第15話 鎮守の杜の夏祭り

 しゃんしゃんと鳴くセミの声に寝ていられなくて恭一は目を覚ました。築五〇年の重みのある汚れた天井をぼんやりと見上げる。窓から差し込む殺人的な日差しが、もう日中であることを指し示していた。

 体が重いし、頭は砂が詰まったように思考が働かない。かろうじて頭をうごかして時計を見ると、もう昼だった。随分眠ってしまったなと思って、はたと現実を思い出した。

「弘介!」

「おうよ。」

 がばりと起き上がると、ちゃぶ台の向こう側で、弘介がテンション高く返事をした。軽く右手をあげてニヤっと笑うが、その目は血走り、目の下にはくまができていた。

「ごめん、思い切り寝てた。」

 慌ててちゃぶ台の前に戻りながら、言うと、弘介は怒りもせずに言った。

「大丈夫だ、シナリオがあがった以上、お前はただの役立たずだから、眠っていても何も問題ない。」

「弘介寝てないよね、大丈夫なの?」

「大丈夫じゃなくても、大丈夫じゃないって言えないだろ?」

 弘介の傍では何故かクロが丸くなって寝ていた。そちらに目をやると弘介が気づいて意地悪く言った。

「それに、ずっとクロちゃんが寝ちゃダメって起し続けてくれたからな。いいだろう?」

「そ、そう。」

 なんと反応していいかわからず、とりあえず生返事を返す。

「わしも起してたぞ。」

「男はこの場合、モチベーションに関係ないから。」

 この数日ですっかり弘介と志朗はツッコミとボケの役割分担ができていた。そんな微笑ましい状況に一瞬忘れていたが、恭一ははっとして懸念を口にする。

「プログラムは間に合うの?」

「大丈夫。ティティナのシナリオは終わったよ。後はざっとテストプレイして……」

「テストプレイをして?」

「……郵便局で発送すれば、花火には間に合うよ!」

「弘介!」

「サンキューな、恭一。」

 手をとろうとして、恭一は思わず手を引っ込めた。

「えーっと、喜ぶのは完成してからにしよう。」

「そうだな。」

 弘介も手をパソコンに戻す。なんだか、ここで喜んでしまっては、まだもったいない気がした。しっかりと結果を出してから、喜びたいという思いはふたりとも同じだった。

「後は何をしたらいいの?」

「テストプレイ。だけど、ちょっとカップ麺と栄養ドリンク以外のもので腹を満たしたいかな。コンビニ行ってきてよ。」

「わかった。」

 恭一は必要なものをメモすると炎天下の外へと飛び出した。蝉時雨が確実に気温を2度くらい押し上げているような気がする。疲労で頭がくらくらしているのか、暑さでくらくらしているのかわからなかった。相変わらず目の前を横切る黒猫の姿も、今は気にはならない。恭一はコンビニに向けてテンション高く、歩いていった。

 途中、浴衣を着た女の子の二人組に出会った。今日の花火大会に行くのだろうか。自分たちも2人とオバケと猫とで行く花火のことが、少しずつ楽しみになってきていた。


「では、本日の消印で承りました。」

 土曜日なので、今日の消印で投函するために、市の郵便局の本局まで行って、ゲームのメディアの入った包みを窓口投函する。窓口のお姉さんが、目をぎらぎらさせた恭一と弘介の姿に、ただならぬものを感じたのか、わざわざ今日の消印を確認してから、受付をしてくれた。

「やったな。」

「うん、終わったね!」

 外から差し込む西日をバックにとりあえずハイタッチをする。郵便局には不似合いで妙なテンションだが気にすることもできないくらい二人の達成感は絶頂だった。そんな二人を怪訝そうに窓口のお姉さんが見ている。明らかにさわぐなという雰囲気に正気に返ると、そそくさと郵便局を後にした。

「何はともかく、エントリーはすんだ。後、評価するのは会社のほうだから、もう俺らが何かできることはない。残りの夏休みを謳歌するぜ!」

「そうだね、できることは全部やったから、後悔はないよ。やったね、弘介。」

「サンキュー、恭一。」

 そう言ってから、妙にかしこまって弘介が右手を差し出した。

「本当にありがとう、感謝するよ。」

 西日に照らされて、顔が朱色に染まっているので、もとの顔色はうかがえない。しかし、長年の付き合いだ、顔色なんてみなくても、弘介の照れくさい気持ちはよくわかった。

「なんだよ、改まって。弘介らしくないぞ。」

「え、なんだよ、恭一。せっかく素直になってやったのに。」

 声を上げる弘介の手を握ると、恭一はぎゅっと力を込めた。

「本当に、よかったよ。間に合って。それから……」

「……なんだよ。」

「ハッピーエンドを諦めさせてくれなくて、ありがとう。最後まで、僕を信じてくれて、嬉しかったよ。」

 虚をつかれたようで、弘介はびっくりした顔をするが、すぐにいつもの弘介の顔になって空いてる左手で、恭一の背中をバシバシと叩いた。

「いたっ!」

「そういうお前こそ、恭一らしくないぜ。」

「そうかな。僕はわりと素直なほうだと思うんだけど。」

「ハッピーエンドが嫌いなひねくれ者だけどな。」

 笑顔で皮肉を言われても、なんとも思わなかった。この数日、四畳半の狭い世界で、二人と一匹と一体で過ごした密度の濃い時間を思い出すと、なんだか生まれ変わったようで、世界が違う色に見えた。手を伸ばせばなんでもつかまえられそうな、そんな気分だった。

弘介の笑顔に、恭一も笑顔を返すと握った手を離して弘介と肩を組んだ。

「さて、約束どおり、花火大会に連れて行ってよ。」

「おう、クロとじいちゃんがやきもきして待ってるだろうしな。」

 東の空は藍色に染まり始めていた。急がないと花火大会に間に合わなくなってしまう。二人は足早に家に向った。


 街の小さな鎮守の杜。八幡様と地域の皆が呼び親しんでいる神社に向う。やはり神社に行くのであろう浴衣を着た男女が同じ方向に歩いていく。下駄がたてるカランという音が小気味良くアスファルトの上に響き、お祭りの風情を感じさせていた。

「なんだかいいにおいがする。」

 横でクロが声をあげた。縁日の屋台が上げる煙がこの辺りまで漂ってきているようだ。神社の方角から祭囃子が風に乗って流れてくる。クロはなんだかウキウキした様子で、ちょこちょこと足を速めた。

「縁日とか来るの、久しぶりだな。中学以来かも。」

「僕も。」

 昔は縁日だといえばはしゃいで、親に連れて行ってもらったものだが、この歳になって騒ぐものでもないと、最近はちっとも行っていない。子供のころは金魚すくいだ、ヨーヨー釣りだと騒ぎ、綿飴を買ってもらい、口の周りをべとべとにし、林檎飴を買ってもらっては舌を真っ赤にしていたものだが。

「なつかしいな。」

志朗もそう言って目を細めた。そう言えば、小学校のころ、一度志朗と二人で来たことがあることを思い出した。

「昔、じいちゃんと一緒に来たよね。」

「ああ、ミドリガメすくいをしたいって大泣きされて困ったよ。」

「……そうだったっけ?」

 言われて恥ずかしくなる。志朗はそうだと言わんばかりに大きく頷いた。

「しかし、寂しいものだな。あの時は手を引いてお前を連れてきたのに、こんなに大きくなってしまって。もうミドリガメが欲しいとは駄々をこねないだろうしな。」

「……わかったから、ミドリガメから離れてよ。」

「恭一も可愛い子供時代があったんだな。」

 弘介がニヤニヤと笑って言う。その横で、クロがミドリガメすくいとは何かと聞くので、弘介が慌てて解説にまわった。そのやり取りを横目に志朗はまだ遠い目で鎮守の杜を見ていた。

「そろそろ、バトンタッチしないとな。」

「え?」

 ひとりごとのようなつぶやきを聞き漏らし、恭一が問い返すが志朗は答えなかった。やがて4人、正確には2人と一匹と一体は神社の鳥居をくぐって境内に入った。ちょっとだけ鳥居で志朗がはじかれたりしないかと恭一は心配したが、そういうこともなかった。

 境内にはぎっしりと屋台が並んでいた。色とりどりの屋台にクロが目を輝かして、興味津々といった様子できょろきょろする。

「クロ、まずはお参りがすんでからね。」

「お参り?」

「このお祭りは、鎮守の杜にいらっしゃる神様への感謝のお祭りなんだから、まずは神様にご挨拶してから遊ぶんだよ。」

「うん、わかった。」

 まだ屋台に未練はあったが、後でこれるとわかったので今は我慢することにすると、クロは前を向いた。クロの視線の先には、神社の本殿があった。

「恭一、なんだか言い方がじじくさいぞ。」

「そうかな。」

 茶化す弘介の言葉に、この言葉を何処で聞いたのかと思い出してみる。そう言えば、今のクロと同じことを恭一は言われたことがあった。お祭りに恭一の手を引いて連れて来てくれた志朗に言われたのだ。志朗を見ると、志朗は大切なものを見るような目で恭一を見ていた。志朗も同じことを思いかえしていたのかもしれない。なんとなく、その微笑がまぶしくてふっと目をそらすと、恭一は前を向いた。

 水舎で手と口を雪いで本殿に向う。ご神体の前で大きな鈴を鳴らすと、クロがびっくりした顔で上を見上げた。こんな大きな鈴を見るのは初めてなのだろう。微笑ましく思うと、クロに声をかけた。

「お参りするよ。」

 恭一は家の貯金箱から持ってきておいた五円玉を志朗とクロに渡す。弘介もあわてて財布から五円玉を探し出した。賽銭箱に投げこむと、からんからんと音を立てて五円玉が賽銭箱に入っていった。昔教えてもらったとおりに、二礼二拍手一礼をぎこちなくすると、横でクロも恭一を見ながら見よう見まねでお参りをしていた。たまたま本殿はすいていて恭一だけだったからよかったが、クロのこの様子を誰かが見たら、思わず動画を撮ってしまっても文句は言えないくらい可愛かった。

「お参り終わったよね、遊びにいきたい。」

 クロはそう言って、恭一の方を見た。

「そうだね。晩御飯もかねてだから、ちゃんとおなかにたまるもの食べたいし…って、あれ、じいちゃん?」

 本殿から離れたところで、志朗がいないことに気がついた。慌てて恭一が本殿に戻ると、志朗はまだ本殿の前で手を合わせていた。なんだか近寄りがたくて、志朗が顔をあげるまで声をかけるのはやめた。たっぷり2分くらい志朗は頭を下げていたが、やっと顔をあげるとくるりとふりむいた。

「ああ、悪い悪い。」

 すぐにいつもの悪戯っ子のような笑顔を浮かべたが、振り返ったときの表情はとても真剣だった。

「何をお願いしていたの?」

「お願いは人に言うと叶わないからな。」

 志朗ははぐらかすと、急ぎ足でクロと弘介のところへと歩いていく。恭一はあわててそれを追いかけた。なんだか、今までと違う志朗の雰囲気に、恭一は漠然とした不安を覚えたが、それが何なのかはわからなかった。

「じゃあ、クロちゃんが気になるミドリガメから見に行くよ。」

「うん。」

 嬉しそうに返事をするクロの様子にちょっと心配になって恭一は声をかけた。志朗に感じた不安のことは、それで忘れてしまった。

「ちょっと弘介、うちにこれ以上ペットは困るんだけど。」

「バカだなぁ、あのミドリガメすくい、金魚すくいと同じ紙ですくうんだぜ、すくえるわけないじゃん。レクリエーションだよ。レクリエーション。」

「な、なるほど。」

 弘介の言葉に妙に納得していると、弘介がちょっとだけ考えてから言った。

「恭一、今だけ、ゲーム完成のご褒美くれ。」

「は、ご褒美?」

 あっけにとられる恭一をよそに、弘介は真剣な顔をしてクロの手をさっととると、屋台の方に歩き始めた。あまりに簡単に手をとられたので、恭一は何も言うことができなかった。

「いいのか?」

「う、うん。今だけなら。」

 恭一の様子に、少しだけ心配そうな顔をして志朗が言った。恭一は今の自分の感情に、どういった名前を付けて呼んで整理すればいいのかわからずに、ただ黙って二人の後を追いかけた。

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