1話 ここは……どこ?
死んだと思った瞬間、なぜか二十歳も若返り肉体は十六歳。
見た目は子供、頭脳は大人! そして、明日にはたぶん屍っ! キャハッ☆
笑えねぇ!
マジでマズい。
あれから己の勘を頼りに一日中ひたすら真っ直ぐ直進し続けたのだが、見える景色に変わりはなく、眼前に広がるのはだだっ広い平原のみ。
……方向間違えたかなぁ? 逆に進んでいれば村くらいあったのかなぁ?
人間の歩行速度って、たしか時速6キロで、十数キロ以上歩く時は4キロ前後……間を取って5キロとするだろ?
で、歩き始めた時太陽は真上にあったから正午で、今は完全に陽が落ちている。関東で四月上旬だとだいたい日の入りは十八時ごろ。
つまり、六時間の間時速5キロで歩き続けたわけだから、総移動距離は30キロ。おいおい、東京から横浜まで行けんじゃねぇかよ……その間に人の住んでいる形跡すら見当たらないってどういうことだ? 動物すら見かけない。
ここ何県だよ……?
まさか、アメリカとかじゃねぇだろうな?
やめろよ、イースター島とかサバンナとか言うの……
やっぱあれだな、神様ってちょっとアホなんだな。
わざわざ命助けておいて、もう一回殺しにかかるってどういうことだよ?
例えばさ、すげぇ腹を空かせている時に一万円が降ってきて、「やったこれで飯が食える!」ってなるじゃん? でも、周りに店がない、みたいなことだろ、これ?
合コンにすっげぇ巨乳美女がやって来て、テンション急上昇したのに、話を聞いたら彼氏がいて友達の付き合いで来ただけ、みたいな? そういうことだろ、これ!?
持ち上げて落とすのはご遠慮願いますっ!
つか…………腹減った。
ここの草、硬くて食えないんだよなぁ……ん? もちろん一回挑戦したさ。当然だろう。……せめて天ぷらに出来れば、もしくは…………いや、無理か。
「………………寒い」
陽が出ている時はぽかぽかと暖かかったのだが……陽が落ちると急に寒くなった。
空腹が体に響く。
人間は三日くらい飲まず食わずで生きていけるらしいが…………現代人はそこまでタフじゃない。
俺なんか、近くに激安スーパーがないだけで生きていけない気がする。
あぁ……隠れ家にパンの耳残ってたのになぁ……もったいねぇなぁ…………
「……なんで、パンの耳食ってたんだろうな、俺…………肉とか、食っときゃよかった……」
どんなに大金を手に入れても、それで食う飯は美味くなかった。
なんとなく、砂利を食っているような気分になったのだ。
だから俺は、道端で拾った小銭でパンの耳やクズ野菜を買って食っていた。三十過ぎた男が何やってんだって話だけど……それしか食えなかったのだ。
親方の『落ちている小銭センサー』と、女将さんの『クズ野菜調理法』が大活躍していたわけだ。
はは……案外、一番役立っているかもな、教わったことの中で。
あぁ…………女将さんの煮魚が食いてぇ……あ、煮魚もだけど、あれだ、ゴリの唐揚げ……美味かったなぁ。
ゴリというのはハゼっぽい淡水魚の総称で、地方によって別の魚を指すことがある。俺らの間ではもっぱらヨシノボリのことをゴリと呼んでいた。
不細工な顔をしているくせに、上品でさっぱりしてて美味いんだ。
ゴリの唐揚げにレモンを一搾りしてなぁ……親方の好物で、よく取り合ったっけ……
やべ……ますます腹が減ってきた……
「くそぉ! こんなところで死ねるかぁっ!」
俺は、体に残ったすべての力を振り絞り立ち上がった。
そして、前だけを向いて全力で走り出した!
方向が違うかもしれない。戻った方が、方向を変えた方が……そんなもんは全部逃げだ!
最初に「こう!」と決めたんだ!
他でもない、俺が決めたんだ!
それを曲げるのは逃げだ! 逃げていては絶対に勝てない!
俺は、俺を信じ、俺のために生きる! 故に、走る!
暗くなった空の下、この先に俺を迎え入れてくれる明るい場所があると信じ、ひたすらに足を動かした。
腹の底から叫び、疲労と空腹と恐怖を振り払う。
そして……っ!
そしてぇっ!
…………力尽きた。
自分を信じても、無理なもんは無理。負ける時は負けるのだ。
万事休す。
もう、ピクリとも動けない。
全力疾走のせいで激しく収縮する心臓も、やがて止まるのだろう。
さようなら。
世界よ、さようなら。
そうして、俺は瞼を閉じた。
……次目を開けたら俺、六歳くらいになってたりして…………
微かに、何かを感じる……
包み込むような温かさと、硬い床、不規則な振動……
「……んっ!?」
瞼を開け、体を起こす。
と、目の前に見知らぬ外国人がいた。
……やばい。中卒の俺に英語はハードルが高過ぎる。
「○▲☆◆×@&%$#――?」
謎の外国人が話しかけてくるが、何を言ってるのかさっぱり分からん。
辛うじて疑問文であることは分かるのだが……
「ぱ、ぱーどん?」
「???」
くっそ、「ぱーどん」すら通じないのかよ!?
「え、なに?」が通じなきゃ「え、なに?」って聞き返せないじゃん!
「この缶切りを取り出すには缶切りが必要です」みたいなことになってんじゃん!
というか……こいつは、なんなんだ?
言葉が通じないので、ここは開き直って冷静になってみる。落ち着け、俺。
なんかしゃべっているが、どうせ理解出来ないのだ。そんなもんは無視して、得られる情報を集めよう。
まず、この外国人。
男だ。で、デカい。座ってるからはっきりとは分からんが、たぶん身長は190センチ弱くらいあるだろう。髪の毛が長く、後ろで一つに縛っている。バンドマンか? ただ、髪は傷んでおり、あまり手入れはされていないようだ。
そして、鎧を着ている。……コスプレか?
アニメは見ないからなんのキャラかは分からんが、随分と凝った作りだ。まるで、本当に冒険に出ることを想定しているようなしっかりとした作りをしている。コスプレなら見栄えだけよくして、あとは軽量化する方がいいだろうに。
あと武器。槍だ。
コスプレで長物ってどうなんだろう? 長さ制限のあるイベントもあるし、電車移動の際に不便じゃないのか?
最後に、俺たちが今いる場所だ。
ガタゴトと音を鳴らしながら振動している。移動しているっぽいぞ。
木の床には大量の荷物が置かれており、壁と天井は布で覆われている。……この布は幌か?
耳を澄ませば軽快な蹄の音が聞こえてくる。
そうか、こいつは馬車だ。俺は今、馬車の荷台に乗っているんだ。
三畳ほどの大きな荷台に、全方位を覆う大きな幌がかけられている。前後の布が一部捲れるようになっているから、おそらくあそこから外を見ることが出来るのだろう。前方には小さな、後方には大きな開口がある。
で、大量の荷物。どうやらこの大量の荷物を運搬しているようだ。
馬車ってことは、外に御者がいるのだろう。
荷台の中には、このコスプレ男と俺しかいない。……なんか、嫌な空気だなおい。
コスプレ男は、パッと見で二十代後半くらいか……
俺を見るその顔には笑みが浮かんでいるが、それがどことなくいやらしい。そう、人を利用しようとしているヤツが、よくこういう笑い方をする。
こいつは油断ならないヤツだな。
「○▲☆◆×@&%$#?」
コスプレ男は、なおも訳の分からない言葉で話しかけてくる。
よくよく聞けば、英語っぽくない。まるで耳に馴染みがない言語のようだ。
……これも、コスプレの一環なのか?
と、男を観察していると、ふいに俺の腹の虫が盛大な鳴き声を上げた。
……いや、だって、もうほぼ一日何も食ってないんだもんよ。
コスプレ男はにこりと笑い、手で「ちょっと待て」みたいな仕草をすると、荷物を漁り始めた。
そして、黒っぽい塊を俺に差し出してきた。
これは、…………パン、か?
「○▲☆◆×@&%$#」
何かをしゃべりながら、今度は水筒から黄金色の液体をカップに注ぎ手渡してくる。俺は両手にスープの入ったカップと、パンらしきものを持たされた。
……くれるのか?
視線でそう尋ねると、伝わったのかどうか分からんが、コスプレ男は手で「どうぞ」というような仕草をしてみせた。
ありがたい! いただきます!
俺は迷わずパンに齧りつきスープをガブ飲みした。
んっ!? こ、これは……っ!?
マッズッ!
「食えたもんじゃねぇな!? なんだこの汁!? 中途半端に薄味つけるなら無味の方がマシだろ? で、これ何? 石? パンとか言わないよな? ヤマザキ、ダイイチ、シキシマに謝れコラ!」
ただ食えるだけ。それだけの飯とも呼べない粗末なものを胃袋に詰め込む。
出来る限りの悪態を吐いて。そうでもしないと、憎しみのあまり石みたいなパンを床に叩きつけそうになるからだ。
俺がどんな悪態を吐いても、コスプレ男はにこにことしている。本当に言葉が通じていないみたいだ。
というか、先ほどから嫌な予感がしている。
この男の風体。
この馬車の乗り心地。
このクソ不味いパンの味。
そして、ずっと漂っている土と空気の香り……
まさかとは思う。
あり得ないだろうと思う。
だが、もうすでにあり得ない現象を体験している身としては、その嫌な想像を払拭出来ずにいる。
「○▲☆◆×@&%$#」
コスプレ男が俺の肩をポンと叩き何かを言って、幌の一部を豪快に捲り上げた。
荷台にロープで固定されていた幌が一部外され、側面の布が捲られる。
外は明るく、朝の香りがした。どうやら、俺は半日ほど眠っていたらしい。
そして、そんな朝の陽ざしの中に映し出された景色は……
「……これはまた、絵に描いたような…………」
レンガを敷き詰めた広い街道には無数の馬車が行き交っており、俺たちの行く手には巨大な壁がそびえ立っている。20メートル……じゃ足りないな。30メートル以上はある重厚な壁。
そこに、10メートルほどの高さの、これまた重厚な門があり、その前で馬車が行列を作っている。
門の周りには武装した無数の男たちが、槍を構えて辺りを警戒している。
高くそびえる壁の向こうにはさらに高い尖塔が頭を覗かせており、抜けるような青空の下にその存在感を強烈に示していた。
そう、そこはまさに、絵に描いたようなファンタジーの世界。
中世ヨーロッパにタイムスリップしたのでないとすれば…………ここは、異世界。
「……マジかよ」
馬車が巨大な門へ近付くにつれ、そこに集まっている人々がはっきりと見えるようになる。
「あぁ……間違いないわ、これ…………」
槍を持った兵士の顔は、トカゲだった。
並ぶ馬車の列に、猫のような姿形をしたヤツもいる。でも猫じゃない。服を身に着け二足歩行で会話をしている。会話の相手は顔が羊だった。
俺の記憶が正しければ、中世ヨーロッパに、羊面人間なんていなかったはずだ。
つまりここは、完全無欠に異世界ってわけだ。
「○▲☆◆×@&%$#」
あり得ない風景に意識を取られていると、コスプレ男――いや、この状況ならこの鎧もコスプレではないんだろう――が、得意げな表情で俺の背中を叩く。
「○▲☆◆×@&%$#」
『どうだ? すげぇ街だろう?』とでも言っているようだ。
言葉が通じるなら是非言ってやりたい。『お前が作ったわけじゃねぇだろ』と。
やがて俺を乗せた馬車は速度を落とし、停止した。
荷台から身を乗り出していると、この馬車を運転していた御者が、御者台から降りてこちらに歩いてきた。
……そいつの顔は、鳥だった。
「鳥だ……文鳥かな?」
「文鳥ではありませんぞ、お客人。私はオウム人族であります」
「あ、それは失礼」
「いえいえ」
そう言って、オウム人は恭しく礼をしてみせた。
って、えぇっ!?
「なんで言葉が!? こっちの鎧の人とは話せないのに!? なんで鳥と!?」
「鳥ではありませんぞ、お客人。私はオウム人族であります」
「いや、さっき聞いたわ!」
「はっはっはっ! 驚いたようだな」
オウムと話していると、背後から別の声が聞こえてきた。
振り返ると、コスプレ――ではない男が俺を見て笑っていた。
「やはり、オールブルームに来るのは初めてか。いや、むしろ旅に出たことすらなかったようだな。そんな装備で、よく今まで生きていられたものだ」
急に日本語をしゃべり始めた男は、俺の服装をジロジロと見て感心したように頷いている。
「なんで、急に言葉が通じるようになったんだ?」
「それはでありますね。精霊教会の影響下に入ったからであります」
視線を向けると、オウムが咳払いをして説明を始める。
「ここオールブルームは、精霊教会の加護のもと目覚ましい発展を遂げた、ガレアブルーム最大の街であります。この街には多種多様な民族、種族が集まります故、意思の疎通を図ることがとても困難になります。そこで、我らが尊き精霊神アルヴィ様が奇跡の御力によりこの街全体に【強制翻訳魔法】を施されたのであります」
「【強制翻訳魔法】……?」
字面だけで、なんとなく意味は分かりそうだが……
「この魔法の影響下に置いては、どんな相手であっても、何語であっても、ご自身にとって一番馴染みの深い言葉に変換されて伝わるのです。変換されるものは言葉と文字、あと申請すれば通貨の価値や相場を知ることも出来るのであります」
「申請って? 誰にだ?」
「もちろん、精霊神アルヴィ様にです!」
オウムは羽を器用に曲げて、胸の前で祈りを捧げるポーズをしてみせる。
精霊神に申請……?
俺も、オウムの真似をして胸の前で手を組み、心の中で念じてみる。
えっと……ここの通貨と日本円の比較を知りたい――
すると、突然目の前に半透明の板が出現した。
何もないところに、テレビが点くような感じで画像が浮かび上がった。指を近付けると触ることが出来た。タッチパネルみたいな感触だ。あ、スクロール出来る。
出現した半透明のパネルは、どういう原理かは分からんが俺の目の前に浮かんで静止している。……これも、精霊神アルヴィ様の御力によるものか?
そのパネルに映し出された文字を読んでみると――
『 オールブルームの通貨Rb(ルーベン)
100円=10Rb
一般市民が常食用としている小麦のパンが平均的な価格で20Rb 』
――と、表示されている。
なんとも分かりやすいシステムだ。
「どうだ? 便利だろう」
コスプレじゃない男が、またも得意顔で誇らしげに言う。
だから、お前の功績じゃないだろうが。……ま、言葉が通じるようになっても口にはしないがな。
「ここには多くの人が集まる。だから、自然と商人も集まる。そんな場所で言葉が通じないと色々問題が起こるだろう?」
言わんとすることは分かる。
言葉が通じなければ商談も成立しないし、通訳を交えての商談など、どんな不利益を被るか分かったものじゃない。
通訳が不正をする可能性、相手側が「それは聞いていない」としらばっくれる可能性、単なる伝達ミスや、意図しない伝わり方をする可能性……考えただけでもキリがない。
しかし、言葉と文字のすべてが自身に馴染みのある言語に変換されるのであれば、そういう問題は解消されるだろう。
ただまぁ……詐欺は働きにくくなるけどな。『聞いてないお前が悪い商法』が使いにくそうだ。
「あ、そうだ。礼が遅れたな。俺は大羽……っと、こういう世界では名前の方がいいか……ヤシロだ。助けてくれてありがとう」
「俺はノルベール。三十区を治めるウィシャート家のお抱え商人だ」
『三十区を治めるウィシャート家』なんて名前を出すってことは、相当名のある貴族なのだろう。そして、そこのお抱えである自分が誇らしくて堪らないと……
「へぇ、あのウィシャート家の! これは凄い人に助けられたものです」
「なぁに! 困った時はお互い様だろ!」
ガハハと、ノルベールは笑う。
な。やっぱり虚栄心の塊だ。そんな顔してるもんな。
貴族ってことは、金持ちだよな……そこのお抱えってことは、こいつはこいつで相当優遇されているはずだ…………じゃあ、まぁ……少しくらいなら…………ふふ。
よし、ここからは敬語でいこう。
「何かお返しをしたいのですが……あいにく持ち合わせがありませんで……家に戻ることが出来れば、ささやかながら何かお返しを出来るかもしれませんが……」
「いやいや! どうかお気になさらずに! 俺はただ、当然のことをしたまでで!」
と、言いながらも、ノルベールの鼻の穴は大きく膨らんでいた。
金の匂いを嗅ぎつけたハイエナの顔だ。
それも、確実に金を手に出来ると確信している様子だ……なぜだ? 俺は持ち合わせもないし、見た目はただの高校生だというのに、どこに金の匂いが…………あ、そうか。
俺は懐に手をやる。
ブレザーだ。こいつがノルベールに確信を与えているんだ。
ノルベールの鎧はかなり丁寧に作られている。ノルベールが貴族お抱えの商人だとするならば、この鎧はかなり高級な部類に入るのだろう。そして、ノルベールの付き人っぽいこのオウムの服も。
が、俺に言わせれば作りが雑だ。はっきり言って安っぽい。技術が未熟だ。
これが高級品なら、一般人はもっとみすぼらしい服装をしていることだろう。
そんな中、俺のブレザーだ。
縫製はしっかりしているし、何よりも色が鮮やかだ。上着は明るめの紺色で、ネクタイはエンジ色。ズボンは薄いグレーで、シャツは目が覚めるような純白だ。
こんな服を着ている人間は、貴族にもそういないだろう。
つまり、ノルベールは俺の服装を見て、俺を貴族かその関係者だと思い込んでいるのだ。
行き倒れている見ず知らずの俺を親切に介抱し、食事を躊躇いなく分け、おまけに街にまで運んだ。ノルベールの中では、それはそれは大きな恩を売ったことになっているだろう。金に換算すれば10万Rbはくだらない。日本円で百万だ。それでも安いくらいだろう。
軽装なのもよかったのかもしれない。俺みたいな若造がろくな装備もなく平原のど真ん中に行き倒れていれば、事故にでも遭ったと考えるのが普通だろう。助ける方も気合いが入るってもんだ。もちろん、多額の謝礼を見込んでな。
うんうん。なるほどなるほど。
異世界も、元の世界とさほど変わらないんだな。
本当の善人なんていやしねぇ。
みんな、お金が大好きなんだ。
なんだよ。
すげぇ楽しそうじゃん、異世界。
俺……この世界でもやっていけるかもしれない。当然、詐欺師として。
「ノルベール様。私は入門税を納めてまいります」
「うむ。ついでに、彼の分のもな」
そう言った後、ノルベールは俺にウィンクを寄越して、「持ち合わせ、ないんだろ?」と盛大に恩を売ってきた。
ありがたく『もらって』おく。
オウムが門へと歩いていき、兵士を二人伴って戻ってくる。
荷台の荷物を調べるようだ。
入門税と言っていたから、おそらく街へ持ち込む荷物によって税金が課せられるのだろう。
そういう場合、金や銀といった、価値の高いものには多めの税が課せられるはずだ……
「ノルベールさん、ひとつ聞いていいですか?」
「なんだ?」
「この荷物って、中身はなんなんですか?」
「毛皮に武具、塩に果物、……あと、一番の目玉は香辛料だな」
「香辛料、ですか?」
「あぁ。バオクリエアの極上品だ。あ、バオクリエア知ってるか?」
「はい。香辛料の産地ですよね」
「おぉ、あちらの方には詳しいのか…………では、南方の貴族という可能性が…………」
ノルベールがぶつぶつ言っているが聞こえないフリをしてやる。
つか、そんな自慢げに言われりゃ誰でも分かるっつの。ホント単純なオッサンだな。
手慣れた感じで荷物の確認を終えた兵士が馬車を離れていくのを見送ってから、俺は再びノルベールに話を振る。
「香辛料って、高いんですよね。バオクリエアの極上品ともなると、格別に」
「ふふん。まさにその通りなんだ」
ノルベールが鼻の穴をふっくらませていやらしく笑う。自慢したくて仕方ない様子だ。
大切そうに背中に隠した木箱の中から手のひらサイズの布袋を取り出す。
あの中に香辛料が入っているようだ。見た感じ、200グラムくらいか?
「バオクリエアの香辛料はただでさえ品質が良く一級品と誉れ高いが、今年の香辛料はその中でも群を抜いている。通常、同じ重さの金と同価値だなどと言われているが……こいつはそんなもんじゃあない。同じ重さの金の、最低でも二倍の価値がある!」
それはまた、最高級品だな。
ザックリと計算してみる。
俺が日本で見た時は、金の相場がグラム五千数百円……切り捨てて五千円として、×200グラムで……げっ、百万円!? しかも、最低でもその二倍ってことは……あの小さい袋で二百万円かよ!?
「だとすると、その袋いっぱいで……20万Rbというところでしょうか?」
「いやいや。これなら50万Rbでも安いくらいだよ」
五百万かぁ…………欲しいなぁ。……………………よし。
「あ、すいません。ちょっとトイレに行ってきてもいいですか?」
「トイレ? こんなところにはないぞ?」
「その辺の物陰で済ませてきます」
「あぁ、気を付けてな…………付いていこうか?」
「大丈夫ですよ、子供ではないので。あ、そうだ、この入れ物を見ていてくれませんか? とても大切な物なので、落としたら大変ですし」
そう言って、俺は懐に入っていた安物の財布をノルベールの目の前に置いた。
ノルベールの考えは分かる。恩を着せた俺が、このまま消えてしまわないかと不安になったのだ。なので、『大切な物』だと言った物を預けていく。こうすれば、戻ってくると安心するだろう。
そして、この財布を『見ていて』もらうのが、大きな意味を持つようになる。
「あぁ、分かった。まぁ、連れがいると出にくい時もあるからな。だが急いでくれよ。もうそろそろ支払いも終わるから」
「はい! すぐ戻ります」
返事はハッキリ、爽やかに。これ、詐欺の鉄則。
俺は馬車から降り、他の馬車の間を縫うようにして、門へと近付いていく。
俺の視界に、ノルベールのところのオウムの背中が映る。兵士に税金を支払っているようだ。
そこへ駆け寄っていく。
「おや、どうかされましたか?」
オウムが俺に気付きこちらを向く。
俺は笑顔で近付き、オウムが記入している用紙を覗き込む。
「いえ、入管手続きってどんなのかなぁと思って」
割とわざとらしく、ふんふんと書類に目を通していく。
本当に日本語に変換されている。
商品ごとに税金が書かれており、細かく計算されている。
「おい、貴様。邪魔だぞ!」
わざとらしく書類を覗き込む俺にイラついたのか、兵士が俺の体を強めに押す。
待ってましたとばかりに、俺は盛大に転倒し、首をさすりながら立ち上がる。
「いてて……酷いなぁ、押すなんて……」
と、言いながら、襟の中に隠してあった五百円玉をワザと落下させる。
チャリーンと、小気味よい金属音を響かせて、五百円玉が石畳の上で跳ねる。
「あ、ヤベッ!」
そんな言葉を漏らしながら、俺は慌てた風を装って落ちた五百円玉を拾いポケットにしまう。
俺の一連の行動を見て、兵士が訝しげに眉を寄せる。
「おい。今のはなんだ?」
「は? 今の?」
「今隠したものだ! 出せ」
「あっ、イケナイ。早く戻らないとノルベールさんが心配しちゃうなぁ。じゃ、そういうことで!」
それだけ言って、俺は猛ダッシュでその場を離れた。
「ちょっと待て!」
兵士の声を振り切って馬車へと戻る。
ちらりと後方を確認すると、俺の代わりにオウムが兵士に取り押さえられていた。
どこの世界でもそうだが、硬貨の偽造は重罪だ。
オウムが支払っていたこの街で流通している硬貨を見てみたが……まぁ、質の悪い銀貨だった。純銀なのだろうが、色はくすみ、模様も単純。製造技術が未熟なのだろう。
日本の五百円とは似ても似つかない外観だった。
そんなあからさまに質の違う硬貨を落とし、あまつさえあの挙動不審さ。疑われて当然だろう。
かくして、可哀想なオウムは囚われの身となったのでした。……俺のせいで。
俺は馬車へと戻ると、オウムが捕らえられたことをノルベールに伝えた。
『もしかしたら、偽造硬貨を(俺が)持っていると疑われているかもしれない』ということも添えて。
そうしたところノルベールは鼻息荒く憤り――
「この俺にそんな嫌疑をかけるとは、無礼千万! 俺に対する非礼はウィシャート家に対する非礼! 断じて見過ごせん!」
――まんまと食いついてくれた。
「では、ノルベールさん。今すぐ抗議しに行くべきです!」
「うむ! ……しかし、馬車をこのままにしておくわけには……」
「大丈夫です! 俺がちゃんと見ておきますから!」
「そうか。では、そうしてくれ。俺は兵士どもと話をつけてくる!」
馬車を飛び出し、ノルベールは門へと向かって走っていった。
馬車に残ったのは、俺と、無数の荷物。そして、五百万円の香辛料。
うふふ。このままとんずらしたいところだが、言葉が通じるのはこの街だけらしいし、またあの平原に引き返すのは絶対御免だ。
もうひと手間かけるとするか……
俺は、香辛料の入った袋を手に、顔がにやけるのを抑えることが出来なかった。
五百万~五百万~ららら~ん。
数分後、兵士を伴ってノルベールとオウムが馬車に戻ってくる。
「よかった。いたか。これでもし姿をくらませていたら、カエルにしてやるところだったぞ!」
カエル?
何言ってんだ、こいつ?
どうも、ノルベールは酷く興奮しているようだ。
というより、俺に向けて隠すことなく怒気をぶつけてくる。
「説明してもらおうか!?」
「説明? 何を?」
「とぼけるな! 話を聞けば、貴様が原因だというではないか!?」
「原因…………はて?」
「きさまぁ!?」
ノルベールが俺の襟首を締め上げる。……苦しい。けど、ここではあえて余裕の笑みを浮かべてみせる。
「なんのことだか、話が見えないんですけどねぇ」
「貴様が偽装硬貨を隠し持っているのだろう!? おかげで俺が疑われたのだぞ!」
「偽造硬貨なんて、持ってませんけどねぇ」
「嘘を吐くな! カエルにするぞ!?」
また、カエル?
なんだ、ことわざか何かか?
だが、今はとりあえず……
「証拠でもあるんですか?」
「なに?」
ここでようやくノルベールの力が弱まる。
俺は襟元を正し、ノルベールを挑発するように笑みを浮かべる。
「俺が偽造硬貨を持っているという、証拠ですよ」
「ふふん。あるぞ」
俺の言葉を待っていたかのように、ノルベールが勝ち誇った笑みを浮かべる。
そして、取り出したのは、俺が預けた財布だった。
「これは貴様の持ち物に違いないな?」
そして、無遠慮に財布の中身をその場にぶちまけた。
千円札と一万円札が一枚ずつと、小銭がちらほら……合計一万千二百八十六円。
……しょぼ。つい最近まで社会人だったから、感覚が……高校生ってこんなもんだっけ、財布の中身。
「どうだ! この見たこともない硬貨の数々! 商人である俺が断言してやる! このような硬貨はどこにも流通していない!」
「絶対、ですか?」
「ふん! 舐めるな! 俺は商人だぞ! 世界中の硬貨を知っているし、取り扱ったこともある!」
「じゃあ、賭けをしましょう」
「賭けだと?」
「この硬貨が、どこかで流通しているものであれば、俺の入門税を支払ってください」
「もし、流通していなければ、どうする?」
「カエルにでもなんでも、好きにしてください」
「その言葉、忘れるなよ?」
「ノルベールさんこそ」
絶対の自信を持って、ノルベールは笑みを浮かべる。
が、勝敗はすぐに決した。
先ほど俺がここのレートを調べた時のように、精霊神アルヴィに通貨の比率を提示してもらったのだ。
『 100円=10Rb 』
と、はっきりと表示されている。
「バカな……」
ノルベールがあんぐりと口を開ける。
まぁ、知らなくてもしょうがねぇよ。異世界のお金なんだもん。
とりあえず、これで俺は街に入れるわけだ。ノルベールの奢りで。
いいね、奢りって。最高。
「貴様、これが偽造硬貨でないなら、なぜあんな紛らわしい真似をした!?」
「紛らわしいって言われてもなぁ。俺はただ、落とした小銭を慌てて拾っただけだぜ? お金は大切だからな。何かおかしいか?」
「う……っ」
「勝手に勘違いしたのはそっちだ。俺に非はない。違うか?」
「ぐ…………!」
ぐうの音も出ないようなので、俺はさっさと退散することにする。
「んじゃ、俺はここで。送ってくれてありがとね。あと、入門税も」
手を振りながら馬車を離れていく。
と、背後から物凄い怒声が飛んできた。
「ちょっと待て、貴様ぁ!」
ドスドスと、石畳を踏み割りそうな勢いでノルベールが詰め寄ってくる。
また襟首を締められると堪らないので、今度は適度に距離を取って対峙する。
迫る腕をひらりひらりとかわすうち、ノルベールは捕まえるのを諦めて言葉を発した。
「俺の香辛料をどこにやった!?」
「香辛料? あぁ、それなら、悪い人に盗まれちゃった」
「……………………は?」
俺の言葉が理解出来ないのか、ノルベールはマヌケ面をさらす。
しかし、やがて怒りを思い出したように、ノルベールは顔を真っ赤に染め上げる。
「貴様っ、香辛料を守ると約束しただろうが!」
「してねぇよ、そんな約束」
「嘘を吐く気か!?」
「嘘じゃねぇって。そんな約束はしていません」
きっぱり言い切ると、ノルベールはわなわなと体を震わせ始めた。
「ふ、ざけ……やがって………………カエルにしてやる!」
そう叫ぶと、ノルベールは俺を指さし一際大きな声を上げた。
「『精霊の審判』っ!」
その声が空に響き渡り、そして俺の体を淡い光が包み込んだ。
なんだこれは? 『精霊の審判』?
「この男は嘘を吐いた! カエルにしてくれ!」
「待て、俺は嘘なんか吐いていないぞ!」
「では、その時の
ノルベールがそう言うと、目の前に半透明のパネルが出現した。
『この俺にそんな嫌疑をかけるとは、無礼千万! 俺に対する非礼はウィシャート家に対する非礼! 断じて見過ごせん!』
『では、ノルベールさん。今すぐ抗議しに行くべきです!』
『うむ! ……しかし、馬車をこのままにしておくわけには……』
『大丈夫です! 俺がちゃんと見ておきますから!』
『そうか。では、そうしてくれ。俺は兵士どもと話をつけてくる!』
なんだ、これは?
あの時の会話が、事細かに、正確無比に文字として保存されている。
こんな記録が残るのか……おまけに、こんな簡単に参照出来るなんて…………
これじゃあ……
この街では嘘が吐けないんじゃないか?
「はっはっはっ! どうだ! よく見てみろ!」
勝ち誇ったようにノルベールが半透明のパネルを指さす。
『俺がちゃんと見ておきますから!』の部分だ。
「貴様ははっきりと約束しているではないか! 香辛料を守ると!」
「…………はて? 香辛料を……『守る』?」
いまだ俺の心臓はバクバクだが、ノルベールが何をし、何を言いたいのかはだいたい分かった。
ここで退いてはダメだ。付け入られてもダメだ。踏み込まれるなどもってのほかだ。
押し返し、言い返し、叩き返してやるのだ。
あくまで冷静に。
落ち着いて。
余裕の表情で。
俺は、一流の詐欺師なんだからな。
「俺の目がおかしいのかなぁ? 『守る』なんてどこにも見当たらないんだが……」
「なっ!? バカか、貴様は! この流れで『荷物を見ている』というのは、すなわち『荷物を盗られないように守っておく』という意味だろうが!」
「いや~? 俺はそんな風には思わないけどなぁ」
「……なん、だと?」
「『見ておく』は、あくまで『見ておく』だ。それ以上でも以下でもない。……お前、また勝手に『思い込んだ』のか?」
「そんな……」
俺の言葉に、ノルベールは眩暈を起こしたように足をふらつかせた。
「な、なら……お前は…………何をしていたというのだ?」
「ここに書いてある通りだよ。俺はちゃんと『見ていた』ぞ」
「み、見ていたのなら、なぜ盗まれたんだ!?」
「ずっと、『見ていた』だけだから」
「…………は?」
「香辛料が、悪い人の懐にしまわれるところも、ちゃ~んと『見ていた』よ」
ノルベールの顔から表情が消えた。
そして、俺の体を包み込んでいた淡い光も掻き消えた。
どうやら、『精霊の審判』とやらが終了したらしい。……勝てた、ってことでいいのかな?
「んじゃ、俺はもう行くぜ。まだ文句があるなら、俺を許した精霊神様にでも言うんだな」
今度こそ、片手を上げて俺は颯爽と立ち去った。
……心臓、バックバクだったけど。
なんだよ、あれ!?
『精霊の審判』って、なんなんだよ!?
カエルにする? あれでもし、俺が嘘を吐いていたらカエルにされてたのか?
冗談じゃねぇぞ。
あと、
あんなの有りかよ!? 最初に言っとけよ!
危なくカエルになるところだったぜ!
軽率に嘘を吐く詐欺師は三流だ。
本物は、無暗に嘘を吐かない。
『嘘ではないが、真実でもない言葉』を選ぶのだ。
さっきの『見ておく』がいい例だ。『見ておく=守っておく』だと勘違いするのは相手の勝手。こちらに責任はない。
そしてもう一つ。
『悪い人に盗まれちゃった』
この言葉。
盗みをする悪い人は、仕事が上手くいくとさっさと現場を離れる。
――なんて思い込みをしているから足をすくわれるのだ。
俺は懐から、極上品の香辛料を取り出す。
盗みを働く『悪い人』は、お前らの目の前にずっといたんだよ。
これも決して嘘じゃない。
まぁ、あえて誰が悪いと論じるのであれば、俺は迷わずこう答えるね。
『騙されるヤツがバカなんだよ』と。
こうして俺は、精霊神とかいう訳の分からんヤツの力によって、不思議で厄介な魔法が施された街へと足を踏み入れた。
この世界の人間が『嘘が吐けない街』と称する、オールブルームへと。
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