第2話 黒タイツ眼鏡常勝高生
「銀杏の漢名は
手に持つ本をパタリと閉じ、足元に転げ出てきた
いそいそと通学カバンに本をしまい、代わりに菓子パンを取り出して、もっしもっしと食い散らし始める。
制服に眼鏡に黒タイツの、この小柄な少女。
眼下の礼賛にパンくずが落ちるのも構わず、街路樹を背に、自己紹介を執り行った。
この者、名を、『
「わたくし、負門フードインダストリーの跡取り娘、負門常勝と申します」
「人の顔に、あんドーナツの粉を落とすな」
「我が社の系列企業の定番商品でございますわ。よしなに」
食べ終わった菓子パンの袋に刻印された『オイカド』の社名が、風巻き上げて吹きすさび、銀杏の葉に混じって飛んで行く。
あんドーナツの袋は、秋の空高く馬よ肥えよと、カロリー表示を浮かび上がらせていた。
「ゴミで街の美観を損なうのは感心しない」
風で飛ばされ落ちてくる菓子パン袋を、地に落ちる前にはっしと掴んだのは、先ほどペットボトルにて月脚礼賛を店から放り出した、マスターだ。
店を出て清掃に乗り出したこのロン毛の筋肉漢。どうやら純粋の日本人にあらず。欧米の血が混じっているようだ。
この者、名を、『
「失礼いたしましたわ、水町さん」
「なに、清掃のついでだ。常勝ちゃん」
かくして月脚礼賛は、謎の黒タイツ少女である負門常勝と、謎の喫茶店マスターである水町ゲロルシュタインとの間に、挟み込まれたというわけである。
前門の黒脚、後門の天然水。
「客をペットボトルで叩き出すマスターと、初対面の相手の顔に菓子パンの粉を落とす女が、知り合い同士か?」
常勝はその質問に「ええ」と答えた。
新たに開けたパン袋の『オイカド』の社名を見せつけ、問われていない質問にも、ついでとばかりに答えを返す。
「このカレーパンは我が社の系列企業の新商品ですわ。激辛ですの。よしなに」
「甘いもんと辛いもんの粉を、交互にわたしの顔に落とすんじゃねえ!」
月脚礼賛は歩道に転げた姿勢のまま、負門常勝に足払いを見舞った。
ショートパンツに薄黒ストの艶かしさを露わにした、礼賛の脚。
当然のようにこの美脚はとてつもない切れ味を伴い、さながらギロチンの如き恐怖を持って女子高生の脚に襲いかかっているのだ!
ひらりと落ちたカレーパンの袋は、礼賛の美脚に触れてすっかりまっぷたつ、更には街路樹の銀杏すら切り倒した。
「貴方のその切れ味。まともに受けるわけにはまいりませんわね」
「!?」
足払いの勢いを利用してそのまま立ち上がった月脚礼賛は、驚くべき声を耳にした。
目前にいたはずの黒タイツ女子高生、負門常勝に攻撃をしたはずが、彼女は既にその場にいなかった。
そして何故か、たった今店内から出てきたオープンカフェのマスター・水町の方向から、常勝の声が聞こえてきたのである。
目にも留まらぬスピードで、この常勝という女は、攻撃をかわしつつ、礼賛の背後に回ったということだ。カレーパンもいつの間にか食べ終わっている。
眼鏡のわずかなズレを直しながら、負門常勝は語った。
「古来。その俊敏さを武器として、数々の暗殺や密命を達成させた者達がいました。忍びの一族と呼ばれる者です。月脚さん、貴方はご存知でしょうか」
「忍者のことか?」
「ええ、そうですわ」
「知らないではないが、まさかお前。忍法・菓子パン変わり身の術でも使ったなどと……ふざけたことを言い出すわけではないだろうな」
「いえいえ、そのような軽業を忍法だなどとはおこがましいですわ。しかし、忍者の装いは、『黒装束』と相場が決まって……おりますわよね?」
錯覚だろうか。負門常勝の黒タイツは、より黒みを増していた。
月脚礼賛の薄黒ストと違い、この眼鏡少女のタイツは、ただただ深淵のごとく黒い。
その曇りなき黒さは、忍びの技を会得したものが魅せうる、まさしく暗器の装い!
「『
音もなく歩み寄り、黒脚の斬撃を放つ常勝。
疾い、とにもかくにも疾い。礼賛はそのスピード、刻まれるビート、それでもズレないタイツのフィットを前にして、美脚ガードで受け手に回るのがやっとである。
「素早いな……。だがこうして受け止め続けている限り、お前の攻撃はわたしに届くことはない。ガードを崩す手段がお前にはないぞ、常勝とやら」
「受けに回って手が出せないのは貴方も同じでしょう、月脚さん」
「ああ、そうだ。だがお前はその運動量だ。こちらはエネルギー切れを待てばいいだけのこと」
「切れませんわよ」
右に左に天に地に、黒タイツの膝やくるぶしを振るい続けていた負門常勝は、ただ闇雲に攻撃を繰り返しているだけではなかった。
空いた両手にポテチの袋を持ち、一枚一枚その薄片を噛み締めながら、戦っているではないか!
互いの脚がカキンと打ち合い、二人はにらみ合いながらの
「兵糧ってわけか、忍者らしいな」
「脛迫り合いの間合いであれば、貴方にも一口食べていただけますわね。我が社の系列企業の期間限定商品ですわ。よしなに」
「いらねえよ、斬り合いの最中にそんな脂っこいもの!」
礼賛は脚に力を乗せて、常勝の小さな体を押し返す。
飛び散るポテチの袋に刻まれた『オイカド』の社名が、またもや視界に映えた。
「お前の早さもエネルギー補給もようくわかった。だがな、負門常勝。いかんせんお前はパワー不足だ。こんな調子じゃ結局勝負はつかないぞ」
「ならば、忍者に騎士が助太刀しよう!」
女同士の間に入って、常勝の小柄な体をむんずと掴んだのは、喫茶店のマスターこと、水町ゲロルシュタイン。
彼の両の
ダンスのペアのようにも見えるその姿。しかし美脚が切れ味鋭き凶器であることは先刻承知。
この男女、仲睦まじきアベックにあらず。さながら
水町の膂力を加えた常勝の黒タイツは、バスタード・ソードよろしく月脚礼賛に襲いかかる!
「破壊された店の修繕費用、その生命もしくは適正代金で償えい!」
叫ぶ水町に振るわれ、殺意を持って斬りかかった、常勝の下半身。
とっさに脚で受け止める礼賛だったが、水町の力があまりにも強く、先ほどのように脛迫り合いにはならない。
刃も溢れよという「ガキャン」と言う音と共に、斬撃のインパクトで月脚礼賛はふっ飛ばされた。
またもやカフェの店内に逆戻りである!
「……ペットボトルの不意打ちで追い出され、黒脚使いのペアに押し戻され。やれやれまったくだな」
「お、お、お前、大丈夫なのかよ?」
転げまわって店内に戻ってきた、礼賛の姿を間近に見ているのは、ストローくわえた少年の
目と鼻の先で脚も露わにひっくり返る月脚礼賛に対し、少年は、驚きの声を上げるしかない。
「おっと。こんな近くでわたしの脚を見るのは、まだ刺激が強かったな、ゴーマル」
「なっ、何言ってんだ!」
「これはキャバクラの距離感だ。おさわり禁止だぞ」
「だから! なっ、何言ってんだ!」
「しかし『
言いながら月脚は、血を吐いた。
ウインドーガラスの破片が散らばる店内に、がくりと脚を投げ出す。
「えっ? お、おい、礼賛!?」
「ゴーマル、ふっ飛ばされてきたわたしに向かって『大丈夫か』と問いかけたな。これが答えだ。わたしはこのままでは、やがてあいつらに折られるだろう」
「折られるだろうって……脚が折れちまうってことか!?」
「刀としてのわたしは終わりを告げるということだ。お前ももう、わたしの脚に見とれることも出来なくなる。残念な話だな」
「ちょいちょい合間にその話挟み込んでくるのしつこいな!? オレは何も見てないって言ってるだ」
「ゴーマル。もういい。ビジネスの話をしよう」
「……はあ!??」
礼賛の言う言葉に心底意味がわからないという顔をして、果轟丸は、ストローの飲み口がギザギザでガジガジになるまで歯噛みを繰り返している。
「いいか、ゴーマル。わたしを買え」
「はあああ!??」
驚きのあまりストローを
「わたしは所詮、剣に身をやつす女だ。昼は刀、夜は鞘。美脚でもって立ちはだかるものを斬り伏せるしか能のない、商売女よ。お前、商品だけ見て冷やかしで帰るつもりか?」
「だから、何言ってんだかわからな――」
「わからぬ子供のふりをするな。お前はわかる子供だろう。この町の子供であれば、
「……っ!」
「買え、わたしを。ゴーマル! お前がだ!!」
血反吐噴きつつ売り文句の礼賛、対して言葉を失う轟丸。
そんな二人のもとに、歩一歩にじり寄ってくるのは、黒タイツ女子高生を肩に載せたカフェマスター。
「時間はもうない。あいつらを相手にして、わたし一人では負ける。お前が買うんだ、ゴーマル」
「オレは……オレは、嫌いなんだよ……! お前らみたいな
「なら尚更だ、ゴーマル」
「何が尚更だってーんだ!」
「お前の嫌いな
キラリと輝き鋭さを垣間見せる、月脚礼賛の脚線美。
その美しさは触れるものを切り落とすほどであり、切り落とすほどにその脚は美しかった。
「おい……礼賛」
「何だゴーマル」
「買うってどうするんだよ」
「下の毛も生え揃わぬガキにはわからんだろうな」
「うるせえ、オレはまだ発展途上だ!」
「なあに、お前はわたしの脚に見とれていればいい。ただし、わたしを買ったならこの脚は、お前のものだ。わたしの脚を見ろ、ゴーマル。そして決して目を離すな」
「じゃあ……今まで通りでいいってことだな」
「はっはっはっは! よくぞ言ったな? そういうことだ!」
「――買った!」
「毎度あり!」
笑う礼賛の声にかぶさるようにして、もう一つの笑い声が店内に響いた。
それはカフェの液晶モニターに映しだされていた、この『
「ぐうーぬはははははあぁ! 女はより美しい脚を磨き剣となり! 男はそれを愛で振るう剣士となる! 雄々しく女々しく生き残れ! これぞ男尊女尊の精神なり!! 以上政見放送でした!!」
ぶつんと画面が消えるのを皮切りに、黒脚の負門常勝を大上段に振るい上げ、ハーフの大男が切りかかってくる。
「店内での商行為は禁止だ!」
「そう怒らずともいいでしょう、水町さん。相手を見つけられず、年端もいかぬ少年を商売相手に選ぶだなんて、追い詰められた者の発想ですわ」
侮りの言葉を口にしつつ、それでいて最大限の礼節を持って、負門常勝は手加減なしにその美脚を振るう。
だが、しかして! 先ほどは支えきれなかったその斬撃を、月脚礼賛は片足一本でカキンと切り返した!
「……何ですって。水町さんの筋力を載せた一撃を、切り返したですって?」
「常勝ちゃんの黒タイツは、硬度の点でもこの女の薄黒ストをはるかに凌駕しているはず。そこに俺の力を載せれば、先ほどのように吹き飛ぶか、さもなければ折れてしまうはずだ……!」
驚く常勝・水町ペアに、月脚礼賛笑って曰く。
「そりゃあもちろん、『切り返し』のおかげよ」
ショートパンツから伸びやかに姿を見せる薄黒ストの美脚を、高々と天に上げる月脚礼賛。
ショーパンの裾から覗きし、太ももから尻にかけての切り返し部。即ちパンストの『切り返し』! 走守の要、『ランガード』!
懸命な諸氏は既に周知の事であろう。パンストにおいて伝線を防ぐためのレッグ部分との切り返しこそがランガードであり、ときめきの視線を一箇所に集め、美脚刀剣術の一端を担う、刀で言えば鍔である。
そして、脚を掲げた大開脚によってチラ見えするその魅惑の部位を、三歩下がって執拗に凝視する少年が、そこにはいた。
闘士燃やした男子の熱視線を送るは、もちろん、果轟丸少年である。
「……あざといですわ」
「あざとい結構! 見られることで女は美しくなり、強くなるは道理! わたしはたった今、ゴーマルに買われたのだ。買った男が女の好きな部位を見る、これぞ力の源というもの」
「まったく何をおっしゃっているのだか。そもそも、たった一人の子供のギャラリーで、そんな力を得るはずがないわ。もう一度行きましょう、水町さん」
目にも留まらぬ『
切り返しの合間を縫って、鋭き刃である礼賛の脚が、ついに制服少女の体にまで届かんとした時!
「いかん、常勝ちゃん!!」
常勝を刀として振るっていた水町ゲロルシュタインは、黒タイツ女子高生をとっさに包み込み、自らの背中で礼賛の脚を受け止めた。
床や天井に飛び散る真っ赤な血が、カフェに新たな内装を施す。
「ぶほあわっ!!」
「水町さん……!? わたくしをかばったのですね?」
相方の傷を心配して、腕を降りて駆け寄る負門常勝。ポケットから取り出した『オイカド』印のガムに、彼女の狼狽が伺える。
チューインガムでは到底塞がらない深手である。
「いや、いい。この程度、水でも飲んでいれば治る……! だが……戦いはここまでのようだ」
切り付けられた背中から血を流す水町。店の外からはパトカーのサイレンが聞こえ始めていた。
「これ以上やりあうのは、お互い得策じゃなさそうだな、常勝とやら。名前の割に勝ちを取れずに悔しいだろうが、ここでお開きにしないか」
「……月脚さん。言っておきますがわたくし、まだ負けておりませんので」
忍者よろしく迅速な足取りで、黒タイツメガネ女子高生・負門常勝はその場を去った。
水町ゲロルシュタインも、いつの間にやらタンカに乗せられ消えていく。
「立ち去ったか……。よし、今のうちにわたしたちも、ここからずらかろう、ゴーマル」
「えっ、オレも? 見てただけなのに?」
「“お前が見ていたから”だろう? それにお前は、わたしを買ったんだ。クーリングオフ制度はない、ついてきてもらうぞ」
「……ちぇっ。わかったよ」
「『切り返し』への注目、悪くなかったな」
「みっ、見ちゃうだろ、だって! 仕方ないだろ!!」
文句を言いつつ各自、荒らされたカフェを去り、警察のご厄介になることは避けられたのであった。
さて剣脚たちが消えた後、ようやくやってきた刑事曰く。
「こいつはもしかすると……。あれか? 噂の『ヘル・レッグケルズ』の仕業ってやつか……?」
ヘル・レッグケルズとは何者か。
脅威の女子ネットパワーが夜な夜な次々美脚を襲うとは、世も末なり!
次回、剣脚商売。
対戦者、ニーソサークルクラッシャー。
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