1-(6) 「俺と“あえて”別のチームになるって言ったのはお前だろ」


6


「実習だぁ~、実習だぞ~、実習だぜ~」

 晴れ渡った空の下、ボンクラが嬉しさを体現するかのように元気いっぱい夢いっぱいに叫んだ。

 一ヶ月間の基礎訓練を終えて俺たちはようやく実習にこぎつけた。この間、おれは学友たちとともにみっちり武器の使いかたの基礎を叩き込んだ。

「……とっとと自分のチームに戻れよ」

 ボンクラとは対照的に、俺は降りそそぐ太陽の陽射しにあてられ、勇気凛々元気全開とはいかなかった。

「いいじゃないか、実習が始まるまでぼくの自由にさせてくれよ。いつからオールはそんなにイジワルになったんだい!」

「俺と“あえて”別のチームになるって言ったのはお前だろ」

「それは言わないでくれよ。ちょっと後悔してるんだから」

 ボンクラのチームは八咲が「自分がそうなるんじゃないか」と危惧していた残り物で作られたチームだった。男女比は八対一でボンクラとしては残念な結果に終わっていた。

「変な気を起こさずにあのとき、素直にオールと一緒にいれば、カワイコちゃんがたくさんいるチームに入れたっていうのに残念極まりないよ!」

「一応、女子がひとりいるんだからいいじゃないか」

「ふん、あんなトドビーバー、ぼくの趣味じゃないよ」

「わがままだな」

「なんとでも言いたまえ、ワトスンくん!」

 そう言い放ったボンクラがさえわたる名推理をできるとは思えない。

「鞍馬、こっちじゃあ、早く来んかい!」

 なんだかんだと駄々をこねていたボンクラに怒声が届く。

「やばい、トドビーバーがお怒りだ!」

 ボンクラは駆け足で自分のチームへと戻っていく。

 ボンクラが駆けるほうへと視線を向けると、トドのような体型でビーバーのような顔つきの化け……ゲフンゲフン、女子がいた。……確かにトドビーバーだった。

 俺がボンクラと話している間、遠慮してくれていたのか、ボンクラが去ったのを見計らって八咲が近寄ってくる。

「どうした?」

「いや、チームメイト同士近くにいたほうが大山先輩たちも見つけやすいかなって思ってよ」

「まあ……そうだな」

 軽く返事をしたあと、俺はあることに気づいた。

「今日は目の下にくまがないんだな」

「いつもあるわけじゃねぇよ」

「ない、ほうがいいな」

 俺は正直に答えた。くまがある今までが恐ろしかった分、くまがない今日は目つきが鋭いにもかかわらず、かわいらしく見えたのだ。それどころか、切れ長の目が凛々しい顔立ちと合わさって、美人だった。メガネを取ると美人に見える女子がいるが、八咲の場合はそれがくまになるわけだ。

「そ、そうか」

 八咲はなぜか顔を赤らめ、黙りこくった。

 急に静かになると困るんだが……、という俺の胸中を八咲は察してはくれない。だから早く誰か来てくれ、と祈っていた。

 ところで実習にもかかわらず、全員が集まってないのには理由がある。

 その理由は簡単で、実習後即解散になるため、その前に掃除があるからだ。そして俺と八咲、はたまたボンクラとトドビーバーは掃除当番ではなかったわけである。

「お待たせ」

 俺の祈りが通じたのか、センパイが姿を見せる。一ヶ月間、なんの異常もなかった胸がまた再び痛み出し、鼓動とは違う音を奏でる。

「センパイだけですか」

 俺は平静を装って答えた。

「ううん、美澄もあそこにいるよ」

 センパイが指さす方向に宮直先輩の姿があった。今日はこの前よりヘアゴムで髪を束ねている数が多かった。もしかしたら日付とヘアゴムの数が連動しているのかもしれないと勝手に推測する。

 俺が視線を向けたことに気づいた宮直先輩は遠くから「……うっす」と軽く返事をしてくれたが近寄ってこない。

「まあ、なんていうかごめんね」

 それに気づいてセンパイが代わりに謝ってくる。

「男性恐怖症なんだったら、仕方ないですよ」

 そうやってセンパイと話している間も胸は痛み続けた。

 その後、音乗、今見、蘆永、大山とやってきて最後に後野さんがやってきた。

 祭はいつもボーッとしているから掃除がなかなか終わらないのよ、とセンパイがぼやいていたが、遅れてやってくる後野さんを見つめる目はまるで子を見つめる母のように優しいものだった。

 ほかのチームは全員そろって〔ゲート〕の前に整列していた。それにならうように俺たちも武器庫で申請した武器を受け取り、鎖防護服チェーンメイルを着ると〔ゲート〕の前に整列した。

「全員、そろったな」

 薬袋先生が声を飛ばし、学友たちがまばらに頷くのを確認する。

「それでは一斑から出発。全員が〔異界シェオール〕に到着後、今回の実習の目的を発表する」

 一斑はボンクラたち残り物チームだった。

 薬袋先生にうながされ一斑のリーダー、トドビーバーが閉まった〔ゲート〕へと平然と向かっていく。〔ゲート〕は固く閉ざされている。このままではぶつかるという俺の予想に反して、トドビーバーの体が〔ゲート〕にのめり込んだ。そして消えていく。〔ゲート〕が扉のように開くわけでないと初めて知って驚く。

 トドビーバーに続いて続々と一斑の三年生、二年生が続く。最後に入るボンクラは〔異界シェオール〕に行くのを楽しみにしていたにもかかわらず、入るのをためらっていた。

 やがて、ボンクラは〔ゲート〕に近づき、そしておそるおそる、まるでえたいの知れないものに触るように指の先端を〔ゲート〕に当て、指が〔ゲート〕にめり込んでいくのを確認しながら、徐々に徐々に吸い込まれるように消えていった。

 ほかの班もだいたい同じような具合だった。二、三年生はなんらためらわず、そして一年生は、期待しながらもためらって時間をかけて入っていく。

 そしてついに俺たち五班の番になった。

「行くわよ」

 魔塵マスクを装着したセンパイの少しくぐもった声に俺は息をのんだ。

 センパイはニコリと俺のほうを向いて笑い、そして〔ゲート〕のなかへと消えていく。そのまま、宮直先輩と祭さんが続く。

 俺の番になった。すんなり入れるだろうと思ったが、情けないことに足がすくみ、なんとなく心細くなって、後ろを振り返る。

「なに、情けない顔してんだよ」

 俺の不安げな表情に気づいた八咲が、早く行けといわんばかりに俺を押した。

 俺はその勢いで〔ゲート〕をもぐる。

 そう、潜った。その感覚は言い得て妙だ。まるで海に潜ったときのように、俺の身体はどんどん下へと潜っていくような感覚に襲われた。視界は黒い。けれど時折、泡のような光が上へと上へとのぼっていく。いや違う、俺たちが下へ下へと潜っていくから、そう見えるだけだ。

 しばらくすると辺り一面が白く包まれ、急激に、急速に体が宙に浮く。

 そして押し出されるように俺は〔ゲート〕から飛び出た。八咲に押されて〔異界シェオール〕に入るとはなんて情けない。入る前から情けなかったのはきっと気のせいだ。

 少し落ち込み気味に視線を落とすと紫色の地面が目に入る。その地面からはえる草は赤、茶、青と色とりどりで、周囲の木々は様々な色を持つ幹を自分勝手にくねらせていた。見上げた空には笑う朱色の太陽と青色の雲に隠れて泣く金色の月が浮かんでいた。

 もっと広く景色をながめようとしたが、遠くには紫の霧が立ちこめ、視界を阻んでいた。

 俺は実感する。

 ここは〔異界シェオール〕だ。

 ホームルームで担任がたね市弓形高校管轄エリアBと言っていたことを俺は思い出した。世界中に出現した〔ゲート〕はそれぞれ〔異界シェオール〕の異なる場所につながっている。

 日本にある〔ゲート〕は全て〔異界シェオール〕にあるガルド島と呼ばれる島――偶然だと思うが日本列島とほぼ同じ面積をもつ――につながっている。

 その島のなかで俺たちが主に活動するのがその籽市弓形高校管轄エリアBだ。もちろんAもあるが、これは校外にあるため、あまり使われることはない。

 どちらも俺たち見習いが探検しても危険な目に遭うことはないといわれている。とはいえ、こちらが〔異界シェオール〕を自由にできるわけではないので常に死と隣り合わせであることを忘れてはならない。

 八咲、大山、今見、音乗、蘆永という順で次々と〔ゲート〕を潜って〔異界シェオール〕へとやってくる。

 それぞれなにかしら思うところがあって呟いていたが、「ここが、〔異界シェオール〕……ですのね」と少しばかり震えた音乗の言葉がなぜか印象に残った。

 全員が到着したのも束の間、先行していたセンパイが「やっぱり〔魔力エーテル〕が濃いわ」となにやら意味深な発言をした。

「ざわざわ~って感じ~」と見た目通りゆったりとした口調で後野さんが呟く。

「祭っちがそういうなら、たぶん普段よりも濃いっすね」

「なんで後野さんが言ったらわかるんですか?」

 俺はすかさず近くにいた宮直先輩に尋ねる。

「祭っちはそういうのに敏感なんすよ」

 宮直先輩はそう言いつつ俺から離れた。「近すぎるとビビるっすよ」と小さい呟きが聞こえた。男性恐怖症なのだから仕方ないとはわかっているが、それがいちいち俺の心を傷つけた。胸も痛けりゃ心も痛いってどうなんだろうな。

「〔魔力エーテル〕が濃いとどうなんだ?」

 八咲は気になったのかセンパイに尋ねる。するとセンパイに代わって音乗がこう答えた。

「〔異界生物シャドー〕の原動力は〔魔力エーテル〕ですからね……濃ければ濃いほど……動きは、活発になります、わ……」

 けれど緊張しているのか音乗の言葉は途切れとぎれだった。

「でも〔異界生物シャドー〕はほかの〔異界生物シャドー〕の肉とかも食べるんだろ?」

「ええ、ですけれど……それは、ただ空腹を満たすだけに過ぎないと、言われていますの」

「なんかよくわかんないけど〔異界生物シャドー〕が活発に動き回るってことでいいのか?」

「ええ……そう、ですわ」

 さらによく見れば音乗は身体も震わせていた。緊張でも武者震いでもないように見えて、俺は心配になる。

「音乗、さっきからなんでそんなに震えてるんだ? 大丈夫なのか?」

「き、緊張してるのですわ。……察しなさい!」

 音乗は少しだけ俺をにらんで、怒鳴りつけた。

 すまん、と俺が謝ると「わかればよろしいんですのよ!」と音乗は言葉を紡いだが、声が震えていたため、強がりだと気づいた。

 もしかしたら音乗は〔異界シェオール〕にかなりの恐怖を感じているのではなかろうか。ふとそんなことを思ったが、言葉に出せば怒られそうなので言うのはやめた。

「まあ、〔魔力エーテル〕が多いからって恐れることはないわ」

 センパイは慣れているのかそんなことを呟いた。そう言われると少し安心する。

「よし、全員いるな」

 最後に〔ゲート〕を潜ってきた薬袋先生がそう言いながら学友たちを一通り見回した。

「いいか。〔異界シェオール〕は危険と隣り合わせだからな、勝手な行動はつつしむように」

 その言葉を放った薬袋先生はセンパイを見ているような気がした。

「さて、今日は一年生が〔異界シェオール〕に初めて入ったから、このあたりの地域を案内する。ということで一斑から二列で順々について来てくれ」

 そう言って薬袋先生はボンクラたち一斑を先導していく。

 俺たちは少しだけ待機となるため、列をくずさずその場に座り、近くの草をながめた。名前を調べるために手帳サイズの教科書を開く。

 俺がながめるその草は、紫と黄色が入り混じり、ところどころに赤い斑点のあるグロテスクな草だった。

「それはエリくさというのですわ」

 俺がその草の名前を教科書から見つける前に音乗が教えてくれた。その言葉で好奇心を刺激された八咲が興味深そうに覗き込んでグロテスクな色合いに顔をしかめた。

「HP《ヒットポイント]》とMP《マジックポイント》が全回復しそうな名前だな」

 俺が軽口を叩くと、ゲームかよ、と八咲が声を出して笑い、「なにを言ってるんですの?」と音乗が不思議そうに尋ねる。

 そんな会話をしつつ俺はようやく教科書にエリ草の名前を見つけた。雑草とひとくくりにしてもいいぐらい群生している草らしい。葉の部分に毒があるという注意書きもあった。HPとMPは回復しないのか……まあゲームじゃないし当たり前か。

「……ってか、なんでそんなに詳しいんだよ」

「こんなの……常識ですわ」

 音乗は鼻高々に答えたものの、やはりまだ〔異界シェオール〕に慣れていないのか、どこか怯えたような目をしていた。

 四班が二列横隊で三班に続く。その後、今見と蘆永が先立って四班の最後尾に続いたため、俺も立ちあがる。

「音乗!」

「な……なんですの?」

「俺は〔異界シェオール〕の鉱石が調べたいんだ。お前、詳しそうだから今日は一緒に並んで歩こう」

「い、いいですわよ……仕方、ありませんわね!」

 震え続ける音乗の手を俺はにぎった。恐怖で押しつぶされそうだったのだろう。俺がにぎる音乗の手は思った以上に震えていた。

「ど、どうして、手を……」

「いやちょっと怖いんでな。にぎっておいてくれよ」

「ま、まったく情けない人ですこと」

 そう言いながらも、音乗は俺がにぎった手を離すことはなかった。

 その後ろになぜだか少しだけムッとした顔の八咲と俺たちを見てニヤニヤしている宮直先輩が続く。さらにその後ろにセンパイと大山が続き、最後尾は後野さんだった。後野さんの横には六班の女子が並ぶ。

 四班について進みがてら、俺はそこかしこに転がる石ころを見つけるたびに、しつこくその石がなんなのか音乗に尋ねていた。音乗は嫌な顔をせずに、しかも教科書も見ずに答えてくれる。

 そうやって、しばらく歩いていくと俺たちは木々に囲まれた広い草原に出た。

「班ごとに並べ!」薬袋先生の声が飛び、ふと気づいたように「躑躅はどうした?」と俺たちに尋ねてきた。

 俺たちは驚いて、後ろを振り向くと宮直先輩たちの後ろには後野さんがいるだけで、センパイと大山の姿はなかった。

「わかりません」

 俺は正直に答えた。

「あいつ……またか……」と薬袋先生は呆れたように呟き、「しかも妹も、ときたもんだ」と嘆息する。

 センパイがチーム作りのとき積極的だったように見えたのはもしかしたら今年は問題を起こさないようにしますと先生を油断させるものだったのかもしれない、と薬袋先生の嘆息を聞いて、ふと思った。

戸渡とど、ほかの班をまとめて待機させといてくれ」

 一斑のほうを見て薬袋先生が叫ぶと、「わかったわい」とトドビーバーが立ちあがる。

 戸渡ってトドビーバーだったのか。

「それでは、お願いします」

 薬袋先生はノーキンやほかの教師に小さくささやき、みんなして四方八方に消えていく。

「宮直先輩」

 俺はなにが起こったのかわからず宮直先輩に尋ねていた。

「つじっちがいなくなるのは毎度のことっす。今日は最初おとなしくしてたから、甘利っち先生も油断してたみたいっすね」

 だから薬袋先生は「またか」と言っていたのだ。

 センパイはなぜそう何度も授業のカリキュラムを無視して単独行動を取るのか。

 それも宮直先輩に尋ねようか、俺は少し迷っていた。

 そんなときだった、

「うわああああああああああああ」

 最初に悲鳴をあげたのはボンクラだった。ボンクラは自分の正面の木々を指さしていた。

 学友たちの目がそちらに集中する。そして木々の間にひしめくものに気づいて次々と悲鳴があがる。

「嫌な予感しかしない」

 俺は思わず声に出していた。視界の隅に今見が怖じ気づいて退く姿が映る。おそらく俺よりも先に、茂みから出てきた猫背の何者かを見たのだろう。

 そいつはふたつに割れた舌を上下に揺らしながら、猫目をギロギロと動かし周囲を見渡した。背丈はまばらだが平均するとだいたい俺たちと同じぐらいだろうか。そいつは俺たちを見つけると、喉を鳴らす。

 〔異界生物シャドー〕だった。

 初実習、初〔異界シェオール〕での初遭遇だった。

 音乗が〔異界生物シャドー〕の異形に腰を抜かしてへたり込む。

 俺は姫様を守るナイトのように音乗の前に出て、剣囲盾ソードシールドの裏側についた取っ手をにぎり、構えた。取っ手をにぎる手はかすかに震える。

 草原を囲む木々の間から、さらに〔異界生物シャドー〕の大群が現れる。その〔異界生物シャドー〕は先程現れた〔異界生物シャドー〕と背丈は違えど容姿はまったく同じだった。その数は五〇ぐらいか。

蜥猫蜴蛇リニャード……」

 音乗がうめく。

 たぶん、この〔異界生物シャドー〕の名前だろう。

 蜥猫蜴蛇リニャードという〔異界生物シャドー〕は黒い鱗におおわれた猫のような顔を持ち、その口からふたつに割れた舌を覗かせる。

 胴体は爬虫類の鱗におおわれ、ところどころにぶち猫のような茶色の模様がついている。しかもその模様のついている部位だけは猫の毛がはえていた。尻からは蛇のような尻尾をのばし、腹と尻尾の境目から猫のような足がはえている。腕はなかった。

 その蜥猫蜴蛇リニャードがシャアアと叫び声をあげた。

 すると歯の両端が一瞬で長くそして鋭く伸び、牙に変貌。

 蜥猫蜴蛇リニャードたちはもう一度叫ぶと、まるでそれが合図だったかのように一斉に俺たちへと飛びかかってきた。

「基礎訓練の成果、見せてみんしゃい!」

 〔異界生物シャドー〕を恐れもせず、トドビーバーが叫ぶ。

「うおおおおおおおおおおっ!!」

 それに応えて今見やほかの一年男子が立ちあがり武器を手に、怒号とともに走り出す。

 けれどそこに協調性はない。ただがむしゃらに目の前の蜥猫蜴蛇リニャードへと猛進。だからその猛々しい猪のごとき学友たちの間をぬって、腰を抜かしたボンクラや、ボーッとしたままの後野さんのほうへと何匹かの蜥猫蜴蛇リニャードが迫る。ほかの女子も基礎訓練を受けたとはいえ、果敢に攻めるなんてことはできず、そしてなぜか先輩たちはそんなに積極的に蜥猫蜴蛇リニャードを倒そうとはしてない。なにか、おかしい。そうは思うものの、腰を抜かしたボンクラを助けに行かなければならない。蜥猫蜴蛇リニャードが目前に迫っていた。

「八咲、音乗を頼めるか?」

 そう言い捨てた俺は八咲の返事を待たず走り出していた。

「任せとけ」

 後ろから聞こえた男らしい言葉が俺に安心感を与え、不安を噛み砕き、震えが止まる。

 俺は剣囲盾ソードシールドのにぎりを両手で持ち、ボンクラに噛みつこうとする蜥猫蜴蛇リニャードめがけて、強烈に振りおろす。三つある切っ先の中央の刃が猫顔に突き刺さり、蜥猫蜴蛇リニャードはそのまま絶命。黒いもやのようなものが蜥猫蜴蛇から噴き出る。

 あれが〔異界生物シャドー〕の原動力〔魔力エーテル〕なのだろう。噴き出た〔魔力エーテル〕は空気中の〔魔力エーテル〕に同化する。

 てっきり俺は蜥猫蜴蛇リニャードが避けるものかと思っていた。けれど簡単に刃が突き刺さったところを見ると案外運動神経はにぶいのかもしれない。

 そう思い、蜥猫蜴蛇リニャードから刃を抜こうとした瞬間だった。

 二匹の蜥猫蜴蛇リニャードが襲いかかってきた。一匹が長い尻尾を鞭のように振り回して打ちかかってくる。俺は剣囲盾ソードシールドで受ける。しかし二匹目は俺が防御すると読んでいたのか盾の死角から飛び出し、鋭い牙で噛みつこうとしてきた。

 ――やられる、そう思ったとき、噛みつこうとしていた蜥猫蜴蛇リニャードの身体が突如として燃えあがり、なにが起きたのか見当もつかず呆然としている間に灰になった。

「本当は手助けしちゃいけないすけどね、さすがに今のやばかったっす」

 声のほうを見やると、そこには――

「宮直先輩!」俺は思わず叫んでいた。「今、なにしたんですか?」

火炎球ファイアっす。キミらもいずれ使えるっすから、今は気にせず戦いに集中するっすよ」

 言い放った宮直先輩は俺が盾で防いでいる蜥猫蜴蛇リニャードへと矢のように疾走していく。

 そして宮直先輩は手に持つ百二十センチメートル程度の金属製の槍――のちに名前を訊いたら突錐槍アールシュピースというらしい――をその蜥猫蜴蛇リニャードの横腹に豪快に突き刺した。その速さに対応できず、突錐槍アールシュピースの鋭い四角錐の穂先がそいつの横腹を貫通し、――いやそれだけではない、密かに近づいていたらしい三匹目の蜥猫蜴蛇リニャードの横腹をも刺し貫いていた。

 俺は三匹目に気づいていなかったので冷や汗をかく。

「シャギャアアアアアア」

 蜥猫蜴蛇リニャードの断末魔が響く。突錐槍アールシュピースに突き刺された二匹はそのまま絶命し、全身から〔魔力エーテル〕を噴き出す。

 宮直先輩は呼吸を整えながら、二匹の蜥猫蜴蛇リニャードを槍から引き抜いた。

 俺はその見事な手さばきに思わず感心して、たたずんでいた。

「さて、あとはがんばるっす」

 なにが起こるかを知っていたかのような宮直先輩の言葉。けれどなぜなのかを尋ねるひまもなく新たな蜥猫蜴蛇リニャードが襲いかかってくる。

 宮直先輩の声で我に返った俺はボンクラの襟首をつかんで、八咲の近くまで全力後退。

 八咲の近くには二匹の蜥猫蜴蛇リニャードの死骸が転がっていた。

「ありがとな、八咲! 音乗を守ってくれて」

「ああ、やれるかどうか不安だったがなんとか倒せた」

 震える手を隠すように八咲は言った。

「八咲! もう大丈夫だから、さがってろ。今度は俺が守ってやる」

「な、なに、を言ってやがる!」

 頬を朱色に染めた八咲は少しだけ慌てて、

「お前、ひとりでなんとかできると思うなよ。オレだってやるさ」そう宣言したあと続けて、「オレだって……守ってやる」と小さな声で呟いていたのが俺の耳に入った。

 その後、四十分ぐらい戦いは続いた。

 とはいえオレたちは森の近くで戦う学友たちが倒し損ね、こちらにやってきた五匹ぐらいの蜥猫蜴蛇リニャードと戦っただけですんだ。

 それでも俺たちはかなり神経をすり減らした。これが戦うことかと十分に痛感した。

 この草原に現れた蜥猫蜴蛇リニャードが全滅し、学友たちの歓声がわきあがる。多少の傷を負った学友はいるようだが、全員が軽傷のようだ。ノビていたボンクラは無傷で、最前線にいながら一匹も倒せなかった今見が一番多く傷を負っていると知り、少しだけ呆れた。

 そんななか俺は事情を知っていそうな宮直先輩に尋ねていた。もちろん適度な距離を取ったままだ。

「でなんなんですか、これは?」

「え、なにがっすか?」

「今更、とぼけるのはなしですよ。言ってたじゃないですか、本当は手助けしちゃいけない、って」

「むはー、もしかして、うち喋ってたっすか?」

「むしろ、無意識で言ってたんですか!?」

 俺が驚くと宮直先輩は照れるように笑って、

「本当はうちらからネタばれをしちゃいけないんすけど、これ実は一年生の基礎訓練の成果を確かめる恒例のサプライズなんすよ」

「……とんだサプライズですね」

「それはうちも去年思ったっす。なんにしろ、ネタばれしちまったすけど、甘利っち先生がネタばらししたときも、盛大に驚いてほしいっす」

「リアクション芸人じゃないんだから、たぶん、それ難しいですよ」

「つか、待てよ。これがサプライズだとしたら、どうやってあの〔異界生物シャドー〕たちを集めたんだよ」

 確かにそうだ。八咲の指摘に俺も思わず頷く。

蜥猫蜴蛇リニャードたちは今産卵期っすから、巣ごもりしてんすよ。だから巣に入れば、卵を盗られるんじゃないかって怒り出して追っかけてくるっす」

「マジっすか?」

「マジっすよ」

「うつってる、うつってる」

 宮直先輩の口調がうつった俺が驚くと八咲がそれに気づいて笑った。

「しかも今日は〔魔力エーテル〕が濃いっすからね、活発だったっす。大変だったすね」

 そして宮直先輩は他人事のようにそうつけ加えた。

「そういえば宮直先輩たちに蜥猫蜴蛇リニャードがあまり近寄らなかったのはなぜなんですか?」

「実は蜥猫蜴蛇リニャードって柑橘系の匂いが苦手なんすよ、だからシトラスのコロンとか体につけておくとあんまり襲いかかってこないっす」

 そうだったのか、と納得する。魔塵マスクが邪魔でかすかな匂いには気がつけない。あとで嗅いでみよう。

「ということでたぶん、今日はもう終わりっすよ。うちは疲れたっす」

 宮直先輩が言い終わる頃にはトドビーバーの指示で、学友たちは来た道を引き返し始めていた。

「さてそれじゃあ今日は帰るっす」

「センパイは?」

「つじっちならそのうち甘利っち先生が見つけるっすよ」

 まるでそれが当たり前であるかのように宮直先輩は答えた。

 だから俺は気絶したボンクラをトドビーバーに預け、音乗を背負って歩き出した。

 隣にはグロッキー《お疲れ気味な》八咲。なんか芸名みたいだ。

 今見は憔悴しきった顔で、蘆永は相変わらずにこやかな顔をして俺たちの前を歩き、宮直先輩はボーッとしている後野さんの背中を押しながら俺たちの後ろを歩く。

 俺たちは〔ゲート〕を潜り自分たちの世界へと帰った。

 今見と蘆永が武器を返すために武器庫へと向かうさなか、

「さあて、シャワーでも浴びるっすかあ」と宮直先輩はわざとらしく叫んだ。

「行く~」

「オレもつき合う」

 後野さんと八咲がそれに同意。それを待ってましたと言わんばかりに宮直先輩はこう言ってきた。

「オールっち、お前も一緒にどうっすか?」

「……ふざけてますよね、それ。男性恐怖症の人が言うセリフじゃないですよ?」

 呆れ気味に答えた俺だが実は一瞬だけ一緒に入るシーンを妄……想像してしまったのは秘密だ。

「精一杯の冗談ってやつっす……これでもなんとかして克服しようと努力してんすから、そこんとこ察して欲しいっすね」

 にこりと笑う宮直先輩の身体がわずかに震えてることを俺は見逃さなかった。無理してまで冗談言う必要ないのに。

「俺はこのまま帰りますよ。ああ、そうだ。音乗を頼みます」

「任せろ」

 俺が背負っていた音乗を八咲が引き取る。

 その代わり俺は少したくましいところを見せようと思って全員の武器を預かったがすぐに後悔。重すぎる。

 ちょっと弱音を吐きつつも苦労の末、なんとか武器庫にたどり着き武器を返却した俺は帰路についた。

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