5.7

「先生、どうしたんですか?」

 月島の声で、現実に引き戻される。

 瞼を開けると、彼女が私を覗き込んでいた。

「すごいうなされてました。怖い夢でも見たんですか?」

「……ああ、たぶん、な」

 だがその内容が分からない。

 思い出そうとしても、ただ頭痛が意識されるだけだった。

「食欲ありますか? 食べさせてあげます」

 机に視線を向けると、湯気の立ちのぼる鍋が置かれてあった。

 隣の時計には、16:30という数字が表示されている。30分ほど眠っていたらしい。

「自分で食べるからいい――と言っても、月島は聞いちゃくれないんだろうな」

「私のこと、よく分かってますね」

 月島は、机を枕元まで引き寄せる。エプロンを外して折り畳むと、机の脚元に置いた。

 私の首に腕を回し、上半身を起こす。背後から抱きしめられるような状況に、あまり心が休まらない。どうしても柔らかい感触に、意識が向かってしまう。

「先生、あーんしてください」

 月島はおかゆをすくう。その吐息で粗熱をとり、私の口元へとに運んだ。どろりとした白い液体が、喉から滑り落ちてくる。

「美味しいですか? 熱くありません?」

 舌が鈍くなっていて、味はよく分からない。だがそれでも、温かいものと食べたという満足感が、全身を包み込んでいた。その様子を見て、月島は「よかった」とこぼす。

「早く元気になってくださいね」

 あーん、とおかゆが口内へと運ばれる。私の嚥下(えんげ)する姿を見ながら、彼女はかすかに舌なめずりをした。

 私はその仕草に意識をとられ、月島がスプーンが引き抜く前に、口を閉じてしまう。スプーンがおとがいにぶつかり、吐き気が込みあげてきた。たまらず私は、おかゆを吐き出してしまう。

「す、すまない」

 月島のシャツに付着したままのおかゆ。彼女はそれを無表情に見下ろしまま拭きとろうともしない。ただおもむろにスプーンを鍋に戻す。

「もったいないですよ」

 人差し指と中指で、付着したおかゆをよそい、舌先で舐めとるように食べてしまう。

「……おい、そんなの食べなくても」

「お母さん、食べ残しには厳しいから、つい」

 月島の舌は、名残惜しそうに、まだ指先を舐めていた。

「さっきはすみません。口のなか、怪我しませんでしたか?」

「いや、大丈夫だ――」

「――確認させてください。もし怪我をしていたら、おかゆを食べられませんから」

 彼女は、真正面に回り、布団のうえからまたがってくる。

「待て月島。何も、そこまでする必要はな――」「――あーん、してください」

 彼女は、上下の前歯の間に、人差し指を割り込ませる。そのまま強引に顎をこじ開けると、指を滑らせ、奥の臼歯にあてがう。顎に力を入れて口を閉じることもできるが、指を噛んで怪我をさせてしまうかもしれない。私の口は、だらしない半開きの状態を維持するしかなかった。

「大丈夫そうですね」

 月島は、おとがいを上目遣いで見る。

 私の頬は熱を帯びた。なぜかいたたまれない気持ちになり、羞恥心が込みあげてくる。

 それだけではない。

 月島の格好もまた、頬の熱を加速させている。健康的な生え際のおでこ。大きく膨らんだシャツの隙間から、のぞき見える下着。布団越しでも伝わってくる両太ももの感触。身体が反応ないように我慢するのが精一杯だった。

「先生、顔が真っ赤ですよ。熱が出てきたんですか?」

 月島が指先を引き抜くと、そこから唾液の糸が伸びてきた。それを彼女は舌先で拭きとりながら、おでこのタオルを外す。

 こつん。

 ぶつかってくる彼女のおでこ。ほっそりとした鼻筋と、そこからこぼれる息が、顔に当たる。つぶらなガラス細工のような瞳と、きめ細かい地肌が、視界を占領した。

「熱い。タオルを変えないと」

 彼女が、私の両肩に手を置いた直後だった。

 その前傾姿勢がもたらした重心のずれは、私を布団へと押し倒してしまう。肋骨に鈍い衝撃が走ったかと思うと、月島が覆いかぶさってきた。この体勢はまずい。分かっているはずなのに、風邪に蝕まれた身体は思うように動かない。

「先生、ごめんなさい。痛かったですか?」

 月島の黒髪が、私の頬をくすぐってきた。

「いや、大丈夫だ。どいてく――」「――許してください。わざとなんです」

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