第7話 レイランドの依頼

Welcome To Dimeola!!

横向きに足を伸ばした女優が、流し目でブロンドを掻き上げている看板が立っている。それは写真ではなく、細密に描かれた絵だ。かなり古びて色褪せ、外枠は錆びて朽ちていた。それはひどく年代もののビルの屋上だった。

入り口のドアには今、指紋採取係が二人首っ丈で張り付いている。そこから数メートルほど行ったところにあるファンの前の壁に、赤ペンキを使って犯人のものらしいメッセージが遺されていた。

そこには真新しいペンキ文字で次のように描かれている。

Welcome ADPD!!

「ようこそ、ディメオラ市警」

最後のDの真ん中の空白に、弾丸が撃ちこまれている。掘り出してみると口径は、犯行に使われた弾丸と一致しそうだ。

「ラッキーだったな、看板があって」

どこかに激突したのか、エルクは涙目で鼻を押さえている。

「もう少しで、あのヴァレンシア・デイルとキスしそうになりましたよ。伝説の大女優にして、悪魔の女」

「一説にはな。ダドの前でめったなこと言わねえ方がいいぞ。じいさんの世代じゃ、彼女は永遠のセックスシンボルだ」

「馬鹿言え、おれがそんなに古いか。おれの親父の頃の話だよ」

ダドが、不満げに吐き漏らした。

「アルバトロス・フランクリンの恋人で、映画女優。確か彼女の裏切りで、アルバトロスはすべてを失うことになったのよね?」

と、キリウ。

「さあな。ただ、目立つ女だってのは確かだったらしいな。ディメオラの女王だったら、ディメオラの帝王と出来てるってのが、大方の相場だろ?」

大看板の女優は勝気な笑みを浮かべて写っている。

はるか昔の女優の絵は、ジャック・ジャンパーが余白に熱烈なキスを浴びせたせいか、しわに引っ張られて笑顔も歪んでいた。

「冗談はさておきだ。どうやらここが狙撃現場だとすると、どう言うことになるんだ?」

ビルは被害者のいたビルのテラスから、直線距離で四百メートル、しかも四階建てで低い位置にある。狙撃が不可能なのは一目瞭然だった。このビルの目の前は、さっきアーニーが見つけた、テラスの真正面に位置するビルの裏側なのだ。

「犯人の偽装だ。まさかこんな位置から撃てるわけがねえ」

「でも他に、狙撃場所は考えられないわ」

「ああ、恐らくここだ。指紋や硝煙反応が出れば明らかになる」

果たして二つとも、反応が出た。

「でたらめだ」

「でたらめに見えても、真実は真実だ」

「この位置じゃ、被害者を見ることすら出来ねえんだぞ?」

ダドが、唾を撒き散らしながら怒鳴りつける。

「ああ、だが弾丸を当てることは出来るかもしれない。例えば、こうだ。わざと目の前のビルの斜め上に向かって撃つ」

バン。アーニーはライフルを構える姿勢をとると、架空の銃口を目の前のビルの屋上の斜め上辺りに掲げた。

「弾丸は最高点まで伸びたあと、放物線を描いて下降する」

「そんなで当たるもんか」

「絶対に当たらないとは言えないぜ。庭で射撃の練習をしていた男の、たまたま暴発して空に撃った弾丸が、道を挟んで離れた家の玄関にいた、主婦に当たったって言うケースも実際あるんだ。ダド、あんたが一番よく知ってるだろ、世の中なにが起こるか分からないもんだ」

「でもそのケースはあくまで事故よ。それにその場合、弾丸の入射角は浅く、偶然急所に入らない限りは人は殺せないわ。だって、火薬の爆発で出した力は最高点に達したときがピークで、あとは失われていくわけでしょう?」

「問題は威力だけじゃないぜ。こっからじゃ標的も見えねえしな。まあ偶然ならともかく、報酬をもらって仕事をするプロがそんな馬鹿な真似をするはずないんだ。だが、それでも当てちまう。それが、ミハイル・グーデの狙撃なんだ。この事件、この場から採取した証拠で奴を捕まえたとしても、おれたちには起訴状すら出ねえに決まってる。奴の秘密については、最近の研究で分かりかけてきたばかりなんでな」

「研究? 研究ってなんすか?」

「エルク、お前に足りないのは研究じゃなくて、研修だ。余計なこと考えてねえで、まずは読み書きから勉強しろ」

「アーニー、つまり奴がお前みたいな魔法使いだってのか?」

ダドが勢い込んで聞く。まあな、とアーニーは壁から採取した弾丸をつまむと、指で回した。

「で、たぶん、こいつは『妖精の矢』だ」

「『妖精の矢』? それは一体なんのこと?」

キリウも初耳らしく、怪訝そうに聞き返す。

「まあ、これが洒落にならねえオモチャだってことは確かさ」

「うちの孫娘だってそんなオモチャ持ってねえ」

携帯電話を取り出してボタンを押すと、アーニーは言った。

「悪いが市販品じゃないんで。カスタマーセンターに問い合わせてみていいか?」



「ここ?」

SUVが停車した場所を見て、ユーナが言った。まだネオンがついていないが、確かに店らしき建物がそこにあった。

「そうだ」

レイランドは携帯電話を取り出して着信を見ていた。

「先に電話を済ませる。悪いがシノブ、二人を連れて先に中に入っていてくれないか」

「いいよ。行こ、ユーナくん」

シノブに押されてユーナはしぶしぶ車外に出た。道路を挟んで目の前の建物を見上げる。そこはどう考えても、夕方から営業のバーのようだった。CROSS ROADのネオン看板は照明が煤けていて、とっくに主がいなくなって風化しかけた蜘蛛の巣が年代を感じさせる。日によって出演するジャズバンドがいくつかあるのか、そっけない告知が出ていた。

「本当にいいの?ここ、閉まってるし」

「大丈夫。ちゃんと連絡してあるから」

にこやかに答えたのは、なぜかルナだった。この店にしたのは、彼女の希望だったのだろうか。躊躇なく、クローズドの札が掛かった扉を押した。重い二枚扉は分厚く、防音設備の一部のようだ。

「こんにちは。おじさん、いる?」

店内は夜用の照明も灯っていないせいか、洞窟のように薄暗かった。カウンター席に、暖炉があるスペースにソファ、奥に簡単なステージが設けられている。マイクのかかっていないスタンドだけが、ぽつんとそこに立ち尽くしていた。

「誰もいないんじゃない?」

夜の酒気がまだそこに滞留していて、まだ空気が重たい。この場で唯一昼間の時間帯を主張しているのは、カウンターの真上に設えられた、横長のテレヴィのモニターくらいのものだ。

口ひげを生やした小柄な老人が床をモップがけするために道具を持って出てきたところで、元気よく入ってきたルナの姿を見て、くたびれた相貌を押し崩した。

「ようルナ、随分早かったじゃないか」

孫娘を見る眼差しで、老人は声を上げた。

「ごめんね、ヴィトおじさん。わたしが我がまま言って」

「馬鹿だな、つまらんこと気にするなよ。どうせ昼間はここで、暇を潰すしかすることがないんだから。レイランドはどうした?」

「外で電話してます。すぐ来ると思いますけど」

「なんだ、新入りだな」

ヴィトはモップの上で組んだ腕にあごを乗せると、ユーナの顔を見た。

「へーえ、随分若いな。また、妙な力でも持ってるのか?」

「たぶん、レイランドが言うには」

シノブは、二人を見比べて、

「ルナと同い年で、ヴァルキュリアから来たそうです」

「へえ、そりゃ遠くから来たもんだ」

ユーナはシノブの話を引き取って、一日に何度目かの、自己紹介をした。

「ヴィト・ルッコだ。見ての通りこいつらの溜まり場の主だな。せいぜいあんたも贔屓にしてくれよ」

納得しないものがありながら、ユーナは握手に応じた。

「ぼく、未成年なんだけど」

「未成年三人向けのお昼のメニューってあります?」

シノブが聞く。

「ああ、用意してるよ。なにしろまだ二時だからな。夜はお前らの貸切だし、まあ、ゆっくりやろうじゃないか」

ヴィトはコーヒーを出してくれた。使っている豆が同じなのか、オフィスで飲んだコーヒーと同じ匂いがした。

「昨夜の仕入れの余りをまだ片付けてないから、そう大したものは出来ないな。みんな同じでいいか?」

「うん、ありがとう」

三人はカウンターに座って、ランチの出来と、レイランドが戻ってくるのを待つことにした。

「MCAIは繁盛してるらしいな。今、テレヴィに、アーニーとキリウが出てたのを見てたところだ」

ヴィトが自分の頭の真上のモニターを指し示す。空港でのテロ事件に続いて、昼間の狙撃事件が報道番組を占拠し始めていた。時期的に言っても政治スキャンダルを含む狙撃事件の方が、どうしても扱いが大きくなるようだ。映像はビル街でマスコミを追っ払うアーニーと、逃げ遅れて揉みくちゃにされているエルクの十五秒がちょうど繰り返されている。

「ディメオラも昔とは別の意味で、物騒になったもんだよ。少なくともギャングは、おれたち堅気者には手は出さなかったぜ」

「やあ、待たせたね」

そのときドアを押して、レイランドが入ってきた。

「アーニーからで、今、記者会見を済ませてからこちらに向かうそうだ」

「アーニーがテレヴィで話すの?」

ルナが聞く。

「いや、報道関係はキリウがどうにかするさ。ミハイル・グーデに関しての情報は、極力外部に漏らさないようにしないとね。それにマスコミの関心は狙撃犯より、被害者の周辺に移るだろう。せいぜい、各捜査機関には別に働いてもらうさ」

「ミハイル・グーデか。また懐かしい名前が出てきたな」

サンドウィッチを切りながら、ヴィトが昔を懐かしむ。

「この前の通りでも二十年くらい前、やくざものが撃ち殺されたっけかな。弾は七人いたボディガードの頭の上から、隕石みたいに突然降ってきたんだ」

「今日起きた狙撃事件と手口はまったく同じだね」

シノブが会見に応じるキリウの顔を眺めながら言う。

「正体不明、その素顔をファイルした資料は一切ない。分かっているのは銀色のカラスの彫金の入った鳥打銃を使うと言うことぐらいかな。彼の素顔を見た人間で秘密を墓場まで持っていけなかったものは、例外なくグーデの凶弾を受けている。君の父上のエルヴァド・ジーンが載る前は、中央捜査局の凶悪犯逮捕計画がもっとも高い懸賞金をかけて追っていた暗殺者、それがミハイル・グーデだ」

「彼の狙撃の秘密を解き明かすのが、MCAIの仕事なわけです」

「その通り。ユーナ、君は変態的だと言ったらしいが、彼の狙撃は人知を超えている。僕も含めて魔法犯罪学者として彼の行動には、非常に興味を感じる逸材だと言うことは断言できる。僕の仮説では、ミハイルは非常に希少価値のある秘術を体得した殺人者なんだ」

「弾が当たるおまじないをしてるとか?」

ユーナは半分冗談で言ったつもりだった。

「まあね。当たらずとも遠からず、と言うところだ。おおむね、取るべき対策の絵図は出来ている。あとは仮説を裏づける証拠を、もう少し発見出来れば次の段階に移れるんだが、まずはこの話は、アーニーたちの到着を待とう」

クラブサンドの皿が回ってくる。レイランドは隣のユーナにそれを渡して、

「で、君には別に頼みたい仕事があるんだ。…まあ、ここに連れてきたのはその話をするためもあるんだが」

と、レイランドはユーナの隣に座ったルナに視線を向けた。

「彼にはまだそれとなく話はしてないのかい?」

「…うん」

思わせぶりに、ルナは顔を伏せる。しょうがないな。そういう少し困った顔をして見せてから、レイランドは言った。

「実は君には、ここにいるシノブと、ルナの外出の護衛をしてもらいたいんだ」

「護衛?」

ユーナは怪訝そうに、眉をひそめた。

「つまりはしばらく、彼女の相手をしてほしいってことなんだが」

レイランドは続けて、

「彼女はある込み入った事情があって、ひとりで外出できない決まりになっているんだ。許可の時間外は、あの建物がある敷地内を出ることも禁じられていて、プライヴェートの時間も街に出ることが出来ない。そこで、許可をとって決められた時間帯に、外に出られる機会を作っていてね。手の空いているメンバーが付き合っていたんだが、ミハイル・グーデを相手にするには、そうはいかなくなるかもしれない」

熱いトマトスープを口に含んで話せないレイランドの話を、シノブが引き取る。

「正確には、わたしとね。二人でルナをここへ連れて行くんだ。車はわたしが運転できるから、ユーナくんは主にボディガード兼ルナの話し相手担当で」

「難しい話じゃないだろ? ただ、ルナの用事に付き合ってくれればいいだけのことなんだ。勤務時間内で、きちんと報酬も出すよ」

「それが初仕事?」

「不満かい?」

「いえ」

ユーナは浮かない顔ながらも、即座にかぶりを振った。

「問題ないけど…ぼくは」

(どう言うつもりなんだろう?)

ユーナの履歴も、アルトナ人であるルナの事情もレイランドは把握している。腫れ物に触れない暗黙の了解があるのは、他のみんなも理解はしているはずなのだ。それなのに、あえて二人に行動をともにさせようとするのにはどう言う意図があるのだろうか。

クッキーの一件といい、レイランドは触れてはいけないことをあえて試したがる性癖があることは確かなようだ。アルトナ殺しの元シグルドに、同い年のアルトナ人の女の子の相手をさせて、なにが面白いのだろう?

「君たちは同い年だし、いろいろと話も合うはずだ。ルナに街を案内してもらってくれ。君も越してきたばかりで買わなきゃいけないものもあるだろ?」

「ええ、まあ」

「ルナ、君も、それでいいかい?」

実際試すようなレイランドの質問に、おずおずとルナも肯いている。

「うん…わたしはユーナくんが問題ないならいいよ」

「じゃあ、契約成立だな。仲良くやってくれよ」

明らかにちょっとぎくしゃく気味の二人を尻目にひとり満足げに、レイランドは肯いた。

「もちろんずっとと言うわけじゃないから、安心してくれ。何日かそうしてくれたら、他のメンバーが交代する。ミハイル・グーデが捕まるか、街を去るかまでの辛抱だ」

そのとき、カウンターに置いたレイランドの携帯電話が振動した。

「…アーニーか。ロビンを拾って、あと十五分くらいで着く? 分かった、こっちはずっと待ってるよ。ロビンに、頼んでいた資料を持ってこさせるように念を押してくれ。ああ、『クロスロード』で待ってる」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る