第8話 エンゲージ・キラー
その頃、法廷を出たロビン・フィニータは、出来れば長話をしたくない相手に捕まっていた。それは出来ることならば、個人的にも仕事が終わる午後五時以降には、絶対に話をしたいとは思わない人種でもあった。
内部調査官のベルツだ。彼には、法廷を出て人ごみに紛れるほんの一瞬に、非常に運悪く発見されてしまった。ベルツ・コーガンはキリウと同期で、MCAIの天敵なのだ。彼はいち早く専門部署を任されたキリウに、明らかな敵対心を抱いているのが露骨に伝わってくる。
彼の姿にいち早く気づいたのは、むしろロビンの方だった。昼間の一件で調査官が嗅ぎ回りだしていることは、ロビンには痛いほど分かっていたが、下手に真相を知っているだけに、キリウほど上手い切り返しが出来る自信がなかった。
アーニーが迎えに来る前に、声をかけられないように目立たないようにしていようと思った。しかし彼女の不幸は、その鮮やかな栗毛が群集の中でも目立つのと、時間と約束を守らないので有名なアーニーが到着するまで自らその場を動けないことだった。
「なんだよロビン、逃げなくてもいいじゃないか」
生来のねっとりとした口調が特徴のベルツは、蛇のように薄い目蓋と、尖った鼻とあごが特徴だった。しかもほとんどないと言っていい眉毛の上から頭が禿げ上がっているので、顔に目線が引っかかる部分が何もないように見える。群集の中で彼を識別するのは、赤い髪のロビンを見つけるより、さらに容易なことだ。真っ白な円錐を逆さまにして目鼻をつけたのが、内部調査官のベルツである。
「その様子だと、おれに隠しておきたいことがあるみたいだな。違うか?」
「違うわ」
内心ぎょっとしたが、ロビンは即座に切り返した。そっけなく彼を引き離せるかが、アーニーが来るまでの自分の課題と認識した。
「いいかしら、すぐに上司に結果を連絡しなきゃならないの」
「なんだよ、そっけないな。これでも心配してやってるんだ。色々と情報は入ってくるぞ。そもそもMCAIみたいな得体の知れない部署で君は上手くやっていけてるのか?」
「あなたの下で働くよりは、まだ少しましよ」
かつてはこの男の管理下にいたのだ。そのときは内部調査などと言う陰険な役回りではなかったが、ベルツのような男には、今の仕事は実に適任と言えた。
レイランドとキリウに連絡をしなくてはならないのは、本当だった。電話を取り出すと、ロビンはじろりとベルツを睨みつける。
「電話をしたら仕事は終わりなの。そうしたら、もう誰にも用事はないわ」
「ロビン、ところが君にはなくてもおれにはあるんだ」
含みのある口調で、ベルツは言った。
「何が?」
「だから言ったろ。お前らはなくても、内部調査室の方で用事はあるんだよ。もし今夜、食事に誘わなくても、君とはいずれオフィスで会える。楽しみはそのときに取っておこう」
「分からないわ。何が言いたいのか?」
どこまでも、ベルツは思わせぶりだった。
「言っとくけど、昼間の一件なんかじゃないぞ。レイランドのやつがいかれてるのは、今に始まったことじゃないからな。もっとでかい厄ネタをお前らは抱えてるはずだ」
「何かしら?」
「レイランドに聞けよ。それとも、知っててわざとおれを焦らしてるのか?」
「教えてよ」
内心どきっとしたが、ロビンははぐらかした。
「あなたを焦らしても、あたしには何の得もないはずでしょ?」
「ロビン、なんでこんなとこで待ってるんだよ」
助かった。折りよく、アーニーたちがやってくる。
「キリウに電話するんじゃなかったのか?」
ベルツが携帯を見て訊ねた。
「上司はレイランドよ。彼にはあとで電話するの」
そ知らぬ顔でロビンはごまかした。
「ベルツ、久しぶりね。あんた、こんなところで何してるのよ?」
その声で、ベルツの敵意はキリウに向かった。
「調子に乗るなよ。いっぱしのボス面してられるのも、今のうちだぞ」
相手にしないと言う風に、キリウは肩をすくめた。事実、現在の地位から言えば、差は歴然なのだ。屈辱に燃える目を一同に向け、ベルツは去っていった。
「なんなんすか、あいつは」
肩が触れそうになったエルクは、目を剥いて言った。
「内部調査のベルツ・コーガン、おれらの敵だ。キリウと同期だから何かとおれたちに目つけてやがる。ロビン、お前、大丈夫だったのか?」
ロビンはため息をつくと、
「大丈夫よ。別に、何かされたってわけじゃないし」
「もしそうなったら、すぐに言って。きちんとこちらで対処するから。もともとはあんたを引き抜いた、わたしの責任なんだし」
「平気よ」
ロビンは言ったが、ただベルツの眼光は危険だと思った。執拗な彼の性質をロビンは彼女なりに熟知しているつもりだった。ベルツは粘着質だが、無駄足を踏むたちではない。もともとMCAIに目をつけてはいただろうが、まさか表立って威圧に出るとは。
(やっぱりなにか掴んだのかも知れない)
突如、クラクションが鳴ったのが聞こえた。
混雑を極める法廷付近の道路を縫って、大型のリモが押し入ってきている。ロビンが視線を追うと乗りつけた道路の脇で、後部座席のパワーウインドウが下がっていくところだった。
歩み寄っていく男がいる。それがさっきロビンたちに毒づいた、当のベルツだったのだ。
(誰と話しているのかしら?)
窓の隙間から、男の顔が見える。がっしりとした首をした、短い髪の男だった。ちょうどシノブのように黒いフレームの眼鏡をかけている。仕立てのいいスーツの袖に立ち居振る舞い、相手は只者ではない地位の人間なのかも知れなかった。
MCAIに関わる? いったい何者なのだろう?
「どうかしたか?」
アーニーがロビンの様子に気づいて訊ねた。彼が目を凝らしたとき、ベルツは車を離れ、通りはちょうど裁判所を出てきた、自称狼男の被告人を囲む報道陣で一杯になっていた。
「なんでもないわ。少し疲れただけ」
「疲れてる暇ねえぞ。行こう、『クロスロード』でレイランドたちが待ってるんだ。先に一杯やってたらどうする気なんだ?」
折を見て、今のことはキリウとレイランドだけには話そうとロビンは思った。
日が暮れる頃、アーニーたちは『クロスロード』に現れた。店は明かりが灯って営業開始の札が下がっていたが、今夜限り貸切のプレートがつけられている。
「遅かったな」
「なんだよ、遅刻か?」
「いや、そう言うわけじゃない。ご苦労だった。頼んだものは、みんな持ってきてくれたんだろう? 彼の歓迎会の前に打ち合わせをしておこうじゃないか」
「お前も、待ちくたびれたって顔だな」
アーニーは腰をかがめてユーナの顔を覗きこんだ。
「眠たそうな面だ。こっちは仕事なのに、失礼なやつだぜ。ほっとくとそう言う顔すんのは、ガキだって証拠だぞ」
「現場はどうだった?」
ユーナは聞いた。眠いのは事実で生あくびが出た。
「収穫はあった。野郎は捕まえるさ。成果はあとで教えてやる。いずれ、お前も連れ出してやるよ。レイランドの許可が出たらな」
「おしめがとれたら、ね」
口を出したエルクの頭を、アーニーがはたいた。
「馬鹿、お前が言うことか。マイク向けられたからって、足止めるな。もうちょっとで余計なことしゃべるとこだったじゃねえか」
「エルク、揉みくちゃにされてたよね?」
テレヴィを観ていたルナがシノブと楽しそうに言う。
「JJで逃げればよかったのに」
「こいつ、やりやがったんだよ、しかもおれにぶつかった」
よく見るとアーニーの鼻にも、エルクと同じ位置に絆創膏が貼られている。
「JJってジャック・ジャンパーのこと?」
「なんだよユーナ、誰かから聞いたのか?」
エルクの能力をユーナは、レイランドに教えてもらっていた。ジャック・ジャンパーをJJ、と言うように彼らはアルファベット二文字のコードで主にそれを表現することにしているらしい。シノブはSDでルナはCWだと言うが、それが何かは実際見るまで教えてくれなかった。
「さあ、終わらせておこう。今日アーニーとエルクが重大な手がかりを見つけてくれた」
「MCAIに入ってまさか、あのミハイル・グーデを相手にするとは思わなかったぜ。なんせギャングがわんさかいた時代の、伝説の殺し屋だからな」
「怖いのか?」
揶揄するレイランドに、アーニーは片目をつぶってみせ、
「まさか。ただ、魔法使いだとは思わなかったからな」
「とにかく、このディメオラでミハイル・グーデ絡みのこんな大事件が起きたのは十数年ぶりよ。MCAIとしては、必ずグーデを確保しなくちゃ」
「まずは情報を整理しよう。さっきキリウが十数年振りと言ったが、僕の見解ではグーデは三年から四年のペースでこの街に舞い戻ってきている。仕事をしないスパンを含めてほぼ一ヶ月、ディメオラに留まっていると見ていいだろう。グーデの犯行と思われる西海岸各地の仕事のペースを見れば分かるが、彼が長くて一週間以上滞在する街は、ディメオラ以外は存在しない。リスクの面から考えても一ヶ月となると、なにか特別な理由があると考えるべきだ。そして目下問題は今の時期がその一ヶ月の時期のうちのどの時期で、彼がなぜ一定年数をおいてディメオラに居を定めたがるか、だが」
レイランドは自分の見解を一気に話すと、キリウに向け、
「キリウ、彼のような日常的に殺人を嗜むタイプの犯罪者の一般的なプロファイルとしてあてはまると考えられるものはあるか?」
「犯罪心理学の行動分析でミハイル・グーデが当てはまるとしたら、【秩序型】殺人者がそれに該当するわね」
「では、【
レイランドが聞く。腕組みしたままキリウは眉をひそめ、
「知能は高く、表向きはおしゃべりの社交家。ただし表面的で、深く付き合うと心がないことが分かる。物事に完ぺき主義で神経質気味、ある種のことには異常なこだわりがあったりすることも特徴的ね。知能の高さは犯行が発覚しないための工夫や、被害者に逃げる隙を与えない心理的な駆け引きにも長けていることで犯行にあらわれる。自己顕示欲も高くて、脅迫で被害者を生かしたまま屈服させることを好んだり、犯行予告や思わせぶりなメッセージなどでマスコミや警察など社会の権威に挑戦的な態度をとったりするわ。グーデの変則的な狙撃スタイルや世間に対する態度を見ていると、確かにそう言う面がうかがえるわね」
「同感だね。今見ても分かるとおり、魔法や呪術を使う犯罪者にも、精神病質犯罪者の行動的特徴がぴったり当てはまることが多い。人知を超えた力を扱うには古代の叡智に通じている必要があるし、精霊や使い魔、魔女などとの契約には揺るがない精神力と高い知能、相手を制御する駆け引きの上手さも必要だ」
アーニーが話を引き取った。
「やつがなんらかの力を使って、狙撃を遂行していることは、直接現場を見ればおれたちには分かるさ。今日の事件もそうだが、狙撃は難度の高いものにこだわって遂行しているんじゃない。狙う必要そのものが無いのさ。採取してきた弾丸をおれが【妖精の矢】だって言ったのは、それがそう言う性質を持った呪術的な武器だと言うことを表現したかったからだ」
「かつて魔女は小石を指で弾き、恨みを持った相手をどこからでも自在に射殺することが出来た。それが【妖精の矢】だ。グーデがその種の力を身につけた犯罪者だと考えれば、おのずとディメオラに戻ってくる理由も察しがついてくる」
「じゃあ、グーデはどんな犯罪者なのかしら?」
ロビンの質問を待っていたようにレイランドは言葉を切って肯き、
「断言しよう。ミハイル・グーデはエンゲージ・キラーだ」
「エンゲージ、エンゲージ、エンゲージ…それって婚約指輪のエンゲージ?」
レイランドの後ろで『エンゲージ』と言う言葉を三回繰り返し、シノブが首を傾げる。
「ああ、文字通り、死が二人を別つまで、死を司るものたちとの終身雇用契約。その中でも悪魔と契約した殺人者が特にそう呼ばれる。契約するのがもっとも難しい悪魔と手を結んだグーデの場合、契約に護られている限りは、狙撃を防ぐ手立てはない」
「それなら逮捕できないじゃないの」
キリウが不満げにこぼす。レイランドはあわてなかった。
「グーデの犯行それ自体で逮捕することは出来なくても、彼の狙撃を未然に防ぐことで、対抗する手段はあるさ。相手が悪魔だってことに限らず、すべての契約には条件があるだろう?」
「例えば更新期間とか?」
ユーナがぼそりと意見を差し挟む。アーニーが続く。
「更新の条件とか、違約規定とかな」
「給与体系とか、残業手当の規定とかですかね?」
「そうお見事、更新だ。彼が契約に見合う存在であるか、悪魔に証明しなくてはならない時が必ず来る」
最後のエルクの意見には触れずに、レイランドは話を拾う。
「さらには魔力には消耗期が訪れる。その時期に魔力は極小になり、契約した土地でしか効果を発揮できなくなるのさ」
「だから、グーデはディメオラに戻ってくるんだね?」
「そうだ。そして彼は、恐らく行動上の大きな制約に日常的に縛られているだろう。例えば日の当たる場所を出歩けない、三日に一度生け贄を殺してその血を飲まなければならない、親指を隠して人に見せてはならない、などだ。普通の人間とは明らかに異なる行動をグーデは取らざるを得なくなっているはずだ」
「つまりそこから捜査を詰めていけば、グーデにたどりつくってことか。上手くいけばやつのヤサも割れるしな」
エルクが不満を漏らす。
「でも、そんなのどうやって見分けるんすか? ディメオラの人口は定住している人間だけで八百万近いですよ」
「ある程度の方針はある。ロビン、僕が言ったとおりのもの、調べてきてくれたかい?」
自分で持ってきたファイルを取り上げてロビンは肯いた。
「手に入る限りはなんとかやってきました。まずはこれ、司法省のまとめた統計データの抜粋です」
「統計?」
レイランドは肯き、
「この半年以内のディメオラの失踪者や行方不明者の統計だ。調べてみると、グーデが街に現れたと思われる一ヶ月に、二つの統計が急増している。グーデの犯行と思われる狙撃の前後は特にだ」
「グーデが仕事以外で人を殺していると? なんのために?」
「それは分からない。だが必ずそこには規則性があるはずだ。それがやつの行動を予測する唯一の手がかりになる。また、もっと言えば直接対峙したときだ。契約の条件を知らないまま、悪魔に加護されている犯罪者と対決するのは、想像した以上に厳しい。十中八九こちらがやられるだろう」
「まあ、やつが凄腕だってことは、元から認識してることだ。だがその契約の条件てのさえ知れば、そいつを逆手に取ることも出来るってわけだな?」
「悪魔の加護を受けた強みが、逆に欠点になるわけね」
「その通りだ。グーデの行方とともに法則を探すのが目下、僕たちの仕事だ」
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