第5話 ガイダンスとミーティング
今や彼を除く全員が、刺激臭にあえいでいる。
「一体なにしてくれてんだ、あんた」
アーニーが怒鳴り声を上げる。木漏れ日の涼しげな木立の庭が、怪しい紫の煙で魔性の森に変貌しつつあった。
「レイ、それほんと臭い…」
ルナがえづきそうになりながら、どうにか言う。
「いいから誰か事情を説明してちょうだい」
キリウは早くも消化器にダメージを受けたような顔つきで尋ねた。
「わたしとルナでハーブのクッキーを焼いたのよ。同じ葉っぱでお茶を淹れて、ケーキを作ったら昨日好評だったから」
咳が止まらなくなり始めたロビンの話を、ルナが引き取る。
「クッキーの生地をオーブンに入れて焼いたら、お部屋の飾りつけをしようと思って。ロビンと二人で、パーティの道具を袋から出していろいろ用意してたの。そしたらレイが入ってきて」
「あんたがクッキーに何か仕込んだわけだな?」
「仕込んだとは、あんまりな言い方だな。僕はただ、ちょっと手伝ってあげただけだよ」
「で、どんな余計なことをしたんだ?」
「順を折って説明しよう。第一に、話を聞くと彼女たちは約束の時間にクッキーが間に合いそうになかった」
全員の険悪な視線を浴びても、ローウェル・レイランドは、まったく悪びれず答えた。
「だからちょっと、成長が早くなるように呪いをかけただけだ。それは、思いのほか上手くいった。だが次の問題があった。ハーブが一種類では、インパクトが足りないと言うことだ。そこで、僕が見つけてきた、三千年前のミイラの没薬を調合して練りこんだ」
「…ほーう、そんなものを食わそうとね」
「最後まで話を聞いてくれ。そしたら奇跡が起きた。オーブンにいた数十分足らずで、やつらは君たちが経験した七日間と同じ奇跡を体験し、今ここに独自の生命と意志を持ったんだよ」
これだ。
そう言うように、ローウェルは煙にまみれた皿を差し出す。
その皿の上を何かが、かたかたと動いている。高温になりすぎたクッキーが皿の上で踊っているのかと思ったが、それはどうも違うようだ。彼らは確かに別個の意志を持って飛び跳ねていた。
「げっ、それ…生きてるの?」
「ああ、まさに出来立てさ。活きがよすぎて困るくらいだ」
皿の上で陸揚げされた魚のように痙攣するクッキーに誰もが後ずさりした。
「そう言うわけだ。アーニー、ひとつ味見してくれ」
「食えるかっ」
類は友を呼ぶという格言が、ユーナの脳裏をよぎった。
または巨大な恒星の周りに、それに似た小惑星は寄り添う。
ローウェル・レイランドがこの面子の中にしても、相当只者ではないことをユーナはいきなり思い知らされたのだった。
「よく来てくれた、ユーナ」
浅い碧の瞳を輝かせて、ローウェル・レイランドは言った。
「君を待っていた。歓迎するよ、クッキーはなくなったけど」
「…気持ちだけもらえれば」
あれを食べさせられていたら、死んでいたに違いない。
自分の死に方を決めるような歳でもないが、死ぬならまだ、戦場で死んだ方が幾分ましだった。
「歓迎会はめでたく中止だな」
アーニーが言った。
さっきの異臭騒ぎは、もう少しで区の非常事態警報を発令するところまでいっていたらしい。風向きが悪ければまさに、毒ガステロになるところだった。
「本部からの厳重なお呼び出しが来ましたわよ」
直後にキリウの胸ポケットの携帯電話が、けたたましくコールしてきた。
「また、何か言い訳しなくちゃならないじゃない。どうしてくれるのよ?」
レイランドは特に気を遣う様子もなく、平然と答えた。
「適当にやっといてくれ。それが君の仕事だろ?」
「覚えてなさいよ」
殺気の籠もった警告を残してキリウが去っても、気にした様子もなく、ローウェル・レイランドはユーナに話しかけている。ちなみに生けるクッキーは、先ほどアーニーの魔法陣で丁重に供養された。
「珍しいことに今日は、チームが全員揃った。どうやらもう、自己紹介の必要はなさそうだ。まあ、とりあえず、中で話をしようじゃないか」
MCAIのオフィスと言われているものは、八角形の筒の形をした、三階建ての不思議な建物だ。開拓時代の古びた建築様式の影響もあって、この付近の建物からはかなり浮いているように見えた。
「ここが取り敢えず、僕たちのオフィスだ。奥に宿舎があるが、仮眠室もキッチンもそれなりのものを設備してあるから、自由にくつろいでもらって構わない。まあ、ちょっとゆっくりしよう」
一階のフロアは一部屋をかなり広くとってあった。階段状の椅子に、小さなブース、奥の仕切りが主任、つまりレイランドのオフィスのようだった。
フロアの片付けられた場所に、大きな長いテーブルが出してある。
パーティの用意が始まりかけで中断したのがはっきりと分かった。異臭騒ぎで全開になった空調で壁に貼られた色紙が、爆撃されて破壊された建造物の名残のように、はらはらと棚引いている。
「少し休んでいいんだな? なんかすごく疲れたぜ」
「おれら集まると、いつもこんな感じですもんね」
「わたし、ハーブティー淹れるね」
と、ルナ。
「コーヒーにしてくれよ」
ハーブはうんざりだと言うように、アーニーが声を上げた。ほとんどの人間が同意見のようだ。ルナはいそいそと支度を始めた。
「君は?」
「え…?」
ユーナの前に彼女が立って、初めてルナを彼は直視した。
「コーヒーがいい? 他の飲み物もあるよ?」
「ぼくもコーヒーで」
吟味する間もなく、ユーナは答えた。ほとんどそれは、条件反射的な受け答えに過ぎなかった。
「ねえ君」
本当はそう、声をかけようとしたのだ。引き止める暇もなく、ポニーテールを揺らしてルナは去ってしまった。
(あの子)
「聞いたわよ」
ユーナの瞑想を破るように、ロビン・フィニータが後ろで言った。
「空港で一人、アルトナ人テロリストを生きたまま確保できたのは君のお陰なんでしょう? 本当に凄腕なのね」
「アーニーの話じゃ、ユーナは、あのヴァルキュリア人なんだってさ。おれの祖父さんは大戦中、ヴァルキュリアの傭兵に命を救われたんだ」
エルクから聞き、ロビンも驚いたように目を見開く。
「職業戦士の国ヴァルキュリア?」
「死を請け負う国ヴァルキュリア」
押し被せるように、ユーナが言い直す。
「内戦で今は、東と西に分かれて、ほとんど国とは言えなくなってるけどね」
「そこで、傭兵の民である君たちは全世界に居場所を求めて、散らばりだしたと言うわけだ」
雑談していると、やがてルナがコーヒーを全員分、用意してきた。豆から挽いて淹れたのか、それはとてもいい香りがした。鮮烈な芳香のはずなのに、ふわりと身を包むような不思議な温かさだ。ユーナはミルクと砂糖を入れてそっとそれを飲んだ。
ルナも砂糖とミルクを少し大目、スプーンでかき回すと、カップを大切そうに両手に持って、ユーナとシノブの間辺りにいそいそとやってくる。
「さて、お互いに紹介も済んだし、今のうちに気になることがあったらなんでも聞いてくれ。早速で悪いが、君にももう、頼みたい仕事もあるからね。話が違うということになっては、こっちも困る」
「MCAIのことについては、大体。どう言う人たちが、どんな経緯でここで働いているかもキリウから聞いたよ。でも」
「君の言いたいことは、おおよそ察しがつくよ。君がどうして、ここに呼ばれたかってことだろう?」
こくり、と、ユーナは肯く。
「ぼくはただの軍人だ。子供のときからナイフを持たされて生きてきたけど、自分ではそれが普通だし、ここにいるみんなみたいに変わった能力もないってこともよく分かってる。それなのに、どうしてあなたがぼくをここに呼び寄せたのか、ずっとそれを聞きたかった」
「ユーナ・ジーン。君は、東ヴァルキュリアの首都、フレイの生まれ、確認している戦場経験は五歳のときから。もう立派な十年選手だ。シグルドに入隊して三年で、分かっているだけで百近い作戦に参加して、ほぼ無傷で還ってきている。除隊前の最後の作戦では単独で五十人のゲリラが潜む廃坑に潜入して、武装した彼らの半数以上を殺害。大統領の名前でじきじきに表彰を受けているほどの凄腕だ。たぶんそのまま軍に勤めていれば、成人する頃には、軍のエリートから、高級公務員への道が開けていたのに君は、その道を希望しなかった。なにか理由があるとしか思えないが、どうかな?」
「ぼくは、この国にただ出稼ぎにきたわけじゃない。それにヴァルキュリアの男に、宮仕えが無理だってことも分かってる。もともとぼくたちは、安息の大樹には棲家を求めない民族だし」
エルクが口笛を吹きそうになって、アーニーに殴られた。
「いい心がけだ。信念は人を意地に縛りつけるが、人をこれ以上なく強くする。君の父親の信念は、確かに君の中に息づいているようだ。この国には、父親を探しに来たんだろう?」
黙って、ユーナは肯いてみせた。
「君の父上は、ヴァルキュリア人でも名の通った傭兵だった。そして今はロムリア全土で最重要指名手配されている、超一流の職業テロリストだ。MCAIはテロ対策課などよりは、よほど、君の父親探しには貢献出来るはずだよ。例えば、今ちょうど舞い込んだ仕事で、こんな仕事もある」
レイランドは言うと、一冊のファイルを取り出してきた。
「ディメオラに伝説の狙撃犯が戻ってきたと言う情報が入った。僕たちは彼の犯行と行動をプロファイルするとともに、次の犯行をなるべく早急に、防がなければならない」
「狙撃犯だと? それ、新しい仕事じゃねえか。なんだよ、おれらも聞いてねえぞ?」
「ちょうどアーニーが空港から帰ってきたら、それについて話そうと思ってたのさ。今年は西海岸の大統領後見人の選出が春から始まっていて、市内でも各派の党大会が開催される予定だ。アルトナ人テロリストも危険だが、こっちの方がよっぽど切迫した事態でね」
「もう、事件が起きたのか?」
「犠牲者がすでに一人。詳細は中だ。あとで確認してくれ」
アーニーをはじめ、エルクやロビンがどやどやとファイルを持つユーナの後ろに群がってくる。
「それに、僕は君が特殊な能力の持ち主だと思ってる。・・・・・掛け値なしにそれはそこにいる、シノブやエルク、ルナに匹敵する人知を超えた力だよ」
「やっぱり仲間だ」
シノブの声に、レイランドも満足げに肯く。
「直接会って、むしろ確信したよ。陸軍が君を連れ戻しに来ても、僕は君を渡す気はない。待遇も含めてすべての条件は書面にして、僕のオフィスのデスクに仕舞ってある。よく読んで確認して、不満があったら何でも言ってくれ」
話している間、ちらりとルナがユーナの顔を盗み見た気がした。気配を感じて彼が視線を向けると、ルナはあわてて顔をそらせた。
「おい、こいつは」
ファイルをのぞいたアーニーが嘆声を上げている。
ディメオラに潜入している、狙撃犯の詳細が書かれたファイルだった。
「あなたも見たいでしょ?」
ぽつんと立ち尽くしているユーナに気づいて、ロビンが言う。
「この狙撃犯、中央捜査局のデータベースで見覚えがある。もう、十年近くも捕まってないのよ。確か、あなたのお父様の横にあったと思うわ」
「そのファイル、あとで見れる?」
ロビンはにこりと微笑んで肯いた。
「ええ、もちろん。ネットで公開しているものだけど、捜査官のIDがあれば、最新の情報が確認できるから、あとで調べてあげる」
ロビンの流し目はいちいち意味深い。ただ、思春期入り口の少年がそれらを解読するには、まだ少し経験が足りなかった。
「青少年からかうなよ、ロビン。それにそいつ、からかっても割と面白くねえぞ」
「あら、からかってなんかいないわ。あたしはいつも本気。今は坊やでも、ゆくゆくはいい感じになるかもしれないでしょ?」
「大体そのときお前いくつなんだよ」
「おれんときも確か同じこと言ってましたよね…」
エルクが不満そうにぼやく。
「冗談よ。あたしの守備範囲は、アーニーから上下五歳くらいから。あなただって、いつも相手してくれるわけじゃないくせに」
全員の不審な視線が、今度はアーニーに集まる。
「ばっ、お前、誤解を生む会話すんな。容疑者みたいな目でおれ見られてるじゃねえか。馬鹿なこと言ってねえで、ミーティングに入るぞ。キリウが戻ってきたら、たぶん出なきゃならなくなるだろ」
と、アーニーはファイルをユーナの方に差し出した。
「読めよ。元プロとしてお前の感想を聞こうじゃないか」
ユーナは無言で受け取ると、軽く目を通した。そして、
「凄腕だってことは分かる。まずそれだけはね」
確かにファイルに記録された男の犯歴は、狙撃者の実力を物語っている。
「ミハイル・グーデ、年齢不詳、分かってるだけで犯行は三桁以上、金と条件さえ合えば、誰でもやつを雇える。マフィアの全国抗争や国家規模のテロ事件、果てはカルト教団の粛清事件なんかにも、顔を出してるな。シノブ、お前も何か意見があるんじゃないのか?」
「さあ、分かりません。て、言うかどうしてわたしに聞くんですか?」
アーニーに振られたのが何か不満だったのか、シノブはちょっと不機嫌そうに答えを寄越す。
「ただの凄腕じゃない。MCAIにファイルが来るんだから、それは当然だと思うけど」
「言ったはずだ。聞きたいのは、お前の意見。ただそれだけさ」
まだ試す気か。思わせぶりなアーニーの視線から外して、ため息をつくと、ユーナは物憂げに口を開いた。
「ふざけてるのか、こだわりなのか分からない。だけど、狙撃犯はひねくれものだ。腕は認めるけど、あんまりいい趣味じゃない」
「趣味だって?」
「スナイパーが狙うのはただ一つ、急所だ。身体の中にあるそのいくつかから、彼らは自分が狙うべきただ一点を集中して引き金を絞る。狙いがずれるから、狙撃するときは呼吸を止めてるんだ。照準を決めるのは、それから約四秒以内。撃つ場所はそのときに応じてだけど、頑固にこだわりを持つ人間もいる。これは自分が仕留めた獲物だって、トレードマークを誇示するためにね」
「で、お前から見てやつはひねくれものか?」
過去の事件の鑑識報告などを見ながら、ユーナは答えた。
「自分の技術に絶対的な自信を持ってるのかもしれない。じゃなきゃ頭の真上を狙って狙撃したり、撤甲弾を使って足から心臓を一直線に狙ったりはしないよ。ロスが多すぎて、リスクを楽しんでいるようにみえる。変態的だって言ってもいいかもしれない」
「確かにそうだな。このミハイル・グーデの関わった事件には、今まで不可解な部分が多すぎた。そのため、誰もやつの尻尾をつかむことが出来なかったし、もし運良く起訴まで漕ぎつけても有罪にすることは出来なかった。ただひとつ言えることは、やつの弾は、どこでどうやって撃っても、必ず標的に当たるってことだ」
見ろ、と、今度はアーニーは新しいファイルを全員に見せた。
「こいつはついさっき起きた事件だ。ビジネスエリアのホテルのラウンジで外の席に座っていた女が撃たれて殺された。弾丸は脳天から入って食道を貫通、まっすぐ肛門から排出されて地面に突き刺さっていたそうだ。ちなみに上の階の窓は開かず、どこからどうやって狙撃したのか、今もって分かってない。やつが、本当にウルテクだけの狙撃屋だと思うか?」
「こだわりもここまでくればご立派ってね」
エルクが場にそぐわない軽口を叩いてアーニーに睨まれた。
「つまりはただの偶然じゃないんだ、だからおれたちの出番なんだよ。どうだ。少しは興味持ってきたか?」
「頼むから事件で遊ばないでね、一応言っとくけど」
キリウの声がした。彼女はどうにか、本部から戻ってきたのだ。
「なんだ、意外に早かったじゃねえか」
「この件で、異臭騒ぎが不問になったから助かったわ。ねえ、くれぐれも真面目にやってよ? 亡くなったのは女子大生で、東海岸のマフィアの娘なの。彼女の部屋に一緒に泊まってたのが、今話題の後見人選挙に絡んでる上院議員で、マスコミ各社集まって大問題になってるんだから、注目度は高いわよ?」
その声を聞いて、奥からレイランドが舞い戻ってきた。彼もオフィスでどこかと電話をしていたようだ。
「ちょうど良かった、キリウ。今から分担しようと思ってたんだ。アーニーとエルクを連れて、現場に向かってくれ。あのミハイル・グーデを相手にするんだ、十分注意すること。各連携機関については、僕が話しておいたから。…ロビンは」
「あたしは、午後からこの前の人狼拉致事件の裁判に出廷します」
「じゃあ、すぐに準備を。残りはまだここにいてくれ。話がまだある。ユーナ、君はまず、書類に目を通してくれよ」
「分かりました」
準備をしたアーニーたちは、あわてて出て行った。
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