3話 四十二区

 夜が、こんなに恐ろしいと思ったのは初めてだった。


 なにこの世界!?

 夜中、マジで真っ暗なんですけど!?

 月もほとんど隠れてるわ、田舎のくせに星が全然見えないわ、っていうか一晩中ずっと曇ってるし、当然のように街灯なんかないし、どの家も早々に明かりを消して漏れる光すら見当たらない。

 唯一光っていたのが、猫の眼。


 余計怖いわ!


「ヒィッ!?」って言ったわ!

 泣きそうだったわ!

 ちょっと泣いたわ!


 アホでお人好しな店員に世のつらさを教示してやった後、俺は食堂を離れて寝床を探し歩いた。

 コンビニや漫画喫茶みたいな店など当然なく、どこもかしこも真っ暗だった。

 数字の大きい区はマジで暮らしの水準が低いらしく、宿一つない。誰も四十二区になど泊まらないのだろう。

 もっとも、宿があったとしても、俺、金ないんだけどね。


 そんなわけで野宿をしたのだが……闇の恐ろしさたるや…………幽霊など信じていない俺ですら恐怖にキャンタマ縮み上がったね。

 いや、幽霊なんか可愛い方だ。

 なにせ、ここは異世界。どんな獣が潜んでいるかも知れない。

 巨大カエルだっているのだ……そんな連中が闇の中から出てきたらと思うと……いや、闇の向こうでジッとこっちを見つめていると考えただけで……縮み上がり過ぎて女の子になるかと思ったぜ。


 そんなわけで、太陽が顔を覗かせた時は歓喜に震えた。

 昇る太陽をずっと拝んじゃったもんな。……あぁ、田舎の爺婆が日の出を拝むのってこういう気持ちなのかぁって、しみじみ思っちゃったし。


 結局一睡も出来ず、頭はガンガンするし、目はシパシパするし、足はフラフラする。

 けど、この夜明かしで分かったことが二つある。

 この街には獣人と獣がいる。


 さっき言った、闇の中で目を光らせていた猫だが、あれは確実に猫だった。

 けれど、門のところで見かけた二足歩行の猫は、おそらくネコ人族とかいう種族なのだろう。

 同系統の動物で、獣人と獣がいるのだ。

 人間と猿、ってのとは違う気がするのだが、線引きはどうなっているのだろうか?

 仲間意識とかあるのかな?

 言葉が分かったりするのだろうか?

 ……謎だ。

 これが分かったことの一つ目。


 猫と同様に鳥もまた、トリ人族(オウム人族がいたんだから鳥の中でも細かく分類されるのだろうが……)と鳥は別物なのだ。

 早朝、ニワトリの鳴き声を聞き、俺は急いでそこへ駆けつけた。なんでもいいから生き物を目にして安心したかったからだ。すると、向かった先ではトリ人族が鳥の卵を拾っていた。

「食べるのか?」と問うと「もちろんよ」という答えが返ってきて、「お前も卵産むの?」と問うと平手が飛んできた。……トリ人族相手にはセクハラになるらしい。気を付けよう。


 つまり何が言いたいのかというと、トリ人族が鳥を食うということだ。共食いにもならないし、そもそも嫌悪感すらないようだ。

 たぶん、食肉用の鳥も飼育しているのだろう。

 となれば、仲間意識はないと見ていいだろう。

 ……というのが、分かったことの二つ目だ。


 あ、それからついでにもう一つ。

 獣人族の性別は、見ただけでは分からん。

 トサカとかタテガミとか、特徴的なものがあれば分かりやすいのだろうが……


 まぁ、そんなわけで、ようやく昇った太陽の下、俺は早速行動を開始した。

 もう二度と、あんな闇にのみ込まれるのは御免だ。震えながら夜明けを待つ時間のなんと長いことか……心がポキポキ折れまくった。

 まずは宿だ! 安全な寝床を確保しなければ!

 そのためにも金だ! この世界で使える金を手に入れる必要がある。

 香辛料の売却は後回しでいい。どんな手段を用いてでも金を手に入れるのだ!

 今日中に! 一晩以上の宿代を! なんとしてでもだっ!


 というわけで、俺は四十二区の中を歩き回った。

 小銭が落ちてないかと思ってね!



 …………なかった。



 そうだよな。

 街の中の最貧民区。ここに集まるような連中が、小銭を落としたままにするわけがないよな。『小銭を拾うなら大都会』ってのが小銭ハンターの定石だ。

 理想は、「小銭などしゃがんでまで拾う価値がない」と思っているような連中がいる場所だ。

 ザックザク拾える。

 ちなみに、祇園祭レベルの大きなお祭りがあったなら、行くべき時間は翌明朝だ。夜店が並んでいた通りには面白いほど小銭が落ちている。祭りでの買い物は小銭が大量に動くからな。落ちやすい上に、人ごみのせいでしゃがんで拾うのが躊躇われる。ないし、気付かないヤツもいる。

 そこで俺は二万円弱の小銭を拾った経験がある。人生の勝者になった気分だった。

 ただ気を付けなければいけないのが『同業者』だ。所謂、家がなく、ちょっとお金に困っている人々が、割とマジで殺気立ちながら小銭を探し回っているので、見つからないように気を付けなければいけない。発見されることは、即、死を意味する。

 あれは、遊びでやっちゃいけない……危険な仕事なのだ。


 幸いにして、この四十二区ではそんな『同業者』に出会うことはなかった。

 そりゃそうだ。小銭なんか落ちてねぇんだもんな。


 これだけ歩き回って成果なしか……くそ。


 しかし、そのおかげで四十二区の地理はだいたい把握出来た。

 三十区に隣接していた湿地帯辺りが最も寂れていて、そこから四十一区に近付くにつれ活気づいてくる。住宅も増え、商店なども散見され始め、宿も発見した。


 そして、四十一区との境に程近い丘の上には、すげぇデカい建物があった。

 あれはたぶん四十二区を治める領主の館だろう。

 その証拠に、領主の館がある付近は道も整備されており、それなりに小奇麗だった。

 区の中でも格差があるのだろう。

 領主は己の権力を示すように、自身の周りを飾り立てるものだ。

 あの付近の街並みが、この四十二区の最高水準なのだろう。……低い。まぁまぁ見られなくはない程度だ。


 あのお人好し店員がいた『陽だまり亭』という食堂は、四十二区の中でもとりわけレベルの低い地域に建っていたわけだ。

 そりゃ、客も来ないわな。


 四十二区の西側が湿地帯。南側には外壁があり、その向こうには森が広がっているようだ。

 東側に多少栄えた地域があり、北側は湿地帯の向こうと同じく切り立った崖になっている。つまり、四十二区は西と北を崖に、南を街の外壁に囲まれた袋小路みたいな場所に作られているということになる。

 ……うわ~、陰気くさい立地。


 とりあえず、「金が欲しけりゃ人のいる場所へ行け」の精神で、俺は栄えている東の地域へと足を運ぶ。

 時刻は昼前というところか。夜明け直後から四十二区内をウロウロしていたおかげでいい感じに時間が潰せた。早朝は店も開いてなければ人もいないからな。

 ようやく活気を見せ始めた街の中をブラついてみる。

 まずは観察だ。


 四十二区は人間と獣人族が半々くらいいるのだろうか。街行く人を見る感じでは、そう思える。ちなみに『獣人族』というのは、犬猫鳥魚他諸々、人間のように二足歩行をしている連中をまとめて、俺が勝手にそう呼ぶことにした名称だ。正式名称は知らん。

 犬や猫は少数で、羊やトカゲが多い気がする。……羊ってこうやって見るとちょっと美人かもな…………いや、ストライクゾーンからは大きく外れているが。

 ケモ耳娘ならありなんだけどなぁ。


 街には多種多様な人種が入り混じり生活しているようだ。

 しかし……やはり、カエルだけがいない。

 湿地帯にはあれだけ大量にいたのに。街では一切見かけないのだ。


「ま、待ってくれ!」


 そんな声を耳にしたのは、道幅の広い大きな通りに足を踏み入れた時だった

 四十二区のメイン通りにあたる大きな通りだ。馬車が二台すれ違える程度の道幅で、道の両側には酒場や食堂が軒を連ねている。

 そんな大来のど真ん中で、一人の人間が土下座をしていた。

 男の前には、筋肉ムキムキの、いかにも悪役といった顔つきの男がふんぞり返って立っている。つるっと剃り上がったスキンヘッドに顎髭を蓄えた、一目見て「関わり合いたくない」と思ってしまうタイプの顔だ。


「待つって、お前さんよぉ。俺はもう十分待っただろうが?」


 強面マッチョは、ドスの利いた野太い声で言い、土下座する男を覗き込むようにして見下ろしている。


「約束が守れねぇなら、カエルになってもらうしかねぇなぁ」

「た、頼む! いや、お願いします! どうかそれだけは!」

「残念だが、それが精霊神様のお決めになられた決まりだ」

「ま、待って……っ! 頼むっ!」


 顔を上げた土下座男は、涙と鼻水で顔をぐじゃぐじゃにして、強面マッチョにすがりつく。

 そんな土下座男を嘲笑うように、強面マッチョは野太い声で言い放った。


「『精霊の審判』っ!」


 強面マッチョが宣言した直後、土下座男の全身が淡い光に包まれる。


「うわぁ!? いやだぁああ!」


 泣き叫ぶ土下座男を尻目に、強面マッチョが半透明のパネルを出現させる。『会話記録カンバセーション・レコード』だ。


「ほら、これをよぉく見ろ。ここにはっきり書いてあるだろう? 『期日までに借りた金をきっちり返す』って。お前が自分の口でそう言ったんだよな?」

「ち、違う……か、返す! 必ず返すから、もう少しだけ…………うっ!?」


 弁解を始めた土下座男だったが、突然苦しみ出した。

 全身を包む淡く青い光が徐々に赤みを増していき、目も眩むような光量になる。


「いゃ…………だ…………カエ……ルは…………イヤだぁぁあぁあっ!」


 そんな絶叫を残し、土下座男は消えてしまった。

 眩い光が晴れた後、そこにいたのは、体長が80センチほどのデカいカエルだった。

 ボロの布きれを身に纏い、先ほど土下座男が身に着けていた衣類や装備品は地面へと散らばっていた。


 …………まさか、あのカエルが、さっきの土下座男か?

 マジで、カエルに変えられちまうのかよ…………


「じゃあ、この装備品と、お前の家、家族、その他の財産は俺がもらっておいてやるぜ」

「ケロッ! ケロケロッ!」


 腰を屈め装備品を拾い集める強面マッチョに、巨大ガエルがすがりつき「ケロケロ」と必死な声で鳴き続けている。


「テメェ……触んじゃねぇよ!」


 激昂した強面マッチョはカエルを殴り飛ばし、立ち上がるや否やその顔面を蹴り飛ばした。

 綿ぼこりのようにカエルが宙を舞い、地面の上を二転三転と転がっていく。


「カエルは精霊神様より見捨てられた存在だ! たった今、テメェは人としてのあらゆる権利を剥奪されたんだよ! ここで俺がテメェをぶっ殺しても、誰も文句を言えねぇ! それが分かったらさっさと俺の目の前から消え失せろ!」


 恐ろしい怒号を浴びせられ、カエルはふらつく足でなんとか立ち上がる。

 キョロキョロと辺りを見渡し、助けを求めるような素振りを見せるも、誰一人救いの手を差し伸べる者はいなかった。

 それどころか……カエルに向けられる周囲の者たちの視線には、蔑みの色が込められていた。


 なんだ?

 カエルになると人権が消失してしまうのか?

 たった今まで人間だったのに……この街での『カエル』ってのは、そういう存在なのか……


 カエルはがくりと肩を落とし、ぎょろりと飛び出た目に涙を浮かべたかと思うと、大泣きしながら走り去ってしまった。

 カエルが向かったのは街の西側……湿地帯の方向だった。


 これが、この街のルール。

 この街を統べる精霊神の決めたルールなのか。

 だから、街にカエルはいないし、土下座男はカエルになることを恐れるし、怒れる者は相手をカエルにするぞと息巻くのか。


 なんて、恐ろしい街だ。


 嘘吐きは、人権すら失ってしまうってのかよ。


 嫌なものを見た。

 土下座男に同情するようなつもりは一切ないが……嬉々として土下座男の荷物を拾い集める強面マッチョの姿には、嫌悪感を覚える。

 なんというか……バカを引っかけて大喜びをしている大バカを見ているような、侮蔑に満ち満ちた気分になった。

 さっさとここを離れよう。

 とりあえず、あの強面マッチョには関わり合いたくない。


 このまま大通りを歩こうと思っていたのだが、大通りを進むためには強面マッチョのそばを通らなければいけない。……それは、嫌だな。

 仕方なく、俺は手近にあった店へと足を踏み入れた。

 そこは酒場のようで、四角いテーブルと何脚かの椅子が雑然と置かれていた。

 昼間でも客が割と入っている。昼飯を食いに来ている客が多いようだが、昼間っから酒を飲んでいる連中もいるようだ。

 入ってすぐカウンターがあり、ブルドックのような折れ曲がった耳を頭につけた恰幅のいい男が「いらっしゃい」と、俺に声をかけてきた。


 俺はカウンターの前を通り過ぎ、誰も座っていないテーブルを選んで腰を下ろす。

 すぐさま店員の若い女が俺のもとへ注文を聞きにやって来る。


「何飲むか決まってる?」


 ため口……?

 小麦色に焼けた肌をした少女の耳にはゴールデンレトリバーのような垂れ下がった耳がついていた。お尻には尻尾が生えている。

 ここはイヌ人族の経営する店なのか。

 尻尾を凝視していると、犬耳店員は持っていたお盆でお尻を隠し、「エッチ!」と可愛らしく俺を睨んだ。

 なんだ、こいつ。ちょっと可愛いじゃねぇか。

 よ~し、今日はちょっと奮発しちゃおうかなぁ~! ……あ、金ないんだった…………

 まぁ、また逃げればいいか。


「酒は何がある?」

「ワインにエール、ビールもあるよ」


 屈託なく笑う少女は馴れ馴れしいとすら感じるほど気さくな口調で言う。

 接客態度は五十点だな。まぁ、飲んだくれどもにはこれくらいの方が人気が出るかもしれんが。

 ……酒かぁ。


「ソフトドリンクはあるか?」

「グレープフルーツジュースかブドウジュースなら」

「じゃあ、グレープフルーツジュースを」


 この後、全力疾走することになるかもしれないしな。酒はやめておこう。

 俺が注文を告げると、店員は笑顔で右手を差し出してきた。


「20Rb!」

「…………え?」

「グレープフルーツジュースは、20Rbだよ!」

「え…………」


 先払いっ!?

 いや、そうか。先払いにすれば食い逃げは防げる。すげぇ単純な話じゃないか。

 こんな街じゃそれが当たり前のシステムなのか。


 しかし、まいったぞ……

 持ち合わせがない。


 チラリと犬耳店員を窺い見る。

 キョトンとした顔で、ずっと右手を差し出している。

 今なら「お金ない」って言って出て行くことも可能か。……スゲェカッコ悪いけど。


「お客さん。食い逃げするつもりでウチに来たんだとしたら、父ちゃんが黙っちゃいないからね?」


 犬耳店員は笑顔で言う。

 笑顔なのに……すげぇ迫力だ。犬歯がキラリと光った気がした。

 つか、父ちゃん? あのカウンターのクソデブ……いや、恰幅のいい……ま、どんなに表現を濁してもどうせ『強制翻訳魔法』で『デブ』って変換されるんだろうけどな……あのデブが、こいつの父親なのか?

 ……よかったなぁ、父親に似なくて。


「お・客・さ・ん。2・0・Rbっ!」


 店員からのプレッシャーが強くなる。

 マズい。ここで「お金ない」とか言うと、無事に外に出られない気がする……

 どうしよう……どう切り抜けるか…………


 そんなことを考えていると――


「おうこら! そこは俺の席だろうが! どけ!」


 突然、酒場の入り口から野太い怒声が聞こえた。

 振り向くと、先ほどの強面マッチョがカウンターに座っている男に因縁をつけているところだった。

 ……うわ~、よりによってこの店に来なくても…………俺、最悪の店に入っちゃったみたいだな。


「……また、ゴッフレードのヤツか」


 店員が舌打ちをして、カウンターにいた客を押し退けて奥の席に腰掛ける強面マッチョを睨んでいる。

 あいつはゴッフレードというのか。


「知り合いなのか?」

「あいつを知らないヤツは四十二区にはいないよ」


 犬耳店員は俺の耳に顔を近付け、お盆で口元を隠すようにして囁くような声で教えてくれた。


「あいつは、四十二区を縄張りにしてる取り立て屋なんだよ。あいつに睨まれたが最後、財産は全部持っていかれて、すっからかんにされちゃうんだ」

「借金はちゃんと返すべきものだろう」

「そ・れ・が!」


 興が乗ってきたのか、犬耳店員は生き生きとした目で、人差し指を立て、俺の眼前でふらふらと揺らす。


「あいつは性格がひん曲がってて、借りた額以上のお金を要求したり、身に覚えのないお金まで請求したりするんだよ」

「詐欺じゃねぇか」

「それが、あいつの言葉は『精霊の審判』では裁けないんだよ。絶対おかしいって思っても、会話記録カンバセーション・レコードを見ると全面的にあいつの方が正しいんだよね……」


 それは、典型的な詐欺の手口だ。

 話を聞いている時は何も問題がないように聞こえるのだが、いざ蓋を開けてみると「話が違う!」ということになる。けど、契約書にはその通りのことが書かれていて、結局『話をちゃんと聞いていなかった方が悪い』という結論に落ち着くのだ。

 この街でもそういう商売が成り立つのか…………どうやってるんだろう? 興味があるな。


「あと、あいつは人をカエルに堕とすのが何より好きなんだよね。まったく悪趣味ったらないよね」

「カエルにされた人間は、どうなるんだ?」

「どうって。どうもならないよ、そこで人生が終わりだもの」

「人生が終わり?」

「そ。もう人間としては生きていけない。誰も、カエルになったヤツのことなんか助けようとはしないしね」

「身内でもか?」

「家族がカエルになったなんて…………絶対誰にも知られたくないに決まってるじゃない。もしそういうことになったら『急な病で死にました』って嘘吐いた方がマシだよ」


 マシって……

 身内がカエルになった事実を隠すためにカエルになるリスクを負うって、おかしいだろ。


「カエルになった人間は、もう二度と元の姿には戻れないのか?」

「戻るには、反故にした約束を果たす必要があるんだって」

「じゃあ、戻れるんだな? 戻った後、人権はどうなる? 復活するのか? 剥奪されたままか? 家族の反応は?」

「な、なに、お客さん? 知り合いがカエルにでもなっちゃったの?」

「あ、いや…………この街に来たのが初めてで、ちょっと驚いてるんだ。さっき、カエルにされた人を見たから」


 やばいやばい。

 まさか、自分がカエルになる可能性が高いから、なんて言えねぇよな。

 つい夢中になって聞き過ぎたか。少し自重しなければ。


「あとから果たせるような約束ならいいけど、期日を守らなかったとか、あとからじゃどうやっても覆せない約束を破っちゃったらもうアウトかな」

「なるほど」

「それから、人間の姿に戻れたら、また前と同じように接するよ。人間は、精霊神様の加護を受けて生きているからね。人としての尊厳も復活する」


 前と同じように?

 そんなことが可能なのか?

 見捨てた側はいいとして、見捨てられた側はどうだ? 自分を見捨てたヤツ相手に前と同じように接することが出来るだろうか?

 そもそも、『急な病で死んだ』身内がある日ひょっこり生き返ってるって、無理あり過ぎるだろ、それ。


 どっちみち、カエルになると人生終了っぽいな、この街じゃ。


「でもさ、悪意を持って誰かをカエルに堕とすような行為は、やっぱちょっと嫌だよね。だからあたし、あいつのこと大っ嫌い!」


 ベーっと、犬耳店員はゴッフレードに向かって舌を出す。

 なにこの娘、ちょっと可愛い。


 と、そんな会話をしていると、先ほどカウンターの席をゴッフレードに横取りされた男が俺の前のテーブルへとやって来た。というより、避難してきたという方が的確か。

 前のテーブルでは顔見知りらしい男たちが三人、避難してきた男をからかうように小突いたり、指さして笑ったりしている。


「お前、なに逃げてきてんだよ。ガツンとかましてやれよ」

「無茶言うなよ! ……ゴッフレードだぞ? 下手に逆らったらカエルにされちまうよ」

「に、しても、気に入らねぇよな、あいつ」

「よし。今の言葉、伝えてきてやろう」

「バカッ! やめろよ、マジで!」


 会話を聞く限り、あのゴッフレードってのは悪名高い嫌われ者ってとこか。

 ろくな死に方をしないのは確定としても、生きている間につらい思いをしてほしい人種だな。

 毎朝、決まってタンスの角に小指ぶつけるとか。……そんなんじゃ生易しいか。


「けど、あいつよぉ。一発くらいぶん殴ってやりたいよなぁ」

「ははっ、お前じゃ無理だ。半殺しにされちまうぞ」

「そうそう。ゴッフレードは剣術も武術も、そこらの冒険者じゃ歯が立たないレベルなんだからよ」

「妄想の中じゃ、すでにボッコボコだけどな」


 そんな話をしてギャハハと笑う男たち。

 犬耳店員が呆れたような表情でその男たちを眺めている。


 …………お、これは金の匂いがするな!


「なんだよ、妄想の中だけかよ。しょっぼ」


 俺がワザとらしくため息を吐くと、前のテーブルの男たちが一斉に立ち上がった。

 怖い顔で俺のことを睨んでやがる。

 いや、あの…………怖いんで、その顔やめてもらえます?


「あいつの顔面にパンチ喰らわすのなんか、余裕だろ?」

「オイオイ、あんまりフカしてっとカエルにしちまうぞ、坊や?」


 俺の挑発に、カウンターの席を追い出された男が食いついた。

『フカす』ってのは『大口を叩く』って意味だな。……翻訳される言葉に偏りないか?

 いつかちゃんと調べる必要があるかもしれないな。


「まぁ、ビビって逃げ出したあんたにゃ無理だろうけどな」

「んだとぉ!?」

「まっ、俺がその気になりゃ、無傷でここへ戻ってこられるぜ」

「ほぉ……じゃあやってもらおうか? ゴッフレードの顔面にパンチだぞ? 隣のオッサンじゃなく、ゴッフレードの『顔面』だぞ?」


 こうやってしつこく言葉を重ねるのは、『会話記録カンバセーション・レコード』に約束を残すためだろうか。

 なるほどな。こうやって慎重に言葉を重ねないと不安になるヤツがいるってことは、それほど言葉による詐欺は横行しているってことか…………面白いね。

 もっとも、無駄に言葉を重ねるような素人さんじゃ、俺の相手にはならないけどな。

 詐欺ってのは「騙されたくない」と思った瞬間、カモ確定だからよ。


「俺は、ゴッフレードの、顔面を、殴れるぜ」


 一言一言を、あえて強調して言ってやった。

 男たちが「おぉ……」と、感嘆の声を漏らす。潔さに痺れたか?

 見ると、犬耳店員も俺を見て目を丸くしていた。


「じゃあ、殴ってきてもらおうか。今から、すぐに!」


 ゴッフレードに席を奪われた男は、半ばムキになりながら俺に食ってかかってくる。

 自分が尻尾巻いて逃げたゴッフレードを、俺が殴れると言ったのが気に入らないようだ。

 短気な人も詐欺のカモだぜ、オッサン。


「その前に賭けをしねぇか? 掛け金を前払いしてくれりゃ四倍出すぜ」

「のった!」

「俺もだ!」

「もちろん、俺もだ!」

「じゃあ、俺も!」


 目の前にいるオッサンたち四人が全員乗ってきた。


「掛け金は一口1000Rb。どっちにいくら賭ける?」


 俺がそう言うと、オッサンたちは口を揃えて「殴れないに1000Rb!」と答えた。

 全員一口かよ……冒険しろよ、オッサンども!

 しゃーない。ちょっと煽るか。


「はぁ……しょっぱい連中だな。だから舐められるんだよ。お前らは一生日陰で生きてろ。あぁ、湿地帯に引っ越したらどうだ? お似合いだぜ」

「なんだと!?」

「そこまで言われちゃ黙ってられねぇな!」

「よし、じゃあ俺は三口だ!」

「こっちは四口!」

「俺は、三口だ!」

「俺も!」


 四人で1万3000Rbか……まぁ、こんなもんか。日本円で十三万だ。

 三万ありゃ、宿くらいはとれるだろう。


 四倍の配当に目がくらんだオッサンどもは、全員が前金で俺に掛け金を渡す。

 あぁ、ちょろい。


「おい、店員。お前はどうする?」

「え、あたし!? あたしはパス! ギャンブルなんて興味ないもん」

「まぁ、そう言わずに。俺があいつを殴ったら、グレープフルーツジュースを一杯奢ってくれねぇか?」

「え、そんだけ? それだけなら…………う~ん……ゴッフレードはいつもウチで傍若無人するいけ好かないヤツだからなぁ…………うん! 顔面殴ってくれたら、あたしが一杯ご馳走しちゃう!」

「決まりだな」


 こうして俺は、1万3000Rbとドリンク一杯無料券を手に入れ、ゴッフレードの座るカウンターへ向かって歩き出した。


 ゴッフレードが怖いのか、カウンター席には誰もいなかった。

 気の毒なマスターだけが逃げることも出来ずにカウンターの中で体を小さくさせている。


 そんなガラガラのカウンター席へ、俺はどっかりと腰を下ろす。


「なんだ、テメェは? 俺に文句でもあんのか?」


 いきなり「文句あるのか」って…………他人にクレームつけられるような生き方してる自覚はあるんだな、こいつ。

 けどまぁ、俺はケンカを吹っかけに来たわけじゃない。

 俺は、商談をしに来たのだ。


「賭けをしないか?」

「賭けだと?」

「あぁ。俺があんたを一発で……『たったの一発で』KO出来るかどうか」

「がっはっはっはっ! そんなモヤシみてぇな腕で俺をKOするだぁ!? 冗談も休み休み言え! そんなもん、賭けにもなりゃしねぇよ!」


 ゴッフレードは大口を開けて大笑いをした。

 ふむ。掴みはいい感じっぽいな。


「賭けにならない、か…………そいつはどうかな?」

「あん?」

「やってみなくちゃ分かんないだろ、何事も」


 そう言って、カウンターの上に1万Rbを叩きつけるように置く。


「自信がないなら、降りたっていいぜ」

「……ガキが…………」


 俺の出した1万Rbの上に、ゴッフレードは、カウンターに恨みでもあるのかというような強さで1万Rbを叩きつけた。


「上等だ。思いっきりかかってこいよ」


 顔、怖ぇ~!

 こいつ、条件反射で反撃とかしてこねぇだろうな?


「じゃ、行くぜ」


 あまり長時間見ているとチビりそうなので、さっさと済ませることにする。


 俺は右腕を大きく振りかぶり、渾身の右ストレートをゴッフレードの頬に打ち込んだ。


 ――ぺち。


 音とも呼べない、軽ぅ~~~~~~い衝突音が鳴る。


 …………いっっっっっったぁいっ!

 腕がっ! 指の付け根が骨折した! したに違いない!

 マジ痛い! 泣きたい!


 一方のゴッフレードはというと…………俺のパンチがあまりにもしょぼ過ぎたせいか、目を真ん丸に見開いて驚いていた。


「…………ふっ、噂通り、なかなかやるな。勝負はあんたの勝ちだ」


 それだけ言って、俺は颯爽とカウンターを離れた。

 これ以上話すことは何もない。なら、さっさと離れてしまいたい。

 だって、あいつ顔が怖いんだもん。


 きっとゴッフレードには意味が分からないだろう。

 いきなり現れて1万Rbもの大金を賭けて、へなちょこパンチをして帰っていく俺の真意が。

 弱そうに見えて、実は超強い。とか、想像したのかもしれない。

「この男には勝算があるに違いない」と、「そうでなければこんな無謀な勝負を挑むはずがない」と。何より、「こんなくだらないことで1万Rbを失うようなバカは存在しない」と、そう思っていたことだろう。


 だが、いいのだ。

 俺目線で言えば、タダで3000Rb、日本円で三万円が手に入ったのだ。丸儲けだ。

 他人の十万など、いくらでもくれてやる。俺の懐は痛まんしな。


 席に戻ると、微妙な顔をしたオッサンたちに迎えられた。


「おい、どういうことだよ? ゴッフレードのヤツはピンピンしてるじゃないか!?」

「は? 俺、『ゴッフレードを気絶させる』なんて、一言でも言ったか?」


 俺が言ったのは『ゴッフレードの顔面を殴る』という言葉だけだ。

 そうして、見事に俺は有言実行してみせた。

 どこに問題がある?


 コトリ……と、目の前にグラスが置かれる。

 グレープフルーツジュースが並々と注がれたグラスを持ってきたのは犬耳店員だった。


「確かに、あいつの顔面を殴ったのは殴ったけどさ…………なんというか…………凄く、モヤモヤするんだけど?」


 苦虫を舌の上で転がしているような微妙な顔をする犬耳店員に、俺は言ってやる。

 爽やかに。


「そのモヤモヤが、君を大人にするんだよ」


 凄く楽しみにしていたことが、実際体験してみるとそうでもなかった、なんてことは腐るほどにあるのだ。

 そんなモヤモヤを抱いて、人は大人になっていくんだよ。


 こうして、俺はフレッシュなグレープフルーツジュースを堪能し、酒場を後にした。

 飯でも食いたかったのだが……ゆっくりと寛ぐような雰囲気でもなかったしな。

 なんにせよ、なんとか宿代は確保出来たかな。

 3000Rb。初めて手に入れたこちらの世界の通貨だ。これでなんとかなるだろう。


 本日、たった今から、俺の異世界ライフは始まるのだ。

 うん。幸先がいい気がする。

 きっと楽しいことになるぞ。


 未来への希望に胸を膨らませる俺は、……大通りで思いもよらない人物に声をかけられた。


「あっ! よかった、見つかった!」


 聞き覚えのある声に振り返ると…………


「……お前は…………!?」

「もう、探しちゃいましたよ、お客さん」


 そこにいたのは、昨晩俺が食い逃げを敢行したおんぼろ食堂『陽だまり亭』の店員だった。


 心臓が早鐘を打つ。

 呼吸がおかしくなる。


 ヤバい……

 こいつには明確な嘘を吐いている……

 そして俺は、はっきりと食い逃げを敢行した……


 こいつがその気になれば、俺は…………


 ゾクッ……と、寒気が背筋を駆け抜けていく…………ヤベッ、俺……




 カエルにされちまうかも……?






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