二章 一人目発見
翌日の昼休み。麻美は教室で昼食のお弁当を食べながら昨日あったことを、後ろの席の円に話していた。
「へえー 大変なことになったんだね」
「そうなんだよ。田辺先生も駒田先生も意地悪そうにこっち見るんだよ。頭くるよ」
麻美はお弁当の鶏のから揚げをもぐもぐと食べる。麻美は椅子に横に座り上半身を捻り円の方を向いている。お弁当は円の机に置かせてもらっている。
「それにしても九条さんが転校だなんて驚きだよね。男子達は凄い落胆してるらしいよ」
円は喋りながらフレームレスの眼鏡のずれを直す。
「あの美人でしたからね。男子は悲しいんでしょうね。でもね円ちゃん、私も悲しいんだよ。憧れの人と同じチームになったのにこれだもん。夜な夜な枕をぬらさぬ日は無いよ」
「可哀想な麻美ね。よちよち」
円が麻美にの頭をいい子いい子する。
「それで、フットサル部に入ってくれそうな人の当てはあるの? もう二学期だし、大抵の人は部活が決まってるんじゃない」
「それはお代官様、いや、円様、期待してるよ」
麻美は瞳を大きく見開き、期待の大きさを円に見せる。
「いや、期待されてもねえ。私運動音痴だし。それに手芸部が忙しいから」
「そんな~」
麻美は大げさにしょんぼりして、瞳をうるうるさせる。
「だからさ、そんな捨てられた子犬みたいな顔されても困るし」
「じゃあ、これでどう」
麻美は寄り目にして口をつん、と尖らせる。
「餌を欲しがってるハムスター!」
「正解! 正解者はもれなくフットサル部に入部できます」
「ノーセンキュだから」
円は顔の前でパーにした手を左右に振る。
「私の百面相を見といて酷い。最初から遊びだったのね。弄んだのね」
「そうそう、私は悪女だから気をつけた方がいいよ。ていうか、麻美器用だね、顔芸」
「でしょでしょ。百八つある私の得意技の一つなんだよ」
「煩悩の数と一緒かよ」
円が笑い出す。麻美も一緒に笑う。
「ま、どうしても人数が足りなければ幽霊部員で名前を貸してあげるけど、公式戦で一勝しなくちゃいけないんでしょ。ちゃんとした人を集めないと駄目だよね」
「そうなんだよ。できれば経験者。百歩譲って運動神経のいい人、て感じかな」
麻美はお弁当箱に最後に残った卵焼きを口に入れ、頬張る。
「ねえ、公式戦で一勝って、簡単なの? 難しいの?」
「初心者チームが一勝しようとしたら難しいね。でも、経験者が揃えられれば、そこまで難しくないかな」
「そうなんだ。女子のフットサルってそこまでメジャーじゃないから、どこのチームもそんなにうまくないと思ってたけど、さすがに素人じゃ難しいんだ」
「メジャーじゃないのに高校でやろうって人はさ、ほとんど経験者なんだよね。初心者と経験者の差は大きいから初心者チームで公式戦一勝は難しいよ」
その難しさが分かっているから田辺と駒田は意地悪な笑みを浮かべていたのだ。
円は食べ終えたお弁当箱を巾着袋に入れ、学校指定のバッグの中にしまう。麻美も猫柄のお弁当つつみでお弁当箱を包んでバッグに入れる。
「フットサルやりそうな人がいないか、私も知り合いに聞いてみるよ」
円がそう言ってくれた。
「ありがとう円ちゃん。これだから円ちゃん好きだよ。愛してる」
麻美は相好を崩し、目を細めて目じりを下げる。喜ぶマントヒヒの顔芸だが、ちょっと難しくて円には伝わらなかった。
放課後。麻美は部室で練習用のユニフォームとハーフパンツに着替える。おろしていたセミロングの髪をポニーテルにして運動できる準備を整える。
男子バスケ部と女子バスケ部に体育館での練習時間を取られてしまったが、男子バスケ部と女子バスケ部の活動が終わった後から下校時刻までの三十分間は体育館を使えるようにしてもらった。
体育館が使える時間まで、麻美は部員勧誘のポスターを作成し、各階にある学生が自由に使える掲示板の空きスペースに張った。
体育館が使えるようになるまでまだ時間があったので麻美はスニーカーを履き、体力トレーニングのため校舎の周りを三十分程走り、部室に戻ってきた。
麻美は部室の壁にかけてある時計を見た。十七時二十分だった。体育館が使えるようになるのは十七時三十分からなので、あと十分だ。
「今日はあと十分待つとして、明日からはもう少し練習メニューを考えないとな」
ポスター作りがあったから時間が潰れたが、この調子では明日は暇になり過ぎる。
十七時三十分になったので麻美は体育館で使えるフットサル用のシューズを持って、体育館に向かった。入り口で練習を終えた男子バスケ部と女子バレー部の部員とすれ違った。
体育倉庫から軽量フットサルゴール、ボール、お皿型のマーカーコーンを出す。マーカーコーンをゴールに向けて直線状に、三、四十センチくらいの間隔を空けて並べる。並べたマーカーコーンの間をジグザグにドリブルして、マーカーの列を抜けた所で、ゴールに向かってシュートする。ドリブルシュートの練習だ
足の裏を使ったり、インサイドと呼ばれる内側を使ったり、アウトサイドと呼ばれるつま先の外側辺りを使ったりとドリブルのバリエーションを変えながら練習する。
十五分ほどその練習をしていた麻美だが、不意に立ち止まる。
「一人だと、なんか調子でないな……」
中学校の時も高校に入ってからもチームメイトと練習していたので、一人の練習だと寂しい。シュートするにしても、無人のゴールでは緊迫感が無い。
「ちょっと、休憩するか」
麻美は体育館から出る。下の階にある冷水器に水を飲みに行く。
戻ってきた麻美は開けっ放しにしていた体育館の入口で止まる。体育館にセーラー服姿の少女が一人いた。少女は上履きのまま、麻美が出しっぱなしにしていたフットサルのボールを使ってリフティングをしている。
胸の下まで伸びたストレートの黒髪が彼女のリフティングに合わせて上下している。
学年を表すセーラー服のタイの色は麻美と同じ青色。つまり、一年生ということだ。麻美より背が高い。細身の体つきだが、スカートから覗く足は引き締まっている感じだ。
うまい、と、麻美は少女のリフティングに感心する。
少女は一か所に留まり左右の足を交互に使って一定のリズムでリフティングしている。麻美がやると、目の前の少女ほどボールをうまく操れずあっちこっち飛ぶので、ボールを追って移動しながらのリフティングになってしまう。
「あの……」
麻美は体育館に入り、リフティングしている少女に話しかけた。麻美に気づいた少女はリフティングをやめて、足の裏でボールを止める。
「あなたが練習してたのね、邪魔してごめんなさい」
少女はクールな口調で言って、麻美にボールをパスした。しっかりとしたインサイドキックだった。明らかにフットサルかサッカーの経験者だ。それも麻美より上手そうだ。
少女が麻美の横を通って体育館を出て行こうとする。
「ちょっと待ったぁ!」
麻美は少女の腕を両手でがっちりつかんだ。この子は廃部に瀕したフットサル部を救う逸材だ。逃がしてなるものか、と麻美は獲物を狙うハンターの目つきで少女を見る。
「フットサル部に入らない?」
実に素直な直球を麻美は投げる。
「私、入らないから。手、放して」
少女もいっそ清々しいほどの直球を投げ返してくる。
「なんで? あなた経験者でしょ。ちょっとじっくり話し合おう」
離して、というお願いを無視して麻美は少女の腕を引っ張り、体育館に引きずり込む。
「ちょっと、私には話し合う必要はないんだけど」
あからさまに迷惑がっている少女の言葉を無視して、麻美は体育館の入口を閉め、扉の前に仁王立ちになる。これで、取り敢えず少女を体育館に閉じ込めた。
「私は、1年B組の美浦麻美。あなたは?」
「一年E組の佐々木静」
麻美は改めて静を見る。長いストレートの黒髪が少し重たい感じだが、艶やかで綺麗だ。細い眉と切れ長の目がシャープな印象を与えている。クールビューティ系だ。
「佐々木さんは、フットサルかサッカーの経験者だよね」
「中学校でフットサルやってた」
「じゃあ、高校でもフットサルやろうよ。あのね、うちのフットサル部は今年新設したばかりで一年生しかいないんだ、ていうか今は私だけなんだけどね。夏休み前は麗華さんやスポーツ推薦の人達がいたんだけど、ちょっと事情があって皆転校しちゃってね」
麻美は早口に事情を説明する。しかし、静はつまらなそうにしている。
「だいたい、知ってる」
「あ、知ってるんだ。そうか、そうだよね、麗華さんは有名人だったし、転校したの知ってるよね。まあ、それはそうとして、一緒にフットサルやろうよ。中学でやっていたなら、高校でも続けるのいいと思うんだ。それとも、もう別の部活に入っちゃた?」
静はゆっくり首を横に振る。
「部活は何も入ってない。でも、フットサルはもうやらない。私のフットサルは中学校で終わったんだ」
「終わってないよ」
終わったんだ、と寂しそうに呟く静を見て、麻美は無意識に思ったことを口にしていた。
「え?」
静が驚いたように麻美を見る。
「だってさっき楽しそうにリフティングしてたよ。フットサルに未練があるんじゃないの」
「未練…… そう、かもね…… でも、私は……」
さっきまでは、やらない、ときっぱり言っていた静が言い淀んだ。フットサルに未練がある、という麻美の推測は的を射ていたようだ。
「私と勝負しよ」
「はい?」
麻美の提案が唐突過ぎて意図が分からなかったのか静は眉をしかめる。
「私と勝負して、私が勝ったら佐々木さんはフットサル部に入る。佐々木さんが勝ったら一か月間私を好きに使っていいよ」
言うが早いか、麻美は静かに向かってドリブルしていく。
「そんな一方的に言われても」
「問答無用。言葉じゃなく、プレーで語り合うんだよ」
勢いで勝負を仕掛けた麻美だが、ドリブルには細心の注意を払っていた。
ドリブルはボールを蹴りながら進むわけだが、ボールを蹴る強さが重要だ。強すぎればボールが体から離れてしまい相手に取られる。弱すぎればスピードが出ず、相手が守備の対応をしやすい。麻美は強すぎず弱すぎず、丁度いい具合にボールを蹴り、静に迫る。
麻美は左足でボールをまたぐフェイントをする。そのフェイントで左側に行くと見せかけ、逆の右側へ抜くつもりだった。しかし、静はフェイントに引っかからず、絶妙なタイミングで足を出し、麻美からボールを奪った。
「はう!?」
あまりにも簡単にボールを奪われ、麻美は呻く。
「私の勝ちでいいのかな?」
静が楽しそうに笑う。勝者の余裕に満ちた笑みだ。
「まだだよ。ボールをゴールに決めるまで、勝負は終わらないよ」
麻美はボールを奪い返すべく静に詰め寄る。
「そう。攻守交代ってわけね」
静が麻美に向かてドリブルを始めた。セーラー服のスカートが軽やかに舞う。
二人の距離が接近する。麻美が足を伸ばせば静がドリブルしているボールに届く距離だ。不意に静の動きが止まった。反射的に麻美は足を出した。麻美の足がボールに触れる直前、静が左のアウトサイドでボールを横に移動させた。
大きく伸ばした麻美の足が空を切る。
うそ!? と、麻美は心の中で悲鳴をあげた。
静は大きく開いた麻美の股の下をボールを通して、自分は麻美の左横を駆け抜ける。俗に言う、股抜き、だ。そのまま静は無人のゴールにシュートした。
「これで私の勝ちね」
静が勝ち誇る。しかし、これで負けを認めるほど麻美は潔くない。
「誰も一回勝負なんて言ってないよ! どちらかが心の底から負けを認めるまで終わらないんだからね」
麻美はゴールに入ったボールを取り出して、さっき、静に向かってドリブルをしかけた場所まで戻ると、性懲りも無く静かにドリブルを仕掛ける。
今度は、ドリブルスピードを急激に上げ、緩急の差、で静を抜こうとした。しかし、あっさり静にボールを奪われ、股抜きで抜かれてゴールされた。
「私の二勝目でいいのかな」
「ま、まだまだ」
しつこく静に勝負を挑む麻美だが、結果は前の二回と同じだった。麻美と静の勝負は七回行われ、麻美は全敗した。しかも、全て股抜きで抜かれるという屈辱的な敗北だった。
股抜きでくると分かっているのだから止められそうなものだが、静は相手との、間、を操るのが上手で、麻美が股を閉じようとするタイミングをずらして股抜きしてくるのだ。
「うぅ…… 全部股抜きなんて、佐々木さんのドS……」
七連敗した麻美は体育館の床にぺたん、とへたり込む。
「もう、私の勝ちでいい? 下校時間も過ぎてるし」
静が体育館の壁にある時計を指差す。下校時間の十八時を十分程過ぎていた。
「まだ…… まだ……」
麻美は不撓不屈の精神で立ち上がる。しかし、七連敗、それも決め手が全て守備側としては屈辱的な股抜き、となると精神的ダメージは大きい。
麻美が立ち上がるのを見て、静は肩を竦める。いい加減終わりにしたいのだろう。
「そうだ」
静の瞳には怪しい気配が宿る。
「次の勝負から、負けた方は洋服を一枚脱ぐことにしよう。もし脱げなかったら、その場で負け確定。これでいいでしょ」
「ええ!?」
静の突拍子もない発言に、可愛い顔して言うことが凄いよこの子、と麻美は驚く。
「佐々木さん…… どSの変態なの!?」
「違う!」
麻美の意見が的はずれだったのか、。静は顔を真っ赤にして強く否定する。
「こうすれば、嫌でも勝負がつくでしょ。だらだらと勝負を長引かせたくないだけ」
「あ、そういうこと。でもなあ、脱衣てエッチな感じだよ」
麻美は目を細めて静を見る。もう、エッチなんだから、と言わんばかりの視線だ。
「だから、エッチとかそういんじゃないよ。もう、行くよ」
静がボールを持っている麻美に向かってくる。
「あわわ、ちょっと待って。いきなりなんてずるいよ」
棒立ちだった麻美は慌てて身構える。
静との距離が縮まる。麻美は足の裏でボールを横に動かす。あわせて体もスライドさせる。静も麻美の動きに合わせて横に動いてくる。
麻美は静の足の運びを見る。左右の足が近づき。また離れる。
ここだ!
麻美は静の股の隙間めがけてボールを蹴る。やられっぱなしの股抜きをやり返したのだ。
ボールが静の股を抜ける。
麻美が静の横を駆ける。しかし、静は素早く反転し、ボールと麻美の間に体を入れた。静の背中に阻まれ、麻美は止まらざる得ない。
背中で麻美をガードした静はボールを取り、少しドリブルしてシュートした。ボールはゴールに吸い込まれ、麻美の八敗目と脱衣が決定した。
「さて、一枚脱いでもらおうかしら。脱がなくてもいいけど、その場合は負けだから」
静は性悪な微笑を浮かべ、麻美を見る。
「う~ やっぱりどSだよ、佐々木さんは」
麻美は半ばやけくそになり、勢いよくユニフォームを脱いだ。下には、タンクトップ型のアンダーシャツを着ているので、まだ、そんなに恥ずかしくない。
「その勢い、いつまでもつかしら」
静が楽しそうに呟いた。
その後、麻美と静の脱衣を掛けた戦いは三回行われ、麻美が三連敗した。
麻美は、左右のソックスとハーフパンツを脱いだ。ハーフパンツの下にはスパッツをはいている。タンクトップのアンダーシャツにスパッツに素足という格好は変態じみているが、まだ、ぎりぎり大丈夫だ。問題はこの次だ。次負けたら、アンダーシャツかスパッツを脱ぐしかないが、そうしたら下着姿になってしまう。
「次で終わりそうね」
「もう、絶対に負けないんだからね」
絶体絶命の崖っぷちにいる麻美は声を張り上げ、今まで以上に気合いを入れる。しかし、運命は無常だった。次の勝負も麻美は負け、絶対絶命の崖を転げ落ちた。
「終わりね」
「あううぅ~」
静がゴールの横に置いてあったカバンを持ち、体育館の入口に向かう。もう麻美は脱げないから決着はついた、と言わんばかりの行動だ。
「待って、佐々木さん」
麻美は叫んだ。このまま静を帰らせるわけにはいかない。
私はフットサルがやりたい。フットサル部を存続させたい。心からそう思ってるんだから、一時の恥ずかしさなんて我慢できるはずだよ、と麻美は自分に言い聞かせる。
「私脱ぐ。まだ勝負は終わってないよ」
麻美はアンダーシャツの裾を掴み、脱ぎ始める。
「ちょっと!?」
静が駆け寄ってきて、アンダーシャツを脱ごうとしている麻美を止める。
「何、考えてるの! 男子に見られたらどうするの」
「だって、脱がないと私の負けが決まっちゃうでしょ」
麻美は静の腕を振り払い、アンダーシャツを脱ぐ。
上半身がスポーツブラだけの姿になり、麻美は顔が燃えるほど恥ずかしくなる。もし、男子に見られたら明日から学校に来られないだろう。登校拒否確定だ。
「そこまでしなくても……」
驚きと戸惑いの感情が静の顔に表れる。
ふ、ふ、ふ、と麻美が喉を鳴らす。不気味な笑いだ。
「佐々木さん、次から、負けたら服を全部脱ぐことにしよう」
大事な一線を越えてしまったのか、麻美は突拍子もない提案をする。目も座っている。
「はい?!」
静は元々大きな目をさらに大きく見開き、言葉を失う。
「だから、次から、負けた方は服を全部脱ぐの。私はもういくらでも脱げるからね。絶対に負けないし。これで勝ったって感じかな」
ふ、ふ、ふ、と笑う麻美の表情は歪んでいる。強い羞恥心に晒され、自暴自棄の境地に精神がぶ飛んでしまったのだ。
「そんな提案受けられるわけないでしょ。今までの私の勝ちが意味なくなるじゃない」
静の言うことは最もだが、今の麻美は聞く耳を持っていなかった。
「問答無用だよ」
麻美は走ってゴールに入っているボールを取ってきて、静に向かってドリブルする。
「そんなの、ずるい!」
そう言いつつも静はなりゆきで麻美のドリブルに対するディフェンスを始める。しかし、静の動きに今までの精彩がない。これなら、勝てる、と麻美は思った。
麻美は、左足でボールをまたぐフェイントを入れる。静がフェイントに引っかかり、左側に体重を移動させる。その隙を見逃さず、麻美は静の右側をドリブルで駆け抜ける。
「あっ!」
負けを確信したのだろう、静が悲鳴じみた声を発した。
麻美は落ち着いて無人のゴールにシュートを決めた。麻美は振り返り静を見る。静は、今にも泣き出しそうな表情で立ちすくんでいた。
「佐々木さん、洋服、全部脱げる?」
麻美の問いに、静は俯きながら首を左右に振った。
「私の勝ちでいいよね」
最後の勝負は、ずるかった、と麻美も思うが、静は無言で頷いだ。静が負けを認めたので麻美は急いで脱いでいたユニホームを着る。
「それじゃあ、佐々木さん、フットサル部に入ってくれるよね」
静は答えず、黙っている。麻美は静が話し出すのを待つ。
「私じゃ、役に立たないよ。今見たでしょ。私は大事な時に駄目なんだ」
静は自虐的な表情を作る。
「そんなことないよ。佐々木さんすごくうまいじゃない。私より断然うまい」
「私は…… フットサル部に入ってもチームの足を引っ張るだけだよ」
吐き捨てるように静は言った。
何故そこまで否定的になるのか麻美には分からない。しかし、静にも事情があるのだろう。それを無視して無理やり入部を迫るのは、やはりよくない。そう麻美は思った。
「あのさ、佐々木さんが本当にフットサル部に入りたくないなら、賭けは無しでいいよ」
「……いいの? 部員、増やしたいんでしょ」
「そうだけど、フットサルやりたくない人に無理やり部員になってもらってもよくないでしょ。私は、フットサルやりたい人に部員になって欲しいんだ」
「…… 私は……」
煮え切らない様子で静は口ごもる。
「ただ、さっき勝負してた時の佐々木さん楽しそうだったよ。本当はフットサル好きなんじゃないかな。フットサルやりたくなったら、いつでもいいから入部してよ」
「美浦さん」
思いつめた様子で静は麻美を見つめる。
「ん?」
「美浦さんは負けるのが怖くないの。最後の勝負なんて、ただ負けるだけじゃなくて裸になるはずだったのに怖く無かったの」
麻美は返答に困る。正直、あまり深く考えていなかったのだ。
「あまりそう言うの普段から考えない性質なんだけど……」
「じゃあ、今考えて」
静がビシッと言ってくる。勢いのあるツッコミをするな、と麻美は思った。
「えっと…… 負けるのは嫌だよ。でも怖い、て感じじゃないかな。だって、一度負けても、次は勝てるかもしれないじゃん。さっきの一対一は諦めなければ、いつか、勝てるって思ってたな。あと、途中から恥ずかしさが無くなってきたっていうか、そんな感じ」
一生懸命考えてみたが、うまく言えない。どちらかというと麻美は理づくめでは無く感情や感覚で行動する性格なので、いざ言葉にしようとすると上手く表現できないのだ。
「恥ずかしくないから負けが気にならない、ということか。フットサルとは関係ないのか」
話の雲行きが怪しくなりそうだったので、麻美はあわてて軌道修正を試みる。
「フットサルと関係無くないよ。フットサルの試合って私一人でするわけじゃないでしょチームの皆で試合をするんだよ。だからもし私が一対一で負けてもチームの皆がフォローしてくれる。そう思うから怖くないよ」
「でも、さっきの一対一は、チームではなくて、個人の勝負だよね」
静が冷静に指摘してくる。やっぱりこの人どSだよ、と麻美は思う。
「えっと、えっと、そのなんていうか。一対一なんだけど、あんまりそう言うの考えてなくて、試合みたいな感じでやってたから……」
静に言い返したいのだが、いい言葉が見つからない。だんだん頭がこんがらがってきた。
どだい、私は単純であんまり深く考えてないんだよ、と麻美は開き直る。
「あのさ、私頭悪いから上手く言えないんだけど、フットサルって皆でやるもんだよ。一対一は個人の戦いかもしれないけど、それでもチームの戦いなんだよ」
麻美は熱のこもった口調で早口に言った。まったく論理的な説明では無かったが、麻美の気持ちの入った台詞には理屈を超えて相手の心に呼びかける力があった。
「試しにフットサル部に入ってみない。それで一緒にプレーしよう。佐々木さんが一対一で負けたときには私が絶対にフォローする。言葉を沢山並べるよりプレーした方が私の言いたいことを分かってもらえると思う」
麻美は胸を張って言った。
「絶対とか言われても、確率的に絶対無理だし」
相変わらず静が冷静に指摘してくる。しかし、静の口元には微笑みの花が咲いていた。
「今、佐々木さんも絶対って言った、言ったよ」
揚げ足を取る麻美だが、静に華麗にスル―された。
「それで、何時練習してるの?」
「え!?」
「だから、練習曜日と時間だよ」
「え!? ええ!? 入ってくれるの、フットサル部に」
「無理やりの勝負だけど、私が、最後の一回だけ負けたのは事実だから。約束は守らないと。基本的に私、約束とか守るタイプだから」
「いや、そんな無理に理由作らなくもいいんじゃない。もっとなんていうかな、私の熱い台詞に惚れたとか。ほら不良漫画で喧嘩して仲良くなるストーリーがあるじゃない。あれだよ。あれ。勝負を通して二人の心が通ったなんていいじゃない」
「そう言う漫画って意味分からないんだよね。喧嘩して仲良くなるなんて、おかしくない」
あ、そうだ、と呟き、静が意味ありげな表情になる。
「美浦さんの下着姿には惚れたかな」
「ええっ!!」
麻美は愕然とする。そして、一歩二歩と後ずさり、静から離れる。
「わ、私…… そういう趣味は無いんだけど、で、でも、気にしないから。佐々木さんがへんた…… あっ、個性的な趣味でも全然気にしないから」
そう言いながらも麻美は後ずさる速度を上げ、どんどん静から離れる。
「何変な想像してんの。冗談よ。冗談にきまってるでしょ。なんで、真に受けるの」
静が顔を真っ赤にして弁解する。
麻美は静に協力してもらい、ゴールやマーカーコーンやボールを体育倉庫にしまった。下校時間が過ぎていたので、急いで着替えて静と一緒に校舎を出た。静も麻美と同じ電車通学だったので歩いて十分程の距離にある最寄の駅に一緒に向かう。
「佐々木さんはポジションはどこなの」
「左のアラだよ。ピヴォをやることあるけど、アラの方が好きかな」
「そうなんだ。私はフィクソだよ」
ピヴォやアラやフィクソはフットサルのポジションを現す単語だ。
フットサルは一チーム五人で行われる。一人はゴールを守る、サッカーでいうところのキーパーをやる。フットサルではキーパーをゴレイロと呼ぶ。
ゴール前に頂点を持つひし形状に残り四人を配置したとき、ゴールに最も近いポジションがフィクソだ。ディフェンダー的な役割を担う。麻美のポジションがここだ。
ひし形の左右の頂点のポジションがアラだ。サッカーならば中盤、ミッドフィルダーと呼ばれるポジションに相当する。
ひし形の一番上、自陣ゴールから最も遠く、相手ゴールに最も近いポジションがピヴォだ。サッカーのフォワードに相当する攻撃的なポジションだ。
静とポジションが重ならなくて良かったと麻美は思った。部員の人数が多ければ問題ないが、少ない現状では一つのポジションに偏るより分散した方がいい。
「中学の時は学校の部活でフットサルやってたの。それともクラブチーム?」
「学校の部活だよ」
「部活なんだ。どこ中?」
「森山中」
「森山中って、麗華さんと同じ地区じゃない」
静のいた中学校が、憧れの麗華と同じ地区だったと分かり麻美は目を輝かせる。無責任に他の学校に転校した麗華だが、麻美はまだ彼女に憧れていた。
「地区大会で対戦したでしょ。ねえねえ、どんな感じだった。麗華さん上手だった」
盛り上がる麻美だが、静は暗い表情になる。
「ごめん。九条さんのことはあまり話したくない」
静が麗華の話題を拒絶するので麻美もそれ以上、麗華のことを話題にはしなかった。どうやら静は麗華のことが好きでは無いようだ。
駅に着き、麻美と静は各々が乗る電車のホームへと向かう。
「それじゃあ佐々木さん、また明日」
「うん。またね」
麻美と静は、ばいばい、と手を振って別れた。
早くも部員一人ゲットだぜ! と、麻美は駅の階段を跳ねるように降りていった。
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