七章 四校対抗戦

 週明けの月曜日から四校対抗戦が始まった。一週間かけて、放課後に各運動部が対戦する。フットサル部はの試合は水曜日の午後に三光高校の体育館で行われる。

 水曜日の授業が終わった後、麻美達は三光高校へ向かった。

 三光高校の体育館にはコートが一面用意されていた。コートの向こう側、体育館の奥にはスペースがあり、そこでアップできるようになっていた。一試合目が桜川高校VS三光高校。二試合目が三光高校VS聖心館、三試合目が桜川高校VS聖心館だ。

麻美は、三光高校より弱いと思われる聖心館から一勝、というのを本命に考えていた。だが、三光高校戦も勝ちを狙っていくつもりだった。

 体育館に併設された更衣室でユニホームに着替え、麻美達はアップを開始した。試合開始十分前、コートの横のパイプ椅子を並べたベンチ前に集まり、ミーティングを始める。

 麻美は顔色の優れない静を見る。今日も体調不良のようだ。しかし、戦力的に静は必要だし、何より、静に休まれては人数が足りない。体調不良でも試合に出てもらうしかない。

「ポジションは、ゴレイロがあおちゃん。フィクソが私、アラの左がしずちゃんで、右が珠子さん、ピヴォがひーちゃん」

 麻美が皆にポジションを伝える。ポジションや試合の戦術については昨日の内に詳しく話しているのであくまで確認だ。

「相手の三光高校は強いから、攻め込まれる時間が多くなると思うけどしっかり守っていこう。粘り強くまもれば攻撃のチャンスも出てくるから、それを決めよう」

 格上の三光高校相手に前半に大量失点したら、後半を待たずに試合が決まってしまう。その最悪の事態は避けたいという想いから、麻美は前半静をピヴォでは無く、アラのポジションにして守備重視の戦術を取った。後半、状況を見て、静をピヴォのポジションに移動させて攻撃重視の布陣に変えるつもりだった。

 審判をする聖心館高校の顧問がコートの中央で笛を吹く。試合を始めるという合図だ。

「よし、行こう」

 麻美達はコートに入る。

「みんな頑張って~」

 ベンチにいる柊が応援の声を麻美達にかける。彼女はスコアブックを広げ、膝に置いている。麗華達がいた頃から公式戦では柊がスコアブックを付けてくれていた。

 コート中央を横切るセンターラインを挟んで、麻美達と三光高校の選手が整列する。麻美と三光高校のキャプテンがじゃんけんをして、攻める方向とどちらのキックオフで始めるかを決める。前半は麻美達のキックオフになった。

 審判の号令で礼をして、麻美達はポジションに散る。三光高校の選手達は自陣コートで円陣を組み、掛け声をかけてからポジションに散った。

 静と翡翠がコートの真ん中にあるセンターサークルの中に立つ。二人の足元にはボールが置かれている。

 審判が試合開始の笛を吹いた 四校対抗戦は前後半七分、ハーフタイム二分で行われる。

 翡翠がボールをチョンと静の前に蹴る。キックオフだ。静がボールを拾い、相手の左サイド方向にドリブルする。三光高校のアラとピヴォの選手が静を囲む。静がフェイントで相手の体勢を崩そうとする。しかし、三光高校の選手は二人ともフェイントに引っかからなかった。静は右サイドにいる珠子にパスを出す。ドリブル突破は難しいと判断したのだ。

 後ろから見ていた麻美には、静の動きに普段の切れが無いように思えた。やはり、体調が万全ではないのだ、と不安がよぎる。

 静からのパスを珠子はトラップミスした。珠子の足に当たったボールは跳ね返り、珠子の前方に転がった。そのボールを三光高校のピヴォの選手が取る。

 ボールを取った三光高校のピヴォの選手が麻美達のゴールに向かってドリブルしてくる。ゴール前にいた麻美が飛び出し、三光高校のピヴォの選手の前に立ちはだかる。

 抜かせないぞ、と麻美が腰を落として一対一の守備の体勢を取る。三光高校のピヴォの選手は横にパスを出した。そこには後方から走り込んできたフィクソの選手がいた。

「ひーちゃん!?」

 麻美が叫ぶ。フィクソの選手は翡翠のマークなのだが、翡翠は完全にマークを外していた。

 パスを受けたフィクソの選手がゴレイロの碧と一対一になる。フィクソの選手がシュートフェイントをする。碧がフェイントに引っかかりバランスを崩す。その隙を逃さずにフィクソの選手はシュートを決めた。

 前半は粘り強く守ることを目標としていたのに、早々に麻美達は失点した。

まずい…… まず過ぎるよ…… どうしよう……

 麻美は焦る。失点もだが、今のプレーからだけでも三光高校との実力差が分かる。勝てる希望がなんて、とても抱けない絶望的なまでの実力差だ。

「珠子さん、トラップ気を付けてください。ひーちゃんはマークを外し過ぎ。もっと相手の動きを見て、ちゃんとついてきて」

 自分の焦りを抑えられず、麻美は必要以上に厳しい口調で注意した。

「すいません……」

 珠子が体を縮こまらせて小さな声で謝る。

「相手の方が先に動くんだから、どうやったってマーク外れちゃうよ」

 翡翠が肩を竦める。

「マークの相手と距離を取って、先に動かれてもついていけるようにするんだよ」

「あ、そうなんだ。距離を取ればいいんだ」

 翡翠が麻美に背中を向けて自分のポジションに戻る。そんなの常識なんだから、もっとしっかりやってよ、と麻美は言いたかったが、翡翠は初心者だからと思い、ぐっと堪えた。

 三光高校との実力差を目の当たりにしながらも、麻美は心のどこかで、まだ一失点、まだどうにかなる、と漠然と思っていた。しかし、その甘い考えを打ち砕くかのように、二分後に二点目取られ、その後すぐ、三点目も取られた。

 三光高校のレベルの高いフットサルに麻美達は翻弄されるばかりだった。そんな中、ドリブルしてきた相手から麻美がボール奪い、カウンターのチャンスがきた。

 すかさず、相手コートにいる翡翠が横に動いた。持ち前の瞬発力を活かした素早い動き出しに、相手のマークが遅れた。

「ひーちゃん!」

 麻美は翡翠にパスを出す。翡翠がボールをトラップして前にドリブルする。しかし、一度はマークを外したフィクソの選手が遅れながらも、間合いを詰めてきている。

「翡翠」

 翡翠の横に走り込んできた静が声をかける。パスを頂戴、という声だ。しかし、翡翠は自分でシュートした。

 翡翠のシュートはゴールの僅かに上を通り過ぎてコートの外に出た。

「ああ、惜しい」

 翡翠が悔しそうに天を仰ぐ。

「ひーちゃん! 今のはしずちゃんにパスだよ。しずちゃんフリーだったんだから」

 麻美が自陣ゴール前から声を張り上げる。その指摘を聞いた翡翠が小さく舌打ちした。

「惜しいシュートだったじゃんか」

 翡翠は不満で凝り固まった言葉を吐いた。

 この翡翠のシュートが前半の麻美達の唯一のチャンスだった。その後は、三光高校が一方的に攻め、麻美達はかわいそうなほどボロボロにされた。

 前半が終わり麻美達と三光高校の選手はベンチに戻る。麻美達はパイプ椅子に座る。誰も何も言わない。前半だけで〇対七という大差をつけられ、全員打ちのめされていた。

「後半、どうする?」

 ぽつりと、静が言った。どうするもこうするも無いよ、と麻美は思った。

〇対七というぼろ負け状態で勝ち目はない。もう、皆好きにやって、と投げやりな気分だった。しかし、ここで投げやりになっちゃ駄目。まだ次があるんだから、と麻美は疲れた頭と体に鞭打って考え始める。

 体育館の奥のスペースでは次に三光高校と対戦する聖心館がアップしている。後半は聖心館の人達に見られる。ならば、勝ちの無い今の状態で手の内、つまり、静をピヴォにおいた布陣を見せる必要は無い。

「後半も今のままで行こう。勝ち目はないけど、次の試合に繋がる戦い方をしよう」

 審判がハーフタイム終了の笛を吹いた。麻美達はベンチからコートに戻る。

 コートへ移動しながら、翡翠が碧に話しかける。

「次の試合に繋がる戦い方って、何?」

「さあ、分かりません。ただ、球蹴りのプリンスにもハーフタイムの終わりに同じような台詞を言う場面があるので、ファイトや、頑張ろう、といった決まり文句でしょうか」

「そっか、じゃあ、特に気にせず、やりたいようにやればいいんだな」

「たぶんそうでしょう」

 翡翠と碧は各々のポジションにつく。麻美の考えはチームの誰にも伝わっていなかった。

 後半も三光高校のペースは変わらなかった。途中で三光高校がレギュラー陣に替えて控えの選手を出してきたので麻美達が攻める時間も少しだが増えた。そして、前半精彩を欠いていた静が持ち直し、二点を決めた。だが、試合は十一対二と麻美達の大敗で終わった。


 麻美達の試合の後、十分間の休憩を挟んで第二試合の三光高校と聖心館戦が開始された。麻美達は体育館の奥にあるスペースに移動し、三光高校と聖心館の試合を見ていた。

 三光高校にぼろ負けした麻美達は暗い表情で、黙りこくっていた。

 公式戦で一勝、の本命は聖心館戦と麻美は考えていた。だから三光高校に負けたことはそこまで悲観することでは無い。だが、全員が落ち込んでいるこんな状態で聖心館に勝てるのだろうか、と麻美は心配だった。

「トイレ行ってくる」

 静が立ち上がり、体育館の出入り口に向かう。トイレは体育館の外にある。



 体育館を出た静は左側にあるトイレとは逆の方へ歩いて行く。トイレに行く、というのは嘘で、麻美達から離れ、一人になりたかったのだ。

 静が歩く先には校庭があった。校庭では野球部が練習をしていた。野球部の練習を静はしばらくぼんやりと見ていた。

「後半は、いつも通りやれた……」

 静は無意識の内に呟いていた。

 三光高校戦の前半はプレッシャーで思うように体が動かなかった。しかし、負けがほぼ確定していた後半は、特に、二点を取ったプレーはいつもの動きができた。

「次の試合も後半のようにやればいい……」

 少し、ほんの少しだが自信が湧いてきた。

 静は来た道を戻る。体育館の入口にある冷水器で、少し水を飲む。

「静」

 不意に名前を呼ばれた。静は冷水器のから顔をあげ、声のした方を向く。

「あっ!?」

 静は大きな瞳をさらに大きく広げて、名前を呼んだ人物を見る。

「高校でもフットサル続けるとは思わなかったよ」

 ショートカットの女の子が近づいてくる。身長は静より低く麻美と同じくらいだ。聖心館、と胸にプリントされたユニホームを着ている。

「美和……」

 彼女の名前を口にする静の顔には怯えが影を落としていた。美和と呼ばれた女の子は下から、突き上げるような視線で静を睨みつける。

「さっきの試合見たよ。弱いチームでまた、自分勝手なプレーをしようってわけ?」

「違う! そんなんじゃない。私は…… 私は……」

 私は…… の後の言葉が続かない。違うと言っておきながら、静自身も何が違うのか明確な言葉として言えなかった。

「ま、何をしようとも、あんたの自由だけどさ。私達にしたこと忘れないでよね。ずっと恨んでるんだから」

 美和はさらにきつく静を睨みつける。

「あの…… ごめんなさい。私も酷いことしたって思ってる、だけどあれは……」

「今更謝ってくれなくてもいいよ。過去は変わらないんだから。でもさ、悪いと思ってるならフットサル辞めるくらいのことしたら」

「それは……」

 高校に入学したときは、皆に悪いと思ってフットサルを止めた。でも、麻美に誘われて、麻美が言った一言で、もう一度フットサルをやってみようと思ったのだ。

「しずちゃん」

 体育館の入口に麻美がいた。美和との会話に夢中になり過ぎていて全く気付かなかった。

「こちらは、お知り合い?」

 麻美が美和を見る。

「え、ええ。中学のフットサル部で一緒だった、高木さん」

「あ、そうなんだ。初めまして。桜川高校のフットサル部の美浦です」

 麻美がにこやかに美和に挨拶する。

「聖心館の高木です。佐々木さんと中学校で一緒にやっていたんです」

 美和は静と話していたどすの効いた声とは違い、よそ行きの上品な声で麻美に挨拶する。

「積もる話もあると思うんですけどアップがあるので、しずちゃん借りてきますね。ごめんなさいね」

 麻美が静の腕を引っ張る。

「いいえ。こっちこそ呼び止めちゃって、ごめんなさい」

 美和は麻美に会釈して聖心館のベンチに戻って行った。静と麻美はコートに入らないように壁際を通って、皆が待つ体育館の奥のスペースに向かう。

「ねえ、美和との話、聞いてた?」

「ううん。聞いてないよ。でも、あの人としずちゃんの会話って、遠目にも険悪な感じだったよ。それで、心配になってきちゃったんだけど、あの人と何かあったの」

「ううん、何でも無い」

 そう言う静だが、頭の中では、中学校の時に犯した過ちが鮮明に思い出されていた。

 あんな思いは、もうしたくない……

 さっき、ほんの少し湧いてきた自信は跡形も無く霧散していた。


 三光高校と聖心館の試合は、六対三で三光高校が勝った。十分後に麻美桜川高校と聖心館の試合が行われるので、麻美達はベンチに移動する。

「三光高校戦はぼろ負けだったけど、そのことは一旦、全部忘れて、気持ちを切り替えて聖心館との試合に臨もう。この一戦に全てがかかってるんだから、絶対に勝とう」

 麻美は気負い過ぎなくらいに神経を張りつめていた。フットサル部を存続させるには、絶対に聖心館に勝たなければならないというプレッシャーが精神的負担になっているのだ。

「ポジションは、しずちゃんとひーちゃんを交代して、あとはさっきと同じ」

 聖心館の攻撃は三光高校ほど強力では無い。麻美、翡翠、珠子の三人で守れる気がしていた。ならば、前半から静を前線に上げて得点を狙うべきだと麻美は考えた。

「基本的な作戦は、しっかり守ってカウンターで点を取る。聖心館は三光高校程強くないから皆でちゃんとやれば守れると思うし、しずちゃんにパスを出せば得点できると思う」

「今度は守りか。守備ってつまらないんだよな」

 翡翠が誰に言うともなしに呟いた。思ったことをすぐ口にする翡翠なので、文句というわけでは無く純粋に感想を言ったのだろう。だが、翡翠の言葉は麻美の神経を逆なでした。

「相手の方が強いんだからしょうがなでしょ! 弱い方が取れる戦術は限られるんだよ」

 麻美は自分でも驚く程強い口調で言いかえしていた。自分の立てた戦術を批判されたみたいで面白く無かったのだ。

 十分間の休憩が終わり、審判がコートに出てくる。

「さっきも言ったけど、この一戦に全てがかかってるから、死に物狂いで頑張ろう」

 麻美たちはベンチから出てコートに入る。

コート中央で麻美達と聖心館の選手が向き合って整列する。麻美と聖心館のキャプテンが攻める方向とキックオフの順番を決めるジャンケンをする。

 麻美がジャンケンしているとき、翡翠は隣に並んでいる珠子に小声で話しかけた。

「麻美の奴、やけに気合い入ってるけど、この試合ってそんなに重要なんでしたっけ?」

「え、ええと…… わ、分かりません…… すいません……」

 珠子が消えてしまいそうな小さな声で答える。

「そうですよね、分かりませんよね。麻美の奴、何であんなピリピリしてるんだろ」

 翡翠は肩を竦めて、首を傾げた。

 試合は聖心館のキックオフで始まった。

 聖心館は個人のドリブルを中心に攻めるチームだった。フィールドの四人ともドリブルが上手く、珠子や翡翠は幾度となく抜かれた。しかし、二人の抜かれたフォローを麻美がしっかり行い、聖心館の攻撃を食い止めていた。

 麻美は相手からボールを奪うたびに前線にいる静に繋いだ。しかし、静には相手のフィクソの選手ががっちりマークに付いていて、すぐにボールを奪い返されていた。

 静ちゃん、動きが悪すぎる……

 三光高校戦の時も静のプレーは冴えなかったが、今はさらに悪い。練習ではよどみなく流れるフェイントも錆びついたブリキ人形のようにぎくしゃくしている。

 体長の不良が深刻なのかも、と麻美は心配する。それでも麻美はボールを奪っては静にパスを出し続けた。静なら体調が悪くても、ここぞというときには、いつもの輝きを取り戻して得点してくれると信じていた。

 前半の中頃に一失点したが、麻美達はどうにかそれ以上の失点は防いでいた。

 自陣ゴール前で、相手のパスを麻美が上手くパスカットした。麻美は前線にいる静にパスする。カウンターのチャンスなので麻美も相手コートに向かて走り出す。

 静がボールをトラップする、が、すぐに聖心館のフィクソの選手がマークに来る。静はマークにきたフィクソの選手を抜こうとするが、抜けず、立ち往生する。

「しずちゃん、パス」

 静の横を麻美が駆け上がる。静が麻美にパスを出す、が、パスを予想していた聖心館のフィクソの選手にパスカットされる。

「あ!」

 静の後悔をにじませた声が響く。

 麻美はすぐに反転して自陣へ走って戻る。しかし、静は茫然と立ち尽くしている。

「静ちゃん、戻って! 守備だよ」

「あっ……」

 麻美に言われて、慌てて静も自陣に走りだす。

 静ちゃん、どうしちゃったの……

 麻美は前を走る静の背中を見つめる。普段の静ならあんな簡単にパスカットされるはずがない。それに、ボールを奪われても即座に守備に切り換えて相手の攻撃の芽を摘んだはずだ。

 聖心館のフィクソの選手が左サイドのアラの選手にパスする。アラの選手が珠子を抜く。十分にゴールに近づき、強烈なシュートを打つ。シュートは桜川ゴールに突き刺さった。

「ごめん……」

 失点のきっかけを作った静が消え入りそうな声で麻美達に謝る。

「ドンマイ。次頑張ろう」

 静を励ます麻美だったが、もっと頑張ってよ、と思わずにはいられなかった。

 前半の終わり頃。

 聖心館の選手のシュートを、ゴール前にいた麻美が右足で弾いた。ボールは相手コートの左サイドの誰もいないスペースに転がった。一番近くにいるのは静だった。

「しずちゃん、お願い!」

 麻美は力の限り叫んだ。ボールを取って攻撃して、という静へのメッセージだ。しかし、静の走り出しが遅れる。その間にゴール前にいた聖心館のフィクソの選手がボールを奪う。

「しずちゃん?!」

 静の集中力を欠いた消極的なプレーに麻美は愕然とする。

 しずちゃん…… やる気が無いの?!

 前半の最初から静は集中を欠いていてミスを連発している。体調の不良もあるだろうが、この大事な試合で集中力を欠いているなんて、やる気が無いとしか思えない。

やる気が無いということは勝敗を、ひいてはフットサル部の存続をどうでもいいと考えているのではないか、と麻美の心の中では静への不審が大きく成長していた。

 その後、麻美達が一失点を喫した。そこで、前半が終了した。

ハーフタイム。麻美たちはベンチに座り水分を補給する。

 麻美は隣に座っている静かを見る。攻撃の頼みの綱であるはずの静は前半、完全に沈黙していた。何よりも問題なのは、プレーに全く覇気が感じられないことだ。

「ねえ、しずちゃん。こんなこと言いたくないけど、やる気ある」

 麻美は真っ直ぐに静の目を見る。

「…… ごめん……」

 静が麻美の視線から逃げるように目を逸らす。

「謝って欲しいんじゃないよ。しずちゃんがやる気があるかって聞いてるんだよ。集中が全然感じられないよ。しずちゃんなら、もっとちゃんとしたプレーができるでしょ。なのにあんなプレーしかしてくれないなんて、手を抜いてるとしか思えないよ」

「手を抜いてなんていないよ……」

「でも、いつもはもっとできてるのに、何で今はやってくれないの」

「それは……」

 麻美の追及に静は口ごもる。

「なあ、静の調子が悪いなら、私と交代ってのはどう。守備ばっかりで飽きちゃった」

 麻美と静の会話に翡翠が割り込んでくる。

「ひーちゃんは黙ってて」

 麻美は翡翠の提案を一蹴する。ポジションというのは、飽き、で変えるものでは無い。それに実力は翡翠より静の方が上だ。麻美は、静なら調子が悪くてもチームのエースとして責任あるプレーをしてくれると信じていた。前半のボロボロのプレーを目の当たりにしてもその信頼だけは揺らいでいなかった。

「そういう言い方は無いでしょ。私だってチームのこと考えてるんだよ」

 頭ごなしに言われ腹が立ったのか、翡翠が声を荒げる。

「黙ってて、てば!」

 麻美は聞く耳を持たない。翡翠を毛嫌いしているわけでは無いが、フットサル部の存続がかかったこの大事な一戦、攻撃を任せられるのは、麻美には静以外考えられない。

「なんだよ、依怙贔屓!」

 翡翠が感情的になる。

「依怙贔屓じゃないよ! うちのチームではしずちゃんが一番上手いんだから、しずちゃんに攻撃を任せてるだけじゃない。なんでこんな簡単なことが分からないの」

 翡翠につられるように麻美も感情的になる。

「静の方が上手くても調子が悪いなら交代してもいいじゃん。私なら今の静よりやる気のあるプレーをするよ」

 痛いところを突かれ、麻美は咄嗟に言い返せなかった。確かに前半の静のプレーは集中力散漫で、やる気があるようには見えなかった。それでも静なら後半点を取ってくれると麻美は思う。それだけ、練習時の静のプレーは凄いのだ。調子が悪くても、ポテンシャルのある静には逆転が期待できる。しかし、翡翠には逆転が期待できない。

「……ひーちゃんじゃ…… 逆転できる気がしないんだよ……」

 言い難いことだったが、意を決して麻美は言った。翡翠のプライドを傷つけるだろうが、正直に言うしか翡翠を説得できないと思ったのだ。

 今度は翡翠がいい返す言葉を失ったのか、黙る。しかし、翡翠の大きく見開いた瞳には怒りの感情が見て取れた。プライドを傷つけられ、怒っているのだ。

 審判がコートにでてきて、ハーフタイム終了を告げる笛を吹く。

「後半は翡翠のワントップが良いと思う」

 静がそう言ってコートに向かう。静の言葉はこれ以上ない衝撃を麻美に与えた。

「なんでそんなこと言うの。試合に勝つ気が無いの?! しずちゃんはエースなんだよ」

 麻美がベンチから立ち上がり静に叫ぶ。しかし、静は振り返ることなく、前半翡翠がやっていた左のアラのポジションにつく。

「静がああ言ってるんだから、ポジション交代でいいでしょ」

翡翠がピヴォの位置に向かう。どうすればいいか分からず、麻美は立ち尽くす。

「美浦さん。行きましょう。後半が始まります」

「…… うん」

 碧に促され麻美もコートに出た。二人の後ろについて珠子もコートに出る。

 静はチームのエースであり攻撃の要だ。静ならフットサル部存続の為に全力を尽くしてくれると麻美は信じていた。だから、調子が悪くても静かに攻撃を任せるつもりだった。

それなのに、自ら翡翠とポジションを変わり攻撃の役割を交代する静が理解できなかった。信じていた静に裏切られたと、麻美は思わずにはいられなかった。

 麻美は静に何を考えているのか聞きたかった。しかし、試合中に話す時間はない。静への不審と疑念を抱きながら麻美は試合をすることになった。

 後半も聖心館が攻め、麻美達が守る展開が続いた。たまに前線の翡翠にボールが渡ったが、マークについているフィクソの選手にことごとくボールを取られた。

志願してピヴォになった翡翠は精力的に走り回ったが、聖心館のフィクソの選手を抜く実力は無く、無駄な努力の山を築いていた。

 静の調子は変わらず、普段の練習からは想像もつかない低調なプレーを続けていた。

 ハーフタイムのいざこざが尾を引いて、麻美の動きも精彩を欠いていた。

後半は前半以上に点を取られ、麻美達は六対〇で負けた。


 麻美達は更衣室でシャワーを浴び、帰り支度をする。誰も口を聞かない。麻美もずっと口を閉じていた。口を開いたら試合に負けた文句が際限なく出てきてしまいそうだった。

 帰り道の電車の中も全員黙っていた。途中の駅で一人、また一人と電車を降りて行き、帰る方向が同じ麻美と静だけになった。

 乗り換えの駅に着いたので麻美と静は電車を降りる。この駅で静とは違う電車に乗る。「しずちゃん……」

 構内を歩いていた麻美が立ち止る。数歩先で静も歩みを止め、振り返る。

「どうして…… 今日の試合、本気を出してくれなかったの……」

「本気だったよ……」

 言い訳をする子供のように、静は消え入りそうな声で答えた。

「嘘だよ。しずちゃんならもっとできたはずだよ。しずちゃん、上手なんだから」

「その…… 調子が悪くて……」

「それにしても、ひーちゃんにピヴォを任せるなんて責任感が無なさすぎるよ。うちのエースはしずちゃんなんだよ。攻撃はしずちゃんが責任を持ってくれなきゃ駄目なのに……」

 だんだん大きくなっていた麻美の声が、穴の開いた風船のように急速に萎んでいく。

「しずちゃんは、フットサル部のことなんてどうでもいいの……」

 自分だけがフットサル部の存続という責任を背負っていて誰も手助けしてくれない。そんな孤独感と寂しさのあまり、麻美はとても悲しくなった。

「……どうでもいいなんて…… そんなことない……」

「じゃあ、どうして本気を出してくれなかったの!」

 今さっき、静は本気だったと言ったが、とても麻美にはそうは思えない。

静は何も言わない。焦燥した表情で俯いている。

 しばらく静の言葉を待っていた麻美だったが、静の沈黙こそが、拒絶という答えだと受け取った。麻美は静を置いて自分の乗る電車のホームへと向かった。

「なんで、何も話してくれないのよ」

 麻美は静を友達だと思っていた。フットサル部のメンバーの中でも仲がいい方だと思っていた。それだけに、試合中にも感じた、裏切られたという思いがより強くなった。

 去っていく麻美を見ながら静も独白していた。

「嘘つき……」

 静の声にも、裏切られたという感情が色濃く表れていた。


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