第二十一話『暴かれる闇』

 初秋の宵は虫の音が静寂の中で美しく奏でる。

 それをBGMに闇の中、放射状に描く蒼銀色の月彩を仄かに浴び傍らに潜む二人…霧島昇児とアスカ…は屋敷内の片隅で令嬢の私室の様子を伺っていた。

「今夜は私が留守という事になっています。恐らく今夜辺りお嬢様に何かしら動きを起こすでしょう」

「警察が動き始めてますからね。まずは娘に問い質す、という事ですか」

 窓外から射す月彩が雲に隠れたその時、闇だけが落ちる廊下に響く少女の悲鳴にも似た切迫感のある声が聞こえた。が、二人は急がず静かに音もなく室内の様子を伺いながら慎重に耳を傾けた。

 互いに中の様子が確認出来ると霧島がひとつ合図を示し、まず扉をゆっくり開けて動き始めたのは執事の長い影。

「逃げられると思っているの?誰のお陰で屋敷に住めると思っているの!裏切り者はね、中世ヨーロッパでは拷問に掛けられた挙げ句首を切られるのよ?」

 松平雅恵の声が扉の影に潜むアスカの耳に冷たく響く。

「貴女が私の事をこそこそと探っている事くらい知っているわ。全く、誰が貴女の出来損ないの体を治療して差し上げているのかしら?それを感謝ではなく恨みに捉えられるなんて」

「い、いいえ…私はその様な事はしておりませんし、お母様の与えて下さるお薬は、私の体を思って開発されている、という事はよく知っています。恨みだなんて…こうして生きていられるのはお母様のお蔭だと…」

 震える声で必死に答える令嬢の前で見下ろしているのは、仁王立ちで手には乗馬用の一本鞭を握る雅恵夫人だった。

 そして令嬢を取り囲むように使用人二人…庭師のあきらとメイド長…が無表情で見つめている。

 鞭が振り上げられた瞬間、彼らは令嬢が動かぬように車椅子ごと押さえつけた。小さな悲鳴が上がり、宙を切る鞭の音が響いたその時、令嬢の前に黒い影が踊った。

「随分と派手なお戯れでございますね。やはりお嬢様に虐待を強いていた元凶は貴女でしたか。奥様…」

 鋭い鞭の先は執事の手袋越しの掌でしっかり握られ、パキンという鈍い音と共に折れた鞭の先が絨毯に落ちた。

 一斉に緊迫感が走り令嬢を押さえていた使用人達の肩が小さく震えた。

 一瞬、夫人は狼狽(うろた)えたがすぐに冷静な表情を戻すと、先端の折れた鞭を乱暴に背後へ投げ捨てた。

「アスカ…貴女、どうしてここに?今宵は休暇でお出かけになったのではなくて?」

 見られたくないものを見られたと思ったのか、平静を保とうとする夫人の声は少し震えていた。それに答えずゆっくり立ち上がると令嬢を押さえつけていた使用人達へ切れ長の瞳に威圧感すら漂わせ、鋭い口調を投げた。

「あきら、それからメイド長!その手を引け!」

 平素、穏やかな物腰しか見たことのない執事の大喝に、二人は恐れ慌ててその手を令嬢から解いた。

 再びアスカの体が令嬢へ向けられ、そっとその髪に触れ安心させる様に小さく撫でた。

「お怪我をなさっておられますね。後ほど手当てを致しましょう」

 頬に平手打ちの赤い痕が残り、淡い光にも痛々しく見えた。思わず怒りがこみあげたが、それを必死で抑えながらゆっくりと夫人の方へと体を向け、片手で令嬢を庇う様に覆い鋭い視線を向けた。

「今の様子は音声記録をとらせて頂きました。今夜、貴女がお嬢様に虐待を強いられたのは、貴女にとって世間に出てはまずい事を彼女が探っている、とでも誤解なさったのでしょうか。生憎探っていたのはお嬢様ではございません。私が探っておりました。これでお嬢様を人体実験に用いていた事がはっきり致しました。よもや言い逃れは致しますまい?」

「な、何を言っているの?貴女は…貴女こそこの屋敷の決まりを知らない訳ではないでしょう?この屋敷で私に逆らうとどんな目に遭うか。この使用人達のように忠実に仕えなさい。そうすれば…」

「そうすれば、私も人体実験に使われる事はない…ですか?」

執事へ向けて夫人は腕を振り上げたが、アスカの手がいち早くそれを掴み上げた。

「これまで解雇となった執事始め使用人達は今何処に居ますか?答えられる筈などない。彼らは既にこの世には居ない。否…人体は存在する。そう、松平メディカルラボの標本としてね。お嬢様へ虐待を繰り返していたのは彼女にその秘密を知られたからでしょう。加えて、お嬢様は万人に一人と言われる先天的な疾患がある。奥様にとって、否、松平メディカルラボにとって奇病の研究資料としてこれ程の逸材はない。だから逃げないよう、使用人達に見張りをさせて少しでも逆らえば虐待をさせていた。また奥様も時折戻ってはお嬢様に試薬を与え実験を行っていた。肉体のみならず心まで縛りつけていた。如何ですか?もっとお話致しましょうか?貴女ご自身の事を!」

 掴みあげた夫人の手首を強く捻り上げると夫人は小さく悲鳴を上げた。アスカがその手を緩めたその時、夫人は何か合図を送った。瞬間、室内の灯りが煌々と灯り、室内の何処かに潜んでいたのだろう。数人の屈強な灰色の軍服に身を包んだ男達がアスカを背後から羽交い締めにした。

「…っ!」

「貴女はお利口だけど注意力には欠けるわ。でも、その明晰(めいせき)な頭脳とずば抜けた運動神経は良いサンプルになるわ」

 細く冷たい夫人の指先がアスカの頬をなぞった。

 その時、勢いよく扉から入ってきたのは白い軍服に身を包み部屋の外で待機していた霧島少佐だった。

「君らは傭兵だな。即刻その方を解放しろ。彼女はこの屋敷の主だ!」  

 夫人が突如大声で笑い出した。

「追い詰められておかしくなったの?どうせ助けるならもっとましな口実を考えなさいな。貴方達、その麗しき執事さんと、突然無礼を働いた白い軍人さんをラボへ運んで頂戴」

 男達が数人霧島に向かって素早い動きで捕らえ始めると、霧島は一枚の書類を見せつけた。

「間違いでも苦し紛れでもない。雇い主を見ろ。松平雅恵ではない。松平邸となっている。名前で契約すれば後に事件が発覚した際言い逃れができないからな。だから個人名ではなく屋敷で雇った事にしたのだろう。だが…この屋敷の主は君達が今羽交い締めにしている、蓮アスカ氏となった!」

 言うともう一枚別の書類を突きつけた。 その書類は更に緊迫感を煽るものなのだろう。夫人の息を飲む声が一瞬大きな音を立てて部屋に小さく響いた。

 突きつけられた書類は、屋敷主の蘭が松平から蓮と名義が変更された証書、不動産契約証明と細部に渡る契約を交わした正式な権利書だった。雅恵夫人の顔がみるみる青ざめてゆく。

「で、でも…私は許した覚えはないわ。こんなのでっちあげ。でたらめよ!」

 夫人はそれを乱暴に取り上げ破ろうとした。が、その手を霧島が掴み上げた。

「伺えば、貴女様は執事である蓮様にこの邸を全任なさっておられたとか。もしかすると邸の管理なども彼女に任せっきりになさっておられたのでは?」

 霧島の言葉は尤もで、雅恵夫人も当主であった秀光氏も邸の事のみならず業務の財政管理など全てこの敏腕執事に任せていたのだった。

「霧島様…お嬢様を別室にてお手当を」

 霧島少佐は車椅子でなりゆきを見守っていた令嬢を静かに抱えた。

「後は執事さんにお任せ致しましょう。傭兵達も出て行きました。ご安心下さい」

 令嬢は弱弱しく頷いて見せ、扉から出る間際に執事と義母を交互に見つめた。

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