3.2

 職員室への道すがら。

 月島が隣を歩いている。

 タオルで応急処置を施したとはいえ、やはり彼女の制服は濡れ鼠(ねずみ)のままだった。制服を乾かしている間は、私のジャージとTシャツを貸せば大丈夫だろう。多少、汚いかもしれないが、今は仕方ない。

 横目で彼女を見る。

 いまだに湿り気を帯びている制服は、彼女の大人びた体躯を強調していた。奪われる視線を取り戻すように、私は正面を向いた。

「先生は、いつもこんな時間まで仕事をしているんですか?」

 逸らされた視線を追いかけるように、月島が聞いてきた。

「そうだな。だいたい、これくらいの時間になる」

「大変なんですね、先生って。授業さえすれば、あとは遊んでいるだけだと思ってました」

「そういう風に月島が感じているのなら、教師としてはありがたい」

「……どうして、ありがたいんですか?」

「生徒と親しくできるからな。生徒から毛嫌いされては、授業はおろか、普段の生活指導もままならない。油断されるくらいでちょうどいい」

「だったら、香川先生は仕事してないんですか?」

 真面目な顔で、先生の名前を挙げてくる。

「生徒に嫌われていますよ?」

「香川先生には香川先生のやり方がある。生徒と仲良くしなくても、先生は立派にお仕事をされている。お前たちは知らないだろうが、職員会議では、誰よりも生徒のことを考えて発言しておられるんだぞ」

「そうなんですか、知りませんでした」

 月島は、まじまじと私の顔を見つめている。

「それどころか、私のことだって心配してくれているんだからな」

「国立先生が、心配されるんですか?」

「ああ、さっさと結婚しろってな」

 手のひらをうえに向けて、降参のポーズをとる。

「国立先生は結婚したいんですか? 誰か好きな人がい――」「――月島ついたぞ」

 目の前に立ちふさがる職員室の扉。

 私が開錠し、部屋の電気を入れると、いつもの風景が蘇った。

「新鮮ですね。この時間帯は」

 月島は、先んじて部屋に入る。その様子は、どこかはしゃいでいるようにも見える。

 部屋中を物珍しそうに眺める月島を置いて、私は給湯室に向かった。そこに収めてある電気ストーブを取り出すためだ。

「先生がいない職員室って、こんなに不気味なんですね」

「たしかに不気味かもしれないな」

 ほこりをかぶっていた電気ストーブを手に、職員室へと戻っていく。部屋の中央にそれを置くと、私は両手を床についた。電源を入れるスイッチが下にあるからだ。

「ああ、あった」

 ぱちん、とスイッチを入れると、少しずつストーブは赤く染まっていった。

「今から守衛さんのところに行ってくる」

 起き上がり、手についたほこりを払いながら、月島を見る。

「この悪天候が止むまで、しばらくここで休ませて欲しいと説明してくる。最悪の場合、泊まらないといけないからな」

「私も行きます」

 職員室を出ようとすると、すぐに月島が追いかけてきた。

「駄目だ。さっきも言っただろう、制服を乾かさないといけないって。そこのボストンバックに私のジャージとTシャツが入っている。申し訳ないが、それを着替えに使うんだ。あとは身体が冷えないように、そのストーブから離れないこと」

「先生が濡れたままなのは、いいんですか?」

「私はいい。月島が風邪を引いては一大事だ」

「どうして私の場合は一大事で、先生の場合はそうじゃないんですか?」

「着替えがないからな」

 月島が追ってこないよう、職員室の扉をぴしゃりと締める。

 守衛室へ向かいながら、なぜか月島を避けようとしていることを、どこかで私は自覚していた。その理由は分からないが、とにかく一緒にいる時間を減らさなければならない。そんな気がしていた。

到着した守衛室には、ラジオを聞きながら、畳の間で横になっている守衛さんがいた。事情を説明すると、ずいぶん同情的に聞いてくれた。彼自身も、この雨模様にげんなりしているらしかった。ここでの宿泊の許可を取りつけると、私は職員室に向けて、踵を返した。

 水浸しになった廊下を進む。その歩みは――まとわりつく水分とは違う理由で――軽くはない。

 職員室には月島がいる。

 彼女がいたからといって問題があるわけではないのだが、二人だけという状況が、気分を落ち着かせてくれない。もやもやが晴れないまま、職員室の入口に到着した。

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