第28話 脚にタイツの喩えもあるさ、さよならだけが人生だ

 少年は孤児みなしごであった。

 かすかに脳裏に浮かぶ父や母は、ザブリと斬られて血にまみれている。まだ幼子であった彼を、一人だけでも逃がそうとしたはずだった。

 凄惨な思い出の故か、それ以外の記憶は途切れ途切れである。

 ドブとゴミに包まれて這い歩き、なんとか生き延びた。それだけは確かな事実だった。


 幾年月が過ぎ去って、今。彼には暖かな家はなく、学舎まなびやに通うこともない。日々の糊口をしのぐだけで精一杯。

 大人たちが作った社会を、毛頭信用していない。助けは受けない。一人で生き抜く。そう誓った少年が選んだ道は、盗みである。かっぱらいである。ひったくりである。

 だが、しかして。今や戦中たる美脚闊歩のこの脚長町あしながまちに於いては、相手をようく見極めなければならぬ。

 ぽかんと口開けたナマ脚黒ギャルも、フリフリ媚び媚びニーソ女も、割烹着姿の主婦でさえ、その正体は名だたる剣の使い手である可能性があるのだから。

 とはいえ、だが、むしろ! 少年は美脚を目当てに盗みを働いた。何故ならそれは、彼なりの復讐であったから。

 父母の命と家庭の平和を奪ったあいつらが憎い。剣脚に対する少年の恨み、骨髄に徹す。


 まずは身なりを見ろ。金持ちそうな奴を探せ。そしてその脚を見ろ。切れ味鋭い業物をチラつかせている者から優先して奪え。相手が男であったとしても、用心棒に剣脚を雇っている場合もある。周到に目を光らせて、タイツ美脚を見逃すな。間合い見きって斬られぬように立ち回り、一泡吹かせて走り去れ。

 そう肝に銘じていたはずなのに、その日は逃れることが出来なかった。まるで魔性に魅入られたかのように、刃紋に飲み込まれたかのように。何かが彼の歩みを遅らせた。

 気づけば少年は中年に首根っこを掴まれて、ジタバタと手足を振るうことしか出来なくなっていたのである。


「はなっせよぉ、こらぁ!!」

「ぐうーぬはははははあぁ! これはまた目の付け所がいい小僧を捕まえたものだ!!」

「いかがいたしますか、町長」

「これほどの人材。当然! 至極! 丁重にお迎えしよう。連れて行け」

「かしこまりました」


 抵抗むなしく車内に押し込まれる少年は、果轟丸はて ごうまる

 車を運転する有能なガーターストッキングの眼鏡秘書は、歯牙終しが つい


「どこへ連れて行く気だ、てめぇ!」

「君も男ならば理解し給え、少年よ。男の圧というものを。俺は脚長町あしながまち町長だ。その権威を、男の本能として、肌で感じはしないかねェ……?」

「うぐぬっ……!??」

「アメでも舐めてそこの座席にしばらく埋もれていたまえ。なァに、俺の家へ連れ込むだけだ。その後、とっくりと良い物を見せてやろう」


 轟丸少年の隣に着座、口ヒゲ歪ませて彼を見下し、暴れを気迫で封じる中年男性は、歯牙直哉我しが なおやが町長である。

 一体この男が持つ絶対の自信と、ド太いカリスマは何なのか?

 それを誇示するに足る町長邸に到着するなり、ヒゲの中年は手を打ち鳴らし、高らかに叫んだ。


「向こう五時間のスケジュールを、全てキャンセル!! 俺と小僧に、お前も付き合え、終」

「かしこまりました」

「は、はぁあ??」


 わけも分からず只々ただただいたづらにもてなされる、果轟丸。

 御馳走の並んだ食事の席を用意され、町長室を始めとした公私双方の各部屋を案内され、『三種の神器』である八咫鏡やたのかがみすら見せられ、再び外出しては改造中の市庁舎や、ついでに遊具だらけのショッピングモールやら動物園に映画館なども経由、更には実験場での試作段階全身タイツサイボーグのすらりとした肢体の威力までを目の当たりにし、またも町長邸へと逆戻りする。

 町の最高権力者の直々の案内で、脚長町そのものによる歓待を受けた格好だ。憎みつつ住んでいた、この町に。その観光スポットに。誠心誠意もてなされた轟丸。

 戸惑う少年に、歯牙町長は言う。


「どうだね? 見たか? 知ったか? 恐れいったか? 少年、その目で!! 優れたその目で満喫したのか!! ええ? どうだね君ィ!?」

「なっ……なんなんだよお前は……? 何がしたいんだ、おっさん……??」

「何者かと問われれば、何度でも君の身に刻み込まれるまで応えよう。俺は脚長町の町長だ。つまりは少年、君が住まうこの町の絶対的支配者にしてルールがこの俺だと言うことだ!!」

「わっ……? わっけわかんねぇ……? ひったくりのガキをもてなして、何が楽しいってーんだよ?」

「そうだ少年! その身なり、あの出会い! 食い詰めてのひったくりなのだろう? 俺が町長だということを知ってか知らずか、隙を見てカバンをひったくって、メシのタネにしようとしたわけだ?」

「そうだよ、ドジっておっさんに捕まった、どこにでもいるくだらねーガキだよ! とっとと警察でもなんでも放り込みゃいいじゃねえか! 遊びに連れ回す意味がわかんねえ!」

「警察に突き出す? そうはいかんなァ……? どこにでもいるだって? いいや、いやァしない! こんな戦災孤児は易易と見つかるものではない。君はただのひったくりではない。俺と同種の存在だ!!」

「いちいち興奮すんなよ……! やべーな、このオッサン……」

「少年よ、君がカバンを盗み取ろうとした際の、あの眼力。寄らば斬るというガースト美脚を、脚の付け根から爪先まで見つめながらの窃盗行為。気に入った!!」


 歯牙町長が促すと、秘書は特殊な計測機器を取り出して、「こちらです」と開示する。


「俺は君のような存在を求めて、眼球速度を測るスピードガンで町の男どもの視線を日々測っていた。君が先ほど出した数値を見たまえ、161キロだよ? これはプロで食っていけるレベルの記録だ!! 素晴らしい、名を名乗れ、小僧!!」

「は、果轟丸……だけど……」

「果君、ひったくりを卒業させてあげよう。君が望むものを俺がくれてやるぞ! 金も家もメシも、なんならアシもくれてやる! 全身タイツサイボーグを見かけた時の君の視線も実に素晴らしかった! どうだ、アレが欲しいかね? 一体やろうか?」

「ちょっ」

「いやァ若い人材というものはいるものだ? これからは少年少女の育成に政治力を傾けることを誓おうじゃあないか! そうだ、学校にだって行かせてやろう。なんなら俺と終が家族代わりになってやったっていいんだぞ? ただしだ? ただし、条件がある!!」

「きっ……! きっもち悪いなぁ……オッサン……! そんな……ことまでして……。オレに何をさせようって言うんだよ……?」

「これから始まるショーの幕引きを、君に任せたいのさ。果轟丸君」


 歯牙町長は政見放送演説よろしく、マイク片手に自らの思い描く『剣脚商売』の脚本を語って聞かせた。

 曰く、三種の神器が集合する日は近い。この町に集まった神器の使い手と果轟丸を接触させ、ここぞという最終決戦で裏切らせ、最後の一刺しとして観客の度肝を抜こうと言うのである。

 安全に神器を回収しつつ、どんでん返しで注目を浴びる。「所詮は全て町長の手の上なのだ」と知らしめ、実力をひけらかす意味合いもあった。


「君ほどの眼力を持ってすれば、あの無頼者の購入者としての権利を得ることも容易いだろう。あとは適宜、俺が町に放った『刺脚』と戦うように仕向けていけば、嫌でも最後はこの町長と、りあう結末となるはずだ」

「けっ、バカバカしい。あのなあ、オレは剣脚なんか大っ嫌いなんだよ! この町も、お前らも!! 勝手にやりあって全員ぶった切られりゃあいいんだ!!」

「そうそう、その調子だよ轟丸君。彼女のパートナーと成った暁には、それぐらいの気概で支え、俺のところまで駆け上がってきてほしい。その上でラストに起こる裏切りの顛末が、『脚本』の最終段階なのだから」

「勝手に話を進めるんじゃねえよ! オレはやらないって言ってんだ!!」

「ほう? では金も家もメシも脚も家族もいらないというのか。仕方あるまい、報酬を更に釣り上げるとするか」

「お前みたいなのに何をもらったって、オレの気は変わらねえよ!!」


 いいや、気は変わった。

 歯牙町長が提示した、この役割を果たした際に果轟丸が得られる報酬は、金と家とメシと脚と家族を全て足しても届かず、それでいてそれらを内包するものでもあったからだ。

 脚長町の複製品の贈呈である。


「教えてあげよう。君が先程味わったこの脚長町の全ては、俺が八咫鏡で複製したものだ。コピーした脚長町に招待してあげたんだよ」

「えっ……? はぁ……??」

「そう言われるまで気づけぬほど、本物そっくりの脚長町だっただろう? これを! 君に! くれてやろう!! 町をひとつ手に入れて、鏡の向こうで幸せに人生をやり直すといい。君はまだ若いしなァ……無限の可能性を得たも同然じゃあないか」

「あ……ああ……? ええぇ……??」


 報酬の多大さの前に、少年は屈した。

 町が欲しかったから歯牙直哉我に従ったのではない。

 そっくりそのままの町の複製を作り出す、『三種の神器』の力に、おののいたのだ。抗う意思をすりつぶすに足る、強烈な力の誇示。

 ヒゲの中年は満足気に笑った。


「やってくれるね? 果轟丸君」


 こうして轟丸少年はストリートチルドレンを脱し、学校に通い友人を作り、その類まれなる眼力により数カ月後に現れた標的を発見。

 脚を隠して脚長町に現れた月脚礼賛つきあし らいさんを最初に発見したのは、轟丸少年であった。切れ切れになったボロ布の隙間から見えた数ミクロンの繊維を見抜き、天叢雲剣あめのむらくものつるぎを履いているのはこの女だと、少年は確信する。

 尾行を始めた直後、幸いにも剣脚同士の戦いが始まったため、その場に偶然居合わせていたという体で観戦を行い、実力を買われて購入者の権利も無事に獲得。

 また、月脚礼賛と出会ったその夜には。


「なんだろ、今の声」

「さあな。絹は裂けれどタイツは裂かぬ、わたしの心には届かない悲鳴だ。大方、剣脚の野試合か夜討ちだろう」

「オレ、見に行ってみようかな」


 ヘル・レッグケルズの狩場に自らが赴くことで礼賛を更なる戦いに巻き込むことに成功。戦いの場となった空き地が小木少年と鉄人の憩いの場であることも、果轟丸は既にこの時、知っていた。

 臨機応変、アドリブ混じりの部分も相当にあるとはいえ、概ね事態は町長の『脚本』通りに、戦いと交友の導線に沿って行く。

 全てはこの一瞬の、決戦場での裏切りの矢を放つために仕組まれた、半年以上に及ぶ壮大な罠だったのだ。

 かくして、カメラは今そこで起きている現実を捉え、好事家共に向けて華々しく放映す。

 天井開き、月明かりに照らされた市長室にて、思惑のままの『脚本』の進行に、半年前と同じように満足気な笑みを浮かべる歯牙町長。

 その肩に乗ったバニーガースト秘書、歯牙終。

 彼らラスボス達に相対し、決死の一撃を加えようとしたところで背後から一刺しにされた、月脚礼賛。

 礼賛の腰に深々とドスを突き刺した張本人、果轟丸。


「さァ。驚きと葛藤で塗り固められた男女の悲喜こもごもを、御覧の皆様にお届けしてくれたまえ。役者は揃った。舞台は整った。みんなが期待しているから俺は勿論、邪魔立てはしないさ。渾身の茶番が終わったら止めを刺し、天叢雲剣をいただいて、最終回とさせてもらおう」


 殊更にカメラを意識して語る歯牙町長の顔は、市長室壁面のモニター群に何十と映し出され、狂おしさを増幅させていた。

 今か。今かと。

 固唾を呑んで待っている。

 もつれにもつれ、望みに望んだ、いびつな男女のパートナーが、目前でどんなドラマを紡ぐのかを。


「悪ぃ……! 悪ぃ、礼賛……っ!」


 口火を切ったのは、彼だった。

 自ら買った愛しの剣脚を、この期に及んでズブリと刺して動きを止めた、轟丸少年である。

 その顔は泣き濡れ、ぽたぽた涙は垂れ落ちている。


「オレは、あのクソ町長の手下だったんだよ……! お前のそばに居て、最後に裏切る役目だったんだ……っ! クソっ……クソっ……! クソはオレのほうだ、クソぉっ……!!」

「はっ……! はっはっはっは……! ゴーマル……!」


 受け答える礼賛の腰からは、ぽたぽた血が流れ落ちている。

 男の涙と女の血。いたたまれぬ体液の交錯の中、しかし彼女は笑っていた。

 月脚礼賛、深手を受けて蒼白のまま、背後の轟丸少年を見遣り。月に照らされた綺麗な横顔で笑う。


「子供だな……お前は。後ろから女を刺すなら、そこじゃあないだろう……? まったく、仕方ないやつだ……。帰ったら、わたしが教えてやるよ……」

「礼賛っ……! クソぉっ! こんな時まで、強がるな!! オレがガキだからって茶化してんじゃねえや!!」

「茶化してなど、いないさ……」

「うっ、クソぉおっ!! お前はそういうやつだよな礼賛……っ!! だからオレ、お前のことが……お前には、生きてて欲しいんだっ……!! ああもう、チクショウっ!!」


 悔恨の渦の中、轟丸少年はようやく女のほうを向いて語った。

 視界は滲み、相手の顔は月夜の風景に溶け込んで、歪みっぱなしではあったが。


「あの町長は、本当に、本当にヤバイんだ……! お前の履いてる神器もそうだし、町一個だって複製出来るんだ! あんなのと戦ってたら、命がいくつあっても足りない……! だから、ここでリタイアしたほうがいいっ……!! オレに刺されて退場ってことにしようぜ……? そのほうが安全……じゃ……ないか……?」

「……なるほど……。ゴーマルはゴーマルなりに考えた末で、わたしを刺した。と、いうことか……」

「これが正解なのかはわかんねえけど……! お前が死ぬよりは……オレが裏切ってでも……! 今ここで止めたほうがいいのかなって、思って……クソっ、わかってんだ! こんなんオレに都合のいい、言い訳だよな!!」

「いやはや全く……。女の体を気遣えるところは……将来性があるが。悶々と考えた結論に一人で突っ走るのは良くない傾向……だな……」


 ガクリと脚を曲げ、月脚礼賛は片膝をついた。

 挿入されたドスはそれでも抜けぬほどに、強く突き立てられている。弱々しく狼狽するのは、果轟丸のみであった。


「ここまで一緒に戦ってきたゴーマルに、最終回の幕を下ろしてもらうのも、まあ悪くはない……かもな……」

「じゃっ、じゃあ、早くここからズラかろうぜ? ばあさんと一緒に逃げて、その傷も治してさ。すぐに治療すれば、なんとかなる……よな……?」

「まあ待て、ゴーマル。せっかくだ……。お前がここまで心の内を曝け出してくれたんだ……。この機会にわたしからも言いたいことがある。先方もそういったドラマを望んでいるようだしな……?」


 礼賛が町長を睨みつけると、バニー秘書を肩車したまま、この中年は満足気にうなずいた。

 「ご協力、痛み入る」とつぶやく町長を鼻で笑い、薄黒ストにショートパンツの剣脚は、主人公らしく堂々と語るのである。


「ゴーマル。お前が腹に一物抱えてわたしに接触し、この戦いに身を投じたということを……。“わたしが今まで気づいていないと思っていたか?”」

「えっ?」

「何ッ!?」


 剣脚商売、最終回。

 続く!

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