翡翠色の魂 9
「ねぇ、蛍野くん、白世にこれを書かせてもらえないかしら」
「ふぇぇぇ?」
光は寝ぼけ眼の目で顔を上げた。
ここは文芸部室である社会科資料室だ。彼らが日常へ戻ってきてから五日が経つ。
梨香も光も、疲労困憊で三日ほど学校へは出られずに家でぐだぐだと暮らしていた。四日目、見かねた雪斗が突如として押し掛けてくるまでは。
光の怪我も臨死体験直後には回復していたので、とにかく二人とも精神的な疲労が大きかっただけだったのだ。ぐうたらな生活を送っていれば自然と癒され、雪斗が見舞いと称して四日目に訪れたときには完全復活を遂げていた。──ので。五日目の今日、本来なら部活はないけれども、事の真相を知りたがった部活動顧問である雪斗の権限で召集がかかったのだ。
最初に部室にいたのは梨香。それから光が入ってきて、光は入って早々に机に突っ伏した。白世との共生が結構な体の負担となっていて、それが睡魔として現れていることが梨香には明白だった。
そんな光を起こして梨香が手渡したものは綺麗な翡翠色をした和綴じの冊子。
妖怪達の間で出回っている交換日記だ。そして、今回の騒動の大本でもある。
「これをどうしろと」
「妖力を込めて書かせるだけよ。烏之瑪が高天原へと戻る時に使う妖力の補充をしているの。これが、今回のことの原因」
梨香はくすりと笑った。
「私はこれを通じて烏之瑪と契約しているの。それはもう前世から。……ううん、そのまた前世からね。今回のことも私だけでけじめを付けようと思っていたのだけれど……ごめんなさい、巻き込んでしまって」
微笑んでいた梨香の左瞳が紅く光り、その後に少しだけ曇った表情をした。年不相応に貫禄のある表情をするときが今までにもあった梨香だが、光はそんな梨香の表情よりも、飄々とした表情の方が好きだった。
だから思わず口を滑らしてしまう。
「俺、先輩が好きですから。もっと頼って欲しいくらいです。先輩は後輩に遠慮なんかしなくっていい立場なんですし」
言った後、光はもうちょっと台詞を言い換えればよかったかもしれないと思った。後半はともかく、前半はまるで愛の告白みたいだったかもしれない。
でも後の祭りだ。どきどきとして様子を伺う、とふわりと横に気配が降りた。
「げ、白世」
『愛しい人、ボクに用があるなら直接呼べばいいのですよ。あぁ、この滑らかな肌に触れないことが悔やまれる……』
鳥肌が立つような甘くおぞましい囁きに光は顔をひきつらせるが、梨香はニヤリと妖しく笑うだけ。
「それは上々ね。白世、あたし、まだあなたを許した訳じゃないんだからね?」
『えっ』
「当然でしょう。あたし、あなたと会ったときに、会いたくなかったけどねって言ったはずよ?」
『えっ』
白世がさぁっと青くなって、ぎこちない笑みを浮かべた後で霧散した。まさに神出鬼没である。
「あ、逃げた」
「でも蛍野君の中でどうせ聞いているんでしょう? ね、白世」
光は自分の体の内で白世が身をこわばらせているのに気付いたので、苦笑だけを返しておいた。
やがてこんこんと部室の窓に固いものがあたる音がした。二人揃って振り向くと、烏之瑪がその嘴で窓ガラスをつついている。
「あら、早かったのね」
『ふん、どうせ我は暇人だ』
最近の烏之瑪は日記以外にも神力の補充が可能なものをあちこちに探しに回っているようで、なかなか効率が悪いとぼやいている。梨香は「何百年とぶらぶらしてたんだから、今更よ」と笑っているが、烏之瑪にとっては死活問題で、どうにも不満げだ。
今現在も不機嫌そうにとある棚の一つを開けはなった。
『……カボ?』
中から転がってきたのは手足の生えたカボチャのランタン。もちろん付喪神だ。見覚えのあるそれは、以前に結姫がハロウィンの飾り付けとして買ってきたはずのものだった。
『わぁーい! 結姫カボ!』
「カボチャのお化け!?」
それを区切りとしたように、部室のあちこちのガラクタが一斉に騒ぎ出した。ぎょっとする光は瞬時に理解した。
変人梨香の拾い集めてくるガラクタ全て、付喪神だったのである。
「うわ、なんだこれ!?」
「沢山いるな」
そこに雪斗と藤子が入ってきた。
雪斗はまとわりついてくる付喪神を払いながら部屋へと入ってきて、藤子に至っては歩くのを諦めてふよふよと浮いて移動している。
「どういうことだ、結姫。この相当な数の付喪神は……」
「何って、あたしが集めたんですよ、先生」
くすくすと結姫は笑う。
いつもの謎だらけな笑みに雪斗は渋い顔をしたが、すぐに呆れた顔になってそれ以上の追求を避けた。
さて、と梨香は切り出す。
「今回の事の顛末を一から全てお話ししましょう。それは遠く古く、この翡翠の日記よりも昔の話から始まるわ。少し長くなるけど良いかしら」
そう言って梨香は語り出した。
◇◇◇
「紅」から始まり「藍」を経て「翠」となったこの日記。
始まりはただの気まぐれ。
中りは波瀾万丈な想い。
終わりは得難い絆を結ぶ。
妖怪の日記はまだまだ巡る。
取り残された一羽の烏が天上に帰れる日が来るのはまだ遠い。
今世ではきっと帰れないだろう。
それでもまた、来世にこの絆を結べるような出逢いを生み出せられたら。
きっと梨香は過去の三世を、後悔の海へと帰しはしないだろう。
物語る日記帳 采火 @unebi
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