6.5
鍵を机に放り投げると、そのまま私は台所に立った。
お茶を用意するため、ヤカンに水を溜め、それをガスコンロに火にかける。
「先生は、そんなことしなくてもいいんですよ? お茶なら私が淹れますから」
買い物袋を机に置いた月島は、そのまま小躍りするように近寄ってきた。
「お前に淹れられたくないから、こうして自分でやっているんだ」
「先生って、意地悪な台詞も上手ですよね。最近分かっちゃいました」
月島は、私の作業を、物珍しそうに眺めている。
きっと落ちぶれた私のことを笑っているのだ。
「今日はお茶のお礼に、私が晩ご飯を作ってあげますね」
「どうせ断っても、月島は作ってしまうんだろうな。この間のように」
「はい」
かたかたとヤカンが震え始める。
急須と茶葉を取り出し、いつでもお茶を飲めるようにセッティングした。
「月島はどうしたいんだ。私を見ていて楽しいのか」
「はい。とても楽しいです。ずっと見ていたいって思います」
「もういいだろう。十分じゃないか」
「先生は、私がいないと寂しくないですか?」
「お前は状況が分かっているのか? こんなことをされて、普通だったら、冷静じゃおれないぞ?」
「先生は怒ってません。だから平気です」
「いい加減にしないか!」
背後を振り向き、月島の襟首を握った。
彼女の悪びれない態度に、沸点は限界を超えてしまっていた。
「いつまでつきまとうつもりだ!? まだ私を苦しめたいのか!?」
「はい。先生のそんな顔が、もっと見たいんです」
「千早先生だけじゃ飽き足らないって言うんだな!?」
「……へえ、知ってたんですか。あの人のこと。でも安心してください。ただの予行演習です。本命は先生だけですから」
「ふざけるんじゃない!」
襟を引っ張って、月島を布団へと横倒しにした。
彼女は苦しそうに布団へと横たわり、無造作に折れ曲がった四肢を放り投げる。
「先生、痛い。乱暴しないでください」
唸るような低い声で訴えてきた。瞳だけを動かして、彼女は私を見る。
「……月島が悪いんじゃないか」
「すごく痛いです。起き上がれません」
「…………煩い」
「私は傷つきました。先生に暴力を振るわれて、辛いです」
「…………」
私の背後では、沸騰したヤカンが、激しく蓋を上下させる。
「……悪かった。やりすぎた……」
ガスコンロの火を止めて、彼女の元へと歩み寄る。
月島は右手だけを動かし、「引っ張りあげてください」と、それを差し出した。
右手を握り、引きあげようと腰を落とした途端、彼女は私を引っ張り込んだ。布団に身体を落とした私は、彼女を覆うように四つんばいになってしまう。
「千早先生は本気じゃなかったんです。先生っていうのが、どういうものなのか知っておきたくて。だからあの人とは何もなかったし、すぐに捨てました。でも国立先生は傷ついたんですよね? 私が浮気したんじゃないかって。ごめんなさい先生、私は悪い子です」
さきほどとは一変して、甘ったるくささやいてくる。
「嫉妬したのだったら、いっぱい私を傷つけてください。好きにしていいです。悲しかったのなら、いくらでも甘えてください。私は全部、先生のものです」
月島はシャツのボタンを外し、ブラのホックもとってしまう。
目の前には、露わになった地肌だけが広がる。
「私、嬉しいんです。先生がやっと私のことを見てくれたから。私のことで動揺したから」
手首から、肘、二の腕へと、その指先を這わせる。首筋に到着すると、腕を絡めてきた。
「……月島、止めるんだ」
「もういいんです、我慢しなくたって。ここで私を抱いても、誰も、何も、言いません。だって先生は私を襲ったんですから。今さら、もう、一緒なんです」
「……違う。私はそんなこと、していない」
「でも、今からします。してくれますよね、先生……?」
絡めた腕で、私の身体を引き寄せる。すぐに胸の感触に包まれた。
「先生、先生」
何度も耳元で呼びかけられる。
彼女の指先が、シャツ越しに、背中に食い込んでくる。彼女の太ももが、私のそれに絡みつく。
「好きです、先生、大好きです」
月島の声が、皮膚から直接、染み込んでくる。両目を閉じて耐えようとするが、その音声を遮断することができない。
目を開くな。耳を貸すな。感覚を断て。意識を保て。
反応するな、考え続けるんだ、否定しろ。
このままでは、月島の嘘を現実にしてしまう。
「先生、無視しないでください。私はここです。ここにいるんです」
産毛が感じられるほど繊細な動きで、月島の頬が、わたしのそれをなでる。頬を滑らせながら、彼女はそのまま唇を重ねてきた。
反射的に目を開けると、そこには氷の結晶のような、二つの瞳があった。そのまま痺れるように力が失われ、私の身体は月島に沈んでいった。
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