六章 やっと現れた四人目
月曜日の放課後。フットサル部は休みだが、茶道部の活動がある。麻美達は学校にある茶室に集まり翡翠の指導の下、茶道の練習をした。練習の後、和室で抹茶とお菓子を食べながら麻美達は昨日のフレンドリーマッチの話をしていた。
全勝したこともあり、碧と翡翠は楽しかった、また試合したいと語っていた。麻美と静も饒舌に各試合について語り、全員で盛り上がった。
翌日。今日最後の授業が終わったので麻美は教室を出て部室に向かった。体育職員室に部室の鍵を取りに寄ったが、部室の鍵は無かった。誰かが先に持っていったのだろう。
部室に行くと、翡翠ともう一人、見たことのない女子学生がいた。二人とも今来たばかりなのかスクールバッグを肩にかけ、立っている。
「ひーちゃん、その人は?」
もしかして入部希望者!? と麻美は期待に胸を膨らませて、翡翠の隣にいる女子学生を見る。セーラー服のタイの色が黄色なので二年生だと分かる。しかし、随分と小柄で一見中学生に見える。艶のある黒髪を首の高さで切り揃えている。
「二年D組の鈴木珠子さん」
翡翠が隣にいる小柄な女子学生を紹介する。珠子は麻美にペコリと頭を下げた。その仕草は、どこかおどおどしていて自信なさそうだ。気弱そうな人だなと麻美は思った。
「もしかしてというか、もしかしなくても、入部希望者だよね」
麻美は願望を口にする。
「入部希望者なんだけど…… フットサル部じゃなくて、茶道部の入部希望者なんだ」
「茶道部?」
大きく膨れ上がった麻美の期待は急速に萎んでいく。
「うん。鈴木さんのお母さんがうちの流派のお弟子さんなんだ。鈴木さん自身は茶道をやっていなかったんだけど、私が茶道部を作ったのを知った鈴木さんのお母さんが、鈴木さんに茶道部に入るように勧めたんだ」
「ふんふん。そういうことなら茶道部に入って貰えばいいんじゃないかな。茶道部の部員が増えてよかったじゃん」
高校生にもなって、お母さんに言われて部活に入る、というのは自主性が無さ過ぎないだろうかと麻美は思ったが、それを言ったら失礼なので口にはしなかった。
「それで、ここからが相談なんだけど鈴木さんにフットサル部も入ってもらおうと思ってるんだけど、どうかな」
一旦は萎んだ麻美の期待がまた膨らみ始める。
「もちろん大歓迎だよ」
「えーと……」
いつもはっきりものを言う翡翠が珍しく言い淀む。
「麻美、ちょっとこっち来て。鈴木さんは待っててください」
翡翠が麻美の手を引っ張り部室の外に連れ出す。部室の扉を閉めた翡翠が大きな溜息をつく。
「どうしたの、ひーちゃん。なんだか変だよ」
「あのね、見た感じ分かると思うんだけど、鈴木さんは超のつく内気なんだ。クラスで友達もいなくて、帰宅部だからクラス外の友達もできない。一日で会話をするのが家族とだけという感じらしいんだ」
「それって、コミュ障てやつ」
「ああまあ、そういう奴かな。そんな鈴木さんを、鈴木さんのお母さんが心配して茶道部に入るように勧めた。と、ここまではまだいいとして、私に鈴木さんの内気な性格も直して、とお願いしてきたんだよ。それもうちの親に言ったわけよ」
「いや、それはおかしくない。内気とかそういう性格の問題は自分で治そうとして努力しなきゃ、治らないでしょ」
「でしょ。普通そう思うでしょ。なのに、うちの親ときたら人を導くのも修行だ、てわけの分からないこと言うわけよ。で、私に命じたわけ、鈴木さんの内気を直すように、て」
すごいはた迷惑な話だな、と麻美は、珠子と翡翠の両親に呆れた。
「でもさー、絶対無理だよ。鈴木さんのきょどりぶり見たでしょ。あの内気マックスは私の手になんて負えない、ぜーたい、無理。イライラして怒鳴っちゃうのがおちだよ」
翡翠は勢いよく頭を左右に振る。ツインテールにした髪もぶんぶん振られている。
「しかし、私は無理だからと嘆いてばかりいる女ではない。ちゃんと対策を考えた」
麻美を見る翡翠の目つきが怪しくなる。麻美の心に嫌な予感が雨雲のように立ち込める。
「鈴木さんをフットサル部に入れて皆と打ち解けさせれば内気はなおる! だって、フットサルはチームプレーのスポーツだからコミュニケーションが必須でしょ。だから、フットサルをやる人はコミュニケーションが取れるようになるんだよ」
「いや、そんな都合よくいかないと思うよ。ていうか、そもそも論理が破たんしてない?」
翡翠は自信満々に言うが、麻美は懐疑的だった。
「まあまあ、そこはそんなに問い詰めないで。茶道ってさ、動きの中にお喋りが無いから、部活中、きっと鈴木さんほとんど話さないよ。その点、フットサルは練習とか試合で色々話すじゃん。鈴木さんのような強敵は、話さなきゃいけない場に入れて無理やりにでも会話させる荒療治が必要だと思うんだ。だからお願い、鈴木さんをフットサル部に入れて」
翡翠が手を合わせて麻美を拝みながら頭を下げる。
「お願いって言われても……。問題は鈴木さんにフットサル部に入る意志があるかどうかだよ。荒療治と言っても、嫌々入れるわけにもいかないよ」
「その点は大丈夫。さっき鈴木さんに、フットサル部にも入部していいですよね、て確認した。全然、嫌、って言わなかった」
それは内気だから、嫌、と言えなかっただけではないか、と麻美はすごく不安になる。
「とにかく、鈴木さん本人に確認してみよう。本当にフットサル部に入る気があるのか」
麻美と翡翠は部室に戻る。部室では珠子が所在無げに立ったまま待っていた。
「翡翠さんから聞いたんですけど、鈴木さんは茶道部だけでなくフットサル部にも入る、ということでいいですか。嫌なら言ってください。あの、怒ったりしないんで」
上級生に向かって、怒ったりしない、という発言はあまりよくない気もしたが、珠子があまりにも、おどおどしているので、つい口をついて言ってしまった。
珠子は不安に満ちた表情で小さく何度も頷く。だが、嫌なのか、嫌じゃないのか、どっちなのか分からない。
「嫌ではないんですよね」
麻美が念押しすると、珠子は泣き出しそうな表情で小さく頷く。嫌では無いらしい。
「わかりました。それじゃあ、フットサル部は鈴木さんを歓迎します」
麻美は笑顔で言った。珠子を怖がらせないようにという配慮と、これで五人揃ったという喜びの両方が合わさった笑顔だった。
その日、珠子は運動できる準備をしていなかったので部活を見学してもらった。麻美、静、碧、翡翠の四人はいつも通り、校舎の周りを走り、校庭の隅でボールを使った基礎技術の練習した。バレー部とバスケ部の練習が終わった後、体育館でゴールを使ったシュート練習や、一対一や二対二の対人の練習をした。
次の日から、珠子も練習に参加した。しかし、珠子は今まで一切運動をしていなかったので、麻美達とは別メニューで、まずは基礎的な体力づくりをやってもらった。
一週間ほど麻美は珠子を注意して見ていた。翡翠に言われたから入部した感のある珠子なので、すぐにやめると言い出すのではないかと心配だったのだ。しかし、相変わらずほとんど喋らないながらも、珠子は真面目に基礎的な体力づくりを続けていた。
珠子がすぐにやめることはないと麻美は判断し、不参加にしていた十一月の四校対抗戦への参加を決めた。その日の内に顧問の柊にその旨、伝えた。
ある日の放課後。体育館で練習している麻美達を見る者がいた。女子バレー部の顧問の女性体育教師の田辺だ。田辺は体育倉庫の備品チェックに来たところだった。備品のチェックを終え、田辺は体育館から出て行く。廊下を歩きながら田辺が険しい表情で呟いた。
「由々しき事態ね」
体育職員室に戻った田辺は、男子バスケ部の顧問の男性体育教師の駒田に話しかけた。
「駒田先生。ちょっとよろしいかしら、女子フットサル部の件なんですが」
駒田はキャスター付きの椅子を回転させて田辺に向き直る。
「女子フットサル部がどうかしましたか。部員が集まらなくて廃部ですか?」
駒田の呑気な発言が気に障ったのか田辺は眉間に皺よせる。
「呑気なことを言ってる場合ではありません。部員五人を集め、しっかり練習しています」
「ほう。そうれはすごい。一人残された子が頑張ったんですね」
それまで鷹揚と構えていた駒田が椅子に座り直し、怖いくらい真剣な表情になる。
「ですが、そんなに頑張られるとこちらとしては迷惑ですね」
「ええ。ただでさえ練習時間が少ないのに、これでフットサル部が前みたいに体育館の使用を主張してきたらさらに練習時間が減ってしまいます。大問題です」
田辺も駒田も自分たちが顧問をしている女子バレー部と男子バスケ部のことを心配していた。女子バレー部も男子バレー部も全国大会常連の強豪クラブであり、桜川高校の部活の顔でもある。田辺と駒田がフットサル部を邪魔者扱いするのも無理はない。
「まったく。部員が集められないから廃部というのが理想的だったのに。部員もいて練習もしっかりやっているとなったら廃部にするのも何かと面倒だ。これで、公式戦で一勝でもしようものなら、私達でも廃部に持って行くのは難しくなりますね」
駒田が愚痴る。
「そうなんです。だから、公式戦での一勝を何としても防がないといけません」
「ですね。練習時間をもっと減らして満足に練習できないようにしてやりましょうか」
「いいですね、さっそく実行しましょう。あとは、公式戦で一勝しないと廃部になる、とプレッシャーをかけて精神的にも追い込みましょう。高校生のメンタルなんてたかが知れてますからね。ちょっと揺さぶればすぐボロボロになって試合どころじゃなくなります」
田辺は教師としては好ましくないドス黒い表情を隠すことなく露わにした。
十月中旬のある日。麻美達が部室で着替えていると顧問の柊がやってきて、麻美を呼んだ。
「美浦さん、お話があるんだけど」
練習用のユニホームに着替え、髪もポニーテールにして準備を整えていた麻美は柊の傍に行く。柊は悩ましげに眉をしかめながら話し出した。
「あのね、実は昨日の職員会議で決まったことなんだけど…… 男子バスケ部と女子バレー部が十一月の四校対抗戦に向けて練習時間を拡大することになったの、それで、今までフットサル部が使っていた十七時以降も体育館を使うことになっちゃったの」
なっちゃったのと言われて、そうですか、と納得のいく内容では無い。
「ちょっと待ってください。私達も四校対抗戦に出るんですよ。私達だって練習しないと」
「それはよく分かってるのよ。私も職員会議でそのことをちゃんと言ったの。でもね…… 九連覇と七連覇がかかっている男子バスケと女子バレーが優先、て決まっちゃったのよ」
全国大会常連で、桜川高校の部活動の顔である男子バスケと女子バレー部は何かにつけて優遇される。
「ごめんなさい。私に力が無くて…… でも、もう決まっちゃたの。だから、明日から四校対抗戦が終わるまでフットサル部は体育館を使えないの。分かってちょうだい、お願い」
柊が体を小さくして麻美に頭を下げるので、麻美もそれ以上何も言えなくなった。
「四校対抗戦まで、私達はどこで練習すればいいんですか、先生?」
麻美の横に来た静が責めるような口調で柊に質問する。一方的な決定に静も怒っているようだ
「えっと……」
体育館に変わる練習場所は何も考えてこなかったのか、柊は答えられずにいる。無策な柊への失望を具現化するかのように、静が大きな溜息をついた。
「もういいです。先生に考えが無いことはよく分かりました。校舎の周りや校庭の空いている所は今まで通り使いますから、そこまで取られることがないようにしてください」
しずちゃん先生相手にも容赦ないよ、さすがどS。と麻美は変なことで感心した。
「ごめんなさい……」
消え入りそうな声で麻美達に謝りながら柊は部室を出て行った。
「明日から体育館が使えないなんて、ちょー横暴だ。ひどすぎじゃない」
椅子に座っていた翡翠が叫ぶ。
「体制側のやることはいつだって横暴です。許されざることです」
翡翠に隣に座っていた碧も、柊が出て行った扉を睨みつける。
緊迫した部室の雰囲気に委縮したのか珠子は部室の隅でおどおどしている。
「うーん。文句は沢山あるけど、今はできることからやろうか」
麻美は静、碧、翡翠、珠子を見る。
「校舎の周りや校庭の隅でできる体力トレーニングや基礎練の時間を増やそう。体力をつけるのと基礎技術を固めるいい機会だと考えよう」
麻美はポジティブな言い方を心掛けた。ここでネガティブな発言をしたら、皆がやる気をなくすと思ったのだ。それは絶対に防ぎたかった。
「そうだね。珠子さんには基礎体力を、翡翠と碧には基礎技術を身に着けてもらう必要があるからね。もちろん私と麻美もね」
静も麻美の意見に乗ってくる。
「そっか。そうだな。文句言ってても始まらないもんね。じゃ、練習しよう。時間でしょ」
翡翠が勢いよく椅子から立ち上がり、ランニング用のシューズを持って部室から出て行く。碧、珠子も翡翠に続いて部室を出て行く。
皆がやる気を失わないですんだので麻美は安堵した。これもさっき、静がいい具合にフォローしてくれたからだなと思い、横にいる静を見た。
静と目が合う。麻美が、さっきはありがとう、と言おうとしたとき、静が笑って、別に、いいよ、という感じで顔の前で手のひらを小さく横に振った。
静かにつられて麻美も笑った。言葉は無かったが意志が通じた気がした。
部活の練習を終え、麻美達は下校した。自転車通学の碧、翡翠と校門で別れ、麻美と静と珠美は駅に向かって歩く。
「四校対抗戦まであと二十日だけど、一回もコートを使った練習をしないのはまずいよね」
歩きながら麻美は静に相談する。
「うん。まずいよ。プレーの感覚が鈍る」
「そうだよね。五人いるんだし他校との練習試合を土日に組んでみようか」
「外の施設を借りるのも手かもね。お金がかかるから週一くらいしかできないと思うけど」
「この前みたいにフレンドリーマッチに出てもいいかもね。何か無いか、私調べてみるよ」
「私も調べるよ」
麻美と静で話をしている斜め後ろを珠子は黙ってついて来る。
「珠子さん。練習には慣れましたか」
麻美に話しかけれれ珠子がびく、と体を震わせて驚く。
「は…… はい。な、慣れました」
蚊が泣くような声で珠子が答える。その後黙り込む。会話が全然成り立たない。
珠子がフットサル部に入部して一週間が経つが、ずっとこの調子で、皆と会話が成立していない。正直なところ、麻美は珠子とこれから上手くやっていけるか不安だった。
「じゃあ、体力づくりの別メニューは終わりにして、私達の練習に合流してもらおうと思いますけど、いいですか」
珠子がおどおどしながら、小さく何度も頷く。なんていうか、挙動不審に見える。
「本当に慣れたんですか、珠子さん」
麻美を間に挟んだ状態で、静が珠子に問いかける。
「は、はい……」
「そうですか。今日も練習の途中座っていたので、まだ体力的に辛いのかと思っていました。でも、大丈夫というなら大丈夫なんですね」
「ご…… ごめんなさい」
珠子は涙目になりながら謝ると、俯いて黙ってしまった。
「あ、あの、しずちゃんは怒ってるわけじゃないんですよ。珠子さんのことを心配してるだけなんですよ」
今にも泣き出しそうな珠子を麻美は慰める。
そんな責めるような言い方しちゃ駄目だよ、と麻美は視線で静かに語りかける。
だってぇ、という感じで静はむくれる。
おどおど、きょどりながら話す珠子の態度に、静は苛ついているのだ。
「明日から珠子さんも私達と同じ練習をやってみましょう。途中で辛かったら休んで良いので言ってください。徐々に慣れていきましょう」
麻美が優しく言うと珠子が、小さく頷いた。
駅に着くと、まず、珠子が麻美達と別れ地下鉄のホームに向かって行った。
「甘やかしすぎだよ、麻美」
二人になった途端、静が不満をぶつけてきた。
「珠子さんばかり特別扱いしてたら、翡翠や碧に示しつかないよ。初心者なのは皆一緒なんだから。そういうのも考えてよ」
言うだけ言うと、静は自分が乗る電車のホームの階段を降りて行った。
「もう。あっちを立てればこっちが立たないんだから」
静の責めるような言い方はいつものことなので、それは気にならない。ただ、静が言うように、珠子だけを特別扱いはできない。そのことは大いに考えなければならない。
「四校対抗戦までの練習場所のことといい、考えることがいっぱいだよ」
小さく溜息をつき、麻美も自分が乗る電車のホームへと階段を降りて行った。
電車に乗った麻美は空いている席に座り、今後の公式戦の日程を考え始める。十一月初旬に四校対抗戦がある。その後十二月から冬の全国高校フットサル大会が始まる。
四校対抗戦は女子フットサル部がある三校でリーグ戦が行われる。試合数は二試合だ。冬の全国高校フットサル大会の予選は四チームのリーグ戦なので試合数は三試合だ。予選突破すれば試合数は増えるが、レベル的に予選突破は難しい。つまり、麻美達に残された公式戦は五試合だ。フットサル部存続のためには五試合のどこかで一勝しないといけない。
四校対抗戦の相手は、三光高校と聖心館という二校だ。二校の実力は地区で中堅以上のレベルと柊からは聞いている。その話が本当なら、麻美達、桜川高校とのレベル差は大きく、勝つのは難しい。
冬の全国大会は強豪もいるが、地区で中堅以下の弱いチームも参加する。予選は強いチーム弱いチームが混ざる。うまく弱いチームと対戦できれば、勝てる可能性は高くなる。
「理想は四校対抗戦で一勝だけど、冬の大会の予選の方が勝ちやすいだろうな」
四校対抗戦で一勝もできなくても、まだ次がある。そう思うと、体育館が使えなくなったことで焦っていた気持ちが少し落ち着いてくる。
四校対抗戦は基礎固めと試合経験を積むことに主眼に置き、公式戦で一勝、という目標達成は冬の大会をターゲットにしよう、と麻美は決めた。
翌日から麻美達は体育館が使えなくなった。その分、校舎の周りや校庭の隅で、体力トレーニングとボールを使った基礎技術の練習時間を増やした。今まで別メニューだった珠子も麻美達と同じ練習に合流した。しかし、案の定、珠子は途中でばててしまい、いつも練習の後半は見学になった。
土曜日には外の施設でコートを借りて練習した。しかし、コートのレンタル代は高校生の麻美達には高くつき、隔週の土曜日しかコートを借りられなかった。さらに追い打ちをかけるように他校との練習試合も上手く組めなかった。
そんなこんなで、コートを使った練習がほとんどできないまま、十一月を迎えた。
四校対抗戦まであと一週間に迫っていた。
※
体育館でやっていた体育の授業を終え、麻美達B組の女子が体育館から出て行く。麻美も円と話しながら出て行こうとした。その時、体育教師の田辺に麻美は呼ばれた。
麻美は円に、先に行ってて、と言い、小走りに田辺の傍に行く。
「四校対抗戦までの間、フットサル部が体育館を使う時間を女子バレー部に提供してくれたこと感謝していますよ」
田辺が優しい笑顔で話し始めた。
「あ、はい……」
感謝なんていいから、体育館を使わせてよ、と言いたい麻美だった。
「美浦さん達には損をさせてしまったけれども、私はフットサル部を応援しています。特に、一人で部員集めからチーム作りまでしているあなたの行動量力は高く評価しています。四校対抗戦は頑張りなさい。一勝をあげる最後のチャンスでしょうから」
「最後のチャンス?」
田辺の話を半ば聞き流していた麻美だったが、その一言に反応した。
「先生、四校対抗戦の後に、まだ冬の全国高校フットサル大会があります」
「ああそうでしたね。でも決勝トーナメントの相手に勝利するのは難しくありませんか」
「決勝トーナメント? 決勝トーナメントの前に予選リーグがありまよ」
「あら。柊先生からお話を聞いていないのかしら。夏の全国大会で都大会の優勝と準優勝校にはシード権が与えられて決勝トーナメントからの出場なんですよ」
「シード!?」
麻美は両目を大きく見開き愕然とする。シード権があるなんて初耳だ。大半が素人の麻美達が冬の大会の決勝トーナメントで勝つなんて無理だ。
普通、シード権を獲得するのは喜ばしいことだ。しかし、都大会準優勝は麗華をはじめとするスポーツ推薦組がいたチームが勝ち取ったものだ。今や全くの別チームになった麻美達には、そんなシード権はかえって邪魔でしかない。
「ね。だから、四校対抗戦が最後のチャンスと思うのよ。四校対抗戦、期待していますよ」
そう言うと、田辺は麻美を残して体育館から出て行った。
麻美は一人立ち尽くす。頭の中は混乱の極致だった。
四校対抗戦は力試し程度に考えていた。一勝をあげる本番は冬の全国大会の予選のつもりだった。それが、いきなり、四校対抗戦が本番になってしまった。それも、四校対抗戦までコートを使った練習ができないというのに……
「えっと、えっと、どうしうよう……」
麻美は混乱した頭で必死に対策を考える。しかし、考えが上手くまとまらない。
「えっと…… そうだ、シードのことを確認しなくちゃ」
麻美は走って体育館から出る。更衣室で体操着から制服に急いで着替える。この後は昼休みなので麻美は教室に戻らず、英語職員室に向かった。
英語職員室では柊が同僚の教師と談笑しながらお弁当を食べていた。柊たちの明るい雰囲気に思わず麻美はイラッときた。それほど、麻美は焦っていた。麻美が冬の大会のシード権について確認すると、柊はあっけらかんと、そうだよ、と肯定した。
「何でもっと早く教えてくれなかったんですか」
麻美は柊を批判するかのように大声を出していた。柊と同僚の教師が驚く。
「だって、対戦相手を決める抽選会はまだ先だし、その時に話せばいいと思ったから」
悪びれる様子の無い柊を見て麻美は、この人はフットサル部の存続について何も考えて無い、興味も無い、と感じた。柊と話しても無駄だと思い、麻美は英語職員室から出て行った。
「私が守らないと。私しかフットサル部を守れる人はいないんだ」
麻美は廊下を歩きながら右手をギュッと握った。
その日の放課後の練習。麻美はいつにもまして気合いを入れて臨んだ。
「珠子さん! そんなことでへばってたら試合じゃ全然動けないですよ」
校舎の周りを走る体力トレーニングを終えた後、息を切らせ、しゃがみ込んでいる珠子に麻美の怒声が飛んだ。
昨日までなら、見学していていいですよ、と優しい言葉をかけていた。時間があるならそれでいいと思っていた。しかし、四校対抗戦まであと一週間しかない。厳しいことも言わなくてはならない。
「ひーちゃん! 左足もちゃんと練習して!」
ボールを使った基礎技術の練習で利き足の右ばかり使っていた翡翠に麻美の注意が飛ぶ。これも昨日までは、そんなに焦らずに右足である程度できるようになってから左足を練習すればいいかな、と思い、ほとんど注意してこなかった。だが、四校対抗戦のことを考えると、そうも言っていられない。
「あおちゃん、もっと左右の動きを機敏に!」
麻美が手でボールを左右に投げ、それを碧がキャッチする、というゴレイロの練習中にも麻美の怒声は止まらない。碧も手を抜いているわけではない。しかし、やはり四校対抗戦のことを考えると、碧に求めるレベルは高くなってしまうのだ。
「麻美の奴、どうしたんだ。えらく不機嫌だな」
静と珠子と練習していた翡翠が不満そうに呟いた。怒られてばかりでつまらないのだ。
「何か嫌なことでもあったのかな。言っていることは正しいとは思うけど……」
そう言う静の表情もさえない。麻美の変貌に困惑を隠せないのだ。
麻美の厳しい指摘が怒声となって飛ぶ練習が二日、三日と続いた。麻美の注意そのものは正しいのだが、怒鳴られることに全員辟易していた。
部活が終わり下校した碧と翡翠は家に向かって自転車を走らせていた。
「なんかさ、最近つまんなくない」
前方を見ながら翡翠が碧に言った。
「注意されてばかりですからね。注意という行為は本質的に面白く無いものです」
「でも、注意は必要なんだよな。お茶の稽古でも注意はするからね」
「そうですか? 茶道部の稽古では神宮さん、私達に注意してないですよね」
「え? してるよ。稽古の時に手順が違うと指摘してるじゃん」
碧がしばらく黙ったまま自転車を走らせ、信号で止まった時に再び口を開いた。
「分かりました。翡翠さんは注意する時に怒鳴らないから、それほど気にならないのです。最近の麻美さんは怒鳴るから嫌な感じがするんです」
「あ、そうかも。なんで麻美の奴、あんなに怒るんだろ」
「フットサルは勝つか負けるかの勝負事だから、厳しくなるでしょうか。そう言えば、百雹様も一位以外は敗者だと言っています」
「それって、アメリカの昔の大統領の言葉じゃなかったけ?」
信号が変わったので二人は自転車をこぎ出した。
駅で珠子と別れた後、静が麻美を呼び止めた。
「麻美、最近部活でイライラしてるけど、何かあったの」
「別にイライラってわけじゃ無いよ。四校対抗戦が近いから気合いを入れてるだけだよ」
「にしても、皆に厳し過ぎだよ」
「それは…… 四校対抗戦で勝つために必要なことだよ。優しいだけじゃ強くならないでしょ」
「そうだけど、皆フットサルを始めたばかりなんだから、もう少し優してしても……」
「あのさ、しずちゃん」
麻美が静の言葉を遮る。
「練習のやり方に文句があるなら四校対抗戦が終わったら聞くよ」
麻美の言い方が癇に障ったのか静の柳眉が逆立つ。
「そういう言い方はないでしょ。文句をじゃなくて練習のことで気になったから言ってるんじゃない」
「…… うん…… そうだね。今のは私の言い方が悪かったね…… ごめん……」
麻美は頭をポリポリと掻き、すまなそうに眉を顰める。
「でも。四校対抗戦が終わるまでちょっと待ってくれる。今、考えることが多くて……」
麻美は静の視線から逃げるように顔をそむける。
「…… 分かった。四校対抗戦が終わったら一度ちゃんと話そう」
静は帰りの電車のホームへと階段を降りて行った。麻美は黙って静の背中を見送った。
家に帰った麻美は夕食を食べ、お風呂に入り、自分の部屋で四校対抗戦の相手についてネットで調べる。ここ数日調べているので大半の情報は得ていたが、何か有益な新しい情報は無いだろうかと、再度、調べているのだ。
対戦する三光高校のフットサル部は歴史も長く、この地区では強豪だ。
今年の夏の大会では、九条麗華を擁する桜川高校フットサル部に地区大会決勝で負けているが、去年は都大会に出ている。昨年の冬の全国大会でも予選リーグを突破している。
もう一つの対戦校の聖心館のフットサル部はまだ歴史が浅く、創部三年目だ。夏の地区大会でも冬の大会でも予選を突破したことは無い。実力的には地区の中堅だ。
「勝てる可能性が高いのは聖心館だけど、私達よりレベルは上だろうな……」
創部三年目ということは二年生がチームの中心だろう。一年生だけの麻美達の中で聖心館に通用する可能性が高いのは、一番上手い静だ。
「私、ひーちゃん、珠子さんで守って、しずちゃんのカウンターで点を取るしかないよね」
麻美が考えているカウンター作戦は弱いチームが強いチーム相手に用いる常套戦術だ。
麻美、翡翠、珠子は守備で手いっぱいになるだろうから、攻撃要因の静には一人で相手のディフェンスをかいくぐりゴールを決めてもらわなければならない。
「しずちゃんに頑張ってもらわなきゃ」
相手のディフェンスをたった一人でかいくぐり、得点するのは非常に難しい。かなりの実力差がないと不可能だ。だが、静のプレーのレベルは高校一年生にしては非常に高い。静なら聖心館のディフェンスをかいくぐれる可能性はある。その可能性に賭けるしかない。
麻美はノートパソコンの画面下に表示されている時計を見る。もう寝る時間だ。麻美はノートパソコンの電源を切り、ベッドに入った。
四校対抗戦で一勝をあげられなかったら、と思うと不安で胸がいっぱいになる。そんな不安を抱えながら、麻美は眠りについた。
翌日、学校の授業中も麻美は四校対抗戦のことを考えていた。だが、考えれば考えるほど、自分達が負ける要因ばかり思いつく。そんな中で唯一の光明が静だ。静の実力ならきっと聖心館から点を取り、麻美達を勝利に導いてくれるに違いない。
お昼休み。麻美はお弁当を食べると、静に会いにE組に向かった。静はクラスの友達とお喋りしていた。麻美はE組の入口から静を呼ぶ。麻美に気づいた静が廊下に出てくる。
「どうしたの」
「四校対抗戦のことで話があるんだけど、ちょっといいかな」
「いいけど、何?」
「四校対抗戦の戦い方なんだけど……」
麻美はネットで調べた対戦相手である三光高校も聖心館の実力を静に説明する。
「三光高校も聖心館も私達よりも強いから、戦術としてはカウンターでいくしかないと思うんだ。静ちゃんはどう思う」
「うん、私もカウンターしかないと思うな」
「やっぱり、しずちゃんもそう思うよね。私、ひーちゃん、珠美さんで守って、しずちゃんがワントップで攻める。そういう布陣になるでしょ。でね、でね…… 私、ひーちゃん、珠美さんは守備だけで手いっぱいだと思うんだ。点が取れるかどうかは、しずちゃんの攻撃次第だから、頑張ってね」
点が取れるかどうか、それは勝てるかどうかということだ。麻美は期待に満ちた眼差しで静を見る。しかし、静は不安そうな顔つきになる。
「大丈夫。しずちゃんの実力ならできるよ。しずちゃんは、私達を勝利に導くエースなんだから。期待してるよ」
麻美は笑顔で、ファイト、と言うと、握った右手を天井に向けて突き上げる。
「じゃあ、また、部活でね」
麻美は静かに背中を向けて廊下を歩き出す。
四校対抗戦の戦術について静と同意でき、期待も伝えられたことで麻美は肩の荷が下りた気がした。しかし、下りた肩の荷が静の肩にのしかかったことに気づいていなかった。だから、麻美の背中を見つめる、静の不安に満ちた視線にも気づかなかった。
「…… また、私なの……」
か細く震えた静の声は空気に溶けるように消えていった。
放課後。部活を始めてすぐ、最近の恒例となっている麻美の厳しい注意が飛ぶ。碧と翡翠は、またか、という感じで不快感を表に出すようになっていた。珠子は不快感を表に出すことは無かったが、委縮し、麻美を恐れるようになっていた。
三人の態度の変化に麻美も気づいていた。しかし、四校対抗戦で勝つためには厳しい注意は必要であり、ある程度の反発はしょうがないと麻美は諦めていた。
ただ、麻美が気になったのは静の様子だった。静は元気がなく、精彩を欠いている。
「しずちゃん、どうしたの? 体調悪いなら休んでていいよ」
麻美が静かに声をかける。
「うん。ごめん。ちょっと今日は早退するね」
静の表情がすぐれないので、やっぱり、体調悪かったんだ、と麻美は心配にする。
「無理しないでね。しっかり休むんだよ」
「うん。ありがとう」
静は力の無い声でそう言うと、練習を中断して早退した。
翌日の金曜日、静は学校には来ていたが、体調がすぐれないからと部活は休んだ。土曜日、日曜日は練習する場所が確保できず、部活は休みになった。ほとんどコートを使った練習ができないまま、麻美達は四校対抗戦を迎えることになった。
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