3-(4) ――さあ構えるんだ。野球ぐらい、キミだってやったことあるだろう?――


4


 武器庫へとたどり着いた俺は気を失っているセンパイから湯かき棒を取ろうとしていた。センパイは気を失ってもなおがっちりとにぎって手を放そうとはしなかった。すごい執念だ。

 けれど俺には湯かき棒が必要だった。

 すいません、と小さく呟いて、無理に湯かき棒を奪う。

 ――ようやく起きたね、躑躅――

 とたん、声が聞こえ、胸が痛み出した。

 ――って違う!?――

 俺はその声が湯かき棒から響いていることに気づいた。しかもその声が響くたびに胸が痛む。

「あんたはなんなんだ?」

 思わず声を出すと、念じるだけでいい、と声が響き、さらにこう続いた。

 ――簡単に言えば兄だ! 大山紫苑って言えばわかるかい?――

 まさか……センパイのお兄さんは死んだはずだ。そもそも、なんで湯かき棒から声が聞こえてくるんだ?

 混乱しながらも、俺は胸の、正確に言えば欠片が発する痛みが紫苑さんの声に共鳴していることに気づいた。

 ――キミがどこまで事情を察しているのかわからないけど、環境省から〔反魔金属オハロフ〕を守るために〔魔法オーラム〕を使って湯かき棒に自分の魂を封じ込めたのさ。自分は〔異界シェオール〕で死にかけていたから、そうしないと躑躅に状況を教えることができなかったんだ――

 事情って、環境省が兵器開発しているってやつか?

 ――そこまでわかっていれば上出来だよ。オールくん――

 紫苑さんは感心したように呟き、そして最後に俺の好ましくない愛称をつけ加えた。

 どうして、俺がオールだってわかった?

 ――そりゃこうして話しているからさ。魂を封じ込めるときに躑躅とそして〔異界王ソドム〕の欠片を持つものとしか話せないって設定しておいたんだ。そして躑躅からオールくんが環境省に襲われたことを聞いている。それらを鑑みたら、キミがオールくん以外には考えられない――

 そういうこまごまとした設定ができるのか。

 感心したような呆れたようなそんな気分で紫苑さんに語りかける。

 ――まあ〔魔法オーラム〕だからね。それに全員に声が聞こえたらお互い困るだろう?――

 ごもっとも。

 ――ところで今の状況はどうなっている。〔異界王ソドム〕はどうなったんだい? 設定をミスってね、自分をにぎってくれた人の目を通してしか周囲が見られないんだよ――

 不便だなあ、とふと思うとそれを読み取った紫苑さんが言葉を続ける。

 ――ああ、不便だ。湯かき棒の定位置って言えばだいたい風呂場だからね、もし設定をミスってなければ躑躅や紅葉たちの裸が見放題だったのに――

 なんて残念な人なんだ、というのが俺の本音だが、念じると伝わってしまう。まあ伝わってもいいか。

 ――残念とは失礼な。こう見えても妹想いなんだぞ!――

 理不尽に怒る紫苑さんに俺は呆れるしかなく、けれど理不尽に怒られ続けるのもしゃくなので、俺は話を戻しますよ、と紫苑さんに伝えて、かい摘んで話を始めた。

 ――なるほどね。それでオールくんは湯かき棒を取りにきたわけだ。それは正しい判断だね――

 けど、俺は直感でこれを取りに来ただけで赤紫梟雀ポイホークスの話はあんまりわかってない。

 ――まあ理屈や原理を全て理解しろ、とは言わないね。なんで殺虫剤で虫を殺せるかなんて大概の人はわかってないだろ。ようは殺虫剤で虫を殺せる、それがわかればいい。それと同じで〔魔力エーテル〕が多い存在は〔反魔金属オハロフ〕で倒せる。それだけの話だ。でも簡単に原理を言えば〔反魔金属オハロフ〕は運動エネルギーが加わることによって、〔魔力エーテル〕を分解させる能力を持つんだ。傍目からは切り裂くように見えるね――

 その説明は旋律さんにしてもらった説明とだいたい一緒だった。ただ旋律さんは〔魔力エーテル〕を分散させるといっていた。その解釈だと、〔魔力エーテル〕を散らすことはできても失くすことはできないから紫苑さんが言う分解させるという解釈のほうが正しいのだろう。

 ――だいたい、原理はそんなところだ。〔異界王ソドム〕やその側近はほとんどが〔魔力エーテル〕でできているからね、それを分解されるのは、肉体を削がれるのと同意義だ。だから〔反魔金属オハロフ〕を恐れるってわけ――

 俺は饒舌に語る紫苑さんを引き連れて武器庫を出る。湯かき棒は剣囲盾ソードシールドの裏にある取っ手に引っかけ相手から見えないようにしてある。

 ――さあ、行こうか――

 剣囲盾ソードシールドの裏にひそむ紫苑さんの声が飛ぶ。

「来たであるな」

 赤紫梟雀ポイホークスが俺の姿を視認した。八咲と音乗は傷を負ってはいるものの、戦えなくなるほどの重傷ではなかった。

「ふたりともありがとう。センパイたちを頼む!」

 八咲たちへと近づいた俺は八咲と音乗のふたりに感謝を述べ、指示を出す。ふたりは頷き、武器庫のほうへと向かう。ここからは俺ががんばる番だ。

 今見とグラサン軍団は、冷気噴出装置を持ってどこかへと消えていた。遠く空を飛ぶ〔異界生物シャドー〕が凍りつくのが目に入った。あそこらへんには学校があるはずだ。つまり今見たちは学校へ〔異界生物シャドー〕を倒しに向かったらしい。

 しかめ面の印象しかない今見だが、意外と気がきくやつらしい、と印象を改める。

 凍りついていた〔異界生物シャドー〕たちは今や見る影もない。肉体ごと破砕し、〔魔力エーテル〕を噴き出しながら消滅したのだろう。

赤紫梟雀ポイホークス。ひとつ訊きたいことがある」

「なんであるか?」

悪王豚蠅ベルゼブーブはほとんど〔魔力エーテル〕で構成されているんだよな」

「そうである」

「でもお前はこうも言った。大量の〔魔力エーテル〕が空気中にただよってないとその存在は維持できない。だとしたらなんで悪王豚蠅ベルゼブーブはこっちに来れるんだ?」

「あやつは側近のなかでも異質だからである。あやつは人間によく似た姿になることで〔肉体ユニテ〕と〔魔力エーテル〕を調節し、少量の〔魔力エーテル〕でも存在することができるのである」

「つまり蘆永になれば〔魔力エーテル〕がほとんどなくても存在できるのか」

「そうである。その分、本来の力は出せないであるが」

 赤紫梟雀ポイホークスは俺の言葉に感心して頷いた。

「でもじゃあなんで今、悪王豚蠅ベルゼブーブは本来の姿で存在できているんだ? 〔魔力エーテル〕汚染がそこまで進んだってことなのか?」

「それも一因ではあるが、あやつは裏技を使ったのである」

「裏技?」

 赤紫梟雀ポイホークスは既に悪王豚蠅ベルゼブーブがここに存在しているトリックを見破っているようだった。

「お主らがいうところの〔異界生物シャドー〕は死ぬと体内に宿した〔魔力エーテル〕を噴出させる。その〔魔力エーテル〕は大気中に混ざるわけであるから、一時的に〔魔力エーテル〕の量は増えるのである」

 そう言われて俺はなんとなくだが、理解する。理解したことを整理するように言葉に出す。

「つまり、悪王豚蠅ベルゼブーブが虫の大群を率いていたのは俺たちに虫どもを倒させることでここら一帯の〔魔力エーテル〕を増やすのを目論んでたってことか」

「そういうことである。あやつが率いる虫――〔ワムウ〕どもは微量な〔魔力エーテル〕しか持っていないのであるが数は大量で、あまり強くないため倒しやすい。もしお主らが倒さなければ悪王豚蠅ベルゼブーブが殺していたであろうよ。自分の存在を維持するために」

「じゃあ今〔異界生物シャドー〕がいないのは悪王豚蠅ベルゼブーブの目論み通りってわけだ」

 俺は周囲を見渡し、そう呟く。

 ここにいるのは、悪王豚蠅ベルゼブーブのみだった。けれど死骸から噴出した《魔力》は数時間、その場にとどまる性質を持つため、悪王豚蠅ベルゼブーブはその存在を確固たるものにしている。

「ただ、本来の姿のほうが〔反魔金属オハロフ〕の効果は絶大であるゆえこちらにとっても好都合である」

 俺の疑問が晴れたところで赤紫梟雀ポイホークス悪王豚蠅ベルゼブーブに向かって走り出した。俺が頼むまでもなく、やつを倒すために力を貸してくれるらしい。俺も走り、赤紫梟雀ポイホークスに並走する。

「毎度、毎度、すまないな」

「お主らのためではない。あやつを倒せねばマツリ嬢が危ないのである」

 赤紫梟雀ポイホークスの思考は結局そこにたどり着く。

「そういえば赤紫梟雀ポイホークスは〔反魔金属オハロフ〕は平気なのか?」

「我は〔異界王ソドム〕と違って〔魔力エーテル〕を失っても〔肉体ユニテ〕は残るわけではあるが、〔魔力エーテル〕と〔肉体ユニテ〕、どちかかが欠ければ存在を維持できぬのである。もっとも〔異界王ソドム〕は例外であるが」

 回りくどい言い方だが、ようは平気じゃないってことか。

「じゃ、当たらないように注意する。あんたが死んだら後野さんが悲しむだろうから」

 その言葉に赤紫梟雀ポイホークスは頷いた。

 後野さんの身体を借りたときに後野さん自身に了承を得たと赤紫梟雀ポイホークスは言っていた。だから赤紫梟雀ポイホークスがうっかりミスで消えました、なんてことがあれば俺は当然許されない。

 だから俺は細心の注意を払う必要がある。

 そんなやりとりをしている間にも、悪王豚蠅ベルゼブーブは俺たちを倒すべく、まっすぐに向かってくる。俺たちは左右にわかれる。そして悪王豚蠅ベルゼブーブが向かってきたのは左に進んだ俺だった。

 悪王豚蠅ベルゼブーブもにぶくない。俺が武器庫からなにを持ってきたのか、おそらく気がついているだろう。〔反魔金属オハロフ〕をどこに隠しているのか、も見透かされているのかもしれない。

 それでも俺は自分がやろうと決めていた通りに動く。俺は湯かき棒を隠したまま剣囲盾ソードシールドを振り回した。

 しかし悪王豚蠅ベルゼブーブは身をひねるだけで軽々と剣囲盾ソードシールドを避け、さらに間をつめようとしてくる。俺は一旦さがり、そして今度は剣囲盾ソードシールドを俺の前に押し立てて、悪王豚蠅ベルゼブーブへと突撃する。

 悪王豚蠅ベルゼブーブ剣囲盾ソードシールドを両手で止め、そのまま俺を押し返す。突然、背後から熱気が噴きつけ、何事かと振り向くと後ろには炎の壁があった。

 〔魔流封玉プリママテリア〕によって〔魔法オーラム〕が効かない俺だが、その〔魔法オーラム〕も〔魔流封玉プリママテリア〕が取りついている正面からしか受けてない。背後からでも〔魔法オーラム〕を無効化できるのか、それは定かではない。

 だからこそ、悪王豚蠅ベルゼブーブに押され、俺の身体がさがるのに応じて焦りが募った。

 焦りの表情が出ていたのか悪王豚蠅ベルゼブーブがほくそ笑んだ。その余裕の表情に今度は怒りが募る。

「ォのヤローがっ!」

 俺は怒りのまま跳躍し、両足で剣囲盾ソードシールドの裏側を思いっきり蹴った。蹴った瞬間、取っ手から手を放し、同時に湯かき棒を引き抜く。

 蹴られた反動で悪王豚蠅ベルゼブーブ剣囲盾ソードシールドごと地面に倒れる。両足で蹴った俺も炎の壁ぎりぎりで倒れたが受け身を取って素早く立ちあがり、悪王豚蠅ベルゼブーブへ襲いかかる。悪王豚蠅ベルゼブーブが体勢を立て直した頃には俺が振りあげた湯かき棒がちょうど悪王豚蠅ベルゼブーブの頭へ振りおろされるところだった。

 けれど悪王豚蠅ベルゼブーブは目にも止まらぬ速さで湯かき棒を持つ腕を下から叩いた。俺は痛みで湯かき棒を手放し、湯かき棒が宙に舞う。悪王豚蠅ベルゼブーブは跳躍し、なぜか湯かき棒へと火球を放った。

 〔反魔金属オハロフ〕が反応し、火球をかき消すが、火球がぶつかった衝撃までは無効化できない。湯かき棒はさらに上空へとのぼっていく。

 悪王豚蠅ベルゼブーブは羽ばたき空へと飛翔。さらに何度も何度も火球を放ち、湯かき棒を空高くあげていく。

 俺は空を見上げるも、悪王豚蠅ベルゼブーブが点のように小さくなって、かろうじてその姿が確認できる程度で、なにをしようとしているのかもわからない。

 ただ赤紫梟雀ポイホークス悪王豚蠅ベルゼブーブがなにをしているのかわかっているようで、

「少し無理をするのである」

 そう呟くやいなや、後野さんの背中に赤紫色の炎翼を出現させ、飛翔した。

 俺はその光景を見上げることしかできない。

 点のように小さかった悪王豚蠅ベルゼブーブをようやく俺の視界がその輪郭をはっきりと捉える。落下してきているのか、高度がさがったのが原因だろう。その頃には悪王豚蠅ベルゼブーブが蘆永に戻っていることに気づいた。

 〔魔力エーテル〕によって構成される悪王豚蠅ベルゼブーブは湯かき棒に触れることはできない。けれど現実の〔肉体ユニテ〕を持った蘆永なら湯かき棒を破壊することも可能かもしれない。その際、赤紫梟雀ポイホークスに邪魔されることを懸念した悪王豚蠅ベルゼブーブはわざわざはるか上空で変身しようとしたのだ。

 けれど赤紫梟雀ポイホークスは翼をはやし、飛翔。その行為を阻止したというわけだ。

 その赤紫梟雀ポイホークス悪王豚蠅ベルゼブーブを押さえてつけて急降下。

 そのまま地面へと激突する。その寸前、悪王豚蠅ベルゼブーブは蘆永の姿をやめ、本来の姿へと戻っていた。

「衝突の衝撃はやはり〔肉体ユニテ〕の要素が多い姿では耐えられないのであるな」

 地面に衝突した悪王豚蠅ベルゼブーブは網のようになった紫電に捕らわれていた。悪王豚蠅ベルゼブーブはそこから逃れようと必死にもがいていた。

 もちろん、その紫電は赤紫梟雀ポイホークスが時折使っていたものだ。

 俺は悪王豚蠅ベルゼブーブの動きが封じられているのを確認してからもずっと空を見上げていた。薄紫の空から水色の、祖父が語ったかつての青空のような色をした湯かき棒が振ってくる。

 俺は湯かき棒を自分の胸で抱きとめ、そして強くにぎりしめた。

 ――ここまでの流れが読めないんだけどどうなっているんだい?――

 湯かき棒をにぎったことで、周囲が見えるようになった紫苑さんが問いかける。

 とりあえず黙ってください。

 俺が湯かき棒をにぎったことを確認した赤紫梟雀ポイホークス

「行くである」

 紫電がまとわりつき身動きができない悪王豚蠅ベルゼブーブをこちらに向かって投げた。

 いや、どういうことだよ?

 ――なるほど。状況を察したよ、オールくん。さあ構えるんだ。野球ぐらい、キミだってやったことあるだろう?――

 俺は言われるがまま、両手で湯かき棒をにぎりしめ、球となった悪王豚蠅ベルゼブーブを待ち構える。

 紫苑さんと赤紫梟雀ポイホークスの思惑は合致してないのは明白だったが、まあいい。身動きのできない悪王豚蠅ベルゼブーブは倒せる千載一遇のチャンスには違いない。

 ――行っけぇぇぇえええ!――

 紫苑さんの叫びに合わせて、俺は悪王豚蠅ベルゼブーブに向かって、湯かき棒を思いっきり振り回した。とてつもなく不恰好なフルスイングは悪王豚蠅ベルゼブーブを直撃し、悪王豚蠅ベルゼブーブの〔魔力エーテル〕を分解していく。

 俺が湯かき棒を完全に振り切ると、悪王豚蠅ベルゼブーブの豚顔だけが地面に落ちた。その顔が〔肉体ユニテ〕の部分なのだろうか。

「終わった……」

 息切れしながらも俺は呟いた。そして一気に気が緩み脱力し、地面に腰をおろした。

「あとは任せたのである」

 赤紫梟雀ポイホークスがそう言うと赤紫梟雀ポイホークスの髪が黒く染まる。後野さんに身体を返したのだ。

 超人ならざる動きをした後野さんは身体を貸した代償か、一言も発せずそのまま倒れた。

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