十七 隔絶されし世界の中で

 水町薫の刃がその首へ届くことはなかった。


「――危ないなぁ」


 生み出した血液の壁で斬撃を防ぎ、【血】は水町薫の背後数メートルまで回避する。


 ――フードだけが切り落とされ、ばさりと床に落ちた。


「おっと」


 どうしても素顔を晒したくないのか、血液の膜が彼の頭部を覆う。それにより、【血】の姿を確認することはできなかった。


「……さて」


 翼はその光景を眺め、呟いた。


 ――こちらも始めようじゃないか。


 手元の刀身を逆手に持ち代え、一言小さく合図をしてから【血】の斜め後ろへ瞬間移動した。血液が邪魔で手出しのできない頭部は狙わず、がら空きとなった脇腹へ逆手の短刀を突き刺す。

 手応えを感じた瞬間、突き入れた刃を横へ振り抜いた。どば、と血が吹き出し、【血】がこちらを向く。


 その姿から、僅かな怒りが見えたような気がした。


「君の能力、精度が上がったみたいだね」


「それはどうも、感想ありがとう」


 反撃が行われる寸前、水町薫の隣まで退避する。

 ……どうやら、攻撃されるまで翼の存在に気付くことができなかったらしい。


 それだけこの能力が強くなった自覚もないのだが、短刀を突き刺すことができたのだから嘘ではないだろう。

 何も騙すためだけに攻撃を受ける理由も得もない。しかし、二度目は当たってくれなさそうだ。


【血】が流した脇腹からの出血。それらは全てが【血】の能力下にあるようで、周囲を大量の血液が旋回している。近寄るだけで感知され、総攻撃を受けかねない量だ。

 迂闊なことはできまい。


「……そんなに相手をして欲しいのなら、僕も君と戦ってあげようか。――掛かれ」


 あくまでも淡々と、【血】は機械的に宣言する。それが合図だったか、化身の二体が無差別に飛び込んできた。

 狙われたのはリーフェに水子だ。唯華を抱えたままだったリーフェは舌打ち一つ、空いた右手に雷を溜めて応戦する。

 水子は表情を変えることすらせず、自身に飛び掛かる化身を温かい目で見据えていた。そこに、女の化身も参戦する。


「除け者にされた私は、貴女と戯れることにしようかしらね。おばあさん」


「お手柔らかにたのむのう、私ゃ最近元気も力も入らなくて、な」


「やる気に満ち満ちとした瞳で言われても――困るわね」


 短い会話が終了する。水子が薄い笑みを皺と共に張り付け、化身の女は不敵に笑う。


「俺は君に用がある」


 そして。翼の前までゆっくりと歩いてきた痩せぎすの男は、そう口を開いた。


「ずっと僕だけに意識を集中させていたのは君かな。僕に用とは……“不完全な狂人”のことかい?」


「それとは違う話だ。ここじゃ少し五月蝿いから、上でどうだろうか」


「デートのお誘いなら断らせて頂くよ。熱い視線は僕には過ぎたものだからね」


「それとも違う話だ。どうかな」


「ふむ。そうだね、付き合ってあげよう。案内してくれるかな」


 返事を聞くなり、痩せぎすの男は二階への階段へ向かって歩き始めた。

 翼も痩せぎすの男へ付いていき、一階の戦場から姿を消していった――。



「三度目はないぞ、化身」


「……そっくりそのまま返してあげるよ。遠くない未来にね」


 水町薫には【血】が。



「クソが」


 気絶した唯華とリーフェには化身が。



「ほっほ、久し振りじゃのう……私がこうして戦うのは」


「奇遇ね。私もよ」


 水子には化身と妖艶な女が。



「この部屋まで連れてきて、何をしようと言うのかな」


「最初から言っている。用がある、と」


 翼には痩せぎすの男が。


 それぞれがそれぞれとぶち当たり、戦いの火蓋を開ける。

 ――開戦。




 ◇




「ふぅむ……」


 年老いた肉体に向けて放たれる暴風雨と雷を退けつつ、水子は首を傾げた。


「天災。それはそのまま災害を起こす能力じゃな……怖い力よの」


「空間に干渉してその“天災”が貴女へ向かうことが不可能にされているのだけど、それを怖いとは言わないのかしらね」


 天災を操る者。そのまま【天災】と呼ばれし女の化身は水子の周囲に地震を発生させる。

 それを威力にして表せば二本の足で立つことも不可能な威力なのだが、細った頼りない足で立つ老婆に揺るぎはない。

 まるで千年生きる大木のように、根強くそこに存在している。


「別に怖かないのう。ただ物質に語り掛け、私の言うことを聞いてくれるよう頼むだけなんじゃがな」


 いつまでも守勢でいる水子ではない。


 ひっそりと空気に干渉して酸素濃度を限り無くゼロに近付け、【天災】へ送り込んでゆく。

 いくら狂人、化身と言えども数度吸えば意識に異常を来す。

 そしてその変化に気付くことはできない。

 ――吸うまでは。


「……!」


 だが空気の変質に気付いたか、顔をしかめた【天災】は横へ飛び退いた。


「洒落にならないわね」


「あと一回でも取り込めば意識を喪失していたのにのう……」


 水子は残念そうに呟く。

 これで倒れてくれさえすれば、荒い真似をせずとも済んだのだ。


「優しげな内に、安らかに眠りたい。そうは思わんかの」


「あんな一手で死にたくはないわね」


 言い切る【天災】の地面がごぼりと融解し、そこが溶岩の海に変わり果てた。噴火とも言える荒々しい波が、水子を襲わんと広がり床を侵食する。


「煙陣結界」


 今度は空中を呑み込まんばかりの水流が覆い、気化により水蒸気が一階全域に侵食した。

 視界が潰される。


「足元からは溶岩、頭上からは当たればひとたまりもないような水流、のう……」


 この水蒸気は雷を発生させる装置の意味も込められていそうだ。すぐに対処をせねばならない。


 水子は自ら目を閉じて視界を切り、【天災】の及ばない空間へ干渉した。水子の能力は生物と能力には干渉不可能なところが欠点である。

 しかし、それでも十二分に強い能力である、というのは確かだ。


 存在する空気を極限まで圧縮させる。両手を広げたほどの空間が四つ、豆粒サイズまで小さくなっていく。【天災】との間に等間隔で配置されたそれらは、相手が何か行動を起こす前に起爆させた。

 爆音が連続して激震を起こし、発生した水蒸気と水流が巻き込まれて一瞬にして吹き飛ぶ。

 足元の溶岩は新たに圧縮した空気の上に立ち、宙で浮かぶことで回避。


「異質ね……分かってはいたけれど、こうして目の当たりにすると違うわね」


「ほっほっほ。雷、溶岩、水流、そのようなものを無から生み出すのは私としても驚きではあるのう」


「無論、制限はあるわよ」


「そうじゃろうな」


 溶岩が跡形もなく消滅したのを確認し、顕現には時間制限があるのだと判断した。

 あれだけの大きな能力だ、一度生み出したものがそのまま残されるのであれば使用者への負担は絶大だろう。

 水子は地面へ降り、そろそろじゃなと呟いた。

 何がと返答しようとして、【天災】は自身の異常に気付いた。


 身体が動かないのだ。それも、ぴくりとも。水子が何かをしたのかと考えたが、特にこれといった予備動作もなかった。しかしこの動けなさは可笑しい。

 まるで自身の周りの空間自体が固まったかのような――。

 そこまで思考が回り、はっと理解したときにはもう遅かった。


「主の予想通りじゃよ。空間凍結、という荒事を行った次第じゃ」


 水子が空気に対して作用させたのは、時間凍結だ。すると気体はどのような固体よりも堅く、決して壊せぬ枷になる。

 勿論これも長時間は発動できない類いの技だが、相手は遠距離を得意とする魔術師型の化身だ。

 自らが動くことは得意としていない。


 ならば事前に準備をすることは充分に可能であった。


「……っ」


 空気が凍結させられている限り、【天災】は隔絶された空間に閉じ込められていることになる。

 声を出すことは愚か、息すら吸うこともできない。身体を動かすことも不可能だ。

 そこに止めの一撃を。


「何、臆することなどどこにもありはせぬよ」


 無論、凍結された空間の内部に水子の語り掛けが届くこともなく。


「私に勝てないのは経験と実力さね、たったそれだけのことじゃよ」


 ――空気の枷が解き放たれる刹那、全方位に展開された無数の見えぬ槍が、【天災】を四方八方から容赦なく串刺しにした。


「――はっ、短き戯れ――だったわ、ね」


 その槍が破裂し、【天災】の肉体を八つ裂きにする。瞳から力を手放し、女は床へと崩れた。

 戦闘不能となった化身を眺め、水子は他の戦闘風景へ目をやる。水町薫は【血】と接戦を繰り広げている。リーフェは唯華を抱え、生首だけを残した化身を二体踏みつけていた。

 水子に襲い掛かったもう一体の化身は、リーフェが倒していた。


「人数が足りない……と思うたら、あの娘は上の階にいるのかい」


 水子は視界に翼と痩せぎすの男――【白銀世界】が見当たらないことに眉を顰めたが、二人が上に移動しているのを察知し、首の皮を摘んで軽く引っ張った。

 この癖はどうにも直りそうにない。


「なにやら面白いことを話しているようだねぇ……」




 ◇




「へぇ、その言葉を信じろ、と」


 男の胡散臭い台詞を全て聞き終えた翼は、首を傾げた。それからやけに清潔なホテルの一室を眺め、適当な席に腰を落ち着けて返事をする。

 痩せぎすの男は、翼の反応がさも当然のように頷き空いた椅子を対面に持ってくる。ぎしり、と鈍い音がしてその上に彼が座った。


「別に信じて欲しい、というつもりもない。ただ話しただけだから信じるも鼻で笑うも自由だ」


「では聞き流すことにしよう。というのはどうかな」


 これが敵との会話であっていいものなのか。不完全ではあるが狂人である翼は余裕の面持ちで寛ぎ、痩せぎすの男の目と目を合わせる。


「ふむ、そうだ。こうして話をするのだから君の名前を聞いておきたい。そちらは僕の名を知っているようだが、僕は知らないのでね」


「……ん? 化身の名前が聞きたいとは、物好きな奴もいるものだな」


 心底驚いたように呟き、彼は「ジン」と名乗った。人と書いてジン、と読ませるらしい。珍しい名前だ。


「では話に戻ろうか。ジン、君は僕と“同化”して――どうしたいのだい?」


 ジンはこちらに来てからあっさりと自身の能力を告げていた。

 彼の持つ能力は【白銀世界】。攻撃されなければ発動しない能力で、自身が傷を付けられて初めて自己防衛をする抗体が生み出されるというものだ。

 発動条件は攻撃してきた相手を認識していること。付けられた傷に応じて【白銀世界】の名に恥じぬ白銀の抗体が出現し、その相手を自動追尾で攻撃する。標的が戦闘不能になるまで能力の効果が続く……というものだ。

 教えられてしまった以上、なるほどと理解した翼は彼に攻撃を加えようとはしない。そうでなくとも、彼から仕掛けてこない限りは手を出すつもりもなかったのかもしれないが。


「どうしたい、とはまた難しい質問だ」


「そうだろう。まさか化身の君から、【血】を倒すための提案がされるとは思わなかったのだから、何故かではなくそう聞くのは自然の流れじゃないかな?」


「一理ある、なら答えよう。俺の目的は【血】が目指す終着地(フィナーレ)を狂わせること、だ」


「今の回答は“何故か”だね。僕は理由を聞いているのではなく、それをして君がどうしたいのかと聞きたいのさ。化身とはいえこうして会話が可能なんだ、分かるかな」


 ジンは頬を一度だけ掻き、翼の言葉を噛み締めるように「どうしたいか」と二度だけ復唱した。

 そこから少しだけ沈黙が場を支配し、ジンは答えが見つからなかったとでも言わんばかりの顔で返答する。


「そんなことは初めて言われた。悩んだが、答えるならこうだ。それが俺の望むことだから、だ」


「全く答えになっていないね。胡散臭いことに変わりはない」


 翼はジンの答えを一蹴した。

 しかしその回答も悪くはないと、内心では思っていた。そうしたいからそうする、という単純明快な思考は翼も嫌いではない。


 まだ多種の化身には触れていない翼だったが、このような者もいるのだと一人納得する。


「しかし、どうやら嘘を吐いてはいないみたいだ。このまま僕が君を受け入れさえすれば、必ず力にはなってくれそうだね。だが、【血】の目的を教えてくれるつもりがないのは何故なんだい。協力してくれるというのなら、情報は共有した方がいいとは思うよ」


 ジンは話の中で【血】を倒すことを明らかにはしたが、当の【血】に関する一切の情報をこちらに教えるつもりはないらしい。


「力にはなるが協力するわけではない。第一、それでは面白くないだろう。俺は君の味方でもないし、【血】の味方でもない」


「はっきりと言うね。しかし、仮にも僕と“同化”しようと言った者の台詞ではないな」


 ジンは他人と同化し一心同体となる能力も備わっているそうだ。本来は一般人や動物などとしか同化できず狂人と同化をすることはできないのだが、翼が完璧な狂人でないことでその同化が可能なのだとか。

 つまり、ジンが翼に持ちかけた“用”とは同化をするかしないかの申し出のようだ。


 拒否すれば翼とも戦い、許可すれば翼と同化し階下へ降りる。


「同化する場合、基本的に肉体の主導権は君になる。だが俺は君の記憶を覗けるし、逆に君は俺の記憶を覗けない。同化といっても君が思っているほど完膚無きまでに混ざり合ってしまうわけではない」


「ふむ……そこは君の能力、ということか。つまり【白銀世界】の能力を僕が使えるようになる代わり、君は僕の人生とも言える記憶を手にするわけだ」


「そうなる」


 随分な交換だ。純粋に面白そうではあるが、記憶を覗かれてもいい気はしない。誰だってそうだろう。覗かれるということは、自分を“知られてしまう”ことに直結するのだから。

 翼は顎の下に右手を置いて数秒思考に時間を費やした。この化身の言葉に乗って生じる不都合と好奇心を天秤にかけ、結論を下す。


「そうだね。じゃあ、その話に半分だけ乗ろうか」


「半分? それはまた」


 今度はジンが首を傾げる番になった。確かにいきなりそんなことを言われても理解が追いつかないだろう、半分だけ、というのはつまりはこういうことだ。


「利点もあるが、やはりリスクが多いのが気になってね。自分じゃ決められないんだ。だから――君と僕で戦って、君が僕に勝てたのなら、僕の身体をくれてやろうじゃないか。どうだい」


「ほう……面白い提案だ。乗ろう」


 ジンは席から立ち上がった。呼応するようにして翼も席を立ち、戦うには狭い一室を狂気が包む。

 攻撃すると能力を行使する【白銀世界】、果たしてどのような対処をすればいいのか……恐らく、対抗策は一つ浮かんだ。


「少し狭いけど、まあいい。やろうか」


 翼は狭い空間でできることを考え、相手の能力を考慮した上で――瞬間移動を行使した。

 目標地点はジンの眼前だ、瞬間移動によって一瞬だけ翼の気配は遮断され、ジンは翼を見失う。

 そして眼前の翼に気付いた時にはもう翼はそこにいない。更なる瞬間移動を重ねた翼の短刀がジンの背中を深く抉り、再度の瞬間移動を以って翼が次に己を現したのは最初の位置であった。


 ジンの能力は、発動しない。

 くつくつと笑い、ジンは感心した様子で翼を見据えた。


「なるほど……考えたな」


 赤黒い血液がぼたぼたと床に流れ、血溜まりを作っていく。このような傷は大したものではないのだろうが、確かに傷を与えることができた。


「能力を聞いていて思っただけだよ。まさかされなければ能力が作動しないだなんて憶測のみで突っ込んだのは初めてだが、成功するとはね」


「ああ、正解だ。すると君の能力は俺と相性がいいみたいだな」


「そうでもないよ。肝心の決定力がないのではね」


 身を隠すのが優秀でも、攻撃方法が短刀での斬撃のみでは相性がいいとは言い切れない。

 瞬間移動を駆使して同じように数度ジンを斬り付け、血に塗れた刀身を一瞥する。


 やはり気付かれない時間を駆使しての攻撃では致命傷を与えられないか。かといって部位切断を狙って気付かれても意味がなく、数回に分けて狙おうとすればそこを逆に狙われかねない。


「俺からも行こうか」


 短刀を握り直す翼の眼前、ジンはにやりと口元を横に広げる。その身体が横に跳ね、弾丸顔負けの速度で壁を蹴った。細い足の屈伸からの爆発力はどこにあるのか、次の瞬間には翼に肉薄する形でジンが細い腕をしならせる。

 ――当たるか当たらないかの間際、瞬間移動を用いて部屋の隅に逃げ込んだ。標的を見失ったジンは両手を床に付いて一回転し、流麗な動作で態勢を立て直す。


 そこを狙って瞬間移動し逆手に持った短刀に力の限り勢いを乗せ、ジンの首筋に突き刺した。切断までには至らないが、鋭利な刃の先が首の肉を抉り、筋繊維を分断し頚骨にヒビを与える。


 それがいけなかった。


 深く抉り過ぎたために刃の動きが完全に止まる。その持ち手を、ジンの左手にがしりと掴まれる。


「“攻撃”したな」


 能力の発動条件は他者から攻撃を与えられたと明確に認識すること。本来鮮血が飛ぶであろう首筋から大量の白銀が飛び出し、それらは翼の周囲に展開される。素早く短刀を抜き取ってジンの攻撃範囲から逃れた翼であったが、既に【白銀世界】は発動してしまっていた。

 雪景色のように散らばる白銀の抗体全てが翼の姿を再度認識すると、それぞれがばらばらに散開して翼の身体を射抜こうと飛んでくる。


 あの白銀に反撃をして、とてもではないが消滅させられるとは思えない。であれば避け続けるのが最善か、とにかく本体を攻撃することを優先しなければならない。

 あの抗体は翼を倒すまで止まらないのだから。


 幾度も幾度も能力を行使し、一瞬だけの気配隠蔽を連続して行う。翼の能力の本領は移動の際に消える自身の存在だ。絶対的に有利な時間を活用し、最大限に生かすことが能力のミソだが――この相手に関してはそれが効かない。

 一度能力を発動させてしまった以上、劣勢に追い込まれた事実だけが翼を苦しめる。


 戦う以上は勝つ。そのために必要なのは――。


「ここだ」


 ジンの首筋は深く抉れているため、バランスが悪く彼自身の腕で押さえることでその形を保っている。重傷となるような傷の回復進行が遅いのは狂人も化身にも共通することであり、悔しいがそこを狙うのが定石か。

 この切羽詰まる状況下、翼に残された時間はあまりない。


 ――そう、度重なる能力行使の結果、疲労による倦怠感が翼を襲っているのだ。入れた血液が切れかけているのか、普段の能力を遺憾なく発揮することはできないだろう。

 このまま長時間の戦闘に持ち込んでも勝機が上がるとは思えない。


 そこで、翼は力の限り短刀を投擲した。狙うはジンの首元。

 対してジンは、翼が有する唯一の武器を投げてきたことに目を見開く。あの短刀がなければ翼は有効打を放てない。

 そんな刃を、苦し紛れの遠距離攻撃に運用してきたのだ。だが何か裏があるとは分かっていても、その前に首へと向かう短刀を受けるか避けるかをして回避しなければならない。


 白銀に輝く抗体の軍勢は、投擲した直後の翼へと一斉に距離を詰めていく。少しでも刃を翼から遠ざけるべきだと判断し、ジンは向かう短刀を弾くべく右の甲を。


「……!」


 翼はジンが刃へ意識を逸らしたその瞬間をずっと狙っていた。彼が刃を弾こうと対処する瞬間、抗体からの退避も兼ねて瞬間移動を行使する。

 移動の先は、ジンの真後ろ。短刀を薙ぎ払ったジンが翼の姿を見失ったその時――。

 翼の右手が、首筋の傷を深々と抉り取った。乱暴に込められた五指が肉を破壊し侵入し、もう片方の手が骨ごと生首を引き千切ろうと首の皮一枚残されたジンの頭部を鷲掴みにする。


「俺の勝ち、だ」


 だが。ジンの首元から新たに白銀が生み出された。

 翼は何故だと思考するも、その答えに気付いて肩の力を落とす。


「そうか――君は弾いた刀身の反射で映った僕を――」


 認識していたのだ。

 だから、攻撃は直接ジンの抗体を増やす結果となった。

 無数の弾丸と化した抗体が、無防備を晒した翼へ襲い蜂の巣にする。


 そうしてジンが、首元を押さえて戦場に立っていた。

 ゆっくりと再生を始める傷は、翼が無理矢理抉ったお陰で完治にはしばらく時間が掛かりそうだ。


「約束を通そう」


「ああ。君の勝ちだ。くれてやろう、じゃないか」


 肉体の至る部分を貫かれ、翼は力なく答える。血液が服を真っ赤に染め上げ、壁に持たれ掛けた身体は生命の維持をするために総動員されていた。


 どうやら今のでを使い果たしてしまったらしい――。

 普段なら修復されるはずの身体は、傷口が収まるだけで再生をしない。翼はもうただの一度も能力が使えそうにないことを悟って歯噛みし、目線を上に向ける。

 注射器はもう使ってしまった。この症状は、治らないだろう。つまり、勝利はできない。ジンへ反撃する力は残ってはいなかった。


 ジンの周囲で佇んでいた白銀が泡のように消滅する。

 彼は翼の前で屈み、両肩に手を置く。


「痛みはない。同化した後直ぐは多少の違和感に支配されるが、それだけだ。君の行動に期待しているよ」


 ジンの肉体が白銀の固まりに変貌していった。光輝くそれらは粉々に分解され、光子となった白銀が徐々に翼の身体と同化していく。

 疲弊と損傷した肉体に馴染んでいく中、翼はジンの言っていた“違和感”に顔を歪める。

 だが、別に悪い気はしなかった。


「……ああ。なるほど」


 多少の異物感を残し、光子が無くなった頃。

 翼の傷は全て癒えていた。


 これは同化による化身の治癒力が助けてくれたのだろうか。

 自分ではない何かが存在するようなイメージは残っているものの、先程までの倦怠感がないことから自然とそう判断ができた。


「ジン、会話はできないのかい?」


 返事はなかった。

 静寂が室内を包み、ここにはもう翼一人しかいないのだと実感させられる。


 立ち上がった翼は、両手を握り締めて肉体の無事を再確認し、能力を使おうと精神を統一させた。


「……?」


 が、瞬間移動ができない。移動できる、という概念も生まれてこなければ、今までは自然と行えていたはずの気配察知もできない。【白銀世界】のジンと同化した代償、というわけでもなかろう。

 仕方無しに徒歩での移動で扉を開き、廊下へ出る。階下で戦闘音がしていることから、まだ誰かと誰かの戦いは続いているのだろう。

 ほぼ間違いなく【血】は残っているとして。


「【白銀世界】か。僕の能力が使えない以上、有効活用させていただくとしよう」


 ぼそりと一人、呟いた。

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