第11話 危険なデート

ユーナとルナの二人がいなくなったのは、九割デブラのシノブによる事件の再現が始まってから、本当にほどなくのことだった。もちろんロビンだけではなく、他にもこの場にいた市警の捜査員や入り口の見張りの警察官などもいたのだが、二人は誰の目にも触れることなく、いつの間にかそこからいなくなったようだ。

シグルドのユーナの経歴が経歴だけに、気配を感じさせず、煙のようにいなくなることは不可能ではないことではあるだろうとロビンは思いはするが、本当にそれが予想外の出来事だったのだから仕方がない。

『なんだよ、どうしていなくなってんだよ』

「あたしにも分からないわ。そんなこと」

アーニーの話ではMCAIのオフィスに、ベルツ・コーガンが現れたようだった。

『ダレン・ニーズヘッグって野郎が二十四時間以内にユーナを寄越せとよ。さもないと、ベルツがうちのこと問題にするってさ』

「そんなこと突然言われても困るわ。あたしも、彼がルナを連れていなくなるなんて思いもしなかったから」

『シノブに替われよ。そもそもあいつの責任だ』

「シノブは今、九割デブラなんだけど」

デブラの家を出たシノブは、近所の見物人の説得に戸惑って苦労していた。当初、ダド・フレンジーが彼女を連れて家を出てきたとき、事件は解決したのだと思われたようだ。ロビンは庭の裏手から、犯人の侵入口になった窓を見上げているシノブに電話を渡した。

「シノブシノブってさっきからあんたうるさいのよ。なによ、いったい誰?」

『シノブはお前で、おれはアーニー・ブレントンだ。MCAIのお前の同僚だっつの』

「あ、そうだったっけ? じゃあ、シノブです! 何か用?」

シノブはけろっとしている。ほとんどデブラになりきったので、シノブ自身の事情が吹っ飛んでいるのだ。ときに話がふりだしに戻りすぎることもあるので、始末に終えない。SD使用中のシノブと話す場合、ここが厄介なことをアーニーは思い出した。

『何か用じゃねえよ、馬鹿。とりあえず嘘吐いても、ルナだけはお前の手元に引き止めとけって指示しといたじゃねえか。お前、ルナになんかあったらどうする気だ?』

「まあユーナくんも一緒なら、問題ないと思うけどな。彼、凄腕なんでしょ?」

『そう言う問題じゃないんだよ。シノブ、そこ切り上げてもいいからすぐに探しに行け』

「了解。ところで、そっちの捜査は進んでますか?」

『今、文献当たってるところだよ。グーデの契約の条件について、ちょっとは見当がついてきたんだが』

「それ、アーニーの意見ですか、それともレイランドの意見?」

『お前なにが言いたい? 嫌なやつだな…二人で意見出し合って、グーデの被害者の選び方について法則があることを発見したところだよ。いいか、よく聞け。グーデは被害者選びの条件として四にまつわる数字を多く用いたがるんだ』

「つまり?」

『契約の報酬となる最後の狙撃される人間が四人目になるように、被害者を調整するんだよ。だから一つの仕事とその間には必ず三人、被害者が出る計算になるわけだ。この前のビル狙撃の被害者から、今回のデブラは最初の一人ってことになる。つまり彼女を除いてあと二人、犠牲者が出る可能性が高いってことだよ。他にも、四にまつわることにグーデは執着を見せているみたいだ。レイランドが言うには、一人一人の被害者の選び方にもその四って数字を関係させているらしいんだが、デブラがさらわれた状況に四にまつわることはありそうか?』

「うーん…今のところはないけどなあ」

シノブは怪訝そうに辺りを見回す。デブラの家は森の中の住宅地のほぼ中央に位置し、両隣にいくつか家があるが、どこから数えても四軒目ではないし、住所も四にまつわる数字は一つも入ってはいなかった。

『デブラがグーデにさらわれたってことは状況から考えて間違いなさそうなんだろ?』

「さあ、それもなんともです。ただ、犯人とデブラの会話から、彼がグーデである可能性は高そうです。『君が最初の生け贄』『契約』…犯人のデブラに対する発言にはアーニーの言うことを裏付けることが出来そうだし」

『お前の化けてるデブラに、犯人の面は割れてるのか?』

「今のところ、おぼろげだけど。黒いコートを着た、痩せた男。それだけです。犯人が車のトランクに彼女を押し込んで移動したみたいだけど…もっと記憶をたどってあとで似顔絵出来たらそっちにも送ります。車種も特定したら知らせるそうです」

我慢しきれなくなったのか背後で、ダド・フレンジーが声を上げる。

「アーニーの馬鹿に言え。ガキは家で飼え!」

『切るぞ。ダド・フレンジーに年寄りは家で寝てろって伝えとけ』

「しょうがないなぁ」

ため息をつくと、シノブは電話を切った。

「探し人が二人増えちゃったよどうしよう、ロビン」

「うーん、シノブが言う通り、坊やがいれば向こうは心配ないとも思うんだけど」

「ただそれだけじゃ済まないんだよね、この場合…」

ルナが監視下を離れてはいけない事情を二人は、よく知っていた。そのルールは逃げた二人が考えるよりもっと、厳正で容赦ないものなのだ。

「お前ら、まさかここで帰る気じゃないだろうな。さんざ我がまま言って」

ダド・フレンジーはめったに手に入らない被害者自身にもっとも近い証言者を解放してくれそうになかった。

「OK、あたしが行くわ。シノブ、なにかあったらすぐに連絡する」


(いいのかな…やっぱり)

連れられながら、ルナはそう言う顔をしている。実際、そこまで来るのに何度もそう聞こうかと思ったようだ。

シグルドと言う特殊部隊にいたこの少年は、本当に表情が読みにくい。現場になった自宅を捜索した警察の人たちが、SDの能力でいなくなったデブラに変身したシノブを使って犯行に使われた車を追跡していたのだが、そのせいで外出の予定が伸ばし伸ばしになって、そろそろ帰還の時間も気になっていた頃のルナの手を引いて、

「行こう」

と、突然、連れ出したのだ。ルナの返事も聞かないまま、ほんの一瞬の決断だった。隠密行動の部隊にいた経歴らしく、誰にも気取られずにその場を去る技術はやっぱり一流だ。呼吸の仕方や歩き方など、ルナは彼の真似をするように合わせたのが、ルナの興味を単純に惹いた。

思えば軽率だったことを少女は今さらになって反省していた。昨日出かけたのに今日も出かけたいと我がままを言ってしまった。

反面、自由に外出できない身だから、こっそりと行動を取ることにわくわくしている部分もあって、その葛藤をルナは口に出さずに来たのだが、これだけみんなと距離が離れてしまうと、やっぱり勝手なことをしたと言う後悔の方が膨らんできたりする。

「待って」

ルナは足を止めて、単独の行動も決断も突然な彼の注意を惹くことにした。

「どうかした?」

「戻ろうよ。これ以上はみんなに迷惑かけちゃう」

無言でユーナは手を離した。少女の小さな手のひらを握り締めていた彼の手は、それほど遜色はない、ルナのそれと同じくらいのサイズだった。ルナを引っ張った左手にも、反対側の利き腕にも皮膚を綴じこんだ合わせ目のような、黒ずんだ古傷が沢山見えていた。特に左手の甲を撃ちぬいた銃創が、痛々しく、くすんでいた。

「戻ってもいいけど」

凍った土に沁みこんだ雨のような、厳しい視線をときに彼はした。

「君は監視されてるの? みんな、君の挙動に異常な注意を払ってるように思えたよ。シノブも嘘を言ってぼくらを引き止めてたし」

「試したの?」

少年は不敵に肯いた。

「まあね。シノブがいくら変でも、仕事よりデザートバイキングを優先するとは思えないし。それに君ひとりだったらぼくだけで守れる。君だって、たまには自由になりたかったんだろ?」

「うん、それはまあ、そうだけど」

言うと、ユーナはちょっとうれしそうに見えた。雰囲気はまるで違うのに向こう見ずなところはルナが知っている中ではアーニー・ブレントンに似ている。

「これからどうするの?」

「まずは君の好きにしていいよ。ぼくもすることがあるし」

「ユーナくんは、なにをするの?」

ユーナは答えなかった。だがこれで何となく察しはついた。ルナを連れてきたのは、ユーナ自身の別に目的があるからなのだった。

「ユーナくんて、お父さんのこと探すためにこの国に来たんでしょ? お父さんって、どんな人なの?」

「さあ、ぼくもそれを知りたいから、父親…エルヴァド・ジーンを探してる。だから今、彼の情報が手に入るならぼくはなんでもするよ」

「…ただお父さんに会うだけじゃなくて、なにかしたいことがあるんだね」

ユーナは小さくかぶりを振った。

「具体的に何をしたいって言うことは、別にないよ。ただ、家族のことを話したいから」

「ユーナくんの家族って、ヴァルキュリアにいる?」

「そこにはいない。もう、ぼくの家も国もない。そのことをやつに教えてやる。お前が死んでも、お前の骨を受け取る故郷はもうどこにもないんだって」

ユーナは言うと、ポケットから小さな鎖のついた剣を取り出して見せた。

「それは?」

「お守りだよ。生まれたときに一つずつ、ぼくたちはこれを託されるんだ。死んだときは、それがそのまま墓碑の代わりになる」

ルナは手にとってその小さな剣を眺めてみた。小指ほどの大きさで刃はついていなく、先も丸くしてある。実用よりも、宗教的な儀式用のものを思わせる。しかしそれは鉄の地肌が荒々しい、剛直な力強さを感じさせる剣だった。

「ヴァルキュリアの男が外で一生懸命働くのは、最期のときにこの剣と自分の亡骸を故郷に送るからなんだ。だからそのときまでに傭兵で稼いだお金を葬儀に、残りは家族と同胞のために遺しておくようにする。普段は離れても、同胞や家族のことを思って生きるのがぼくたち、ヴァルキュリア人なんだ」

ルナはその小さな剣を見つめながら、ユーナの話を聞いていた。

「でも、もう亡骸を送る祖国はそこにはなくなってしまった。あの内戦で父の帰りを待って死んだ家族や同胞がたくさんいた。だからロムリアから戻らなかったエルヴァドに逢って、自分がもたらした事実を報告する。それが、このロムリアでぼくに与えられた、ただひとつの義務なんだ」

「じゃあ、ユーナくんは今からお父さんに会うんだ」

でも、どうやって会うの? ルナの言葉はそうしたニュアンスを含んでいるように、ユーナは受け取ったようだ。

「会えるかどうかは分からない。でも、あてがないこともないよ。ミハイル・グーデの話を聞いてたら、思い出したんだ。この国でテロリストと言われる人物にコンタクトを取れる唯一の方法があった」

「それって…」

少女の危惧をよそにユーナはこともなげに言った。

「テロリストのことはテロリストに聞けってことだよ。ぼくはミハイル・グーデに会う。捜査官なら無理だけど、幸いまだぼくは契約書の内容をチェックしただけで、正式な捜査官としてMCAIに迎えられたわけじゃないし」

そしてルナの心配を、無謀な元・少年兵は別の意味に受け取った。

「大丈夫、君を危険に晒したりはしない。コンタクトが取れたらぼく一人で行くし、君のことはシノブかロビンに任せるよ。…ちょっと時間も掛かるし、その間君の用事にも付き合ってあげる」


三十分後、地下鉄に乗って二人は市内のネットカフェに現れた。

「これから、なにをするの?」

「ロムリア西海岸周辺のヴァルキュリア人のコミュニティサイトに入るんだ」

立ち上げたパソコンでウェブサイトを検索しながら、ユーナは言った。

「ぼくたちヴァルキュリア人は、全世界にいろんな形で横のつながりを持っている。仕事の斡旋や各国の政治状況などの情報、裏世界の手配情報なんかを提供しあってたりするんだ。グーデへの接触の仕方なんかもそこで分かるかもしれない」

「ユーナくんのお父さんの情報はここでは分からないの?」

ルナのもっともな質問に、彼は残念そうに首を振った。

「表向き公開されているエルヴァドの情報は嘘か、それとも、故意に流されたデマなんだ。ぼくたちはこのサイトを使ってヴァルキュリアから、数え切れないほどの情報の行方をたどってみたけど、すべて無駄だった。…だから残る手段は、ロムリア本国に行って直接情報を集めることだって、結論に達した。ぼくの他にも先に何人か、ロムリアに入ってる仲間がいるから…」

ユーナは手馴れた仕草でキーボードを叩いた。

「ぼくがディメオラにいるってことを書き込めば、今日中に誰かが参考になる情報を提供してくれると思う。今から少し時間をつぶして、またここへ来よう」

じゃあ、どこに行きたい? ユーナの質問に、彼女は今度はすぐに答えることが出来なかった。

「そんな、すぐには思いつかないよ」

「どこでも大丈夫だよ。大人しか入れない場所じゃなきゃね」

ルナは本気で迷ってしまっているようだ。見かねた少年は、もう一度HPの検索エンジンを立ち上げると、

「ディメオラは観光地なんだから遊ばなきゃ。ほら、これでルナが好きなの、選んでよ」


「ここか」

アーニー・ブレントンは思わず鬱蒼とした辺りを見回した。そこはディメオラには珍しい、潅木や葦の生い茂る低湿地帯である。藪を分け入る獣道を行くと沼の畔に一軒、コテージ風の一軒家が建っていた。シノブのSDで割り出した車種の登録証の番号をもとに信じられない短時間でここまで絞り込んだ成果だ。勝手な外出を禁じられている二人が暴走している間も、捜査は着々と進んでいたのだ。

「デブラはどうなんだ、死んでるのか?」

アーニーが訊いた。

「途中、トランクの中で恐怖で意識を失ってるから、なんとも言えません」

今は姿かたちもすっかりシノブに戻っている彼女は、残念そうに首を振った。

「でも、この感じだと、すでに手遅れかも」

「どうだ、レイランド。この場所で当たりそうか?」

本部から呼ばれてきたのは、アーニーとレイランドだ。

「今回の件は君が専門家だ、同意見ならそう言ってくれ。だがほぼ間違いない」

控えめだがレイランドは、自信を持っているようだ。

「同意見だよ」

レイランドの質問にアーニーは自信ありげに肯いてみせた。

二人の意見では、この住居は儀式を行うための契約者の条件が、これ以上なく揃っている場所のようだ。

「人気のない場所はもちろんとして、水辺を探せ、そこがポイントだ」

鬱蒼と茂った中にも意外に水の綺麗な沼を見て、レイランドが言う。

「水辺は魔術を執り行う人間にとって、非常に重要な意味を持つ。儀式は日常世界との決別から始まる。契約者はそのために大抵水辺を選択する」

「こちらの岸から、向こうの岸は別世界だと、術者は仮定するからな。小屋の後ろの水辺の向こう、葦を刈り取られた広場があるだろ。恐らくあそこが呪術を実行する場所のはずだぜ。術者は岸を離れたら、絶対に後ろを振り向いちゃいけねえんだ。精神状態が中途半端なまま、魔法を使おうとすると、逆に魔力に心を乗っ取られる。一度振り向いちまったら、その心の弱さを必ず付け入られるのさ」

ダドをはじめとした捜査班が小屋を取り囲み、突入の準備を整えている。茂みの一本道の傍にシノブが証言したとおりのグーデの車が停められていた。無数の爪あとが残るトランクにはすでに誰もいなかった。石造りの小屋は異様な気配を放っている。

「エンゲージキラーだってことを差し引いても、やつの射撃は神業だ。下手に踏み込むと命取りになるぞ」

防弾の準備を完了したアーニーは言った。

「レイランド、あんたも銃を持てよ」

レイランドは苦笑して手を振るばかりだった。

「君やユーナとは違うんだ。銃を持たせると、僕は君の背中を撃つぞ」

「シノブは?」

「いらねえ。つーか、銃が相手ならおれの出番じゃねえし」

「お前、どうでもいいけど今度はおれの喋り方が伝染ってるぞ」

「準備はいいか、MCAIの腰抜けども。入るぞ」

ダド・フレンジーは出会い頭にショットガンで撃たれたことがある。そのときの散弾の一部は彼の耳にまだ入っているが、今でもすすんで一番槍の役を買って出るらしい。

「ADPDだ! 覚悟しろ」

バックアップにアーニーがつき、ダド・フレンジーが中に踏み込んだ。

「誰もいねえみたいだな」

中は電気も点かず、不気味に静まり返っている。遠くで野鳥の声と、風でファンが回っているのか、途切れ途切れの音がかすかにするだけだ。

「奥はどうなってる?」

ダドはアーニーに行かせようと合図したが、シノブが入り込んだ。彼女は防弾チョッキも着けず、まるで無防備なままだ。

「大丈夫なのか?」

「ええ、初めから人の気配はしませんでしたし。グーデは外出中みたいです。…て、言うか、住居の状況を見ると、長く生活できそうにも作ってないし、儀式が終わったらもともと棄てるつもりの場所だったのかな」

アーニー、ダド、レイランドの順でシノブに続く。薄暗い室内は、ブラインドが降りているだけで、窓を閉め切ってもいなかった。入り口から見渡せる部屋は中央に二部屋、ひとつはバストイレで、もうひとつは簡単な寝室と見えた。ダイニングのあるリヴィングは、コンクリートも打ちっぱなしの殺風景な作りだ。

ファンかと思えば、かすかに回っているのは旧型の扇風機だった。傾きかけた棚の上で主の帰りを待つ健気な子犬のように懸命に老体を揺り動かしている。

「グーデのやつはいつ頃までここにいたと思う?」

散乱したチーズの包みや食べかけのパン類、中を洗っていない缶詰やラム酒の酒瓶などいちいち拾い上げながら、ダドは訊ねた。

「おれに聞くなよ。さっきまでいたかも知れねえし、大分長い間そのままの気もするし」

「しかしそれにしても、不可解だ。この場所は電線で電力が届かない。だからたぶん燃料を買ってきて自家発電にしていると思うが、ディメオラに滞在中、ここは使う予定でいたはずだ。この回りっぱなしの扇風機のように、グーデが外出しなくてはならない用事は、ただひとつしかない」

レイランドは言うと、部屋の中を掻き回し始めた。

「どう言うことだ」

レイランドの意図に、シノブがはっと気づいた。

「緊急事態。生け贄を使って儀式を始めるのに突発的に支障が出たとか」

「アーニー、沼の向こうの広場も探してくれ。きっと何かが起きた後があるはずだ」

広場は小屋の対岸にあったが、回り道をすれば陸路で行けなくもなかった。アーニーは駆け足でその場所に急いだ。

「待てよアーニー、落ち着け!」

ダドの制止を、アーニーは聞かなかった。

「そっちに誰が隠れてるか、まだ何も分かっちゃいねえんだぞ!」

(どうする?…デブラが生きて助けを待ってたら)

ダドの指摘ももっともだが、そう思うと、気持ちが急く。

林の中の一本道が拓け、奥に使われていない鳥小屋が見えた。ひと際広い場所に、むしられた鳩の白い羽根が散乱している。純白の羽毛を染め上げたのは、湿地の泥濘にまみれて赤黒い血痕だった。そこに入った瞬間、アーニーの足がぴたりと停まった。これまでの経験上、最悪の悪寒が背筋から這い上がってくる。魔法陣や呪術を使った犯罪を扱ってきたアーニーには分かる。恐らくここで、

(…儀式は執り行われている)

詳しく調べてみないと判らないが、禍々しい魔力の放出はごく最近の感じだ。

「アーニー、なにやってるの?」

音もなく、シノブが背後に現れた。

「入るな。この場所で儀式は執り行われた。昨夜さらわれたデブラも、恐らく・・・・・」

「鳥小屋を開けて、アーニー、デブラは生きてるよ」

「馬鹿、呪いに使われたものをうかつに触るんじゃねえっ」

シノブは、構わず鍵の掛かった鳥小屋に手をかける。

「見て、アーニー、元は貯蔵庫を改造してある。下敷きに、デブラが閉じ込められてます。九割デブラが断言します。どうします? 男の癖に呪いが怖い?」

男。アーニーはその言葉に弱いようだ。

「…うるせえなっ、わかったよ! いいからどけよっ」

シノブがのくと銃を抜き、アーニーは弾丸で錠を破壊した。腐りかけた藁を取り除き、泥まみれの木蓋に手を掛ける。

「銃声がしたぞっ、アーニー、お前本当に大丈夫なのかっ!」

「…もう大丈夫だ」

アーニーは蓋の中に声をかけると、あとをシノブに任せて声を張り上げた。

「おい、被害者生きてるぞっ! すぐに救助してくれ」


「…アーニーから。デブラ・アッシュが生きてたみたい」

ロビンは電話を切ると、助手席のエルクに向かって声をかけた。

「こっちはどうするんすか?」

「本部はキリウがどうにかしてるから、あの子たちが、立ち寄りそうな場所を回るしかないわ。シノブも準備出来次第、探しに向かうって言ってるけど」

「二人で立ち寄りそうな場所ね…」

「…どこかのホテルとか」

「エルク…冗談もときと場合を考えた方がいいわよ?」

「いや、おれそう言う意味で言ったんじゃないっすよ…」


そう、ここはディメオラなのだ。この街のホテルはただの宿泊施設ではない。

実際、二人はちょうどウエストエリアでも最大のテーマパークのあるパレス・イルオーゾのアトラクションゾーンにいた。巨大なショッピングモールも含めて一日数万人の集客を見込むこの絶え間ない人波の一部になって、二人は調べつくした色々な場所を歩いてくたくたになるまで遊ぼうとしているその最中だった。

どうしてルナを連れ出そうと思ったのか、ユーナはなぜだかそればかり考えていた。そう言えば、最初は一人で行こうと思っていたのだ。与えられた自分の仕事などシノブたちに押しつけて。それに、これからの自分の行動へのリスクも重々承知していた。それなのに、どうして。

「ユーナくん」

汗を掻いた冷たい紙コップがそっ、と頬に押し当てられる。振り向くと、ルナが二人分のジュースを持ってそこに立っていた。いつのまにかいないと思ったら、一人で行動させていたのだ。だめじゃないか。そう、言いそびれた。

「ありがとう」

受け取りながら言うと、ルナは満面の笑顔を見せた。

「わたしも。…ありがとう」

「え?」

「…わたしこそ、ありがとうだよね? 付き合ってくれて。ディメオラに住んでから、こう言うところに一度は来てみたかったんだ。テレヴィで観てるけど、やっぱり本当に行くのとは全然違うね」

「いいよ」

ユーナは努めてそっけなく、言った。面と向かって礼を言われるとさすがに面映い。

「もともと、巻き込んだのはこっちだし」

広場の時計は、十五時を指している。ふと見上げて、ルナは言った。

「もう時間でしょ?…そろそろ行かなきゃ」

「そうだね。シノブかロビンに連絡して、君だけ迎えに来てもらうから」

「楽しかったぁ」

ルナは心から楽しそうに言った。

ふーっ、とついたため息まで、そんな感じが伝わってくるほどの。

(そうだ)

さっきルナが戻ろうと言ったときした、複雑な表情に、少年はなんとなく見覚えがあって引っかかっていた。そうだったのだ。あれは見覚えがあったのではない。自分でした覚えのある、ちょっと一言で表しにくい色合いの表情だった。

耐えていた我がまま。それを吐き出してしまったときに、現実問題として負担をかけているみんなに、さらに迷惑をかけてしまうだろうと言うことへの後悔と恐れ。それでも寂しくて、どこか満たされない気持ちが許容量いっぱいになっている苦しさと、そうなっていることへの自己嫌悪の狭間。

少年にとってはそれが、自分の父親がそれを受け入れる義務を自ら放棄したことで、卒業したと思っている感情だったから、よく判った。彼にとっては、もはや実際どうしようもないと割り切ることで、自分から決別したその感情に未練などなかったが、そのときに処理しようのなく保留した胸にわだかまったもやもやが、目の前の少女の胸にも同じように滞留しているのだと思うと、どうにも切なかったのだ。

そう思ったらたぶん、ルナを連れて行かざるを得なくなったのだろう。想いは、理屈の想像もつかないほど複雑な因子の重奏で決断されている。こうして長い時間考えてもやっと分かることでも、行動を決めるときはなんとなく、一瞬の判断なのだ。

「ぼくも」

ユーナは言った。ちょっと声を励ました。思ったことをそのまま言えばいいのに考えてしまうと、言葉は重くなる。

「楽しかったよ。生まれてから一度も、こんな場所に来たことなかったし、ルナみたいな同世代の遊ぶ友達もいなかったから…良かったら」

また、行こうよ。

「…うん」

ルナはうつむいた。勢いで言ってすぐ、失言だと後悔した。だから先に、冗談めかして、

「まあ、次はどっちも行けなくなるかもだけど」

「だね?」

ルナはくすくす笑って、すぐ応えた。たぶん、MCAIのみんながルナを護ろうとたまに無理なことでもしようとするのは、それが仕事だけのことではない。上手く言葉では言えないが彼女が笑うと、ときに哀しむと、近くにいる誰もが同じような気持ちに不思議となるからなのだ。どうしてか知らないが、少年はそう思った。思ってふと、なにかが違ったら、どうせこのチームを離れればいいと思っている、そんな自分が寂しくなった。

ユーナは言った。自分からそう言い出すことも考えてはいなかった。

「もう少し休んでから行こうよ。…ちょっと、疲れたよ」

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