2-(9) 「たまたまここに埋めといてラッキーだったっす」

 9


「今日は〔異界生物シャドー〕をあまり見なかったっすね」

 宮直先輩がそんなことを言って〔異界シェオール〕から〔ゲート〕を潜り、俺たちの世界へと戻る。

 俺も「ええ、そうでしたね」などと言って後ろに続く。宮直先輩は俺に対してだけは近寄れるようになっていた。とはいえ、俺がなにげなく手を動かしたり、頭をかこうと手をあげたりすると、ビクッと身体を震わせたりする。

 俺たちが〔異界シェオール〕から戻ると、弓形高校は大混乱に陥っていた。

 〔異界生物シャドー〕がグランドにあふれているのだ。

 〔異界生物シャドー〕が俺たちの世界に出てくるということは実は意外にあることだ。

 〔魔力エーテル〕が微量でも生きることができる〔異界生物シャドー〕は〔異界シェオール〕でも食物連鎖の下位にいるため、こちらに逃げてくることがある。

 〔潜者ダイバー〕なら対処できたりもするが、一般人にはその〔異界生物シャドー〕だけでも脅威だ。

 もっともそれは昔の話。今は俺の祖父、面舵大全が世界を停滞期にした代償として〔魔力エーテル〕汚染は一気に進んでしまい、ある程度凶悪な《異界生物》も〔ゲート〕を潜ってくるようになり、そいつらは〔潜者ダイバー〕見習いでも少し手こずる。

 その〔異界生物シャドー〕がグランドにひしめいていた。

「なんなんすか、これ?」

「俺にわかるはずがありませんよ」

 宮直先輩の戸惑いに俺も同意する。

 実習から戻ってきたら既にこの状態だったのだ。

 今見やボンクラ、トドビーバーはグランドにあふれる〔異界生物シャドー〕と戦っていた。いやその三人のなかでまともに戦えてるのはトドビーバーぐらいであとのふたりは必死に逃げ回っているという表現が正しい。

 蘆永の姿は見えない。実習に出てないセンパイの姿も。

「なにが……起きてますの?」

 俺の手に引かれて戻ってきた音乗が、グランドの状況を見て震えた声を出す。続く八咲や大山もこの光景に絶句していた。

 犬のような顔に猪の牙を持ち、狼のような四肢を持つ二足歩行の〔異界生物シャドー犬狗猪鬼コバウトに、豚の顔に猪の牙、熊のような毛皮と体格を持つ二足歩行の〔異界生物シャドー豚熊猪鬼トブール。それに蜥猫蜴蛇リニャードもいる。

 そしてにぎり拳ぐらいの大きさの〔異界生物シャドー〕が雲のように空をおおっていた。その〔異界生物シャドー〕はハエの顔に蝶の胴体、バッタの足を持つ、飛蝶蝗蠅バッタフライだ。

「行くっす!」

 宮直先輩のかけ声とともに走り出した俺たちだったが、とたん、後野さんが倒れた。

「祭っち、大丈夫っすか?」

 宮直先輩が急いで近寄ると、後野さんから〔魔力エーテル〕が噴き出ていた。俺たちがその光景を見るのは二度目だ。

 そこから噴き出た〔魔力エーテル〕は姿を形づくり、赤紫梟雀ポイホークスになった。それを見て音乗が気を失った。

「この状況はお前の仕業なのか?」

「いやはやそれは大いなる勘違いである」

「どういうことだ?」

「なぜなら我がこのような状況にする意味がないのである」

「確かにな」

 後野さんに惚れきっている赤紫梟雀ポイホークスが、好きな人を危険な目に遭わせるような状況を作るはずがない。

「じゃ、なにしに現れたんだよ」

「我は警告しにきたのである」

「警告っすか? そりゃご苦労っすね。でもこいつら程度なら戦い慣れてるやつらも多いっす」

 宮直先輩がそう言うと、赤紫梟雀ポイホークスは首を振り、

「違うのである。この世界でマツリ嬢が死ねば、我が生き返らせることができないという警告である」

 それを聞いて八咲が思いついたことをそのまま言葉に出した。

「もしかして、あんたは〔魔法オーラム〕で祭っちを生き返らせていたってわけか?」

「その通りである。とはいえ〔別界アルカディア〕のお主らがいうところの〔魔石アルカンシェル〕で作る〔魔法オーラム〕のようなまがいものとは違うものであるがな」

「お前ら、〔異界生物シャドー〕は〔魔石アルカンシェル〕以外で〔魔法オーラム〕を作り出せるのか?」

「当たり前である」

 そう言った赤紫梟雀ポイホークスの細い足がぶれた。

「ふむ。時間である。これ以上〔別界アルカディア〕に顕現していたら周囲の〔魔力エーテル〕が枯渇し、我の存在は消えマツリ嬢も死んでしまう」

 くれぐれもマツリ嬢を殺さぬように頼むのである。

 そう警告した赤紫梟雀ポイホークスは再び黒いもや――〔魔力エーテル〕となり、周囲にただよう〔魔力エーテル〕とともに後野さんの体に吸い込まれるように消えていった。

「好きな女を守るために人に頭をさげにきたってことっすかね?」

 宮直先輩が俺に尋ねる。

「案外、いいやつかもしれません」

「あたしはそうは思わない」

 赤紫梟雀ポイホークスが現れてからずっと、赤紫梟雀をにらみつけていた大山がそう呟いた。

「どう思うかは人それぞれだ」

 センパイと同時に大山の復讐心も、どうにかしないといけない。そうは思いつつも、今は言い争っているひまはない。

「それじゃ、行くっすか!」

「期待してますよ、宮直先輩!」

「そっちこそっす。祭っちと音っちは任せたっす」

「任せてください」

 赤紫梟雀ポイホークスの出現で気絶した音乗と、意識がまだ戻ってない後野さんを守るように、俺は剣囲盾ソードシールドを構える。

「こっちだ、おらっ!」

 八咲が吼えると、複数の犬狗猪鬼コバウトが反応し、八咲を取り囲む。

 八咲は猪槍牙剣ボア・スピアー・ソードを構え、犬狗猪鬼コバウトに向かう。引きつけてくれるのはありがたいが、少し気負い過ぎだ。

「そんなに気負っちゃダメっすよ」

 宮直先輩も同じように感じたらしく、八咲に注意をうながし、そして地面を蹴った。

 そこから出てきたのは赤い〔魔石アルカンシェル〕――〔赤角石ユニコン〕。

火炎球ファイア!」

 宮直先輩が叫ぶと〔赤角石ユニコン〕が火炎の球に変わり、先頭の犬狗猪鬼コバウトが炎に包まれる。

 宮直先輩はそのままそいつを突錐槍アールシュピースで突き刺し、近くにいた犬狗猪鬼コバウトへと炎のかたまりを振り回した。宮直先輩はそのまま八咲に襲いかかっていた犬狗猪鬼コバウトへと迫り、業火の槍の乱舞を披露。

「いやあ、たまたまこっちに落ちてた〔魔石アルカンシェル〕をたまたまここに埋めといてラッキーだったっす」

 犬狗猪鬼コバウトを焼きつくした宮直先輩は悪びれた様子もなく、しらじらしく舌を出した。

 一方の大山は豚熊猪鬼トブールへと挑みかかっていた。

 その豚熊猪鬼トブールにボンクラが百合葉剣ソースン・パタで切りかかるが、岩のように硬く、ゴムのような弾力を持った腹の脂肪に跳ね返されていた。

 大山もその腹へと星殴棒モルゲンステルンを横なぎの打撃。ボンクラの振るった百合葉剣ソースン・パタと違い、トゲのついた円鎚は豚熊猪鬼トブールの固い腹を破砕。豚熊猪鬼トブールは苦悶の表情を浮かべて後ずさった。続けて、大山は顔面へ強烈な一撃を見舞い、強靱な牙を折る。もはや棒立ちになった豚熊猪鬼トブールへ痛烈な連撃を繰り出す。

 目の前の敵にあるだけ全部の憎悪をぶつけていた大山は、犬狗猪鬼コバウトが横合いから迫っていることに気づいてない。犬狗猪鬼コバウト星殴棒モルゲンステルンを振りあげた隙に無防備になった大山の横腹に噛みついた。鎖防護服チェーンメイルを着ていなければ肉までえぐり取られていただろう。

 不意を打たれた大山は星殴棒モルゲンステルンを振り回し、犬狗猪鬼コバウトを払いのけて憎悪を込めてにらみつける。しかし犬狗猪鬼コバウトは怯みもしない。一方、大山に殴られ続けて傷だらけの豚熊猪鬼トブールはよろめきながらも太い足を踏ん張って、岩のごとき拳で殴りかかった。

 星殴棒モルゲンステルンの柄で防ごうとした大山だったが、横から犬狗猪鬼コバウトが噛みついてきて、引きずり倒された。

 そのとき、

「どっせい!」

 気合と怒りが混じりあった言葉を叫びながら、重戦車のような体躯のトドビーバーが大山をかばうように立ちはだかり、豚熊猪鬼トブールの振りおろした拳をトドビーバーが戦打切斧バトルアックスの柄尻で返す。大山は犬狗猪鬼コバウトの腹を蹴って立ちあがり、星殴棒モルゲンステルンを犬顔へと振りおろす。犬狗猪鬼コバウトは体ごと倒れ、〔魔力エーテル〕を噴出。

「余計なお世話よ」

「じゃかしい。あたいは余計なことが大好きなんじゃい!」

 図太い声でトドビーバーが言うと大山はくすっと笑って、豚熊猪鬼トブールの砕けた腹に強烈な蹴りを放つ。よろめく豚熊猪鬼トブールの顔めがけてトドビーバーが、胸めがけて大山がそれぞれが強烈な一撃を放つ。豚熊猪鬼トブールは大地へと倒れ、〔魔力エーテル〕を噴き出した。

 そこまではチームメイトたちを見る余裕があった俺だったが、空から飛蝶蝗蠅バッタフライが襲来して、そんなことはしていられなくなった。

 飛蝶蝗蠅バッタフライは俺の近くを飛び回り、そして跳び回り、すれ違いざまにカマイタチのようなものを発生させ、俺のスラックスを切り、肌に切り傷を負わせてきた。切り傷よりもスラックスが破れるほうが生活費の少ない俺は大ダメージだった。

 俺は剣囲盾ソードシールドを振り回して飛蝶蝗蠅バッタフライを叩き落とそうとするのだが、拳大程度の飛蝶蝗蠅バッタフライを剣先で斬ることはできず、盾で叩いても、大した破壊力はないため、ほとんど効果がない。

 だからちっとも数が減らない。

 脱いだ制服を広げ、後野さんと音乗の上に被せたことが功を奏したのか、飛蝶蝗蠅バッタフライは動き回る俺ばかりを狙ってきていた。ふたりに危害が加わらないのは幸運だが、このままでは俺がやられてしまう。

 必死に剣囲盾ソードシールドを振り回していると犬狗猪鬼コバウトと戦っていた八咲が猪槍牙剣ボア・スピアー・ソードを乱暴に振り回しながらこっちへと向かってきた。

「なに、やってんだよ!」

「どうにもこうにも武器の相性が悪すぎてな、一匹も落とせない」

 助けに来てくれた八咲も猪槍牙剣ボア・スピアー・ソードでは飛蝶蝗蠅バッタフライを斬ることはおろか当てることすらできず、苦戦していた。

「ちょこまかと、うっとうしい!」

 イラついた八咲は吼え、でたらめに猪槍牙剣ボア・スピアー・ソードを振るっている。あんなことをしていたらそのうち、疲れてやられてしまう。

 俺は剣囲盾ソードシールド飛蝶蝗蠅バッタフライを追い払いつつも、周囲を確認し、なにか使えるものがないか探した。

 ふと今見の姿に目が止まる。今見は武器をどこかに落としたのか、それとも捨てたのか、どちらにしろなにも持たずに逃げ回っている。

 今見は必死に逃げ回りながら、スマホを取り出し、なにかをしようとしていたが、〔異界生物シャドー〕の攻撃を避けたはずみにそれを落とす。

 しかも豚熊猪鬼トブールに踏まれて一瞬にして壊れた。

 スマホを壊した豚熊猪鬼トブールはそのまま、今見へと鋭い爪を振りおろした。

 やられる! と思ったとき、何人かの上級生が助けに入り、かろうじて今見を救い出した。

「大丈夫か? 武器がないならさがってろ!」

 今見を救った上級生のひとりが叫ぶも、今見は腰を抜かしたのか、その場に座り込んでいた。

 俺はさらに周囲を見回し、そして見つけた。

「八咲、少しだけここを離れる!」

 どこ行く気だよ、という八咲の声を無視して俺は剣囲盾ソードシールドの剣身を八咲の背後を守るように突き立て、全力で走った。そんな俺に飛蝶蝗蠅バッタフライの幾匹かが追従、襲いかかってきた。

 構わず俺は走り、今見が落とした片手半剣ハーフアンドハーフソードを拾い上げる。

 この剣よりもはるかに重い剣囲盾ソードシールドを持ち慣れている俺はいとも簡単にそれを拾い上げる。

 両手で片手半剣ハーフアンドハーフソードを持った俺は標的も定めずに思いっきり回転切りを放つ。切っ先は空を切った。けれどそれでいい。

 回転切りによって空気とそのなかをただよう〔魔力エーテル〕がかき乱れる。

 その結果、空気中の〔魔力エーテル〕を操り運動エネルギーを調節して飛行していた飛蝶蝗蠅バッタフライは思うように飛べなくなった。なかにはきりもみに回転して地面にぶつかったやつもいる。俺は倒れたそいつらを無視して八咲たちのもとへと戻る。

 そしてまたその片手半剣ハーフアンドハーフソードを大きく振り回して風を起こし、飛蝶蝗蠅バッタフライたちのバランスをくずしていく。バランスをくずした飛蝶蝗蠅バッタフライを俺と八咲が一匹一匹、叩き潰す。叩き潰された飛蝶蝗蠅バッタフライは緑の血を飛散させ、〔魔力エーテル〕を噴出し、絶命。

「待たせたな」

 そう言ってようやく薬袋先生が〔ゲート〕から姿を現す。ほかの教師も一緒だ。

 実習の終わりはばらばらなため教師たちが最後に〔異界シェオール〕を見回る。そのせいで連絡が遅れ、こっちに戻ってくるのが遅くなったのだ。

 薬袋先生ほか教師らが各々の武器を取り出し、慣れた手つきで〔異界生物シャドー〕たちの討伐にあたると俺たちが苦戦していたのが嘘のように駆逐殲滅していく。

 俺は先生たちの手さばきに少しだけ嫉妬した。

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