十三 人間回帰の愚策

 リーフェ・エリルガンドはかつて北条唯華の家で養って貰っていた人間である。

 唯華は所謂富豪の家系であり、家族ぐるみで付き合いの長かったエリルガンド家が外国で破産しそれぞれ散ったという話を聞き、そこの長男であるリーフェに関しては唯華の住まう屋敷に引き取られることになったそうだ。


 リーフェは唯華が小さい頃から仲が良かったらしく、成長した現在もそれは変わらない。

 住み家を手に入れる代わりに唯華の使用人として働くことになったリーフェだが、立場が変動しても仲が変わることはなかった。


 リーフェの年齢は今年で二十三歳にあたるが、十七歳である唯華は幼少期よりリーフェを慕い続けている。リーフェは使用人の休日には唯華と遊び、唯華も学生ではあったがクラスメイトよりも家に帰ってリーフェと過ごそうとする。そのような間柄であった。


 しかし、それらの日常はあっという間に壊された。


 事件はリーフェが北条家に住まうようになってから三年後のこと。

 化身が北条家に侵入し、家族使用人もろとも皆殺しにしてしまったのである。その日は休日で、リーフェと唯華は中庭で下らない話をしていた。そこに現れた、その元凶。

 死にもの狂いでリーフェは化身と戦い、当然の如く敗れた。唯華も化身にやられて重傷を負い、その他ボディーガード達も駆けつけたが呆気なく殺されてしまう。


 本来ならばそこでリーフェも唯華も死ぬはずであったが、そこに現れたのは化身を捕らえに現れた狂人であった。そいつは化身を回収してさっさと消え、残った後の始末を付けに研究員が崩壊した北条家にやってくる。そいつは瀕死の二人を見るなり「やれ」と言った。

 二人は何のことだかさっぱり分からなかったが、その時強制的に注射器を打ち込まれ――どうやらそれが狂人という存在になるもので。そうして二人は死の運命を回避したが、二人以外に生き残っている人物は既に一人も居なかった。

 加えて屋敷も半壊してしまい家族や住む場の全てを一瞬の内に失った二人は、研究員の言いなりになって生活補助を受けている。


 そんな二人は化身という存在が根本から嫌いであった。

 同時に、己にもたらされた同類の力にも同様な嫌悪を抱いていたそうだ。どうやらそう思っている狂人も他に沢山存在しているそうだが、一度狂人になってしまうと二度と普通の人間には戻ることができない、狂人という存在を捨てることができない――そう、諦めを付けていた頃だった。


 突如として現れた狂人のイレギュラー。

 村雲翼の登場だった。最初は気にも留めていなかったリーフェも、その村雲翼に関する情報が増えていく内にとある噂を耳にし、こうして決行に至ったのである。


 噂とは「村雲翼は通常の方法とは異なる方法で成った狂人であり、その彼女を殺して生き血を啜れば狂人の血と相殺して人間に戻れる」だとか、それだけでなく「村雲翼にお願いをすれば狂人の力を消してくれる」という眉唾ものの噂も出回ったりしていて、最終的に二人は『村雲翼を捕まえて研究すれば結果は出るはずだ』という結論に至り、先日翼を襲った。


 その結果は惨敗。二度目を決行する前に霞町の研究員の手に根回しされ、二人は一時的に霞町に拘束される羽目になった。そして戦闘行為を行おうとすれば必ず研究員が現れ、リーフェも唯華も手を引かざるを得なくなったという。


 このように翼と話す機会が手に入ったのは、その研究員が「会話をするだけなら問題はない」と判じたからだそうで。


 殺しもしなければ捕らえもしない、処罰は町に拘束させるだけとは随分と半端な対応であった。

 水町薫に護衛を頼む割には危機感がまるでないものだと思う反面、どうせそうしない理由が隔日にあるのだろう、と。翼はそう適当に考えを纏めておくことにした。

 そも、あのふざけた研究員なら何を言っても可笑しくはない。


 それに真実など、翼は特に知る必要はないのだ。例えこの場で翼が殺されそうになっても二人から逃げ切ることが可能な以上、そのような話の裏など翼には関係のない事柄であった。


「ふむ、それで僕を狙っていたのか……事情は掴めたし気にしてもいないよ。というか、研究員に手厚く保護されたり狂人の水町薫を護衛に付けているともなれば、変な噂が立っても仕方ない。ああ、噂の回答をしておこう。残念だが僕の生き血を啜ったところで狂人から人間に戻れるだなんて事実はないし、狂人の力を消す能力は持っていないよ。まあ前者については試したこともないから知らないのだけど。何なら僕の血を飲んでみるかい? その程度なら問題もないだろう」

「……いいや、飲まんでもいい」


 リーフェは静かに首を横に振った。本人に出会って、所詮噂は噂だったのだと理解したのだろうか。いや元々噂自体を信じていたのではなく、可能性に縋っただけ、ということか。


「そんでな。今、俺と唯華は牛嶋水子うしじまみずこという人の元に住んでいる。場所は隣町の雪浜町ゆきはまちょうだから帰ることはできないが……。勿論水子は事の顛末を知っていて、研究員を通して少しだけ会話もさせて貰った」

「それ、僕に話して何かが変わるのかい?」

「ああ。水子は水町薫の旧知らしくてな……俺がどうにかして水町薫に接触し、水子のことを話して謝罪し遺恨を失くしてからとっとと戻ってこい、と言っていた。だが俺から直接接触するにはあまりにも危険が高いから、言伝を頼みたいってわけだ。無理なら構わないが」


 雪浜町。確かに霞町の隣に位置する所だった覚えはあるが、翼は一度も行ったことがなかった。そのため距離感覚は掴めないが、本当に町から出られないようにされているらしい。あんな荒唐無稽な能力を持っておきながら――とは思うが、つまりはそういうことだ。


「僕から話を通してみよう。しかし、そうすれば研究員の拘束は解けるのかい?」

「知り合いだっていう事実さえ確認すればいいそうだ。つまりは形式的なもんらしい。向こうの方で真相は把握しているが、自分で証明しろってことだな。俺と唯華が水子の管轄下に置かれて『水町薫、村雲翼には手を出せない』ということを明かせばいいそうだ」


 面倒な話だ。分かっているのなら手っ取り早く終わらせてしまえばいいものを。


「なるほど。じゃあ二人共、今から時間は取れるかな」

「無論空いてるが……まさか、これから水町薫の元に連れて行ってくれると?」

「そのまさかだよ。一々段取りを組むのも面倒だろう」


 家に【雷神】と【蹂躙鬼】を連れて帰ったら彼はどのような反応をするだろうか。そんなことを考えつつ、翼はさっさと道を先導する。


「ん、どうしたんだい。付いておいで」


 後ろで絶句していた二人にそう伝え、翼は一旦止めた足を再び動かした。





「――あ?」


 家に帰るなり、水町薫は殺気を伴って部屋から飛び出してきた。が、少々込み入った事情がありそうなことに気付き、すぐに感情を抑える。


「村雲。危なくなったらすぐ逃げてこいと言ったはずだが……この状況はなんだ」

「話をしたんだ。まあ内容は後で話すから、ひとまず中に入れてくれないかな」


 彼は額に右手を当て、それから盛大に溜め息を吐いた。


「家に入れる必要はねぇ。話ならここでしろ」


 結局、翼が水町薫の後ろに立たされることとなり、リーフェと唯華は玄関扉の前で立っていることとなった。

 その状態で、翼は外に出てからの出来事を一通り説明した。苛々しつつもその話をしっかり聞いていた彼は、リーフェと唯華を睨んでこう告げる。


「牛嶋水子は知っているが、奴に手下がいたなんざ聞いたことがないな。ちょっと待ってろ」


 そう言い、携帯を取り出すなりどこかへ電話を掛け始めた。唐突な状況でも冷静に対処してしまうのは、水町薫のいいところである。

 十秒程度で通話が繋げたらしく、彼は通話の向こうの人物に第一声を放った。


「水子、水町薫だ。お前んとこの奴らが来てんだが……ああ。二人だ。で、どうしろってんだ。お前は知ってんだろ? ……了解した。危険はねぇんだな、分かればそれでいい。じゃあ切るぞ」


 たった一分ほどの短い通話の後、彼から通話を切断した。おおよそ何を話していたのかを掴んでいた翼は何も言わず、壁にもたれかかって水町薫に任せることにした。

 話は通した。ここからは自分が介入する場面ではない。


「やっぱり家入れ、お前らには書いて貰うことがある」


 なんだ、通すんじゃないか。

 聞くなりリビングへ向かい、先に席へと座っておくことにした。








「失礼する」


「失礼しますわ」


 居心地悪そうに二人が入ってくると、水町薫は戸棚を漁ってメモ用紙を取り出した。


「色々言いたいことはある。だが、それはいい」


 乱暴な仕草でメモとペンを机に置き、依然不機嫌さを隠しもせずにリーフェと唯華に告げた。


「これに直筆で名前と血判を押してくれ。あと村雲翼を狙わない旨を記して研究員に提出すりゃそれで終わりだ。俺と水子の名があればどうにでもなる、良かったな」


 言い方も刺々しいが、二人は何も言わずにメモへ記していく。完成したものを水町薫が確かめ、彼の名前と血判を持って終了した。

 翼はふとそんな証明書に意味はあるのかとも思ったが、所詮は形式上の書類ということなのだろう。


「万が一これを破るようであれば、真っ先にお前らを地獄に送る。その場合今度こそ誰も助けてはくれんから、気を付けることだな」


 彼はメモを回収し、二つ折りにして懐に入れる。

 今の紙にどれだけの重みがあるのかは翼の知るところではないが、終わったみたいだ。


「そんで、だ。水子の方に依頼があった。奴がどうしてもお前らを連れ戻したかったのには、そういう理由がある」


「依頼、だと?」


「雪浜町の三番街、通りにあるビジネスホテルに化身が六名ほど泊まっていることが判明した。チェックアウト予定は明日の午前九時だが、お前らが戻らなかった場合は水子一人で戦うことになっていたな」


 その内能力持ちが四人。そうでないのが二人。いずれも“同一の目的”の動きが見られ、早急に叩き潰して欲しいとのことだ。

 現在時刻は午後八時。明日九時までは半日程度しか残されていない。


「今研究員に簡易メールで連絡を送った。後五分で奴が迎えにくるから、“俺達”は迎えに遣された車に乗って現地へ向かう」


「その口調。まるで貴方も私達に同行すると言っているみたいですわね」


「察しがいいな、北条唯華。そうだ、俺も村雲もこれから雪浜町へ出る。村雲、いいな」


 有無を言わさぬその目つき。どうせ断るつもりもないのだけど。


「いいよ。んで朧榮君、もしかしてその六名の中に【血】が混じっていたりするのかい」


 基本的に他の町の化身は狩らない。なのだが、わざわざ隣町にまで出て狩りをするとなれば――それしかない。


「その通りだ。今度は逃がさないし、確実に捕らえる」


 予想通りだった。


 真っ白のショートコートを羽織り、短刀を四本懐に隠して彼の準備は完了する。しかしながら、まだリーフェと唯華はいまいち話が掴めていないようだ。

 残念だが、これが彼の常だ。振り回されるのに慣れていなければ、一緒に居るだけで疲れるだろう。

 用件が何かも伝えられずに行き先だけ伝えられることだってあるのだ。それに比べれば、今回はそこそこ丁寧な説明をしてくれたと言える。


「お二人さん。つまり、彼が以前に逃がした化身の一人が雪浜まで逃げていたんだよ。その逃がした失態を挽回するため、わざわざ隣町まで出張というわけさ」


 今回も翼に手荷物はない。濃いブルーのハーフコート(いつの間にか色々と衣類が増えていた)だけを自室から引っ張り出して羽織り、ある程度の防寒対策をして終わりだ。基本的に武器は素手、今回はそもそも戦わせて貰えるかも分からない。

 後で聞いてみよう。能力無しの化身相手なら許可が降りるかもしれない。


 手早く準備を済ませ、半分置いていかれている二人を連れだって表へ出た。すると、六人乗りのボックスカーの運転席から見慣れた研究員の姿がちら、と見えた。


「よぉ。水町薫、それじゃ書いた紙寄越せ」


「ほらよ」


「あー確認確認、んじゃ乗れ。水町薫、村雲翼、それから雪浜町所属の二人」


 ほんの一瞬だけ目を通して紙を折り畳んでしまった研究員。

 本当に確認したかどうかさえ不明なまま、水町薫は助手席に乗車する。流れるままに翼が後部座席に乗り、リーフェと唯華も乗り込んだ。


「話は大体掴んでるぜ。今回は外出許可が降りたから、研究員の俺は水町薫と村雲翼を纏めるリーダーとして動く。そこの二人は現地に着いたら牛嶋水子の下につき、指示を貰え。それまでは和解の続きなり何なり自由にしろ」


 車のエンジン音が鳴り、ほどなくして五人を乗せたボックスカーが動き出す。


「なんだぁ、こりゃ」


「拍子抜けですわね……」


 もっと大きな動きがあるのかと緊張していたのだろう。大して気にも止められていなかった様子のリーフェと唯華は、されるがまま座席に腰を落としていた。


「【血】ね……思わぬとこから情報を掴んだものだ」


 しかし右端の翼はと言えば、何食わぬ顔をして車の振動に揺られていた。

 そういえば水町薫は夢との会話をどうしたのだろうか、と頭の隅で考えながら。

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