7.6

 月島霧子は自宅を出ると、苫田井高校へと向かって歩いていた。ちょうど通学の時間帯であり、多くの生徒たちが、通学路に飛び込んでくる。

「おはよう」「あ、香川の宿題、やってきた?」

 1組の生徒だ。二人の女子生徒が、朝の再開を喜び合う。

 その姿を尻目に、月島は脇目もふらず、正門へと歩いていた。

「あ、あれ……」「うん……」

 その姿を遠巻きに眺める二人。何かを言いたそうであり、そして不安そうでもある。

 二人だけではない。他の生徒も、月島霧子を発見すると、己の表情を繕い、距離をとる。彼女の歩く道は、生徒が距離をとったスペースに開かれていた。

「月ちゃん、おはよう」

 それでも周囲の評価を意に介さない、あるいは意に介しつつも話しかけてくる人間がいた。

「おはよう、門田さん」

「あのさ、多崎先生って、国語も数学もできるから何気にすごいよね」

 花本羽地が学校を辞め、国立一弥が休職し、その空いた穴を埋めていたのは、多崎泰一だった。もともと生徒たちからの支持が厚かったこともあり、ここの授業風景にすぐ溶け込んでいた。

「でも、態度が悪いよね。私たちのこと『おい』とか、名前も言わないしさ」

 ずっと話しかけている門田杏に、月島は無言を貫く。

 その状況は、彼女たちが上履きに履き替え、教室に到着し、早朝HRが始まるまで続いた。


「おい、月島、ここの設問を解いてみろ」

 2年1組の教室で、多崎泰一が国語の教科書を片手に、彼女を当てる。

「はい」

 月島はゆっくりと立ち上がる。

「『私たちの神は機械ではあり得ないという著者の主張は、なぜ生まれているのか』――『神に存する、不合理性と計算不可能性が欠けているから』です」

 教科書に書かれてある文言をアレンジしながら、彼女は抑揚のない声で答えた。「正解だな」と多崎先生が頷くのを確認し、彼女は座る。

「たった今、月島が答えたように、ここの評論は――」

 彼は板書に向かい、当該問題の解説を始める。

 月島は、退屈そうにその様子を眺めていた。


「やっと終わった」「香川は説明が長いんだよなー」

 午前の授業がすべて終わり、ようやく教室は解放のひとときを迎えていた。

 月島の席の近くで、柴田麻生と武田邦明が、楽しそうに弁当箱を取り出す。その輪の中心には、アンニュイな表情を浮かべている佐々岡信二の姿があった。

 ちらりと視線を向けるが、佐々岡は応えない。意図的に無視しているような、そんな態度だった。

 月島はカバンのなかから、あらかじめ買っていたメロンパンを取り出す。袋を破って、静かに食べ始めた。

「月ちゃん、一緒に食べようよ」

 すると視界に、門田が割り込んできた。「ほら、机もくっつけて」と昼食スペースを作ろうとする。

「もう食べたから」

 月島はそう言葉を残すと、門田をその場に残して、教室を出ていってしまう。

 その背中を、門田はもの言わぬまま、見つめ続けていた。


「月ちゃん、吹奏楽行こうよ!」

 そして迎えた放課後。授業が終わるとすぐさま門田は、月島の席へと向かっていった。

 彼女に逃げられないように。そんな思惑が透けて見える。

「用事、あるから」

 月島は、またもや門田に応えない。

 荷物をカバンにまとめ、そのまま教室を出る。肩を落としてうなだれている彼女の背後から、

「ほっとけ」

 佐々岡が声をかける。はっと振り向いて何かを言おうとするが、「お前は頑張ってるよ」と返され、門田は何も言葉にはしなかった。


「ただいま」

 月島は、学校を出たその足で、自宅に戻っていた。

 母親は仕事から帰るのが深夜以降であり、そこには誰もいない。鍵を開けて、自室へと真っ直ぐ進む。

 着ていた制服を部屋着に着替え、ベッドに背中を預けながら、体育座りをした。カバンを手繰りよせ、なかに収めていた携帯を取り出す。

『大丈夫だ。ありがとう。どうして私の連絡先を知っているんだ?』

 かつてやりとりした、国立一弥とのメッセージを表示させた。

『分かってくれたなら、もう謝らなくていい。それに聞いてくれれば、教えただろうしな』

『私が聞いたら、本当に教えてくれましたか?』

『ああ、隠すことではない』

 画面を見つめる月島の表情は明るい。ひとしきり眺めると、

「あ、お風呂とご飯」

 すくりと立ち上がって、部屋から出ていった。

 それから二時間ほどがすぎると、再び彼女は、自室に戻ってくる。ほんのりと湿った頭髪が、お風呂上りであることを語っていた。髪を十分に乾かさないまま、彼女は、もう一度携帯を手にする。

『そういえば月島は、こんな風にメールのやりとりをするのか? 文体が大人しいんだな。女子はもっと工夫を凝らしているものだとイメージしていた』

 彼女はまた、彼とのメッセージの記録を見返し始めた。さきほど同様、ベッドに背中を預けた状態で。

 次第に部屋は暗くなっていくが、彼女は照明を付けようとしない。暗がりのなか、携帯の画面を見つめ続ける。

 ――先生に会いたいな。

 携帯を充電器とつなげ、彼女はベッドに潜り込んだ。

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