十章 冬の大会 前半

 朝七時半にセットした目覚ましの、けたたましい音で麻美は目覚めた。

「てやー」

 変な掛け声をあげて麻美はベットから飛び起きる。パジャマを脱ぎ、壁のフックに掛けている制服に着替える。部活の対外試合では制服着用が義務付けられているのだ。着替えを終えた麻美は窓のカーテンを開く。外は快晴だった。

「うん。良い天気。運命の日って感じだね」

 試合は屋内でやるので天候は関係ないが、雨よりは晴れの方が気分がいい。

「しずちゃん、寝られたかな」

 昨夜、プレッシャーを感じて静が寝られないのではないかと麻美は心配していた。電話してみようかと思ったが、変に刺激してもよくないと思い電話しなかった。だが、麻美の心配をよそに、麗華の癖を見つけたと喜んだ静は健やかな眠りについていた。

 麻美は朝食を食べ、家を出た。会場である体育館に麻美は九時に着いた。試合は十時半から始まる。

 麻美がついて十五分ほどで、静、碧、珠子、翡翠の四人が来た。その五分後に顧問の柊が現れた。柊が受付を行っている間に、麻美達は更衣室に行き、ユニホームに着替えたり、髪を結んだり、試合の準備をした。

 更衣室は二つあり、対戦相手は別々の部屋を使うようになっていた。更衣室が一つなら麗華に話しかけるチャンスができたのに、と麻美は少し残念に感じていた。

体育館は三階建てで各階にフットサルコートがある。準備を終えた麻美達は二階のフットサルコートに向かった。そこが、麻美達が試合をやるコートなのだ。

 コートは無人だった。麻美達はコートの半分を使ってアップを開始した。コートの残りの半分は星見台がアップに使うので、そちらは空けておく。

 麻美達がアップを始めてからしばらくして、青色を基調に、肩から腰に掛けて斜めに無数の星が描かれた特徴的なユニホームを着た星見台高校の選手がコートに現れた。麻美達は五人しかいないが星見台は二十人以上いた。星見台の選手達がアップを始める。中心には亜麻色の髪をなびかせた九条麗華がいた。

 試合開始十五分前になったので麻美達はアップを終えてベンチに戻る。星見台もアップを終えてベンチに戻ろうとしていた。丁度いいタイミグだったので麻美は麗華の所に走って行き、話しかけた。

「麗華さん、久しぶり。今日はよろしく」

「ええ。よろしく。まさかあなたと対戦するとは思わなかったわ」

 麗華は社交辞令的な笑顔でそつなく答えてベンチに向かった。

 桜川高校にいた時から麗華はこんな感じで余所余所しかった。麻美は麗華と友達のつもりだが、麗華はそう思っていないのだろう。そのことが悲しく感じられたが、試合前に暗くなっていてもしょうがないので、麻美は気持ちを入れ替えて自分達のベンチに戻った。

 桜川高校のベンチには顧問の柊が膝にスコアブックを乗せて座っている。

「先生、星見台のメンバー表ありますか?」

 麻美が柊に尋ねる。

「もらってきてるよ。はい」

 柊はスコアブックにクリップで止めていたメンバー表を麻美に渡す。メンバー表を受け取った麻美は麗華の名前を探す。麗華の名前はベンチ入りの欄に書かれていた。星見台高校は予選同様、前半は麗華をベンチに温存し、後半から投入してくるようだ。

「九条さんは後半スタートてことね」

 麻美の肩ごしに静がメンバー表を見る。

「うん。予定通り行けそうだね」

 麻美達は麗華は予選同様、前半は出てこないと考え作戦を立てた。もし麗華が前半から出てきたら打つ手は無い。麗華が前半出るかどうかは運任せだったわけだが、幸運の女神は麻美たちに味方したようだ。

 メンバー表を柊に返して、麻美は静、碧、翡翠、珠子を見る。

「前半作戦度通りやって、五点以上取ろう。試合に勝つには前半の得点が重要だからね」

 静達が頷く。星見台に勝つための練習をしてきた。皆やるべきことは分かっている。

 審判がコートに出てきて笛を吹いた。

「行こう。大事な試合だけど、勝っても負けても最後までフットサルを楽しもう」

 麻美達はベンチから出てコートの真ん中で星見台の選手と向かい合って並ぶ。審判のコイントスで攻める方向とキックオフの順番を決める。前半は麻美たちのキックオフになった。冬の大会の決勝トーナメントは前後半各十五分で行われる。

 審判の号令で、お互いに礼をしてポジションに散る。麻美達のポジションは後ろから、ゴレイロが碧、フィクソが麻美、左右のアラが静と珠子、前線のピヴォが翡翠だ。

 審判が試合開始の笛を吹く。桜川高校女子フットサル部の存亡をかけた一戦が始まった。

 センターサークルで試合開始を待っていた静がボールをつま先で軽く蹴ってキックオフする。横にいた翡翠がボールを取り、後ろにいる麻美にパスする。

 ボールをトラップした麻美はコート全体を見る。右サイドには珠子がいるが、相手のマークもしっかりついている。パスカットされる危険があると麻美は判断する。

センターサークルにいた静が左サイドへ移動してくる。相手もついて来るが、マークが甘い。ここならパスが通せる、と直感した麻美は静にパスを出した。

 中央から左サイドに移動しながら静は麻美からのパスを受ける。星見台の選手が間合いを詰めてくるが、静は上手く相手とのタイミングをずらして、相手を抜いた。

傍からは、静が普通にドリブルしているのに星見台の選手が何もせずに抜かれたように見えただろう。しかし、星見台の選手は重心移動のタイミングで逆側に抜かれているため足が出せないのだ。一見地味だが、実は高度な静のドリブルだ。

 一人抜かれた星見台は、ゴール前に控えていたフィクソの選手がカバーのために静の前に出てくる。フィクソの選手が動いてできたスペースは右サイドのアラが埋める。

 星見台の守備の連動はさすがだ。しかし、星見台の守備のレベルが高いのは聖心館戦のビデオを見て百も承知だ。すぐにカバーの選手が来ることも静の想定の内だ。

 静は素早くボールを跨ぐ。そのフェイントに星見台のフィクソの選手が反応する。星見台の選手の重心移動とは逆方向にドリブルして二人目も抜く。星見台と聖心館の試合のビデオを見た時、静自身が言った二人を抜くドリブルに成功した。

 そのまま静は星見台ゴールに迫る。ゴレイロとゴール前に移動してきていたアラの選手が、静がいる左側に移動する。当然右サイドはがら空きになる。そこに翡翠が走り込む。

 静はフリーの翡翠に鋭いゴロのパスを出した。シュートチャンスを演出するサイドから中へのパス、いわゆるセンタリングだ。

 翡翠は静からのパスを右足のインサイドでゴール右下を狙ってシュートする。以前の翡翠ならゴールの枠に向かて無暗に思いっきり蹴っていただろう。だが、今はゴールの枠の中で、さらにコースを狙って蹴る意識が生まれていた。

 翡翠のシュートは見事、星見台ゴールの右下隅に決まった。

 翡翠が、やったー、と喜ぶ。麻美や碧がナイスシュートと歓声をあげる。珠子もナイスシュートと言っていた。しかし、以前よりは大きいが、まだ小さな声だった。パスを出した静は自陣に戻りながら翡翠に寄り、右手を挙げてハイタッチした。

 サイドからセンタリングする展開を麻美達は練習してきた。その成果が現れた一点だ。決してまぐれや偶然では無く、麻美達の実力だ。

 キックオフで試合を再開した星見台は左サイドのアラの選手にボールを回す。アラの選手は前にいる珠子に向かってドリブルする。珠子は腰を落として相手に対して体を斜めに構える。守備の基本である半身の姿勢だ。珠子の体勢を見てアラの選手がドリブルの速度を緩める。

 四校対抗戦の時、珠子は棒立ち状態で相手に何のプレッシャーも与えることなく抜かれていた。それが、相手のドリブルの勢いを削げるまでに成長していた。

 星見台のアラの選手は少し後ろにいるフィクソの選手にパスを出した。珠子はそのパスを追って前に出る。しかし、この行動はミスだった。ボールを追うあまり、珠子は本来マークすべきアラの選手をフリーにしてしまったのだ。フィクソの選手へのプレッシャーは翡翠に任せるべきだった。

 アラの選手がフリーになったのを見た星見台のフィクソの選手はトラップすることなく、ダイレクトパスでアラの選手にボールを返す。

 振り返り、アラの選手がフリーになっていることに気づいた珠子が、しまった! という顔になる。

「それっ」

 パスを受けようとしていたアラの選手の前に麻美が飛び出し、パスカットする。珠子がボールにつられてアラの選手のマークを外すのを見て、麻美はフォローに動いていたのだ。

「ひーちゃん!」

 ボールを奪った麻美は前線にいる翡翠にパスを出す。そのパスを見て、右サイドにいた珠子と左サイドにいる静が前に上がる。

 星見台のフィクソンの選手を背負い、相手ゴールに背中を向けた状態で翡翠は、右サイドを上がってきた珠子にダイレクトでパスする。

 翡翠をマークしていた星見台のフィクソと珠子のサイドのアラの選手が、珠子を挟もうとする。しかし、珠子はボールをトラップせず、ダイレクトで左サイドの静にパスを出す。 

 ボールをトラップした静は、フィクソの選手が動いてできたスペースにドリブルで切り込む。

 麻美達のダイレクトパスによる速いパス回しに、星見台の守備組織がかく乱され、対応できずにいた。この速いパス回しこそ、星見台に勝つために麻美達が最も力を入れて練習してきたものだ。

 星見台のゴレイロと一対一になった静はシュートフェイントを一つ入れる。フェイントに吊られてゴレイロが右に一歩動く。そしてできた股の下の隙間に、静は冷静にサイドキックでボールを流し込む。ボールは星見台のゴレイロの股の下を通ってゴールへと入った。

 ゴールした後は多くの選手が喜びを表現するものだが、静は冷静な態度を崩さす、淡々と自陣へと戻る。静はあまり喜びを外に出さないタイプなのだ。逆に喜びを体いっぱい表現するタイプの翡翠は真っ先に飛んできてゴールを賞賛する。

「ナイスシュート、静。ゴレイロも股抜きするなんて、相変わらず性格悪いな」

「本当だよ。このドS」

 麻美も静の側に駆け寄る。

「別に他意は無いよ。単に股が空いていたから狙っただけよ」

 翡翠と麻美にからかわれ、静が言い返す。静の様子が普段練習しているときと変わらないので、麻美は内心ほっとした。どうやら、極度のプレッシャーを受けてがちがちに緊張している状態ではないようだ。

 この調子で次もお願いね、と言おうとして麻美は言葉を飲み込んだ。変にプレッシャーを与えてはいけないと思ったのだ。

「次は私も得点狙ってくよ。しずちゃんばかり目立たせるわけにはいかないからね」

 麻美は冗談交じりに、静だけが責任を背負っているわけでは無い、ということを伝えようとした。

「あらそう。じゃあ、私も麻美に負けないようにしないとな」

 静が微笑した。やっぱり、プレッシャーは大丈夫みたいと麻美は感じた。

 その後、二、三分膠着状態が続いたが、星見台のピヴォの選手への楔のパスを麻美がパスカットし、チャンスが来る。

 うわ、体が軽いよ、と麻美は自分の好調ぶりに驚く。いつもならこんなに上手くパスカットできないのに今日は絶好調だ。

 近くにいた星見台の左のアラの選手が詰めてくるので麻美は左前にいる静かにパスを出す。パスを出した足で前へ走り、詰め寄ってきた選手の横を駆け抜ける。

「静ちゃん、ワンツー」

 麻美はリターンパスを求めて静を見る。静と視線が重なる。

「麻美」

 静がフリーになった麻美にボールを返す。真上から見ると、ボールの軌跡がが星見台の選手を避けて、くの字、を描いたのが見えただろう。

「ひーちゃん、ポストに入って」

 静のパスをトラップした麻美が指示を出す。

「おう」

 星見台側のコートの奥にいた翡翠がマークを外すため、一瞬相手ゴール方向に動き、すぐ反転する。その瞬間を狙って麻美はパスを出す。そして、翡翠の右方向へ走り込む。

 星見台のゴールに背中を向けた状態の翡翠は、勢いよく走り込んできた麻美にダイレクトでボールをパスする。麻美は走り込んだ勢いを乗せて、強烈なシュート撃った。シュートは、星見台のゴレイロが伸ばした手を弾いて、ゴールネットに突き刺さった。

「よし!」

 麻美は小さくガッツポーズをする。シュートはあまり得意ではないが、今は自信を持って打てた。本当に絶好調だ。

 前半の半分もいかない内に麻美達は三点を取った。攻撃の要である静がプレッシャーで不調に陥ることも無く、また、守備の要である麻美が絶好調だったこともあり、その後も麻美達は攻め続け、得点を重ねた。前半終了時には、七対〇の大差をつけていた。


 前半が合わり、五分間のハーフタイムになる。

「皆、お疲れ」

 ベンチに座っていた柊が立ち上がり、麻美達にスポーツドリンクの入った水筒を渡す。水筒は麻美達が各自で持ってきたものだ。麻美達はベンチに座り、水分補給する。

 前半に五点差をつけることが最低限の目標だったので、七点取れたことはとても嬉しい。だが、後半は麗華が出てくる。油断はできない。

 前半は、練習してきた翡翠のポストプレーと、素早いパス回しが見事に決まり、星見台を翻弄できた。また、試合に出ていた者の中で静は頭二つは抜けた実力を持っていた。静が左サイドを制していたから麻美達はペースを掴み、猛攻をかけられた。しかし、後半出てくる麗華は麻美や、そして静よりも頭三つ以上実力が上だ。後半は前半とは正反対の状況になる。麻美達が七点取ったように、後半星見台が七点取ることは十分あり得る。

 麻美は水分補給を終え、水筒をベンチに置いて立ち上がる。

「皆、後半の確認をするよ」

 静、碧、翡翠、珠子はベンチに座ったまま、麻美の方に注目する。

「前半の七点は最高の結果だよ。これも皆で頑張って練習してきた成果だね。でも、本番は麗華さんが出てくる後半だよ」

 静、碧、翡翠、珠子は引き締まった顔をしている。誰一人油断などしていない。全員後半こそ山場だと理解しているのだ。

「麗華さんは絶対にフリーにしないように常に近くにいる人がマークする。場合によっては二人でマークしてもいい。その分他の人はフリーになるけど、そこはしょうがない」

 麻美はゴレイロの碧を見る。

「後半はシュートが沢山飛んでくから、頼むね、あおちゃん」

「はい。全力をつくします」

「何としても七点を守り切ろう。でも、攻撃をやらないわけじゃないからね」

 麻美は翡翠と静を見る。二人とも分かっているとばかりに頷く。

 攻撃は最大の防御、という言葉の通り、こちらが攻めている間、相手は攻撃できない。それに、こちらが攻めなければ相手は嵩にかかって波状攻撃してくる。そうなったら七点差を守りきれない。相手の波状攻撃を避ける為にも、攻撃しなくてはならない。

「前半、大成功だったんだから後半も頑張って、絶対に勝とう」

 麻美は皆に、そして自分に向けて激を飛ばした。


                     ※


 麻美達がベンチで話している間、星見台のベンチでは顧問の教師が後半に向けての指示を出していた。顧問の教師は戦術面の指示の後、相手が無名だからといって油断するな、と精神面について強く言っていた。しかし、後半から出場する麗華は、相手が弱すぎて油断するなって方が無理よね、と思っていた。

 唯一、左サイドのアラの静のプレーは目に止まった。中学時代に対戦した相手だということも思い出した。中学時代の静には確かに才能の輝きがあった。しかし、静のプレーには中学からの成長が見られなかった。高校でも成長を続けている麗華の敵ではない。

 こんな弱いチームが相手なのだから逆転できないわけがない。つまらない試合だ、と麗華は欠伸が出そうになるのを必死に我慢していた。


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