第5話 交錯する思惑は網タイツが如し
ガチャリと玄関の鍵を開け、乱雑に転がる靴を避けて、入り込む女が一人。
部屋の中央に垂れ下がった紐を一本、闇の中から手繰り寄せて真下にぐいと引っ張れば、蛍光灯のもとにさらされる、3DKの団地の間取り。
散らばる衣服や雑誌や菓子や、ゴミの類を一箇所まとめ、室内干しの下着の山もベランダへ移動させる。
その場しのぎの片付けに、孤軍奮闘する姿。彼の者、一体何者かと言えば――。
ボディ・コンシャスなワンピース。
玄関先で脱がれた真っ赤なピンヒール。
畳の上の網タイツの脚は実に実に長く、その長身をより一層際立たせる。
この者、名を、『
「……片付いた」
「ありがと、鉄人。じゃあ上がってー」
「おじゃましまーす」
天井に頭がつかえて猫背になっている、網タイツの巨女、真壁蹴人。
彼女が玄関の扉を再度開いて招き入れたのは、眼鏡の少年と、少年と同年代の友人。更には薄黒ストにショーパンの、疲弊した剣脚であった。
薄黒ストの剣脚といえば、そう。我らが
眼鏡少年の友人は、月脚礼賛を買った
となると。轟丸少年と仲睦まじきこの眼鏡の少年は、一体何者か。
か細き身体に白き肌。眼鏡に映しだされた憂世の美脚は、歪んでいるのか真っ直ぐか。
この者、名を、『
「小木の家来るの初めてだなー。かーちゃんとか、とーちゃんとか、いねーの?」
「うん。僕の家、あんまり両親帰ってこないからさ。あっ、僕の部屋、玄関のすぐ左だから」
「うぃーす」
襖を開けていそいそと四畳半の部屋に向かう、少年二人。
薄黒ストの美脚を投げ出して、その後ろから這いずる蛇のようにして家に上がってきたのは、月脚礼賛だ。
「てかさ、とりあえず何か食べるものないか? うちの礼賛が腹減ってもう死にそうで」
「あ、そうだったね! ねえ鉄人!」
「……」
小木養蜂に話をふられた、網タイツ巨女の真壁蹴人。
食卓に置かれたテント状の編をすっと持ち上げると、そこには以前から作り置きされていたであろう、酢豚の威容が存在していた。
「……食べるといい」
「有り難し!!」
飛びかかるようにして貪り尽くす月脚礼賛。
食に没頭する女性というのも、それはそれで華やかではあるが。
今の姿は端的に言って、美女が台無しであった。
よだれにまみれて油まみれのパイナップルを手づかみで口中に放り込むとは、足癖だけでなく手癖も悪いというかマナー違反。
その汚行を咎めるでもなく、気を回す巨女。
「……飲み物を用意しよう」
「あにあなひ!!」
「『あにあなひ!』じゃねーよ、口いっぱいに酢豚入れながら礼を言うな! お前、脚以外基本取り柄ない感じか?」
「ね……ねえ、果くん」
呆れる轟丸少年の袖を引くは、物腰柔らかな眼鏡少年、小木養蜂。
改めて自分の部屋に、「果くん」こと轟丸少年を招き入れたい様子であった。
「その、月脚……さん? のことは、鉄人に任せておいてさ。さっきの話の続き、しようよ」
「おう、そうだったな!」
かくしてこぢんまりとした子供部屋に集まった、こぢんまりとした二人の少年。
ちゃぶ台を挟んで、『オイカド』印のスナック菓子とジュースを手に取りながら、話は弾んだ。
だがその話の内容といえば、おおむね女の売り買いの話である。
「僕びっくりしたよ! 剣脚同士がやりあってるなあって思ったら、果くんなんだもん。果くんが、剣脚を買っただなんて!」
「あんまり……友達に見られたくねーとこ、見られちまったな。恥ずかしいっつーの」
「なんで? いいじゃん、別に!」
「良くないだろ? てかお前はどうなんだよ、小木! あんなでっかいねーちゃん、お前が買ったのか?」
「……うん。買ったっていうか、その……ね。僕と鉄人は、特別でさ……」
視線をそらす小木少年。何かしらの事情がありそうな面持ちである。
「なんだよ、特別って? 言いにくい話か?」
「僕と、鉄人はね? この団地で出会ったんだ。寂しく一人で過ごしてた僕が、たまたま彼女に出会って……。ほら、うち、あんまり両親がいないからさ。僕が一人だけの時に、ちょくちょく鉄人が来てくれるようになってね……? そんなある日、嵐の晩だったよ。あれはもう僕が買ったっていうか」
「待って。いいや、その話。なんかいいや」
話すうちにどんどん遠い目になっていく小木養蜂の眼鏡と、反比例するような頬の紅潮を見て取り、果轟丸はその話を止めさせた。
複雑怪奇極まりないジャングルに脚を踏み入れる覚悟が、今の自分にはまだ足りないと、わずかばかりの男の本能が判断したためである。
いや、それよりも。彼らには話したい話があったのだ。
「話戻そうぜ。お前があの――鉄人?
「この年で剣脚を買ったなんて……。僕ら二人……オトナになっちゃったね……」
「だから遠い目すんな! そーゆー話はいいからよ小木! お前なんでオレらを助けてくれたんだ?」
問いかけられてきょとんとした様子の小木養蜂。
無垢な笑顔でこう応える。
「だってそれはさ。友達が困ってたら助けたいじゃない? 事情はわからないけど、果くん困ってるみたいだったし」
「……まあ、そうなんだけどよ。連戦で礼賛も疲れてたし、腹も減って動けなくなってたしな」
「鉄人に頼めばなんとかしてくれるなって思って、それで助けたんだ!」
「おう……おう、そうか小木。お前さ、なんていうかそのー……いいやつだよな基本。知ってたけど、知ってたけどよ」
「果くんの役に立てて、僕、嬉しかったよ!」
「お、おう。お前時々そうやってまっすぐこっち来るよな。ぐいぐい来るよな、ぐいぐい」
近寄り手を取る小木少年の手が、ポテチの油でべたついている。
その時、ねっとりとした指を交わし合う少年二人の背後の襖が、しゃらりと開く。
「おやゴーマル。お前、そうか……。へえ……そうか。ほう……」
「ら、礼賛?」
「存外お前……多趣味マニアックなガキだったってことか?」
「何言ってんだ! 何言ってんだお前は!!」
「何言ってんだ」と言いつつも、月脚礼賛の意図するところをいつもすぐに察してしまう辺り、この轟丸少年、年端もいかぬ割りに耳年増なのであろう。
それが証拠に小木少年は、意図がわからず未だに果轟丸の手を握ったまま、油まみれの指を絡めて口ぽかあんであった。慌てているのは果一人である。
「食事が済んだので、礼を言おうと思ってな。だが、今は邪魔か?」
「ううん、邪魔じゃないよ! 月脚さん!」
「お前さ、でっかいねーちゃんには礼は言ったのかよ? さっきの戦場からオレらを助けだしてくれたの、あのねーちゃんなんだからな」
「当然至極。食べながら何度も礼を述べておいたぞ」
「口にモノ含んでない時に言えよ!」
「……養蜂」
轟丸少年と話す月脚礼賛の背後に、ずうんと重くのしかかるようにして現れたのは、只今話題の網タイツ剣脚である、真壁蹴人であった。
少年と、黒スト女と、網タイボディコンが、サイズごとに小中大と居並ぶ姿は、まるでトリックアートのようである。
あのボディコン網タイ女のデカさ、目の錯角か? いや、そこにおわすはまごうことなき、大太刀なり!
「どしたの、鉄人?」
「食卓に……メモが。ご両親、帰ってくるそうだ」
「えっ?」
『十一時頃に戻るネ』のメモを見た刹那、玄関先に響く靴音。扉がガチャリと開けられる音がする。
慌てたのは小木少年である。
「わっ、やっ、えっ。みんな隠れて!」
「え? 隠れる? のか?」
「……こっちだ」
「わっ、わわっ」
空き地から連れて行かれた時と同じように、轟丸少年と月脚礼賛の二人を軽く小脇に抱え、編タイ巨女は子供部屋の押入れに乗り込んだ。
狭くも暗い押入れの中に入って行く、ブラックシアータイツの美脚に、網タイツの長身美脚。二つの業物の収納には、いささか不似合いな場である。
視界を遮断される闇の中で、誰も注視するものがいなかったからこそ、切れ味は大したものでなかったが、本来であればぶつかり次第に刃こぼれ必至の、一大美脚刀剣展示会が開催される運びだこれは。
そんな業物の持ち主である女性二人に挟まれる格好となった轟丸少年。その脈拍、いかばかりか。
「こっ、これっ、どっ、どういうことだっ」
「……騒ぐな」
「おい網タイ女。真壁蹴人と言ったか?」
「……ああ」
「我々を即時押入れに連れ込むだけでなく、わたしのパンプスとお前のハイヒールも玄関先から持ち込んでいる。手馴れているな」
「……ああ」
「せ、狭い、狭いって」
「それに、押入れにしては物がなく、わたしたちが入れるほどのスペースが確保されている。ここがお前の寝床か、網タイ女」
「……ああ」
「あの眼鏡のガキの親には、お前の存在を隠してあるということか?」
「……ああ」
「えっ? 小木のやつ、家族に内緒で剣脚のねーちゃん連れ込んでるってこと? いっ、犬とか猫とかじゃねーんだぞ!」
「……声を荒げるな。バレるぞ」
暗き
その頃小木少年は、小木両親との会話に勤しみ、この状況のごまかしを続けていたが。
あれやこれやと親子の交流が長引いているうちに、夜は更にとっぷりと暮れ、戦い疲れた剣脚たちは――。
いつの間にやら安息の眠りに、ついたのであった。
さても深夜。
子供らと、美容を気にする剣脚たちは、本来グッスリ眠っている時間である。
しかしそうも行かぬ連中もいる。
例えばそう、それは取調べ中の刑事と容疑者たち。
パイプ椅子に腰掛けて余裕綽々の黒ニーソサークルクラッシャー、
取調室の床に蹲踞の姿勢で官憲を睨みつけるナマ脚黒ギャル、
部下からの報告を聞いてあきれ顔の、
「はあ? まだ何も聞いてないんだぞ? こいつらそのまま帰せってか?」
驚きの指示を受け、やせ細った胴をかきむしる『胃下垂』。
その体質からくるニックネームに拍車がかかってしまいそうだ。
「誰の指示だよ、ボスの指示か?」
「いえ、それが……どうやら、ですね」
部下が耳打ちする言葉を聞いて、ぴくりと眉を動かした後、延山胃下垂はうなだれた。
「……お前ら、帰っていいぞ。ヘル・レッグケルズ」
「ですよねぇ~。わたし達、ちっとも悪く無いって、思ってたんですよねぇ~」
「やっぱ後ろ盾があると、ぱねえっす! これでアタシも夢藤も、のんびり戦いの傷が癒せるし?」
「行きましょ~、光田~。マカロン食べさして~」
悠々と去っていく二人の女を眺めつつ、延山刑事はつくづく思う。
乱入してきた網タイツ巨女に、重要参考人を連れ去られたとはいえ、残った最有力容疑者にすら、捜査の手も及ばせぬとは。
ニーソとナマ脚の二振りの刀を見送った後、延山刑事はタバコを一本取り出し、しばしそれを虚空にとどめた。
「火付け役は、入院中、か……。俺の力不足だ、『マグマ』。あいつら取り逃がしちまったよ。けっ」
苛立ち紛れに細長のスタンド灰皿を蹴る。
「『帰っていいぞヘル・レッグケルズ』って言ったら、素直に帰りやがった。自分らがクロだって、あいつら認めてやがんだぜ……ナメやがって」
言いながら自分のライターをあちこち探すも見つからず、仕方なく延山刑事は、くわえタバコを懐に戻した。
このままでは望むと望まざると禁煙になってしまう。相棒の早期の復帰を、切に祈るのであった。
「問題は、どうやって検挙するかだな。ヘル・レッグケルズを『マグマ』への見舞い品にしようと焦りすぎたぜ。方法を考えないとな……」
遥か高みを見抜くが如く、天井ランプに睨みを利かし。胃下垂曰く。
「タイツ狩りの擁護を町長さんがやるだなんてねえ。こいつもあんたの『脚本』通りってわけですかね? 歯牙さんよ……?」
こうして。各地各方面に様々思惑遺恨を残し、一夜が去ってまた一朝。
表札は小木、室内は小木家、小木養蜂の子供部屋!
ショートパンツに薄黒ストの月脚礼賛と、網タイツに赤いヒールの真壁蹴人。
剣脚二人は、早朝早々対峙していた。
「……さて。月脚礼賛」
「ああ。やるとするか、網タイ女」
「えっ、礼賛?」
「ど、どうしたの、鉄人?」
驚いたのは果轟丸と小木養蜂の、二人の少年である。
結局ゆうべの騒ぎの後に、小木両親は慌ただしく出かけて行き、残った剣脚二人と少年二人の計四人、一夜過ごして只今朝食の真っ最中であった。
巨女がその身を縮こまらせて台所に立ち制作した、おでんの鍋はまだテーブルでぐつぐつと、卓上コンロにゆだっている。
その鍋を邪魔にならぬようにと、蓋をして脇に避ける、網タイハイヒール完備の真壁蹴人。
月脚礼賛も食べかけのしらたきを口に運んで飲み下し、食器や箸を片付けていた。
「やるってまさか……礼賛、このでっかいねーちゃんと、戦う気かよ?」
「その通りだ。履物を装着しての臨戦態勢、奴は今ここでやる気のようだからな。それより、ゴーマル」
「なんだ?」
「お前クマがひどいな」
「あんな状態で寝れるわけないだろ! むしろなんでお前ら寝れるんだよ?」
「商売女はいつ、誰と床をともにしても寝る覚悟がなければならない」
「だからそういう言い方するなよお前!?」
異議を唱える轟丸少年の声は、高音が上ずってひっくり返り、眠れぬ夜を過ごしたもの特有の抑えきれないハイテンションを、如実に表していた。
仕方もない、あのような狭き押し入れにて剣脚に挟まれては、ゆうべはお楽しみである。
かたや、同じく驚きの隠せない小木少年。
「そ、それより鉄人! それに月脚さん! な、なんで戦うの?」
「それはな、眼鏡のガキ。わたしたちが剣脚だからだ。何度でも言うがな、我らが商売女だからだよ」
「……第四の、『
「鉄人! ねえ、どういうこと? 戦わないといけないの?」
「……ああ。力を貸してくれ、養蜂」
高みから見下ろす真壁蹴人の視線を受け止め、こくりと頷く小木養蜂。
鉄人こと真壁蹴人の後ろに隠れ、自分の背丈ほどもあるその長い長い網タイ美脚を、意を決して見つめ続けることとした。
かくして小木養蜂の子供部屋にて、戦いは開始する!
ピンヒールを履いたことでさらなる長身をその身に得た網タイ巨女は、狭さに屈めて
当然のようにその脚は天井に突き刺さるも、力任せに建築物をずるりずるりと切断しながら、ゆっくり着実に月脚礼賛に迫ってくる!
「尋常ではない怪力と遅さだな。当たれば恐ろしいが、これでは狙ってくれと言っているようなものだ」
振り上げた網タイ美脚は、見るものの目を根こそぎ引っこ抜いて奪いかねないほどの求心力を伴っていたが、そこは百戦錬磨の剣脚。
本能の犬の男どもとは違い、相手の太刀筋に見とれるような愚は犯さぬ。
隙だらけの網タイ剣脚、真壁蹴人の体にめがけ、月脚礼賛の薄黒ストの切れ味鋭きナイロンが一閃!
網タイツの上に羽織られたボディ・コンシャスのワンピースに、ビビッドな血の色合いが鮮烈な印象を残す。
その損害、命に致す傷であり、有り体に言って致命傷である。
『K.O.』! 勝負は決した!
――かに、思えた。
傷を負って尚、ゆうらりと迫り来る、網タイツの格子に彩られた
驚いて二撃三撃と美しき刀を振るい続ける月脚礼賛、幾度も一刀両断に等しき傷を負わせるも、真壁蹴人の網タイ脚はとどまることを知らず、スローモーションに切り込んでくる。
その様、過たず死神が振りかぶった、絶命の大鎌が如し。
「なんだよ礼賛? どうなってんだ? こんなに斬ってるのに全然ひるまねえぞ! 手加減してるのか?」
「これほどの剣脚を前に、わたしが手加減なぞするものか。これはダメージを意にも介さず攻撃を続ける、所謂スーパーアーマーってやつだ」
スーパーアーマー! 賢明な諸氏は既に周知の事であろうが、その説明は次回に譲ることとしよう。
次回、剣脚商売。
対戦者、もう一回網タイツハイヒール巨女。
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