第七話『見舞客』
令嬢の社交界デビューは彼女を余程緊張させたのだろう。翌日、微熱程度ではあるものの大事をとって一日安静となった。
「アスカさん、お客様が…」
メイド見習いのスミレが遠慮がちに執事の執務室へ声を掛けた。
丁度、前夜の晩餐会について屋敷主夫妻へ報告のメールを送り終えたところだった。 アスカは丁寧にスミレへ返事を返すと居間へ向かった。
「やあ。執事さん。昨夜はどうも」
快活な声に迎えられ待っていたのは白い軍服に身を包んだ霧島少佐だった。
「これは霧島様。ようこそお越し下さいました。昨夜は失礼を致しました」
「いえ、此方こそご無礼を。お嬢様は…美鈴様にお目通り願いたいのですが」
「何かご用でしょうか?」
「ええ。彼女と話をしたいと思いまして。昨夜仰有ったでしょう?ごほん…『彼女と話がしたければ私を通して頂きますよう…』と」
霧島はわざわざ声を真似てにやり、と笑みを向けた。
「はい。申しました。お嬢様とお話をなさりたい、という事でございますね?ですが本日はお会いになれません」
「何故です?」
「昨夜のお疲れが出ているようでして本日は朝から臥せっております故。申し訳ございません。お言伝のみ承ります」
「それはいけませんね。随分細い方だとは思っていましたが、か弱いのですね。ではお見舞いをしたいのですが。ほら、ちゃんと花も持ってきましたよ?」
見れば美しい薔薇とかすみ草を束にしたものを抱えている。令嬢への贈り物なのだろう。
「いえ、お見舞いも承っておりませんので…」
「分かりました。ではこの花束は貴女に執事さん。そうですね…美鈴様には『昨夜は大変ご無礼を致しました。改めてご挨拶に伺いましたが生憎臥せっておられる、との事。どうぞ一日も早くご快復なされます様。改めてご挨拶に伺います。』とお伝え下さい」
アスカは手渡された花束を受け取り、静かな笑みを返した。
「畏まりました。折角お越し頂いたにも関わらず申し訳ございません。お花とお言伝は必ずお嬢様に」
扉まで霧島少佐を見送った後、花を花器に活けると早速令嬢の部屋へ向かった。扉を静かにノックした後中へ入ると、それまで明るい陽光で生き生きして見えた花は、この薄暗い部屋で一気に色あせて見えた。
「お嬢様、お具合は如何でございますか?お花のお届けものがございましたのでお持ち致しました」
ベッドで読書でもしていたのだろう。白い指先で栞(しおり)を挟み本を閉じると、視線をゆっくりと上げ活けられたばかりの花に感嘆の声を上げた。
「まあ。なんて綺麗。アスカさんが?」
「いいえ。昨夜お嬢様にお声を掛けられた霧島晃児様からでございます。先程お屋敷にいらっしゃいましたが、お嬢様のご体調を考慮して本日はお引き取り頂きました。また改められるとの事でございます」
「霧島様…ああ、あの方」
「それにしてもかすみ草と紅い薔薇とは。海軍の少佐ともなれば女性への贈り物ひとつよく心得ておられます。お花は…どちらへ飾りましょうか」
ふとアスカの手が床頭台の上に伸びようとしたが、薄暗い部屋で唯でさえ色褪せて見える花を更に暗い色に見せてしまうだろう、少しでも明るく見せる場所は、と改めて視線を巡らせた。
窓に近い場所は一か所のみ。花器は窓辺に近いテーブルに飾られた。これでこの部屋も少しは華やいだ雰囲気となるだろうか。
「それから、昨夜は無礼を致しました、とのお詫びを頂きました。また、一日も早くご快復なされますように、とも」
「そう。ありがとう。わざわざ昨夜の事を詫びにいらっしゃったのでしょうか。丁寧な方ですね」
令嬢の声が少し上気しているように聞こえた。
「…私を訪ねて来て下さる方なんて、初めて」
小さく呟く言葉に、アスカは穏やかな笑みを浮かべ令嬢の傍らに立った。平素、病弱である為に殆ど屋敷から外に出る事もなく、人が訪ねてくる事もなかったのだろう。
その心中を思えば、霧島晃児の訪問は彼女にとって大きな喜びに包まれ、励みにもなっただろう。これを機に令嬢の気持ちも前向きになれば少しでもお体が優れるかもしれない、と期待を込めて、アスカは出来るだけえ明るい口調を心がけた。
「お嬢様もこれからは社交界へ出る機会も増え、そこで様々な方々とお知り合いになる事でございましょう。お嬢様を訪ねてお出でになる方も、またお嬢様ご自身が訪ねる機会も増えると思います。その為には少しでも体力を付けて頂く必要がございます。」
平素、あまり食の進まない令嬢に諭すような言葉を最後に付け足した。令嬢は小さく頷いて見せると、やはり何処か焦点の合わない遠くを見つめるような眼差しでいつまでも花を眺めていた。
だが改めて客人を令嬢の私室へお迎えするとなると…と考える。
この部屋へお通しするのはあまりにも粗末すぎる。第一、この部屋は家人が与えられる部屋ではない。凡そ、物置か使用人の控室程度にしか見えない様な部屋だ。窓が一つしかなく、西日の当たる室内は、僅か数週間前までならば、夏のうだる様な熱気に包まれていた事だろう。たとえ空調が利いていたとしても、他の部屋の様に通気性に優れているとは思えない。他にも部屋はあるのだから近々お部屋も変えておいたほうが良いだろう。
アスカは再び室内へ視線を巡らせた。同時に、此処へ来てから抱いている疑問がふわりと脳裏を掠めた。
この家は、何かがおかしい…と。
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