十六 伝染する痛み

「んじゃぁ、おらが行こうかなぁ」


 緊張に満ちた空間に、間の抜けた声が響く。化身を弄くって遊んでいた男だ。そいつは化身を離すと一歩前に出てそう宣言した。

 妙に猫背で前のめりになっており実際の背丈よりも小さく見えるが、それでも唯華よりは目線が上だ。


「君が行くのかい」


「だめかぁ?」


「いいや、いいよ」


 向こう側で少しのやり取りをし、【血】がそう言ったことにより唯華を除く全員が一歩下がった。

 唯華が先制を仕掛けたのである。了承が戦闘開始の合図と見たのか、空間が僅かに歪む。


 だが、相手は嬉しそうに笑みを張り付け、無防備なままその場に突っ立っていた。

 唯華はお構い無しに空間に亀裂を走らせ化身へ向かわせる。その攻撃を化身は――避けなかった。右半身が亀裂に裂かれ、顔の一部が弾け飛んだが、化身は狂った笑い声を上げて平然と片足で立っている。


「……ぁ――うっ?」


 逆に、攻撃をした唯華が右側の顔を押さえて呻いた。外傷はないが、それは“まるで唯華が攻撃を受けた”かのような反応だ。

 翼は【共痛】の名が頭に過ぎり、ふむと一人納得した。


「自らが受けた痛みを他者にも感じさせることができる……とすると、中々に厄介だね」


 痛覚を共有する――。

 化身が半身にダメージを受け、同じ箇所を唯華が押さえているとなればその可能性が高い。

 そうなるとあの狂人は【共痛】と呼ばれる化身で確定していいか。

 自身が受けた痛みを相手にも与えるような能力ならば、確実に見えていたであろう攻撃を避けようともしなかったのが理解できる。


 当の【共痛】は汚い笑みをただただ浮かべていた。嬉しそうにぼさぼさの髪を掻き、再生する身体を片目で眺めてただ笑い続ける。

 奴は痛みを感じないのか――それとも、痛みを受けても“痛み”だと認識しないのか。後者なら厄介どころの騒ぎでは済まないが。


「んふふふふ、くふ、くふふふふ……どう、どうかな。おらとオマエは一緒だから、楽しいことも、嫌なことも、一緒」


 陥没した頭部が徐々に膨らんで修復していく。その間、唯華は一歩も動くことなく静止していた。

 相手が自ら行動しないことを知り、行動を窺う。この状況下、もしも【共痛】が痛覚に刺激を与えるだけの能力であれば、外傷を伴わない唯華が負ける要素はない。けれども追撃を仕掛けないのは“隠している能力”の存在を危惧して、だろう。


 懐に手を差し入れ、翼は眼前の状況を確認していた。

 手に握ったのは一振りの刃。表には出さず、誰にも悟られないよう気配を鎮めて精神を統一させる。


 翼は、端から【血】の言う通りに事を運ぶつもりなどなかった。

 元々ただ付いて来ただけではあったが、目的意識がないわけではない。【罠】が言っていたことも気掛かりのひとつでもある。


 こうしてここまで足を運んだ以上、翼の目的は化身の全員を捕獲することだ。水町薫の目的がそうなのだから――そうなのだろう。


 横目で彼の方を見やるとどうやら翼と同じ様子で、内に殺気を溜め込んでいるのが感じられた。隙あらば乱入して戦況を有利に持って行こうとしている。

 そのことに気付いているのは翼と水子、敵方では痩せぎすの男と【血】か。しかし彼らは意識をこちらに向けることはするが、それ以上の反応は見せていない。


 向こうも、このままルール通りに行くわけがないことを悟っているのか。


 ――戦場の外で読み合いが行われている中、唯華は動かずにいた。

 膠着状態が少しの間続くと、【共痛】が痺れを切らしたのか重心を前に寄せる。


「それじゃぁ、おらもいく」


 緊張感のない平坦な掛け声、それに似合わない速度で【共痛】が唯華へ突っ込んだ。初速を生み出すために蹴られた床が破砕し、後方へ弾け飛ぶ。


 唯華は肉薄する【共痛】から繰り出される拳を上手く受け流して空いた右へ転がり距離を取ったが、流れるような動作で【共通】は右足で蹴り上げてきた。


 直撃は免れたがつま先が脇腹を掠り、たったそれだけのことで重心が崩されてしまい、唯華は横へ吹き飛ばされる。


 攻撃の手は収まらなかった。【共痛】は跳躍して身体を反転させ、天井を蹴り、発生する加速を利用して唯華を襲う。


「――仕方、ありませんわね!」


 既に避けられるようなタイミングではない。苦し紛れに唯華が取った行動は“反撃”だった。空間が捻じ曲がり、直線的に落ちる【共痛】の身体が歪んで進行方向がずれ、唯華の斜め横の床へ直撃した。


「……ぐっ」


 ここで本来ダメージを受けるのは【共痛】であるはずだ。

 だが、顔面から床と激突して激しく全身を叩かれた相手は平然と立ち上がり、口元をひしゃげさせている。

 唯華だけが痛みに顔を歪めていた。


「ふぅん。ねぇ、オマエは――痛いの、好き? 好きカ?」


「嫌いですわ」


 唯華は一言で否定し吐き捨てる。そうしてから【共痛】を睨みつけ、痛む箇所を押さえるのを止めた。

 何をするのか、と翼が思う傍ら、唯華は周囲の空間全体に歪みをかけた。

 彼女の周りの視界がねじ曲がり、世界の一部が湾曲する。


「ですが、私は気付きましたわ――」


 唯華の両手に浮かんだのは、二つの禍々しい球体。空間が収縮と膨張を繰り返された結果生まれた、異質なモノだ。

 先ほどの所業から見るに――“空間操作”――それが唯華の能力だ。


「人を殴れば自分の拳も痛いのだと。それが、能力でも同じだけですわ。攻撃した分の痛みが自分に跳ね返ってくるだけなら……それは当然のこと。能力という拳で貴様を殴る。殴ってボロボロになって、ただ勝つだけ――綺麗で美しい勝利ではないですが」


 刹那、顕れたのは数十、数百を下らない禍々しい空間の歪み。

 唯華が宣言した。


「いいでしょう。【蹂躙鬼】と呼ばれた私の真髄、心の奥まで響かせて差し上げますわ」


 ――そこからの戦闘は、まるで一方的なものだった。痛みを他者にも与える能力の【共痛】が【蹂躙鬼】の名を持たされた空間操作に敵う道理はなく、唯華の猛攻によって空間ごと肉体を抉られている。

 しかしあの化身がダメージを受けるということは、それはそのまま唯華もダメージを負っていることに他ならない。外傷さえないものの、自分の技の痛みが自分に返ってくる、とは相当に辛いものがあるだろう。


「終わり、ですわ」


 それでもなお、唯華は手加減をしない。既に一階ロビーが半壊するほどの威力で空間を操作し、敵を再起不能にまで追い込んでいる。

 右腕は根元からもげ、顔面は原型をとどめていないほどに裂け、両足は既にない。腹部は風穴が幾つも開けられ――だが【共痛】は狂ったように笑っていた。

 それこそ愉しげに、まるで痛みを快楽と履き違えているかのように。


 そしてその分、唯華も同じ痛みを味わっているのだ。だが唯華は歯を食いしばってその痛みに耐え、トドメに行使するであろう今までで最大規模の技を作り出す。


 地震が発生したような感覚を覚えた。度重なる揺れが足元を狂わし、ぱらぱらと小さな瓦礫の破片が落ちてくる。唯華と【共痛】の中間部分に、異質な空間が現れた。人間の一人や二人を丸呑みできそうな空間が、文字通りその場の全員を呑み込まんと重力場を生み出して回転している。


「最後くらい、華々しく散りなさい――《デフォイジア》」


 辺りの瓦礫を全て吸い込み粉々にしていく球体、それを【共痛】に向けて解き放った。手足がろくに修復されていないその身体で回避できるわけもなく、巨大な球体が無慈悲に【共痛】に向かう。

 そいつは、逃げようともしなかった。腫れ上がり、ところどころが裂けた口元を大きく開き、嬉しそうに横に広げる。


 ――逃げるつもりなど、端からなかったのだろう。これだけの痛みを前にして、【共痛】が感じるのは隔日に、苦痛などではないのだから。


「ぐぎぃぁ」


 それが【共痛】の発した最期の言葉。巻き込んだ球体がごりごりと肉体を蹂躙し、肉体と言えるのか分からない状態になるまで粉砕して飲み込んでゆく。


 勝利、だ。


「――が、ああ、ぐ、あああああ――アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――アアアアアアア!」


 唯華はその場に倒れ込み、発狂する。今現在【共痛】が身体を粉微塵に粉砕される痛覚の全てが唯華に直接送られているのだ。


 戦闘には勝利した。

 が、これは本当に勝ちと言えるのだろうか――。


 しばらくは、どこから出しているのかと疑いたくなるほどの金切り声が、空間を支配していた。







 結果的に翼達が介入する暇など無かった。発狂したまま気絶してしまった唯華をリーフェが抱え、肉片となった【共痛】は誰にも興味を示されず、壁と床にへばり付いて放置されている。あれでもまだ生きているのだろうか、肉片が微かに蠢いていた。


「ふむ……中々にして面白い物が見れる戦いではあったね。そうは思わないかな」


「悪趣味にも程があるな、化身」


「それは何かい? 命を懸けて戦った彼女のことをの一言で片付けようとしているということなのかい、君は最低だね。僕は心底がっかりしたよ……今の戦いを素晴らしいとは思えない、君の心にね」


「悪趣味なのはテメェだよ。次は俺が出る」


 水町薫は短刀を二本構えた。こちらに向けられていないのに色濃く漂う鬼気、それが一気に膨張する。


「じゃあ、私が相手しようかしら」


 相手側の唯一の女が前へ出てきた。ストールを邪魔そうに剥ぐと、病的に白い肌が露になる。真っ白な服と相まって病弱なイメージを持たせたが、その割りに力強く見開かれた眼は水町薫へ注がれた。

 こちらの能力はまだ不明。【共痛】の線が消えた今、【白銀世界】と【天災】の二つのみ。果たして水町薫は彼女の能力を知り得ているのか否か。


「ほう、君が自ら進んで戦おうとは……驚きだね」


「そうかしら、私は今までどういう人物に見られていたの?」


「主体性のない、空の人形だよ」


「――そうね。正しいわ」


 彼らの短いやり取りも終わり、化身の女は構えを取る水町薫へ微笑み掛けた。水町薫は一切の感情の変化を見せず、冷淡に告げる。


「ここで終わりだ」


 ――身騙り。

 その一言で水町薫の存在が希薄になった。翼も水町薫の姿を見失い、見つけようと周囲を探ると。


「壱幻刀」


 前に出てきた化身の女ではなく【血】の背後を取っていた彼が、両手に持った得物でフードに隠れた首を左右から斬り飛ばそうとしているところだった。

 そうか。彼の狙いは最初からこれで、化身の女などを狙う気などなかったのだ。一対一というルール上、“別の者を狙う”という認識が薄くなるのを狙っての行動である。

 ……なるほど。

 そもそも彼は、【血】を狩るために来たのだったな。


 正規の戦いでなければ。

 先手の不意打ちであれば、相性など然程意味を為さない。


「朧榮君らしい方法だ」


 改めてそう理解した翼は、いつでも能力が行使できるよう身構えた。

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