第14話 性急な別れ

「恐ろしい相手だったな」

「そうかよ。生け捕りじゃなかったら、やつは殺れたぜ」

「アーニーの強がりはともかく、二人とも無事で良かったよ」

額に絆創膏をエルクと貼りつつ、恨みがましい目のアーニーを尻目にシノブは言った。

「覚悟は出来てるよ、レイランド。ルナを巻き込んだのは、命令違反だけじゃすまないことだって自分でも分かってる」

「そうね、あなたに弁解の余地はないわね。…あなたにグーデのファイルをうかつに見せたわたしたちにも落ち度があることだけど」

「違う…ユーナくんは悪くないよ」

キリウの言葉を遮るように、ルナが言った。

「シノブに迎えに来てもらうように電話してくれたのに、わたしが我がまま言って、ここまで着いてきちゃったの。危険だから帰れって言われたのに無理やり・・・・・みんな、わたしの能力のこと、知ってるでしょ?…全部、わたしが悪いんだよ」

「彼女の能力を見たのかい、ユーナ」

レイランドに聞かれて、ユーナはこくりと肯いた。

「すごい力だった。悪用すれば、世界を支配することも出来る力だと思う」

「コープ・ウィスパー…彼女の声や言葉は、人間の感情の元素そのものなんだ。君も経験したから分かると思うが」

「…ルナの感じていることや、思っていることに直接みんなの気分が左右された気がした」

「実際、それだけの力だ。巨大な一に縛られた感情は、この世でもっとも危険なイデオロギーの原材料なのさ。国家はイデオロギーで国民を戦争に先導し、人間はイデオロギーのために容易く相手や自分の命を浪費するものだ。この力を世に知られたがゆえに、彼女は祖国を棄てて、ロムリアに亡命せざるを得なかったのさ」

「…ルナのCWに比べたら、魔法陣爆弾なんか可愛いもんだ。アルトナ人テロ組織を含めたあらゆる政治組織が彼女の能力を欲しがるはずだぜ」

「だからわたしたちはルナの能力を厳重に管理して、彼女の存在ですら公にしない努力を重ねてきたのよ。今回のことは君だけのことじゃなくて、チームにとっても重大な失点になるわ」

アーニーもキリウもそれ以上の言葉をつぐ物憂さに疲れ果て、沈黙した。

「陸軍関係者から直々に、君を戻せと言う要請が来ている。僕個人としては残念だが、仕方ないな」

レイランドはその重苦しさを押すと、ユーナに最後通牒を言い渡した。

「明朝までに荷物をまとめておいてくれ。ダレン・ニーズヘッグが君を待っている」


「ユーナ・ジーン、待っていたぞ。やはり、君は私の元へ来るべき人材だった」

ダレン・ニーズヘッグと言う男の笑顔を、彼に以前会ったことがあると言うその日の全員は、初めて見たことになる。とは言え、口角を微妙に持ち上げ、小指ほどの鋭いナイフで切り裂いたような瞳を細めるだけだったが、いずれにしてもこれは椿事なのだ。

ローウェル・レイランドからの連絡を受けて、ダレンは早朝の特別便を仕立てて、ディメオラにやってきた。副大統領の経験もあるルドンの遊説会の警護で、ダレンは東奔西走の最中だったのだ。二人の屈強なボディガードと、ベルツ・コーガンを連れていた。

「レイランド君。君には早々に対応してくれたことをまず評価しよう。私から言うことはもう何もない」

と、ちらりとベルツを一瞥してから、

「ユーナ・ジーン、君にはすぐに今日ディメオラで開催される党大会に出てもらわねばな。副大統領はシグルドのこともよくご存知だ。君に逢うのをとても楽しみにしていたよ」


「荷物はまとめ終えたのか?」

ユーナは黙って、ショルダーバッグを軽く蹴ってみせた。アーニーは片頬をしかめ、肩を揺すって見せると、

「正直、おれは残念だぜ。MCAIで正直、グーデと渡り合えるのはおれか、お前くらいだと思ってたからな。あと…ルナもお前のこと、気に入ってたしよ」

「彼女には本当にすまないって伝えておいて」

「馬鹿、てめーで伝えろ。…さっきからずっと、隠れて待ってんだよ」

ルナはシノブと一緒に角に隠れて待っていたのだ。

「本当にごめんね…わたしのせいで」

「君のせいじゃないよ。ぼくが危険なことを思いついたせいさ」

「本当だぜ。無謀なんだよ、お前は。グーデと直接話をしようとしただ?」

「アーニーはああ言ってるけど、あの人もおんなじこと考えてたみたいだから、馬鹿で無謀はユーナくんだけじゃないです、一応念のため。でもルナを巻き込んだことは、本当だし、わたしは怒ってます。お蔭でルナにナイフを突きつけた男、必要以上にボコボコにしちゃったし」

「…シノブ、怖かったよ」

「こいつ、加減が分からないからな」

「ごめん…シノブにもすごく迷惑かけた」

「あの男がお前の代わりだ。肋骨に前歯と下の歯五本折られて、入院してるがな。ロムリアはアルトナとは正式にはまだ国交は回復していないし、特にあっちからの移民には処遇が厳しいから、重い処分が下されるだろうな。まあそれはあいつの自業自得だし、お前にはグーデのことも含めてよくやったと言いたいところだが、この国じゃアルトナ人はマジで風当たり強いんだよ。…お前にゃルナをそれから護ってもらいたかったが」

シノブは前に進み出ると、ユーナの手を握った。

「あー、でも言いたいこと言ったらすっきりしました。ユーナくんと別れるのは、わたしも残念なのは事実は事実。だからね、暇だったら、遊びに来てください。今度はルナだけじゃなくて、わたしも一緒に、絶対テーマパークに遊びに行きたいし」

「つーか、またどっかで会うかもな。MCAIは本当、雑用のぱしりが多いからよ」

シノブはユーナの手を離さなかった。そのままそれをルナの手に握らせる。

「元気でね。本当にまた、遊びにきてね」

彼女はうっすら涙ぐんでいた。瞳が紅く染まってきていた。彼女が心からなにかを思っているときにはすぐにそれが分かってしまう。不思議なことに、それを見るとこっちも胸がひび割れた気分がしてきて、少年は戸惑った。

「うん…今度はここにいるみんなで遊びに行こうよ」

オフィスの前には、装甲を施した黒塗りの高級車が停まっていた。レイランドたちとダレンがその前で待っていた。

「残念だったよ、君の能力が分かるまではここに置いておきたかったのだが」

そう言えば、ユーナが疑問に思っていたことはついに解決しなかった。

「レイランド、あなたはどんな力をぼくに見込んでMCAIに?」

「…それは言えない。もし、能力がまだ発現していないなら、その可能性を捻じ曲げることになるからね。だからこれからも何かおかしなことがあったら、僕に遠慮なく相談してほしい。…連絡を待ってる」

「ありがとう、レイランド」

「時間だ。…行こう。ゆっくりしている暇はない」

と、性急なダレンはユーナの左腕を掴みかけたが、その瞬間何か思い直したように、ぴたりと動きを止めた。その間に少年は、バッグを抱え上げてさっさと後部座席に乗り込んでいく。

「…ああ、もう一つ話があったんだが、それは私から話す必要はないだろう。ベルツ、君に任せていいな?」

「ええ、こちらのことはすべて、私に任せてください」

ベルツは意地の悪い笑みを浮かべて肯いた。もはや見向きもせず、ダレンはユーナの隣のシートに入り込んだ。クラクションを鳴らすと、車は去っていった。

「何か他に用があるの、ベルツ?」

キリウが訊いた。ベルツは大仰に肩をすくめて、

「察しはついているはずだろ。ユーナ・ジーン移籍の件でも、これだけの問題を起こしたんだ。だがまあ、それはもうどうでもいい。お前らには別件で問題があるだろうが」


「今度は、ルナを引き渡せだと?」

「パレスイルーゾの一件でルナのことが知れ渡ってしまった。正確な所在が内外のテロ組織に知れ渡る前に、司法省は彼女の身柄をディメオラから移送する考えのようだ」

「近いうちに査問委員会が開かれるから、わたしもレイランドも召喚される予定よ。最悪の場合、MCAIのセクション解体もありうるかも」

ベルツ・コーガンが得意げな顔で申し渡した処分に、キリウなどは不満を隠し切れない。

「レイランド、坊やの移籍の件については、委員会の前にきっちりと納得のいく理由と経過をわたしには説明しておいてもらうわよ。少しでも弁明の余地があるなら打ち合わせておかないと、傷口が広がるだけなんだからね」

「くそったれ…薄汚えやり方しやがって」

アーニーは憎々しげに、オフィスのモニターを見上げた。そこには市街地で熱烈な演説するルドンの昨日の映像が流れている。支持者に紛れ、背後に控えているのが、ダレン・ニーズヘッグだ。北部アルトナ問題強硬派とも言われるルドンの国防に関する一連の演説内容は、ダレンの強力なサポートの産物だろう。得たいの知れない秘術をもって極北の森に潜むアルトナ人の危険性をルドンは議会でも積極的に主張してきた。

「アルトナが儀式で人間を生け贄にするから、国内でも人身売買などの犯罪に手を染めているのだと言うのが、彼のアルトナ強硬派の論旨の落とし所のようだがな」

「まったく馬鹿げた話だぜ。なんの根拠がある?」

「まあ一面、真実と言えなくもない。一見一方的に差別と迫害を受けてように見える国の民だけが、一概に被害者とは言い難いのさ。国家は本来、雑多な人間の意志の集合体だ。突然押し付けられた大国の論理に一方的に不当な被害を受け続けている人たちもいれば、その逆境を喜び、利用するものもいる。人間と言うものは意外と逞しい。ディメオラのような砂漠の果てが大都市になったのも、人間が逞しいお陰さ」

「いくらマフィアでも悪魔と契約する人間もいるんだからね。…わたしたち公務員も逞しくいきなきゃ駄目ね」

「悪魔と言えば、グーデの野郎の秘密、まだ分かってないのかよ」

アーニーの話の矛先の転換に、レイランドはため息をついた。

「四に関係があるという仮説は、なかなか的を射てると思ったんだがな」

「そのグーデも消息不明か…もう少し時間があれば何とかなったかもね。まったく、ユーナくんのことといい、予定外の事態が起こりすぎたわ」

「予定外の事態か…」

キリウの言葉を反芻すると、レイランドは立ち上がった。

「少し出てくる。頭を冷やさなくてはな。査問委員会の件は、その後で打ち合わせよう」

「ええ…構わないけど、どこへ?」

「ちょっと気に掛かってることがあるんだ。今回の件で」

と、レイランドはちらりとモニターに目をやると、

「チャンネルはそのままにしといた方がいい。予想外の事態が起きるかもしれない」

「おれたちに何か関係あんのかよ?」

「あったら驚いてくれ」

「なんだって?」

怪訝そうな顔で、アーニーとキリウは顔を見合わせた。そのときちょうど、画面がリアルタイムに切り替わる。どうやら今日の大会は、パレスイルーゾで開かれるようだ。

「ねえレイ、どこに行くの?」

すれ違ったルナが、急ぎ足のレイランドを不思議そうに見送る。

「知らねえ…つかあいつ、お前に押し付けて逃げるんじゃねえだろうな」

「…あながち否定出来ないところが悔しいわね」

ふと、アーニーはルナが新しいフリルのドレスを着ていることを気に留めた。

「なんだルナ、それ新しい服か? どこかへ出かけるんじゃないだろうな」

「シノブとロビンが、パレスイルーゾに連れてってくれるの。…もしかしたら今日、ユーナくんに会えるかも知れないでしょ?」

結果的にここ数日出歩く機会の多かったルナだが、今日はまたやけに嬉しそうだ。

「ルナたちは言ったけど、わたし、行ってないもん、イルーゾ」

シノブの主張は断固強硬だった。ロビンも行楽気分で、新しい服の裾を直している。

「お前ら本っ当気楽でいいよな…」

大人になると楽しいことはどんどん遠くなる。物憂い前途にため息をついていると気楽、と言う言葉から連想したか、ふとアーニーはあと一人の姿が見えないことに気づいた。

「おい、エルクはどうした? あいつ、資料室から逃げてないだろうな」

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