第29話 死力と視力と

 過去の出来事と現状の裏切りに対する驚きで満たされていた場が、たった一言で、新たな脅威に上書きされる。余裕綽々であった歯牙直哉我しが なおやがですら、礼賛のこの発言にはたじろいだ。


「ゴーマル。お前が腹に一物抱えてわたしに接触し、この戦いに身を投じたということを……。“わたしが今まで気づいていないと思っていたか?”」


 もう一度あの時を思い返そう。ボロ布まとって脚長町に訪れた、月脚礼賛つきあし らいさん。町に到着するなり目をつけてきた少年にいち早く気づき、彼が同席する場で、あえて、レギンス女に喧嘩を売る。

 直後、黒タイツ眼鏡女子高生による更なる襲撃にあい、この戦いに勝つため、また少年の内に秘めた何らかの思惑を知るため、彼を傍に置くことを決意。

 類稀なる視線を見込んでその力を手元に置こうとしたのは、歯牙町長だけではなかったのだ。

 月脚礼賛、果轟丸はて ごうまるに、自らを売り込む。


「買え、わたしを。ゴーマル! お前がだ!!」


 いつか何かが起こるのであろう。この果轟丸という少年は、得体の知れぬ獣を心の奥底に飼っている。

 恐らくは自分の脚にまつわる、自分が履いている天叢雲剣にまつわる、誰かからの指令を受けている。どこかで裏切られるのかもしれない。ブツリと縁を切られるのかもしれない。だがそうした懸念よりもまず、女は男の実力を買った。そして男に、買われたのだ。

 かつて礼賛は、ハイヒール網タイツ巨女との団地内での戦いで、果轟丸とこんな会話を交わしたことがある。


「わたしにも事情はある。相手にも事情はある。ゴーマル、お前にも事情はあるだろう。そうした事情を切り伏せてまで進むこと、それが『全ての剣脚をぶった斬る』ということだ。どうだゴーマル、今からでも考えなおすか?」

「……返品、不可なんだろ。礼賛」

「ああ」

「いいよ、切っちまえ。お前の言う通り、オレにだって事情はあらあ。オレが買ったんだ、オレが責任は取る!!」

「毎度あり!」


 ――瞼の裏の昔日せきじつを思い返し、今一度、礼賛は笑った。

 満天の星空、煌々とした月明かりの下で、この女は言う。


「お前が後ろめたい何かを抱えていることは気づいていた……。気づいた上で、それでもわたしは、あの時お前を選んだんだ。……町長のお眼鏡にかない、こんないい女のお眼鏡にもかなうだなんて……ガキのくせに罪な男だな、ゴーマル」

「らっ、礼賛……!? それじゃあお前、いつかオレが裏切るかもしれないって思いながら、それでもこうして、一緒にいたってのかよ……?」

「思惑重ねて利用し利用され、それでも離れがたいパートナー……。男と女ってのは、だいたいそういうものさ」


 『脚本』外の展開に危険を感じ、歯牙町長が敵意を持って踏み込み始めたその時だ。

 月脚礼賛は果轟丸に刺された血塗れの小刀に手をかけ、呼び声とともに一気に引き抜いた。


「老ー師ーっっ!!」


 礼賛の腰から迸る血の赤と、町長の肩車から振り下ろされるバニー秘書の黒の脚。

 その合間に駆け込んだ白き閃光、ロリババア。

 深手を負った弟子の腰にぐるりと包帯巻きつけて注射一発、それと同時に町長秘書のガーストの刀を、幼き白タイツ脚で白履取しらはどりである。


「なんだァ……! まだ余力を残していたのかね、ロリババア老師? 弟子を助けるために力を温存して、女子高生の脚は救ってやらんとは。案外と薄情者だ」


 煽る町長、肩車した秘書の太腿に手をかけ力を乗せて、小さな体のロリババアの白履取しらはどりを頭ごなしに潰しにかかる。


「余力なんてもうないお。温存なんて、してないお……。だからこれは、不肖の弟子の言葉に応えた、“死力”だお!」

「最期の力か……。あなたも充分長生きしただろう。ならばこのまま大往生すればいい!!」


 『三種の神器』のひとつであるシャドウ編みストッキング天叢雲剣を元に改良を加えたガーターストッキングは、暴力とも言える切れ味にて、留まることなく突き進んだ。

 白履取しらはどりした飛車しろみのあしゆびをザブザブと斬り割って、老師の右足を縦に二つに裂きながら、幼女の顔面まで脚刀あしがたなを届かせようというのだ。

 この飛び散る血飛沫の中にあって、白衣の天使は白熱する。耳元の神器・八尺瓊勾玉は、老師の今の姿が持ちうる力を億万全おくまんぜんに発揮せんと、白輝はっき

 薄手のガーストが白タイツ脚を切り開いていく端から、白糸しらいとにより縫合して塞いでいく、飛車しろみであった。


「修羅場のコスプレイヤーの縫合力、とくと見ろ、若造!!」

「こっの……死に損ないババアめ!!」

「縫合縫合縫合縫合縫合縫合縫合縫合縫合縫合縫合縫合」

「抜糸抜糸抜糸抜糸抜糸抜糸抜糸抜糸抜糸抜糸抜糸抜糸バシバシバシバシ」


 神器持ち同士の破壊の力と再生の力、黒と白の意地のぶつかり合い、天下分け目の足切り合戦は、だがしかして。

 この対決に至る前に既に疲弊しきっていた老師の敗北という、当然の結果を迎えることとなるのであった。


「残念だったな飛車しろみィ!! 白星ではなく黒星でその生涯を終えたまえ!!」

「いいや。元よりしろみは見届人のつもりだお。もう動けるはず、そろそろ任せるお!」

「ああ。助かったぞ、老師!」


 ロリババアは白脚寸断の寸前に、身を引いた。

 この場に止まって対抗することさえやめれば、まだ後ろには逃げ場がある。立ちふさがって耐えていたのは、礼賛の回復を待っていたのだ。

 かくしてまたも打ち付け合う、ガーターストッキングとシアータイツの神がかった黒の脚たち。脛迫すねぜり合いは互角であるかのように見えた。


「その男に勝たせるわけにはいかないお、礼賛……。そいつは『美脚にあらねば人にあらず』というほどの狂った社会を、作ろうと、している……」


 もはや剣戟の勢いすら見届けるのが困難とでも言うように、飛車しろみは両目を閉じて崩折れた。


「ばあさん……!」


 駆け寄る少年のその言葉を、殺気で冷やして制す力も、とうに残っていない。


「しろみを気にかける余裕なんて、お前にはないお。だったら礼賛を……見てやるといい……お……」

「で、でも、だって! オレはもう、そんな資格は……!」

「いいか……よく聞くお。しろみはもう、傷の回復は出来なかったんだお。八尺瓊勾玉を持ってしても、せいぜい穴を塞いでやることぐらいしか、出来なかった……」

「なっ、え!? 礼賛の腰の傷、ばあさんが今ので治してくれたんじゃないのか?」

「違うお。もう、余力はない……これは礼賛にとっても“死力”だお。傷を塞がれて出血が止まっただけ。痛み止めは射ってやったが、そんなもの気休め……だお……」


 方や最強の切れ味を誇る履物、天叢雲剣。方やそれを八咫鏡で複製し、ごてごてと改造を加えたガーターストッキング。

 歯牙終しが ついはあざとい切れ味やバックシームの視線誘導、さらけ出した腿と腰による多大な絶対領域に特製のハイヒール、ガーターベルトを掴んで振り回す町長の腕力。全てを使いこなして礼賛を追い詰めた。

 傷が塞がったのみの月脚礼賛が、不利に追い込まれるのは間違いない。息もとっくに上がり、歩みも止まり気味なのだ。


「轟丸君の裏切りに最初から気づいていたというのは驚きだったが、だからと言って策を講じていなければ意味は無い! むしろどんでん返しにスパイスが加わって、この商売は大成功を収めたと言える。『脚本』外のアドリブありがとう、月脚礼賛! さらばだッ!!」


 歯牙町長、肩に背負ったバニー秘書の左脚を長々伸ばして地に向け、右脚を高々と天に掲げて振りかぶる。

 賢明な諸氏には周知の事実であろう。これぞ『天上天下唯我脚尊てんじょうてんげゆいがきゃくそん』の構え。月脚礼賛に切って落とされる、ガーストの尊き刃である。

 動けぬショーパン女の頭に、天より落ちるとどめの美脚が見舞われた。


「待てよっ! だったらこっちも二人がかりだっ!! うおおおお!!」

「あっ、危ないっ!!」


 決死の剣脚の戦場、女の脚が届きうる半径数メートルの死の間合いに不用意に飛び込んだのは、果轟丸であった。

 これに気づいて優しき声と共に剣速ゆるめ、全力のかかと落としを半ばにて取りやめる、歯牙終。

 それでも唯我脚尊ゆいがきゃくそんの構えから放たれた薄黒ガーターストッキングの刃は、轟丸少年が突き刺したドスを、触れただけで粉々に割ってしまうほどの威力を誇っていた。


「何をしてるのこの子は、死ぬ気!??」

「騒ぐな、終。こいつに刀は向けられないが、だったら代わりに俺がやってやろう。轟丸君、君の役目はもう終わったんだよ。邪魔立てするならこの町長が直々に再起不能とするがよろしいかッッ!!」

「やれるものならやってみろクソ町長!!」


 方や自らが傷つけた女を守るために、方やバニーガールを肩に載せたままに、少年と中年の拳はすれ違った。

 当然そこにはリーチの差がある。歯牙町長のたくましい腕のほうが格段に有利。

 ぐんぐん伸びる町長の拳を轟丸少年、持ち前のすばしっこさと動体視力で、かいくぐるかと思いきや。

 むしろ当てに行った。男の拳に、顔面頭突きを。

 カウンターパチキで凹む歯牙町長のゲンコツ。そして市長室の果てまで小さき体を吹っ飛ばす、果轟丸。


「……やりやがったな、この小僧……ッ!!」

「あなたっ!! なんてことをするの!!」

「終……。俺も今のは、脅しのつもりだったんだ。寸止めする予定が、まさか向こうから突っ込んでくるとはな……。なァに、細かいジャッジは俺に委ねられているさ。脅しの拳に自分から飛び込んでくるほうが悪いのだ! これはルールの例外としようッ!」

「ルールの問題じゃないわ! 子供に手を上げないで!! そういう育て方をする気はないの!」

「教育方針の話かッ!? ふん……いいじゃあないか、子供が成長し歯向かうのは賞賛するべきことだ。まったく、轟丸ッ! してやられたぞ……! けじめをつけるのが目的だったか」

「へっ、へっへっへ……! こんなんじゃあ、けじめにゃならないけどよ……。すまねえ、礼賛。取り合いされたハンサムが、台無しだぜ……!」


 果轟丸は、顔面血まみれで地に伏せていた。

 鼻血を垂らし、目を潰され。町長の豪腕鉄拳をモロに喰らい、悲壮な様相である。

 しかし何故だか、妙に誇らしそうであった。


「わかったか町長。ゴーマルだっているんだ。こっちも、二人がかりなんだ……」

「ふん、まだ動けるか礼賛ッ!」

「そちらが『刺脚』を何人も差し向けたように、こっちだって総力戦だ……。主役のわたしが動かなかったら、意味が……無いだろうが!!」


 ぐいっと掲げた薄黒ストの『半月殺法』を跳び上がって一閃、町長秘書と丁々発止、脚を打ち付け合う月脚礼賛。


「そんな血の気の引いた脚をして、痩せ我慢も大概にしたらどうだね? まるで過酷なダイエット中のようだぞ!」

「痩せ我慢じゃあない、カラ元気だ! さっきわたしを一発刺した男が、より一層に男前になったからな。喜んでるんだよ!」

「あなたのような品のない女と付き合うのは許しません! あの子と即刻別れなさい、月脚礼賛!!」

「終、熱くなるな。この女に乗せられるんじゃあないッ! 別れさせたいなら、切って捨てて死別させればいいんだ」

「へえ? そうかい? はっはっはっは……! 今のわたしを切って捨てられるか、歯牙終? これでもあんたの思い描いた『剣脚商売』の脚本通りになっているか、歯牙直哉我!」


 手負いのショーパン黒ストッキング剣豪は、先程まで著しく動きに精彩を欠き、敗色濃厚だったはずである。

 だが、その敗色の濃さは、今や数十デニールの黒ストのように薄くなり、脚取りはかつてないほどにキレを増している。


「わかるぜ……礼賛……。手に取るようにわかるんだ……。今そこに、“ある”んだろ? 今そこに、“いる”んだ……! お前はそこで、戦っている……!」


 腫れて開かぬ瞼を、むしろ固く閉じ。果轟丸は思い描いていた。

 彼が買った女の脚を、寸分違わず脳内で。

 『心眼』。

 その美しさ、その歩み、見とれ続けた女の姿は、否が応でも像を結ぶ。

 見ずともわかる。

 美脚を眺めるにあたって、目が見えないことなど最早、なんの問題にも成り得ないのだ。

 礼賛は叫びながら脚を振るう。


「右!」

「くっ」

「左!」

「ぬっ」

「下! 上!」

「ぐぬっ」

「前! 後! 左下! 右上!」

「そうやって声を上げて、あの子の頭の中により正確な脚の軌道を想像させようとしているの……? いいアイデアね、月脚さん」

「左上! 右下! 真ん中!」

「でも攻撃箇所を宣言していたら、こちらは余裕で受け流せるわ。それは悪手よ?」

「こんな声など聞かずとも、今のゴーマルだったら全て見えているだろうさ。上! 下! 左! 右! 前後! 天地! ほらほらほらほら!」

「じゃあどうしてわざわざ宣言なんてしているの? 私を見くびっているということかしら!!」

「いかん、そうか……。終、まさかこれは! いいや、無理だ! 不可能なはずだぞ、礼賛ッッ!」

「この月脚礼賛の……美脚人生最高峰の切れ味。ようく見届けてくれたようだな二人とも」


 ここにきて、クライマックスシーンを映し出していた市長室のモニターが、一斉に消えた。

 何故ならカメラが、その様子を捉えきれなくなったからである。

 カメラだけではない。その場の誰もが視界を一瞬失った。

 市長室の開いた天井から照りつけていた月光も、届かない。

 いいや、月光を覆い尽くす程の黒雲があったからこそ、ありとあらゆる光が寸時消え失せ、この場の映像が誰にも微塵も見えなくなったのだ。

 かき曇る黒雲の正体は、脚を砕かれ戦力外となってソファーに横たえられていた、黒タイツ眼鏡女子高生の八百万やおよろずデニールの脚であった。

 闇に包まれた少女の執念、沁み出して月夜を飲み込み、天を喰う。

 ひしゃげた眼鏡ごしに、負門常勝おいかどじょうしょうは笑った。


「……よしなに」


 バニーガーターストッキング秘書、歯牙終。彼女が事態を理解して、次に起こる出来事を予測し目を凝らそうとするも、時は既に遅すぎた。

 八百万やおよろずデニールの暗雲は刹那に掻き消え、再び月明かりが戦場を照らす。だが、歯牙終の視界はまだなお、淡い闇に飲まれたままであった。

 ガースト秘書の目の前には、薄黒ストにショートパンツの女の股間が存在している。太ももに顔を挟まれ、見渡すかぎりはストッキングである。

 市長室にて立ちすくむ、歯牙直哉我町長。その上に肩車で乗っている、歯牙終。更にその上、歯牙終の首に相対してまたがっている、月脚礼賛。

 魅せつけ続けた脚が視界から消え、おののく相手の間合いに入って投げ飛ばす。月光照りつける青天井では実施不能と思われたこの技が、負門常勝とのコンビプレーにて、ついに結実した。


「『灰暗死腔ハイドアンドシーク』!!」


 力を入れて脚を曲げ、薄くなった布地から地肌のスケ感バッチリの薄黒ストにて、月脚礼賛、股ぐらに挟み込んだ歯牙終の吸気すら支配する。

 その透け感、実にフェミニン!

 喉を圧迫し身動きを封じ、三人組の肩車からガースト秘書を引っこ抜きつつバック宙、市庁舎の床に全力で投げ落とした。

 割れるタイルに、飛び散るノンフレームの眼鏡。

 奇しくもその落下場所は、秘書謹製の類似技『背暗死腔ハイドアンドシーク』が負門常勝に極まったのと、同じ場所であった。

 『K.O.』! 勝負は決した!


「これで……わたくし達の勝ち……ですわね」

「ああ。よくやったぞ、常勝。お前は負けていない……!」

「やはり、勝利のために貴方に与して、正解……でしたわ……」


 今際の際に勝利を噛み締めながら、黒タイツ眼鏡女子高生・負門常勝。

 ここに眠る――。


「なあ、礼賛。『K.O.』って聞こえたってことは……。やったのか? 終わったのか?」

「……常勝と、老師と、お前のおかげでな。よくやった、ゴーマル」


 腫れた瞼で辺りが見えぬ果轟丸。

 礼賛の足音のみを聞きつけて、自分のもとに歩いてきたのを知り、どうにかこうにかハイタッチである。


「戦いは、終わった。だけれどまだ、終わってはいない……」

「え、どうして? 何が終わってないんだ、礼賛?」

「町長がどこかへ消えた。用件もまだ……済ませていないんだ。八咫鏡も取り返していないしな……」


 美脚剣士たちの多大な犠牲を持って、戦いは終わった。『剣脚商売』は終わりを告げたのだ。

 いや、本当に『剣脚商売』は終わっているのか?

 最終回、続く!

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