五章 フレンドリーマッチ

 翡翠がフットサル部に入ってから十日間が過ぎた。部員も四人となり、麻美が一人でやっていた時とは比べ物にならないほど練習も活発になってきた。

 ある日の部活終了後、用具の片づけをして体育館を出て行こうとした麻美を顧問の柊が呼び止めた。柊は顧問としていつも部活に顔を出しているが、普段はほとんど口出ししないので珍しいことだった。麻美は静たちと別れ一人で体育館に残った。

「十一月に四校対抗戦があるんだけどフットサル部は参加する?」

 四校対抗戦は、麻美達が通う桜川高校の近隣にある四つの高校で行われる体育会系部活の対抗戦だ。四校のうち二校には女子フットサル部があり、毎年対抗戦を行っている。麻美達のフットサル部に五人の部員がいれば三校による対抗戦が実現できる。しかし、部員が今の四人のままでは参加は不可能だ。

「残念ですけど人数がたりないから…… 今のところ不参加です」

「そう。じゃあ、とりあえず不参加で返事しておくね。まだ事前調査で、三週間前までなら参加に変えられるから人数が揃ったら教えて」

 そう言って柊は体育館を出て行った。

「試合か…… やりたかったな……」

 人数が足りないことを麻美は残念に思った。フットサルで一番楽しいのは試合だ。しばらく部員集めに奔走していて忘れていたが、柊に言われて無性に試合がやりたくなった。


 麻美達は四人揃って校舎を出た。碧と翡翠は自転車通学なので校門の前で別れた。麻美と静は最寄の駅に向かって歩く。

「ねえ、しずちゃん。試合したくない」

 歩きながら麻美は静に話しかけた。

「それはしたいよ。でも、あと一人足りないよ」

「そうなんだよね」

 麻美は大げさにうなだれる。

「試合と言えば、中学の時、しずちゃんは麗華さんと対戦したんでしょ。その時の話、聞かせてくれない」

「……なんでそんなこと聞くの」

 静は前方を見つめたまま言った。話したくない、とい態度がありありと出ている。以前にも静に麗華のことを尋ねたことがある。その時も今みたいに話したがらなかった。

「なんで、て言われると困るんだけど、静ちゃんのこともっと知りたいなと思ったんだよ」

「前にも言ったけど、あまり話したくないんだ中学の時のことは。ごめん……」

 静は麻美がいる方とは逆側に顔を向ける。静の長い黒髪が障害物になり、麻美からは静の表情が見えなくなる。

「うーんと…… ごめんよう」

 麻美は軽く静かに体を当てる。変なこと聞いてごめん、という麻美的スキンシップだ。

「あ、満月」

 静が空を指差す。暗くなった空に丸い月が浮かんでいる。

「しずちゃん、話の流れがおかしくない」

 麻美は半眼になって静に、じと、とした視線を浴びせる。

「今、私が謝ったんだよ。漫画とかドラマなら、そんな謝る必要なんてないよ、だって、私達友達でしょ、て台詞が出てくるシチュエーションだよ」

「漫画とかドラマはあまり見ないから…… あ、球蹴りのプリンス、に出てくる台詞なの」

「そうじゃないよ。私が言いたいのは、お月様の話をする状況じゃ無いでしょ、てこと。それともなに、静ちゃんは十五夜には月に戻らないといけない、かぐや姫なの」

 自分で言いながら、しずちゃんはかぐや姫が似合いそう、と思った麻美だった。

「かぐや姫より、うさぎさんの方がいいかな」

 静が麻美の方を向いて微笑した。静の笑顔はうさぎより可愛いかった。

 そんな話をしていたら駅に着いた。麻美と静はそれぞれが乗る電車のホームに別れた。

 ホームに続く階段を降りていた麻美は、ふと、気づいた。

「しずちゃんの奴、わざと変なこと言って話をはぐらかしたな……」

 麻美の気づきは正解だった。

十九時少し前に麻美は自宅に着いた。二階の自分の部屋で制服から部屋着に着替える。夕食まで時間があったので、勉強机の上にあるノートパソコンを起動してインターネットでフットサルの大会について調べる。

 フットサルコートを時間貸ししている各施設では定期的に大会を主催している。麻美の家や桜川高校の近くにあるフットサルコートの施設でも大会を開催していた。

「試合したい、試合したいぞ」

 試合がしたい衝動に駆られ、麻美は各施設のホームページを調べていく。

 麻美達が試合をするとなると他校との練習試合や高校の部活を対象としたいわゆる公式戦と呼ばれる大会や、今見ているような一般人対象の大会が考えられる。

 一般人対象ではチームのレベルに応じた上級者向けと初心者向けの大会がある。麻美と静は経験者だが、碧や翡翠は素人だ。五人目が経験者か素人になるかは分からないが、最初の試合は、比較的敷居が低い、初心者向けの大会に出るのがいいと麻美は考えていた。

「おっ! これいいかも」

 近くにあるフットサルコートの施設が行っている初心者の女子チームを対象としたフレンドリーマッチの募集を麻美は見つけた。フレンドリーマッチとは、いわゆる練習試合だ。大会とは違うので勝ち負けにそこまでこだわらずに、和気あいあいとした雰囲気でフットサルが楽しめる。

「う~ あと一人いれば参加できるのに。この際、円ちゃんを無理やり出させるかな」

「ごはんだよ」

 部屋の外から啓太の声が聞こえた。麻美はノートパソコンをスリープにして、部屋を出た。呼びに来た啓太と一緒に一階のリビングダイニングに行く。

 リビングダイニングの食卓には夕食が並べられていた麻美、啓太、母親の三人は自分達の席につき、いただきます、と言って食事を始めた。

 会社員の父親が返ってくるのは二十一時過ぎになるので、美浦家では専業主婦の母親と麻美と啓太の三人で先に夕食を食べるのが習慣になっている。

「ねえ、麻美、これ見て」

 母親が良く通る大きな声で話し出す。これが地声なのだ。

 母親は戸棚に置いていたスマートフォン取り、画面を麻美に見せる。体育館の舞台で劇の練習をしている写真だった。その舞台には見覚えがる。昔麻美が、今は啓太が通っている地元の小学校だ。舞台の中央にいる子がミニのワンピースを着て刀を構えている。

「真ん中にいるの、敬ちゃんが女装してるのよ。似合ってるでしょ」

「え!?」

 驚いた麻美は横にいる啓太を見る。

「なんであんた女装なんてしてるの」

「劇だから」

 啓太はぶっきらぼうに答えた。女装が恥かしいのか、話題を避けたいようだ。

「学芸会で男の子が女装、女の子が男装して、現代版の忠臣蔵をやるんですって」

 母親が嬉しそうに説明する。

 どんな学芸会よ、と麻美は呆れる。男女が役柄を入れ替えるというのはネタとしてはありだが、小学校の学芸会には合わないだろう。それにやるのが忠臣蔵とは渋すぎる。というか、現代版としてアレンジを加えても小学生の劇になるのだろうか?

「それにしても似合ってるでしょ、敬ちゃんの女装。ほんと、女の子みたい」

 母親はうっとり、とスマートフォンの画面を見つめる。

 啓太は背が低く、ほっそりしているので体格的には女子としておかしくない。それに、肌の色も結構白くて女装に向いている。本人は喜ばないだろうが……

「でも、何でお母さんこんな写真持ってるの」

「骨山さんがPTAの仕事で小学校に言っていた時、偶然練習を見たんですって。それで写真を撮って送ってくれたのよ」

 母親が小学校のPTAの役員をやっていることを麻美は思い出した。PTA役員の連絡用のLineがあって、そこには、公私問わず色々な情報が出回っているらしい。

「もういいじゃん」

 啓太が母親の手からスマフォを奪い、画像を閉じる。スマフォを机の端に置き、啓太は勢いよくご飯を口に入れ、五分とかからずに夕食を食べ終えた。

「ごちそうさま」

 啓太は椅子から立ち、二階にある自分の部屋に行ってしまった。

「あらら、怒らせちゃった」

 そう言いつつ母親はのんびりご飯を食べている。あまり悪いと思っていないのだろう。

「啓太も六年生なんだし、あんまりからかったら可哀想じゃない。お母さんはさ、もう少し相手の気持ちを考えた方がいいと思うよ」

「ちゃんと考えてるわよ。でなきゃ、毎食家族が食べたがっている物なんて作れないのよ」

 母親は鶏の唐揚げをほくほく食べる。実に美味しそうだ。我が母ながら、いい性格してるなと麻美は思った。


 夕食後、食器を洗うのを手伝ってから麻美は自分の部屋に戻った。麻美は勉強机に置いてあるノートパソコンを起動する。

 啓太の女装姿を見た時、麻美はフットサルの試合に出る方法を思いついた。啓太を女装させて女子として試合に出すというものだ。しかし、啓太はが反対するのは目に見えている。何か策を講じなければならない。その為の情報をインターネットで探す。

「ま、こんなもんかな」

 必要な情報を集めた麻美は部屋を出る。麻美の部屋の隣が啓太の部屋だ。

「啓太、話があるんだけど」

 麻美は啓太の部屋の扉をノックする。部屋の扉が開き、啓太が顔を出す。

「何?」

「入るよ」

 麻美は啓太の部屋に入る。啓太がベッドに座ったので麻美は啓太の勉強机の椅子に座る。

「あのね、お願いがあるんだけど」

 麻美は猫なで声を出す。

「やだ」

 啓太が即答する。

「ちょっと、話も聞かないで断るなんて何よその態度」

 早々に麻美は猫なで声から普段の声に戻る。

「お姉ちゃんがそういう変な声を出す時は、ろくなことが無いから」

 こいつ、知恵をつけやがって、と麻美は弟の成長を苦々しく思った。

「じゃあ、単刀直入に言うよ。フットサルの試合に出て欲しいんだけど、どう?」

「フットサルの試合?」

 少年フットサルをやっているだけあって啓太が興味を示した。

「そう。お姉ちゃんの高校のフットサル部で、フレンドリーマッチに出ようと思うんだけど人数が一人足りないんだよ。だから、啓太に出て欲しいわけ」

「ミックスなの?」

 啓太が言ったミックスとは、男女混合チームで試合をする形式だ。

「ううん。女子限定」

「それじゃあ、僕は出られないじゃん」

「だから、あんたは女装して出るの」

「やだ!」

 啓太が断固拒否する。しかし、啓太が拒絶することくらい計算済みだ。啓太を説得する為にインターネットで情報を集め、万全の作戦を考えてきたのだ。

「来月、球蹴りのプリンスの最新刊が発売だよね。その五日後にはビジュアルファンブックが発売だよね。そしてそして、その後、小説とゲームが続けて出るよね」

 麻美は一気にまくしたてる。インターネットで調べた情報だ。

「啓太、これ全部が欲しいでしょ。でも、全部を買うお金は無い。どれを諦めるかずっと迷ってるでしょ。もし、あんたが試合に出てくれたら、私が全部買ってあげるよ」

「出る!」

 啓太がさっきの返答を百八十度変える。小学生の財力の無さをつく作戦は大成功だ。しかし、こうやって汚れた大人になっていくんだな、と麻美は人生の無常を味わっていた。


                   ※


 十月の第一週の日曜日。ジャージを着た麻美と啓太は家から自転車で三十分程の所にある屋内のフットサル場に来た。一階にクラブハウスがあり、コートは二階と三階にある。麻美と啓太は自転車を駐輪場に止めてクラブハウスに向かう。ここで行われる初心者の女子チーム限定のフレンドリーマッチに麻美たちは出るのだ。

 啓太に女装して大会に出ることを承諾させた翌日、麻美は学校で静、碧、翡翠に大会に出よう、と誘った。足りない一人は小学生の妹を連れて行く、と麻美は説明した。

 試合ができるならやった方が良い、と静は積極的に賛成した。碧と翡翠も試合をやってみたいと乗り気だったので、麻美はその日のうちにフレンドリーマッチ参加の手続きを行った。啓太の女装について、万一ばれた時に自分一人の責任にするため麻美は誰にも言わなかった。

 クラブハウスに入り、麻美は周囲を見る。さっき連絡があり、静、碧、翡翠はもう着いているとのことだ。クラブハウスの奥の方に私服姿の静、碧、翡翠を見つけた。

「お待たせ」

 麻美は三人の傍に行く。後ろから啓太がついて来る。啓太にはセミロングのウィッグを付けさせている。前髪は目元までかかるようにしてあり、サイドは耳や輪郭が隠れるようにしている。

 ウィッグをつけた啓太は、麻美も驚くほどの女の子に変身した。これならぱっと見はもちろん、じっくり見ても男子だとはばれない。

「そちらが小学生の妹さん?」

 静が啓太を見る。碧や翡翠も啓太を見る。

「そだよ。妹の啓」

 麻美は後ろにいた啓太を自分の前に連れてくる。啓太が静達に会釈した。

「今日はよろしくね、啓ちゃん」

 静が少し腰をかがめて啓太に話しかける。

「あ、はい」

 啓太はもじもじしながら答える。

「あ、ごめん。ちょっと人見知りがちなんだ」

 麻美は啓太を自分の背中の方に引っ張る。

 啓太は特別人見知りというわけではない。しかし、下手に喋ると女装がばれる可能性が高くなる。そこで啓太にはあまり喋るなといってある。喋らなくても変に思われないように、人見知りな性格、という設定も考えてきた

「私が受付しておくから、しずちゃん達は着替えてきなよ」

 女子を対象にしたフレンドリーマッチなので更衣室は女性用しかない。そんな所で啓太に着替えさせるわけにはいかないので麻美と啓太は家で着替えてきていた。帰りもここでは着替えず、ジャージのまま帰るつもりだった。

「そう。じゃあおねがい。碧、翡翠、行きましょう」

 静は碧と翡翠を連れて更衣室に向かう。こういうフットサルコートの施設を使うのは初めてであろう碧と翡翠はきょろきょろと周りを見ていて、どこか落ち着かない感じだった。

「啓太…… じゃない、啓、受付してくるからここにいて」

「わかった」

 麻美は啓太を待たせ、一人でクラブハウスの受付に行く。お金を払って参加の手続きをすませる。受付をしている人から、アップ用にとフットサルボールを二個渡された。

 受付を終えて少し待っていると、ユニホームに着替えた静達が更衣室から出てきた。

 碧と翡翠は、薄い桃色を基調に濃い桃色で描かれた桜模様が散りばめられたユニホームを着ている。パンツは白で、ソックスは薄い桃色だ。これが桜川高校フットサル部のユニホームだ。静はゴレイロ用の薄緑を基調に濃い緑で描かれた桜の葉が散りばめられたユニホームを着ている。

 手が使えるゴレイロは他のプレイヤーと区別するためユニホームが一人違う。本来はゴレイロの碧が専用のユニホームを着るのだが、今日は静がゴレイロをやる予定なので二人はユニホームを交換して着ている。

 静、碧、翡翠の三人にとってはユニホームの初おろしの日だ。

 啓太には麻美が持っている長そでのユニホーム着せた。啓太にはサイズが大きいが、着れないこともなかったので良しとした。

 今まで体育館履きで練習していた碧と翡翠は今日に合わせて専用のシューズとシンガードを購入した。そのシューズとシンガードもしっかり身に着け、準備万端だ。

「試合は四十分後からだから、コートに行ってアップしよう」

 麻美達は施設の二階に行く。二階の体育館にはフットサルコートが二面あった。麻美達はコートの空いている所で準備運動をする。その後、パスやシュートをしながらボールを蹴る感覚を確認する。 

 コートの別の所では、他の三チームがアップしていた。フレンドリーマッチには麻美たちを含めて四チームが参加していた。一回の試合時間は前半十分、後半十分。全チームと対戦できる総当たり形式で進めていく。

 試合開始時間の十分前になったので麻美はアップを終了してベンチ前に全員を集める。

「私たちの初めての試合だから、うまくいかないことは沢山出てくると思う。けど、それは当然のことだから気にしないで、今日は楽しくやっていこう」

「そうだな、思いっきりはじけるのが一番だよね」

 翡翠が麻美の言葉に同調する。静、碧も頷く。

「じゃあ、ポジションを確認するよ」

 ポジションは昨日の部活中に決めた。サッカーでいうキーパのゴレイロを静。フィールドは、一番後ろのフィクソが麻美。麻美の前のポジションであるアラの、右サイドに碧、左サイドに啓太。一番前のピヴォが翡翠。

 麻美、碧、啓太、翡翠の配置を上から見るとひし形になる。これは、フットサルのオーソドックスなポジション配置の一つだ。

 本来、碧がゴレイロで静がアラだ。しかし、経験者の、それもかなり上級者の静を本来のポジションで起用しては初心者向けのフレンドリーマッチのレベルに合わなくなる。そこで、静はゴレイロにした。静もゴレイロの経験は無いので、ある意味初心者だ。

 麻美も経験者であり本来のポジションをやることは問題がある。しかし、麻美と静の二人でゴレイロをやるわけにもいかないので、これはしょうがないと割り切った。ただ、ハンデとして麻美は利き足の右足を使わない、という制限を自分に課した。初心者相手に経験者の自分が本気を出すのは、やはり気まずい。

「みんな。整列しよう」

 審判がコートに出てきたので麻美達もコートに出る。コートの中央で相手チームの選手と向かい合って整列する。相手チームは麻美達よりも年上に見えた。大学生だろう。

 審判が諸注意を手短に話す。審判は大会を運営している施設の職員だ。麻美が相手チームのキャプテンとじゃんけんをして、攻める方向と、どちらが先にキックオフするか決めた。前半は相手チームのキックオフでスタートだ。

 麻美達と相手チームは、おねがいします、と礼をして、それぞれのポジションに散った。

 試合開始を告げる審判の笛が鳴る。相手チームのキックオフで試合が始まった。

「ひーちゃん」

 麻美が翡翠のあだ名を叫ぶ。ボールを持っている相手にプレッシャーをかけて、という意味だ。

「おう」

 麻美の指示に応えて翡翠がボールを持っている相手選手に向かって飛び出す。翡翠のスピード感あるプレッシャーに驚いた相手は慌ててボールを蹴る。しかし、狙いが定まっておらず、誰もいない所にボールは転がる。ボールに最も近い所にいた啓太がトラップする。

「啓!」

 翡翠が啓太の名を呼び、相手ゴールに向かって走り出す。すかさず啓太は翡翠にパスを出す。ボールをトラップした翡翠がドリブルする。しかし、ゴール前にいた相手のフィクソの選手が翡翠の前に立ちはだかる。翡翠がフィクソの選手を抜こうとするが抜けない。そうこうする間に、周りにいた敵が翡翠を取り囲みにくる。

 早くボール離さないとまずいよ、ひーちゃん、と麻美は焦る。

「神宮さん!」

 右サイドにいた碧が声を出す。敵選手が翡翠を取り囲みに行ったため、碧のマークが手薄になりフリーになったのだ。

「碧」

 翡翠が碧にパスを出す。ポンポン、と小さくバウンドする雑なパスだった。もっといいパス出さないと受けとる側が大変だよ~ と麻美は内心悲鳴を上げた。しかし、碧は麻美の想像以上にうまいトラップでボールを足元におさえた。

 ゴール前で碧と相手のゴレイロが一対一の状況になる。

「あおちゃん、シュート!」

 麻美は叫んだ。ゴレイロと一対一の状況は、絶好のシュートチャンスなのだ。

 碧がシュートを打つ。コース狙う技術はまだ無く、とにかく思いっきり蹴ったシュートだった。案の定、相手ゴレイロの正面に飛んでいる。しかし、低空のシュートは案外スピードがあり、相手ゴレイロの股の間をうまくすり抜け、ゴールに入った。

 審判がゴールを告げる笛を吹く。

「ナイスシュート! あおちゃん」

 麻美は碧に駆け寄り右手を上げる。ハイタッチのジェスチャーだ。

「そんなに騒ぐことではありません。マヤ節で予言されていたことです」

 碧は落ち着いて、麻美の上げた右手にタッチした。

「なんだ、なんだ、もっと喜んでいいのに」

 翡翠が碧に抱き着く。

「ですから、元より決まっていたことです。必要以上に喜ぶべきことではありません」

「そんなこと言って、本当は嬉しいくせに」

 翡翠が碧の脇腹を肘でつつく。

「い、いえ、べ、別にそんなこと」

 冷静な口調だった碧がどもる。あ、照れ隠しだ、と麻美は思った。顔にこそ出していないが、碧もゴールしたことに喜び、興奮しているのだろう。


 出会いがしらにゴールを決めた麻美達だったが、その後はしばらく膠着状態が続いた。

 相手チームはメンバーのほとんどが初心者らしくドリブルもパスもなっておらず、ミスのオンパレードだった。しかし、碧と翡翠も負けず劣らずミスを多発していた。麻美は経験者という立場から、遠慮してあまりプレーには関わらなかったので、初心者対初心者という構図が出来上がっていた。

 フットサルのレベルとしては低いが、麻美達も相手チームも真剣にプレーしていて一進一退の攻防が続き、試合は白熱した。そんな中活躍したのは啓太だった。

 小六の男子とはいえ麻美より体の小さい啓太が大学生の女子を相手に活躍できるとは想像していなかった。だが、啓太は豊富な運動量でコートを走り回って至る所でボールに絡み、相手の攻撃を潰していた。

 啓太の活躍もあり、麻美達は前半を三対一とリードして折り返した。得点したのは一点目が碧、二点目、三点目が翡翠だった。

「皆いい感じだよ。この調子で後半もいこう」

 ハーフタイム中ベンチで、家から持ってきた水筒のスポーツドリンクを飲みながら麻美が皆に話す。

「それは良かったです。ですが、私は結構疲れました。後半は省エネモードでいきます」

 ベンチに座り、ぐったりしている碧が呟いた。前半飛ばし過ぎたようだ。

「私は大丈夫。体力には自信あるんだから。いざとなったら碧の分も動いちゃうよ」

 二得点して気分をよくしているのか翡翠が楽観的に答える。

「元気なのはいいけど無理はしないようにね。私達は交代がいないんだから、体力配分も考えないと駄目だよ」

 静が翡翠にくぎを刺す。

「大丈夫、大丈夫。静は心配性だな。月並みな言い方だけど、老けちゃうよ」

「あのね、翡翠たちが心配かけさせるからでしょ。私が老けたらあなた達のせいよ」

「はい、ストップ、ストップ」

 翡翠が静をからかい、静が言い返すのは部活中もよくあることなので麻美は冷静に二人の間に入り、言い合いを止める。最初は二人が言い合うたびに、おろおろ焦ったものだが、最近はまったく動じない。慣れたものだ。

 一つ不思議なのは、よく言い合う二人だが、決して仲が悪いわけでは無いことだ。喧嘩するほど仲がいいというが、仲が良いから軽口も言いえるのだろう。

 ハーフタイムが終わり審判がコートに出てくる。麻美達もコートに出た。

 後半が始まり、数分が立った頃碧がほとんど動かなくなった。体力の限界が来たのだろう。後半の中頃から、翡翠の運動量も落ちてきた。一方、相手チームは随時交代していて体力の低下は見られなかった。

 次第に体力的な差が現れ、麻美達が攻められる時間が増えた。だが、経験者の麻美と啓太は体力的には余裕があった。麻美と啓太の二人で効果的に守備をして、相手の攻撃に耐えた。試合終了間際に一失点を喫したが、結果は三対二で麻美達は初戦を勝利で飾った。

 次の試合は麻美達以外の二チームで行われ、麻美達は休憩の番だった。

「疲れた~」

 翡翠はコートの脇にあるベンチに勢いよく座り込む。

「私も三日分は動いた気分です」

 翡翠の隣のベンチに碧もぐったりと座り込む。

「大げさだな、あおちゃんは」

 麻美は腰に手をあて、呆れ顔で翡翠と碧を見る。

「二人とも練習が足りてないってことね。明日から体力トレーニングを増やさなくちゃ」

 静が鬼コーチめいたことを言う。静の発言を聞いた碧と翡翠はげんなりした表情になる。

「翡翠たちはさておき、啓ちゃんはよく頑張ったね」

 静が翡翠たちから視線を啓太に移す。

 あ、はい、と、啓太は小さく頷く。声変わり前の啓太は普通に話していても高い声で、今はさらに意識して高い声にしているので、女の子の声として何ら遜色ない。

「きっと、普段からちゃんと練習してるからだね。翡翠と碧も敬ちゃんを見習いなさい」

「わーかったから、少し休ませて」

 翡翠が開いている隣のベンチも使って横になる。

「右に同じです」

 碧も、翡翠 とは逆側の空いているベンチも使って横になる。

「次の試合まで休んでていいけど、試合前にはちゃんと体を動かすんだよ。休んでいきなり動くと怪我の元だからね」

 麻美は碧と翡翠に注意する。疲れているときほど怪我をしやすいのだ。

 

 翡翠と碧が休んでいる横で麻美と静は次の試合のポジションを相談していた。

 次の試合では翡翠と碧を休ませる為、二人にゴレイロをやってもらうことにした。前半が碧で、後半は翡翠だ。そして、前半は碧の代わりに静がアラに入り、後半は翡翠の代わりに静がピヴォに入ることにした。麻美と啓太は同じポジションをやることにした。

 二試合目は一試合目よりも弱いチームだった。それだけに麻美も静も本気を出さず様子見のプレーをしていた。

前半の中程、静からのパスを翡翠が決めるというパターンで二得点をあげた。一試合目に引き続き、翡翠はよく動き、活躍していた。

 前半の間に碧も元気になってきたので、後半は碧と翡翠のポジションを替えた。碧は果敢に動き、一得点をあげた。試合は三対〇で麻美達が快勝した。

 次の試合は他の二チームの番なので、麻美達はコート脇のベンチで休憩する。

「やっぱり勝つと気持ちいいな」

水筒のスポーツドリンクを飲みながら翡翠が陽気に話す。

「ひーちゃんの動き、良かったよ。シュートも沢山決めたしね」

 麻美もいい気分で水分補給する。経験者の自分と静がいるからぼろ負けはしないと思っていたが、ここまで快勝できるとは正直予想していなかった。

「いやーそんな褒められると照れるな。まあ、それほどでもあるけどさ」

「そんな浮かれてると足元救われるよ」

お約束のように静が翡翠に釘をさす。

「そんなにネガティブにならなくてもいいんじゃないか。本当に静って心配性だよね。胸はでかいくせに気は小さいんだから」

「む、胸は関係ないでしょ!?」

 気にしていることを言われたのか、静はいつも以上にムキになって言い返す。

「そんな怒るなよ。巨乳だってほめてるんだからさ」

 翡翠はおもむろに水筒をベンチに置くと、目にも止まらぬ速さで腕を伸ばし、静の胸を掴んでモミモミする。

「おお、見た目以上にでかいな」

「ちょっと、やめなさいよ、変態。あなただって大きいくせに」

 やられたらやり返すのが信条なのか静は翡翠の胸に腕を伸ばし、モミモミし始めた。

「お、やるか」

「なによ」

 翡翠と静はむきになってお互いの胸を揉み合う。その姿は倒錯的で、なんかこれおかしい、と麻美は思った。

「ふむ。お二人はそういうジャンルですか」

 マイペースに水分を取っていた碧が怪しく笑う。

 まあ、そのうちやめるだろう、と呆れていた麻美だが、横にいる啓太が顔を真っ赤にして俯いているのに気付き、これはまずいと思った。

「二人ともやめなさい。教育に悪いでしょ」

 麻美は静と翡翠の腕を掴み、お互いの胸から離す。

「……ごめん」

 我に返った静がしおらしく謝る。

「おっとっと、敬ちゃんには刺激が強かったかな」

 静とは違い、翡翠はあっけらかんとしている。全く反省の色が見えない。

「まったくもう。二人とも少し大人しく試合を見ていなさい」

 麻美に言われ、静と翡翠は、はーい、と答え、その後は特に言い合うことなく試合を見ていた。

 休憩が終わり、最後の試合が始まった。最後の試合のポジションは、最初と同じく静をゴレイロに、麻美をフィクソに、碧と啓太をアラに、翡翠をピヴォにした。

 今までの二試合で試合に慣れたのか、翡翠と碧から無駄な動きが減り、効果的な動きが増えてきた。特に翡翠は持ち前の高い運動能力を活かして活躍した。

 麻美と啓太の的確なフォローもあり、四試合目も前後半をリードで折り返した。

後半、麻美と静が交代し、麻美がゴレイロをやった。翡翠と碧には疲労の色が見えたが、最後の試合だったので、二人共後半もフィールドで出すことにした。

 体力的にきついにも関わらず、翡翠と碧は試合の最後まで走りきった。試合の方も、後半に追加点を入れ、勝利した。

 全試合に勝利し、翡翠と碧は興奮気味に喜んでいた。麻美も勝利という結果は嬉しかった。しかし、どこか物足りなさも感じていた。

 初心者向けの試合なので麻美は手を抜いている。それは本気を出せば勝てるという余裕の表れでもある。そんな保険がある状態だから、物足りないと感じるのだ。だが、しょうがないことだ。麻美や静は経験者でも、チームはできたてほやほやだなのだ。碧と翡翠に経験を積ませるために、初心者を対象とした試合から始めるのは悪いことでは無い。


 フレンドリーマッチ終了後、麻美達は帰宅の準備を始めた。

 麻美と啓太は自転車で帰るのでここでは着替えずジャージで帰る。静、碧、翡翠はシャワーを浴びてから帰るので麻美は体育館を出た廊下で静達と別れた。

「トイレ言ってくるから、ちょっと待ってて」

 静達を見送った後、啓太にそう言って麻美は近くのトイレに向かう。

 啓太は廊下の隅に移動し、ナップザックから新しいユニホームのシャツを取り出す。今着ているのは試合で使ったもので汗を吸って濡れているので新しいのに着替えるのだ。啓太がジャージの上着を脱ぎ、ユニホームも脱ごうとする。

「敬ちゃん、何やってるの?」

 シャワー室に向かっていた静が啓太の着替えに気づき、引き返してくる。

「あの…… 汗かいたから着替えようと思って」

「こんなところで着替えちゃだめだよ。誰が見てるか分からないんだから。着替えるなら更衣室で着替えよう。私達も行くから一緒に行こう」

 静は啓太の手を取り更衣室に連れて行こうとする。

「あ、あの…… ここでいいですから」

 啓太は慌てて静の申し出を断る。本当は男子なので静達が向かう女子更衣室には入れない。しかし、啓太の女装を知らない静は啓太の話に耳を貸そうとはしない。

「駄目だよ、女の子なんだから」

 静は強引に啓太を女子更衣室に引っ張っていく。

「で、でも、お姉ちゃんを待ってないと」

「それなら碧に待っててもらいましょ」

 静は横にいる碧を見る。

「啓ちゃんが更衣室で着替えてるって、麻美が来たら伝えてくれない」

「わかりました」

 碧をその場に残して、静は啓太を更衣室に引っ張っていく。

「あ、あの……」

 女子更衣室が近づくにつれ啓太の焦りが加速していく。だが、女子更衣室に行くのを断るうまい口実が思いつかないのか、あの、と連発するだけだった。

 ついに、啓太は女子更衣室に入れられてしまった。女子更衣室では試合に参加した人達が着替えていた。啓太は色々な物から目を逸らして俯く。顔が真っ赤になっている。

「シャワー室、空いてるみたいだよ。早く浴びようよ」

 翡翠が荷物をロッカーに入れてユニホームの上着とスポーツブラを脱ぐ。

「そうだね、碧には悪いけど先に浴びちゃおうか。敬ちゃんも着替えなよ」

 静もロッカーに荷物を入れて、ユニホームの上着を脱ぐ。スポーツブラも取ってユニホームと一緒にロッカーに入れる。

 啓太は石像のように硬直し、ただただ床を見ている。

「あれ? 敬ちゃん、着替えないの」

「なんだなんだ。恥ずかしがってるのか」

 上半身裸になった静と翡翠が、俯いている啓太の傍でしゃがみ、顔を覗き込む。

 二人の裸の上半身を見た啓太の顔が異常な赤さになる。そして、両目と口を大きく見開いたまま、ゆっくりとのけ反り、ばたりと床に倒れ、意識を失った。頭に血が上り、のぼせてしまったのだ。

「敬ちゃん?!」

 静と翡翠が声を上げた時、更衣室のドアが開いて、麻美が駆け込んできた。後ろからは不思議そうな顔つきの碧がついて来る。

「あー!」

 上半身裸の静と翡翠と倒れている啓太を見て、麻美が叫ぶ。状況を一瞬見ただけで麻美には啓太が倒れている理由が想像ついた。

「麻美、どうしよう、敬ちゃんが突然倒れちゃって……」

 困惑の表情の静が麻美を見上げる。

「あのね、これは大丈夫。啓も疲れたんだよ。まだ小学生だし、全試合出すのは無理があったね、うん。ということで気にしなくていいからね。じゃあ、私達帰るね。またね」

 麻美は啓太をおぶり、啓太の荷物も持って更衣室から出て行く。静達の呼び止める声が聞こえたが無視して階段を降りる。ここはとにかく逃げるしかない。

 一階の出入り口から外に出る。涼しい外気に触れ、頭が冷えたのか啓太が気づいた。麻美は啓太を地面におろす。

「啓太、今見たことは全部忘れなさい。いいね、分かった」

 麻美は無理難題を啓太に命令する。しかし、啓太は素直に頷いた。啓太も色々とまずい状況であることは理解しているようだ。麻美と啓太は駐輪場から自転車を出し、脱兎のごとくフットサルコートの施設から離れた。


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