第7話 先生のご意思が、大切ではないでしょうか

「夕方、か」

 布団のなかで目を覚ます。デジタル時計は、ちょうど16:00時を指していた。

 ゆっくりと上体を起こし、現実と非現実との淡いに留まる。

 あの後、私は学校に行けなくなっていた。

 毎日のように感じていた仕事へのやりがいや面白さが、ロウソクの灯火ともしびのように、一瞬でかき消えてしまった。休職届を提出すると、多崎教頭は「しばらく実家にでも帰って休め」と言ったが、相変わらずの一人暮らしを続けている。毎日のように惰眠をむさぼり、カロリーを消費するだけの日々が待っていた。

 もうどれだけ、こうしているだろうか。

 カーテンを閉め切り、布団にくるまっているだけの生活は、私から曜日感覚を奪い、昼夜への関心を失わせていた。頭髪や髭は、当然のように、伸び放題のまま。食事を摂らないことすらある。

「国立先生、こんにちは」

 それでも、それなりの健康を保てるのは、月島が定期的に来ているからだった。

 週に一、二回程度、大量の食糧を持ち込んできては、ご飯を作り置きしていく。

「先生、ただいま」

「……おかえり」

 あどけない表情で月島は微笑んだ。

 そして彼女はいつものおしゃべりを始めた。私は相づちを打ったり打たなかったり。ただひたすら彼女の、それまでの出来事を聞くだけ。

 月島経由で、苫田井高校に起きたことも、おかげで手にとるように分かる。

 最近、花本先生が寿退社したそうだ。悔しがったり悲しがったりしてもいいはずなのに、私は何の感慨も抱けなくなっていた。幸せになれるならそれでいい。そんな程度の感想しかない。

 男子バレー部はインハイに出場したものの、結果は芳しくなかったらしい。臨時の顧問として香川先生が入ったらしいのだが、しっかりとした経験者が佐々岡しかいなかったことが敗因のようだ。

 私がいなくとも学校は機能する。そして何の役に立つのか分からない教育を続け、先生と生徒が学校ごっこを楽しむのだろう。

「ねえ先生?」

 月島は、私の目の前に正座した。

「私を抱いてくれないんですか? あのときだって何もせずに寝ちゃいましたよね? 私ってそんなに魅力がないですか?」

「……こんな人間に抱かれたいのか」

「国立先生にはサービスするって、私は約束しました」

「……自分を大事にしろ」

「それは先生が言っちゃいけない台詞ですよ」

「……無理して来なくてもいい。もう月島の勝ちは決まった」

「分かっていませんね。ここで終わったらもったいないんです。どんな作品も、本当に面白いのは番外編なんです。門田さんもそう言ってましたから」

「……もう私は先生じゃない」

「国立先生は、私にとっていつまでも先生です」

「…………」

「じゃあ、晩ご飯作りますね。いろいろ買ってきましたけど、何がいいですか?」

「……任せる」

 そして最も大きな変化は、月島の存在を受け入れていたことだった。

 自分でも信じられないが、ここで彼女が何をしようと、私に何を言おうと、苦痛にならない。彼女から介入されることに、感覚が麻痺してしまったのかもしれない。

「先生、できましたよ」

「……ありがとう」

 にやぁ。

 今も月島は、この笑い方をする。私のことを甲斐甲斐しく世話するのは、それが楽しいからなのだろう。ペットを飼う感覚に近いのかもしれないが、よくは分からない。

 私は夕食と摂ると、そのまま布団で横になった。

「また来ますね」

 寝入りばな、そんな月島の声がした。

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