三章 二人目ゲット

 翌日の放課後。麻美は静と一緒に練習を開始した。まず、校舎の周りを走り体力トレーニングをする。次に、校庭の隅でボールを使った基本技術の練習をする。

 体育館が使える十七時三十分からは、体育館でゴールを使ったシュート練習や一対一の練習をやった。一人では持て余していた時間も二人ならば気にならなかった。

 練習時間が終わり、二人はシャワーを浴びて制服に着替える。

「やっぱり一人より二人の方が練習になるな」

 麻美はポニーテルにしていた髪をほどき、ブラシで整える。髪まで洗うと乾かすのに時間がかかるので、学校のシャワーでは髪は洗わない。

「二人いれば色々できるからね。でも、部員増やさないとね」

 静もお団子にしていた長い髪をほどき、ブラッシングする。

「明日から昼休みに勧誘をしようか。まずは麻美と私の知り合いを当たって、それから、知り合いの知り合いを紹介してもらおう」

「そうだね。そうしよう」

 着替えを終えた二人は更衣室の鍵を体育職員室に返して、帰宅した。


 次の日から、麻美と静は知り合いのつてを伝ってフットサルに興味がありそうな人を勧誘して回った。しかし、二学期ともなると、運動部に入るような人は既に何らかの部活に入っていて、今更フットサル部に入ろうという人はいなかった。

一週間、勧誘活動を続けたが、成果は上がらなかった。


土曜日の昼。麻美はクラスの友人の円と一緒に図書室に来ていた。土曜日は午前中で授業が終わる。フットサル部もお休みなのであとは帰るだけなのだが、英語の授業で、英語の小説を読み感想文を書くという宿題が出されたので英語の小説を探しに来たのだ。

「麻美、こっちに英語の本の棚あるよ」

 少し離れたところで本棚を見ていた円が手招きする。

 飼い主によばれた犬のように麻美は円の方に行く。

「私にも読める本があるといいんだけどな」

 麻美は憂鬱になりながら英語の本を眺める。麻美は英語が大の苦手なのだ。

「短めの奴がいいよね。あと、あらすじを知っているやつがいいんじゃない。映画になったやつとか、シャーロックホームズみたいに翻訳されてるやつとか」

「なるほど。円ちゃん頭いい。でも……」

 麻美は腕組みして考え込む。

「適当に選んでも、ネットでタイトルで検索して、あらすじとか感想とか書かれたページ探してコピペすればそれで宿題完了かな」

「こら、そういう悪知恵は駄目でしょ」

 円が軽く握った手で、ポム、と麻美の肩を叩く。

麻美と円は本を探しながら、本棚の反対側へと回り込む。そこに静がいた。

「あ、しずちゃん」

 本を開いて中を見ていた静が顔を上げてこっちを見る。

「麻美」

 麻美は静のことをしずちゃんと呼ぶようになり、静は麻美と呼ぶようになっていた。

「こんな所で会うなんて奇遇、でもないか。英語の宿題の本を探しに来たんでしょ」

 麻美と静のクラスの英語の教師は同じなので、同じ宿題が出ていると麻美は推測する。

「うん。家に以前読んだ本が数冊あるんだけど、この際だから新しく読もうと思って」

「えっ!!」

 英語嫌いの麻美からすると静の発言は信じられない、を通り越して嫌味ですらあった。

「うんうん。麻美にもそれくらいの意気込みが欲しいよね。悪知恵じゃなくて」

 円がまるで保護者のような雰囲気で麻美を見る。

「うぅ。酷いよ、二人とも英語ができるからって…… いじめだよ。これはれっきとしたいじめだよ。こういうの知ってるよセクハラじゃなくて、パワハラでもなくて……えっと」

「アカハラ。アカデミック、ハラスメントって言いたいの?」

 静が首を少し傾げる。

「そう。それ。それだよ。勉強できる人が勉強できない人を人間のクズみたいに言うやつ」

「君、それはアカハラの意味と違うでしょ。アカハラって、大学の教授が権力を使って学生とかに嫌がらせすることだよ」

 円がまた、軽く握った右手でポムと麻美の肩を叩く。

「私も、そういう意味だと思うよ」

 静も円に同意する。

「なによ、二人とも厳し過ぎ。二人とも鬼だよ。あそうだ。二人とも初対面だったね」

 文句を垂れていた麻美だが、唐突に話題を変える。

「こちら、私と同じクラスの沢渡 円ちゃん。それで、こっちが、フットサル部で一緒の佐々木 静ちゃん」

「あなたがフットサル部に入った人だったんだ。麻美から色々聞いてるよ」

「色々?」

 静が麻美を見る。何を話したの? という視線だ。

「ほら、二人の出会いから、心を通わせ合う仲間になるまでの熱い友情物語だよ」

「そんな大層なものじゃないと思うけど」

 麻美の大げさな表現を静は冷静に否定する。

「そんなことないよ。あんなに股間ばかり執拗に攻撃されたんだよ。あれを熱いと言わず何を熱いと言うのか。あんな攻撃されたらたまらないよ。もう泣いちゃうよ」

「股間を攻撃って……」

 円が冷たい軽蔑の眼差しを麻美と静に向ける。どうやら変な想像をしているようだ

「麻美! 誤解を招くから変な言い方しないで。私が股抜きのドリブルであなたを何回も抜いただけでしょ。これだけのことがどうしてそんな変な言い方になるの」

 円の想像を察したのか、静が慌てて説明する。

「沢渡さん。別に変なことは何もないから。変なのは麻美の頭だから」

「うわ、ひどい!」

 麻美は驚いたパンダの顔真似をする。結構似ていた顔芸だが、静も円も気づかなかった。

「うん。何となく分かる気がするよ、静さん。麻美が変なのね」

「こっちも、ひどい!」

「静かにしてください」

メガネを掛けたショートカットの女の子が麻美達の傍に来て注意する。

「すいません……」

 麻美、静、円はしおらしく謝る。つい騒いでしまったことを三人共反省する。

 眼鏡をかけたショートカットの女の子は図書の貸し出しをするカウンターの席に戻って行った。図書委員なのだろう。

 麻美達は騒がしくしないように気をつけながら英語の小説の本を探した。

カウンターでさっき注意された女の子に貸し出しの手続きをしてもらった。本を渡されたとき、麻美は女の子の制服のタイを見た。麻美達と同じ、一年生を示す青色だ。

 麻美と静と円は本を借りて帰宅した。


 翌日の日曜日。麻美は四歳違いで小学六年生の弟の啓太と一緒に郊外にあるイベント会場に来ていた。ここでは、球蹴りのプリンス、というフットサルを題材にした漫画のイベントをやっている。

 球蹴りのプリンスは子供から大人まで男女を問わず人気があり、アニメ、舞台、小説、映画と多くのメディアに進出しており、イベントも頻繁に行っている。

 弟の啓太も球蹴りのプリンスの大ファンだ。球蹴りのプリンスの影響で小学三年生の時にフットサルを始めたほどだ。イベントにもちょくちょく来ている。しかし、まだ小学生なのでイベント会場が遠い時には一人では行けず、母親や麻美がついていく。今日は母親の都合が悪かったので、啓太にお願いされ、麻美がついて来てあげたのだ。

「お姉ちゃん、エクストラエピソードあっちでやってる」

 弟の啓太が麻美の腕を引っ張り特設の大スクリーンの方に走る。啓太の一番の目的は特設スクリーンで放映される、イベント限定のエクストラエピソードなのだ。

「はいはい。今行くから。そんな引っ張らないで」

 麻美は啓太に引っ張られながら、小走りに特設スクリーンの方に向かう。

 啓太は背が低く、ちょこまか走る姿が可愛い。声変わり前なので声も高く、小学三年生や四年生くらいによく間違われる。

 麻美自身は、球蹴りのプリンスにはそれほど興味は無い。主人公の名前や、おおよそのストーリーくらいは知っているが、その程度だ。あくまで今日は啓太の付き添いだ。

 特設スクリーンの会場に用意された椅子に座り、麻美は啓太と一緒にエクストラエピソードを見た。

 球蹴りのプリンスはフットサル部に所属する五人の男子高校生が全国優勝を目指し、ライバル達と戦い成長していくスポーツ根性ものだ。

 主要キャラは特訓の末に習得した必殺技を持っている。その必殺技の応酬による逆転逆転また逆転の熱い試合展開が男性の心を掴み、主人公の白陽翔をはじめとする登場人物のイケメン振りで女性の心を掴んでいる、とある書評には書かれていた。

 エクストラエピソードの後、原作者と声優たちのトークショーを見て、啓太は仮設の店舗にグッズを買いに行った。店舗の周りには人だかりができていたので、麻美は少し離れた所で啓太が戻って来るのを待っていた。

 何気なく辺りを見ていた麻美はコスプレをしている人達に気づいた。そちらは年齢層が高めで大学生くらいの人が多い。キャラクターのコスプレをした人たちがポーズをとっていて、周りに人だかりができている。一眼レフのカメラを構え撮影している人達もいる。

「お姉ちゃん、終わったよ」

 キャラクターの絵が描かれた紙袋を両手に持った啓太が麻美の所に戻ってきた。

「じゃ、帰ろうか」

 麻美と啓太は出口に向かう。歩きながら麻美はコスプレしている人達を眺める。コスプレエリアにはフットサルゴールやボールも用意されていて、ペナルティエリアまで白色のテープで描かれていた。

 一際注目を集めているコスプレの人がいた。半そでのユニフォームの下に長そでのアンダーシャツを着て、ハーフパンツを穿いている。ソックスはひざ上まで上げている。手には専用の手袋をしている。サッカーで言うキーパーに相当する、ゴレイロ、の格好だ。

 赤髪の鬘を被り男の恰好をしているが、胸の膨らみから女性だと麻美は気づいた。よく見ると麻美と同年代の子だ。 

 あれ……? あの人、見たことある……

 ゴレイロの恰好をしている子に見覚えがあった。麻美は目を凝らして見つめる。

「あっ!」

 麻美は手を叩く。思い出したのだ。昨日図書館で麻美達に、静にしてください、と注意した図書委員の子だ。今は眼鏡を外しているから雰囲気が違うが、面影がある。

 麻美の頭の中で、球蹴りのプリンスが好き→フットサルにも興味ある→フットサル部に入る可能性大! という我田引水的な数式が成り立つ。

「啓太、ちょっと待ってて、あの人と話してくる」

 麻美はコスプレしている人達の方に向かう。待ってて、と言ったのに啓太もついて来る。

「あの人って、百雹 朧の恰好してる人」

 百雹 朧球は蹴りのプリンスの主要キャラの一人だ。ポジションはゴレイロで、麻美が話しかけようとしている図書委員の子がコスプレしているキャラだ。

「そう。百雹の恰好してる人」

 麻美は人垣の隙間を縫って、百雹 朧のコスプレをしている図書委員の子の前に行く。

「こんにちは。私、昨日、図書館であなたに注意された美浦麻美だけど、覚えてる?」

 突然目の前に躍り出てきた麻美を、図書委員の子は面倒くさそうに見る。

「覚えてるけど、何だい?」

「フットサル部に入らない。球蹴りのプリンスに興味あるなら楽しめるよ、きっと」

 図書委員の女の子は赤髪の鬘の前髪をかきあげ、ふっ、と気障な感じで鼻で笑う。

「俺を誘うとは見る目はあるようだな。だが、俺を本気にさせる熱い魂がお前にあるかな」

 びしっ、と図書委員の女の子が麻美を指差してくる。図書委員の女の子の台詞を聞いた周りの人達が盛り上がる。熱い魂があるかと言われて引き下がれる麻美では無い。

「もちろん。私の魂は灼熱のマグマよりも熱いんだから、受け止められるかな」

 図書委員の女の子の劇画ぽい台詞に麻美も合わせてみる。

「いいだろう。なら、その魂を俺に見せてみな」

 図書委員の女の子は足元にあるフットサルボールを掴み麻美に放る。麻美がボールを受け取るのを見て図書委員の女の子はフットサルゴールの前に行く。

「PK一本勝負だ。俺からゴールを奪えたらフットサル部に入ってやろう」

「言ったね。その言葉忘れないでよ」

 麻美はペナルティーマークにボールを置く。裾が長いスカートを着ているので蹴り難さはあるが、PKはキッカーが圧倒的に有利。必ず決める、と麻美は気合いをいれる。

 周囲で麻美達の勝負を見ている人達の間からは、百雹、百雹、という声援が起きていた。声援の中には、アンジェリカ、アンジェリカ、という声も混じっている。

「行くよ」

 麻美は図書委員の女の子に言う。

「こい」

 図書委員の女の子が腰を落とし、両手を広げて構える。

 麻美はペナルティーマークに置いたボールを見る。インサイドでボールの右側を強めに蹴り、ゴールの左上隅に決める。そのイメージを頭に描き、助走を始めた。

 ボールの横に勢いよく左足を踏み込む。右足のインサイドでボールの右側を強めに蹴る。イメージ通りだ。ボールも想定通り、ゴールの左上隅に向かって一直線に飛んでいく。

 決まった! と麻美は直感した。しかし、図書委員の女の子がボールの軌道上にグーに握りしめた右手を伸ばす。その拳に当たり、ボールはゴールの外へはじかれた。

「そんな……」

 イメージ通りのシュートを弾かれ、麻美は衝撃を受ける。そんな麻美に図書委員の女の子が意味ありげな視線を送ってくる。周りで見ている人達も麻美に注目している。

 何でみんなこっち見てるの? と麻美が不思議に思っていると、啓太が走って側に来る。

「四つん這いになるんだよ」

「四つん這い?」

 意味が分からない麻美は聞き返す。今はスカートをはいているので、公衆の面前で四つん這いになるのは、ちょっとまずくないか、と思う。

「いいから、早く」

 啓太が麻美の腕を床の方に引っ張る。

「仕方ないな……」

 意味不明だが、啓太がしつこいので根負けした麻美は四つん這いになる。裾が長めのスカートなので四つん這いになっても下着が見えることはなかった。

「負けたー なんて俺は下手なんだ! だよ」

 啓太が耳打ちしてくる。その台詞を言えということなのだろう。

「負けたー なんて俺は下手なんだ!」

 ここまで来たら、もう言われるがままやってやる、という心境で麻美は台詞を口にした。何故か、周りで見ていた人たちが湧き上がる。

「お前が下手なんじゃない。俺がうますぎるのさ。俺が相手だった不運を恨むんだな」

 傲岸不遜な物言いだが、麻美に近づいて来た図書委員の女の子が手を差し出してきた。

「熱い魂が宿った、良いシュートだったぜ」

 せっかく手を差し出されたので、麻美は図書委員の女の子の手を取り立ち上がる。周りの人達からは盛大な拍手が送られた。

「お前がその熱い魂を忘れないなら入ってやっても良いぜ、フットサル部とやらに」

「ほんと!?」

 麻美は狂喜乱舞して思わず小躍りしそうになる。それくらい嬉しいのだ。すかさず麻美は図書委員の女の子に名前とクラスを聞いて、明日学校で詳しく話す約束をした。大満足の麻美は世の中、神も仏もいるもんだと思いながらイベント会場を後にした。


 週明けの月曜日。

 現代文の授業が終わりお昼休みになるやいなや、麻美は教室を出て、一年G組の教室に行く。G組の教室の扉は開いていた。麻美は入口から教室を覗く。窓側から二列目の前の方の席に目当ての人物がいた。

 平本 碧。球蹴りのプリンスのイベントでPK勝負の末、フットサル部に入ると言った図書委員の女の子だ。

 麻美はG組の教室に入り、碧に近づいて挨拶する。

「こんにちは」

 文庫本を読んでいた碧が、本を机に置いて麻美の方に顔を向ける。ショートカットの黒髪といい、ありがちなフレームの眼鏡といい、派手な赤髪の鬘をかぶってコスプレしていたときとはうって変わって地味だ。

「何か用ですか」

 喋り方もコスプレ時のハイテンションのものから、落ち着いたものに変わっている。

「うん。ほら、昨日フットサル部に入るって言ったでしょ。練習の曜日とか時間とか、あと、必要な道具とか、色々説明しようと思って」

 麻美が言うと、碧は不思議そうに顔になる。

「……まさかとは思いますが、コスプレと現実を混同していませんか」

「え?」

 凄く嫌な予感が麻美の両肩にのしかかってくる。

 碧が机の横についているフックに掛けたバッグを取り、中から透明なフィルムのカバーがかかった漫画本を取り出す。球蹴りのプリンス第二巻だった。

「ここから六ページ読んでください。でも、本が傷むから、あまり本は開かないようにしてください」

 碧が漫画本を本麻美に渡す。麻美は指定されたページを読む。碧が指定したページは、主人公の白陽 翔がゴレイロの百雹 朧とフットサル部への入部を賭けてPKで対決する場面だった。

 白陽 翔が蹴ったシュートを百雹 朧が止める。四つん這いになって悔しがる白陽 翔に百雹 朧が、熱い魂が宿った、良いシュートだったぜ、と言いながら手を差し伸べる。手を取り、立ち上がった白陽 翔に向かって、百雹 智は言うのだった。入ってやっても良いぜ、フットサル部とやらに、と。

「これって、昨日のやり取りじゃない」

 漫画本から顔を上げて麻美は驚く。

「はい。そのやり取りを昨日は演じたのです」

 麻美にも事情が分かってきた。麻美は全然意図していなかったが、百雹 朧にコスプレした碧をフットサル部へ勧誘をすることは、漫画のストーリーそのものだったのだ。碧はストーリの流れにそって受け答えしていたに過ぎない。漫画の通りに進行したから周りで見ていた人たちも拍手していたのだ。

「じゃあ、じゃあだよ。フットサル部に入るって言ったのは嘘なの」

「嘘をつくつもりはありませんでしたが、結果的にはそうなります」

「そんなぁ~」

「ですから、コスプレと現実を混同していませんか、と最初に言ったのです」

うぅ……、と麻美はうな垂れる。期待が大きかっただけに落胆も大きい。

「ねえ、漫画とは関係なく、フットサル部に入る気はない」

 麻美は一縷の望みに託してみる。しかし、碧の返答は変わらなかった。

「ありません」

「そう…… だよね。時間取らせちゃってごめんね」

 麻美が帰ろうとしたとき制服のスカートのポケットに入れていたスマートフォンが震えた。スマートフォンを取り出し画面を見る。チェーンメールだった。

 スマフォを持っている麻美の腕を碧が力強く掴んだ。いきなりのことだったので、麻美は驚き、小さな悲鳴をあげてしまった。

「それどうやって手に入れたのですか」

 怖いほど真剣な眼差しで碧が麻美を見る。

「それ?」

 麻美は自分のスマートフォンを見る。大手家電メーカー製のありふれたモデルだ。

「ええと、普通にお店で買ったんだよ」

「そうじゃありません、どうやってその、プレミアムスマフォケース、シークレットバージョンを手に入れたのか聞いているんです」

 碧が苛ついた様子で麻美のスマートフォンについているケースを指差す。灰色のケースには影絵のような風情で、球蹴りのプリンスのキャラクターが描かれている。麻美のケースに書かれているのは、麻美と同じフィクソのポジションのキャラクタ―紫雨 蓮だ。

「これは弟から貰ったんだよ。覚えてるかな、イベント会場に一緒にいたんだけど」

 昨日イベント会場でグッズを買ったときに啓太が抽選で主要五人のキャラクターのケースセットを当てたのだ。イベントに連れて行ってくれたお礼にと、麻美に一つくれたのだ。

「まさか!? 弟さんは百雹様のケースも持っているんですか」

碧が両手で麻美の腕を掴む。麻美を見る目は血走っている。

「えーと…… たぶん持ってるよ。五人セットのやつが当たった、て言っていたから」

「五人セット!? なっ、なっ、なっ…… なんて羨ましい!」

 さっきまでの冷めた口調はどこへやら、碧は熱い口調になっていた。そんな碧の様子を見ていた麻美の頭にいい考えが浮かんだ。と言っても、悪知恵の部類だが。

「ねえ、フットサル部に入ってくれたら碧さんが欲しがってるスマフォケースあげるよ」

「なっ!?」

 碧いが一瞬絶句する。

「そんな条件を出すとは…… 人間を唆して魂を奪う悪魔のように狡猾ですね」

「ふふふ、フットサルの為なら私は悪魔でもさそり座の女にでもなれるんだよ」

 麻美は調子に乗って変なことを言う。

「碧さんスマフォケース欲しいんでしょ。フットサル部に入れば簡単に手に入るんだよ。これを断るなんてファンとしてどうなのかな。それと、早く決めてくれないと私の気も変わっちゃうかもよ。そうしたらもう手に入らないかもね、スマフォケース」

 麻美は碧の耳元で意地悪く囁く。

「あうぅ……」

 碧は両手で頭を抱えて机に突っ伏す。しかし、すぐに頭を上げる。

「美浦さん。部員を物で釣る、そんなことでいいのですか」

 碧の口調から熱が消え、さっきまでのどこか冷めたものに戻っていた。

「部活動とは、その活動がしたい人が入部するものです。それを物で釣って入部させるなんて高校の部活動にあるまじき行為です。分かっていますか」

「うっ……」

 今度は麻美が絶句する番だった。碧の言っていることは正論だ。

「う、うう…… そうだね。碧さんの言う通りだよ」

 麻美は肩を落とす。部員を増やしたいと思うあまり、部活動の原則を見失っていた。

「碧さん、ごめんね。変なこと言って。いくら球蹴りのプリンスのファンだからって、それでフットサル部に入るわけないよね」

「いえ、入ります」

 碧の即答を聞いて、麻美は漫才のようにずっこけそうになる。

「何でそうなるの、今言っていたことと逆じゃん」

「確かに私は美浦さんの部員勧誘のあり方について意見しました。その意見は正しいと思っています。しかし、わが身は百雹様に捧げたもの。百雹様のスマフォケースシークレットバージョンが手に入るのならばどんな苦痛も厭いません」

「どんな苦痛って、それは言い過ぎだよ。フットサルは面白いんだから。碧さんはまだその面白さを知らないだけで、実際にやってみたらきっと夢中になるよ」

 碧が手のひらを突出し、フットサルの面白さを熱弁しようとしていた麻美を止める。

「説明ならばいいです。本当に面白いならやれば分かりますから」

「そう。じゃあ、明日から一緒に頑張ろう」

 麻美は碧にフットサル部の活動日時と練習の時に必要な道具について説明した。


                    ※

 

 碧をフットサル部に勧誘した翌日の放課後。麻美と静はフットサル部の部室で着替えながら喋っていた。

「入部者希望者が現れて良かったね。これも麻美の頑張りのおかげだよ」

「でしょでしょ。私の頑張りを神様も見てくれていたんだよ、きっと」

「その新しい人って、フットサル素人なんだよね」

 練習着に着替えた静が長い髪をお団子にする。

「そだよ」

 着替えを終えた麻美もセミロングの髪をポニーテールにする。

「じゃあ、基礎的な練習を増やさないとね。私達も基礎を固めるいい機会だし」

 確かに、と麻美は頷き、静に同意する。その時、部室の扉が控えめにノックされた。

「はーい」

 麻美が勢いよく部室の扉を開ける。開いた扉の先には碧がいた。

「こんにちは」

 碧いが会釈する。今は眼鏡をかけていない。運動をするからコンタクトにしたのだろう。

「入って、碧さん」

 麻美は碧を部室に入れる。

「こちらはB組の佐々木 静さん。それで、こちらがG組の平本 碧さん」

 麻美は静と碧をお互いに紹介する。

「よろしく」

 静が碧に挨拶する。

「よろしくおねがいします」

 碧も静に挨拶した。

「碧さん、体操着と体育館履きは持ってきてるよね」

「はい。昨日言われた通り持ってきました」

 フットサル初心者の碧は練習用のユニホームや専用のシューズを持っていない。将来的には各用具を揃える必要があるが、とりあえずは体操着と体育館履きで問題ない。

「ところで美浦さん。例の物はちゃんと持ってきていますよね」

 碧がすっと目を細めて麻美を見る。物静かな言い方に似合わずやけに鋭い目つきだ。

「勿論、持ってきてるよ」

 麻薬の密売人のような雰囲気を醸し出しながら、麻美はバッグから百雹仕様のスマフォケースを取り出す。昨夜、啓太にお願いして貰ったのだ。麻美は碧にスマフォケースを渡す。碧はバッグからプラスチックのケースとビニール袋を取り出すと、ビニール袋にスマフォケースをいれ、それをプラスチックケースに収めて大事そうにバッグに戻した。

「確かに受け取りました。これで、私は身も心もフットサル部員です」

 碧が制服から体操着に着替え始める。

「ねえ、今の何?」

 事情を知らない静が麻美に聞いてきた。

「あのね……」

 麻美は、碧がフットサル部に入る代わりに百雹仕様のスマフォケースを譲る、という事情を説明した。話を聞いた静が細い眉をしかめ、不満をあらわにする。

「物で釣って入部してもらうなんて駄目だよ。練習は楽じゃないし、時間も取られるわけだから、物が欲しいなんて動機だけじゃ長続きしないよ。碧さんにだって悪いよ」

「でも……」

 静の言っていることはわかる。しかし、碧がフットサルに興味を示さないと決まったわけではない、と麻美は思う。

「最初のきっかけは何でもいいと私は思うんだよ。キャラクターのグッズ目当てで始めても、それでフットサルの面白さが分かればいいじゃない」

「そうだけど…… なんか動機が不純じゃない」

 納得がいかないのか、静は相変わらず不満そうだ。

「二人とも喧嘩しないでください」

 体操着に着替えた碧が麻美と静の間に割って入る。

「お二人の言うことはどちらも正しいと思います。ようはフットサルが私にとって意味のあるものになるかどうかです。その点について昨夜じっくり考え、意味があるという結論を出しました。何故なら、フットサルを嗜むのは百雹様のコスプレの勉強になります。それだけで百雹様の語り部である私には意味のあることだからです」

「百雹様? コスプレ?」

 静が大きな瞳をぱちぱちと瞬かせる。そっち方面の知識には疎いようだ。

「コスプレってのはね二次元のキャラクターになりきることだよ。百雹てのは、球蹴りのプリンスって漫画のキャラクターだよ」

 麻美が静に説明する。

「この身をもってフットサルを経験することで私のコスプレはシックスセンスを越えたセブンセンス、そしてまだ見ぬエイトセンスへと昇華するのです」

 碧が力説する。冷めた口調から熱い口調に変わっている。。

「そ、そうなの…… 碧さんにとって意味があるならいいんだけど」

 碧の勢いに圧されるように静は頷いた。とりあえず静が碧の入部に納得したようなので麻美はほっと、胸をなでおろした。

「そろそろ練習始めるよ。もう部活開始の時間は過ぎてるんだからね」

 麻美は部室の壁に掛かっている丸時計を指差す。部活開始の十六時を過ぎていた。


 麻美達は準備運動として校舎の周りを二周し、ストレッチをした。準備運動が終わっただけなのだが、碧はゼーハーゼーハーと大きく肩で息をして、死にそうな顔でしゃがむ。

「こ…… こんなきつい練習を毎日しているなんてさすが百雹様。尊敬の念が倍増します」

 碧があまりに悲壮な表情をしているので、まだアップなんだけど、と言うのを躊躇してしまう麻美だった。しかし、静は違った。

「まだ、アップが終わっただけだよ。さあ立って、碧さん」

 静は碧の両手を掴んで引っ張り、無理やり立たせる。どSの本領発揮だよ、と麻美は思ったが静に怒られる気がしたので口にはしなかった。

「これからボールを使った基礎技術の練習をするから。まず私としずちゃんでやって見せるから、碧さんは見てて」

 麻美は静と向かい合い、四メートルほど距離を取ってパス練習を始める。麻美と静は左右の足を交互に使う。このパス練習はトラップの練習も兼ねていて、パスを受けるとき、足の裏、インサイド、アウトサイドといった色々な場所を使う。

 麻美と静がインサイド、アウトサイド、インステップ、爪先と一通りバス練習をする。

「じゃあ次は碧さんね」

 麻美と静の練習の間に少しは体力が回復したのか碧は弱々しい声だが、はい、と答える。

 麻美が碧と向き合ってパス練習をする。見よう見まねで碧が麻美に向かってボールを蹴る。しかし、ボールは麻美が足を伸ばしても到底届かないあらぬ方向に飛んでいった。

「ボールを蹴る瞬間に足を固定して。あとパスの基本はインサイドキックだよ」

 静が足の内側、土踏まずの辺りを指しながら碧に指導する。その間に麻美はボールを取ってくる。麻美と碧がパスをして、横で静が指導するという形で碧の練習が続けられた。

 その後、校庭の隅を使って体力トレーニングとして、五メートル、十メートル、十五メートルのダッシュを各十本行った。

 碧は五メートルのダッシュが終わった時点で、体力の限界がきたのか地面にぐったりと座り込んでしまった。さすがにこれ以上は無理だろうと麻美は判断し、碧には以降の練習は見学してもらうことにした。

 十七時半になったので麻美達は体育館に移る。シュートと一対一の対人練習をする。麻美と静が練習している間、碧は見学していた。。

 練習の最後にPKと呼ばれるペナルティキックの練習をする。フットサルではサッカーと違い第一PKと第二PKの二つがある。それぞれゴールからの距離が六メートル、十メートルと異なる。

 第一PKがいわゆるサッカーのPKに相当する。第二PKはフットサル特有のものだ。試合中、チームのファール数をカウントしておりチーム合計が五を超えると、それ以降のファールは全て第二PKになる。

 麻美と静がキッカーとゴレイロを交代しながら第一、第二PKを蹴る。

「ねえ、碧さんもPK蹴ってみない」

 麻美は碧に尋ねる。もう体力も回復しただろうと思ったのだ。

「そうですね。ですが私はキッカーではなく、ゴレイロをやります」

 碧はゴールに向かって歩く。球蹴りのプリンスに出てくるゴレイロのポジションの百雹のファンだけにキッカーよりもゴレイロに魅力を感じているのだろう。

「ねえ、碧さんがゴレイロでいいの」

 麻美の横で静がささやく。

「碧さんが自分で言ってるんだし、いいんじゃないかな。ポジション的にも丁度いいし」

 フィールドと呼ばれる他のポジションと違い、ゴレイロはフットサルで唯一手を使う特殊なポジションだ。各チームに必ず一人は必要な重要なポジションではあるが、足を使うフットサルのメインとは言い難い。麻美も、ゴレイロを軽視するわけではないが、フットサルのメインであるフィールドのポジションをやりたい。

 チーム内でゴレイロをやりたい人がいない場合、フィールドのポジション希望の人が意に反してゴレイロをやらざるを得ない。だから、碧がゴレイロをやりたいというのは麻美や静、そしてチームにとっていいことだった。

「いつでもいいですよ」

 碧がゴール前で構える。コスプレで鍛えているからか恰好は様になっている。

「じゃあ、遠慮なく」

 麻美がボールを第一PKマークに置く。数歩下がって助走の距離を取る。いくよ、と碧に合図して麻美は助走を開始した。麻美はインサイドでボールを蹴る。狙うはコスプレ会場の時と同じゴール左上隅。

 今度こそ決める! という意気込みで蹴った麻美のシュートは、ゴレイロ経験者でも取るのが難しいほどいいものだった。しかし、コスプレ会場のPK戦を再現するかのように碧はパンチングで麻美のシュートを弾いた。

「すごい…… すごいよ、碧さん。なんでそんなにPKが止められるの。どうやってるの」

 麻美は碧の傍に駆けて行き、両手を取ってぴょんぴょん跳ねてはしゃぐ。

「うん。今のシュートを止めるなんて、すごいよ」

 静も麻美たちの近くにきて碧を賞賛する。

 碧は球蹴りのプリンスに出てくるPKの場面を真似して腕を伸ばしているだけだった。イベント会場の時も同様だ。つまり、麻美のシュートを止められたのは偶然の産物だ。

「そんな大したことではありません。朧様ならば片手でキャッチしていたでしょう」

 麻美と静に褒められ、照れているのか、碧は球蹴りのプリンスのキャラクター百雹朧を引き合いに出す。

「ねえ、碧さん。私も蹴っていい?」

 静が転がっているボールを取り、PKマークに置く。

「いいですよ」

 碧が構える。碧に合図して静が助走を開始した。静はトーキックと呼ばれるつま先でボールを蹴った。鋭いシュートがゴール右下のサイドネットに突き刺さる。シュートが速すぎて碧は一歩も動けない。麻美のPKを止めたのは偶然なので実力的には妥当な結果だ。

「ふむ…… PKを毎回止めるのが難しいのですね。軽々とPKを止めている百雹様はやはり凄いです。ますます百雹様への尊敬の念が強まります」

 PKは止められなかったが百雹の凄さを再認識した碧は嬉しそうだ。

「碧さんだって、これから練習をすればいいゴレイロになれるよ」

 麻美は確信を持って言った。

「そうですか」

「うん。だって、碧さん楽しそうだったもん」

 麻美のシュートを止めた時の碧は楽しそうだった。フットサルを楽しめれば、絶対に上手くなると麻美は信じていた。


 練習時間が終わり麻美たちは用具を片づけ、着替えをして下校した。麻美と静は電車通学だが碧は自転車通学だった。

「碧さん、お風呂入ったら足全体マッサージするんだよ。明日の筋肉痛がましになるから」

「分かりました。マッサージしておきます。それでは」

 そう言うと碧は自電車に乗り、ペダルをこぎだす。

「じゃあね」

 麻美と静が手を振る。

「碧さん、明日大丈夫かな」

 麻美と静は最寄駅に向かって歩き出す。

「まあ、筋肉痛に苦しむのは誰もが通る道だから。一度はしょうがないよ」

 碧には悪いが、静の言う通りだと思った。フットサルをやる上で筋肉痛はつきものだ。


 帰宅した麻美は夕食を食べ、お風呂に入り、リビングでテレビを見てくつろいだ。十時頃、自分の部屋に戻り、一時間程、勉強机に向かい宿題をやる。宿題を終えた麻美は椅子の背もたれに寄りかかり大きく背伸びする。

「勉強が無かったらな~ もっと楽しいのに」

 世の多くの学生が思っているであろうことを独白した。

「そうだ」

 麻美は背もたれから体を起こす。棚に置いていたノートパソコンを机に持ってきて起動する。検索サイトで、百雹朧のコスプレで画像検索し、碧を見つける。画像があるページを見ていく。

 どのページも碧のファンが作ったサイトで、色々なキャラクターのコスプレしている碧の写真が載っていた。昔の碧は髪が長く、女性キャラクターのコスプレをやっていた。一年ほど前から髪を短くして百雹のコスプレメインになっている。

 写真の下にある説明文に、現代のマヤ文明の祈り子、ミステリアスな美少女ジェルノアンジェリカ様、と書かれていた。

「マヤ文明の祈り子か。そういう設定なんだ。それにしても碧さん、可愛いな」

 アイドルやモデルというレベルではないが、碧のコスプレには素人らしい擦れてない雰囲気が良い感じに出ている。学校では地味な格好をしているので注目されていないが、素材はいいのだ。

 麻美は横を向いて姿見に写った自分の顔を見る。

「私もそのうち美少女フットサル選手とか言われちゃうかな」

 麻美は目を細め、顎を突出して鼻の穴を広げる。カピバラの真似をした顔芸だ。なかなか似ていると自分では思う。

「うーん…… 綺麗どころというかお笑い担当かな」

 麻美はノートパソコンをしまい、明日の時間割を揃えてカバンに教科書類を入れる。

「さあ寝よう」

 目覚まし時計をセットしてベッドにもぐりこんだ。


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