1-(3) 「ぼくとチームを組まない? れっつはーれむだよ!」

3


「二〇一三年、世界は激変しました」

 ごく当たり前の知識を社会科教師は口に出すことでその事実を俺たちに再度認識させる。

 俺はまどろむような眠気が蔓延する教室のなか、黒板に書かれた内容を必死にノートに書き写して意識を保っていた。眠らせろコノヤローと本能が訴え、ふざけるな寝るんじゃねぇ、と理性が否定する。昼ごはんを食べた直後の昼下がり、春のポカポカした陽射しに照らされ、熱気がこもった教室で寝るなというのには無理がある。春眠って言葉もあるし。

 それでも俺は必死で耐えていた。授業を真面目に受けようという使命感からだ。

 そんな俺の耳もとに寝息が聞こえてくる。

 後ろの席に座っているボンクラの寝息だ。それが寝てしまえというような悪魔のささやきに聞こえる。けれど俺は必死こいてノートに文字を書き込み、本能と悪魔のささやきに抵抗した。白旗を振るわけにはいかない。

 二〇一三年、世界は激変した。

 世界各地に突如現れた〔ゲート〕。それに伴って環境汚染が進んだ。

 そして見たこともない怪物が現れる。その怪物、通称〔異界生物シャドー〕は影のように黒くなってすぐに消滅してしまったが、それでも当時の〔ゲート〕を調査した政府によって〔ゲート〕はもうひとつの世界――現在では〔異界シェオール〕と呼ぶようになった――とつながっていることが判明した。

 そして〔ゲート〕が出現してから一ヶ月後、〔ゲート〕の向こうから現れた〔異界王ソドム〕を名乗る何者かが「この世界を征服する」と宣誓した。

 先んじて出兵した自衛隊、諸外国の軍隊は全滅しており、人々は〔異界王ソドム〕の出現に恐怖した。挙句、〔異界王ソドム〕の出現に合わせて攻撃を開始した某国の最新鋭戦闘機部隊も、いともたやすく撃破され、手も足も出なかったことがその恐怖に拍車をかけた。

 誰もが世界の破滅、崩壊を覚悟したが、〔異界王ソドム〕はその後、なぜか再び〔ゲート〕へと潜り、〔異界シェオール〕へと帰っていた。しかしその代わりに、その日を境に地球の環境汚染が急激に進むことになった。

 政府の見解によればどうやら地球の大気や土壌は〔異界王ソドム〕の体質に合わないらしく、〔異界王ソドム〕は地球を自分の体質に合うものに変えてから征服しようとしているということらしかった。真相はよくわからない。なぜなら自衛隊の出兵に合わせ、〔異界シェオール〕の調査におもむいた研究団体は全滅したからだ。

 データの絶対数が足りないとかなんとか、そこらへんはやっぱり俺にもよくわかっていない。

 そして事態を重く見た世界各国は国際環境維持機構Organization of International Environment Keeping、通称OIEKを設立した。と同時にそれに加盟した日本は環境省地球環境局に異界シェオール汚染対策課を創設。

 さらに近年の研究により、世界をむしばむ環境汚染は〔魔力エーテル〕と呼ばれるこの世には存在しない力によるものと判明する。

 〔魔力エーテル〕汚染が進むと年寄りほど偏頭痛や嘔吐に悩まされるようになった。けれど若者にその症状はあまり起こらず環境省は適応力や抵抗力の違いだと判断する。

 そのため、環境省は〔異界シェオール〕の調査をする人材〔潜者ダイバー〕を育成するために文部科学省と提携して〔異界専門学科ダイビングコース〕のみを持つ高校を設立した。

 俺が通う弓形高校もそのひとつだ。

 つまり俺は〔潜者ダイバー〕としての教育を受けるためにこの高校に通っていた。もちろんこの学校に通っている間は見習い扱いなのは言うまでもない。

「現在――二〇二五年は〔魔力エーテル〕汚染が一時的に止まり、停滞期と呼ばれていますが、いつまた感染が再発するのかわからないのが現状です。この停滞期を迎えたきっかけは、二年前、面舵おもかじ大全たいぜんという人物が〔異界王ソドム〕に攻撃を加え、偶然にもダメージを与えられることができたことに起因します。そのときの戦闘で〔魔力エーテル〕がこちらにあふれ、環境汚染はかなり進みました。しかし、その結果、〔異界王ソドム〕が人類を警戒するようになり、停滞期へと移行することができました。面舵大全のせいで環境汚染が進んだと責める人間もいますが、結果的に〔異界王ソドム〕の侵略を食いとめたことで彼を英雄視する人がほとんどです」

 社会科教師が教科書に記載された内容を自分なりの言葉で饒舌に語り出した頃には眠りを誘う睡魔の猛攻もピークを迎えていた。

「さて、〔異界王ソドム〕に対して有名な兵器がなかったというのは第一次異界探査時に判明していますが、なぜ、大全氏はダメージを与えることができたのでしょうか。それには、〔反魔金属オハロフ〕と呼ばれる鉱石がからんでいると言われています。ちなみに〔反魔金属オハロフ〕は現状では八個しか見つかっていないため、〔異界王ソドム〕に抵抗しうる手段としてOIEKにひとつとG7に加盟する七国にひとつずつ管理されています。その〔反魔金属オハロフ〕を入手したのが大全氏に同行した大山蘇鉄そてつ氏、その妻のしの氏とその息子、紫苑しおん氏です」

 その社会科教師の言葉に大山が顔を伏せた……ような気がした。真面目そうな大山も眠いのだろうか。

 俺は眠いよ。とてつもなく。俺の理性が睡魔に白旗を振りやがった。

 すまん寝る、と誰に言うこともなく開き直った俺が半開きのまぶたを閉じて、机に屈しようとした瞬間、終業のチャイムが鳴る。

 そそくさと社会科教師が去る頃には教室にただよっていた睡魔の集団はフェードアウトしていた。明日の退屈な時間までフェードインすることないだろう。

 俺は緊張が解けてあくびをしてしまう。同時に立ちあがって、背筋を伸ばして緊張をさらにほぐす。

「オール、授業中は寝ちゃダメなんだよ」

 すると眠たさ全開でうつろな目をしたボンクラの言葉が俺の耳に入ってきた。正直、殺意が芽生えた。お前に言われたかねぇよ。

「行くぞ!」

 怒りを露わにして俺はボンクラの袖を引っ張り、講堂へと向かう人の波に入り込んだ。

 そうして俺たちは人波に流されるまま、廊下を歩き、ものの数分で、講堂へとたどり着く。

 そこには赤、緑、青、様々な帯リボンやネクタイをしめた男女――〔異界専門学科ダイビングコース〕三学年二クラス合わせて総勢百十二名が所せましとひしめきあっていた。もっとも今日誰も欠席してなかったらの話だが。

「ほら、並べ並べ!」

 学年主任兼異界シェオール実習担当の女教師、薬袋みない甘利あまり先生の声が飛ぶ。

 猫耳のようにとがった髪型はわざとなのか確認したいところだが、残念なことに俺にそんな勇気はない。先日、「先生の髪型は……」と質問しようとした物好きな男子が薬袋先生の鉄拳で吹っ飛ばされたさまを見てしまったからだ。

 それ以降、薬袋先生のご機嫌を損ねる=死亡フラグという法則ができあがり、一年にまたたく間に広がった。

 だからだろう、薬袋先生の言葉に従い、一年全員がすぐに整列する。

 いや一年だけではない、二年や三年も、すぐにその言葉に従った。ご機嫌を損ねる=死亡フラグという法則はもしかしたら学校全体にもとから存在しているものなのかもしれない。

「それじゃあこれからお前ら全員で十八のチームを作ってもらう。何人で組めばいいかわかるな?」

「九人であります」と前列の男が敬礼した。その男は薬袋先生に質問しようとして殴られた物好きな男子だった。

「そう、その通り。今日は欠席者がいないから、あまりなく作れるはずだ。取りかかれ!」

 薬袋先生の声に合わせて全員が列をくずす。

 だが、俺は動かなかった。そんなに慌ててどうする、ってひとりクールぶってみたかったからだ――というのは冗談で。

 俺は動き回りながらセンパイを探すよりも立ち止まって周囲を見回したほうがいいと判断したのだ。

 その判断が吉と出て、すぐにセンパイを見つける。こんなときにも湯かき棒を背負っているから見つけやすかった。

 センパイの周囲には二年生がひとり、と一年生がふたり――うちひとりは妹の大山だ。

 女子ばっかりで組もうとしているのかもしれない。そんな推測を立てつつ、なんとなく俺はセンパイに近づいてみる。

 どうしてか、急激に胸の奥が痛んだ。少し胸を押さえてうずくまる。どうにも止まりそうもない。センパイが首を左右に振ってなにかを探しているのが一瞬だけ視界に入った。

「どうしたの、お姉ちゃん?」「なに、探してるんすか?」と大山やかたわらにいた二年生の声が飛ぶ。

 あまりにも胸が痛むので俺は少し後ろにさがって、そのままその場を去り、講堂の隅へと逃げた。

 その頃には胸の痛みは治まる。目をつむり、胸の鼓動だけに耳をすますと、ドクンドクンと正常にリズムを刻んでいた。

 あれはなんだったのか、よくわからない。

「さて、どうしたもんか……」

 俺はひとり呟く。

 少し困った。なにせ俺の現在の友人はたったひとり。ボンクラのみだ。

 そのたったひとりの友人は昼休憩にこう言っていた。

 あえて俺と違うチームを選ぶ、と。

 そのときは別にいいぜ的な感じであしらったが今考えれば正直、ボンクラの発言の意味がわからない。今来た人でも理解できるように三行で説明してほしい。

 けれどなんであれ、ボンクラはおそらく有言実行するだろう。現に今も「ぼくとチームを組まない? れっつはーれむだよ!」と笑顔で女子に話しかけている。顔だけ見たらカワイイ系の男子に分類されるボンクラだが、その女子には断られていた。

 当然だと思う。ハーレムを作ると公言するバカがどこにいるんだよ。そういえばボンクラが俺に話しかけてきたのも、俺が中性的な顔立ちをしていて男にも女にも見えるからだった。「あっ、それって男装してるわけじゃないんだね」とかあっさり言ってきやがったな、そういえば。今思い出しても腹が立つ。悪気はないとしてもな。

 閑話休題。

 なんにしろ、ボンクラが入ったチームに入るという作戦は使えそうになかった。

 さて、どうしたもんか……。

 とはいえ俺はあまり深刻に考えてなかった。そのうち、誰かが誘ってくれるだろという受け身で俺は講堂の隅をぶらつく。

 すると「ひぃ」とか「キャア」とか悲鳴があがっていることに気づいた。気になって近づいてみると「ご、ごめんなさい!」と悲鳴をあげて男子がこちらに逃げてきた。女子も「勘弁して」とか腰を抜かして大げさに泣いていた。

 俺はそんなやつらの間をぬって前に進む。すると開いた空間の真ん中にひとりの女子がいた。赤い帯リボンだから同学年だろう。

 その女子は俺を見つけ、こちらを向いた。俺は思わず「ひぃ!」と声を出しそうになった。出してはいない。一目見た瞬間、絶句した。顔は引きつって強ばり、マジビビりましたという表情を形づくっているに違いない。

 俺をビビらせたその女子はとても長い髪をしていた。透き通った黒髪で、後ろ髪は膝下まであった。ずいぶんと長いがまるで日本人形のように美しくて綺麗だ。

 けれどそれよりもなによりもその女子を印象づけているのは、目だ。

 その女子はまるでその目でにらみつければ人を射殺せるんではなかろうかと思うほど鋭い目つきをしていた。目元にくまがあることでそれがより一層、際立っている。

 なるほど、誰もが恐怖するだろう。

「なあ、お前」

 その女子は男っぽい声で俺を呼んだ。

「な、なんだ……?」

 未だ恐怖を引きずったままの俺は少し上ずった声で訊き返す。もしかしたら暴力を振るわれるんではなかろうか、そんなことを考えてしまっていた俺にその女子は予想外のことを言った。

「オレとチームを組まないか?」

 その女子は自分のことをオレと呼んでいた。それに触れるべきか触れないべきか一瞬考えたが、触れないことにした。もし逆鱗に触れたら間違いなく殺される。そんな気がした。

「ダメか?」

 なにも反応を示さなかった俺をにらみつけるようにその女子が見つめる。

 少しビビった俺はその女子の目尻に少しだけ涙が溜まっていることに気づいた。

 俺は思わず納得した。おそらくこの女子は目つきが悪いことを自覚している。それでもチームになんとか入りたくて、いやがられるのを覚悟の上で声をかけていたのだろう。

 そう考えると逃げたやつら……ひどいな。逃げることはないだろ。もっとも俺も他人のことを言えたもんじゃないが。

「なあ、ダメか?」

 俺が逃げ出さないと気づいた女子はもう一度俺に懇願する。

 目つきは相変わらず悪いものの、その瞳孔の奥には、少し優しさが見えたような気がした。俺の思い込みでも構わない。

「ああ、いいぜ。俺もどうやってチームメイトを作ろうか迷っていたところだ」

 俺は精一杯の笑顔で返答した。まだどこかにこの女子に対する恐怖心があるのか、多少ぎこちない笑みだった。

「マジかよ。ありがとう、ありがとう」

 それでもその女子はニコリと笑いながら俺の手をにぎりしめ何度も上下に動かした。

「落ち着け、って!」

 俺が落ち着かせようとするとその女子は自分のあまりのはしゃぎぶりに気づいたのか、顔を赤らめて手を離した。

「すまん。取り乱した。かなりの人数に話しかけたのに全員に逃げられたから、嬉しくてつい……」

 どれだけの人数に話しかけたんだよ、と尋ねそうになったが彼女が傷つくのではないかと考えて、言うのをやめた。

「俺はかい徹夜てつや。よろしくな」

「こっちこそ、オレは八咲やつざき凛子りんこ。よろしくな」

 八咲というらしい彼女が右手を差し出したので俺は左手を差し出し、ふたりでがっちりと握手する。とても柔らかく温かい手だった。

「なあ、失礼を承知で訊くが女……だよな? 女装してるとかじゃないよな?」

「女だよ。悪かったな、胸がなくて」

 八咲はにぎりしめた俺の左手を強くにぎりなおし、にらみつけてきた。痛さと怖さが同時に襲ってくる見事なコラボレーション。全然嬉しくない!

「そこまでは……言ってない……けどごめんなさい。そして痛い! 離してくれ、頼むから!」

 なぜだか謝った俺に満足したのか八咲はにぎった手を放した。尋常じゃない握力で俺の左手が破壊されそうだった。

 痛みを和らげるように左手を振りつつ、「さて、あと七人だな」と呟いた。

「オレとチーム組んだ時点で残り物と組まされそうだけどな」

「そう悲観的になるなよ、なんとかなるもんだって」

 少し悲しい表情で呟いた八咲に、楽観視している俺はあくまで前向きな一言を告げる。

 そしてふたりして講堂をうろちょろし始めた。しかしながら俺の後ろに続く八咲を見て、俺を誘おうかどうか迷っていた人たちは逃げ出していく。

「やっぱ、残り物だよ、オレら」

 今にも泣き出しそうな表情で呟いた八咲は講堂の壁に背を預け座り込んでしまった。俺も八咲の隣に座る。

「ま、福もありそうだし。それはそれでいいんじゃないの?」

 やはり俺は楽観的だった。いやはげましたつもりですよ、これ。

「あるのは余り物だろ。残り物にはないだろ」

 今にも消えそうな声で八咲がぼやいた。

「どっちも一緒だろ」

 俺が思わずそう呟いたときだった。俺の胸が痛み出した。ドクンドクンと波打つ鼓動が、ズキンズキンとうずき出したのだ。この痛みは……!

「やっと見つけたわ!」

 俺が軽く胸を押さえながら、見上げるとそこには案の定、センパイがいた。名前は未だに知らない。

 見つけた、ということは俺を探していたのだろうか? けどそれはなんでだ?

「なにか用ですか?」

 胸の高鳴りを隠すように俺は尋ねる。

「用といえば用ね。とりあえずまずは私とチームを組みなさい!」

「唐突だな……」

 センパイの言葉に八咲が呟き、俺が頷いて同意する。

「言っとくけど俺、この子とチームを組んでますよ」

 八咲を指してセンパイに問いかける。

「それがどうしたの? だったらその子も私とチームを組めばいいだけの話じゃない」

 俺と八咲は思わず顔を見合わせた。驚きだった。

「センパイ、きっと福がありますよ」

 だから俺は自分たちを皮肉ってそんなことを言ってみた。

「さあそれはどうかなあ。だって私はあなたたちが余り物だとも残り物だとも思ってないから」

 センパイはニコリと笑いながらそう言った。もしかしたらセンパイは俺たちのやりとりを聞いていたのかもしれない。八咲の顔に自然と笑みがこぼれる。

 そしてセンパイは俺たちふたりの手を取り、「行くわよ」と俺たちを引っ張りあげた。

 俺はセンパイの手を離し、スラックスについた埃を払い落とすと、依然手を引かれ続ける八咲とその手を引くセンパイのあとに続いた。

 胸の痛みは止まらない。けれど増すこともない。いつもとは違うリズムを刻み続けていた。

「ふたりほど勧誘してきたわ」

 センパイは三人の女子の前に着くなり、そう言った。八咲とセンパイも含めてチームメイトに女子が五人。ボンクラどころかほかの男子が見たら恨めしそうな、うらやましそうな表情をするだろう。

「えと、よろしくお願いします」

 俺は丁寧にお辞儀する。すると三者三様の答えが返ってくる。

 三人のなかで唯一緑の帯リボンをつけた二年生の女子――は「男……っすか?」と少し俺の性別を疑ったような声を出した。ボンクラも勘違いしたような顔だ。やはり俺の顔は一目では見当がつかないらしい。

 その女子はなぜかブレザーの上に紺の体操服を着て、スカートの下に膝上までの長さのレギンスを履いていた。髪型は独創的で十ヶ所ぐらいをゴムで縛っておさげを作っている。

「男ですよ」と返すと、その女子は胸を両腕で隠して一歩さがり「うちは宮直みやすぐ美澄みすみっす、よろしくっす」と答えた。

 宮直先輩が俺を恐怖するように一歩さがったことが俺の心を傷つける。

「美澄は男性恐怖症なのよ」

 それならそうと最初に言ってほしかった。気さくな喋り方だから男女の分け隔てなく話しかけても大丈夫だと思っていたのにっ!

 少しだけうなだれる俺のかたわらで「で、こっちが私の妹の……」と言葉を続けるセンパイ。その声をさえぎって「大山のことなら知ってます。同じクラスなんで」と俺が説明する。

「あら、そうなの。じゃあ紹介は省いて、もうひとりのチームメイトね」

 言いながらセンパイは少し陰りがある女子を俺たちの眼前に押し出した。その女子は俺たちを前にしてもなお、足場を求めているかのようにユラユラと揺れていた。

 揺れるたび、灰色に近い黒色の前髪が揺れ、その後ろに隠れていた瞳が見える。けれどその瞳は俺たちではなく、はるかかなたを見ているようだった。

「彼女は後野うしろのまつり。一年生だけど留年してるから年齢は私たちと同じよ」

 センパイはざっと自分のチームメイトについて説明する。

「マツリは祭だよ~。よろしくね~」

 ニヒヒ、と笑うその姿はなんだか不気味だ。

「ま、こっちはそんなところね」

 そう言ってセンパイは自己紹介を終わろうとする。けれど肝心な紹介が省かれていた。

「お姉ちゃん、自分の自己紹介はしたの?」

「ああ、忘れてたわ」

 センパイは大山が指摘するまで気づかなかったらしい。

「私は大山躑躅つつじ。紅葉の姉よ」

「じゃ、先輩もあの大山蘇鉄の娘さん……?」

 センパイの自己紹介に八咲が声をあげた。

「センパイの親父さんを知ってるのか?」

 俺が尋ねると八咲は呆れた様子で、こう言った。

「さっき授業でも言ってただろ。〔反魔金属オハロフ〕を見つけた……」

 睡魔と戦っていた俺の記憶にはそんなものはなかった。あとでノートを見て確認しよう。ちゃんと書き写してあるといいけど。

「ええ、そうよ。その大山夫妻の娘で合っているわ」

 八咲の質問に答えたセンパイはそれきり黙りこくった。

 気まずくなったので、俺は「ええっと、あの」とへどもどした挙句、自己紹介をした。それに八咲も続く。

「で残りの三人はどうするんですか?」と俺は続けてセンパイに質問する。

「もうこの時間になるとだいたい二、三人でグループができあがったりしてるからね、それを狙うのがベストよ。だけどひとりだろうとふたりだろうとチームに入りたいと言うなら、来るものは拒まず。去るものは拒むよ」

「去るものは追わずじゃないんですね?」

 センパイのスタンスが少しおかしくて、俺は笑いながら尋ねる。

「勝手に去っていったらほかの人が迷惑するじゃない!」

 するとセンパイは堂々とした態度で持論を展開してきた。昔、なにかそういう出来事があったのだろうか。

 なんにせよ、周囲を見ると九人チームができあがっているのは四、五組であとはまばらだった。完成したチームを除いて最多人数の集団が俺たちの六人であとは三人だったり四人だったりする。

 三人のグループは俺たちと組めばチームが完成するのだが、やはり八咲がいるのが怖いのか誰も話しかけてこようとはしなかった。

 だからセンパイは俺たちに「ここにいて」と指示を出したあと、主に三人グループを中心にチームを組まないかと話を持ちかけた。けれど誰も首を縦に振らない。

 自分がいるのが原因ではないのだろうかと感じ取った八咲がまた落ち込む。

 どうにもその姿は見てられなかった。なんとかしようと思う気持ちが募る。

 けれど俺が勝手に動いてもいいのだろうか、といつも楽観視的なくせに、今日は先輩たちが多いだけに遠慮が生まれた。だが、遠慮なんてしているひまはない。

 俺は動き出した。

「なあ、ちょっと話があるんだが」

 俺は未だひとりでたたずんでいる女子に話しかける。その女子は肩までのびた髪にウェーブがかかっていて、西欧っぽい顔立ちをしていた。八咲が目つきの悪い日本人形だとしたら、この子は上品な西洋人形といった感じだ。

 そのせいか、ここにいるのが不釣り合いにも見える。さらにその容姿は、どこぞの令嬢なのではないかと俺にひとりよがりな推測をさせる。

 だからこそ、誰も彼もが話しかけることをためらって、彼女は未だにひとりなのかもしれない、と勝手に決めつけた。

「なんですの?」

「俺のチームに入ってくれ」

 彼女の少し戸惑う声が耳に入ったとたん、俺はすぐさま用件を伝えた。

 すると彼女は笑顔になった。けれど彼女は咳払いをして、すぐにもとの表情に戻した。まるで嬉しさを覆い隠すように。

「仕方ありませんわね。あなたがそう言うなら入ってやらないこともないですわよ」

「そうか、助かるよ」

 お礼を述べた俺は、こっちに来てくれ、とその女子の手を引いて、チームメイトがいる場所へと帰った。

 俺が戻ると見知らぬ顔がふたりほど増えていた。どちらも男子だ。

「そいつらは?」「その子は?」

 俺とセンパイの声が重なる。

 お互いが先にどうぞと譲り合うやりとりがしばらく続き、結局センパイが折れて話を始める。

「このふたりは今見いまみ井蛙せいあくんと蘆永あしなが瀬也せやくんよ。どこのチームにも入ってなかったから勧誘したの」

 今見と呼ばれた男子はかなりの仏頂面でずれた眼鏡を直していた。俺と視線が合うと「なンだよ」と反抗的に答えてきた。なんてムカつくやつだ。

 対照的に蘆永は「よろしく」と俺に笑顔を振りまいてきた。モテそうな顔立ちでなんとなくムカつく。さらにどことなくわざとらしく見えるその笑顔に俺は少しだけ気持ち悪さを覚えた。

「でその子は?」

 センパイの言葉に誘導されて、

「ええと……こっちも同じ理由ですよ。彼女は……」

 名前を教えようとしたところで、俺はまだ名前を尋ねてないことに気づく。

音乗おとのせかるめるですわ」

 俺が勧誘した女子――音乗はそれを察して名乗った。

「かる……める……? ハーフなの?」

 センパイが戸惑って尋ねる。

「いえ、日本人ですわ。かるめるとひらがなで書くんですの」

 音乗はくすりと笑い、「変わった名前ね」とセンパイが驚き、小さく呟いた。

 それからはほかのチームが組まれるまでたわいのない会話が続いた。「今日の朝、なに食べた?」とか「お前、頭いいの?」とか。もちろん質問したのは俺じゃない、今見だ。ちなみに俺はその会話のなかでセンパイに「どうして湯かき棒を持っているんですか?」とそれとなく、さりげなーく尋ねてみた。

 するとセンパイは「ひ・み・つ」とまるで小悪魔のように俺にささやいた。耳に吹きかかる息がくすぐったく、けれども心地よい。

 俺はセンパイが理由を教えてはくれないだろうとうすうす察していたから、そんなに落胆してなかった。むしろこの質問をすることでセンパイの気分を害してしまったらどうしようとそればかりが不安で不安でたまらなかった。けれどセンパイは嫌な顔をしなかったのだから、俺の心配は杞憂で終わって一安心だった。

 そしてセンパイとそんなやりとりをする間もずっと俺の胸は痛み続けた。理由は未だにわからない。

 しばらくすると薬袋先生がチームごとに整列をうながし、俺たちもそれに従う。薬袋先生が配るメンバー登録用紙に自分の名前を書いて、解散となった。

 センパイが「また明日」と手を振ったので俺も手を振り返した。

 気づけば胸の痛みは引いていた。俺はセンパイに一目ぼれでもしたのだろうか。

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