礼拝堂から廊下を挟んだ隣に談話室があり、二階には子供たちの居住スペースがあるのだという。
談話室の奥には職務室がある。職員室のようなものだ。その奥にシスターの私室があるとのことだが、もちろん部外者立ち入り禁止だ。……ちっ。
教会には他に作業室と呼ばれるところがあり、そこで日用品などを自作したりもするそうだ。
庭には畑があり、ジネットの朝食以外は自給自足の生活らしい。周りが農家ばかりだから、技術はそこから学ぶのだろう。
基本的に部外者が立ち入れるのはこの談話室と執務室に礼拝堂。そして、厨房だけだ。
「何か手伝うことはないか?」
そんなことを言いながら、ジネットのいる厨房へと足を踏み入れると……
そこに、イケメンがいた。
は?
なにこいつ?
なんでジネットと楽しそうに話とかしてんの?
「あ、ヤシロさん」
ジネットが俺に気付いて手を振る。
と、その向かいにいたイケメンヤロウがこっちをゆっくりと振り返る。
「へぇ、君が噂の」
真っ赤な髪の毛に整った目鼻立ち。中性的と表現すればいいのだろうか、ヴィジュアル系のボーカルみたいな顔をしている。髪もちょっと長く、俺が学生だった時代なら「切れ!」と言われる長さだ。
薄い胸板に細く長い手足。目は少しきついが、普段から笑顔でいることが多いのか顔つきは割と柔らかい。……まぁ、ただ。その微笑みの奥にどんな下心を隠しているのか分かったもんじゃないけどな。
とりあえずエロそうな顔だ。
「話はジネットちゃんから聞いたよ。よろしくね、オオバヤシロ君」
う~わ、ちゃん付けだよ。
年齢は今の俺と同じか上くらいだろうに……十六を過ぎて女子をちゃん付けで呼ぶ男なんて、八割が遊び人で二割がオネエだ。
どちらにせよ相容れない人種だ。
「ん? どうしたの? ボクの顔に何かついてるかい?」
「エロそうな顔だな」
「初対面で失敬だな、君は」
イケメンヤロウの頬が引き攣る。
くっそ。引き攣っても美形なのかよ、イケメンは。俺なんか、鏡に向かって顔作っても「なんか違うなぁ」レベルだってのに!
「俺はオオバヤシロ。気軽にオオバ様と呼んでくれ」
「気軽な感じが一切しないんだけど……」
やかましい。
名を呼ばせてもらえるだけでもありがたいと思いやがれ。
「ボクはエステラ。姓は、訳あって伏せさせてもらうよ」
「そんな卑猥な苗字なのか?」
「……どうして最初からボクに卑猥なイメージを持っているのかな、君は?」
くっそ、不快感をあらわにしても美形なのかよ、イケメンは。俺なんか、ちょっとイラッてするだけで極道の鉄砲玉呼ばわりされたってのに。……誰が鉄砲玉だ。
「エステラさんは、よくこの教会に遊びにいらしてまして、子供たちに大変好かれているんですよ」
……主に女児に、だろ?
「わたしも、いつもよくしていただいて」
「そんなことないよ。普通さ」
「では、普通に優しい方なんですね」
「ははっ。ジネットちゃんには敵わないね」
カーーーーーーーーーーーッ、ペッ!
なんだその爽やかな会話!?
薄めてないカルピスを飲んだ時よりも喉の奥から粘っこいもんで出てきたわ!
「おい、カステラ」
「エステラだ」
きゃ~、顔怖ぁ~い。女の子泣いちゃうぞ~、ぷぷぷ~。
「で、そのエス…………なんとか」
「エステラだ!」
「エスティ~ラ」
「なんで発音をよさげに言った!? エステラ!」
「略してエラ」
「略すな!」
ノリのいいイケメンだ。
あ、あれか、「エステラ君おもしろ~い」って合コン受けを狙ってのことか!?
なんていやらしい!
お前らイケメンは黙って酒を飲んでいればいいんだ! 面白さは顔で勝負出来ないチームの唯一にして最大の武器なんだから、その領域にまで踏み込んできてんじゃねぇよ!
「エステラ。お前は王様ゲームを知っているか?」
「いや、聞いたこともないが?」
はっはっはーっ!
イケメンで王様ゲームを知らないとはな!
はい! 損してる! お前、人生の半分損してるぅ!
「領土の統治や財政をシミュレーションするゲームかな?」
「バカヤロウ、女の子にエッチなことをするゲームだ」
「……それのどこが王様なのかな?」
「王様の命令はゼッタァ~イ!」
「…………君は、王を侮辱しているのか、ただの無知なのか、どっちなんだい?」
エステラがこめかみを押さえて頬を引き攣らせる。
くっそ、ここまでしても美形なのかよ、イケメンは!
俺なんかなぁ、突然の腹痛に苦しんで顔を歪めていたら、クラスの女子に「どうしたの面白い顔して?」とか言われたんだからな!? 盲腸だったさ! 思春期最高潮の時期に綺麗な看護師さんに見られたさ! 羨ましいか!?
「あ、あの、ヤシロさん? どうされたんですか? なんだか、興奮しているようですが?」
「いや、大丈夫だ……ちなみに、看護師に見られたことを思い出して興奮したわけではないということだけは明言しておくぞ、俺の名誉のためにも」
「看護師?」
ジネットはよく分からないといった顔で小首を傾げる。
一方のエステラは、少し引いたような顔で俺を見ている。……お前にそんな目で見られるいわれはない。
「で、そこにいるソレはなんなんだ?」
「……君、敵意を隠すつもりはないのかな?」
俺がエステラを指さして問うと、ジネットは不思議そうな顔をする。
「エステラさんですよ?」
それはさっき聞いた。
ジネットも「さっき言いましたよね?」みたいな顔をしている。
そうではなくて…………どういう関係なのかとか、そういうことなんだが…………
「つかお前、何しに来たの?」
「ここはどんな人も受け入れてくれる公正で平等な教会だよ? ボクがここにいたって不思議なことはないだろう?」
「不思議はないが、不愉快ではあるな」
「……君、友達少ないだろう?」
うるさいなっ! 一番気にしていることを!
これだからイケメンは!
「友達の作り方? さぁ、考えたことないなぁ。気が付いたら仲良くなってて……なんでだろうね?」って、それはお前がイケメンだからだよぉ! イケメンと知り合いってのはステータスになるからね!
「こっちは貧乏なのに食材を無償提供してんだ。無駄飯食らいにはご遠慮願いたいのだが?」
「ん~……それは出来ないなぁ」
あぁ、イラッてする、その爽やかな「困ったなぁ」みたいな顔!
「ジネットちゃんのご飯は美味しいからね。一度食べてしまうと、もう他の食事じゃ満足出来なくなるんだよ」
「そうなんですか? 嬉しいです」
喜ぶなジネット。お前はたぶらかされている。
「陽だまり亭で絶賛発売中だ。『金を出して』食いに来い」
「時間が取れればそうするよ」
「食ってる時間がないなら金だけ置いて食わずに帰れ」
「……それ、ボクにメリットないよね?」
メリットが必要か? 生まれながらにイケメンで、人生勝ち組で、この上まだメリットが欲しいと抜かすのか? 強欲の権化め、地獄で閻魔様に舌でも抜かれてろ! 「あ、嘘吐きじゃないのに舌抜いちゃった」って、地獄の鬼にテヘペロされろ!
「とにかく、朝食はジネットちゃんの料理がいいんだ。この時間は、お店開いていないだろう?」
「だったら、店先に金を置いて帰れ」
「……だから、ボクがそれをする理由がないって……」
理由が必要か?
イケメンが世の中に貢献するのに、理由が必要なのか?
美人のわがままとイケメンの奉仕活動に理由なんかいらないだろうが!
「お店は開いていませんが、ここに来ていただければ召し上がっていただけますので」
「うん。だから毎朝早起きしてるんだ。ジネットちゃんの朝食は、毎日食べたいからね」
「そうなんですか、ありがとうございます。わたしの朝食でよければ毎日でも……」
「ストップだ、ジネット!」
何も考えずに恐ろしい決断をしかけたジネットを、俺は慌てて制止する。
危なかった……
一歩遅ければ取り返しのつかないことになっていた。
「いいか、俺の国ではその言葉はプロポーズの言葉なんだぞ」
「プロポ……ッ!?」
ジネットが素っ頓狂な声を上げ、顔を真っ赤に染める。
「へぇ。『毎朝、朝食を作ってくれ』が転じて、『ずっとそばにいてほしい』ってことか……なかなか洒落ているね。君が考えたのかな?」
「昔からある定番の言葉だよ」
「だとすれば、君の故郷は随分とロマンチックなお国柄なんだね」
バカモノ。
三歩下がって付いてこいのお国柄だぞ? ロマンチックとは程遠い、いぶし銀なお国柄だよ。
「けどまぁ、ボクに言う分には問題ないんじゃないかな、ジネットちゃんの場合は」
「まぁ、そうですね」
なん……だと?
それはつまりあれか?
お二人は実はもうすでにそういうご関係で、今さら的なことだって、そういうことか?
じゃあ、ゆくゆくは、あの食堂にこいつが居座るような展開に…………
「貴様に娘をやるわけにはいかん」
「……いつから君はジネットちゃんの父親になったんだい?」
だって、ヤだもんよ!
同じ屋根の下でイケメンと巨乳がイチャイチャしてるなんてよ!
不許可だ、不許可! 断固拒否する!
「あ、あのヤシロさん……?」
俺を説得でもしようというのかジネットが恐る恐る声をかけてくる。
そんなジネットの手を取り、俺は真摯に言葉を投げかける。
「いいかジネット、よく聞け…………イケメンは、敵だ!」
「え……と…………はい?」
えぇい、くそ!
イケメンが翻訳されないのか!
「こういうタイプの男は、一番信用しちゃいけない!」
特に、お前みたいに胸が大きくてちょっとどころかかなり抜けている天然娘はな!
「男……? あ、ヤシロさん、違います!」
「何がだよ!?」
「エステラさんは女性ですよ!」
「冗談は育ち過ぎたおっぱいだけにしろ!」
「わたしの胸は冗談ではありませんよっ!?」
「ボクの性別も冗談ではないんだけどね」
エステラが女だと?
そんなバカな。
俺はエステラの全身を隈なく、舐めるように、上から下から眺め倒す。
「こんなしょぼくれた乳の女がどこにいる!」
「……悪かったね、ここにいるよ」
エステラの口角がぴくぴくと引き攣る。
「ヤシロさん! 女性にそんなことを言うなんて失礼ですよ!」
「つらい現実を突きつけるのがか?」
「そうです! たとえ心で思っても、口にしないのがマナーです!」
「お前も、結構酷いこと言ってると思うぞ?」
「はっ!? す、すすす、すみません、エステラさん! わたし、嘘が苦手なもので!」
「うん……ジネットちゃん、もういいから、これ以上抉らないでくれるかな?」
エステラが、ジネットの悪意のない『口撃』をくらい、胸を押さえる。
「胸が抉れたのか?」
「心が抉られたんだ!」
「それでそんなにしぼんだのか?」
「元からずっとしぼんでるよ! ……悪かったなしぼんでて!」
エステラが柳眉を逆立て牙を剝く。目尻に微かに光るものが浮かんでいる。
「ヤシロさん! 女性にそんな……胸の話とか……体の話をするのは、よくないですよ!」
ジネットは俺を「めっ、ですよ!」と可愛らしく叱りつけると、エステラのそばへ行き、そっと背中をさする。
「大丈夫ですか、エステラさん?」
「いや……慰められると、それはそれで悲しい気持ちになるんだけどね……」
「あぁ、すみません!」
ジネットがペコペコと頭を下げる。
エステラは弱々しい笑顔で片手を上げ、ジネットのお辞儀をやめさせる。
というか……
「お前が女のフリなどしなければ、こんなややこしいことにはならなかったんじゃねぇか」
「フリじゃなくて、ボクは女だ!」
「『精霊の審判』!」
俺がエステラを指さしてそう唱えると、エステラの体が淡い光に包まれた。
おぉ……俺にも使えた。本当に唱えるだけでいいんだな。
「……これは、宣戦布告ととってもいいのかな?」
淡い光の中で、エステラが不敵な笑みを浮かべている。
しばらくすると、光は弱まり、やがて消えてしまった。
エステラは人の姿のままだ。
ということは……
「『精霊の審判』にも誤審はあるのか……」
「ボクが女で、嘘を吐いていないという証拠だよ!」
「ヤシロさん。『精霊の審判』には心情や感情が入り込む余地はありませんので、誤審はあり得ませんよ」
そうなのか。
ってことは、マジで女なのか……
そう思って、改めてエステラを見つめる。
中性的な顔は、見ようによっては美人に見え、細く長い手足も女性的と言われればそう見える。
…………残念なのは真っ平らな胸だ。これのせいで男だと勘違いをした。
「お前の胸と俺の勘違いで、有責は五分五分だな」
「統括裁判所に告訴すれば『10:0』で勝つ自信があるけど?」
エステラの額に青筋が浮かぶ。
それにしてもこいつは雅量のあるヤツだな。普通の女子ならブチ切れて平手の一発でも飛ばしてくる頃合いだ。
物腰といい、しゃべり方といい……こいつ、お金持ちか?
そういえば、服もそこそこいい感じの作りだな。
「お前が『ボク』なんて一人称を使ってるのは、家庭の事情ってヤツか?」
「……え?」
「わざわざ男っぽい格好や仕草をしているのは、女であることがバレたくないからなのかと思ってな。まぁ、性別は別に秘密にしているわけではなさそうだけど」
「……どうして、そう思ったのかな?」
「どうしてって……金持ちの家には、何かしら面倒くさいことが山積みなもんだろう、どこの世界でも」
「へぇ…………」
急に言葉数を減らし、エステラはアゴを摘まんでしげしげと俺を見つめてきた。
う~ん、やっぱりまだ俺の中で女子認定出来ていないからか、見つめられてもドキドキしないな……むしろ「あ? なにガンつけてんだ、コラ?」って気分になる。
「君……頭キレるんだね」
「誰が頭のキレた危険人物だ!?」
「言ってないよ…………褒めた直後に褒めたことを後悔させないでくれるかな?」
エステラはため息を漏らす。
そして…………、先ほどまでとは違う鋭い目つきで俺を睨んだ。
な、なんだ? やる気か?
「ジネットちゃん。ごめん、ヤシロ君をちょっと借りていってもいいかな?」
「え? あ、はい。こっちはもう盛りつけるだけですので」
「じゃあ、あとよろしくね」
そんなことを言いながら、エステラは俺の腕をがっしりと掴んで厨房を出て行こうとする。
「おい、なんだよ?」
「いいから、付き合ってよ」
屋上への呼び出しか? 「久々にキレちまったぜ……」ってヤツか?
あらかじめ言っておくが、俺は殴り合いに自信はないぞ。俺だけ武器を持った上で引き分けるのが精一杯だからな?
「話があるんだよ」
「ここでしろよ」
「彼女の前じゃ、ちょっとね……」
「…………エロい話か?」
「なんでそうなる?」
「いや、女子の前では出来ない話と言えば……」
「ボクも女子だ」
「『精霊の審判』」
「……ホント、殴るよ?」
淡く輝くエステラが握り拳を震わせる。
ガッと、首に腕を回され、ヘッドロックされる。そして、強引に厨房から引き摺り出されていく。
強い強い強い! 力、俺より強いじゃん!
痛い! 柔らかい成分が一切ない! なんで小脇に頭を抱えられてるのに後頭部に何も触れないの!? 精霊神、ちゃんと仕事してる!?
「あー! 格闘ごっこだぁ!」
などと言う子供たちの声に「あはは、みんなはご飯食べてからね~!」と、エステラはにこやかな声で言う。
俺もご飯食べてからにしてほしい。
そのまま談話室を出て、俺は教会の外へと連れ出された。
再びの外。
そこで解放される。
「硬い!」
「……君、これまで積み重ねた無礼は、いつかきっとまとめて償わせてやるからね!」
変な形で固定されていた首をクキクキと鳴らす。……筋でも違えていたら慰謝料を請求してやる。
「君は……ジネットちゃんを狙っているのか?」
唐突に、エステラがそんなことを口にした。
俺がジネットを狙っている?
バカな。そんなわけないだろう。
俺が狙っているのはあの食堂の所有権だ!
……が、そんなことは言えるはずもないので…………
「俺はこの街に来たばかりで、ここのことがよく分かってないんだよ。それで、ジネットのところでしばらく厄介になることになったんだ」
「お人好しのジネットちゃんなら、一も二もなく承諾しただろうね」
エステラの視線が鋭くなる。
「これまでも、ジネットちゃんの優しさに付け込もうとした不届き者は何人もいたんだ」
言われて、当たり前のことにようやく気が付く。
あんな、食物連鎖の最底辺にいるようなジネットが、これまで狙われなかったはずがない。
金や土地はもちろん、あの巨乳……女としてのジネットを狙った者もいたことだろう。
……そんな連中に言い寄られて、ジネットが断れるはずがない…………ってことは、まさかジネットは!?
「そいつらは、全部ボクが追い払ったけどね」
「お前が?」
「あぁ。親友に危害を加えようとする虫を追い払うのは当然だろう?」
そうか。
ジネットがこれまで平和に暮らせていたのは、こいつがそばで目を光らせていたからなのか。
「それはよかった。どうもな、って俺が言うのも変だが、なんだか安心したよ」
ジネットがこれまでつらい思いをしていないと分かり、なぜかとても安心した。
が、エステラの視線は依然鋭いままだ。
「君も、振り払われる男の一人になるんだよ、これからね」
「はぁ!?」
ちょっと待て!
俺はジネットを狙ってなどいない!
あいつの金や店は…………まぁ、あわよくば、程度だ。真の目的ではない!
「俺はこの街のことを知りたいだけだ。誓って、ジネットに危害を加えるような真似はしていない!」
「『精霊の審判』」
「――っ!?」
突然、エステラが俺を指さし『精霊の審判』を発動させた。
俺の全身が淡い光に包まれる。
……こいつ、なんの前触れもなく…………怖ぇヤツだ。
しばらくして、俺の全身を包み込んでいた光が消失する。
「へぇ……どうやら『危害を加えるような真似はしていない』っていうのは本当みたいだね。……今のところは」
「だからそう言ってるだろう!」
……危ねぇ。
あの巨乳に少しでも邪な気持ちを抱いていたら、俺はカエルになっていたかもしれない。
俺の目的は、明確に『この街の情報を得ること』と『宿』と『飯』だ。
巨乳に目を奪われる程度は許容範囲ということか……よかった、リビドーに負けなくて。
「でも、だからと言って君が信用に値するってことにはならないよね」
「別に、お前に信用してもらう必要はねぇよ」
「はっきり言って、ボクは君を信用出来ない」
真顔で、きっぱりと宣言された。
「……けど、ジネットちゃんは君を信頼しているようだし……まぁ、君が何かおかしな行動を起こさないうちは、特に事を荒立てるような真似はしないでおくよ」
「お前……なんでそこまでジネットを気にかける? 親友だからって理由だけか?」
このエステラという女は、そんな単純な正義感だけで動いているようには見えない。
こいつの目は、善意の向こうに自分の利益を見据えている……そう、俺と同じ詐欺師の目をしているのだ。
「言ったろ? ボクはジネットちゃんの作る料理に惚れ込んでいるのさ。あの味をなくしたくない。これは、相当な理由になると思うけどね」
「だったら、俺をあの食堂から追い出すのはやめた方がいい」
「と、言うと?」
「俺がいなくなれば、遠からずあの食堂は潰れるぞ。ジネットに経営は無理だ」
「ふむ……確かに」
エステラは腕を組み、うんうんと頷く。
「じゃあ、君があの食堂を立て直すって言うのかい?」
「俺があそこに住んでいて不自由を感じなくなる程度のレベルまでは、な」
俺の答えに、エステラはくすりと笑いを零す。
それは、先ほどまで張りつけていた鉄仮面を外したような、素直な笑みに見えた。
「面白いね、君は。自分に正直で、欲望に素直で、極めてバカで……頭がいい」
切れ長の目をくりっと丸めて、俺を見つめてくる。
隙のない視線。
こいつは……油断ならないヤツだ。俺の直感がそう告げている。
「執行猶予をあげるよ」
「俺は犯罪者かよ」
「極めて重要な被疑者ってところかな」
「失礼なヤツだな」
「それはお互い様だ」
エステラは、子供のように頬を膨らませ胸を押さえる。
素直な怒りを表現する様は、意外に可愛らしかった。
「しばらく君を観察させてもらう」
「絵日記でもつけるのか?」
「君の成長記録には興味がないなぁ。けど……怪しい素振りを見せればいつだって追い出すからね」
エステラはそう言い残して、一人教会へと向かって歩き出す。
随分な言い草だ。
別にお前の許可などなくても俺はいたい場所にいてやる。
「お前にあるのか? あの食堂から俺を追い出すなんて権限が」
遠ざかる背中に言葉を投げると、エステラは立ち止まり、首だけをこちらに向けた。
「追い出すのは食堂からじゃなくて、四十二区からさ」
そして再び前に向きながら、最後にこう付け加えた……
「……『香辛料』君」
「――っ!?」
……こいつは、知っているのか?
あの張り紙を……俺が細工する前のあの似顔絵を、見てやがったのか……?
確認しなければ。
はっきりさせなければ。
そんな思いから、俺は足を走らせ、教会の入り口でエステラの腕を捕まえた。
掴んだ手を乱暴に引き、強引にこちらを向かせる。
「お前……っ!」
「え、ちょっ、うわ……っ!?」
教会の入り口に設けられた段差に足をかけていたエステラは、俺が強引に引き寄せたことで足を滑らせ、俺に向かって倒れてきた。
このままでは二人揃って転倒してしまう。
咄嗟にそう判断した俺は、あいた左手で傾くエステラの体を支えた。
……ふにゃん。
「……ひっ!?」
微かぁ~に、柔らかい感触が手のひらに当たる。
左手を見ると、俺の手は真っ平らなエステラの胸に押し当てられていた。
…………うん。ほんのちょっとだけだけど…………あった。
「…………殴っていいかな?」
「いや、これは、人助けだ。事故と不可抗力とラッキースケベは糾弾されるべきではないと、俺は思う」
「……いい加減、離してくれないかな?」
「エステラ、俺の国にはこんな言葉があるんだ…………『あと、五分』」
左の頬を引っ叩かれた。
「君のこと……信用するのやめようかな?」
「……いや、俺は逆にお前を信用することにしたぞ……お前は、女子だ」
グッと、親指を立てて突き出すと「最初からそう言ってるだろ」と、軽めのデコピンをもらった。
うむ。なんというか、ちょっと優しさを感じるデコピンだった。「今回はこれで許すから、次からは気を付けてよね」的な、寛容な制裁だ。
エステラは俺を残して教会へ入っていき、俺も少ししてからその後を追った。
と、玄関口にジネットが立っており、俺を出迎えてくれた……の、だが。
顔が紅い。
そして、頬がぷっくりと膨らんでいる。
眉毛がくにゅんと吊り上がっており、怒っているように見える。
「エ、エッチなのは、ダメだと言ったはずですよっ! 懺悔してください!」
こうして、俺は朝食の前に礼拝堂奥の懺悔室へ連行され、小一時間の懺悔を強要された。
不可抗力だと訴えるも、シスターベルティーナはそれを是とせず、己の中の悪事を懺悔せよと言うばかりだった。
なので、「ぺったんこなのにちょっと気持ちいいと思ってすみません」と、懺悔しておいた。
揺るぎない巨乳派の俺が、ほんの一瞬ツルペタ派に心奪われた瞬間だった……そこを懺悔すると、ベルティーナは、とても重いため息を吐き、「……もう、行って構いません」と解放してくれた。
かくして、俺の罪は浄化されたのだ…………ろうか?
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