8.1

 1組の教室を出てると、多崎先生が待っていた。彼に付き添われながら、私は職員室へ戻っていった。

「国立先生、よかったな」

 多崎教頭が近寄ってきて、労いの言葉をかけてくる。教頭然としていた口調は、いつの間にか、あのため口だ。今日は復職の挨拶だけということで、香川先生が代わりに1組に残ってくれている。

「生徒たちのおかげです」

「まさか、どっちの選択肢も選ばないとは思わなかったな。ほとぼりが冷めるまで待ってもらおうとしてたのに、勝手に復職するとか抜かして。月島と正面対決するつもりはなくて、生徒と対話しようとは」

「実は、休職中に、千早先生と話をしてきたんです」

 彼は眉をあげる。

「多崎先生から教えていただいた連絡先にお邪魔して」

「有意義な話が聞けたか?」

「好き勝手にしろ、ってアドバイスされました」

「そりゃあいい」

 多崎教頭は、あの飄々とした仕草で、ネクタイをもてあそぶ。

「千早先生から、お前は何がしたいんだって、逆に責められました。それで帰りながら思ったんです。やっぱり私は学校にいたい。ここで先生として仕事をしたいって。でも元通りにはなりませんし、前のような関係にしたいとも思わなかった。だから再スタートしてみようと思いました。もし正面から向き合って、それで拒絶されて、教師生命を失ったとすれば、それはそのときだって」

「なるほどねぇ」

 多崎教頭は顎に手を添えながら、口角をあげる。

「学校の評判を落とし、多大なご迷惑をかけたはずなのに、私の復職を認めていただき、本当にありがとうございました。今後とも精一杯頑張りますので、よろしくお願いします」

「いやなに、若い人に失敗はつきものさ」

 私がお礼を言うと、先生は左右交互ずつ、リズミカルに口角を動かして反応した。

 周囲の先生も、その様子を見守る。苫田井高校の先生方にも、守衛さんを含めて、すでに事情を話してある。そのときの反応は悪いものではなかった。起きた出来事をそのまま伝え、自分の落ち度だったことを認める。それだけのことで、私に対するわだかまりが、ずいぶんとなくなっていった。

「だけど国立先生、本当に大変なのはこっからだ」

 ぴたり、と多崎教頭の口が停止する。

「理解を得られたとはいっても、それは1組に限ってだ。他のクラスの生徒への説明もしなきゃならないだろう。それに他ならぬ先生自身がタブーを破って、口火を切ったんだ。先生の復帰は学校中にすぐ広まるだろうし、保護者に伝わるのだって時間の問題だろう。これからさらに寄せられる苦情や誤解に対して、一つずつ骨の折れるような対応が始まる。ここまできて、やっぱり辛いから辞めました、とか根をあげるなよ?」

「はい。もう一人では突っ走ったりしませんから」

「そうか」

 多崎教頭は、踵を返して、意気揚々と自分のデスクに戻っていった。

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