【STAGE-2】

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一九八六年 六月四日(水)

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 中間試験が終わった。

 梅雨入りはまだらしいけど、じめじめしているのに気温が低い、しかも制服の衣替えがあったばかりという非常に体調を崩しやすいコンディション。

 今のところ、ぼく自身の体調に異常は無い。だけど、教室には咳やくしゃみをする人が増えているから、油断はできない。

 ようやくプレッシャーから解放されて一息ついたと言うのに、風邪をうつされて寝込んでしまうのは悲しすぎる。

 ここ数日は、さすがに寝不足気味で体力も落ちてるし、今日は早く帰って休むのが正解だろう。


 それはわかっているんだけれど、足はついつい裏通りの方へ向いてしまう。

 目指すはもちろん、ゲーム・パラダイス。



 一週間ぶりのせいで腕が落ちた。

 先週は九面――天井が閉じた、不思議な空間の二回目――まで進めるようになっていたのに、今日は七面のロボットたちに全滅させられてしまう。

 スコアのランキングは四位。

 ただし、一位の<BNG>と二位の<SPC>は三千万点を超え、三位の<STR>も二千六百万点を叩き出しているのに対し、ぼくのスコアはたったの九百万点。

 文字通り桁が違っている。


 そしてぼくの次、五位の点数は、端数無しのきっちり百万点。

 その下に並ぶ点数も、きっちり九十万点、きっちり八十万点、きっちり七十万点……。

 これらは、最初にハイスコアとして登録されている点数だ。普通にプレイすれば一面クリアするだけで百万点以上になり、全員追い抜くことができる。

 このお店に通っていて【スペースハリアー】の一面をクリアできない人は、多分いない。

 すなわち、本日【スペースハリアー】を遊んだのは四人だけ。

 その中でぼくの点数、ぶっちぎりの最下位。


 これからうまい人が次々に来店して、ぼくのスコアなんてすぐに下へ押しやられ、画面から消えちゃうんだろう。

 それでも、今日ここで【スペースハリアー】を遊んだということをなにかの形で残しておきたくて、操縦桿をこつこつ動かし三文字のアルファベットを入力する。

<HAL>と。



 若干の不安を抱きつつも、ぼくは数日に一度のペースで裏通りのゲームセンターに通い続けていた。

 遊ぶのは、今のところ【スペースハリアー】のみ。

 一日に一回、多くて二回プレイして、遅くならないうちに引き上げる。

 ぼくの場合、バスを一本乗り過ごすと三十分から一時間は帰りが遅れるから、あまりのんびりしてられない。

 そんな遊び方だから、ゲーム・パラダイスで交友範囲が広がったりもしない。

 ぼくの方から誰かに話しかけることも無いし、誰かに話しかけられた経験も無し。

 それでも、店内でよく見かけるお客さんのうち、誰がどのスコアネームを使っているかはだんだんわかって来た。


<SPC>は、ひょろりと細長いお兄さん。

【スペースハリアー】を遊ぶ時は、ほとんど全面クリアしている。

 時々後ろでプレイを見学させてもらっている。


<TET>は小さな男の子。

 中学生にはなってると思うんだけど、今ひとつ自信がない。

【スペースハリアー】では<BNG>や<SPC>と同レベルのスコアを残して行く、意外な実力者。


<MOR>は茶髪の『北』高生。

 夏服になってもワイシャツのすそをズボンから出した不良ファッション。

 いつも不機嫌そうな顔をしてるし、たまに変な目付きで睨まれるし、正直言って少し怖い。

 ただ、ぼく自身を含め、誰かに迷惑をかけているところは見たことが無い。


<BNG>と<STR>については、まだ不明。

『北』の仲良し三人組か、たまにカメラやテープレコーダーを持ち込んでる眼鏡少年あたりだろうと踏んで、それとなく名前入力の機会をうかがっているところ。

 もっとも、ぼくがゲーム・パラダイスにいる時間なんてたかが知れてるし、お店の奥の方には足を踏み入れてもいないから、まったくの見当違いである可能性も高い。



 帰りのバスの中。

 膝の上に英語のノートを広げながらも、頭に浮かぶのは今日のプレイのこと。


【スペースハリアー】の敵は、常に自分のいる位置を狙って弾を撃って来る。

 すなわち、じっとしていれば必ず敵の弾は命中する。

 逆に言えば、撃たれた位置から移動さえすれば、敵の弾は当たらない。

 雨あられとばらまかれる楕円形の弾も、マシンガンのように連射されるバズーカの砲弾も、動き続けていればちゃんと避けられる。

 多分、レバーをぐるぐる回し続けているだけでもすべての弾をかわすことは可能だろう。

 もちろんそんな単純な動きでは、体当たり攻撃や、柱とか岩と言った障害物を避けることはできないんだけど。

 特に柱、ハリアーの攻撃で破壊できない障害物は、このゲーム一番の強敵と言っても過言じゃ無い。

 敵の攻撃を避けようとしたら、目の前に柱が立ちはだかっていた時の絶望感、一体何度味わったことやら。


<SPC>さんなんかは、どの敵がどういう順番で出て来て、障害物がどのように配置されているか、すべて記憶しているようだ。

 出て来た敵は即座に撃ち落としてしまうし、攻撃されてもうまく障害物の来ない方向へかわしている。


 正直なところ、ぼくは反射神経にそれほど自信がない。

 でも、敵と障害物の配置がすべて決まっているのなら、それを覚えてしまえば<SPC>さんのようなプレイが可能になるかもしれない。

 そのためには、どこで、なにが現れるのか、ちゃんと把握しなくっちゃ。

 目の前の攻撃をかわすだけで精一杯、どの敵にいつ攻撃されたかもはっきりしないなんて、記憶する以前の問題だ。

 明日からはもっと落ち着いて、画面全体を見ながらプレイすることを心がけよう。


 そんなことを考えていたら、早くもバスは家の近所を走っていた。

 いけない、英語の課題、全然できてない。

 今日は早く寝ようと思っていたのに、夕食後にもうひと頑張りが必要になってしまった。

 試験が終わった当日ぐらい、先生も手加減してくれれば良いのになあ。


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一九八六年 六月六日(金)

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 まずい。

 戻って来る答案、戻って来る答案、ことごとく点数が悪い。

 試験が終わった時から、前回の実力試験より成績が落ちることは覚悟していたけれど、答案用紙に書かれた数字は自己採点の結果をさらに下回っている。

 天下の『南』でトップを取りたいとか、そんな大それた野心は抱いていない。

 でも、最初の実力試験から大幅に成績がダウンしてしまうのはまずい。


 今の生活が学力に悪影響をもたらしていると判断されるのは、非常にまずい。


 バス通学に無理があると思われて、再び入寮の話が持ち上がるかもしれない。

 生活態度を調べられて、ゲームセンター通いがばれてしまうかもしれない。

 このままではまずい。まずい。まずい。

 もう少し本気で勉強しておけば良かった。

 まさに「後悔先に立たず」。


 そして「弱り目に祟り目」、「泣きっ面に蜂」。


 沈んだ気持ちのままゲーム・パラダイスの入り口を開けると、【スペースハリアー】が斜めに傾いたまま止まっていた。

 ちょうどお姉さんが貼り付けていた「修理中」の張り紙を見るまでもなく、一目瞭然なわかりやすい壊れっぷり。

 あんなに激しく揺れ動く以上、やっぱり機械に負担がかかっているんだろうか。

 デパートの屋上から早々に消えたのも、人気が無くなったからじゃなくて、故障のためだったのかもしれない。


 いきなり他のゲームに挑戦する気にもなれず、そのまま店を出る。

 本日のお天気、とあるコックさんの絵描き歌を再現したかのように、雨ザーザー。

 気持ちの方まで湿っぽくなってしまう、そんな一日だった。


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一九八六年 六月七日(土)

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 中間試験の成績上位者が発表された。

 順位と点数が公表されるのは、学年の上位五十人まで。

 貼り出された用紙のギリギリ下の方に、ぼくの名前があった。

 今回は正直、入ってないものとあきらめていた。


 一安心、ではあると思う。

 実力試験の時よりは落ちたものの、この順位なら、入寮だの生活調査だのといった話は出ないだろう。

 でも、今回の試験で思い知った。

 高校の勉強は、『南』のレベルは、やっぱり甘くない。

 理解したと思ったことが、実は全然理解できてなかった。

 覚えたと思ったことが、実はいい加減なうろ覚えだった。

 気持ちを入れ替える必要がある。

 いくら成績トップにこだわりが無いと言っても、今のような心構えでは、遠からず成績はガタ落ちしてしまう。


 ……そんなことになれば、テレビゲームが遊べなくなってしまう。


 あんなに苦労して、ようやくゲーム・パラダイスに入れるようになったのに、早々に取り上げられてしまってはたまらない。

 ぼくはまだまだ【スペースハリアー】が遊びたい。

 ゲーム・パラダイスに並ぶ他のテレビゲームだって挑戦してみたい。

 テレビゲームを遊び続けるため、成績は落とせない。

 トップを目指す必要なんて無いけれど、今以上に成績を落とすことだけは、絶対に避けなければならない。


 我ながら色々間違ってる気はするものの、ぼくの『南』での目標は「現状維持」。

 そういうことになった。


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一九八六年 六月九日(月)

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 両親からも、担任の先生からも、試験の結果についてはそれほど突っ込まれなかった。

 もっと上を目指せるからがんばれと言われて、それでおしまい。

 そのためにどうしろという、具体的な話にまでは発展しなかった。


 考えてみれば、『南』で五十位以内というのは、県内レベルで見てもかなりいい位置にいるはずだ。

 あれだけダメだと思っていたのにこの結果を出せたということは、実はぼく、それほど気合いを入れなくても「現状維持」ぐらいできるんじゃ……。


 いやいや、やっぱりそれはいけない。

 高校の勉強が甘く無いことは、今回の試験で骨身に染みたはず。

 生ぬるいことを言っていたら、成績はずるずると際限なく落ちて行くこと間違いなし。

 土曜日に決意した通り、これからはしっかりがんばらないと。


 しかし、それはそれとして。

 放課後にちょっと息抜きをするぐらい、別に構わないと思う。

 そもそもぼくが勉強をがんばる理由は「テレビゲームを遊ぶため」なんだし。


 残念ながら、土日を挟んでも【スペースハリアー】は直っていなかった。

 まさかこのまま撤去されてしまうんじゃ……と不安になったけど、よく見ると「修理中」の張り紙に「※全治二週間」と書き足されている。

 業者が二週間後に来るということなのか、それとも修理用の部品がその頃に届くのか、そもそも二週間というのがいつから数えてのことなのか、細かいところがあいまいだ。

 お姉さんは金曜日にこの張り紙を貼っていたから、来週の金曜日に直ると考えていいのかな?

 まあ、直るんだったら文句無し。細かい点は気にしない。


 それまでは――うん、これもいい機会だ。そろそろ他のゲームにも挑戦してみよう。


 とは言え、どれを遊べばいいのやら。

 ぼくは、店内をぐるりと見回してみた。


 入り口近くのエリアには、【スペースハリアー】を始め、大型のゲームが並んでいる。

 オートバイの形をしているゲーム機は【ハングオン】。

 ゲーム機そのものにまたがって、身体ごと左右に傾けることで操作するレースゲーム。


 コンピューターグラフィックではなく、セル画を使用したアニメの映像に合わせてハンドル、アクセル、ブレーキを操作するのは【ロードブラスター】。

 レーザーディスクゲームと言うらしい。


 この二機種は<MOR>たち『北』の生徒に人気が高い。

 でもぼくは、モータースポーツにあまり興味が無い。

 それに、身長も体重も平均未満のぼくの体格じゃ、【ハングオン】の操作は難しいような気がする。


 縦に二つテレビを重ねた贅沢な作りのボクシングゲーム、【スーパーパンチアウト】。時々<SPC>さんが軽快に試合相手を叩きのめしている。

 えーと、スリーカウントで勝ちになるのは、ボクシングでいいんだっけ? それともプロレスだったっけ?

 ……なんてことを考えてるぼくには、多分、このゲームを遊ぶ資格が無い。


 レバーでもボタンでも操縦桿でもなく、ゲーム機からちょこんと覗いたボールの部分を転がしてプレイするのは【マーブルマッドネス】。


 実は、このゲームが以前から気になっていた。

 ルールは、画面の中の青いボールを制限時間内にゴールまで運ぶだけ。

 手元のボールを転がせば画面のボールも転がるという、非常に直感的な操作方法。

 単純と言えば単純な、だけどコロンブスの玉子的な、ちょっとすごい発想のゲームじゃないかと思う。

 うん、今日はこれを遊んでみよう。


 しばらくデモ画面を眺めてゲームの流れを確認してから、百円玉を投入。

 無機的、かつ立体的なコースの上に現れる青いボール。

 これがぼくの操作する主人公だ。

 不思議な旋律の音楽が、幻想的な雰囲気を盛り上げる。

 そーっと手元のボールを転がすと、画面の中のボールもゆっくりと移動を開始した。

 コースを外れて谷底に落ちないよう、慎重に指先で手元のボールを操作する。


 うわ、楽しい。面白い。

 ある意味、このゲームも【スペースハリアー】と同じだ。

 操作するだけ、手元のボールを転がしているだけ、ゲームの世界に触れているだけで、すごく楽しい。


 もちろん、楽しんでいるだけではクリアできない。

 ちょっと慎重に進みすぎたようだ。残りタイムが残り少なくなって来た。

 プレイスタイルを変更し、手のひらで思い切ってボールを転がしてみる。

 これまでに無いスピードで青いボールが移動した。

 でも、コースを外れてしまうほどの無茶な速度は出ていない。

 どうやらこれぐらい激しい動きで操作するのが正解みたいだ。

 ぼくはゴールを目指し、さらに勢いをつけてボールを転がし……。


「!!!!」


 手のひらがボールと機械の隙間に挟まり、声も出ないほどの激痛が走る。

 右手を押さえながら悶絶している間に、画面内では青いボールがぴたりと動きを止めたまま、あえなくタイムオーバーを迎えていた。


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一九八六年 六月十日(火)

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 今日も、降ったり止んだりの落ち着かない空模様。

 裏通りを歩く途中で水滴の落下を肩に感じ、また降り出したかと空を仰いだところで、ゲーム・パラダイス二階に描かれたネオンのバニーガールが目に入った。


 最近は気にならなくなって来たけど、改めて見るとやっぱり怪しい。

 一体なんのお店なんだろう。一ヶ月以上ここに通ってるのに、全然正体がつかめない。

 ここ、本当の本当に、高校生が出入りして大丈夫なんだろうか?



【マーブルマッドネス】。

 今日は手のひらを怪我することもなく二面まで進めた。



 ぼくが出入りするのは一階だけなんだから、大丈夫だよね。

 多分……。


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一九八六年 六月十一日(水)

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 いよいよ入り口の近くを離れ、店の奥、テーブル型のゲームが並ぶエリアに進んでみる。

 今日は<TET>と<MOR>、そしてスコアネーム不明の眼鏡少年が丸椅子に座ってそれぞれのゲームに奮戦中だった。

 カウンターの中ではエプロン姿のお姉さんが、背もたれつきのパイプ椅子に座ったままこっくりこっくり船をこいでいる。


 このお姉さん、いつ見ても眠そうにしてるけど、一体どんな生活してるんだろう……?


 ともあれ、チェックすべきなのは人間じゃなくてゲームの方。

 テーブルゲームは一回五十円。いつもの予算で二倍遊べる。

 さて、なにか面白そうなゲームはあるかな?


「……………………」


 困った。

 数が多すぎて、どれを遊べば良いんだか全然わからない。

 面白そうだと思うゲームは色々あれど、ルールがわからなかったり、いかにも難しそうだったり、なかなか「これ!」と決めることができない。


 参考までに、他の人が遊んでるゲームを、そっと覗いてみる。


<TET>が遊んでいるのは、戦闘機で敵を撃ち落とすタイプのゲーム。

 宇宙空間を、画面右に向かって進んで行く戦闘機には、オレンジ色の丸いエネルギー体みたいなのが四つ付いて来ている。

 形こそ違うものの、エネルギー体は戦闘機とまったく同じ能力を持っているらしい。戦闘機と同じレーザーやミサイルを発射して、敵を次々となぎ倒している。

 宇宙を切り裂く五本の青白いレーザーが、非常に印象的だ。

 タイトルは【グラディウス】。


 しかしこのゲーム、敵の攻撃がとんでもない。

 画面のほとんどが、敵と、敵の撃った弾で埋め尽くされている。

 よく見ると、<TET>のスコアは三百万点を超えていた。

 これがどのぐらいのレベルなのかはわからないけど、多分、かなりの高得点なんじゃないだろうか。

 グラフィックも音楽もすごく良い感じだし、なにより<TET>のお気に入りであれば、間違いなく遊ぶ価値のあるゲームのはず。

 難易度にしたって、まさか最初からこれほどの攻撃をして来ることは無いはずだ。


 ただ……<TET>の後に、初心者丸出しのたどたどしいプレイを披露するのは、かなり恥ずかしい。

 なにより、<TET>の残りプレイヤー数は、一、二、三……全部で七機もいる。

 これじゃあどれだけ待てば席が空くのかわからない。

 次の機会を待つことにして、他のゲームへ移動。


<MOR>が遊んでいるのも戦闘機のゲームだった。

 違うのは、画面が流れる方向。こっちは横ではなく、上に向かって戦闘機が進んでいる。

 攻撃手段が、とにかく派手。正面だけでなく、斜め方向にも丸くて大きな弾を撃ちまくっている。

 タイトルは【ハレーズコメット】。


 ああ、そう言えば二月に来たなあ、ハレー彗星……。

 小さい頃から、雑誌やテレビ番組で何度となく「もうすぐハレー彗星がやって来る!」と期待を煽られていたのに、いざその時が来てみれば、夜空のどこにも彗星の形なんて見えなくて、かなり深刻にがっかりした。

 天体望遠鏡を買って欲しいという弟の要望は、彗星が通り過ぎたらそれっきり使わなくなるとの理由で、両親から却下。

 これは……うん、弟の性格から言って、両親の判断が正しいと思う。


 そんなことを思い出しながらゲームを眺めていたら、気配を感じたのか、<MOR>がふとこちらへ顔を向けた。

 次の瞬間、あっけなく爆発する戦闘機。

 いけない。そんなつもりは無かったのに、結果的に邪魔をしてしまったみたいだ。

 慌てて小さく頭を下げ、その場を退散。


 眼鏡少年は、青い鎧を着た剣士を操り、ピンクの鎧の女剣士と決闘の最中だった。

 他のゲームよりキャラクターが大きい。

 マリオネットのようなぎこちない動きではあるものの、火花を散らして剣を打ち合わせる光景は、なかなか迫力がある。

 タイトルは【黄金の城】。


 どうやら攻撃が当たると、その部分の鎧が取れてしまうシステムらしい。

 女剣士の鎧が、頭、腕、胴体と、次々に剥がされて行く。

 多分、鎧の取れたところに再度攻撃を当てれば勝ちなんだと思う。だけど眼鏡少年は、執拗に女剣士の残った鎧を狙って、攻撃を繰り返している。

 鎧を全部剥がすと、ボーナス点でも入るのかな?

 気にはなったけど、このままじっと見ていて、またプレイの邪魔をしては悪い。

 ぼくは闘いの結果を見届けることなく、別のゲームへ移動した。



 あちこち見て回っていたら、早くもバスの時間が迫って来た。

 残念ながら、今日のところは様子見で終わり。

 次に来た時は……うーん、どれを遊ぼう?

 これだけいろんなゲームがあると、目移りするばかりでどれを遊んでいいのかわからなくなってしまう。

 片っ端から遊べるほど、お小遣いに余裕があるわけでもないしね……。


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一九八六年 六月十二日(木)

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 いつもの本屋さんで文庫本を補充している最中、ふと思い立って専門雑誌のコーナーに寄ってみた。

 なんだ、あるんじゃないか、ゲームの本。

 科学や鉄道やプラモデルの雑誌に混じり、テレビゲームの写真が載った本も並んでいる。

 ちょうどいいや。少しテレビゲームのことを調べてみよう。

 最近はどんなゲームがあって、それぞれどんな内容なのか。それがわからないと自分がどんなゲームを遊びたいのかすらはっきりしない。

 さっそく手に取って、一冊ずつ中身を確認。


 うーん……。

 ゲームはゲームでも、ファミコンとかマイコン――今は「パソコン」と呼ぶらしい――の本が多い。

 ゲームセンターではなく、家庭で遊ぶゲームの本ばかりだ。

 やっぱりゲームセンターって世間の風当たりが強いんだろうか。その割りに、ギャンブル関係の本が色々と並んでるのが、どうにも納得行かないんだけど。


 そんな中、かろうじて「Beep」という本を見つけ出した。

 ファミコンにパソコンにゲームセンター、様々なゲームの記事がまとめて載っている。

 エポックとかセガって会社のファミコンまで扱っていて、ぼくのようなゲーム初心者には、いい参考書になってくれそうだ。


 ……って、いやいや、ちょっと待った。

 よく考えたら、こういう本を家に持ち帰るのはまずい。

 ただでさえ、テストの結果が今ひとつだったばかり。

 こんなタイミングでテレビゲームに夢中になっていることがばれたら、どう考えてもろくな結果にはならない。


 どこか目立たない場所に隠しておいて、こっそり読むようにする……。

 えっちな本でもないのに、なんだか情けないなあ。

 それに、万一見つかってしまった時、言い訳するのがえっちな本より難しそうだ。


 別に、読書自体を止められてるわけじゃない。

 SFにファンタジーにジュブナイル。

 このお店で買った本を家族の前でも読んでいても、それを注意されたことは一度も無い。

 要は、テレビゲーム、特にゲームセンターのゲームに興味があることさえ隠し通せれば、本が見つかっても問題にされることは無いはず……。


「あ……」


 これ、どうだろう?

 紙面のほとんどは、読者が作ったパソコンのプログラム。

 そして巻末には、投稿作品ではなくちゃんと製品として発売されているゲームの紹介。パソコンにファミコン、そしてゲームセンターのゲームも取り上げられている。

 目的の記事のページ数では「Beep」に遠く及ばないけれど、書かれている内容はかなり詳しそうだ。

 これなら見つかっても、「パソコンのプログラムに興味が湧いた」という理由でごまかせるんじゃないかな。


 とりあえず買ってみるか。

 予定外の出費については、明日からお昼のグレードを下げることでなんとかしよう。

 ぼくは文庫本と一緒にそのパソコン雑誌、「マイコンBASICマガジン」を持って、レジへと向かった。


 それにしてもこの本、「マイコン」BASICマガジンなんだよね。

 でも、その下には「パソコン用ソフト一挙掲載!」と書いてある。

「マイコン」と「パソコン」、結局どちらでも良いんだろうか。


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一九八六年 六月十四日(土)

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 金曜、土曜と雨足が強く、バスが運行中止になる恐れが出て来たので、両日とも寄り道せずにまっすぐ帰る。


 そうだよね。

 山道を長時間走る以上、当然こういうこともあるよね。

 考えてみれば当たり前のことなのに、ついつい見落としていた。

 台風の時期とかどうなるんだろう。

 学校に行けなくなるのも、家に帰れなくなるのも、どっちも困るなあ。


 マイコンBASICマガジンは、自分の部屋で一人になった時だけ読むようにしている。

 いくら言い訳を用意してると言っても、わざわざ他の人に見せて疑惑の種をまく必要は無いわけだし。

 紹介されていた【ファンタジーゾーン】という新作ゲームが、パステルタッチの明るい雰囲気で興味を引かれた。

 でも、こんなタイトル、ゲーム・パラダイスにあったっけ?


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一九八六年 六月十六日(月)

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 今日はじめじめした薄曇り。

 いつ降り出してもおかしくないけど、通行止めになるような大雨にはならないと思う。


 そんなわけで、数日ぶりのゲーム・パラダイス。

【ファンタジーゾーン】は、やっぱり置いてないみたいだ。

 その代わり【フェアリーランドストーリー】と【ツインビー】、二つのタイトルが目に付いた。


【フェアリーランドストーリー】は、お城の中の四角い部屋を、横から見た視点のゲーム。

 魔法使いの女の子を操作して、部屋の中のモンスターを退治する。


【ツインビー】は、この前見た【ハレーズコメット】と同じ、敵を撃ち落としながら画面の上の方に進んで行くゲーム。

 ただし、宇宙で戦う【ハレーズコメット】に対して、こちらは「ドンブリ島」という緑の島が舞台。

「スパイス大王」とか「シナモン博士」とか、なにやら食欲をそそる言葉がゲームの説明書きに並んでいる。


 どちらも登場するキャラクターがすごくかわいい。これはきっと、小さい子供や女の子をターゲットにしたゲームなんだと思う。

 だったら、ぼくみたいな初心者でもそれなりに楽しめるかもしれない。

 まずは【フェアリーランドストーリー】の方から遊んでみよう。



 結論から言うと、【フェアリーランドストーリー】は面白いゲームだった。

 ただし、「甘い」ゲームでは無かった。


 主人公の女の子は、モンスターに魔法をかけて、ケーキにすることができる。

 ケーキに魔法をかけ続けて崩したり、床の端まで押して行って下に落としたり、落としたケーキで他のモンスターを押し潰したりして、すべての敵を倒せば一面クリア。

 敵をケーキに変えるなんて、ずいぶんメルヘンチックな魔法だと思ったけれど、冷静に考えれば、かなり残酷なことをやってるような気がする。

 まあ、メルヘンの世界って、意外とブラックな要素が多いものだけどね。

 グリム童話なんて、原作は絶対子供に読ませない方がいいと思うし。


 だけど、「甘くない」というのはそういう意味じゃなくて。


 このゲーム、敵を一体ずつ倒して行くだけなら、それほど難しくない。

 しかし高得点を狙い出すと、途端に難易度が跳ね上がる。

 高得点を出す秘訣は、複数の敵をまとめて倒すこと。

 お金を入れる前のデモでは、三体のモンスターを一気に全滅させる模範プレイも流れていた。

 いかにも簡単そうに見えたのに、いざ自分でやってみると、モンスターがなかなか思った場所へ来てくれない。

 なにも考えずにモンスターを倒しまくった最初のプレイでは八面まで進めたのに、高得点を狙い出した二回目からは、良くて五面までしか進めない。

 それでいて、スコアは二回目以降の方が高い。八面まで進むより、五面でゲームオーバーになった方が高得点。

 このゲームが、いかにモンスターの倒し方を重要視しているのか実感できる。


 これ、ハイスコアを狙おうとすれば、恐ろしいほどの研究が必要なんじゃないだろうか。

 ただかわいいとしか感じなかった【フェアリーランドストーリー】の画面が、どこまでも続く迷宮の入り口のように見えてくる。

 この迷宮の奥底には、きっと素敵な宝物がいくつも隠されているんだろう。

 でも、宝物を手にすることができるのは、歴戦の探検家だけなんだ、きっと。

 知識も経験も、ついでに予算も時間もない素人探検家はお呼びじゃない。

 入り口周りを見学するだけで満足しておこう。



【ツインビー】は、「面白そう」なゲームだった。

 自機であるツインビーを始め、登場するキャラクターは丸みを帯びていてかわいいし、澄んだ音色のBGMも耳に心地いい。

 雲に弾を当てると黄色いベルが飛び出して来ることがあって、これを取るとボーナス点。

 ベルを撃ち続けると青や白に色が変わって、この時に取るとパワーアップ……。


 いきなり大変なことになった。


 ベルに弾を撃ち込んでいる間も、敵はどんどん出現する。

 他の雲からも、新しいベルが飛び出して来る。

 敵を撃っていると、流れ弾がベルにも当たり、せっかくのパワーアップベルが黄色に戻る。

 かと言って、撃つのをやめたら敵が倒せない。


 中途半端に撃ったりやめたりを繰り返していたら、画面内が敵とベルに埋め尽くされた。

 もはやなにを撃てばいいのか、どこに動けばいいのかもわからない。

 わたわたしているうちに一機、二機と続けてツインビーが撃墜された。


 せめて一度ぐらい、自機がパワーアップした姿を見たい……!


 そんな切なる願いが通じたか、ツインビーの目の前でベルの色が変わる。

 迷わず突っ込んだ次の瞬間、ツインビーの周囲に丸いバリアが出撃した。

 体当たり寸前まで迫っていた敵が、バリアに触れて消滅する。


 助かった……と思ったのも束の間、周囲から卵のような敵がわらわら寄って来た。

 スピードや攻撃力が上がったわけでは無いから、満足に避けることも撃ち落とすこともできない。

 見る見るうちにバリアが削られて、ほどなく完全な初期状態に戻る。

 必死の抵抗もここまで。

 最後のツインビーは、どこからか不意に現れた蜂のような敵に体当たりされて、空中にドクロマークを描いた。


 多分……。

 このゲームは、ベルによるパワーアップに慣れてからが、おもしろいんだと思う。

 せめてスピードアップとツイン砲ぐらい取らないと、ザコ敵を撃ち落とすのさえままならない。

 ベルがたくさん出るということは、それだけパワーアップする機会も多いということ。

 最初の壁さえ乗り越えてしまえば、実は遊びやすいゲームなんじゃないだろうか。


 バスの時間が迫っているので、お楽しみはここまで。

 本日の教訓としては、「外見でゲームを判断してはいけない」というところだろうか。

【フェアリーランドストーリー】も【ツインビー】も、それぞれ魅力的なゲームだとは思うけれど、小さな子供向けかと言えば明らかに違う。


 考えてみれば、ゲームセンターに小さな子供なんてそうそういるわけないんだった。

 だったら、置いてあるゲームが子供向けじゃ無いのは当たり前。

 ぼくの考え、最初の段階から間違ってたなあ……。


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一九八六年 六月十七日(火)

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【マーブルマッドネス】を一回遊んだ後、テーブルゲームの方を覗いてみる。

 ちょうど<SPC>さんが【フェアリーランドストーリー】を遊んでいたので、後ろから観戦させてもらった。


 あるステージでは、開始と同時に一番上の段までダッシュして、追いかけて来たモンスターに魔法をかける。

 落下するケーキに巻き込まれ、残りのモンスターも全滅。

 ステージクリア。


 あるステージでは、モンスターが入れない安全地帯に移動して、そのままちっとも動こうとしない。

 時間切れになるんじゃないかと見ている方が不安になる頃、アイテムが出現。

 それを取ると画面中に流星が降り注ぎ、モンスター全滅。

 ステージクリア。


 あるステージには、ほとんど足場が存在していなかった。

 しかし<SPC>さんはモンスターの頭に飛び乗り、普通のジャンプでは届かない床に移動する。

 追って来たモンスターに空中で魔法をかけ、残りのモンスターを一気に押し潰す。

 ステージクリア。


 これは、すごい。

 すべての面でかっちりと攻略法が完成している。

 きっと一面一面じっくりと研究し、パターンを作り上げて行ったんだろう。

【フェアリーランドストーリー】とは、そうやって楽しむゲームなんだろう。


 今のぼくに【フェアリーランドストーリー】は、やっぱりちょっと難しそうだ。

 でも、<SPC>さんのようにゲームと正面から向かい合い、徹底的に極める遊び方は、なんだかすごくかっこいいと感じた。


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一九八六年 六月十八日(水)

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『北』の三人組が【ツインビー】を遊んでいた。

 二人が左右に並んでツインビーとウインビーを操作し、もう一人はゲーム機の反対側に座ってプレイの様子を眺めている。

 どちらの機体もスピード・ツイン砲・バリアを装備し、さらに、どういうパワーアップなのか、ツインビーとウインビーの間を二つのボールが高速で行ったり来たりしている。

 ボールに当たった敵はことごとく撃墜されてるから、これも攻撃手段の一種らしい。


 それぞれ画面の左右に分かれ、自分の領域の獲物を確実に撃ち落としている。

 なかなか良いコンビネーションだと思う。


 ……と感心していた矢先、ツインビーが地上への攻撃に気を取られて、空中の編隊を丸々撃ち逃した。


 ツインビー自身は攻撃をかわしたものの、ウインビーの方が集中攻撃を受ける形になり、一瞬でバリア消滅。そのままやられてしまう。

 文句を言うウインビー。

 謝りながらパワーアップに協力するツインビー。

 二人でベルに弾を撃ち込み、色が変わったらすかさずウインビーが回収。

 すぐにウインビーはフルパワーアップ状態に復帰する。


 そうか、二人いると攻撃力が倍になるだけじゃなく、こういう時にも便利なんだな。


 ……と感心していた矢先、ツインビーが取ろうとしていた黄色のベルに、ウインビーの発射した弾が命中。

 ツインビーの目前でベルの色が変わる。

 取ったベルの色は青。スピードアップ。


 どうやら、ツインビーにとっては速度が上がりすぎらしい。さっきまでより、明らかに操作に苦労している。

 そんなツインビーの目の前で、またもやベルが青色に変化。

 ツインビー、だめ押しのスピードアップ。

 操作している二人とも、もう大騒ぎ。

 反対側に座った三人目もゲラゲラ笑っている。


 なるほど、これは楽しそうだ。

 二人できちんと協力できている時はもちろん、コンビネーションが崩れてプレイ内容がむちゃくちゃになった時も、それはそれで面白い。

 事実、結果的に足の引っ張り合いになった『北』の二人も、文句を言い合いながら大笑いしている。


【ツインビー】の二人同時プレイ、ぼくもちょっと試してみたくなった。

 だけどぼくの場合、一緒に遊んでくれる相手がいないんだよなあ……。


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一九八六年 六月十九日(木)

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 ガラス扉を開けると、<MOR>が手をゲーム機に叩きつけるような勢いで【マーブルマッドネス】をプレイしていた。

 両の手のひらでギュンギュンと音を立てながら、四方八方へボールをぶん回している。

 ぼくのやり方とはまったく違うワイルド極まりないプレイスタイルに、思わず見入ってしまう。


 一面ラストの坂道で、<MOR>は青いボールを一気に加速させた。

 曲がり角の前でも一切減速せず、そのままコーナーの端からジャンプ!

 ボールは見事に崖を飛び越え、数字の書かれたパネルに着地。スコアが一気に四千点も跳ね上がった。


 ただしその直後、細い道を渡りきれず、青いボールは谷底に落下。

 続く二面でも、シケイン状の曲がり道で三回続けて落下。

 ギリギリでたどり着いた三面は、スタート直後の壁に囲まれた道をなかなか抜けられず、ここでゲームオーバー。


 一面のジャンプはすごかったけれど、終わってみれば、ぼくとあまり変わらない進行度。

 どうやら<MOR>は、豪快な操作が得意な反面、細かい制御は苦手らしい。


 後ろでぼくが見ていたことに気付くと、<MOR>は不機嫌そうに眉をしかめて、名前も入力しないままテーブルゲームの方へ歩き去った。

 ぼくと同レベルということは、このお店の常連の中では、決してうまい方じゃない。

 そんなプレイをじっと見られていたのは、やっぱり気分が良くないんだろうな。

 どうもぼくは、<MOR>の機嫌を損ねてばかりいるような気がする。

 これからはもっと気を付けなきゃ。


 それはともかく、<MOR>のプレイは色々参考になった。

【マーブルマッドネス】は、手元のボールと画面の中のボールが完全に同期しているわけじゃない。

 手元のボールを動かしても、画面の中のボールが動き出すまでほんの少し時間がかかる。

 手元のボールを止めても、画面の中のボールはそれまでの勢いでしばらく動き続ける。

 加速度や慣性といった物理法則がゲームの中で計算されていて、手元で動かした通りに青いボールが動くわけじゃない。


 だったらむしろ、最初からボールの動きを一致させようと考えない方が効率的なんじゃないだろうか?

 ブレーキをかけたい時は、ボールを止めるのではなく、進行方向とは反対にボールを回転させる。

 カーブを曲がりたい時は、その時の青いボールの動きも計算したうえで、実際のコースとは少しずらした方向に回転させる。

「ベクトル」ってやつを意識すればいいのかな? 確か二年の代数幾何で習う内容だから、ぼくも詳しくは知らないけど。


 とにかく、このやり方だと手元のボールが動きを止めることはほとんどなくなる。

 右手だけじゃ多分追いつかない。

 ぼくも両手を使ったプレイに挑戦してみよう。



 数分後。

 左の手のひらがボールと機械の隙間に挟まり、ぼくは声を押し殺しながら悶絶した。


――――――――――――――――――

一九八六年 六月二十日(金)

――――――――――――――――――

 早ければ今日には【スペースハリアー】の修理が終わっているはず。

 そわそわと落ち着かない日中を過ごし、図書室に寄ろうと言う委員長の誘いも辞退して、ぼくは急ぎゲーム・パラダイスへ向かった。

 勢い込んでガラス扉を開いたものの、残念、【スペースハリアー】は相変わらず斜めに傾いて電源も落とされたままだ。

 仕方ない。

 人生には、こういうことだってあるよね。


【戦場の狼】は、敵兵ひしめく戦場をたった一人で突破して行くゲーム。

 武器は主人公の向いた方向へ連射できるライフルと、画面の上方向へのみ投げることができる手榴弾。

【フェアリーランドストーリー】や【ツインビー】と違って、グラフィックはリアル志向。

 敵味方の兵士、ヘリコプターやジープと言った乗り物、迫撃砲やトーチカと言った兵器の類が、緻密に描き込まれている。


 テーマ的にも、難易度的にも、すごくハードなゲームに見える。

 しかし、ゲームを見た目の印象だけで判断しちゃダメということは、すでに学習済みだ。

 試しに一回遊んでみることにする。丸椅子に座って、五十円玉を投入。


 勇ましいBGMと共に、主人公がヘリコプターから戦場へと降り立った。

 すかさず周囲からは、敵の兵士が寄り集まって来る。

 一回ボタンを押すと三連射されるライフルで、敵を撃退。

 ぼくの操る主人公が、たった一人で戦場を駆け始める。


 おお、かっこいい。

 アクション映画の主人公みたい。


 弾を撃ちながら縦方向に進んで行くのは【ツインビー】や【ハレーズコメット】と同じ。

 でも、あちらが強制的に画面が流れて行くのに対し、【戦場の狼】は自分で画面を前進させる必要がある。

 危険を感じれば、その場に止まって、周囲の敵を片付けてから先に進むという選択も可能だ。


 しかしどうも、敵の戦力には限りが無いらしい。

 その場にじっとしていても、援軍が増えるばかりで、かえって危険が増しているような気がする。


 方針変更。

 追いすがる敵を振り切って、ひたすら前進する。


 途中、連行される味方の捕虜を発見した。

 両脇の敵を倒して解放すると、バンザイして喜んでくれてボーナス点。

 見ているこっちも、なんだかうれしい。


 それにしても、このゲームも難しい。

 迫り寄る敵に、なかなか弾を当てることができない。

 ライフルで敵を倒すには、一度、敵の方に向き直る必要がある。

 だけど、銃を撃ちながら追いかけて来る敵兵に、逃げるのではなく向き直ると言うのは、たとえ一瞬であってもかなりの勇気がいる。

 もうひとつの攻撃手段、手榴弾は、自分がどこを向いていてもまっすぐ前方にしか飛ばなくて、ライフル以上に当てるのが難しいし。


 でも、これは納得の行く難しさだ。

 それに、ある程度難しいからこそアクション映画に入り込んだようなスリルが味わえるというもの。

 本当の戦争は絶対にお断りだけど、ゲームの中の戦争は結構……いや、すごく楽しい。


 この日ぼくは、【戦場の狼】だけ四回も続けて遊んでしまった。

 これは、あくまでゲーム自体がおもしろかったからであって、【スペースハリアー】が遊べなかった鬱憤を、名も無き兵士たちにぶつけていたわけではない。


 ……と、思う。


――――――――――――――――――

一九八六年 六月二十一日(土)

――――――――――――――――――

 さすがに、二日続けて委員長のお誘いを断るのは抵抗がある。

 他の優等生グループも合流して、帰る前に図書室へ。

 お昼は、みんなでデパートの地下にあるハンバーガーショップに入った。


 実はぼく、ハンバーガーショップで食事をするのはこれが初めて。

 購買部のパンに比べるとえらく割高でちょっと驚いたけど、クラスメイトと外食をするなんて中学の時以来だし、ここは必要経費として自分を納得させる。

 購買部のサンドイッチが八十円なのに対し、さして大きいわけでもないハンバーガーが二百十円だったけど、気にしないことにする。

 ハンバーガーだけでテーブルゲーム四回分、コーラとアップルパイも合わせると文庫本一冊分のお金が消えちゃったけど、これも社会勉強だと、頭の中の電卓を放り投げる。


 紙コップのコーラと共に食べるハンバーガーは、お祭りの屋台で食べるたこ焼きとか、海の家で食べるラーメンのような、「おいしい」と言うより「楽しい」味がした。

 たまーにだったら、こういう贅沢も悪くない。

 そう思い始めたところ……。

 ふとこぼれ落ちた、何気ない委員長の一言で、いきなり味そのものがまったく感じられなくなった。


 期末試験……。


 忘れてた。

 七月に入れば、すぐに期末試験があるんだった。

 確か七月七日、七夕からだっけ?

 だとすれば、週明けには試験範囲が発表されるはず。


 まずい。

 勉強をがんばるとあれだけ決心しておきながら、ここしばらくテレビゲームのことで頭がいっぱいになっていた。

 もちろん、宿題と予習復習ぐらいは毎日こなしてる。

 でも、それだけじゃ足りないことは、中間試験の時に痛感している。


 内心頭を抱えながら、それでもみんなと別れた後ゲーム・パラダイスに寄ってしまったのは、我ながら意志が弱すぎだと思う。

 しかも、今日こそ本当に【スペースハリアー】が直っていて、うれしさのあまり三回もプレイしてしまったのは本当に猛省すべきだと思う。

 いつもの本屋さんで、問題集を選ぶついでに今月号のマイコンBASICマガジンまで買ってしまったことに至っては、もう自分で自分の行動がわからない。


 もしかしてぼく、ものすごい勢いで堕落していってないか?

 それこそ【マーブルマッドネス】で谷底に落っこちる青ボールみたいに……。


――――――――――――――――――

一九八六年 六月二十三日(月)

――――――――――――――――――

 七月が近付くにつれ、蒸し暑い日が増えて来た。

 しかし、今ぼくの背中を伝っている汗は、暑さのためではなく明らかに冷や汗。


 日曜日、期末試験の範囲を想定して問題集に挑んでみると、悪い意味で予感的中。

 うろ覚えだったり、勘違いしていたりの箇所が、ぽろぽろと発覚してしまった。


 加えて、今日の授業中に発表された期末試験の範囲は、予想よりずっと広かった。

 この試験範囲すべてを、今から見直しできるのか……。

 正直、絶体絶命の一歩手前だと思う。


 ただ、希望が残されていないわけでもない。

『南』の先生は、試験前に、過去の授業のポイントを改めて教えてくれる傾向にあるようだ。

 進行中の授業内容に絡めて説明することもあれば、雑談でもするかのように「教科書のここは読み直しておけよー」みたいな言い方をすることもある。

 先生たちだって生徒の点数が悪いと困るはずだから、この時期の授業には本当に大事な内容が詰め込まれていると予測する。


 しばらくの間、授業中は先生の話に集中しよう。

 他の教科の内職は元より、気を散らしたり居眠りをしたりなんてもってのほか。

 当分の間は寄り道も禁止。

 ようやく戻って来た【スペースハリアー】。

 両手プレイをもっと練習したい【マーブルマッドネス】。

 ストレス発散にちょうどいい【戦場の狼】。

 遊んでみたいテレビゲームは山のようにあれど、ここで誘惑に負けると本当にまずいことになる。


 そう決意したはずなのに、気が付けば裏通りの方へ足を向けている自分が怖い。

 慌てて方向転換してバス停へ。

 ここは我慢。

 とにかく我慢。

 今月は、お金もかなり消費しちゃってるしね……。


――――――――――――――――――

一九八六年 六月二十五日(水)

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 放課後。

 委員長から、授業中の態度が変わったけど、何かあったのかと質問された。

 気付く人がいるとは思ってなかったので、少し驚いた。

 でもまあ、別に隠すようなことじゃなし。

 期末試験対策が、ちょっと危ないと説明する。


 委員長は、やっぱり寮に入った方がいいんじゃない? ――と珍しく少し意地悪っぽい笑みを見せた。

 実は委員長、ぼくの長距離バス通学には反対派。

 学校の近くに住んだ方が絶対に良いと何度も力説されている。


 だけど、普段ならともかく、困っているぼくに対してその話題を引っ張るようなことはしない。

 委員長は、わざわざ自分のノートを持って来てぼくの隣に座り、今度の試験で重要となるポイントを説明してくれた。

 最初に声をかけてもらってからこっち、委員長にはお世話になりっぱなしで、まったく頭が上がらない。


 試験が近いためか、しばらくすると他のクラスメイトも何人か集まって来た。

 最終的には八人ほどに増えたので、机をいくつかくっつけて臨時の勉強会を始める。

 今日はぼくも帰りのバスを遅らせて、解散までみんなに付き合った。


――――――――――――――――――

一九八六年 六月二十六日(木)

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 そろそろ本当にテレビゲームが遊びたくなってきた。

 夜の勉強中も、本棚の目立たない位置に紛れ込ませたマイコンBASICマガジンの方へ、ついつい視線が向いてしまう。

 今月号には確か、眼鏡少年が遊んでいた【黄金の城】の記事が載ってたっけ……。


 だめだめ。

 今は勉強に集中だよ、集中。


――――――――――――――――――

一九八六年 六月二十七日(金)

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 発車時刻を十分も過ぎてるのに、まだ帰りのバスが来ない。

 こういう時はベンチに座っていてもなんだか落ち着かず、単語カードの内容も頭の中を素通りしていく。


 だったらいっそ、気分転換に行っちゃおうかな?

 遊んでる間にバスが来たとしても、家には適当な言い訳を電話すればすむし……。


 とか不穏なことを考えていたところで、ようやくバスが到着した。

 ほっとしたような、がっかりしたような……。

 いやいや、これで良かったんだよ、もちろん。


――――――――――――――――――

一九八六年 六月三十日(月)

――――――――――――――――――

 期末試験まであと一週間。

 部活も全面的に休みとなり、『南』全体が緊張した空気に包まれる。

 ぼくはと言えば、授業を真面目に聞いてるのと、委員長を始めとする周囲のフォローのおかげで、最初の予想よりはずっと良い感じに試験対策が進んでいた。


 もちろん油断は禁物。

 もうしばらく、あと一週間だけ、テレビゲームは我慢。


――――――――――――――――――

一九八六年 七月一日(火)

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 そうは言ったものの、自分一人ではいつか誘惑に負けちゃいそうな気がする。

 放課後は個人行動を取ることが多いぼくだけど、試験期間中はなるべく他の人と一緒にいた方が良いかもしれない。


 その放課後。

 土曜日によくお昼を一緒している部活組のクラスメイトが、「お願い!」と拝むポーズで、試験範囲の問題について質問して来た。

 ぼくが先生役にふさわしいかどうかはともかく、これは渡りに船というもの。

 お互いにわからないところを、教えたり教えられたり。

 変に寄り道ができない時間まで、ぼくはクラスメイトと一緒に過ごした。


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一九八六年 七月二日(水)

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 委員長が、試験勉強の進み具合を聞いてきた。

 今ひとつ自信が持てないと正直に白状すると、その場で十問、口頭ですらすらと問題を出してくれる。

 教科書もノートも見ないまま問題を出せることに感心しつつ、必死に回答した結果は、正解率九割。

 間違えた一問は、引っ掛けとして出される可能性が高いから注意するよう、委員長本人から念押しされていた問題だった。


 せっかく教えてもらったのに忘れていたことを謝罪する。

 委員長はにこりと笑って、本番前に思い出せて良かったね、と言ってくれた。


――――――――――――――――――

一九八六年 七月三日(木)

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 梅雨前線が季節の移り変わりに全力で抵抗しているかのような大雨。

 こういう天気の時はゲームも試験勉強もなく、とにかく急いで帰らないとバスの運行が危ない。


 幸い今回も、ちょっと到着が遅れただけで無事に帰り着けた。

 バスが止まったら自分の家に泊まればいいと、何人かのクラスメイトが誘ってくれたけど、試験前のこの時期に迷惑をかけるのは心苦しいしね。

 とりあえず良かった。


――――――――――――――――――

一九八六年 七月四日(金)

――――――――――――――――――

 全然良くなかった。


 朝の通学途中、ついに恐れていた事態が発生。

 大雨による落石で、駅までの道路が通行止めになってしまった。

 運転手さんが無線でバス会社と連絡を取り、別の道を通って駅に向かうことが決まったものの、到着は一時間近く遅れると言う。


 ぼくは運転手さんにお願いして、近くの停留所で公衆電話をかけさせてもらった。

 テレホンカードの使えない旧式のダイヤル電話で少し焦ったけれど、幸い財布の中には十円玉が数枚入っていて、ほっと一息。

 他のお客さんを待たせないよう早口で学校と自宅に状況を説明して、バスに戻る。

 予定外に長くなった車内での時間は、もちろん試験勉強にあてた。


 お昼休みに、今度はバス会社へ電話。

 落石の起きた場所ではしばらく工事が続くけれど、通行止めの区間を迂回して、バスの運行自体は続けてくれるそうだ。

 ダイヤの遅れも十五分程度に収まるらしい。

 それぐらいなら、朝の通学にも問題は無い。

 あとは、これ以上事故が起きないよう祈るだけ。


 話を聞いた委員長は、「無理にとは言わないけど」と前置きした上で、やっぱり入寮のことを考え直した方が良いと忠告してくれた。

 確かに、バスの遅れ程度ですんだのは、単なる幸運にすぎない。

 事故が起きた場所によってはしばらく登校できなくなる可能性もあったし、最悪、事故そのものに巻き込まれることだってあり得た。

 それを思えば、最初から学校の近くで生活した方が良いというのは、わかりすぎるくらいによくわかる。


 でも……うん、それでもやっぱり、ぼくは今の生活の方がいい。

 単なるわがままに過ぎないことは百も承知。

 そのわがままを通すためにも、今はがんばらないと……。


――――――――――――――――――

一九八六年 七月五日(土)

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 梅雨明けはまだのようだけど、昨日までの雨が上がって一週間ぶりの良いお天気。

 しかし、月曜日はいよいよ期末試験。

 ここまで来てしまうと、さすがに試験への焦りが心を占める。

 購買部で買ったパンをカバンに詰め、居残りはせず、委員長たちと駅へ。

 今日のお昼は、バスの中でノートを読み返しながら食べた。


――――――――――――――――――

一九八六年 七月九日(水)

――――――――――――――――――

 本日四時間目、最後の試験科目である数学Ⅰが終了。

 張り詰めていた空気が一気にゆるみ、教室に明るいざわめきが戻って来る。

 席で大きく伸びをしていると、委員長が「お疲れ様」と微笑みかけてくれた。

 次いでいつもの優等生グループや部活組の人たちも、わざわざぼくに声をかけてくれる。

 今回の試験ではみんな一緒に勉強する機会が多かったし、大雨で慌てて帰るわ、翌日は大遅刻するわ、なにかと話題の存在だったらしい。


 ついついその場で話し込んでいたら、パンの入った紙袋を持ったクラスメイトが今日はお弁当なのかと聞いてきた。

 しまった。

 今日は普通に午後の授業まであるんだった。

 つい昨日までと同じ、午前中で学校が終わるように錯覚していた。


「走る」一歩手前の早歩きで廊下を移動し、購買部へ。

 なんとか、あんドーナツとクリームパンを仕入れることができた。

 菓子パン系しか残っていなかったので、その後しばらく、口の中が甘ったるくてしょうがなかった。


 午後の授業では、さっそく期末試験の答案が返って来た。

 どれも予想以上の高得点。

 この調子なら他の科目にも期待が持てる。

 良い気分のまま、今日は久しぶりにゲーム・パラダイスへ……。


 ……とは、残念ながらいかなかった。


 テスト終了のお祝いにどこかへ寄って行こうと、複数のグループからお誘いを受けた。

 こういうイベントは、後日に回すとなんとなく盛り下がってしまう。

 明日には塾だの部活だので都合が悪い人もいるようだし。

 なおかつこの状況、一組を選んで残りを断るのは、非常に気まずい。

 かと言って、全員まとめてとなると、どこへ行くにも人数が多すぎる。

 あーもう、一体どうすれば……。


 いや待て、みんながやりたいのは「お祝い」だ。

 どこかへ行くこと自体が目的じゃない。


 だったら……と、中学時代にクラスメイト(学年に一クラスしか無かったけど)と時々やった遊び、通称「くじ引きドリンク」を提案してみた。


 予想以上にみんな乗り気になって、さっそく数名が買い出しに向かう。

 その間、ぼくたちはいらないプリントをハサミで切ってくじ作り。

 用意されたのは、人数分の飲み物。

 ただし、コーラやオレンジジュースと言った当たりに混じって、トマトジュースや栄養ドリンクのような、人によってはハズレな代物も含まれている。

 中にはおいしくないと評判の炭酸飲料や、地味に飲むのがつらそうな一リットルの牛乳パックまであるけど、買い出し担当の人たち、自分もくじを引かなきゃいけないことわかってるのかな。

 もっとも、地元でもこの遊びをやる時は変な飲み物ばかり集まって、自爆者続出になるのがお約束だったけど。


 悲喜こもごものくじ引きが終わり、それぞれの飲み物を掲げて試験終了の乾杯。

 ぼくが当たったのはホットの缶コーンスープ。もう夏場だというのに、一体どこで売っていたんだか。

 隣では委員長が、ブラックの缶コーヒーを手にしたまま途方に暮れている。

 乾杯の時に一口含んだものの、その後はどうしても飲み進めることができないらしい。


 当たった飲み物は全部飲み切るというのが、この遊びのルール。

 そう説明したのは、他ならぬぼく自身。

 でも、相手は大恩ある委員長。

 今回の試験では、ぼく以外にもお世話になった人が大勢いるのに、その打ち上げで不快な思いをさせてしまってはあまりに申し訳ない。


 委員長が缶コーヒーを机に置いた時、ぼくは「ついうっかり」自分の缶コーンスープと間違えて、ブラックコーヒーの方を飲み干してしまった。

 うまいこと誰にも見られなかったようだ。

 でも、空き缶を手にした委員長は、当然なにがあったか気付く。


 委員長は、空っぽになった缶コーヒーを口元に寄せ、ぼくだけに届くささやかな声で、小さく「ありがとう」とつぶやいた。


――――――――――――――――――

一九八六年 七月十九日(土)

――――――――――――――――――

 期末試験が終わって、早くも十日。

 いよいよ一学期の最終日がやって来た。


 実力試験はそこそこ。

 中間試験はいまいち。

 そして、期末試験では想定外の学年ベストテン入り。

 通知表は、胸を張って両親に見せられる数字が並んでいた。


 のみならず、ぼくはクラス全体の成績を引き上げた功労者として、担任の先生から賞賛の言葉までもらってしまった。

 勉強会のことなら、功労者はむしろ委員長だろうに、本人を始め、クラスメイトの誰も異議を申し立てようとしない。

 いつの間にやら、あの勉強会はぼくが主導者ということになっていたらしい。

 戸惑いの表情をどう解釈されたのか、クラス全員から拍手までしてもらって、恥ずかしいやら気まずいやら。


「ちょっと成績上がりすぎだよ。このレベルで『現状維持』を続けるのは大変じゃないか。失敗したなあ……」


 こんなことを考えていたなんて、絶対言えない。

 委員長にも言えない。



 それから――。

 ホームルーム終了後の教室で、先生公認の元、ささやかなパーティーが開かれた。

 寄せられた机に並べられたのは、トマトジュースや、栄養ドリンクや、ブラックコーヒーや、ホットの缶コーンスープ……。


 なんのことはない。前にぼくの提案でやった「くじ引きドリンク」だ。

 そんな大した遊びじゃないと思うのに、前回参加できなかった生徒がうらやましがって、二度目の開催となってしまった。

 話を聞いた先生なんか、珍しい海外のジュースをわざわざ持って来てくれて……。


 ……あの、先生。

 このジュース、どぎつい原色だったり、ラベルに唐辛子が描かれてたり、開ける前からほのかな異臭を漂わせてたり、どれも直球ストレートの「ハズレ」っぽいんですが。

 もしかしなくても、自分で飲みたく無いから持って来ましたよね、これ?


 結果を四字熟語でまとめるなら、「阿鼻叫喚」が妥当だろう。


 口直し用のポテトチップやチョコレートがあっという間に売り切れとなり、紙パックの牛乳を回し飲みするも希望者全員分には行き渡らず、ちょっと不安定な書体で「緑茶」と書かれたペットボトルを開けたら、これが砂糖をたっぷりと溶かし込んだ激甘ドリンク。

 耐え切れず吹き出す生徒が続出で、大掃除から一時間も経っていないのにバケツと雑巾が必要になる始末。

 もはや「くじ引き」でもなんでもない大惨状。


 でも、楽しいパーティーだった。

 あの委員長すらお腹を抱えて笑い転げる、すごく面白いパーティーだった。

 良い学校だな、『南』高校。

 もう何度目かの感慨かわからないけれど、ここに入学できて良かった。本当に。



 そして、クラスでのパーティーの後には、ぼくだけのもう一つのパーティーが始まる。



 今日は、クラスで打ち上げをすると家族に伝えてある。

 多少帰りが遅くなっても、どこでなにをやっていたか追求される心配は無い。

『南』に入学してからこっち、放課後になるといろんな楽しみを満喫して来た。

 だけど、半日近くも自由に過ごせるのは初めてだ。


 さあ、まずはどれからプレイしようか。

【マーブルマッドネス】?

【戦場の狼】?

【フェアリーランドストーリー】?

 最近入荷したばかりの【魔界村】や【メトロクロス】?


 いやいや、最初に遊ぶならやっぱりこれだろう。

 ぼくをテレビゲームの世界に引き込んだ、このゲームから始めるしか無いだろう。



   WELCOME TO THE FANTASY ZONE.

   GET READY!



 電子音声による歓迎の言葉と共に、座席が唸りを上げて駆動を始める。

 変わらない一体感、疾走感。

 どこまでも、どこまでも、ブラウン管の向こう側に広がる世界を突き進んで行く爽快感。

 この数ヶ月ですっかり手に馴染んだ操縦桿を握りしめ、ぼくは【スペースハリアー】の世界に没頭した。

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