第4話 ようこそMCAIに
イーストエリアは、二十年前に
さっき通り抜けたウエストエリアと違い、きっちりと整理、規格化された各ビル群はすべて官庁舎であり、司法局を中心とした、法執行機関のエリアは、海沿いの一角に固まっている。キリウがそれをいちいち説明してくれたが、ユーナはほとんど海ばかり見ていて、特に頭に入っている様子でもなかった。しかもアーニーが時折、他人事のような生あくびで水を差してくる。
「このエリアの開発は二十年前司法長官が本腰を入れて、ディメオラの浄化に乗り出してからね。フランクリンの死後、この辺りは最悪の無法地帯になっていたから。だから、もともとはギャング取締りの専門部署なんかが牛耳っていたんだけど、最近では、色んなチームのオフィスがこぞって移転してきたり、設立されてきたってわけ」
「MCAIもその一つ?」
「まあね。たださっきも言ったように、MCAIは一つの独立した専門機関じゃないから。もともとは異常犯罪者の行動分析なんかをする部門から分かれてるんだけど、わかるかな?」
「プロファイリングってやつでしょ? 天気予報みたいに犯罪現場を見ただけで、犯人の人種とか性格をあてたりする」
ユーナの答えがおかしかったのか、アーニーはひとしきり笑って、
「天気予報か、確かに、イメージ的にはそんな感じだな。もっと言えば動物分類学者みたいなもんさ。食い荒らされた獲物の様子から、どんな動物がそれを喰ったのか当てるんだ。それがライオンやハイエナじゃなくって、サイコパスやソシオパスだったりするだけの違いだがな」
「魔法なんて非常識なものを使おうとする犯罪者は、実際、そう言う精神病質の犯罪者から生まれてきたものなの。もともと、悪魔の儀式の生け贄にするために殺人を犯したり、死体で呪術的なものを作ったりする犯罪なんかは、儀式犯罪って呼ばれてたんだけど、それが本当に人知を超えた効果を表すなんて考えられてこなかったのが、一般的だったのよ」
「ところがそいつが分裂病犯罪者のただの妄想だけじゃないってことが最近判ってきたのさ。厄介なのは、そいつが精神病者を分類するように、心理テストや脳波の形なんかで、見分けられねえってことでな。特殊な能力を持った人間の介入が必要になったわけだ」
「そこで各セクションを通じて必要な人材を調達して、なんとか対応できるチームを旗揚げしたわけ。もちろんスカウトするのにも特殊な才能がいるから手間と時間も掛かったけど」
「チームの実質的な責任者、ローウェル・レイランドって言うのはそういう男さ。彼が、おれたちを集めた」
「キリウが責任者じゃないの?」
ユーナの質問に、キリウはハンドルを持ってない方の手を振った。
「わたしは、中間管理職。上層部との橋渡し役みたいなもの。残念ながらわたしは、特殊な能力はないし、心理学を修めた普通のプロファイラーだから。たぶん、彼以外にこのチームは率いれないと思うわ」
「レイランドってどんな人なの?」
その質問には饒舌に話していた二人も、うっ、と黙った。
「まあ、普通の男だよ。付き合ってみれば割りと、いい奴だ」
一拍遅れてアーニーが、おざなりな印象を述べてお茶を濁す。
「取り立てて言うこともないわよね?」
キリウがあわててそれに和す。
「でも、普通の人じゃ仕切れないセクションなんでしょ?」
墓穴を掘ったことに今さら気づき、二人は気まずい顔を見合わせると、
「とにかく、会ってみれば分かるさ」
「普段は本当に知的な、いい人だから」
「普段は?」
「いえ、いつも。普通に」
普段は。絶対今、そう言ったよな。その言葉はユーナに、まるで二重人格や狼男のような人物像を想像させた。まさか、満月の夜とかにいきなり豹変したりするのだろうか。
「またその知的ってのが厄介なんだよな」
ぼそりとそう言ってから、アーニーがあわてて口をつぐんだのが、ユーナにとってはなんだか印象的だった。
「MCAIのオフィスは、北のFブロックにあるわ。手続きをするから、ちょっと待っててね」
ゲートをくぐってから、大分経った。衆合中央捜査局は陸軍の基地並みに広大な敷地内にまたがっているようだった。キリウはゲートでIDを確認したが、手続きに数分を要していた。
「行きましょう。どうやら、みんな戻ってるみたいだし。みんなと顔合せしといた方が、あとあと都合がいいでしょ」
SUVは、二車線のメインストリートを通り、目指すブロックの看板を探しながら進んでいく。射撃場の入り口に、訓練生が走るトラック、鍛錬場などが途中にあり、ユーナに幼い軍隊経験を思い出させた。
それまで彼は、ローウェル・レイランドのことを考えていた。やっぱりどうしてぼくはこのチームに呼び出されてきたのだろう?
「そうだ、お前のことあんまり聞いてなかったな」
「いいじゃない、全員揃ってからでも」
「ノースショアから来たんだろ、もともと軍隊志望なのか?」
キリウの言い分を無視して聞いたアーニーに、
「あそこにいれば、男に生まれたら兵士になるしかない」
「ノースショアはロムリアの東にある極寒の大陸で、半世紀前に最後の王朝が倒れてから、独裁政権や共和国が乱立する地帯よね」
「あすこは五十近く国があるだろ。お前の国はどこなんだ?」
「東ヴァルキュリア暫定自治区」
ユーナの答えですべてが十分だというように、二人は黙った。国名を聞いただけで納得するのだ。一言でその反応をされるのは、ユーナにはすでに慣れっこだった。
「どんな場所なんだ?」
「戦士の国だよ。使ってる兵器と政権以外は、何百年も何も変わってない」
「観光地とか、景色の綺麗な場所はないのかよ」
「荒野と塩気の強い湖しかない。そこで獲れる血まで塩辛い魚を食べて、樹液で造った酒を飲む。外からの客はまともな料理が食べられるホテルに泊まるよ。観光地はみんな古戦場だし、景色の綺麗な場所には戦士の墓標が立ってる」
そうだ。あんたたちが新聞やネットの噂話なんかで知ってる通り。言わなかったが、そんなニュアンスをこめて、ユーナは話を続けた。
「みんな酒を飲んで、男も女も、死ぬまで戦う。食糧と酒さえもらえれば、平気で他国の紛争にも顔を出す。昔からそうだよ。家族全員傭兵だった。ぼくは戦場で生まれて、そこで生きてく術を身につけた。だからこの国に入るために移民として出来ることは、アルトナ人と戦うことぐらいだったんだ」
「おい、そろそろFブロックじゃないのか」
へえ、と相槌を打っていたキリウは看板を見逃すところだった。
「誰か待ってるぞ。まったく、暇な連中だぜ」
ユーナにも、看板の下に通路に二人、立っている誰かの姿が見えた。暢気に手を振っている姿はどう見ても、捜査官とは思えない。
「彼らは?」
「うちのアホ二人だよ。自己紹介なら勝手にするだろ」
キリウに車を託すと、アーニーはユーナを連れて降りた。人種も雰囲気もまるで違う二人が笑顔で駆け寄ってくる。
「おいおい、仕事サボってなに油売ってるんだよ、エルク君」
エルクと言われた青年は、まだ二十歳前の雰囲気だ。短く刈り上げた髪に褐色の肌、細身だが、ばねのしなやかな長身を洗いざらしの白いシャツと派手なパッチで補修したジーンズに包んでいる。
「そんな言い方あんまりだ、ブレントン。おれが半日かけてどっから帰ってきたかあんたも判ってるはずだろ?」
「だから、判ってても電話しろって言ったろ。つかお前は一番下っ端なんだ、こんなところでサボってんじゃねえよ」
「いや、だって、内緒にしといていきなり出迎えにでようってのは、もともとシノブさんのアイディアで」
「アーニー、元シグルドの男の子ってこの子ですね?」
新種の蝶を発見したと言うように、瞳を輝かせているのは、倭人種の若い女の子だった。漆黒の髪の毛は癖が強く、鳥の巣のようになっている。タータンチェックのシャツに黒のスラックス、黒ぶちの眼鏡をかけた彼女の第一印象は捜査官と言うよりは、外国語講師やエディター、プログラマーと言った感じだ。
「へえ、思ってたよりかわいーんだ」
「思ったよりかはかわいくねえよ」
背後でアーニーがぼそりと水を差す。
ユーナは自分の名前を名乗ると、握手の手を差し出した。
「ユーナ・ジーン、よろしく。キリウさんもそうだけど
「そう? 意外とこの国にも多いんだよ。どうぞ、よろしく」
はるか東の島国の、名前も文化も言葉もまるで違う人種。蝶にたとえるなら、ユーナより彼女の方がもっと稀少なはずなのに。興味津々の瞳は薄いブラウンで、少し潤んでいる。
「わたしは、タイラ・シノブ。タイラ・シノブ、昨日で十九歳。タイラ・シノブ、同じこと何回も言うかもしれないけど、気にしないでね」
「こいつ、重要なことは三回言うんだ」
「あ、ばかっ、アーニー、今自分で言おうと思ってたのに」
「他にも言っとくことがあるんじゃないのか? たとえば箇条書きで話さないといつまで経っても話が終わりそうにないとか、五分話すと人の喋り方が伝染っちまうとか」
「ああっ、待って。それは、それは、ばれるまでは秘密にしときたかったのにっ」
くしゃくしゃと頭をかきむしると、シノブはため息をついて、
「今のは全部、嘘。嘘です、嘘だから…えっとアーニー、今のは無しでどこから話せば不自然じゃない?」
「知るかよ」
確かに。このリテイクを繰り返したら、自己紹介は永遠に終わらない予感だけ、ユーナにも伝わってきた。
「シノブさん、大体どんな人だか分かりました。とにかくよろしくお願いします」
「切り上げられた。まったくっ。アーニー、わたしがユーナ君に初対面で変な人だって思われたら、どうしてくれるんですか?」
「お前と一分話して、変なやつだって思わないやつなんか、地球上にいねえよ」
「うそっ」
まだ何か言おうとしているシノブをのけて、アーニーは次にもう一人の方に紹介させた。
「エルク・サマラ、祖父さんが、南部の亡命移民で君と同じノースショアのファミリーネームを持ってる。祖父さんのおとぎ話だけで知ってる伝説のヴァルキュリア人に会えて、おれも嬉しいぜ」
「こいつは十七だ。お前と年が近いから話も合うだろ」
「よろしく。MCAIはローウェルを入れて、これで全部?」
「いや、後もう少しいる。ロビンはたぶん、ルナと一緒だ。どうしてる?」
アーニーはシノブに視線を合わせたが外して、エルクに聞いた。
「ハーブ入りクッキー焼いたんで、お茶を淹れて待ってるとか言ってましたよ。おれは実物見てないんすけど、そう言えばさっきからなんか、ちょっとそれっぽい臭いが…」
「ハーブ?」
アーニーは顔をしかめると、怪訝そうに小鼻をひくつかせた。そう言えば何かの臭いがさっきから風に乗って漂ってきているが、ハーブの割りに爽快感がない。
「なんか臭いわね」
そのとき、SUVを駐車してきたキリウが戻ってきた。
「どう、自己紹介は終わった?」
「いや、だが大体難所は越えた」
アーニーはシノブを一瞥してから、
「ルナとロビンがまだなんだが…なんだ、この息が詰まるような臭いは・・・・・?」
風に流れるかすかな薬物臭は、今や異臭と言ってもいい臭気レベルまで、嗅ぐものの鼻孔を冒し始めていた。
「くさっ!何か、刺激臭が」
「エルク、お前ちょっと行ってみてこいよ。駄目そうだったら、とにかく分かりそうな合図をしろ」
「おれがっすか? え、つか、どうしておれが?」
「あんたが一番下っ端でしょ?」
あごをしゃくるキリウ。シノブも当然と言う顔で肯いている。エルクは戸惑い顔で、自分より新入りのユーナを見たが、
「OK、新人に敬意を表しておれが行きますよ。向こう、誰かいませんか?」
全員の視線の百メートル向こうは、芝生を挟んで雑木林の梢が広がっているだけだ。道沿いにすぐ見える官舎とは別の方向に、MCAIのオフィスがあるのだろうか。
「誰か来るぞ?ああ、あれ。たぶん、ルナだ」
アーニーが言ったその瞬間だった。傍らにいたはずのエルクが、一瞬にしてその長身を丸ごと掻き消した。かすかな物音も、空気が動く気配すらも感じさせずにだ。突然、消えた。まるで最初から、いなかったとでも言うように。
「いない」
狐につままれたような気分で、ユーナは辺りを見回した。消えたエルクの立ち位置辺りを一瞥したキリウがこともなげに言った。
「ああ、これがMCAIの特殊メンバーの能力よ。あなたと同じ、特別枠の採用ね。つまり生まれつき能力を持って生まれてきた人たちなの。特にこう言うことに関してはエルクは打ってつけだからね」
「つーか、あれぐらいしか取り柄はねえようなもんだからな」
「あ、あと、正確には消えたんじゃなくて、移動だよね。移動、林の向こう、ユーナくんの目だったら、移動したエルクがルナを連れて状況を確認に引き返しているのが見えるはず」
シノブが林の向こうを指差す。一瞬だが、エルクらしき細長い人影と、それより大分背の小さな少女の影がちらりと視認できた。
「彼女がルナ?」
黒髪の少女は同じ色のフリルのついたドレスに身を包んでいる。ポニーテールにした髪の毛を真紅のリボンで束ねていた。小柄な身体がせわしく、子犬のようにエルクにまとわりついている。
「ええ、MCAIの最年少メンバーね。あなたと同じ十五歳」
「慌ててんな…なんだろな」
何かあったことをいち早く察知して、アーニーは言った。彼の予感はその直後に、ぴたりと当たった。エルクは約束を守った。
彼のものらしい絶叫が、梢を渡って響いてきた。
「緊急事態ね」
「そうみたいだな」
シノブが切迫した様子で言う。
「すぐ行かないと。ルナが心配だよ」
「だな」
悲鳴の主には一片の心配も見せず、MCAIのメンバー三人は悠々と梢の中に歩みだす。
「何があったの?」
「別に大したことじゃねえさ。まあ、いつものことだ」
「こう言うことばっかやってるから、予算が出ないのよ」
呆れたキリウのぼやきは、林の中に入っていくにつれて、具体性を帯びたものに変わっていった。目にも毒々しい、紫色の煙が立ち込めてきたのだ。
「目が痛えぞ。なんなんだ、こりゃ」
熱と煙は高いところに上がるもの。ユーナはいち早く姿勢を低くして、視界を妨げる煙の向こうをうかがった。なぜか脳裏に浮かんだのは、北部アルトナの霧深い森で、夜間の移動の折に突然敵に遭遇したときのことだった。
細長い人影が二つ、陽炎のように立ち上った。
「逃げて」
女の人の声がする。げほげほ咳き込んでいる。声は二つに重なった。エルクと、もう一人、栗毛色の髪の毛を波打たせた、スーツ姿の妖艶な女性が、目に涙を浮かべながらこちらに歩み寄ってくるところだった。
「襲撃?」
いぜん身を低くしたまま、ユーナが聞く。
「いや、違う。おおい!」
肩組みをしていたエルクの腕を離れ、彼女の身体はアーニーに抱きとめられた。
「ロビン、なにやってんだ、ハーブはどうした?」
咳払いをすると、彼女はぎろりとアーニーを睨み上げた。
「…あたしよりハーブ?」
「いや、ごめん悪かった。だってほらよ、新人が待ってるんだよ」
「え、本当?もう!早く言ってよ」
と、言いつつ、癖の強い巻き毛を念入りに直す。
「ユーナ・ジーン、元シグルドだ。さっきの空港の事件で、テロリストを一人、シメてきたところだ」
ロビンは顔を上げて、ユーナを見た。
「あなたがシグルドの坊やね。ロビン・フィニータよ。アーニーと同じ、グレード2の捜査官。MCAIの話はもうキリウから聞いた? アーニーが呪術師なら、あたしは魔女ってところね。専門は変身犯罪なの。人狼や未確認の魔獣全般の起こす事件、あとは人造人間の密造の摘発に関わってるわ。よろしくね」
「まあおれとロビンが、ここではいわゆるまともなMCAIの特別捜査官ってところだな。おれは呪術師の、彼女は神獣の血を引いてるんだが、シノブやエルク、それにルナなんかと比べれば、まだ普通の人間だ。魔法犯罪学者って言うやつさ」
「MCAIの特別捜査官には今のところ、大学で所定の学位を採れば受験できるわ。犯罪学一般はもちろんだけど、ここで仕事をするには、考古学や神学、神秘学なんかの専門知識と実践力があれば合格ね」
「それでも普通の犯罪捜査官のわたしから見れば、十分ぶっ飛んでるんだけどね」
と、キリウ。
「ユーナ君はこっちー、わたしたちと一緒だよねー?」
シノブはやけに嬉しそうだ。
「ぼくも普通の人間なんだけど」
「普通の人間かどうか決めるのはお前じゃねえ」
アーニーの口調はまだ謎めいている。
「何度も言うがすべて判ってるのは、ローウェル・レイランドだ」
するとさらに二つの人影が、紫の煙を分けてやってきた。
小さな影は、さっきのルナと言う少女だ。ハンカチで顔下半分を覆って、真っ赤な顔で息を止めている。
隣の影は、アーニーやエルクよりもまた一回り大きな長身だ。蜘蛛のように手足が長い男だ。ウエイターのように、右手のひらに平たい何かを乗せていた。見ると、紫の煙はそこからもうもうと立ち上っており、彼はそれを持って平然と歩いてくるのだ。
まさかあれが、と言う顔でユーナはアーニーを見た。
「ああ、そうさ」
「君がユーナ・ジーンか。僕がローウェル・レイランドだ」
ユーナの姿を見つけると、彼はお盆を差し出して近づいてきた。
もうもうと煙の流れる皿の上の正体はまだ掴めない。
彼はにこやかに言った。
「ようこそ、MCAIに」
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