6話 農家のワニとシスターベルティーナ
寄付。……などという、訳の分からない行為のために、ジネットは懸命に食材の下ごしらえをしている。
朝早く起きてまずするのが、教会で待つタダ飯食らいのための朝食の準備だというのか。呆れて物が言えない。
早起きは三文の徳? 大損してんじゃねぇか。
俺は、せっせと働くジネットを、キッチンの壁にもたれかかって眺めていた。
手伝い? 冗談だろ?
利益の出ないことに労力を割く意味が分からねぇ。
それにしても……
クズ野菜ばかりとはいえ、量が凄いな。
近隣農家から掻き集めてでもいるのか?
「ジネット」
「はい」
俺の呼びかけに律儀に応えるジネット。
「手伝え」とも「邪魔」とも言わず、こちらに悪意を向けることもしない。
こいつ、感情の中で必要なものがいくつか壊れてしまっているのではないだろうか?
「このクズ野菜はどこからもらってきているんだ?」
「業者さんから購入しています」
「はぁっ!?」
購入!?
このクズ野菜を!?
人参のヘタや、虫の食ったほうれん草や、キャベツの一番外側のごわごわした硬い葉に金を払っているのか!? 廃棄する部分だぞ、これはどう見ても!?
「良心的な業者さんが多くて、格安で譲っていただいているんです」
「…………多くて? お前、まさか、複数の業者から買ってるのか?」
「はい。最初は一ヶ所だけだったのですが、その方が話をしてくださったようで、あとから四ヶ所の業者さんが同じようにクズ野菜を格安で譲ってくださるようになりました」
お前…………それ、カモられてるんだよ。
「廃棄物を、金を出して引き取ってくれるところがある」ってな。
しかも、野菜を複数の業者から仕入れるって……まとめりゃ割引もされやすいだろうに。
「ちょっと、帳簿を見せろ」
「え? 帳簿ですか? その、後ろの棚にありますよ」
俺は、厨房の壁際に置かれた棚から一冊のノート……冊子というべきか……を、取り出し開く。
粗悪な紙を何枚もまとめた安そうなノートだ。
そこに、細かい文字でビッチリと書き込みがされている。…………細けぇよ、文字が。こんなところで節約するより、もっと切り詰めるところあるだろうが。
苦労しながらその内容を見ていくと…………
あり得ない。
ジネットの言った通り、この食堂ではクズ野菜を五ヶ所から購入している。しかもそのうちの一つは二十七区の業者らしい。
それから魚だが、これも三ヶ所から購入しているのが分かる。
そしてほとんど売れないパンですらも三ヶ所から。
……無駄だ。
「店長、相談があります」
「ぅえ!? な、なんですか、急に改まって!?」
「俺に金勘定を任せてください」
「え? でも、大丈夫ですよ、わたし、ちゃんと出来ますし」
「出来てないです。ちゃんちゃらおかしいです。ままごとレベルです、これは」
「……あ、あの。もしかして、怒って……ますか?」
あぁ、怒っているとも。
なんでかは分からんが、腹の底から沸々と怒りが込み上げてきて意味もなく玉ねぎをみじん切りにしてやりたいくらいだ。
「業者ってのは、野菜は野菜、魚は魚しか売っていないのか? 一括で肉も野菜も果物も買えたりはしないのか?」
「マーケットに行けば、そういうお店もありますが、行商の方は野菜なら野菜、お肉ならお肉と専門的に売ってらっしゃいますね」
「マーケットってのは、ここから遠いのか?」
「いえ。徒歩で行ける距離ですよ。大通りを超えた先にあります」
「割高なのか?」
「運賃がかからない分、割安かもしれませんね」
「……そこまで分かっていて、なぜ業者から買っている?」
「え…………それは…………売ってくださるとおっしゃいましたので、ご厚意は……そう! 厚意はありがたく受けるべきではないかと!」
「バカか!?」
「ふにゃっ!?」
思わず怒鳴ってしまった。
でも仕方ないだろう!
ほら見ろ!
言った通りじゃねぇか!
まんまとカモにされている!
騙されているのに、「厚意」だなどと抜かしてやがる!
「いいか。俺の世界ではゴミを捨てるのにも金がかかる。そのゴミを、二束三文でも売り払えりゃ丸儲けなんだよ!」
この街でだって、廃棄品が金になりゃ、ここまで運ぶ労力くらいは惜しまねぇだろうさ。
十一ヶ所もの業者にカモられてやがる。入れ食いだな、おい。
パンだって、失敗して売り物にならないものを押しつけられていたに違いない。
それを、「格安で~」だの、「ご厚意で~」だのと、へらへらへらへらしやがって……
つか、この世界でも詐欺は横行してんじゃねぇか。
……面白い。そのケンカ、買ってやろうじゃねぇか。
この十一社…………ただで済むと思うなよ?
だが、それは追々だ。
「とにかく、今後一切、この業者との取引はしない」
「えぇっ!? でも、そうしたらお店の食材が……」
「別のところから買うさ」
「…………」
「どした?」
「あ、いえ…………わたしは、その……知り合いが極端に少なくて……ギルドに顔の利く方がいないんです」
「ギルド?」
「はい。飲食ギルドと行商ギルドです。そこで商人の方を紹介していただかないと、ここまで野菜を運んではいただけませんので……運賃も決めなくてはいけませんし……ですので、今から別の方にお願いするというのは…………」
なんだかジネットがもにもに言い出した。
つまり、交渉下手なジネットは、「今の商人が気に入らないから別の、もっとまともなヤツを寄越せ」とは言いたくないのだろう。
だったら、話は簡単だ。
「ギルドを通さなければいいだろう」
「で、でも、そうすると商人の方はここまで食材を運んでくださらないですし……マーケットは一般の方も買い物をなさいますので、わたしたちのような飲食関係者のまとめ買いを忌避されるところが多いんです。品切れになってしまわないように……ですので……」
「なら、農家から直接買えばいい」
「……え?」
ジネットの動きが止まった。
そんなに驚くようなことか?
「行商ギルドとやらが商品を一ヶ所にまとめて販売をしているってんなら、きっとそこに手数料が発生しているはずだ。その分、消費者の支払う料金は高くなり、農家の取り分は低くなっていることだろう」
日本の田舎で見かける農家の直売店が驚くほど安いのは、業者を通していないからだ。
売り物にならないクズ野菜を買うなら、そういうところからこそ入手するべきなのだ。
「それに、一つの店舗に十一もの商人を寄越していながら、これまでなんの是正もしてこなかった行商ギルドとやらは信用出来ない」
行商ギルドを名乗っているのだから、区を超えてすべての行商人を取りまとめている組織なのだろう。
ならば、この食堂に十一ヶ所から商人がやって来ているという異常事態に気付かないのはおかしい。よって、行商ギルドはこの詐欺行為を容認し、放置しているということだ。
『叩き潰しても心が痛まないリスト』に追加決定だ。
「四十二区に農家と漁師はいるのか?」
「はい。教会の周りに農業地帯が広がっています。その奥に大きな川が流れていまして、川辺には漁師さんたちが集まって暮らしておられます」
「じゃあ、そこに案内してくれ」
「今からですか?」
「いや、後でいい」
今は、ようやく朝陽が昇り始めたような時間だ。
こんな時間に行っても話など出来ない。話し合いは向こうが都合のいい時間に行くに限る。忙しいと門前払いか、話せてもいい印象は与えられないからな。焦りは禁物だ。
だが、一日も早く仕入先を確保して、こんな浪費はやめさせてやる。
その前に、今はタダ飯食らいの教会に寄付の終了を突きつけに行かなければ。
差し出がましい行為だろう。
本人が納得しているのなら、それは放置するべき案件なのかもしれない。
だが!
底抜けのお人好しを利用して私腹を肥やす連中は野放しにしておけない。
俺以外の詐欺師は、全員この世から消えてなくなればいい。
「まずは教会に行こう。きっと、有意義な時間になるはずだ」
「はい。四十二区の教会はいいところですよ。きっとヤシロさんも気に入ると思います」
俺が気に入る?
それはない。敵地だからな。
「それじゃあ、早く準備を終わらせちゃいますね」
むんっと、拳を握り可愛らしく力こぶを作ってみせるジネット。
俺はそんなジネットを横目に、細かい字で書き込まれた帳簿を隅々まで読み込んでいった。
食堂を出て南側の道を進んでいくと、畑が広がっていた。
朝早くから畑仕事に精を出している人が何人かいるようだ。……おぉっと、ビックリした。近くの畑で働いていたオッサンの顔がワニそっくりだったのだ。……畑荒らしじゃないよな?
「モーマットさん。おはようございます!」
「あぁ、ジネットちゃん、おはよう」
モーマットとかいうワニ顔の男は、俺の姿を目にすると一瞬怪訝そうな表情を見せる。
……不審者扱いか? まぁ、ジネットの危うさを知っていれば心配にもなるか。
追々交渉する必要があるかもしれんし……第一印象を良くしておくか。
「精が出ますね」
「ん……あぁ。まぁな」
返しが硬い。
笑顔を心がけて、一歩踏み込んでみるか。
「ちょっと見せてもらってもいいですか?」
「ここかい? そりゃ構わんが、何もないぞ?」
「いえ。俺、二日前にこの街に来たところで。何を見ても珍しいんですよ」
「へぇ、そうなのかい」
了承を取ってから、三十人分の食事を載せた荷車を路肩に止め、ジネットに断って、俺は畑へと踏み入っていく。
畑の周りには水路も引かれていて、まともな農業が行われているようだ。
ただ、土地が少し痩せているように見える。
畑に広がる作物の葉が少し細いのだ。……これは人参かな。
「どうですか、今年の出来は?」
「よくねぇなぁ。まぁ、毎年そんな感じだけどな」
に、しても、四月に人参は早いような気がするんだが……と、隣の畑を見るとレタスが生っている。その向こうにはカボチャ、ピーマン、トマトと…………季節感が出鱈目だ。
この世界では野菜は年がら年中収穫出来るのか? だとしたらパラダイスだな。
俺は土を摘まみ、指で押し潰す。……水分も十分だし、それにこの匂い……堆肥も使っている。状態は悪くないようだ。
レタスが結構虫にやられているところを見るに、農薬は使っていないのだろう。
いい野菜だな。欲しいわ、これ。
「土の状態なんか見て、農業に興味があるのか?」
「えぇ、まぁ」
農業というか、ここの野菜の商品価値に興味があるのだが。
「一本齧ってみるか?」
「いいんですか?」
「あぁ。どうせ、売ったって大した儲けにはならないんだ」
「そうなんですか」
業者に対する愚痴ってのは、どの世界でも似たようなものなんだな。
「売れなかった分は捨てちまうんだ。遠慮なく食ってくれ」
「では、お言葉に甘えて」
「ほい、土を払って、そこの川で洗えば食えるぞ」
「あ! 何しているんですか、ヤシロさん!?」
人参を受け取る俺を見て、ジネットも畑へと入ってきた。
「もらったんだぞ。盗ってないからな」
「はっはっはっ! 持ち主の前で野菜泥棒出来るヤツはさすがにいねぇわなぁ!」
モーマットが大声で笑う。
ジネットは俺の前まで来ると、土のついた人参をジッと見つめて……よだれを垂らす。
「……じゅる」
「お前、年中腹減らしてるのか?」
「はっ!? ち、ちち違いますよ! 今日は、朝ご飯を食べ損ねたので、それで……!」
「それじゃあ、ジネットちゃんにもプレゼントだ」
「えっ!? いえいえいえ! 結構ですよ、そんな!」
躊躇いなく人参を引き抜いたモーマット。
固辞しようとしたジネットだが、抜かれた人参を渡されてはもう何も言えない。
両手で大切そうに受け取ると深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。お礼は改めて……」
「いいっていいって! 一本じゃ売ったって1Rbにもなりゃしないんだ」
なんだと?
「何本くらいで1Rbになるんです?」
「重さでやり取りしてるからなぁ……でもまぁ、だいたい七本から八本かな」
これ一本がだいたい150グラム程度として……1キロで1Rbか……
陽だまり亭ではクズ野菜を10キロ80Rbで購入していた。
やはり、農家から直接購入する方がはるかに安上がりだ。
「洗ってきましたよ」
俺とモーマットが話をしている間に、ジネットが人参を洗ってきてくれたようだ。
では、味見を。
ジネットから人参を受け取り、先端を齧る。………………うん、甘い。が、まぁ、微妙?
そこそこの出来だ。でも、食堂で出すには問題ない品質だろう。
「あ、甘ぁいですぅ~……」
隣でジネットが感動している。
頬に手を添え、うっとりとした表情で人参を見つめている。……そんなにか?
いつもクズ野菜ばっかり食ってるから、ちゃんとした、抜きたての野菜がご馳走に感じるんだろうな。ある意味幸せだが、客観的に見て不幸なヤツだ。
「ヤシロさん!」
ジネットが目をキラキラさせて俺に体を寄せてくる。
「わたしの齧ったところを切り落とせば、この人参、食堂で出せますよね!?」
「……節約とケチは違うと思うぞ」
俺は、清く正しい節約を推進したい。
何より、おなかをきゅいきゅい言わせているジネットを見ると、「一本食っちゃえよ」と言いたくなる。
「あ、そうでした! 早く行かないと、みんながお腹を空かせて待っています!」
太陽が空を明るく照らし、朝の澄んだ空気も徐々に温かさを増している。
ちょっと寄り道が過ぎたか。
「それじゃあ、モーマットさん。お仕事中にお邪魔しました。人参、美味しかったです」
俺は背筋を伸ばして礼を述べ、右手を差し出す。
俺の手を握り、モーマットは嬉しそうな笑みを浮かべた。
「いや。街にはまだ慣れてないだろうから、何か困ったことがあったら言ってくれよ。いつでも力になるからな」
「ありがとうございます」
いい言葉をもらった。
これで、俺が困った時にモーマットは絶対助けなければいけなくなったのだ。『精霊の審判』によって。……まぁ、そんな脅しをしたところで、このオッサンに出来ることなどたかが知れているだろうが。
とりあえずは農家のコネが手に入った。よしよし。
畑を出て、俺は荷車を引きながら教会を目指した。
教会はモーマットの畑からすぐの場所にあった。……の、だが。
「…………教、会?」
お化け屋敷かと思った。
木製の、今にも傾きそうなおんぼろな建物がそこにはあった。
一応屋根が尖っており、教会の目印なのか、十字架に円がくっついたようなマークがその先端に取り付けられている。
四十二区の建物はこんなのばっかりか……
何を警戒しているのか知らんが、一丁前に木製の塀がぐるりと敷地を囲んでおり、門なんてものまである。……誰が何を盗るんだよ、こんなボロ教会から。人件費で足が出るわ。
それとも、他宗教からの攻撃でもあるのか? だとしたら、無駄な労力は割くなと教えてやりたいね。放っておいても後二、三年で倒壊するだろうよ、この教会は。
なんか、この教会に塀とか門があるのは、電車の向かいの席に座った「テメェのは頼まれても見ねぇよ!」級の女がスカートの裾を押さえてこっちを睨んでくるくらいの不快感があるな。
この傾いた塀なんか、蹴り一発で倒壊しそうだ。
「ごめんくださ~い!」
門に着くなり、ジネットが大声で呼びかける。
すると…………うわぁ……
教会の中から小さいガキどもがわらわらと溢れ出てきやがった。
どいつもこいつも嬉しそうににこにこして、門へと猛ダッシュしてきやがる。
「ジネットネーチャン!」
「お姉ちゃ~ん!」
ジネットに群がるガキども……俺は少し離れた場所でちょっと引き気味にその光景を眺める。
……いや、子供とか、苦手。だってあいつら、理屈通じないんだもん。
「あー!?」
と、一人の男児が俺を見つけるや、指をさして大声を上げやがった。
おい。人を指さすなって教わらなかったか? その指、曲がらない方向に曲げるぞ、コラ?
「男の人だぁー!」
「ホントーだぁ! ジネットネーチャンが男の人連れてきたぁー!」
「シスター! ジネットネーチャンがぁー!」
「あ、あの! みなさん! 落ち着いて! ヤシロさんはウチでお手伝いをしてくださることになった方で、決してそういう関係では……」
「結婚するのー?」
「ふっぇええ!? し、しませんよ! ……たぶん」
「え~!」
「つま~んな~い!」
「いえ、つまらないと言われましても……」
なんだか盛り上がっている。
が、関わりたくないので無視だ。
俺はガキどもが視界に入らないように背を向けた。
目を合わせると寄ってくるからな。
……と、思っていたのだが。
「とぉ!」
「痛っ!?」
目を合わせなくてもガキは寄ってくるものなのだ。
ケツに蹴りを入れられた。
「『いたぁっ!』だってぇ! きゃきゃきゃきゃ!」
「きゃっきゃっきゃっ!」
こまっしゃくれたガキが二匹。片方は人間の顔をしていて、もう一方はキツネっぽい顔だ。……どっちも男だよな?
よし、手加減は無用だ。
「クソガキィ!」
「うわー!」
「男が怒ったー!」
「待てコラァ!」
逃げるガキを両脇に抱え、その場で思いっきり回転を始める。
「ギャー!」
「怖ーーーーーーーーーーーーーーいっ!」
ガキが叫ぶ。
どうだ! 大人の恐ろしさを思い知ったか!
が……
「きゃはははは! 怖ーーい!」
「きゃっきゃっきゃっ!」
その声はすぐに笑いへと変わった。
……くそ、かなり疲れるのにダメージを与えられていない……
「あぁ、もう疲れた。終わり」
「えぇー!」
「もっとぉ!」
うっせぇ!
こちとら、体が若返ってまだ四日目なんだよ!
気分的にはオッサンなの!
と、ガキどもを下ろして顔を上げると…………列が出来ていた。
「え……なに、これ?」
「順番待ちだそうですよ、ヤシロさん」
「は?」
列を作る子供たちは、みんなキラキラした瞳で俺を見上げている。
…………マジか?
列を作るガキどもを数えてみる。…………八人。
あと、四回?
え、死ぬよ、俺?
「さぁ、ジネット。飯の準備をしようじゃないか。みんな腹減っただろう?」
さっさと退散しよう。
今日作った分までは振る舞ってやる。だから、散れ、ガキども。解散だ。
なのに。
ガキどもは列を崩さない。
そればかりか、先頭の幼女(推定四歳・ネコ耳美少女)は瞳をウルウルさせ始めやがった。
「あの、ヤシロさん」
「……なんだよ」
ジネットが俺に近付き、耳打ちをしてくる。
「一度ずつだけでも……」
……お前は、鬼か?
「…………わ~かったよ! 怖くても小便ちびんじゃねぇぞガキども!」
もう自棄だ。
勢いに任せてネコ耳幼女とその次のヤギ顔少女を抱え上げ、俺はその場で回転を始める。
あぁ、くそ! 幼女なんか抱えても全然楽しくない! どっこも柔らかくない!
俺の腕に抱えられ、二人の少女が「きゃっきゃっ」と笑う。
……これ、マジで全員やるんだろうな。
「随分と賑やかですね」
落ち着いた、涼やかな声がした。
見ると、ビックリするような美人が立っていた。
思わず回転を止めて見入ってしまった。
美しい銀髪に、翡翠のような透き通った瞳。鼻筋は通っていて、絵本に出て来る精霊やエルフのような、現実離れした美しさだ…………あ、エルフ。この人エルフなのかもしれない。耳が尖っている。
「シスター、おはようございます」
「おはようございます、ジネット。ところで、これはなんの催し物なのでしょう」
「はい。ヤシロさんが面白い遊びを教えてくださっているんです」
「ヤシロ? とは、彼のことですか?」
「はい。オオバヤシロさん。昨日からウチのお店でお手伝いをしていただいている方です」
「まぁ……ジネットの食堂で……」
美人シスターが細いアゴに指を添え、俺をまじまじと見つめてくる。
な、なんか……美人に見つめられると緊張するな……
なんというか、クールビューティーってのか?
あまりに整い過ぎた顔のせいで、少し冷たい印象を受ける。この人に怒られたら泣いてしまいそうだ。
「それで、ここに並べばいいのですか?」
「そうですね。一緒に並びましょう」
「おい、大人二人!」
あ……ジネットレベルなのか、この美人シスター。
お前らを抱えると、いろんなモンがいろんなとこに当たって大変なことになるだろうが。
「あら、子供専用なのですか」
「大人は別料金になります」
お金を出してくれるならやってやってもいい。……無論、いろんなところを触るけど。
「でしたら諦めましょう。金銭的な余裕は、残念ながらあまりありませんので」
特に残念そうな素振りもなく、シスターはあっさりと引き下がる……それはそれで、こっちがちょっと残念なような……
「私はベルティーナと申します。この教会でシスターをしております」
ベルティーナと名乗ったシスターは右手を差し出し、握手を求めてきた。
俺の名前はさっきジネットが言っていたから……省略でいいか。
俺はベルティーナの手を握り挨拶をする。
「よろしく、ベルティーナ」
と……物凄い握力で俺の右腕が圧迫されていく。
「イダダダダダッ!」
「……初対面の相手を呼び捨てにするとは、どういう教育をされているのでしょう? それに、まだあなたから直接お名前を伺っていないのですが」
「ご、ごめんなさい! オオバヤシロと言います! 名前がヤシロです! よろしくお願いします、ベルティーナさん!」
「はい。こちらこそよろしくお願い申し上げます」
涼しい顔でそう言って、ベルティーナは俺の手を解放する。
……俺が魚だったら、小骨の五、六本折れてるとこだぞ……
怖ぇ、この人。超怖ぇ……
「シスターは普段とても優しい方なのですが、礼儀にはうるさく、怒ると非常に怖いんですよ」
ジネットがこそっと俺に耳打ちをする。
……先に言え、そういうことは。
「では、ジネット。申し訳ありませんが、本日もよろしくお願いいたしますね」
「はい! みなさん、お手伝いしてください!」
「「はーい!」」
ジネットが言うと、子供たちは元気よく返事をし、荷車を引きながら敷地内へと入っていった。
朝食の準備でもするのだろう。
都合がいい。
「ベルティーナさん。少し、いいですか?」
「はい、なんでしょう?」
ジネットと子供たちが教会の中へ入ったことを確認して、俺は口を開く。
「ジネットのことはよく知っているんですか?」
「えぇ。あの娘が幼い頃から知っています」
「では、あいつの家のことも?」
「お爺様が遺した食堂を、今はあの娘が継いでいますが……経営は芳しくないようですね」
「なら話は早い」
表情が変わらないベルティーナに向かい合い、俺は単刀直入に言う。
「食事の寄付、打ち切らせてもらいたいんです」
「……それは、ジネットの意志ですか?」
「いいえ。俺の考えです」
「……理由を伺っても?」
「ジネットは、他人に寄付をしていられるような経済状況にありません。店の椅子なんて全部ガタガタで、仕入れられる食材はクズ野菜ばかりだ。これじゃ、いつまでたっても生活はよくならない」
「確かに……その通りですね」
「そのうち、あいつは倒れますよ。過労で」
「その懸念は以前よりずっとしておりました」
「じゃあ、寄付の打ち切りを了承してもらえますね?」
「お断りします」
「…………は?」
「承服はしかねると申したのです」
「いや、だって……」
びっくりした。
話の流れ的に「しょうがないな」となると思っていた。
この人、自己中心的なのか?
「教会にはたくさんの子供たちがいます。ジネットの寄付が途切れれば、彼らを飢えさせることになるでしょう」
「子供たちが大切なのは分かりますが、ジネットが己の身を切ってまで寄付を続けることはないでしょう? それを強要するのは、あまりに酷だ」
「同感です」
「なら、打ち切りを了承……」
「お断りします」
…………こいつ。
美人だからって、なんでも許されると思うなよ?
「私は……もっと以前……あの娘のお爺様が亡くなられた頃から、寄付は必要ないと申してきたのです」
「え?」
ベルティーナが、無表情で俺を見つめている。
静かな瞳に見つめられて、背筋がぞくっとした。
「ジネットがそう望んでいるのなら、寄付の打ち切りはいつでも了承いたします。もともと、強要出来るものではありませんから」
「でも、あいつはそんなこと、たぶん……」
「言わないでしょうね。口が裂けたとしても」
「それが分かっていて……」
「あの娘の善意を利用している……と?」
「違いますか?」
「半分はそうですね……あの娘の優しさに甘えている部分は確かにあります」
「もう半分は?」
「……親としての、責任です」
親……?
「あの娘も、かつてはここで暮らしていたのです。両親を失い、行き場をなくして」
「え……いや、だって、爺さんがいたんだろ?」
「養祖父です」
もらわれっ子……いや、孫か……
ジネットは養子だったのか。
「あの娘は十二歳の頃にここを出て行きました」
それから食堂に移り住んだということか。
「あの娘のお爺様は長年に亘りこの教会に寄付をしてくださっていました。今のジネットと同じように」
「爺さんの遺志を受け継いでいるってのか」
「それもあるでしょうが……守りたいのでしょう、弟や妹たちを」
ベルティーナが教会へと視線を向ける。
俺もつられてそちらを見ると、図ったかのようにジネットが顔を出した。
「ヤシロさ~ん! シスター! ご飯食べちゃいますよ~!」
この人、ジネットの行動を読んでいたのか?
それとも、エルフの特殊能力か何かか? ……もしくは、たまたま?
大きく手を振るジネットに、ベルティーナは小さく手を振って応える。
ジネットが教会へ引っ込むと、こちらを向き、薄い笑みを俺に向けた。
「あなたがあの娘のことを想って言ってくださったことは、嬉しく思います」
「いや、俺はそんな……」
別にジネットを想って言ったわけではない。
俺は、俺の拠点を守るために。それと、無駄遣いをなくすために。
「ですが、ジネットが了承していない以上、私はあなたの願いを聞き入れることは出来ません。親代わりとして、娘の悲しむ顔は見たくはないですからね」
悲しむ…………だろうか。
悲しむな。絶対。
そうなると、あの場所に居づらくなってしまうだろう。
ジネットは、厚意で寄付を行っているわけではないのだ。
あれは、自分のためでもあるのだ。
それを分かっているから、ベルティーナはジネットからの寄付を受け取っている。
…………くそ。
ここへの寄付は切り詰められそうにないか…………
何より、家主の反感を買うのは致命的だ。避けなければいけない。
「ヤシロさん」
名を呼ばれ、顔を上げると……ふわっと、白く細い指が俺の髪を撫でた。
透き通るような、いい匂いがした。
「あなたのような人物がそばにいてくれれば、あの娘も安心出来るでしょう。口には出さないでしょうが、一人で寂しい思いをしていたに違いありません」
おんぼろで無駄に広い、誰もいないあの家を思い出す。
あそこで一人、か……
ふと、あの日のことが脳裏をよぎる。
火が消えてしまったような静けさと、見慣れたはずの自分の家がまるで別の場所に感じられたあの孤独感……
「どうか、あの娘の助けになってやってください」
「いや、俺は……」
なんて真っ直ぐな目をしている人だ。
自分の考えに一切の迷いがない、そんな目だ。
ただ、その真っ直ぐな目は少し曇っている。
詐欺師を信じてどうするよ。
「あの娘は少し抜けているところがありますからね。あなたのようなしっかり者がついていてくれると助かるでしょう」
ベルティーナの表情が少し柔らかくなる。
「少し……あんたの目は節穴か?」
「ふふ、我が子は無条件で可愛く、また天才的に見えるものなのですよ」
「親バカか」
「親代わりバカです」
氷のように冷たい印象を与えていた完璧過ぎる美貌が、くしゃりと歪む。
それは反則なほどに綺麗で、見る者を無条件降伏させるほどの威力があった。
ズルいぞ……そんなチート級の武器が初期装備って、ありかよ。
「さぁ、そろそろ中に入りましょう。みんなが心配します」
「あぁ。そういや、俺も朝飯食ってなかったっけな」
ベルティーナに続き、俺は教会の敷地へと入っていく。
いい匂いが外まで漂ってきている。
教会の中で温め直しているのだろう。
「いい匂いですね」
ベルティーナが幸せそうに口元を緩める。
「ジネットの飯は美味いですからね」
「えぇ。私からは何も返してあげられません。だからこそ、感謝の気持ちを込めて美味しくいただこうと思うのです」
奇しくも、俺がジネットに教えた『厚意は受け取れ』を、この人も実践しているようだ。
「本来なら、もっと遠慮すべきなのでしょうが」
「いや……」
みんなが嬉しそうに食っている姿を見て、ジネットは満たされた気持ちになっているのだろう。
寄付がやめられない以上は、美味そうに食ってもらった方がいい。
まぁ、材料費に関しては別途対策が必要になるだろうが……
「そういえば、さっきの子供たち以外に、あと何人いるんですか?」
「え? いえ、さきほどの子供たちで全部ですが?」
「は?」
思わず足が止まる。
いや、さっき見た子供たちは十人だけだったぞ?
「三十人前ほど下ごしらえしてきたんですが?」
「あぁ、それでしたら」
ベルティーナは、ポンっと自分のお腹を叩き、満面の笑みで言う。
「私は食いしん坊なのです」
「遠慮しろよっ!」
打ち切りは無理でも、食事の量は減らしてやる!
絶対にだ!
新たな決意を胸に、俺は教会の中へと入っていった。
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