3-(9) 「先輩曰く、友人なら迷惑をかけてもいいらしいですよ」

9


「悪い、つじっちともみっちは〔異界シェオール〕に入ったっす」

 学校へとたどり着いた俺へ宮直先輩が謝る。センパイも大山も既に〔異界シェオール〕に潜ったようだった。

「そうですか……。でもありがとうございます」

 となると俺が計画を実行するのは、まずはセンパイと大山を止めてからということになるわけだ。手間が増えたが、宮直先輩たちを責めることはできない。

「そういや、音乗たちはどうしてここに?」

「ああ、それは簡単っすよ。オールがピンチだから助……モガモガ」

 宮直先輩の言葉を音乗と八咲が必死に押さえ、

「宮直先輩からメールが来たから手伝いにきたんだよ」

 八咲が代表して早口で答えた。なんで焦っているのか俺にはよくわからない。

「ありがとな。朝早いのに」

「いやはや、毎日呼び出される身にもなってほしいものである」

 そう答えたのは後野さん。だが髪が赤紫。つまり赤紫梟雀ポイホークスがまた身体を借りているらしい。

「悪いな、いつも」

「今見はどうしたんだ?」

「メールは打ったっすけど返事がないっす。ただのしかばねにはなってないと思うっすから、たぶん寝てるんっすね」

「起こすことはないだろ。寝かせとけ」

 昨日はあの冷気噴出装置で方々を回り大活躍したらしいから今日は大いに疲れているだろう。それを思えばこそ、無理につき合わせることはないと考えた。

「でやっぱり大山先輩たちは昨日と同じ目的だよな」

 確認するように八咲が尋ねてくる。

「それはそうだ」

「では昨日と同じく躑躅先輩方を止めに行くんですの?」

「今回は違う。俺は〔異界王ソドム〕と話し合いをする気だ」

 そう言ってのけると、みんなが驚いていた。

「正気っすか……」

 宮直先輩が驚いて呟いていたが、俺は正気ですし本気ですよ。

 そしてこれこそが旋律さんに打ち明けた内容だった。

「具体的にはどうするつもりっすか?」

「宮直先輩たちはセンパイたちを止めてくれるだけでいいです」

「それだけでいいっすか?」

「ええ、〔異界王ソドム〕はおそらく俺しか説得ができないと思いますから」

 そう言うと宮直先輩たちは呆気に取られたかのように押し黙った。

「まあいいや。よくわかんねぇーけど、オレらがやれることだけやろうぜ」

 八咲は俺の考えていることがなんなのか知ろうともせずにそんなことを言った。

「確かにそうっすね。迷惑かけるのが友人って今朝言ったばっかりっすからねえ」

 八咲の言葉を受けて、宮直先輩が笑った。

「音乗はいいのか?」

 震える音乗に尋ねると、音乗は呆れたようにため息をついて、

「昨日も言ったでしょう。行くつもりがないなら来てませんわ」

「そうだったな」

 俺がふと笑うと音乗も笑った。

 俺のチームメイトは事情がわからなくとも手伝ってくれる、いいやつらばかりだった。

「ありがとな」

 自然と言葉がこぼれる。

「我には訊かぬのであるか?」

 不意に赤紫梟雀ポイホークスが尋ねてきた。

「あんたは後野さんへの愛のために行くんだろ」

 後野さんへの愛に生きる赤紫梟雀ポイホークスは答えはひとつしかない。

「バレているであるか……」

「バレバレだっつーの」

 とまあ覚悟を決めつつも緊張感をほぐした俺たちは〔ゲート〕を潜ろうとしていた、そんなときだ。

「誘っといておれを置いていくンじゃねぇーよ」

 中世の騎士のような鎧を着た今見が姿を現した。

「重そうだな」

「強そうだな、と言え!」

 いばる今見だが足が震えていた。

「ありがとな」

 全員がそろい〔ゲート〕へと向かう途中、宮直先輩が思い出したようにこう言い出した。

「オールっち、話し合いに失敗したからって、やけになって死ぬのはなしっすよ」

「当たり前じゃないですか、なんでそんなことを?」

「張りつめた顔してるっす。もっと気楽に行かなきゃ成功するものも成功しないっす」

 それに――と宮直先輩は言葉を続ける。

「うちの男性恐怖症治してもらってないっすからね、約束を破るのはなしっす」

「ええ。だから俺は死ぬ気なんてありませんよ」

「オール、オレとの約束も忘れるなよ」

「わたくしとの約束もですわ」

「当たり前だ」

 俺は笑う。抱えていた不安が、少しだけ和らいだ。

 俺は〔ゲート〕と向き合った。

 初めて入るとき、俺はこの〔ゲート〕を見て足がすくんだ。けれど今は違う。俺は堂々と立ち、〔ゲート〕を見据えていた。

「行くぞ!」

 俺は一歩を踏み出し〔ゲート〕を潜った。

 潜った先、〔異界シェオール〕の俺たちが実習をいつもしている場所では既にセンパイと大山が〔異界生物シャドー〕と戦闘を繰り広げていた。

 対峙する相手はあひるの顔に岩肌の人の四肢、コウモリの翼を持った石鴨像鬼ガーガイル。センパイたちは自分たちを囲う石鴨像鬼ガーガイルへと自らの武器を振るっていた。振りおろす鉄殴棒メイスと、横になぎ払う星殴棒モルゲンステルンの連続殴打が石鴨像鬼ガーガイルたちを次々と打ち砕いていく。

 ただふたりに勢いはない。エンドレスで続く戦闘に疲労が溜まっているのだろう。〔異界王ソドム〕は遠くからふたりを狙って火炎球を打ちだしていた。

 俺たちは号令もないままにその戦闘に加わる。

 宮直先輩が突錐槍アールシュピース石鴨像鬼ガーガイルの翼を打ちぬき、振り回して、周囲の石鴨像鬼ガーガイルごと蹴散らし道を作る。その道に猪のごとく突進した八咲は獲物を喰らう獣のように猪槍牙剣ボア・スピアー・ソードを突き刺す。後ろに続く音乗や八咲は宮直先輩が打ちこぼした石鴨像鬼ガーガイルをまるで機械のような精密さで、確実に屠っていく。赤紫梟雀ポイホークスは紫電の網を発生させ、センパイや大山に襲いかかる石鴨像鬼ガーガイルの動きを封じ、センパイたちの負担を軽くしていた。今見は石鴨像鬼ガーガイルの灰色の拳を頑強な鎧で受けとめ、「これが製品の強さだ!」と自慢していた。自慢していただけだ。結局、今見に襲いかかっていた石鴨像鬼ガーガイルは八咲が倒した。「遊んでんじゃねぇよ」と八咲の怒号が飛ぶ。

 俺はといえば〔異界王ソドム〕が放った火炎球へとその身を投げ出していた。

 俺の身体に当たった火炎球は打ち消される。

 ただ旋律さんの実験で立証されているようにこれは打ち消されたように見えるだけで、その実、俺の胸に寄生する〔魔流封玉プリママテリア〕に吸収されているのだ。胸が痛み出すが、もう慣れっこだ。

「どうして来たのよ」

 センパイが俺に問いかける。

「そりゃチームですから」

 俺はセンパイに自分の目的は言わなかった。センパイだって俺に自分の目的を言うことはなかったのだからおあいこ、ということにしておく。

「いい迷惑ね」

「宮直先輩曰く、友人なら迷惑をかけてもいいらしいですよ」

 俺がそう言うとセンパイはなにも言わなくなった。石鴨像鬼ガーガイルが迫っていたからというのもあるがもしかしたら照れていたのかもしれない。でもそれは俺の推測に過ぎない。

 けれどセンパイがどう思っているのであれ、俺が引きさがることはないのだ。

 俺も石鴨像鬼ガーガイルの振りおろす腕を剣囲盾ソードシールドで弾き、すぐさま剣で突き刺す。

 宮直先輩や八咲の健闘もあり、徐々に石鴨像鬼ガーガイルの数が減ってきた頃、センパイが石鴨像鬼ガーガイルの間を駆け抜け、〔異界王ソドム〕へと向かう。

 俺もそれに気づき急いで追いかける。今のセンパイには〔異界王ソドム〕を倒すのは不可能なのだ。

 センパイが背負う湯かき棒は、ただの湯かき棒だからだ。

 センパイは単純だと紫苑さんが言っていた。だから紫苑さんが話しかけてこないのも、なにか事情があって話しかけてこないと思っているのだろう。

 いやそれどころか昨日気を失ったままで今日にいたり、憎悪を引きずったままで〔異界シェオール〕に来たものだから、その湯かき棒がいつもの湯かき棒ではないとは気づいてないのかもしれない。

 俺はセンパイを追うかたわら、戦っている宮直先輩に視線で合図を送る。

 宮直先輩は頷き、大山にさりげなく近寄る。宮直先輩には大山を〔異界王ソドム〕に近づけないようにこっそり頼んでおいたのだ。「ありがとうございます」と小さく呟いて先を急ぐ。

 〔異界王ソドム〕はセンパイの持つ湯かき棒を恐れているのかあまり近寄ってこない。それどころか、〔異界王ソドム〕はひと回り背が小さくなっているように見えた。

 牽制だろう、〔異界王ソドム〕が火炎球をセンパイへと向けて放つ。センパイは、湯かき棒をにぎりしめ、火炎球を叩く。

 〔反魔金属オハロフ〕は運動エネルギーを得て、〔魔力エーテル〕を分解する。

 けれどセンパイが持つ、その湯かき棒は、ただの湯かき棒だ。プラスチックでできた、ただの、湯かき棒。そのなかに〔反魔金属オハロフ〕はない。

 その湯かき棒は火炎球に当たり、そして一瞬にしてドロッと溶けた。

 センパイと〔異界王ソドム〕の驚愕の顔。けれどそこに含まれている感情は正反対だ。

「なんでっ?」

 思わずセンパイがこぼした言葉を聞いて〔異界王ソドム〕は火炎球を飛ばしながらセンパイへと超速で接近する。けれど俺は紙一重でセンパイと〔異界王ソドム〕の間に割り込む。

 その間、俺は剣囲盾ソードシールドを投げ捨て、ナップサックから湯かき棒と〔魔流封石プリマミネラル〕を取り出す。襲いかかる最初の火炎球を湯かき棒でかき消し、続く二発目、三発目を〔魔流封石プリマミネラル〕で吸い込む。

 接近しつつあった〔異界王ソドム〕は俺の行動を見て、直前で止まった。〔魔流封石プリマミネラル〕をなにやら不思議そうな目で見ている。そして〔異界王ソドム〕の背丈は俺の見間違いではなく、やはり俺と同じぐらいにまで縮んでいた。

「どうして、キミがそれを持っているの?」

 俺がにぎる湯かき棒が、自分の湯かき棒であると気づいたセンパイが尋ねる。

「昨日、借りたときにすり替えました。すいません……」

 謝るとセンパイはなにか言おうと口を開いたが、それよりも早く俺は〔異界王ソドム〕にこう告げた。まるで喧嘩を売るように。

「話し合いだ、〔異界王ソドム〕!」

「果たし合い? 望むところだ」

 そう言って動き出そうとする〔異界王ソドム〕に「違う、話し合いだ」と訴えかける。

「話し合い? そんなものができるとでも思っているのか!」

「思っているさ。思っているからこそ、こんな提案をしている!」

 そう言うと俺をえぐろうとしていた腕はピクッと止まる。俺は湯かき棒を構えることもしてなかった。

「ちょっと……待ってよ。話し合いって、どういうこと? こいつは、父さんと母さんを殺したのよ! そんなやつと話し合いってどういうことよ?」

「そのまんまの意味ですよ。センパイに〔異界王ソドム〕は殺させない。センパイに復讐なんてさせてやらない」

 復讐が正しいのか間違っているのかなんて、知ったこっちゃない。

 けれどセンパイは復讐にとらわれすぎている。

 そのせいで、センパイは前に進めていない。

 それに復讐したところで前に進めるような気もしない。

 正直、復讐に躍起になるセンパイなんて見てられないのだ。

 だから俺はただ、それだけの気持ちでセンパイを救いたかったのだ。

「ふざけないでよ!」

 センパイが怒り出す。当然だろう、俺はセンパイの復讐を阻もうとしているのだから。けれどセンパイの身体を紫電の網が襲い、それ以上、なにも言えなくなった。

 その紫電を作ったのは当然、赤紫梟雀ポイホークスだった。

「早く話し合いをすませるのである」

 大山もセンパイと同じように紫電に捕らわれている。

 俺は再び〔異界王ソドム〕に向き合った。

 けれど〔異界王ソドム〕はいつの間にか片手半剣ハーフアンドハーフソード――昨日、今見が落としたものを取り出し、俺に振りおろしていた。

「話し合いに応じろ、〔異界王ソドム〕!」

 叫びつつ、俺は避ける。

「我輩様になんのメリットもない。ゆえに話し合う必要も余地もない!」

「あんたも見ただろう、この鉱石の力を」

 〔異界王ソドム〕が軽く頷くのを見て俺は続ける。

「これをやる。これをやるから話し合いの場につけ!」

 すると〔異界王ソドム〕は片手半剣ハーフアンドハーフソードを振りおろすのを止める。

「ふん。なるほどな。我輩様は話し合いをしようとするだけでそれがもらえるわけだ。でそれはなんだ? どうやって手に入れた? こちらの世界のものだとはわかるが、我輩様も見たことはないな」

「これは〔魔流封石プリマミネラル〕。悪王豚蠅ベルゼブーブのなかから出てきたものだ」

「……事実か?」

「事実だ」

「だったら、交渉は決裂だ。話し合いする余地などない。悪王豚蠅ベルゼブーブを殺しておいてぬけぬけと話し合いだとふざけるな。おとなしく死ね!」

 再度、片手半剣ハーフアンドハーフソードが俺を襲うが、俺はそれを転がるように避け、さらに訴える。

「ふざけてんのはそっちだ! しもべが……仲間が死んで悲しみ、憤怒するなら、センパイの怒りにも少しは同情しろ。俺がお前に復讐されるなら、お前はセンパイに復讐されるべきだ。そうだろう? あんたはセンパイの両親を殺したんだ、違うのか?」

 違わないよな。

 確かに〔異界王ソドム〕の言い分はわかる。俺は悪王豚蠅ベルゼブーブを殺しておきながら話し合いをしようとしているのだ。それでも訴える。

「あんたが悲しいって思うように、センパイだって悲しいんだ。わかったら、話し合いの場につけ!」

「……」

 〔異界王ソドム〕はなにかを考えているようで、なにも言わなかった。やがて口笛を吹き、周囲にいた石鴨像鬼ガーガイルを後退させ、地面に腰をおろした。

「オールだったな……ひとまずお前の話を聞いてやる。ただし、我輩様がお前の申し出を受け入れるかどうかは別だ」

「それでいい」

 ひとまず安堵した俺は〔魔流封石プリマミネラル〕を〔異界王ソドム〕に投げる。

「いいのか?」

 〔魔流封石プリマミネラル〕を受け取った〔異界王ソドム〕が尋ねる。

「ああ、それが約束だっただろ」

「くく、確かに。だが、これをもらった瞬間、我輩様が裏切るということは考えなかったのか?」

「俺はあんたを信じる」

「根拠は?」

赤紫梟雀ポイホークスも信じたから、というのが根拠だな。赤紫梟雀ポイホークスに愛情があるってことは少なくとも〔異界生物シャドー〕は感情を持ってるって思った。そのときから話し合いができるかもしれないってのは頭のなかにあったんだ。けど決め手がなかった」

「〔魔流封石プリマミネラル〕が決め手だとでも?」

「ああ、それは〔魔流封玉プリママテリア〕と同じく流動する〔魔力エーテル〕を吸いとる」

「吸いとるだけか?」

 たぶん、と俺が答えると、くくく、と〔異界王ソドム〕は笑った。

「だとすると〔魔流封石プリマミネラル〕は決め手としては少々薄いな」

 そう言って〔異界王ソドム〕は胸に〔魔流封石プリマミネラル〕をはめた。

 すると〔魔流封石プリマミネラル〕が反応し、周囲の〔魔力エーテル〕そして〔異界王ソドム〕が〔魔流封石プリマミネラル〕に吸い込まれていく。そう思いきや、再び〔異界王ソドム〕は姿を取り戻す。けれどその大きさはひと回り大きい。

「だが、〔魔流封玉プリママテリア〕によく似ておる。ただ手動になった分、手間がかかるようだな」

 その後なにやら呟いた〔異界王ソドム〕だったが、その意味が俺にはさっぱりわからない。

「では、オール。話を聞いてやる」

 どっしりと座った〔異界王ソドム〕はそう言った。

 俺が一言目を発するのに合わせて二重の足音が響いた。それはセンパイと大山のものだった。赤紫梟雀ポイホークスの紫電の〔魔法オーラム〕が解けたらしい。

 俺は赤紫梟雀ポイホークスに視線を送り、再び〔魔法オーラム〕を使うことを制止する。センパイたちを説得するなら、ここだ。

「オールくん、こいつと話し合うことはないわ。こいつは私たちの家族を殺したのよ!」

「お姉ちゃんの言う通りよ。こいつは生かしておいたらダメ。あたしたちのような不幸な人間がたくさん出るの」

 センパイと大山の前に俺は立ちふさがった。

「どきなさい!」

 センパイが俺の目の前に鉄殴棒メイスを突き出す。

「どきません!」

 センパイの怒鳴り声に負けじと声を張り上げ、俺は道を譲らない。

「こいつは私たちを不幸にした!」

「だから、こいつも不幸にする、ですか?」

 センパイが続けようとした言葉を俺が続け、そして別の言葉を投げかける。

「センパイは勘違いしてる!」

「してないっ!」

 怒鳴るセンパイを無視し、俺は訴えた。

「〔異界王ソドム〕が悪いんじゃない、〔異界シェオール〕と〔別界アルカディア〕がつながったのが悪いんだ!」

 俺はそう主張した。さらに俺の主張が続く。

「だからみんな不幸になったんです。宮直先輩は強姦されかけて男性恐怖症になったし、後野さんは生き返らせてもらったにしろ、一度は死んで、その記憶を持って生きてる。音乗は母親を、八咲は父親を亡くしてるし、さらに八咲は親友とだって離ればなれになった。今見だって、不幸なんだ」

「どういうことだよ、おい……」

 今見自身は気づいていなかった。だからこれを言うのは少し悪い気はしたがそれでも俺は言った。

「IMAMIは環境省と防衛省と共謀して、いや利用されているだけかもしれないが……〔異界シェオール〕の武器を対諸外国用の軍事兵器として転用している。変な言い方かもしれないけど〔異界シェオール〕とつながらなければ魔がさすことはなかった」

「そうだったのか」

 そう呟いた今見だったがあまり驚きはないようだった。

「だから防衛省の役人が何度も親父のところに来てたのか……へっ、そういうことか……」

 それどころか妙に納得し、ざまあみろ、と笑った。今見はあまりショックを受けてないようだった。

「それにセンパイ、〔異界王ソドム〕だって悪王豚蠅ベルゼブーブを……蘆永を失った。〔異界シェオール〕がつながらなければ俺に殺されることもなかった」

「けど、侵略してきたのは〔異界王ソドム〕じゃない。それはどういうことよ?」

「〔別界アルカディア〕のお前らが先にこちらに侵略してきたであろう。挙句、それは絶えぬことはなかった。だから征服せねばおとなしくならないと思って侵略したまでだ。悪王豚蠅ベルゼブーブに聞いたがお前らも戦争で領地を奪い合った歴史があるらしいではないか」

「だから侵略していいって言うの? あんたのせいで、私の家族だけじゃない、たくさんの人が不幸になったよ」

「それは我輩様とて同じ。多くの部下を失った。もっともお前らが我輩様に刃向かう種族を殺してくれたのはありがたかったが……」

 言い合うセンパイと〔異界王ソドム〕を見て俺は思った。やっぱりみんな不幸なのだと。

「センパイ、俺の話は終わってません、聞いてください!」

 俺は声を張り上げて叫んだ。

 センパイの罵声が止まり、視線が俺へと注がれる。

「センパイは俺が〔異界王ソドム〕の欠片――〔魔流封玉プリママテリア〕を持っているんじゃないかって思ってましたよね?」

 センパイが頷くのを見て俺は言葉を続ける。

「けどセンパイは俺が〔魔流封玉プリママテリア〕を普通に――そう、例えばポケットのなかに入れて持っているんじゃないかってそういうふうに思ってる。そうでしょう? けどそれは勘違いなんですよ。俺も〔異界シェオール〕がつながったせいで不幸なんです」

「どう、不幸なのよ……」

「こう、不幸なんです」

 俺はここに来るとき、鎖防護服チェーンメイルを着てこなかった。

 初めから話し合うつもりだったからというのもあるが、一番の理由は、やはりこれだ。

 Tシャツを脱いで、それを全員に見せつける。

 センパイは目を見開き、絶句した。誰もが声を出せずにいた。

「俺は祖父が……面舵大全が亡くなってから、ずっとこの〔魔流封玉〕《不幸》とともに歩んできた。この学校に入ったのも、〔魔流封玉プリママテリア〕をはずす方法を探すためなんですよ」

「はずす方法はわかったの?」

 センパイがおそるおそる尋ねた。俺は首を横に振る。それを見て、くくく、と〔異界王ソドム〕が笑った。

「嘘をつけ。お前はどうやら頭の回転が速いようだから、はずす方法をうすうすは気づいているんだろう?」

「どういうことよ?」

「大全というのは我輩様から〔魔流封玉プリママテリア〕を奪った老人だろう、その老人にも当然、〔魔流封玉プリママテリア〕が寄生した。あれはそういう仕組みだからな、そして大全に寄生した〔魔流封玉プリママテリア〕は大全の死後、ようやくはずれた。それがどういうことだか、オール、お前はわかっているんだろ?」

 俺は無言を貫いていた。

「〔魔流封玉プリママテリア〕をはずす方法はひとつしかない。死ぬことだ。お前ははずす方法を知りながらも必死にほかの道があるはずだともがいていた。不幸だ、不幸だな、オール。はずすには死ぬしかない」

「待ってよ、〔反魔金属オハロフ〕があるじゃない。これで大全さんは〔異界王ソドム〕から〔魔流封玉プリママテリア〕を取ったのよ?」

「勘違いするなよ、小娘。あれは我輩様の胸元の〔魔力エーテル〕をかき消した結果、取れただけに過ぎない。さて、どうする? 返答次第では我輩様が優しく優雅に殺してやってもいいぞ。元々それが目的だったからな!」

「どうするか、だと? そんなの決まってる!」

 〔異界王ソドム〕に話し合いを提案する時点で俺は決めていた。

「俺は〔魔流封玉プリママテリア〕とともに生きるよ」

 仮にほかにはずす方法があったのだとしても俺は、センパイのように不幸を背負い込むと決めていた。でなければセンパイを止めることなんてできやしない。

 知ったような口をきくな、そう言われておしまいだ。

 同じ境遇不幸になってからでなければセンパイどころか、誰も救うことなんてできない。

 すると〔異界王ソドム〕は笑った。

 くっくっく、という笑いをかみ殺すような笑いではなく、「はーっはっはっは」という豪快な笑いだった。

「なるほどな。いい覚悟だ。でお前は我輩様になにを提案するのだ? まあ、〔魔流封玉プリママテリア〕を受け入れたと聞いた時点でわかったがな、〔魔流封玉プリママテリア〕を奪うのをあきらめろ、というのだろう」

「そうだ、その代わり、こちらはセンパイたちに復讐をあきらめてもらう。〔反魔金属オハロフ〕も〔異界シェオール〕に持ち込まないと誓う」

「そんな……勝手に……お姉ちゃんの思いも知らないで……」

 俺の提案に大山が反発する。けれどそれを制したのはセンパイだった。

「オールくん……私は復讐をあきらめたらたぶん、キミのこと恨むよ」

「そりゃ、当然の権利だと思います」

 俺の祖父も〔異界王ソドム〕から〔魔流封玉プリママテリア〕を奪ったとき〔魔力エーテル〕汚染が進むとは思ってなかっただろう。そもそも教科書に書かれている通り、〔異界王ソドム〕に攻撃を加えられたのも偶然だったのだろう。

 けれど結果的に〔魔力エーテル〕汚染が進み、それは祖父のせいにされた。そのせいで俺は町から町へと転々としていた。

 だから俺は祖父を恨んでいた。けれどいつの間にかその恨みはふと消えていた。

 おそらく祖父の行いが正しいと気づいたからだ。

 だから俺が恨んでいたようにセンパイも俺を恨んでもいい。

 それでも俺はそのセンパイの恨みがいつか消えると信じる。

 もしかしたら祖父もそれを信じていたから恨まれ続けても耐えていられたのかもしれない。

「わかったわ。じゃあ、あきらめる」

「お姉ちゃん……」

 納得がいかないような顔で大山はセンパイの顔をながめた。

「いいの……いいのよこれで」

 センパイはまるで自分を納得させるかのように大山に呟いた。

「お姉ちゃん、あたしが〔異界王ソドム〕を恨んでいたのはね、お姉ちゃんまで奪うんじゃないかって思ったからだよ」

 大山は少し悲しげな表情をしていた。

「だってお姉ちゃんまでいなくなったらあたしは一人ぼっちだよ。おばさんたちも優しくしてくれるけどやっぱり今の家族はお姉ちゃんだけなの。そんなお姉ちゃんがひとりで〔異界王ソドム〕を倒すなんていうんだもの。そんなの無理に決まってる。お姉ちゃんが〔異界王ソドム〕に殺されてしまう。だからあたしも〔異界王ソドム〕を恨んでた。お姉ちゃんが死んだわけでもないのに、殺されてしまうかもしれない、それだけで」

 なんてことはない、大山はセンパイが心配だった――いや守りたかったから〔異界王ソドム〕を倒すと言っていたのだ。もちろん、両親の復讐のためではなかったとは言い切れない。

 けれどセンパイよりも復讐にはとらわれていなかった。ただただ姉のため、ただそれだけのために大山は動いていたのだ。

 ――言ったろ、紅葉はお姉ちゃん子だって――

 今まで口をはさまなかった紫苑さんが口を出す。

「だから、突然〔異界王ソドム〕を倒すって言い出したのね」

 センパイにもそのことが伝わったのだろう、うん、と大山が呟く。

「バカなんだから」

 センパイは大山を、自分の妹を強く強く抱きしめた。

 抱かれた大山は肩の荷がおりたかのように少しだけ泣いていた。しばらく抱き合ったあとセンパイは俺のほうを向いて、こう言った。

「オールくん、兄さんと話がしたいの」

 大山がそれを聞いて驚いていた。

「兄さんがいるの?」

「黙っててごめん。私が持ち歩いていた湯かき棒にね、兄さんは宿ってるの」

「嘘……」

「嘘じゃないわ。けどごめん、証拠を見せられないわ」

「ううん、いいよ」大山は湯かき棒に触り「信じるよ」と笑みをこぼした。

「ということだ、〔異界王ソドム〕。センパイはあんたに復讐するのをあきらめた。その代わり、あんたは……」

「わかった。あきらめてやろう」

 〔異界王ソドム〕はすんなりと俺の提案を受け入れた。その清々しさが逆に怪しくもあったが俺は素直にその言葉を信じた。

「意外だな。すんなり受け入れたのが逆に怪しいと思うかと思ったが……」

「少しはそう思ったけどな、俺はあんたを信じる、そう言ったはずだ」

「くくく、なるほどな。だからか。面白いな、お前は……」

 ならば特別に説明してやる、〔異界王ソドム〕はそう言った。

「そもそもお前の胸に寄生する〔魔流封玉プリママテリア〕は我輩様にとってなんだと思う?」

「なに、って……〔魔法オーラム〕を吸いとるって無効化するってことは、〔魔法オーラム〕に対する防御っていうことだろう?」

「違う。我輩様にとっての〔魔流封玉プリママテリア〕はある種の生命維持装置だ。我輩様たちは〔肉体ユニテ〕と〔魔力エーテル〕で構成されている。ただ例外で我輩様は〔魔力エーテル〕のみで存在している」

「だから侵略するために〔魔力エーテル〕で俺たちの世界を汚染してたんだろう?」

「そうだ、〔魔力エーテル〕のみで存在している我輩様は、我輩様の存在を維持できるほどの〔魔力エーテル〕が必要となるからな」

 〔異界王ソドム〕は俺たちが理解できるように、ゆっくりと語り始めた。

「さらに〔魔力エーテル〕は体内から勝手に流出するようになっている。これを〔不純魔力ヒューレー〕といい、少し穢れが入ったものだ。〔魔法オーラム〕に含まれる〔魔力エーテル〕もこの〔魔力エーテル〕だ。そしてこの〔不純魔力ヒューレー〕は植物が吸収し新たな〔魔力エーテル〕に変える」

「こっちの世界の植物が二酸化炭素を酸素に変えるようなものか」

 俺は思わず呟くが〔異界王ソドム〕がわかるはずがない。いぶかしんだ表情を向ける〔異界王ソドム〕に「独り言だ、気にしないでくれ」と謝ると〔異界王ソドム〕は言葉を続ける。

「ただ、我輩様が必要とする〔魔力エーテル〕は莫大で、植物から新しく〔魔力エーテル〕が生み出されるとしてもいずれ不足してしまう。ゆえに〔魔流封玉プリママテリア〕が必要だった。〔魔流封玉プリママテリア〕は流動する〔不純魔力ヒューレー〕を取り入れ、そして寄生しているものに自動的に必要な分だけの〔魔力エーテル〕を送りこむ。つまり植物以外での〔魔力エーテル〕循環器であり、そして我輩様にとっては生命維持装置である」

 だからそれを持っていなかった〔異界王ソドム〕は〔魔力エーテル〕が不足し、一時期俺よりも背が低くなっていたのだ。そう考えて俺は気づく。

「だったらなおさら、〔魔流封玉プリママテリア〕が必要なんじゃないのか?」

 それでも〔異界王ソドム〕は俺から〔魔流封玉プリママテリア〕を奪うのをあきらめると約束した。

「まあ待て。我輩様がお前に殺してやろうかと問うたとき、こう言っただろう。『元々それが目的だった』と。つまりあの時点で〔魔流封玉プリママテリア〕はもう必要がなくなっていた」

「どういうことだよ、それ……」

「お前がくれた〔魔流封石プリマミネラル〕は〔不純魔力ヒューレー〕を取り入れ、〔魔力エーテル〕に変えるものだった」

「待て。じゃあ〔魔流封玉プリママテリア〕となにが違うんだ」

「〔魔流封玉プリママテリア〕は寄生しているものに自動的に必要な分だけの〔魔力エーテル〕を送りこむ。もっとも、もとから〔魔力エーテル〕を持っているものに対してだけだがな。対して〔魔流封石プリマミネラル〕はそれがない。けれどその程度の違いでしかない。自動的に〔魔力エーテル〕を送りこんでくれぬのならば、〔魔流封石プリマミネラル〕から手動で取り込めばいい。結局、我輩様がお前を殺そうとしていたのは我輩様の存在が危ぶまれていたからだ。だからそれがなくなった以上、〔魔流封玉プリママテリア〕に固執する意味もない」

「そうだったのか」

 つまり俺が〔魔流封石プリマミネラル〕を持ってきた時点で、俺が殺される理由はほぼなくなっていたということだろう。けれどそれは仮定の話だ。

 センパイの復讐をあきらめさせ、〔異界王ソドム〕が話し合いの場についたからこそ、今があるのだ。

 俺は安堵していた。いや安堵してしまった。まだ終わってなどいないのに。

 それを証明するかのように〔異界王ソドム〕は言った。

「なにを安堵したような顔をしている。我輩様は〔別界アルカディア〕への侵略はやめんぞ」

 そうなのだ。俺は〔異界王ソドム〕にそのことを提案していない。

「ふざけんな!」

 今まで口をはさまずにいてくれた八咲が吼える。

「我輩様は別に侵略を取りやめてもいい。我輩様は王だからな、多くのものがつき従い、逆らうものは殺せばいいだけの話だ。けれど〔別界アルカディア〕はそうもいくまい、そちらには何人もの王が寄り添う機関があるのだろう? その王たち全員が足並みそろえて侵略を中止するとは到底思えない。我輩様もしもべどもの意志統率には苦労しておるからな」

「どうするのよ、オールくん? 私が復讐をあきらめたところで、野放しにしておけばこいつはまた私のような復讐者を産むわよ」

「ならば、どうする? 我輩様を殺すか?」

「今日、俺はここに殺し合いに来たんじゃない、話し合いに来たんだ。俺は〔異界王ソドム〕とは戦わない!」

「じゃあどうするのよ?」

「どうするもこうするも、俺は侵略するのをやめろと訴えになんて来ちゃいない」

 センパイがそれを聞いて、なにか言おうとしていた。表情を見るからに怒鳴ろうとしていたのだろう、けれど俺はセンパイがなにか言うよりも早く、こう言った。

「協力してくれ、〔異界王ソドム〕! あんたは知ってるんだろ。この世界の隔絶の仕方を!」

「ふん、それを知ってどうする? なぜ我輩様がそれを知っていながら今までそれをしようとしなかったのか、その意味がわかるか?」

 言われてみればそうだ。隔絶の仕方を知っているなら、とっくに〔異界王ソドム〕がやっているはずだ。そうすれば〔ゲート〕はなくなるのだから、こちらからの侵略者は訪れない。

「簡単だ。我輩様は王ゆえにいろいろなやつらに命を狙われている。ゆえにそれを行おうとすればその隙に殺されてしまう。しかもそんなおりに〔魔流封玉プリママテリア〕を奪われ、存在が危ぶまれた。そんな状況で隔絶などできるはずがない。唯一できたのは〔魔力エーテル〕を流出させない特殊な物体で作らせた我が城に居座り、命令を出すだけだった」

「けど今は違うんじゃないか? お前の存在は危ぶまれていない」

「しかし我輩様を狙う刺客がいるのは確かだ。城に居座っているときもどれほどの刺客が襲ってきたと思っている?」

「だったら俺たちが動く。あんたの知っている方法を使って俺たちが世界を隔絶する」

「結局、なにも変わらんよ。お前たちがなにかをしていると勘ぐれば、動くやつは動く」

「そこで〔異界王ソドム〕あんたの出番だ。大きく暴れて注意を引きつけてくれ」

「囮になれ、と?」

「言い方を悪くすればそうだ。けど役目を逆にした場合とどっちのほうが、成功確率が高いと思う?」

「それはお前の提案通りのほうだろうな」

 〔異界王ソドム〕は考えた挙句、そう答えた。

「だったら協力してくれ」

 俺は嘆願する。すると〔異界王ソドム〕はこう言った。

「ただひとつ、難点があるぞ」

 そして続く言葉は俺たちを大いに驚かせた。

「お前らのうち、ひとりは〔異界シェオール〕に残ることになる」

「……きちんと説明してくれ」

 状況を把握するため、俺は〔異界王ソドム〕にそう頼み込んだ。

「隔絶の仕方は簡単だ。この世界には〔旧きカナン〕というものがある。この〔旧きカナン〕は全部で百八個あり、それを押す順番によってあらかじめ封印されている――〔失魔法アルス・マギナ〕が解き放たれる。ちなみに今ある〔ゲート〕は〔旧きカナン〕の押し間違えによって出現した。本来なら我輩様を殺す〔失魔法アルス・マギナ〕が発動する算段だったらしい。我輩様はそのおかげで今も生きているわけだが、それは関係ないな」

「ようは、その〔失魔法アルス・マギナ〕で世界はつながった、そうだろ?」

「そうだ。そして逆も然り。出現したときとは逆の押し方で世界は隔絶される。しかし先も述べたように我輩様が動けば、刺客が動くため我輩様はそれができないでいた」

「で、なんで俺たちのひとりが〔異界シェオール〕に残ることになるんだ?」

「〔旧きカナン〕はなんの予兆もなく《〔失魔法アルス・マギナ〕を発動する。つまり百八個目の〔旧きカナン〕に触れたとたん、〔失魔法アルス・マギナ〕は発動し、〔ゲート〕は瞬時に消滅する。ゆえに最後に〔旧きカナン〕を押したひとりはここに残らなければならない」

 最後の〔旧きカナン〕を〔異界王ソドム〕に押してもらうことも考えたが、囮となった〔異界王ソドム〕にどれほどの〔異界生物シャドー〕が襲いかかってくるかわからない。

「ほかに方法はないのか? 例えば最後のひとつだけ、お前の部下が押すとか……」

「途中でそれに気づかれたら隔絶どころの問題ではないぞ」

 それはその通りだ。だとしたら、誰かが残るしかないのか――いや誰かがなんて考える必要なんてなかった。

「だったら、俺が……」

 残ると言い切る前に、

「マツリが残るよ~」

 後野さんがそう言った。赤紫梟雀ポイホークスのようにハキハキとしてない、ゆったりとしたその口調は、後野さんの姿を見るまでもなく後野さんの口調だ。

 後野さん自身を確認しても当然のように髪の色は後野さんが本来持つ灰色に近い黒色だった。

 だからつまりその発言は本人の意志によるものだ。

「マツリは一度死んで~ポイちゃんに助けられた~」

 ポイちゃんというのはおそらく赤紫梟雀ポイホークスのことだろう。

「それでね~、ポイちゃんが乗り移って、マツリを治してくれている間に、すごいすご~いポイちゃんの愛情が伝わってきたの~。それで~マツリはポイちゃんに恋してしまったんだと思う~」

 戦場カメラマンを彷彿とさせるようなゆったりとした口調で、後野さんはそう言った。

「だから~マツリ、残ってもいいよ~。ポイちゃんがいるから~全然、さびしくないし~」

「けど両親が心配するんじゃ」

「両親はいないよ~。〔異界生物シャドー〕が壊した建物にペッチャンコに~されちゃったんだ~」

 そう語るときの後野さんは少しさびしげな目をした。

 俺はそこで初めて後野さんの境遇を知った。けれど、それでも後野さんは赤紫梟雀ポイホークスを慕っている。

 それはすごいことだった。

「……本当にいいんですね?」

「いいよ~」

 その言葉に迷いはなかった。赤紫梟雀ポイホークスとの、〔異界生物シャドー〕との、恋を選んだ。そういうことだろう。

「じゃあすいませんが、お願いします」

 それでもなんだか申し訳ないように感じて俺は謝った。

「わかってる~。任せてよ」

「祭、本当にいいの?」

 心配になったセンパイが後野さんに声をかける。

「いいとも~。でも~、つーちゃんと別れるのは少しさびしいかも~。けどもう決めたことだから~。悲しいお別れにならないように~最後は~、笑顔でね~」

「うん。わかった。ごめんね、ひどいことも言ったのに。私、まだ謝ってない」

 ごめんね、とセンパイが呟くと、後野さんはニヒヒと独特の笑いを見せて、「とっくに許してるよ~」と明るく弾んだ声を響かせる。

「それと音乗にはやってほしいことがある」

 俺は静かに経緯を見守っていてくれた音乗に言葉を投げかける。

「なんですの?」と反応した音乗に俺は続けて、

「上とかけ合って全世界の〔潜者ダイバー〕を引き上げるように旋律さんに言ってほしい」

「確かに、〔潜者ダイバー〕が〔異界シェオール〕にいたら取り残されてしまいますものね」

「そういうことだ」

「わかりましたわ。それではかけ合ってみますわ」

 そう言って音乗は〔ゲート〕を潜り俺たちの世界へと帰っていく。

「あとはみんなで手分けして〔旧きカナン〕を押そう」

「けど順番が大事なんっすよね、遠距離の意志疎通ができないと手分けしてなんて無理っすよ」

「なんのための我輩様だ。〔魔法オーラム〕を使えば意志の疎通などたやすいわ」

 そう言って〔異界王ソドム〕が指を鳴らす。

 なにも変化が起きてないように感じられたが、

「なにが起きたっすか?」

 宮直先輩の声が頭に響き、意志疎通ができていることに気がついた。

「それと〔旧きカナン〕は世界中にあるから移動にはこいつらを使え」

 〔異界王ソドム〕が再び指を鳴らすと雷駄馬(サンダバードという馬に雷の翼を生やした〔異界生物シャドー〕が出現した。頼りなさそうなアホ面をしているが大丈夫なのだろうか。

「それでは行くぞ」

 そう言ってからは速かった。

 〔異界王ソドム〕は飛び立ち、そして近隣の森を燃やし始めた。森に住む〔異界生物シャドー〕たちが飛び出してくる。

 〔異界王ソドム〕曰く自分をつけ狙う一党らしい。それを機に様々な〔異界生物シャドー〕が〔異界王ソドム〕に襲いかかる。

 しかしやはり王というべきだろう、それらを軽々と倒していく。

 さらに〔異界王ソドム〕が指を鳴らすと、〔異界王ソドム〕の後ろに、数匹の〔異界生物シャドー〕が現れる。〔異界王ソドム〕の側近たちだろう。側近たちは王の命令に従い、動き始めた。

 俺たちはその間に、点在する〔旧きカナン〕へと向かい〔異界王ソドム〕の指示に従って押していく。

 そしてとうとう、百八個目の〔旧きカナン〕へとたどり着く。

 後野さんとの別れということもあり、俺たちはその〔旧きカナン〕へと集まっていた。

「じゃあ、ここでお別れだね~」

 立ち止まった後野さんをセンパイが抱きしめる。目尻には涙が溜まっていた。

 それから宮直先輩も後野さんを軽く抱きしめた。別れを惜しむように。

 そして俺たちは雷駄馬(サンダバードに乗った。

 後野さんは見送るためか俺たちを見ていた。

「待つのである」

 そんなとき、赤紫梟雀ポイホークスの声がした。

 見れば、赤紫梟雀ポイホークスが後野さんの横に立っていた。

「ポイちゃん~、どうして……?」

 後野さんが驚いて声を出した。

「後野さんの身体から離れて大丈夫なのかよ?」

 俺が尋ねると、赤紫梟雀ポイホークスは笑う。

「マツリ嬢の身体は修復し終えているから大丈夫である」

「で、どうして出てきたんだ? お前も俺たちとの別れを悲しんでいるってことか?」

「惜別に対してはあまり感慨がわかないのである」

「じゃあなんで?」

「マツリ嬢を連れて帰るのである」

「待ってよ~! ポイちゃん、なにも言わなかったじゃない~!」

「ここに残っていいとは言ってないのである」

「でもマツリはここにいたい~! ポイちゃんと一緒にいたい!」

「ダメである。ここは人間が住めるような場所ではないのである」

「でも……」

 引きさがらない後野さんに赤紫梟雀ポイホークスは蹴りを入れる。

「どうして?」

 腹にケガを負った後野さんは、泣きそうな表情になっていた。

「去るのである!」

 近づこうとする愛しの人に赤紫梟雀ポイホークスは突然、怒気を孕んだ声を出す。わざとだ。わざと怒ることで、どうにかして後野さんを俺たちの世界に帰そうとしているのだ。

「行くわよ」

 センパイがそれに気づいて後野さんの手を引く。

「で、でも~」

「いいから……彼の気持ちを考えるのよ」

 赤紫梟雀ポイホークスは悲しげな目で後野さんを見ていた。

「……」

 後野さんはもうなにも言わなかった。

「あとはお前がやってくれる、ってことでいいんだよな?」

「ふむ。なにか裏があるとは考えないのであるか?」

「今更、それを聞くのかよ。俺は何度でも言ってやるよ。信じてる、ってな」

「そうであったな」

 赤紫梟雀ポイホークスは納得して頷き、そして笑った。

「〔ゲート〕が消失したら、これをマツリ嬢に渡してほしいのである」

 それは赤紫梟雀ポイホークスの羽根だった。

「わかった。絶対に渡す」

 俺はその羽根を受け取って雷駄馬(サンダバードに乗る。

赤紫梟雀ポイホークス!」

 また会おうな、俺はそう言おうとした。けれどそれは再び〔ゲート〕が開くということだ。そしてそれはまた新たな不幸を呼ぶのだろう。それを防ぐために〔ゲート〕を閉めるというのに、俺たちの再会のために開いてしまっては本末転倒だろう。

 だから俺はその代わりとなる言葉を紡ぐ。

「じゃあな!」

「うむ。さよならである」

 雷駄馬(サンダバードに指示を出して俺たちは空を駆ける。

 赤紫梟雀ポイホークスはずっと俺たちを見守り続けていた。

 〔ゲート〕の前で、意志疎通の〔魔法オーラム〕を介して、〔ゲート〕に入ることを赤紫梟雀ポイホークスに伝えた。

 赤紫梟雀ポイホークスは別れをすませたあとだからだろう、なにも言わなかった。

 俺は〔ゲート〕を潜る。

 荒れたグランド、年季が入った校舎。少しだけ薄暗い空――見慣れた光景が俺たちを迎える。

 俺たちは別れを惜しむように〔ゲート〕を振り向いた。

 けど、そこに〔ゲート〕はもうなかった。

「終わったんだな……」

 俺は呟いた。

 そして思い出したように赤紫梟雀ポイホークスの羽根を取り出す。

「それは……?」

 羽根に気づいたセンパイが尋ねる。

赤紫梟雀ポイホークスが後野さんに渡してくれって」

 俺は後野さんにその赤紫色の羽根を渡す。

 けれどその羽根は後野さんが受け取る前に変化を起こした。赤紫色の羽根は、金色に輝き、空へと舞いあがる。そして弾けた。

 その弾けた光はハートをかたどった。さながらハート型の花火だった。

 愛に生きた赤紫梟雀ポイホークスの最後の愛情表現だった。

 後野さんはそこで初めて声に出して泣いた。

 異なる生物同士の恋物語の終わりだった。

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