3-(1) 「よくもおれを投げやがって! おれを誰だと思っている!」

2


 〔異界王ソドム〕の背丈は俺よりも少し高いという感じだった。俺の身長が百七十五センチメートルだから目測で百八十センチメートルと言ったところだろうか。

 紫色の肌に金色の瞳、とがった耳、豊かな銀髪に包まれた頭部からヤギのような角が生える。漆黒のローブのような布きれをまとった体からは筋肉隆々の腕が伸び、その先端、七本の指からはとがった爪が伸び、そこにはべっとりと血がこびりついていた。剛毛におおわれた太い足の先端からは鋭利な刃物のような爪が生えている。さらに背からはコウモリの翼がはえ、尻からは先端が三叉に割れた尾が延びていた。

 〔異界王ソドム〕は余裕を見せつけるようにゆっくりと俺のほうに近づいてくる。

 開いたローブから見え隠れする紫色の胸には、どこまでも続いていそうな穴が空き、そこから〔魔力エーテル〕が黒いもやとなって、絶えず噴き出していた。

 俺の黒い瞳と〔異界王ソドム〕の金色の瞳が合う。見つめられただけなのに、身体が金縛りにあったように動けなくなった。

「逃げろ! オールっち!」

 宮直先輩が叫んだ。

 それでも俺は動けなかった。足がすくんでいた。〔異界王ソドム〕は視線をセンパイに落とす。〔異界王ソドム〕がセンパイを狙っているのだと気づいて、俺はすくむ足にげきを飛ばし、剣囲盾ソードシールドを構えてセンパイの前に立つ。

 瞬間、激しい衝撃とともになにかが起きた。盾を持つ腕と背中に激痛が走り、一瞬意識が途切れてしまって、なにが起きたのか、まったく理解できなかった。

 けれどぼやけた意識が鮮明となり、〔異界王ソドム〕が遠く離れた位置にいることに気づいて俺は吹き飛ばされたのだと理解する。

 背後の木の緑色した幹は俺がぶつかった衝撃でふたつに折れていた。もしこの木がなければ俺はどこまで吹き飛ばされていたのだろう。

 剣囲盾ソードシールドで防御できず〔異界王ソドム〕の一撃をまともに受けていたらいたらどうなったかわからない。その剣囲盾ソードシールドもまっぷたつに割れていた。二分された盾を片手にひとつずつ持ち、俺は起きあがる。全身がきしんで痛むけれど手足は動く。骨が折れていないのは幸いだった。

 俺がやっとの思いで立ちあがっているうちに、〔異界王ソドム〕はセンパイへと近寄る。宮直先輩たちは俺が吹き飛ばされたのを見て恐怖にすくんでいた。

 〔異界王ソドム〕がセンパイへと拳を打ちおろそうとしたさなか、センパイが目を見開く。気を失っていたセンパイはぎりぎりで目覚めた。いやもしかしたら気を失ったふりをして、機会をうかがっていたのかもしれない。センパイは強くにぎり、決して離すことがなかった湯かき棒を渾身の力を込めて振るった。

 空を切り裂く、不意打ちの一撃。〔異界王ソドム〕は思わずそれを手で受けとめてしまう。すると〔異界王ソドム〕の腕の一部がこぼれるように霧散した。すぐさま手を離すと再び集束する。

「小娘が、こしゃくな真似を……」

 〔異界王ソドム〕の低い声が脳に響く。耳をふさごうとも拒めないその声はひどく不快だった。

「私はあなたを殺す!」

 憤怒のままに立ちあがり、センパイはさらに〔異界王ソドム〕に立ち向かう。

「やはり〔反魔金属オハロフ〕は気にいらん」

 そう言いながら〔異界王ソドム〕はセンパイの振るう湯かき棒をのけぞって避ける。しかしその表情には余裕があり、むしろ楽しんでいるようにも見える。

 いきりたったセンパイが紫色の地面に一歩踏み込んだ瞬間だった、センパイの身体ほどもある火球が上空から襲来。センパイは火球がぶつかる瞬間、転がるように横っ跳び。その場から離れる。火球は紫色の地面にぶつかり、その表面を焦がし、すぐに消えた。

「王、少しお遊びが過ぎます」

 その声は聞き覚えのある声だった。その声の主はゆっくりと〔異界王ソドム〕の後ろから姿を見せる。

 蘆永だった。蘆永の背にはドクロが描かれたハエの羽がはえている。

「蘆永……どうしてお前が?」

 俺はセンパイのそばに急いで駆けつける。

「これは我輩様のしもべだ」

 なにも語らぬ蘆永の代わりに〔異界王ソドム〕が簡潔に答えた。

 嘘だと思いたかった。けれど蘆永の背中にあるハエの羽は、蘆永が〔異界生物シャドー〕であることを証明していた。

「やっぱりキミが……これでいろいろつじつまが合うわ」

 けれどセンパイはわかっていたような口ぶりだった。

「どういうことですか?」

「私が〔異界シェオール〕で〔異界王ソドム〕を探している間も結構な頻度で蘆永くんに出会っていたのよ」

 それだけじゃないわ、とセンパイは言葉を続ける。

「環境省の秘密組織に私が襲われたとき、蘆永くんに助けてもらったの。あれ、偶然じゃないわよね?」

 ええ、と蘆永は頷いた。

「秘密組織に〔異界生物シャドー〕を差し向けたもの、蘆永くんでしょ? 目的は〔反魔金属オハロフ〕を探すため?」

「それもありますが、連中が僕の知らないあなた方のデータを持っているだろうとにらんだので。ちなみにこの機会にG7とOIEKでしたっけ、そこに保管されている〔反魔金属オハロフ〕を破壊するために手下を送りこんでいますよ」

「――悪王豚蠅ベルゼブーブ

 〔異界王ソドム〕は蘆永のことをそう呼び「無駄話はやめろ」と注意する。

「無駄に遊んでいたのは、王だと思いますが?」

 蘆永は〔異界王ソドム〕を恐れることなく呆れたようにそう言った。

「ふむ。それもそうだな」と〔異界王ソドム〕は軽く笑う。「では、次からは遊びはなしで行く」

 たったそれだけことで俺は寒気に襲われた。震えが止まらない。

 〔異界王ソドム〕から流出していた〔魔力エーテル〕が一時的に〔異界王ソドム〕をおおう。そして姿が消えた。

 獅鰐鴉竜リンドカームのようにどこかに一瞬にして移動したのだと理解したとたん、宮直先輩が吹き飛び、〔ゲート〕の柱に激突する。宮直先輩はそのまま地面にくずれ落ちて動かない。助けに行きたくても、一瞬たりとも〔異界王ソドム〕から目が離せない。

「ふむ。〔別界アルカディア〕に送り返してやろうと思ったが、反応してそらしたか……」

 平然と言い放った〔異界王ソドム〕は腰を抜かした音乗のほうを向いた。次はお前だと言わんばかりに。

 けれど俺が助けに入る前にセンパイは動き出していた。ありえないほどの叫び声をあげて。

「なにを怒っている? お前たちも我らに同じことをしているではないか」

 センパイが怒りに任せて振るった湯かき棒を軽々と避けた〔異界王ソドム〕はセンパイの首をつかむ。

「やめろおぉおおおおおおおお!」

 俺は無我夢中で駆け出していた。仲間たちはみんな戦闘不能に陥っていて、俺しかセンパイを救える者はいない。

 あきらめてたまるかよ。

 けれどヒーローになろうとする俺の前に蘆永が立ちふさがる。

「どけぇええええええええええええええええええええええ!」

 叫びとともに両手に持つ、半分になった剣囲盾ソードシールドをがむしゃらに振るう。俺は蘆永を倒すつもりなんてなかった。ただ、どいてくれればそれでよかった。

 けれど蘆永はいとも簡単に剣囲盾ソードシールドを払いのけ、前進させてくれない。蘆永の絶えることのない笑みがしゃくに障る。もう一度、俺は蘆永に挑んだが、結果は同じだった。

 その間にも〔異界王ソドム〕はセンパイの首をしめ続ける。ひと思いに殺すこともできるはずなのに〔異界王ソドム〕はセンパイの苦しむところを俺に見せつけようとするかのようにじわじわと首をしめていく。

 もうダメだと俺があきらめかけたとき、突如、〔異界王ソドム〕の体勢がくずれ、センパイの首から手を放したのだ。センパイは突然のことに驚きつつも、なんとか意識を保ち、湯かき棒を叩きつけた。〔異界王ソドム〕はその一撃をくらう前に、センパイを跳ね飛ばし、距離を置き、自分にぶつかったものを見る。

 〔異界王ソドム〕にぶつかったのは今見だった。

「いってぇなあ」

 頭を押さえながら立ちあがった今見は〔異界王ソドム〕の姿を見て、小さな悲鳴をあげて後ずさった。

「ったく、大変な事態になってるみてぇじゃねぇか」

 小刻みに身体を震わせているくせに、強気な発言をしたのは〔ゲート〕を潜ってきた八咲だった。

 八咲の声が聞こえると同時に、今見は強気を取り戻して言い放った。

「八咲、てめぇ! よくもおれを投げやがって! おれを誰だと思っている!」

「うっせぇ、黙れ! ビビリ。てめぇがさっさと潜らないからオレが投げてやったんだろうが。感謝しろ」

 八咲がにらむと今見は押し黙った。

 どうやら入るのをためらった今見を八咲が投げ、投げられた今見が偶然にも〔異界王ソドム〕を直撃したらしい。そんな偶然があっていいのか。

 俺が呆気に取られるなか、調子を取り戻したセンパイが再び、〔異界王ソドム〕へと迫る。

 俺は俺と同様、呆気に取られていた蘆永の隙をついて、センパイのもとへ駆けつける。

 どうあがいても勝ち目はないのだ。なんとしてもセンパイを止めなければセンパイは殺されてしまう。

 蘆永が俺に気づき、火球を手のひらから撃ってきた。

 俺の背中へと火球が迫る。俺は振り向いて、右手ににぎる半分になっている剣囲盾ソードシールドを構える。

 一瞬にして剣囲盾ソードシールドを焼き焦がし、火球は俺を直撃する。一瞬、俺は死を覚悟した。

 しかし、炎は胸の欠片に吸い込まれるように消え、俺は無傷だった。いや、痛みすら感じなかった。どうなっているんだ?

「くっくっく!」

 湯かき棒を振るうセンパイを蹴飛ばした〔異界王ソドム〕は笑った。

悪王豚蠅ベルゼブーブ、そいつか?」

「ええ、そいつです。確信はなかったですが、今確信を持ちました」

「我輩様もだ。たった今反応を確認した」

 もう一度、笑うと〔異界王ソドム〕は一瞬にして俺の前に現れる。

「そちらから来てくれるとは嬉しいぞ――オール!」

 しかも〔異界王ソドム〕は俺の気にいらない愛称で俺を呼んだ。教えたのはボンクラ――ではなく蘆永だろう。

 この野郎が! 少しだけ怒りが胸中に蠢く。

「さあ、〔魔流封玉プリママテリア〕を返してもらうおうか!」

 〔魔流封玉プリママテリア〕――初めて聞く名前だったが、それがなにか尋ねなくてもわかった。俺の体に取りついた欠片のことだ。これのおかげでさっきの火球を無力化できたってわけか。

「オール!」

 俺のほうに向かって駆けてくる八咲に俺も叫び返す。

「センパイたちを連れて逃げろ!」

「お前はどうする気だよ!」

 八咲の心配そうな顔が俺の視界に映る。

「どうにかする気だよ!」

 そう言った瞬間、俺はまた吹き飛ばされていた。訂正――どうにもできないかもしれない。それでもあきらめる気はないけどな。

「ふん、風圧だけで戦うのは骨が折れるな。直接手で触れることがもできぬのは面倒だ。手伝え、悪王豚蠅ベルゼブーブ

「ほかのやつらはどうします?」

「放っておけ! まずは我輩様の〔魔流封玉プリママテリア〕を取り戻す。それがなければ不便でならぬ。〔反魔金属オハロフ〕は後回しでいい」

「御意」

 そんなやりとりをしているふたりのかたわら、俺は立ちあがる。同時に蘆永は〔異界王ソドム〕の横に並んだ。

 八咲は俺のほうをちらちら見つつも、それでもセンパイたちのケガの具合が気になったのだろう、今見をにらみつけて手伝わせ、〔ゲート〕に潜るのがわかった。

 視線を前に戻す。

 蘆永が手にはめるのは鋏蠍虎爪ビチャ・ハウ・バク・ナウ。俺に〔魔法オーラム〕が効かないと見て装着したのだろう。

「ほう、便利なものを持っているな」

 感心したようにそう言って、〔異界王ソドム〕は周囲を見やり、近くに落ちていた片手半剣ハーフアンドハーフソードを見つける。その剣は今見のだった。あの野郎、きちんと持って帰れよ!

 少し泣きそうになる俺を尻目に〔異界王ソドム〕は片手半剣ハーフアンドハーフソードの柄を両手でにぎる。

 片手用の剣をそうにぎるのは使いかたを知らないのか、それとも力強く振りおろすためか、その理由はわからない。だがどちらにしろ脅威だ。

 片手半剣ハーフアンドハーフソードをにぎる〔異界王ソドム〕と鋏蠍虎爪ビチャ・ハウ・バク・ナウをにぎる蘆永。

 対するのは半分に折れた剣囲盾ソードシールド――言うなれば剣囲半盾ハーフ・ソードシールドを持った俺。

 勝ち目あるのか、と俺は一瞬考えたが、勝たなくてもいいことに気づいた。そう、勝たなくてもいい。けど負けるつもりもなかった。

 俺は〔ゲート〕に向かって逃げ始めた。

 追い詰められてなのか、このときの俺はさえていた。〔異界王ソドム〕がゴルフのスイングのように下から上へ片手半剣ハーフアンドハーフソードを振りあげてくる。俺はそれを剣囲半盾ハーフ・ソードシールドで防ぐもその衝撃はすさまじく後ろへと飛ばされる。

 けれどそれも計算通り。俺は飛ばされるのを待っていた。俺は後方に〔ゲート〕があるのを確認して、剣囲半盾ハーフ・ソードシールド片手半剣ハーフアンドハーフソードを受け、〔ゲート〕に向かって飛ばされたのだ。

 着地して身を翻し、あと数歩というところで、〔異界王ソドム〕の声が響いた。

「我輩様から逃げられると思っているのか。往生際が悪いぞ」

 さらに蘆永が空から火球を放ち、俺を牽制する。

「そうですよ、オールさん。逃げたところで、僕が〔別界アルカディア〕に行けることをわかっているはずですよね?」

 それは確かにそうだ。けどそれでも俺たちの世界のほうに逃げるほうが、ここにいるよりはマシに思えた。

 それに蘆永がそんなセリフを吐いたということはまだ〔異界王ソドム〕は俺たちの世界に来ることはできないってことだ。

 そう思ったとき、〔異界王ソドム〕が〔ゲート〕の前に一瞬で移動して、立ちふさがった。今更、逃げるつもりなんてない。俺は剣囲半盾の剣の切っ先を突き出して体当たりしていた。

 俺が突き出した剣囲半盾は確かに〔異界王ソドム〕にぶつかった。盾から突き出した剣が一瞬にして折れる。けれど俺は勢いのまま〔異界王ソドム〕を〔ゲート〕の外に押し出そうとした。

 もちろん、〔異界王ソドム〕の力は俺とは比較にもならないほど強い。月とすっぽんどころか、月とミジンコぐらいの実力差がある。

 それなのに〔異界王ソドム〕は後退するのを恐れるように身体を横にずらした。それほどまでに〔異界王ソドム〕は俺たちの世界を恐れている。

 俺は前につんのめったものの、そのまま止まらず〔ゲート〕を潜り、俺たちの世界へと帰っていく。背後で、「追え!」という言葉が聞こえた。

 〔異界シェオール〕から戻ると、眼の前に凄惨な光景が広がる。

 ――無数の死体と死骸だった。

 俺はすっかり失念していた。そう、こちらには獅鰐鴉竜リンドカームがいたのだ。

 前門の虎(獅鰐鴉竜リンドカーム)、後門の竜(蘆永)――そんな絶望的状況であたりを見回した俺は、なにが起こったかを知って愕然とした。

 グランドと同じぐらいの草原に広がる死体の山、そこには倒れる獅鰐鴉竜リンドカームと、青い血に体を染め、髪が赤紫へと変貌している後野さんがいた。その光景を今見や八咲、音乗が立ち尽くして見ている。

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