第一話『違和感』

 そう、物語は三年前のあの日…初めてアスカが松平邸へ訪れた時から始まる。

「本日より松平秀光様のお屋敷にて、お嬢様専属の執事を仰せ仕りました蓮アスカと申します。今年の春、英国ブリック=フォード執事養成学校を卒業致しました。これは紹介状にございます」

 屋敷を取り仕切るメイド長は穏やかながらも隙の無い所作で書類に目を通す。小柄な初老の女性は「さちえ」と名乗った。

「ようこそ。まずはお部屋へご案内しましょうね」

 メイド長に案内された部屋へ通され、その内装に驚いた。

 天井には立派なシャンデリアが吊るされ、机にクローゼット、ベッドにソファ、所々センスよく配置された調度品の数々は、使用人が与えられる部屋にしては随分と豪華だ。

「此処が本日から貴女の私室になります。執事用の執務室は別にございます。執務室はお仕事用ですのでプライベートとは別にお使い下さい。此処にあるものは自由にお使い戴いて結構ですよ。掃除とベッドメイキングはメイドが一日一回行います。食事は家人であるお嬢様が済まされた後、各自で時間を決めてとっていますがなるべく早めにとって戴きます様、お願い致しますね。時間が遅くなる場合には冷蔵庫などに入れてメモを残しておけば結構です。お給料は指定先の口座へ毎月二度振り込まれます。休日は週二日とって戴いて構いません。予定が決まっておられる場合は前もって仰って下さい」

「あの…」

「何でしょう?アスカさん」

「…名前で呼び合うのですか?」

「え?ええ。此処では皆名前で呼び合っていますね。不快でしたら姓でお呼びしましょうか?」

「いえ。ああ、質問をしたいのは呼称の事ではなくお嬢様の事ですが…」

 質問をした瞬間メイド長に緊張感が走ったように感じたのは、彼女の瞳が一瞬鋭くなったからか。それとも小柄な体が少しばかり強張って見えたからだろうか。不躾に聞こえたのかもしれない、とアスカは言葉を付け足した。

「ご主人様より、美鈴お嬢様はお体が弱く車椅子での生活をなさっておられる、と伺いました。日常生活に於いて何か気を付ける点などございましたら…」

「それは彼女と接していく内に分かる事です。私からは何も」

 一瞬鋭く見えたさちえの瞳は、再びメイド長のそれに戻りてきぱきと答えた。

「そうですか。了解致しました。ではお嬢様には心を尽くし接していく事に致しましょう。追々知る事や分かる事がございましょう。時に…お嬢様はお花を好まれますか?」

「花?ええ、女性ですから嫌いではないかと」

 ……嫌いではない。とは随分乱暴な言い方をするものだ。仮にもこの屋敷に住む唯一の家人に対して使用人同士とはいえ……

「では、お庭に咲いている秋桜(コスモス)を少々頂戴しても宜しいでしょうか?お嬢様へご挨拶代わりにお持ちしても?」

「貴女がそうしたいなら別に構いません。ですが、あまり気負う必要などありませんよ?お嬢様はお一人を好まれる方ですからほどほどに…。では、私は仕事に戻らせて頂きます。慣れるまで何かと戸惑われる事もありましょうが何なりと私にご相談下さい」

 事務的な口調で部屋から出てゆくメイド長を、アスカは最敬礼で見送った。一人になるとソファに背を委ね、ひと息吐くとメイド長の言葉を反芻してみた。

「…ほどほどに、か」

 早速与えられた紺燕尾の執事服に袖を通した。執事服に身を包むと気が引き締まる。だが、先程聞いたメイド長の言葉がじわりと心に投石を落とした。

 身なりを整えるとそのまま令嬢が待つ部屋に、ではなくまずは庭へと向かった。屋敷へ入るまでに庭で目にした、美しい秋桜の前に腰を屈め、そ、と清楚な手袋越しに花びらを指先で撫でていると背後で声が掛かった。

「やあ。貴女が今度新しく来られた執事さんですか」

 声の主にすくと立ち上がれば、屈強な体つきにダークブラウンの髪、瞳の色は黒くアスカより少し身長の高い男性が立っていた。

「初めまして。この度松平様のお屋敷にてお嬢様の執事を仰せ仕りました蓮アスカと申します」

「女性の執事とは珍しい。銀の長い髪もまた…。染めておられるのかな?それとも何処かの血が混ざっておられる?」

「母がイギリス人、父が帝国人です。髪の色は地毛ですよ」

「ほう。それにしても見事な銀髪で…。そうそう見事といえばこの花、きれいでしょう?私が丹精込めて育てたものです。ほら、あそこに見える果樹園や畑の作物も私が育てているのですよ。あ、僕はあきらと呼んで下さい。お目に掛かれて光栄ですアスカさん。出来れば長くお勤めなさります様」

「長く?ええ、勿論そのつもりでございます。時に…ご自慢の秋桜、少し分けて戴いても?」

「構いませんよ。何なら貴女のお部屋にお届けしましょうか?ああ、レディーのお部屋にお持ちするのは無礼かな」

 豪快に笑う庭師。悪い人ではなさそうだ。

「いえ。私にではなくお嬢様にと」

「…ああ」

 瞬間、この男にも先ほどメイド長に感じた違和感を覚えた。

「何か不都合な事でも?一応メイド長さんの許可は…」

「ええ。そうでしょうとも」

 豪快に笑っていた笑顔は消え苦笑いに変わる庭師。ご令嬢は花がお嫌いなのだろうか。

「お嬢様はお花がお嫌いなのでしょうか。そういえばさちえさんも『女性なら嫌いではない』という言い方をなさっておられましたが…お嫌いなのでしたら控えさせて戴きます」

「ああ、いえ…お好きだと思いますよ。多分」  

「多分?」

「どうぞ。お好きなだけお持ち下さい。ですが、あまりお嬢様と執務以外は深く関わらない方が…。お嬢様はお一人を好まれるご性質のようですしね。まあ、自分は男なのでその辺りのお気持ちは理解しがたいですが…適当でいいのでは?」

「適当?このお屋敷に唯一住まわれている家人に対して『適当』とは随分乱暴な言い方をなさるのですね」

「いえ、これは失礼を…。ですが、貴女もいずれお嬢様と接しておられる内に私の言った意味が分かる時が来ます。では私は仕事がありますからこれで」

 あきらは慌てた様子で挨拶もそこそこにその場から逃げる様に立ち去って行った。

 再びアスカは秋桜の前へ腰を屈めた。

 空は晴れ、心地よい秋の風が背で束ねられた銀糸を揺らし時折流れる髪が頬を撫でた。それを指先で耳の後ろへ送りながら、花へ手を添えると丁寧に鋏を入れて、小さな束にすると立ち上がった。

 秋晴れの美しい空へと視線を仰いだその時、二階のアーチ型の窓から人影が覗いている気がした。が、やがてその影はすう、と消えた。白いレースのカーテンがその影を消して、閉じられた窓は外と内を遮断しているように見えた。

 少し冷たい秋風が燕尾の襟を小さく揺らし通り過ぎて行った。

 

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