3.3

「お帰りなさい」

 抑揚のない声が出迎える。月島はすでにジャージとTシャツ姿に着替えていて、電気ストーブで暖をとっていた。

「このまま朝まで、天気は変わらないそうです」

 どこからか取り出していた、地味なデザインの携帯を手で見せながら説明する。

 無言で頷きながら、私も電気ストーブに近寄った。それを挟んだ反対側に月島が立っている。

「お母さんには連絡したか?」

「はい。国立先生によろしくと、母が言ってました」

「そうか」

 ひゅうひゅうごうごう。猛り狂う風雨の音。

 がたがたがたがた。職員室の窓は、激しく揺さぶられ続ける。

 なぜ月島はあんなところにいたのか。危険なだけで意味はない。目的があるようにも思えない。

『屋上で待ってます』

 学級ノートに述べられていたように、月島は待っていたのかもしれない。屋上にいても姿を見せないから、業を煮やして、下駄箱で待ち伏せをしていたのではないか。いや。だったら直接言えばいいだけのこと。ここまで回りくどいことをする必要なはい。

「『すまない。今さら気づいてしまった。今度こそ行くから』」

 月島は、突然口を開いた。どこかで聞いたことのあるような台詞を棒読みする。

「ん?」

「ずっと待ってたのに、来てくれませんでした」

「あ、学級ノートを読んだのか……」

「またお話してくれるって約束、忘れたんですか?」

「すまない。つい仕事に追われてしまって、ノートを見返す暇がなかったんだ」

「ならよかったです。意地悪でおしゃべりな私が、嫌われたわけじゃないんですね」

「当たり前だ。月島を嫌いになるはずがない」

 月島は、ジャージの袖を握った。オレンジ色の光に照らされた顔は、どことなく笑っているように見える。

「先生は、どうして聞かないんですか、あのこと」

 彼女は、ややうつむき加減だった顔をあげる。

「私が売春しているかどうか、気にならないんですか? もう調べないんですか?」

「まだ月島はそんなことを言っているのか……」

「そんなことをしている生徒がいたら大変じゃないですか?」

「私には、月島がそんなことをする生徒には、どうしても思えなくてな」

 視線を落とすと、ストーブの周辺に、制服が干されてあった。カバンの柄を使って、その温度が伝わるように工夫されている。それだけではない。私のシャツも一緒になって干されていた。さきほと月島から受けとりそびれていたのだが、気を利かせてくれたみたいだ。

 ――ん?

 見れば制服のポケットから見慣れない布がはみ出ている。

「私の下着上下です」

「……どうして脱いだりするんだ」

「つけていると冷えるから。せめて乾かそうと思いました」

「…………そうか」

 私は片手で視界を覆った。

 つまり月島は、ジャージの下には何も着ていないということになる。地肌に直接、というのは攻撃力が高い。

「先生が聞かないなら、私が聞いてもいいですか?」

 指の隙間から、無表情の月島が見えた。

「どうして結婚しないんですか? 恋人を作ろうとは思わないんですか?」

「仕事が忙しいんだ。休日がほとんどないし、たまの休みは、泥のように眠るだけだから」

「性欲とかないんですか?」

「……少しは遠慮して聞いてくれ」

「あるんですか?」

「……もちろんあるにはあるが」

「だったら私を買ったらいいですよ。屋上でなくても言ってくれればデリバリーしますから」

「気持ちだけ、ありがたく受けとっておく」

「先生は信じてないんですね。私の売春」

「さっきも言っただろう、月島はそんな奴ではないと……。それに普通、売春はしていないことを信じるものじゃないか……」

 再び、沈黙が訪れた。

 壁時計に視線を移すと、長針と短針が『12』で重なり合おうとしている。

「月島、そろそろ寝る時間だな」

 身体の向きを変え、職員室の出口を見る。

「先生、どこに行くんですか?」

「守衛室だ」

「どうしてそんなことするんですか?」

「月島と同じ部屋で、さすがに寝られないだろう」

「私は子どもじゃなかったんですか? どうして今さら大人扱いして、別々なんですか?」

「悪かった。月島は大人だ。前言撤回する」

「嘘つきですね」

「私は大人だからな。嘘が許されている」

「よくありません。そんな嘘は、生徒を傷つけます」

 私がわずかに愛想笑いをしてみせる。月島の不満そうな顔を尻目に、そのまま出口へ歩いていった。

「先生」

 駆け寄ってくる足音がする。

「私、好きな人がいるんです」

「好きな人?」

 背後を振り向き、月島の顔を見た。感情は読めない。

「それで先生にも協力して欲しいんです。関係がうまくいくようにって」

 月島は、両手を強く握り、私を見つめている。こういった仕草は女子高生そのものだ。やはりこんな子が売春というのは考えられない。本人が否定しないのは、大人びた言葉を使って、背伸びをしたいからだろう。

「私、バレー部の佐々岡くんのことが気になっています」

「佐々岡か。いい奴を選んだな」

 月島の視線に力がこもる。

 私の顔から、わずかでも視線を外そうとしない。

「先生、どう思いますか?」

「お似合いだと思うぞ。クラスも同じなんだし、うまくいくんじゃないか?」

「それだけ、ですか?」

「ああ。応援するぞ」

 月島に背を向けると、私は職員室を出ていった。

 振り向きざま、下唇を噛んでいる表情が見えた気がした。

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