第十二話『暁に揺らぐ影』

 週末は珍しく雅恵夫人が突然屋敷に戻って来た。

 早速アスカにシェリー酒を自室へ運ぶ様に命じると、暫く彼女は長身の女執事を独占した。いつしか夜も更け、夏夜の熱気がグラスに残ったわずかな滴(しずく)までも吸い込みすっかり乾いていた。

「…それで、その霧島晃児様と美鈴はどういう関係なのかしら?」

 朝焼け前の乳白色の光が淡く窓から注ぎ始め暁が明ける頃、仄かに甘い香りが立ち上る白いシーツに反射して、細くしなやかな夫人の裸体へと伸びた。

「お嬢様とはとても気が合うのでしょう。最近では休みの日以外にも近くを通りがかる折など訪ねていらっしゃいます。凛々しく、また海軍の少佐という階級だけあって心身共に丈夫で、性根も据えておられる立派なお方でございます。お嬢様にとって、申し分なき殿方であるかと…」

 夫人の白い身体が横たわる傍ら、アスカはベッドサイドに腰を下ろした姿勢で、白い開襟シャツの襟元を整える指先から長い銀の髪を背に流した。

 ふわりと甘い余韻と共に香水の香りが鼻孔を掠めた。ふと、背に流した銀糸に絡めてくる夫人の細い指先の冷たさが、シャツの生地越しから伝わった。

「…そう。貴女がそう評価なさるなら余程優れた方なのね。それにしても…随分あの子の周りが変わった事。お部屋を変えたり、新しいドレスやお洋服を仕立てたり。そんな事で状況とはこうも変わるものかしら?」

「人間とは与えられる小物一つで運命も変わる事がございます。小さな火種によって生まれるものもあれば消えるものも…」

「あの子の場合は…どちらだとお思い?」

 夫人の美しい裸体に掛けられていた薄いシーツがさらりと肌から落ち、その細い腕が妖艶に宙を舞ったかと思うやアスカの肩に弱く回した。アスカは掛けられた指先へそっと口付けを落とし、切れ長の瞳を淡い光で薄化粧された奥方の顔へ向け囁いた。

「…奥様のご推察と同じでございます」

 甘い冷気を帯びた眼光で夫人の視線を捉えると、夫人の瞳に執事の端正な顔を映し出した。

「私の?…ふふ。貴女は本当にお上手なのね。執務をこなすのも…女を扱うのも」

 奥方は細い背を起こすと、銀糸に覆われた背に腕を回した。その手は背から首筋、頬と這うようになぞってゆく…。やがて指先が頬まで辿り着くと唇を重ねた。

「…っ!」

 夫人の唇が離れた瞬間、アスカは唇の端に鋭い痛みを感じ、錆びた鉄の味が舌先を掠めた。指先で拭った薄い紅を奥方の唇へ塗り付けると、淡い光の薄化粧に赤い紅が更に妖艶さを増した。

「始めに申し上げた筈よ?あの子を『くれぐれもお願いします』と」

「私はお嬢様を松平家の家人として、奥様、そしてご主人様同様に、いえそれ以上に心を尽くしお世話申し上げております。少なくとも、私なりには。…お気に召しませんか?」

「随分と自信家でいらっしゃるのね。でも、まだ召すか否かを判断出来る程に貴女を知らないわ。だから…」

 再び回された夫人の細い腕。その片方の手首を柔らかくアスカの手が掴み静かに白いシーツの波間へ裸体ごと押し倒す。

「では、存分に知って頂かなくては…私を」

 髪と同じ色の銀色のアクセサリーが微かに冷たい音を立て、開襟シャツから覗く白い肌で妖しく揺れた。まだ熱を帯びた唇を夫人の柔らかく、そして毒を発した唇へ重ねる。再び夫人の美しい裸体から上昇する体温と甘い香りに包まれながら、 暁の闇が支配する部屋は次第に淡い乳白色の光が薄く射し、壁に映し込まれた二つの影が静かに揺らめき始めた。

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