第16話 あなたはそこで戦っている

 ――それはまるで冥闇くらやみのようだ。

 目を閉じて心の奥底に浮かぶ、鈍い黒みを持った箱庭のようだ。

 そこにあるものは全てが暗い色で覆われているが、目に見えぬわけではない。

 ただし全てがべっとりと、よくわからぬ暗い色で覆われていることには変わりがないのだった。

 自分自身の手足すらも、その例外ではないのだった――。




《ヲ……ヅ……ナニィー……》


 響き渡る声はとうに、人外のものである。

 暗澹たる黒色化繊は、市庁舎内のホール全体を隅の隅まで、びっしりと埋め尽くすまでになっていた。

 黒タイツ眼鏡女子高生の剣脚である負門常勝おいかど じょうしょうは、八百万やおよろずデニールの黒剣と化すに留まらず、今やひとつの深淵に成り果ててしまっている。

 勝利を嘱望するがゆえに、好敵手と手を組み脚を組み、大暗黒の黒タイツを履いた末、我を失い魔剣に堕ちた、負けん気の固まりであるこの娘。

 無闇矢鱈に食指を伸ばして、あれもこれもと飲み込む闇から悶える脚は、正気の沙汰とは到底思えぬ。

 さすがに対処の仕方もわからず、月脚礼賛つきあし らいさんはひとまずホールの外へと逃げ延びていた。

 勿論、このショートパンツの剣脚の相方であるところの、果轟丸はて ごうまる少年も伴ってである。

 ロビーで顔を見合わせる、女と少年。

 次なる戦いに赴きたいが、共に戦った仲間を捨て置くわけにもいかない。ましてやこの広がる黒い穴、放置すればどこまで災厄が広まるか、わかったものではないのだ。


「常勝ねーちゃん、こないだの戦いじゃあもう、ヨシナニしか言えなくなったと思ってたら……なあ」

「ヨシナニすら言えなくなってしまっていたな」

「ああ……せっかく勝ったってのに」

「さてゴーマル、これは結構難儀な問題だぞ。斬るも倒すもやりようがないし、わたしを蝕む暗黒の対応策も知りたいところだ」

「えっ、礼賛? その脚は……!」


 驚き目を見張る轟丸少年が見たのは、月脚礼賛のショートパンツから伸びた、薄黒ストの脚だ。いつも見てる。何度も見てる。

 今日に限って見る目が違ったのが何故かといえば、礼賛の履くこのストッキングのデニール数が上がり、いつの間にやら黒みが圧倒的に増していたからである。


「さっき常勝から離れるときにな、あの闇がまとわりついてから、このザマだ。これじゃあ地肌の透け感がまるで足りない。切れ味も鈍ろうというもの」

「おい、いよいよ決戦だってのに……どうするんだ、礼賛?」

「これはこれでゴーマルにとっては新鮮だろう?」

「バカ! 笑ってる場合かよ!」


 咎める轟丸少年ではあったが、いつもと違う黒みの濃さが新鮮なのは真実だ。

 いやいや、これでは礼賛の持ち味が発揮できない。黒色の濃淡は死活問題、事態は一層深黒である!

 だが、しかして。


「諸々の禍事まがごと つみ けがれ有らむをば」


 その時ロビーに響き渡った、無垢な少女の響きは祝詞のりと


はらたまひ きよたまへともうす事を」


 侵食極まる負門常勝の黒脚の闇を、集まる視線が招く光で白々しくも受け止めて、朗々と声は続く。


聞食きこしめせと かしこかしこもうす」


 闇を鎮め、禍津まがつなだめる、言葉と光と白き脚。

 シャンと錫杖鳴らして付き添う修験者姿の翁を従え、現れ出たるは一人の幼女にして妖女。

 白タイツ巫女ロリババア、飛車ひしゃしろみの参上である。


「……老師!! 来てくれたのか!」

「しろみじゃないと解決できないことも、あるかと思ってお。来たおー」


 月脚礼賛の呼びかけを受け、一転して気の抜けた声で応える老師、飛車しろみ。

 幼さあふれるその容姿はいつもながら、『老師』の呼び名と相反する違和感と、それでもその敬称を納得せしめるだけの気高さに、溢れていた。


「年寄りの冷や水にはならんようにしたいところじゃな、しろみさん」

「そうだお。ジジイはしろみの補佐だけやっていればいいお」


 白タイツ巫女の傍らの翁は、飛車しろみの相棒たる、例の好々爺である。果轟丸に二ヶ月間の美脚直視特訓を施したことも、記憶に新しい。

 修験者となったその姿は、かつての気軽なカメコの装いとは、だいぶ趣が違う。その似合いようからして、こちらが本来の佇まいなのかも知れない。


「じいさん! これを見てくれよ。礼賛の脚が、常勝ねーちゃんの闇に巻き込まれて!」

「ほっほっほ。膝を曲げても地肌も透けんし、こりゃあボウズも、さぞかし残念じゃろうなあ」

「そっ、そういうことじゃなくてさ? あの、礼賛の持ち味がさ、切れ味が……落ちるって言うから、ほら……。こんな、常勝ねーちゃんみたいになっても、何だし……ほら」


 しどろもどろに正当性を唱える轟丸少年。幾分かわいい。


「いや待て、ゴーマル。わたしの脚はもう……元に戻っているぞ?」

「えっ?」


 モノトーンのコーディネートからスラリと伸びる月脚礼賛の脚は、膝や脛のライン際立つ、本来の薄手の布地に戻っていた。

 果轟丸がまじまじと見つめて確認したので、間違いはない。


「しろみの祓詞はらえことばが効いたんだお」

「はらえことば……? なんだそりゃ? オレの知らないファッション用語? それとも剣脚用語か?」

「さあなゴーマル、わたしも知らん。老師のことだから、コスプレ用語かも知れないが……?」

「さっき出てくるときにしろみが唱えた祝詞のりとのことだお! しろみの本職は宮司だお、本領発揮したんだお!」


 小さい両手を高々上げて、飛車しろみはぷんすか怒る。

 ロリの見栄えとコスプレイヤーの印象で忘れてしまいがちではあるが、確かにそうなのだ。彼女の住まいは神社であり、彼女の役職は宮司であった。


「これはいわゆる、けがれというやつだお。アンタの脚についた分は、神事の前のお清めで唱えた祓詞はらえことばで、削ぎ落とすことが出来たお」

「しろみさんの輝かしい『脚光きゃっこう』も、効いておるようじゃ。さてでは、本格的な忌みに入るかの」

「そうするお」


 言うが早いか、修験者姿の翁は錫杖を分解・展開し、やはりこれも三脚だったかと床に設置、カメラを準備。飛車しろみの一挙手一投足を撮影の準備に入る。

 レフ板やストロボを利用して、『脚光きゃっこう』の補佐も万全だ。


「まずはこのおびただしい黒不浄の浄化を行うのが、最優先だお。白タイツの『脚光きゃっこう』で、黒タイツの勢いを弱めるお」

「黒タイツ女子高生が、いまや黒不浄か……。なあ老師、こいつはどうなるんだ? 負門常勝は、元の剣脚には戻れるのか?」

「この子が履いている八百万やおよろずデニールの黒タイツは、アンタの“それ”に対抗するために、穢れをり集めて作られた妖刀だお。穢れに包まれる閉塞感に囚われたものが、その後どうなるのかは……しろみにもわかんないお。それに……」

「……それに?」

「黒不浄とは、『死』のことだお。この子、もしかすると、もう」


 老師の白タイツの脚は、白い輝きから赤熱に姿を変えていた。

 周囲の空間ごと闇に飲み込もうとする黒タイツの触足しょくそくに対し、火花を散らしてガシンガシンと蹴り返す。


「あっ、それ。オレ見たことあるぞ。鍛冶場で礼賛のストッキングを蹴っ飛ばして打ち直してた時の、あれか?」

「そうだお、これは忌み火だお。光と火で、穢れを抑え込み、精錬するんだお」

「しろみさん、これを」


 うやうやしくも翁が差し出すのは、大幣おおぬさである。

 榊の枝に紙垂しでをつけた、神職が振るう払いの道具。

 これを白タイツの指にむんずと掴み、右へ左へ振ることで、儀式はいよいよ佳境に入っていく。

 穢れで編んだタイツの闇を、鎮めて清めて喰い止めて。


「さすがだな、老師……。『脚光きゃっこう』の白き脚、忌み火を扱う赤き脚、更には大幣おおぬさを振るう清き脚。おかげで見る見る、負門常勝の黒タイツの闇が収まっていくぞ」

「……あれ? おい礼賛、ちょっと待てよ。確かにこれ、すごいけど……」

「どうした、ゴーマル」

「脚、三本ないか?」


 これぞ『三脚さんきゃく』!

 賢明な諸氏は既に周知のことであろう。三脚は安定感がハンパない。


「今だお、礼賛! 闇の侵食をしろみがこうして抑えている間に、共に戦った仲間の子を……アンタが救い出してやるんだお!」

「救い出すって、どうやってだ? 老師?」

「目の前の深淵に立ち入って、強引に引っ張り出してやるんだお。もう自力では、あの穢れの塊は脱げないお。アンタが脱がしてやるんだお!」

「そうか……」


 月脚礼賛、黒き渦の奥をグッと見据え、片脚上げて次の一歩を踏み込まんとする。

 脇に控えし果轟丸も、意を決して呼吸を整える。

 ところが礼賛は、そんな少年を片手で制した。

 納得いかない風で見上げる轟丸少年の目を見つめ、ゆっくりと首を横に振る。


「なっ、なんだよ! オレはついてくるなっていうのか、礼賛?」

「ほっほっほ、まあ賢明な判断じゃな。ボウズにはさすがに荷が重いじゃろう」

「じいさんまで……何だよ!」

「まあ聞け、ボウズ。月脚のお嬢さんもじゃ。あの闇の中にはな、あの深淵が産まれるまでに至る、それこそ八百万もかくやという魔人剣脚が待ち構えているはずじゃ。救出どころかお主らが行きて帰ってこれるかもわからんぞ」

「うるさいな、これはオレと礼賛の問題だ! たとえどんな敵が待ち受けてたって、礼賛が行くならオレも行くってーんだ!」

「いいや……違う。違うぞ、ゴーマル」

「なんだよ、何が違うってんだよ、礼賛!」

「わたしとお前の問題では、ないんだ」




 ――それはまるで冥闇くらやみのようだ。

 目を閉じて心の奥底に浮かぶ、鈍い黒みを持った箱庭のようだ。

 そこにあるものは全てが暗い色で覆われているが、目に見えぬわけではない。

 ただし全てがべっとりと、よくわからぬ暗い色で覆われていることには変わりがないのだった。

 自分自身の手足すらも、その例外ではないのだった。

 そうした自らの姿や、思いや、視界を、覆い隠すような闇が何度か吹き抜けていって、そのたびに色は黒みを増していく。

 そこはまるで、井戸の底のようだ。

 淀みにもがくのすら恐れ、膝を抱えて座り込み。自らの叱責に、“まるで他者から放たれたかのような”自らの叱責に、埋もれていく場所のようだ。

 疑問も、呵責も、憎悪も、自戒も、救援も、吐き出す全てが響いて跳ね返ってくる、冥闇くらやみから。

 あなたはどうすれば、抜け出せるというのだろう。

 やすやすとは光明が見いだせない戦いは、そうして、いつまでも続いていく。

 けれども、そこで、ずっと、戦っている――。




「負門常勝をこの闇から助け出すなど、やめておこう」

「えっ!?」


 ショートパンツの剣脚が放った意外な言葉に、轟丸少年も、ロリ老師もカメラ翁も驚いた。

 モデル立ちの仁王立ちにて、月脚礼賛は語りかける。


「よりにもよってこの戦後のドサクサに、常勝などと名を付けられ、何かと背負い込んでいるんだろう? 負門常勝! お前はわたしに少し似ているところがあるな」

「……そんなことを言ってこの子を鼓舞しようとしても、アンタの声はもう届かないお。残念だけどお」

「かもしれない。だけれど老師、こいつは本能で抗う女だ。負けを認めず勝ちにこだわる女だ。自らの勝利の為にはわたしなんぞに協力し、心囚われようとも貪欲に力を求め続けた女だ。そんな奴に、気軽に救いの手を差し伸べてみろ? 待ってましたと言わんばかりに、食いちぎられるのがオチというもの。だからといって足蹴にすれば、掴みかかって這い上がってきそうだ!」


 くるりと振り向き踵を返し、礼賛は優雅な足取りで一歩一歩とロビーを去っていく。


「負門常勝、こいつは――自力で戻ってくる。それまで老師、せめて暗闇の拡散だけでも、抑えてやってくれないか」

「……そういうことかお。わかったお、もともとしろみはこの子を抑えるためにやってきただけだし。決戦の方はアンタに任せてるお」

「お、おい、待てよ礼賛! オレも行くって!」


 こうして月脚礼賛と果轟丸は、共に戦った仲間を前向きに放置し、次なる戦場へと足を運んだ。

 折しも警察戦力が、総力戦の末に敗れたのと同タイミングであり、その衝撃と轟音は礼賛たちのもとにも届いていた。

 異変を感じて駆け足になる、礼賛と轟丸。

 そんな二人の後方からは、蠕動を続ける闇を切り裂き、黒々とした異物が「ペッ」と吐き出される。

 振り返ることもなく後ろ手にパシンとそれを受け止める、月脚礼賛。

 オイカド印の串カツ駄菓子であった。

 黒く染まった包装を裂き、月脚礼賛はカツを食して、「毎度あり」とつぶやく。


「……なあ、礼賛。ところでさ」

「どうした、お前もカツを食うか? ゴーマル?」

「いや、どうせ腹ペコなんだからお前が食えばいいけどさ……。そうじゃなくて、そろそろオレも知りたいんだよ」

「知りたい? 何を?」

「礼賛が履いてる、“それ”って何なんだ?」


 果轟丸は目線で“それ”を促すが、いつも見ているので視線での誘導にあまり意味がなかった。

 “それ”とは即ち、月脚礼賛の履いている、黒のシアータイツのことである。


「ヘル・レッグケルズは、“それ”のためにタイツ狩りの技を身に着けたって言ってたし。常勝のねーちゃんがおかしくなったあの黒タイツも、“それ”に対抗するために作られたって話なんだろ。町長が欲しがってるのも“それ”なんだよな? “それ”って……何なんだ? 町長は確か、『三種の神器』って言ってたよな?」

「そうだな。最終回にはまだ早いが、いいだろう。走りながらついでに教えてやる。だがいいか、置いて行かれるなよ?」


 果てさて一体“それ”とは何か、町長の思惑とは何か、月脚礼賛とは何者か、老師・飛車しろみとの関係性とは何なのか?

 種種雑多の履物の強さや戦いをつぶさに見てきた我々だが、ここに及んで未だ、主人公たる彼女の力の理屈については、ほぼ解説されていない。

 月脚礼賛の履く“それ”は、一体どういうメカニズムにて、連戦を物ともしない脅威の切れ味を誇っているのか?

 少々昔の話をしよう。

 時代は下り、紀元前六百六十年以前、神代の頃に『三種の神器』は存在した。

 中でも傑出した武力を誇っていたのは、天叢雲剣あめのむらくものつるぎである。

 脚のラインの陰影際立つ唯一無二のシャドウ編みストッキングである天叢雲剣は、女性の脚にまとわれることで力を発揮し、あらゆるものを切り裂いた。

 かつてこの神剣を脚にして、倭国わこくの頂点に立った女の名は、卑弥呼として後世に知られている!

 次回、剣脚商売。

 過去編。

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