二章 謬りの交響曲

十一 変遷する目下

 研究員の言う通り、長らく休校の処置を続けていた学校がようやく始まることになった。

 どうやら一週間後の月曜日から再開だそうだが、今更研究員に何かを言われた所で驚かされる翼ではなかった。


 恐らくは【血】の消失と殺人鬼の回収を上手く使って、霞町の一時的な平和を強引に作り出したのだろう。

 そんなことよりも、だ。


「これは、流石に多すぎないか」


「ああ、多いな」


 リビングのテーブルにどさりと積まれた二人分の課題が、こちらを覗いて嘲笑っている。厚さにして五十センチはありそうだが……こんなものが配達のミスで昨夜一気に送られてきたともなれば、意気消沈するのは当然だった。


「家への配達物は一度研究員を通されるからな、遅くなるのは当然としても。この量はなんだ、潰れた授業分の補填にしちゃいい加減じゃねえのか」


 憤懣やる方なしといった彼を他所に、翼はさっさとペンを取り出して課題の消化に勤しむ。

 国語、現代社会、地理、生物、物理、数Ⅱ、果ては家庭科や美術、保健体育などなど。内包された課題は圧巻だ。勉強の得意な翼も流石に骨が折れるため、この一週間で終わらせるためにも水町薫の愚痴に付き合っている暇などはどこにもなかった。


 しかしながらやらないという選択肢はない。一ヶ月以上も空いた授業の補填がこの積み重なる課題だとすれば、これをやらなければ秋学期分の単位を全て落とすことになりかねないのだ。

 暇ではあるので別段苦ではないが、いくら翼と言えども疲労はする。ならばこそ計画的に終わらせようと――。


 ブルル、と。テーブルに置きっぱなしだった水町薫の携帯が振動した。タッチパネルの画面が立ち上がり、受信内容がポップされる。


 翼と水町薫の二人は同時に携帯へ視線を飛ばす。


 送信者は考えるまでもなく、如月麻衣だった。

 そう。彼女は連絡先を教えて以降、こうして度々メールを送り付けてくるのだった。

 しかして今回の内容はといえば。


「勉強会を開きたい、だと……?」


 要約するとこう。

 麻衣が課題をほったらかしにしていると、母親に酷く叱られた。でも自分一人じゃ絶対に終わらない。だから、朧榮雄海に呼び掛けをして勉強会を開こう。

 追伸、翼が居ると捗るかも。


 あからさまなものだった。


「僕に手伝って貰おうという魂胆が見え透いているな」


 すぐに思考を切り替え、課題に取り掛かる。


「まあ、来るなら来るで僕は構わないけれど」


 因みに麻衣には「水町薫の代わりに朧榮雄海が学校に行かなければならない」と言い含めてある。

 何でも、水町薫が空けた穴は世間に露見しないよう朧榮雄海が埋めなければならないだとか、そのような感じの穴だらけな説明だったのだが。


 しかし麻衣は「大変なんですね!」と心配していたので然程問題もないのだろう。

 つまるところ、彼女の認識では“学校へ登校するのは犯罪者の水町薫ではなく、それを追う朧榮雄海”なのだ。


 多少の無理は実績と行動でカバー、というやつであろう。夢に関しては不審げに聞いていたので、完全に信じているかどうかは少々疑わしげではあるものの……。


「ふざけんな、面倒くせぇ」


「返信するだけだろう? 邪魔になるわけでもなし、僕も朧榮君の家へ来ると伝えるだけじゃないか。信頼を築くいい機会だと思うが」


「……馬鹿言え、呼ばれてんのは俺達だ」


 ん? と課題から目を離した翼に携帯の画面が突き出される。


「ふむ、歳上の朧榮さんと頭の良い翼が来てくれたら即戦力です……朧榮さんの課題手伝いますから……。どの口が言う」


 はっきり言って麻衣の頭は良くない。馬鹿だと断言するつもりもないが、間違っても他人の課題に手を出す余裕を持った人間でないのは明白だ。


 確かに、もしも本当に朧榮雄海という人物が実在するのならば、本来やらなくてもいい課題をさせられているわけで――今回の提案は非常に助かるだろうが。


「で、どうするんだい。僕は君に決定権を委ねるよ」


「行かん」


「そうかい」


 それきり会話は無くなり、翼も水町薫も各々の課題に取り掛かった。時々来るメールが彼の気を紛らすが、翼は無関係とでも言わんばかりにペンを走らす。


「……おい、冗談だろ」


 そんなこんなで十数分。

 唐突に溜め息を漏らした彼は、画面の内容を翼に見せてきた。


「溜め息ばかり吐くと手に入るかもしれない幸せも逃してしまうよ……で」


『朧榮さん、お疲れなんですね! じゃあ私がそっち行きます!』


 ……君はどういう断り方をしたんだ。


 翼も溜め息を吐く。


 結局、麻衣が水町薫の家へ来ることになった。







「おじゃましまーす!」


 彼女が来たのは一時間ほど経ってからだった。パンパンにしたリュックを重そうに抱えながら麻衣が入ってくる。そのリュックの中身は課題か、と考えていると、後から続いて夢も入ってきた。


「お邪魔します」


 連絡には夢が来るとは書いていなかったが、どうやら勝手に呼んだらしい。水町薫は最早何のコメントもせずに「鍵は掛けてくれ」と呟き玄関からこちらへ向かう。

 翼が居ることは既に伝え済みなので、まず二人が驚くことはない。客用の椅子を二つ取り出し、そこそこ広いテーブルに四人で座る。

 四人の目の前にどさりと置かれる課題の量はある意味凄まじいものだ。やるのも骨が折れるが、これらを確認する教師もさぞ億劫なのだろう。

 やってこない生徒が一人でもいれば、負担が減って内心喜びそうなものだ。


「あ、翼も終わってないんだね」


「終わってないよ。今日始めたからね」


 遠回しに他人の課題を手伝う暇がないことを教え、ペンを走らせる。夢や水町薫は至って静かだ。一言も喋らず、黙々と作業を続けている。


 ほぼ勉強会の意味がない中、だからなのか麻衣が時々翼に話し掛けてくる。そのほとんどが中身のない雑談に近いが、翼の作業に支障はないので適当に返しながらやっていた。


「疲れた……」


 そんな麻衣が弱音を吐いたのが夕方に差し掛かった辺りのこと。まだ勉強会を始めてから三時間ほどしか経過していない、四時半過ぎのことだ。


「なんで皆そんなに喋らないの? ねえ話そうよー」


「あんたは何のために私を呼んだのよ。言い出しっぺが一番手進んでないじゃない」


 即座に返した夢は、ぎり、と麻衣を半目で睨む。


「だ、だって……」


「だってじゃない。どうせ私や村雲さんに教えて貰おうって魂胆だったんでしょ? 甘い、甘過ぎるわ。というかこの前見せないって言わなかった?」


「えー……いじわる」


「いじわるじゃないわよ。ともかく自分で頑張りなさい。私だってそこそこ切羽詰まってるんだから」


 そうぼやく夢の課題は他の三人と比べても一番進んでいる方だ。彼女は半分ほど課題を終わらせているため、完了済みの課題が半分横に重ねられている。進み具合に順位を付けるなら夢が一番、翼が二番、水町薫が三番、麻衣が四番だろうか。


 水町薫も中々に苦戦しているようだが、大分前から届けられていたであろう麻衣が一番遅れているのは如何なものか。


「先に釘を刺しておくが、僕も終わらせた課題の中身を見せるつもりはないよ」


「……ええーっ?」


「この前教えたのはどうしようもなさそうだったからだよ。それに課題というのは自分でやって成長するためにあるのだし、他人のを見てやって来たところで後の授業でついていけなくなる。段階を踏めば麻衣もできるはずだから、頑張って」


「村雲さんの言う通り。さあやったやった!」


「はい……」


 縮こまった麻衣は口を尖らせて渋々ペンを持ち直す。彼女の周りには甘やかすだけの人間が居なくて結構なことだ。母親にどやされただけでは反抗したくなるだけだが、それを常に一緒にいる夢に言われれば麻衣にも多少は効くであろう。


「まぁ、疲れたのだけは同意するがな」


 自分で自分の肩を揉みほぐしながら、水町薫が久し振りに呟く。彼も少しばかり手こずっているらしく、当初からの進みは悪い。思うように作業が進まないと余計に疲れたように感じるのは翼も同じなので、その気持ちには大いに理解ができた。


「今日は解散にしよう、まだ来週まで時間はあるんだ。こういう場が欲しいなら家はいつでも空けておくから、好きな時に連絡をくれ」


「そ、そうですねー今日はもういいかな……あ、朧榮さん! 終わってない課題置いてっていいですか?」


「……あ? まあ、別に構わないが」


 麻衣は自宅で勉強をする気がないようだ。いそいそとリュックに終わった分の課題だけを詰め、背負う。


「夢、翼、帰ろー!」


「あんたは課題から解放された瞬間から元気ね」


「えへへー」


「笑うところではないわ」


 一度自分も来た体だったということをすっかり忘れていた翼は、課題も持たずに席を立つ。翼も彼の家に置いて行くということでいいだろう。部屋に鞄を取りに戻るのも不審だ。


「あ、ごめん。もう少しだけ区切りのいいとこまで終わらせておきたいから二人は先帰っててくれるかしら」


 このまま解散か、と思いきや。

 この中で未だ一人だけ課題に取り組んでいた夢が手を合わせて言った。


 一人だけ、しかも関わりの薄い男の部屋に残ろうとは――いいや。


「え、待つよ」


「いいって。三十分は掛かると思うから。また明日ね」


 夢は、恐らくこの前のことを訊くつもりだ。彼女は麻衣と違ってをそこまで信じちゃいないだろうし、何より決意の固まった目がそうだ。悟られないようにしているが、これに気付いていないのは麻衣だけに違いない。


「そうだね。じゃあ僕は先に帰らせてもらうよ」


 だから、翼は敢えて二人を残すことにした。


 麻衣と違って夢には何かがある。だが二人で腹を割って話せば、多少は打ち解けられるかもしれない。少なくとも夢には麻衣にした嘘は通用していないのだから。


 最初からこれを訊くのが目的で来ていたのなら、翼としてはどうするつもりもない。夢はあまり感情的にはならなそうだし、彼が上手く言い包めるだろう。


「え、うん、じゃあ……先帰るね」


 翼が玄関へ移動すれば、麻衣は後ろからぴょこぴょこと付いてくる。後ろを向いたまま軽く手を振り、この場は水町薫に任せることにした。




 ◇




 残された部屋。麻衣と翼が外へ出ると、夢はそれまで動かしていたペンをぴたりと止めた。待ってましたと言わんばかりの彼女の仕草に、水町薫はさしたる反応も見せない。


「単刀直入に言うわ」


「ああ、早く言え」


「……やっぱり気付いていた、か。よく私をここに残したわね。それは、どんな失態を犯したところでいつでも記憶を消せるから?」


 皮肉った台詞だが、彼は意にも返さない。代わり、気だるそうな溜め息が部屋に放たれる。


「いいや。消せるなら、お前の記憶などとっくの昔に消しているさ。安心しろ、俺はお前達に危害を加えるつもりはない」


「……信用ならないわ」


「で、用件はなんだ? お前は何のためここに残った。お前の口から聞いてやるから、俺の気が変わらん内にさっさと言え」


 四人で居た時と、現在の彼の放つ気配は変貌していた。を演じていた彼はどこにも居ず、見る者に怖気を走らせる眼光を湛えて夢を見据える。


 それが夢の全身に、ぞくりと寒気を与えた。


「あんたは……水町薫、でしょ」


 それでも絞り出した言葉はやや掠れ気味に、しかし水町薫は確かな面持ちで頷いた。


「そうだ。朧榮雄海など、この世に存在しない」


「……じゃあ、どうして村雲さんが、ここに? あんたはあの時、彼女を――」


 頭を混乱させた夢は不可解な表情になる。無理もない。

 一般人の常識も考えも、狂人や化身のそれとは大きく異なるのだから、理解できようはずもない。


 無論、水町薫は翼の考えなど分かっていない。ただ“敵”ではなくなった、という事実だけがそこにある。


「近魅夢、だったな」


 水町薫は自らの失態に心の奥で悪態を吐き、顔には出さずに対面する彼女の名を告げる。


 事の始まりは、翼に追い掛け回されてからだ。話し合いで分かち合えるような存在でないのは語らずとも伝わってくるような、人外の者。


 それをこの手で始末してしまった、その日。水町薫は確かに周りが見えていなかった。立て続けに発生した化身との戦い。それも直前に【血】を逃がしてしまったことで、少しばかり冷静さを掻いていたのかもしれない。

 結果、居合わせた麻衣と夢の二人に現場を強く認識されてしまう過ちを犯した。

 そんなものを、たかだか記憶改竄の一つで完璧に抑え込めるわけもなく。


 術を破られ、こうして二人をここまで連れてきてしまった。


「真実を、知りたいか?」


 あまりにも深く入り込まれてしまえば水町薫に対処する術はない。研究員はこの二人には無関心だし、であるのならばどうするのが最善か。

 話し相手として中々に厄介だった麻衣は既に帰った。残るのは翼と水町薫のことを知りたくてたまらない、夢ただ一人のみ。


 下手に秘密にして、勝手に探られるのも困りものだ。ならば先に軽い情報を教え、誰にも伝えないよう口封じをするのが一番。必要とあらば、麻衣のように連絡先を教えてしまうのも結構だ。


「……ええ。信じられる説明かは別にしても、聞いておきたいわ」


 夢は少し考えた風にしてから、頭を縦に振る。


 聞く準備が出来た。


 そう捉えた水町薫はまず話す内容を定める。どこまで伝えてよいのか、どこからが駄目か。

 それらをざっくりと決めてから口を開いた。


「――と、いうわけだが」


 話したのは自身が普通の人間ではない、ということ。今回はしっかりとした実践――能力の使用を交えての説明だったため、彼女は信じられない事象を見るような目で見つめてきたが、からかっているわけでないのは承知してくれた。


 次に話したのは、何らかの理由から翼に追い掛け回されていたことと、それに気付いて彼女を始末してしまったことだ。

 無論そのまま伝えて理解ができるものでもないため、生存していた翼と和解したと言っておいた。

 一応、嘘ではない。


 麻衣に吐いた嘘の弁解は「本当のことを説明しても話を聞いてくれないだろうから」で理解を示してくれた。


「思った通りだわ」


 夢は話を聞き終えると、納得した様子で一人頷く。そうしてから手に自分の携帯を持ち、起動した。


「……なんだと? 予想は付いてた、とでも言いたいのか」


「違う。あんたの言いたいことは、最初から知ってたのよ」


「知っていた、だと」


 携帯を弄り始めた彼女を数秒睨み、言葉の意味を模索する。

 だが答えに辿り着く前に、向こうから返ってきた。


「これよ」


 夢は右手を差し出す。手には先程触っていた携帯があり、画面内にびっしりと文字が入っている。


 これを読めということか、と覗いた瞬間――中に書かれてあった二つの単語に、水町薫は驚愕した。


「文面だけじゃ、どうしても信じられなかったんだけどね。アンタの話と照らし合わせてやっと理解ができた」


「お前、どこで、その情報を」


『狂人』に『化身』。通常のルートではどう調べようが絶対に出てこないその情報。


「さあね。さて、あんたが狂人だということ。村雲さんがあんたのせいで半狂人と化したこと。私達を襲ったあいつは、化身だということ。それだけ分かれば充分よ」


 ――近魅夢は、只者ではない。


「……あんたが私の考えていたような悪い奴じゃない、ってのは確認したわ。ねぇ、この町で一体何が起こっているの?」


 ごくり、と息を飲む。

 そして既に全てが手遅れだったのだと、水町薫は悟る。


「――おい、そいつは誰から聞いた? 言え」


 威嚇と共に殺気を放ち、強烈な眼光を夢に叩き付ける。


 この日、水町薫は彼女への認識を改めたのだった。

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