九 人間遊戯 後編

 霞町の夜は綺麗だ。電灯や住宅の明かりはぽつりぽつりと点いているものの、空は星々が輝いている。満天ではないにしろ、ただの通り道で見られる景色にしては充分に良い評価が付けられるだろう。


「さっきの連中は来ていないみたいだね」


「ああ、研究員が何とかやってんだろうな。今頃は【雷神】も【蹂躙姫】も、少なくともこの町では大手を振って歩けんだろうよ」


 水町薫以外の狂人特有の気配が辺りにはなく、静かなもので。


 夜に自宅へ帰ることはあっても夜から外出することなど滅多にない翼からすると、中々に貴重な体験である。

 これからはそうでもなくなりそうだが……。


「村雲。念の為に言っておくが、手を出すなよ」


「それは手を出して欲しい前振りか何かかい?」


「お前は大切な研究対象だ。要らない怪我でもされると困るのは俺だ。止めてくれ」


「そうだね。朧榮君に迷惑が掛かるのであれば大人しく見守っていてあげるよ」


 どうにも調子が狂わされるのか、彼は溜め息を吐いて一歩先を歩いていく。

 保護観察対象に見守られるのはどういう気分なのだろう。いやそれとも戦っている間に逃げられまいか心配なのだろうか。


 逃げるつもりは毛頭ないので安心して欲しいものだが。


「さて、そろそろだね」


 こうして並んで歩けば目的地への到着も早い。既に路地に入り、目の前に廃工場が見えていた。


 ――その辺りで、翼も水町薫も異変に気付いた。彼は眉をしかめ、翼は血臭に首を傾げる。


「車が停まっているね。誰かが来たのかな」


「んな夜に誰が廃工場に踏み入るって言うんだ」


「さあね。僕みたいな物好きが世の中に一人はいるものだよ」


「……あながち間違っちゃいないかもしれん」


 さぞ億劫そうに先行し、彼は車のノブに手を触れる。こんな場所でも鍵は掛けているらしく、ドアは開かない。


「村雲、血臭はするか?」


「さっきからしているよ」


「だがどこにも血痕が見えない。ってことは……そうか」


 一人勝手に納得した彼は工場内部へ入ろうと正面扉へ足を運ぶ。


「何か分かったのかい?」


「分かったというか、まあな。これから戦う化身には二つ名が付けられているんだが、その名称が【血】だ。その文字通りに血液を手足のように扱う奴でな、ここに来た奴らも被害に遭っているんだろう。奴は奥で待っている、この血臭はわざと残してあるんだよ」


「ふむ……なるほど。ではその【血】とやらは君に相当な恨みがあるのか、戦いたがっているのか」


「そうだな。ま、罠だろうが俺には関係ない。正面から叩き潰すだけだ」


 どこから持ち出したのか、彼は廃工場のパスが入力されたカードを懐から取り出した。以前翼が侵入に苦戦したのはなんだったのか、手早く扉のロックを解除する。

 横に開かれた扉の奥は、いかにも不良が溜まっていそうな錆びれた空間だった。奥へ進むごとに血生臭さが増えていき、彼は顔をしかめつつも内部を捜索するので、翼も付いていく。


 結局のところ翼は一度も入ったことがないので構造がどうなっているのかは分からないが、水町薫曰くだだっ広い空間があるらしくそこを根城としているのだという。

 被害者たちもそこに居る可能性が極めて高く、また生きている可能性も高いそうだ。


「殺人鬼は殺して被害者は生かすというのかい」


「俺へ見せてやりたいんだろ。化身の考えていることは知らん」


 言いながらも、何も臆することなくずんずん進む。被害者を助けようという気は彼にはないようだ。ということは、化身は楽しいからという理由だけでやっているのだろう。


 二階三階へ上がり、彼はそこで一旦立ち止まった。そこでこちらに首を向け、一言発する。


「この先だ」


「ああ、なんとなく分かってはいたよ」


 まだ化身と相対したことのない翼も化身の気配を嗅ぎ取ることはできる。狂人の気配が彼のような理知的な鬼気だとすれば、化身のそれは本能的な危機感だ。粘っこい怖気がそれほど遠くない位置で発されていて、それが化身ならば確かにこの先に居る。


「厄介そうな雰囲気だね」


「先に言っとく。二つ名付きの化身は馬鹿にならねぇくらい強い」


 とんでもないことを平然と口にして、彼は入り口を開いた。


「ん……?」


 そこは言ったとおりのだだっ広いだけの空間。機材は乱雑に端へと寄せられ、無理矢理広間が作り出されている。

 そこでまず視界に入るのが、人相の悪い男の生首。宙吊りにされた生首の顔は恐怖に歪んでいて、首から下はと言えばバラバラに切断されたものが座り込む少年の下に落ちている。


 翼が思わず声に出したのは、その強烈な臭いからでも凄惨な状況でもなく、少年に見覚えがあったからだった。


「やあ、早かったね」


 目深に被ったフードの少年。彼はびくびくと身体を震わせる女の子を抱え、殺人鬼の手足を適当に縫い合わせながら水町薫を見据えている。

 ひと目で分かる。ああ、こいつが化身なのだと。

 そしてその姿を以前に一度見ている、ということは。


「あれが逃げた化身というやつかい? 朧榮君。実はあれとは一度会っているんだが、盲点だったよ」


「一度会っただと? よく、生きていられたな」


 あの時はきっと、水町薫から逃げていたからこそ無事で済んだに違いない。流石に翼とて、バラバラ死体にされて縫い直されて人生を終えるのはお断りだ。


「やあ、君も久しいね。会えて嬉しいよ」


 繋いでいた殺人鬼の手と足を放り投げ、化身の少年はゆらりと立ち上がる。その拍子に抱き抱えていた女の子が落ち、血まみれの床に転がった。


「それで、あの被害者達なんだけど」


 翼は転がっている女の子を指差し、それから少年の後ろの壁に磔にされた二名を差す。


「一人は知らない女の人だけど、あと二人――磔の片方と転がってる女の子、あれクラスメイトじゃないかな」


 転がってるのは、翼が勉強を教えていた如月麻衣という子。もう片方の磔にされている彼女は、確か近魅夢。どちらも記憶に新しい学校の同級生だ。

 もう一人は、車を動かしていた人だろう。面識はないが、彼女達の知り合いか保護者か何かと見て相違ないか。

 全員生きている、これは彼の予想通りだった。


「そうみたいだな……ったく」


 言われる前から気付いていた様子で、彼は気だるそうに短刀を構えた。


「すまん、事情が変わった。村雲、俺が戦ってる間にあいつらを助けておいてくれないか」


「ふむ……じゃあ、そうしよう」


 一応、一度は関わったよしみでもある。特に何の感慨も抱いてはいないが、救助するのも吝かではない。


 さてと呟き、翼は能力を使用する準備に入る。


「無視とは酷いな、少しは僕の言葉に耳を傾けて欲しいね」


「今度は逃がさんぞ――化身」


 宣言し、彼は化身へ斬り掛かる。


 面白そうな展開になってきたじゃないか。くつくつと笑って、上着を脱ぎ捨てた翼も動き出した。








「ふむ……」


 水町薫とフードの化身が戦い始めた頃。


 眼前に現れ、翼を阻害するよう立ちはだかる新手の化身を舐めるように観察し、翼は口元を歪めた。


 助けようと動く寸前に天井から現れた一体の化身。

 どうも今現在水町薫と激しい戦闘を行っている化身の合図で降りてきたらしく、そいつは獣のように喉を唸らせてこちらを睨み、前傾姿勢を取って今にも襲い掛からんとしている。


 今彼は戦っていて、翼に指示も出せない状況ではあるが。

 この場で翼がこの化身と対峙しても、仕方ないと言えよう。


 この個体は知能が低いタイプか。つまり話が通じない――ならやることは一つ。


「これで堂々と戦えるわけだ。その点ではあの化身に感謝しておこう」


 馬鹿正直に飛び込んできた化身へ拳を向け、翼もまずはと真正面から相手をした。


「――ふっ!」


 化身の動きは俊敏そのもので、力強く踏み蹴った床が軋んでいる。そこから繰り出される拳はどれ程のものなのか。化身の動きを見て動いた翼は、殴ろうと腕を振り上げた動作に合わせて自分も拳を突き出した。


 ガチり、と拳同士が衝突して強く弾けた。が、それだけで終わるはずもなく、両者の腕の骨が同時に破砕する。肘関節も弾け飛び、流石の痛みに翼は眉間を歪ませた。一方化身は破壊された腕など気にせず引き戻し、もう片方の拳を打つ。

 辛うじて守った翼だったが、守りに使用した腕の骨にヒビが入り慌てて攻撃を受け流した。


「なるほど、単純な力で化身に敵わない……」


 ついでに肉体の再生能力も高い。自身の怪我の修復と相手の修復を見比べ、情報通りだと舌打ちする。

 単純火力では勝てず、相手は機械の如く本能に忠実。

 実に厄介で恐ろしい相手だ。


 獣のように雄叫びを発した化身は、そのまま完治してもいない腕を振り回して突進してくる。


「だが、知能が備わっていなければ宝の持ち腐れだ」


 まだ全然と言っていいほどに傷は治っていないため、時間稼ぎのため化身の真後ろへと瞬間移動を行使した。

 何の予備動作もなく消えた翼に立ち止まった化身、その首裏にかかと落としを食らわせ、前のめりになった隙に脇腹へ回し蹴りを直撃させて吹っ飛ばす。頑強さも化身の方が上らしく奪ったのは肋骨の一本だけだった。


「これだけの傷に必要な回復時間は二分と少し、ってところ」


 特に酷くやられた左腕はまだ完治していないが、動きに支障がないので十分だろう。


 すぐに起き上がった化身は叫びと共にこちらへ突貫を始める。ただ猪のように突進するだけの戦法しか持ち合わせていないのかと回避に移るが、今度は化身の動きが大きく変わった。


 跳躍だ。ステップで後方に下がった翼を目で確認してから、化身は飛んだのだ。こちらの足が床に付くか付かないかのタイミングで一気に距離を詰め、両サイドに大きく開いた腕が翼を捉えようと襲い来る。

 その攻撃は治ったばかりの両腕で守る他なく、斜め下方向に発生する衝撃に耐えられなかった腕があらぬ方向にひしゃげた。


「ぐっ……」


 苦し紛れの反撃でがら空きとなった化身の顎を蹴り砕いて後方に退かせるが、被害としてはこちらの方がでかい。


 学習か、それとも本能が魅せる戦いのセンスか。

 ともかく実験は終わりだ、そろそろ畳みかけの時間と行こうじゃないか。


「この状況下、瞬間移動が可能なのは視界の全てだ。またその際、僕の気配は――」


 完全に断たれる。

 つまり、瞬間移動の後コンマ数秒は化身は翼の姿を完全に見失うのだ。これは一、二回も検証すれば十分、後は使い慣れてから実用性を強めればいい。


 再生中の腕も気にすることはなく、翼は懐から一振りの短刀を引き抜く。勿論水町薫の武器を勝手に持ち出したもので、凶器としての殺傷力は十分。化身をてっとり早く仕留めたいのなら、能力との相性は抜群だ。


「さようなら」


 再び化身の背後に移動する。一瞬だけ手中に収まる無防備な時間。ざくり、と肉と骨を断つ音がして、化身の首と胴体が離れた。糸の切れた人形のように落ちた胴体はぴくりとも動かなくなり、転がる頭部はこちらを睨んで口を上下に動かしている。


 首を斬り落としても平気で生きているとはゴキブリ並みの生命力だが、一先ず頭を潰してしまおう。

 抵抗もできない化身の頭部を踏み潰し、腕が治る感触を確かめつつ、水町薫と化身の戦闘を眺めると……彼らはまだ戦っていた。


 様々な技術と手管を使って化身へ攻撃を仕掛ける彼に、無数の赤い触手を動かして防衛する化身。まだまだ続きそうだが、手を出せば邪魔になりそうだ。大人しく全員を助けて、もしも彼が危険に陥るようなことになれば助けに入ろう。


 そう決めて、ブーツに付着した血を払う。まずは麻衣から救出しようと能力を行使した。


「大丈夫かい」


 痙攣する彼女へ声を掛けるが、虚ろな視線がこちらを一瞥したのみで大した反応も得られない。よっぽど手酷くやられたらしく、かなり精神がやられている様子だった。


 ただこれといった外傷は見られず、血液は付着しているものの本人から流れ出た血ではないようだ。状況から察するに、解体されていた殺人鬼の血液でも掛かっていたのだろう。解体作業を間近で見せられて血臭を嗅がされれば、普通の人間ならこうなっても仕方ないか。

 優しく抱き抱えてやると、弱々しい力で締め返された。


「たす……け……て……夢、が、おかあさん、が……まだ」


 震えた唇、そこから絞り出された言葉が小さくも翼の耳に届く。言ったきり、彼女は完全に力を失ってしまった。


「助けて、か」


 この状況下で他人を思いやることができるのなら、この子は大丈夫だ。


 後、磔にされた片方の女性が麻衣の母親だということが判明した。

 となると遊び半分でこの場に来たという線は薄くなってくる。母親までもが同行しているということは、それなりに大事に顔を突っ込む気でいたんだろうか。


 ……ふむ。治安が壊れた現在の町でこのような工場に顔を出そうとするなど、普通は親が許すはずがないからな。

 ましてや車まで使って来ている、と。


 何をしにここまで足を運んだのか、気になるところではあるが。


「助けてあげるよ」


 誰かのために動きたいと思ったのは、いつぶりか。翼は久方ぶりに得た感情を行動にするため、担いだ麻衣を安全そうな通路まで運んで寝かせてやる。

 再度能力を行使し、磔にされた二人の元へ向かった。










 水町薫は【血】の化身との戦いを続けながら、考えていた。


 この化身は他の名付きとも隔絶した力を持っているのは確実だ。こんなものに比べれば、今まで戦っていた化身など玩具で遊んでいただけに過ぎない。

 あの忌々しい研究員はそれほど危険視していなかったようだが、いざ手合わせしてみればどれほど禍々しい相手かは身に染みていた。


「君で初めてだよ、僕の凶刃に対抗できた人物は」


 フードで隠れた目が僅かに見え、狂気に塗れた笑顔が侵入する。左右から六本の触手を切り刻み、水町薫は狂わされた調子を元に戻した。


「身騙り、壱幻刀」


 幾重にもぶれる身体が一斉に水町薫を成し、【血】から伸びる触手の全てを両断した。それでも余裕を湛えて嗤い、水町薫へ一歩踏み出す。


「お前を殺すのはいつでも可能だけど。でも、今死なれると困るから殺さないだけだよ。今宵の宴、もう少し楽しんでいこうじゃないか」


 右手に血液から生成された赤い短刀を構え、化身はその短刀を投擲してきた。よく見ればその形は水町薫の持つ得物と同一の造形をしていて、こちらをからかっているのだということが容易く理解できる。


「お前の血も頂いておきたい。少しくれないかな」


「断る。ここらで死んでおけ」


 偽者の短刀を弾いて舌打ち一つ。翼が磔にされた二人を回収する姿を横目で確認して、その手に日本刀を出現させた。新たな得物を中段に構えて距離を視認、いつまでもへらへら笑う化身へ刃を向ける。


「おや、彼女が皆を助けてそろそろ本領かな? 待ってたよ、うん。退屈だったよ、うん。さ、掛かっておいで」


「――ふざけやがって」


 血液の球体を無数に浮かべる化身を前に、水町薫は歯噛みした。【血】がどういう能力なのかを把握して初めて分かる力量差だ。

 実力という点では負けていないが、相性が悪すぎる。間違いなく自分で勝てる相手ではなく、悔しいながらも研究員が到着するのを待つしかなかった。









 彼が押されている。


 戦闘を見物していて、自然とそういう感想が生まれた。

 だが戦うなとは言われているためまだ参戦するつもりはなく、麻衣の母親と頭部に裂傷を負った夢を麻衣の傍に寝かせ、いつ割って入ろうかと思考していた。


「にしても分が悪い」


 言うなれば水町薫のそれは、相手の認識に忍び込むような能力だ。しかし相手方の化身は数もリーチも長大な触手を操り、水町薫の動きを阻害し続けている。

 水町薫もあれで奇妙な技を使うが、実体は剣一本のみだ。それなのに相手は無限の得物とリーチを持っている。

 この場合は【雷神】のリーフェ・エリルガンドの方が有利に戦えそうだ。


「……おや」


 翼が出られそうなタイミングはしばらくしてから訪れた。即ちそれは、水町薫が一本の触手に捕らえられたことを指す。彼の右腕を触手が貫いた、その瞬間だ。


「こんにちは」


 化身の真後ろへ回り込んだ翼は、まだこちらのことを感知すらしていない化身の頭部を切り飛ばそうと――。


「ああ、どうも」


 寸前で宙を漂う血の塊に刃の侵攻を防がれ、咄嗟に後ろへ回避する。そこに大量の赤い針が降ったのを確かに確認して「へぇ」と呟いた。


 どうやら先の化身と戦っている時に翼も能力も見られていたらしく、既に対抗策は打っていたからこその余裕だったのか――と次は水町薫の隣へ移動する。


「おい、村雲――」


「すまない。だが君が傷付いてしまったようだからね、仕方なく助けに入っただけだよ」


 命の危機とまで言うつもりはないが、ああしたダメージの積み重ねが更に差を付けるのは明白だ。

 というのも分かっていたのか、彼もそれ以上は追及しようとはしなかった。


「君が噂のだね。噂は方々から耳にしているよ」


「それはどうもありがとう。しかし君に情報網があったとは驚きだよ、化身は追われている身じゃないのかい?」


「そうだね。でも、追われているからといって情報が入って来ないと思うのは早計だと思うよ――村雲翼さん」


 自分の優位性を見せ付けるためか、翼のフルネームをわざわざ呟いてみせた彼は気色の悪い笑みを浮かべた。自分と同年代か年下にしか見えない者が出せるような笑いではなく、ねちねちとした吐き気のする笑みだ。実に気味が悪い。


「それだけじゃない。僕は君のことならなんでも知っているよ。例えば君は――人殺しだ」


「……なるほど」


 ぴくりと眉を上げ、納得の面持ちで化身に向かい合う。罠を張って待ち構えていただけはある、ということかな。狂人最強ともされる水町薫を下せたのも、彼が水町薫を研究していたからなのだろう。


 最強とは裏返せばそれだけ能力を知られているもの。対策くらいは練られていても可笑しくはない。


「理解してくれたかな? でも今夜はもうおしまい。次は君が君ではないことに気付いてから再会を再開しようじゃないか。それでは――」


 化身は足元に血の池を生み出し、手を振りながら消えていく。それはわずか数秒のことで、呆気に取られていた水町薫はついに動き出さなかった。


「なんだったんだい。あれは」


「……知るかよ」


 尋ねても素気無く返され、翼はまあいいかと溜め息を吐く。

 こうして戦闘は呆気なく終了した。結果として殺人鬼の死体は回収され、三人共々救出に成功し、化身一体を捕えることに成功した。


 戦果だけで見ればこちら側の勝利なのだろう。しかし何故だか、当事者である翼はあの化身のことが気掛かりでならなかった。無論水町薫も同じ意見なのだろうが、きっと同じ違和感ではない。

 あれは翼が「人を殺したこと」を知っていた。それは何故か。


「何者なんだ」


 誰にでもなく発した問いかけは、誰にも答えられることなく霧散する。

 意識の失った母親、麻衣、夢の三人を抱えた翼は、死体を回収している水町薫をぼんやりと眺めながら、靄の掛かった違和感に表情を曇らせていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る