【STAGE-1】

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一九八六年 四月二十五日(金)

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 春。


 ぼくは無事に受験を乗り切り、第一志望の高校へ入学を果たしていた。

 県内有数の進学校として名を馳せる、通称『南』高校への合格は、この町の歴史が始まって以来の快挙なんだそうだ。

 おかげでご近所は大騒ぎ。受験の疲れを癒す暇もないまま、あっちこっちのお祝いの席へ連れ回されることになった。

 お祝いしてくれるのはありがたいけど……そもそも、この町の歴史が始まったのはたった三年前。

 ここは、複数の「村」が合併して生まれた新しい「町」。

「始まって以来」というのは「町」になってからの話で、「村」時代の『南』合格者は、大して珍しくもなかったはずだ。


 しかし、そこは娯楽の少ない田舎町。

 大人たちが宴会を開く格好の理由に使われるのは避けようがなく、ぼくは春休みの大半を、ぎこちなく愛想笑いを浮かべる置物として過ごすことになった。

 この春で楽しかった思い出と言えば、中学の卒業生全員が集まった「卒業祝い」兼「お花見パーティー」ぐらい。

 ちなみに今年の中学卒業生は、全部で十八人だった。


 そんな宴会ラッシュが一段落すると、入学式、そしていきなりの実力試験。

 田舎町の優等生なんて、『南』じゃせいぜい平均レベルだろうな……と気負いもなにもなく臨んだのが逆に良かったのか、一週間後に貼り出された成績上位者一覧には、ぼくの名前も含まれていた。


 これをきっかけに、三つ編みお下げの委員長を始め、トップ圏内のクラスメイトが親しげに声を掛けてくれるようになった。

 知り合いが一人もいなくて居心地の悪い状況が続いていたから、ぼくとしても大歓迎。

 渓流でカジカやヤマメと泳ぐことができること。

 イノシシと出くわすかもしれないので、獣道に足を踏み入れてはいけないこと。

 近所の山に、「凧揚げ」ならぬ「凧下げ」ができる人気スポットがあること――そこでは山頂から吹き降ろす風に押され、凧が谷底へ伸びて行く――などの地元ネタを披露したところ、近くにいた他のクラスメイトにもいたく気に入ってもらえたようで、ぼくはそれまでの停滞が嘘のように、クラスの中へ溶け込んで行った。


 その結果、愛すべき地元のイメージが「田舎」を超えて「秘境」になってしまった気もするけど、嘘をついたわけじゃなし、ここは大目に見てもらおう。

 もしかしたら、うちのクラス経由で観光客が増えてくれるかもしれないしね。



 そんな秘境もどきから、ぼくはバス通学を続けている。

 マイカーでも自宅から駅前まで一時間はかかるところ、停留所に停まったり枝道を経由したりのバスだと、片道でざっと三十分追加。

 家からバス停までと、駅から学校までの歩き時間で、さらに三十分が追加。

 合計で片道二時間、往復四時間。

 起床時刻は毎朝五時。帰宅は早くて午後六時過ぎ。


 この話をすると、みんなどうして寮に入らなかったのかと不思議がる。委員長なんか、今からでも入寮できないか学校に交渉しようと熱心に勧めてくれた。

 県内各地から生徒が集まる『南』には、遠距離入学者のための寮があって、ぼくももちろん入寮資格は満たしている。


 だけどぼくは、寮に入るつもりなんてさらさら無かった。

 ただでさえ勉強が厳しくなるであろう三年間、食事や入浴の時間までかっちり決められ、二十四時間ずっと団体行動を強いられるなんて、考えるだけで息が詰まる。

 ぼくはやっぱり、食事や入浴は自分のペースで楽しみたい。

 部屋の中では、周囲の目を気にすることなく、のんびりとくつろぎたい。


 それに、いざやってみると、案外このバス通学は悪くなかった。

 噂に聞く通勤通学ラッシュなんて無縁の路線だから、二人用の座席を独占してゆったり過ごすことができるし。

 流れる景色を眺めながらパンやおにぎりを食べるのは、ちょっとした旅行気分だし。

 周囲に本棚とかCDラックのような誘惑も無いから、宿題程度なら自分の部屋より集中して片付けてしまえるし。


 そもそもぼくたちにとって、山を降りて駅まで出かけるというのは月に一度あるかないかの特別なイベントだった。

 まして、大人の引率抜きで自由に街を歩き回れるなんて、これまでの生活ではとても考えられなかった。

 朝陽を眺めながらバスを待っている時――。

 クラスメイトと並んで商店街の中を歩いている時――。

 気ままに駅の近くを見て回っている時――。

 なんとも言えない贅沢な気持ちが、胸の内に込み上げて来る。

 帰りのバスに乗り込んだ時は、まるでお祭りが終わった時のような寂しさを覚えるけど……。

 でも、明日もまたここに来られるんだと自分に言い聞かせる。それはそれで悪くないと、新たな喜びが湧き上がって来る。


 憧れの土地に「住む」のとは少し違う、「いつでも来られる」喜び。

 毎日味わうことのできる、色褪せない新鮮な感動。

『南』に合格して良かった。がんばった甲斐があった。

 偏差値とか進学率とはまったく関係ないところで、ぼくは自分の新しい母校に、いたく満足していた。



 まあ、朝、目覚ましが鳴った後の数分間は、自分の選択に疑問を抱くこともあるんだけど。



 その日もぼくは、クラスメイトと別れた後、ぶらぶらと街の散策を楽しんでいた。

 華やかな大都会に思えていたこの街も、ほんの十分も足を伸ばせば田んぼや畑が広がり出す。

 木造の古い家屋が立ち並ぶ通りもあれば、丘をショベルカーで切り崩している工事現場もある。川沿いに進むと、やがて消波ブロックの並ぶ海岸線に到達する。

 全国的に見れば、多分こういう土地を「都会」とは言わない。

 でも、別にがっかりしたわけじゃない。

 これまで漠然とした憧れしか持っていなかった街の、本当の姿を知ることができて、なんだかうれしい。


 今日は、駅の近くなのにまだ見たことの無かった場所、あまり人気のない裏通りへ向かってみた。

 車が二台ギリギリすれ違える程度の細い道。

 両脇には、民家やアパートや雑居ビル、まだ入り口が閉まったままの飲み屋さんなんかが、ごちゃごちゃと建ち並んでいる。

 そんな中、お店周りがきれいに掃除された小さな本屋さんを発見。

 なんとなく、ぼく好みの本がそろっていそうな匂いがする。

 少し迷って……中に入るのはやめることにした。

 どうもこの裏通りは、高校生が長居する場所じゃないように思える。

 校則に書かれた「本校生徒として相応しくない場所」に当てはまりそうな気がする。

 腕時計を見ると、そろそろバスの時間。もう駅へ向かうことにしよう。


 心の中でそう結論づけた時、かすかに、その音が耳に届いた。


 絶え間なく響く銃撃音に爆発音。軽快なシンセサイザーのメロディー。

 はっきりとは聞き取れないけど、確かにどこかで聞いた音。

 一体どこで聞いたんだったか、ぼくは耳をすませながら記憶をまさぐる。

 そんなに遠い記憶じゃない。これは……そう、確か今年の、まだ寒い時期に――。


 物思いに沈むぼくの目の前で、いきなりガラス扉が中から押し開けられた。

 途端に溢れ出す、大ボリュームの電子音。

 扉の内側に見えたのは、薄暗い店内で激しく揺れ動く大きな機械。


 お正月にデパートの屋上で見たテレビゲーム、【スペースハリアー】だった。


 改めて目にすると、やっぱりすごい迫力だ。

 美しいコンピューターグラフィック。目まぐるしく飛び交う巨大な敵。激しく揺れ動くコクピット。

 あんな座席に座っていて、ちゃんとゲームが遊べるんだろうか? 遊んでいて気持ち悪くなったりしないんだろうか?

 なにより……面白いんだろうか?

 あのテレビゲームは、面白いんだろうか?


「……………………」


 そこでぼくは、ようやく頭上から注がれる視線に気が付いた。

 ぼくより頭ひとつ背の高い女性が、ガラス扉を押し開けたまま、眠そうな目をこちらに向けている。

 サンダル履きにオレンジ色のエプロン。黒いジーンズ、クリーム色のトレーナー。口元には火の点いていない煙草。

 どうやら煙草を吸いに出て来た店員さんらしい。


 ぼくは、その店員さんの大きく盛り上がった胸元の、わずか十数センチ手前に突っ立って、店内のテレビゲームに見とれていた。


 驚きと気まずさと気恥ずかしさで、軽いパニック状態に陥る。自分の顔が真っ赤になったのか真っ青になったのかもわからない。

 思考が停止したまま、とりあえずぼくは、ぶんっと勢いよく頭を下げた。

 彼女がするりと身をかわしたのは、多分そのままだと、ぼくの顔が胸の膨らみを直撃したせい。

 そんな、その場で取り押さえられてもおかしくない行動に言い訳を試みる余裕もなく、頭を下げた不自然な姿勢のまま、ぼくはその場を走り去った。


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一九八六年 四月二十六日(土)

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 明けて、土曜日。

 半日授業が終わり、ぼくは部活組のクラスメイトとお昼を食べてから学校を出た。


『南』では、部活をやるかどうかは生徒の自由で、義務になってるわけじゃない。

 それでも、体育系文化系を問わずやりたいことがある人、高校生活が勉強だけじゃイヤだという人、それに内申書の評価が良くなることを期待する人がそれなりにいて、在校生の過半数はなんらかの部活に所属している。

 もっとも、なにを置いても学業最優先の校風だから、本気で部活動に打ち込む人は少数派。

 スポ根マンガにあるような熱血の空気は存在せず、マイペースにのんびり楽しく活動しているらしい。

 バレー部とバスケ部がお互いのルールで交流試合をしてるとか、写真部と鉄道同好会がそれぞれ計画を出し合って撮影旅行に出かけているとか、漫画研究部と料理研究部が「マンガ肉」や「穴あきチーズ型チーズケーキ」を開発して大好評なんて話を聞くと、なんだかうらやましくなってしまう。

 ぼくの通学環境が知れ渡って以来、入部のお誘いがぴたりと止まってしまったのが少し寂しい。


 委員長を始め、最近一緒に帰ることの多いクラスメイトは、わざわざ学校でお昼を取ることもなく撤収済み。

 誰に気兼ねすることもなく、ぼくは駅前のデパートに入って屋上へ向かった。

『南』の校則では、十八歳未満の立ち入りが禁止されている施設、アルコールを中心に提供している飲食店、及び「本校生徒として相応しくない場所」への立ち入りが禁止されているだけで、テレビゲームに関する記述は無い。


 だったら、デパートの屋上でテレビゲームを遊んでも問題は無いはずだ。

『南』の生徒に相応しい場所かと言われればちょっと苦しいかもしれないけど、校則違反とも言えない……はず。


 我ながら言い訳がましい思考のせいか、どこかこそこそした足取りになりながら、屋上プレイランドに到着。


 愕然とした。

 無い。

【スペースハリアー】が無くなっている。


 屋上に来た人が必ず目にする一等地にあったのは、テレビゲームではなく、丸いカプセルをボタン操作で拾い上げる、機械式の遊具だった。

 四角いケースの一番上に、大きく「UFO CATCHER」と書かれている。

 オモチャやお菓子をクレーンで拾い上げるゲームは、これまでにもあった。でもそのほとんどは、ガラスケースを上から覗き込んで操作するタイプだった。

 それに対して、この【UFOキャッチャー】はケースが大きく、商品が高い位置にある。立ったまま、どんな景品がどこにあるか確認できるようになっている。

 ピンク中心の明るいペイントと、この手のゲームにしては珍しくずっと音楽が流れ続けていることもあって、結構人目を引いているようだ。


 だけど、今ぼくが求めているゲームはこれじゃない。

 慌ててフロア中を探し回ったけれど、見つからない。どこにも無い。

 撤去されてしまったのだ。ほんの数ヶ月前にはあんなにも注目を集めていたというのに。


 動揺を抑え、駅前ロータリーの向かいにある、もう一軒のデパートに向かう。

 しかし、こちらのゲームコーナーは規模が小さい。

 置かれているのも、モグラ叩き、エアホッケー、メダルが当たるルーレットといった機械仕掛けのものばかりで、テレビゲームは一台も無い。


 まいった。この事態は想定していなかった。

 お正月の時点では受験の追い込みがあったから、自然と忘れることができた。

 でも今回はダメだ。一度ならず二度までもお預けを食らったため、遊んでみたいという欲求が膨れ上がって、なんだか息苦しささえ覚えている。


 他にテレビゲームが遊べそうな場所……。


 駅の反対側にボーリング場が、国道沿いにはバッティングセンターがある。

 ただ、中に入ったことは無いから、テレビゲームを置いているかはわからない。

 地元なら、小学校の近くにある駄菓子屋さんと、渓谷を見下ろす位置にあるレストハウスに、テレビゲームがあるにはある。

 でも、こちらはわざわざ確かめるまでも無い。どちらも古いゲームが何台かあるだけ。もし最新の大型ゲームなんか入荷していれば、弟たちがとっくに大騒ぎしている。

 可能性で言うなら、駅前で探す方がまだ有望だろう。

 だけどぼくは、この街の知識が十分とは言い難い。他に【スペースハリアー】がありそうな場所なんて思い付かない。

 探し物が探し物だけに、優等生ぞろいの『南』のクラスメイトに相談するのも気が引けるし……。


 いや、わかっている。

 探すまでもなく、ぼくは【スペースハリアー】が遊べる場所を知っている。

 知っては、いるけれど……。


「はあ……」


 昨日の裏通り。

 本屋さんの店頭で適当な雑誌を手に取り、斜め向かいにあるお店を眺めては、もう何度目かの溜め息を漏らす。


 両隣の雑居ビルより一回り小さく、通りに埋もれたような印象の古ぼけた二階建ての店舗。

 観音開きのガラス扉には、丸っこいアルファベットで「GAME PARADISE」と描かれている。


 ゲーム・パラダイス。


 それが、このゲームセンターの名前らしい。

 中から小さくテレビゲームの電子音が漏れ聞こえて来る。

 でも、扉が磨りガラスなので、中の様子をうかがうことはできない。

 昨日のお姉さんが出て来たらと思うと、これ以上近付くのはかなり勇気がいるし。


 なにより二階が問題だ。大問題だ。


 ゲーム・パラダイスの上、二階の部分には、なまめかしく横たわるバニーガールの姿がネオン管で描かれていた。

 看板もなにも無いから、どういうお店なのかまったくわからない。

 一階のゲームセンターと関係があるのかも不明。もし関係があったら、校則の立ち入り禁止の条件をすべて満たしている可能性すらある。


 雑誌を手にして小さく唸っていると、中から詰め襟を着た男子高校生が出て来た。

 この辺りで見かける高校の制服と言えば、『南』のブレザーと『北』の詰め襟。

『北』は、駅を挟んで『南』と対角線上に位置する高校で、『南』に比べれば自由な校風だと聞いている。

 なるほど、その男子も上着のボタンは開けっ放し、襟元にあるはずのカラーも取り外し、おまけに頭は茶色の長髪といういかにも不良っぽい格好をしていた。

 髪の長さから靴下の色まで厳しく決められている『南』では、とても考えられない。


 その彼の目が、ぼくの方に向いた。

 駅前ならともかく、この裏通りで『南』のブレザーは珍しかったのか、ぎょっとした顔をされた。


 変に絡まれても困るので、ぼくは素知らぬ顔で本屋さんに入り、彼の視線から身を隠す。

 これが大当たりにして、大間違い。

「ぼく好みの本がそろっていそう」という昨日の予感は想像以上に的中していて、ずっと探していたジュブナイルの続刊や、地元の本屋ではなかなか見かけないハードSFのシリーズが、次から次へと発見できてしまった。

 来月のお小遣いまであと五日。

 財布の中身がほとんど空っぽになってしまったけれど、さて、どうしよう?


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一九八六年 四月二十八日(月)

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 大事に読もうと思っていたのに、土曜日に買った本、日曜日だけで全部読み切ってしまった。

 もっと読みたい。あの裏通りの本屋さんに行けば売っている。

 でも、ここはじっと我慢。来月のお小遣いが出るまで待つことにしよう。

 ベストセラーの新刊というわけでも無いんだから、たった三日で売り切れることも無いだろうし。


 待ってると無くなってしまいそうなのは、むしろ【スペースハリアー】の方だと思う。

 テレビゲームという物がどの位の頻度で交換されるのか知らないけど、デパートの屋上から消えてしまった以上、ゲームセンターから消えることだってあるはずだ。


 これが本なら、たとえ売り切れても本屋さんに取り寄せてもらうことができる。

 でも、消えたテレビゲームを遊ぶにはどうすれば良いんだろう? 注文したところで、そう簡単に再入荷してもらえるとは思えない。


 そんなことを考えているとなんだか居ても立ってもいられなくなり、ぼくはまたも例の裏通りへ足を運んでしまった。


 しかし、相変わらず中に入る勇気は出ないまま。

 目的地が近づくにつれて不安と緊張ばかり高まってしまい、結局そのまま入り口の前を通り過ぎてしまう。

 念のため貯金箱から抜き取って来た千円札も、使う機会は無いままだった。


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一九八六年 四月二十九日(火) 天皇誕生日

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 今朝から、ソ連の原子力発電所が事故を起こしたというニュースで大騒ぎになっている。

 大人たちは、もう日本まで汚染物質が飛んで来てるんじゃないかと不安そうに話しているけど……。

 本当にそう思うなら、道端とか公園とか、日当たりも風通しも良い場所で延々と立ち話するのはやめた方が良いんじゃないかなあ……?


 ぼくはぼくで、遠い外国のニュースより、もっと身近な問題が心の中を占めていて。


 今日は、地元を一回り。

 万に一つの可能性に期待して、散歩のついでを装いつつ、駄菓子屋さんとレストハウスを覗いてみる。

 もちろんそんな都合の良い奇跡などあるはずもなく、どちらも数年前に見たテレビゲームが記憶と同じ位置に置いてあるだけだった。


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一九八六年 四月三十日(水)

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 放課後、委員長のお誘いで図書室に寄っていたら、いつものバスに間に合わなくなってしまった。

 次のバスまで一時間。

 塾があるにも関わらず、責任を感じたのか一緒に残ろうとする委員長を丁重に帰らせて、そのまま図書室で古典の宿題を始める。

 教科書の指定範囲を現代文に訳し終わるまで、大体三十分。

 ちょっと寄り道をしながら駅に向かえば、帰りのバスにちょうど良いタイミング。


 今日は普段の登下校コースを辿らず、最初から裏通りを目指してみた。

 市道を歩いてアーケードの商店街をぐるりと回り込み、いつもとは逆方向から裏通りに入る。

 少し遅くなったからだろうか。今日はゲーム・パラダイスに出入りする人が、なんだか多いようだ。


 カバンを持ったまま連れ立って中に入る、三人の『北』高生。前に見かけた茶髪の生徒と違って、特に不良っぽい感じはしない。

 それと入れ違いに出て来たのは、ひょろりと細長い長身の男性。明らかにぼくたちより年上だけど、服はよれよれだし、髪はぼさぼさだし、正体がよくわからない。大学生? 浪人生? それとも自由業の人だろうか。

 駅の方から小柄な男の子が走って来たと思ったら、なんの躊躇もなく店内に飛び込んで行った。

 体格から判断すれば、小学生だろうか。でも、あの入り慣れた様子からすると、もう中学生にはなっているのかもしれない。


 なんにしても、ゲーム・パラダイス。

 想像していたような、怖い人ばかりひしめいている危険な空間では無いらしい。

 少なくとも、ぼくより年下の男の子が遊べる程度には安全なようだ。

 だったらもうごちゃごちゃ考えるのは止めて、このまま中に入っちゃおうかな?

 今の悩みがすっきり解決するのであれば、バスをもう一本遅らせる価値は十分に……。


 ……と、そこで店内から出て来たのは、煙草を手にしたエプロン姿のお姉さん。

 今さら後戻りすることもできず、なるべくさり気ない感じを装って、ぼくはお店の前をそのまま通り過ぎた。


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一九八六年 五月一日(木)

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 新緑の鮮やかな季節になったと言っても、標高の高いぼくたちの町では、まだまだ朝の空気は冷たい。

 時刻は午前五時十五分。

 身支度を整え、ひっそりと静まりかえった台所へ行くと、テーブルにおにぎりとお金が置いてあった。

 おにぎりは、バスの中で食べる朝ごはん。

 お金は、今月分のお小遣いと、本日の飲食費五百円。

 最初のうちは、母もぼくより早起きして朝食やお弁当の用意をしてくれたものだけど、はりきり過ぎた反動が出るのは想像以上に早かった。

 もう二週間ほど、ぼくの昼食は購買部のパン。ちなみに『南』は学食というものがなく、昼食はお弁当かパンの二択になる。


 もちろん不満は無い。

 購買部の商品はスーパーなどより安いので、贅沢を言わなければ一日に百円から二百円は浮かせることができる。

 二~三日で文庫本一冊分の収入になるわけで、これはお小遣いのやりくりに悩む高校生にとって、非常にありがたい話だ。


 小さな水筒に冷蔵庫の麦茶を入れ、ついでに牛乳をコップに一杯飲んでから家を出る。

 ヤマバト。キビタキ。ムクドリ。スズメ。

 薄くもやのかかったバス停までの道のりは、家の中と違って、今日もにぎやかだった。


 そして今日は、クラスの中も明るいざわめきに満ちていた。

 明後日からは三連休。日曜日を挟んで、土曜日が憲法記念日、月曜日がこどもの日。

 月の初日ということで、ぼくと同じくお小遣いの補給を受けた人も多いはず。

 受験は終わった。

 実力試験も終わった。

 中間試験はしばらく先。

 天気予報は晴れ続き。

 遊びに行くには最高の条件と言える。


 ぼくも、委員長を始めとする優等生グループから、連休中に一度集まろうというお誘いを受けた。

 しかし残念なことに、みんなが集まれるのは三日と四日。ぼくはその両日とも、親戚の家に行くことが決まっている。

 初めてクラスメイトと遊ぶ話が出たと言うのに、なんとも間が悪い。


 それでもせっかくなので、話し合いの席には残らせてもらい、どこへ行くつもりなのか、この街で遊ぶならどんな場所があるのか、色々と聞かせてもらった。

 残念ながらと言うか、やっぱりと言うか、テレビゲームで遊べる場所なんてのは話題にも上がらなかった。


 おまけに今日は帰り道でも連休の話で盛り上がってしまい、バスに乗るまで一人になる機会が無かった。

 お小遣いが出たら買うつもりだった小説の続きは、明日までおあずけ。


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一九八六年 五月二日(金)

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 そう言えば、今年から五月四日が必ず休みになるんだそうだ。

 これまでは「黄金週間」と言っても、平日を挟んだ中途半端な飛び石連休になることがほとんどだったけれど、この先は最低でも三日・四日・五日の三連休が保証されることになる。

 ただし、今年の五月四日は日曜日。

 振替休日で四連休になることもなく、年間の祝日数には変化無し。

 なんとなく損をした気分になるのは否めない。


 その一方で、今のぼくには明日からの連休を残念に思う気持ちが確かにある。

 明日と明後日は親戚の家。連休最終日も、このままだとおとなしく地元で過ごすことになりそうだ。

 これから三日間、駅前まで出て来る機会は無いということになる。


 もちろん、今のままじゃ何回この街に来たって【スペースハリアー】が遊べないこともわかっている。

 裏通りをどれだけ往復しようが、肝心のゲーム・パラダイスに入れないことには、なんの解決にもならない。

 このままでは、あのお店からも【スペースハリアー】が無くなってしまうかもしれない。そうなったら、次はいつあのゲームに巡り会えるのか見当も付かない。


 だけどやっぱり、あのお店は怖い。

 それに……できれば、あのお姉さんともあんまり顔を合わせたくない。


 ああもう、なにかいい方法はないだろうか。

 別に、毎日入り浸ろうなんて思ってないんだ。

 ただ、ほんの少し……入り口近くに置かれたあのゲームを、【スペースハリアー】を、この身で体感してみたいだけ。

 短い時間で構わないから、安全に、そしてなるべく目立たずに、ゲーム・パラダイスに入ることはできないものか……。


「……あ、そうだ」



 放課後。

 裏通りの先の方で、エプロン姿のお姉さんが壁に背中を預け、煙草を吹かしているのが見えた。

 その顔が、ちらりとこちらに向く。

 思わず身が強ばるけど、お姉さんはいつものように特別な反応は示さず、気だるげな仕草で足元の一斗缶に煙草を投げ入れてから店内へ戻った。

 周囲に人の姿が無いことを確認して、早足にゲーム・パラダイスへ近づく。

 目的の情報は、壁にビス留めされたプレートに書かれていた。

 内容を頭に叩き込み、素早くその場を離脱。


 うまく行くかどうかはわからない。

 でも、とにかく試すだけ試してみよう。


 帰りのバスの中。

 昨日に引き続き、またも小説の続きを買いそびれたことに気が付いた。

 まあ、仕方ない。

 あと四日……いや三日、売り切れずに残っていることを祈ろう。


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一九八六年 五月五日(月)

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 連休最終日、朝十時。

 家族にはクラスメイトと約束があると告げ、ぼくはいつもの裏通りへ向かっていた。

 もう高校生なんだし、この程度の嘘は許されるはずだ。

 別に悪いことをしようってわけじゃないんだし。


 ……うん、悪いことをしようってわけじゃない。

 きっと。

 多分。


 こんな時間にここへ来るのは、もちろん初めてのこと。

 休日の朝、駅前はすでに多くの人で賑わっていたけれど、この辺りはひっそりと静まりかえっていて、なんだか通り全体がまだ眠ったままのような印象を受ける。

 帰りに寄るつもりだった本屋さんも、入り口のシャッターが閉まったまま。

 急に不安になって今日の目的地へ顔を向けると……大丈夫、ゲーム・パラダイスは、プレートに書かれた営業時間通り、もう開店していた。

 しかも、これまでいつも閉じっぱなしだったガラス扉が、両方とも大きく開けっぱなしだ。

 はやる心を抑えつつ入り口に近づき、そっと中を覗き込む。


 誰もいない。

 こういうお店が賑わいだすのはもっと遅い時間で、開店直後から遊びに来るお客さんは少ないだろうとの読みは、どうやら当たったらしい。

 でも、店員さんの姿まで見えないのはちょっと予想外。奥の方にカウンターがあるから、その中にいるんだろうか。

 まあいい。とにかく人目につかないのは良いことだ。これこそぼくが待ち望んだ状況。

 小さく深呼吸をして、ぼくはついに、ゲーム・パラダイスの中へ足を踏み入れた。


 そこは、幻想的な空間だった。

 薄暗い店内に浮かび上がる、無数のデジタルの色彩。

 遊ぶ人もいないのに、あちらこちらから不規則に鳴り響く甲高い効果音。

 テーブル型のテレビゲーム。

 立って遊ぶテレビゲーム。

 オートバイ型のテレビゲーム。

 車の運転席のようなテレビゲーム。

 そして――入り口近くにたたずむ、戦闘機のコクピットを模したようなテレビゲーム。


【スペースハリアー】。


 長い間追い求めて来たゲームだけど、一対一で向かい合うのはこれが初めてだ。

 やっぱり大きい。四角い台座を登って、その先のコクピットに乗り込むゲームなんて、店内を見渡してもこれしか無い。

 大きなテレビ画面の前に説明書きがあったので、台座に片足をかけた状態でそれを読み、流れる映像をしばし眺める。

 ルールは非常にシンプルだ。

 主人公の「ハリアー」を操縦桿で操作して、前から現れる敵や障害物を、破壊、もしくはかわしながら前進する。

 ステージの最後にはボスがいて、それを倒せば次ステージへ。

 ハリアーの武器は、操縦桿の引き金か、操縦桿の両脇に設置されたボタンで発射可能。

 ただし、敵の撃つ弾や障害物の一部は破壊できない。

 プレイ代は百円。予想よりずっと安い。こんなに大掛かりなゲームなんだから、もっと高いかと思っていた。


 ……下調べは、このぐらいでいいかな。


 深呼吸をひとつ。

 いよいよ乗り込もうとして、そこで初めて、座席の隅に頼りなく横たわるシートベルトの存在に気が付いた。

 これ、締めた方がいいんだろうか?

 いくらなんでも座席から振り落とされるほど激しく動いていた記憶はないし、そもそもこのシートベルト、押し潰された形に固まってて全然使われてる形跡がない。

 座席に腰を下ろしてしばらく迷った後、念のため、ベルトのしわを伸ばして締めることにした。

 こっちは初心者中の初心者なんだ。とにかく安全第一で行こう。


 店内に人がいないことをもう一度確認して、百円玉を投入。

 短い電子音のメロディーと共に、目の前の画面がゲーム開始を促す画面に切り替わる。

 緊張と、それを遙かに上回る期待感、高揚感。

 スタートボタンを押し、その手を素早く操縦桿に添える。



   WELCOME TO THE FANTASY ZONE.

   GET READY!



 衝撃、だった。


 人工音声による歓迎の言葉と同時に、世界が揺れた。

 操縦桿を引くと、ハリアーが浮かび上がる。その動きに合わせて、座席が後ろに傾く。

 操縦桿を押し込むと、ハリアーが降下する。その動きに合わせて、座席が前に傾く。

 右に動けば座席も右に傾き、左に動けば座席も左に傾く。

 画面の中のハリアーと共に、宙を舞い、地を駆ける。

 想像以上の一体感、疾走感。

 そんな機能は無いはずなのに、ゲーム画面から全身に向けて風が吹き付けて来るような錯覚すら覚えさせる。


 ――と驚いていたら、空に浮かぶ岩石にぶつかって、ハリアーが倒れた。


 いけない、弾を撃つのを忘れていた。

 まだ敵も出て来ないうちにやられるなんて、いくら初めてと言ってもかっこ悪すぎる。


 ハリアーが立ち上がり、再び「GET READY!」と戦闘開始を告げられる。

 ぼくは改めて操縦桿を握り直し、連続して引き金を引く。

 邪魔な岩石を次々に撃墜。

 よし、行ける。落ち着きさえすれば、こんなの避けることも撃ち落とすことも簡単だ。


 続いて、前方遠くの空に小さく敵が現れた。

 まだうまく狙いが付けられないけれど、とにかく射線上と思しき位置に移動して、弾を撃ち込んでみる。

 自分でも驚いたことに、はるか遠くの敵を何機か撃墜することができた。

 そうなると欲が出て、襲って来る敵すべてを倒してみたくなる。

 突っ込んで来る飛行機の編隊を正面から迎え撃ち……倒しきれずに体当たりを受けて、再びハリアーが倒れた。


 ダメだ、初心者のくせに欲張りすぎた。

 一ゲーム中にやられても良いのは、三回まで。

 このままじゃ、BGMのイントロが終わる前にゲームオーバーになってしまう。


 さっきと同じ飛行機が、今度は別の飛び方で現れた。

 撃ってきた楕円形の弾を、なんとか回避。

 さらに、後ろからハリアーをかすめるように敵の編隊が出現。撃ち落とせるだけ撃ち落とし、反転して襲いかかって来た分は無理をせず回避。


 次に、アーモンドのような、チューリップのつぼみのような、楕円形の不思議な物体が現れた。弾を撃ち込んでもカンカンと硬い音を立てて跳ね返される。

 ……と、その敵がいきなり三体に分裂した。

 さらに、閉じたつぼみがぱかりと口を開け、一斉に弾を撃って来た。

 慌ててかわそうとした先に、ちょうど岩石が飛んで来ていた。


 三回やられてゲームオーバー。多分、ゲーム開始から三十秒も経っていない。


 くやしい。

 難しい。


 でも……すごい。

 このゲームは、すごい! おもしろい!


 画面では大きな数字がカウントダウンを続けている。

 表示されている英文をざっと和訳。どうやら、数字が0になる前にお金を入れれば、今表示されている場面からゲームを再開できるようだ。

 とは言え、こんな序盤から再開するぐらいなら、一番最初からやり直した方がずっといい。

 タイマーが0になるのを待ちながら、もう一枚百円玉を用意。

 ぼくは改めて【スペースハリアー】の世界に没入した。


 四回目のプレイで、ようやくデパートの屋上で見たドラゴンを倒すことができた。

 しかし二面の砂漠世界で、破壊できない石の柱を避け切れず、ゲームオーバー。

 財布を開くと、もう百円玉が無い。

 お札を両替しようと思ったところで、ようやく自分がどこでなにをしているかを思い出した。

 恐ろしいことに、ゲームに熱中するあまり、周囲の様子がなにも見えなくなっていた。

 慌てて店内を見回してみる。

 良かった、相変わらず店内は無人のままだ。

 それなら、もう少しぐらい遊んでいても大丈夫かな?

 お正月の時の弟に比べれば、使ったお金もまだまだ少ないし……。


「あれ……?」


 ガラス扉が閉まっている。

 ぼくがゲームを始めた時は、確かに開きっぱなしになっていた。

 気付かないうちに誰か来たんだろうか?

 ちょっと不安になり、操縦席を降りることにする。

 シートベルトの存在をすっかり忘れていたため、席を立とうとして情けない声を上げてしまった。

 バックルを外し、改めて外へ。


 ガラス扉を開けると、入り口の横、いつもの定位置で、エプロン姿のお姉さんが煙草を吸っていた。


 ……え?

 このお姉さん、休日の午前中もここで働いてたの?

 見た目大学生ぐらいだから、夕方以降とか平日だけとかのアルバイトだと思って、この時間ならいないと予測したのに。


 突っ立ったまま固まってるぼくを、お姉さんが眠そうな目でちらりと見る。

 なにか言おうとして、しかしふさわしい言葉がなにも思い浮かばず、ぼくはいつぞやと同じように、ただ勢いよく頭だけ下げた。

 今回はお姉さんの胸を狙ったかのようなひどいお辞儀にはならなかったけど、どうにも気恥ずかしい状況であるのは変わらない。

 お姉さんがなにも言わないのを幸い、ぼくはそのまま回れ右、駅の方に向けて小走りで逃げ出した。


 それからしばらくして。


 またもや小説の続刊を買い忘れたことを思い出し、ぼくは恐る恐る裏通りへ戻った。

 そろそろお昼も近いせいか、人通りも増えていつもの空気に戻っている。

 お目当ての本屋さんもすでに営業中。小説の続刊を、無事に購入することができた。

 予定外の本まで一緒に購入してしまったのも、ある意味予定の範囲内。

 今度こそ時間をかけてじっくり楽しもうと心に誓いつつ外に出ると、ちょうどゲーム・パラダイスから出て来た茶髪の男子と鉢合わせしてしまった。

 休日だと言うのに、詰め襟を不良っぽく着崩している。あれは確かに、以前この場所で会った『北』高生。

 こちらは私服であるにも関わらず、向こうもぼくが『南』の生徒であることに気付いたらしい。

 以前と同じく、どこか不審げと言うか、睨むような視線を向けられてしまう。


 これって、いわゆる「ガンをつけられた」状態なんだろうか?

 弟が持ってたマンガを読む限り、こっちも睨み返してケンカを売るのが一種の社交辞令みたいだけど、そんな反応をぼくに期待されても困る。

 無視することで変に刺激するのもイヤだし、ぼくは軽く会釈だけして、駅の方へと足を向けた。

 幸い『北』高生はその場で足を止めたまま、特にちょっかいをかけて来ることは無かった。


 しかし……やっぱりこの場所、危ないかも。

 あんな人に絡まれて、いつも無事にすむとは限らない。

 もう【スペースハリアー】がどんなゲームかはわかった。

 今日までここに通い続けた、最大の目的は達成された。


 だから……いや、でも。だからこそ。


 もうこの場所に、ゲーム・パラダイスに来なくなるなんて選択肢は、とても選べそうに無かった。

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