第13話 ネタの神様の降臨
時計を見ると、3時を過ぎていた。さすがにいつもなら眠っている時間だが、今日はまだ蛍光灯の円環がまぶしく部屋を照らしていた。部屋の中には紙をめくる音と、キーボードを叩く音が響いている。ちゃぶ台をはさんで、恭一と弘介、その横に寝そべりながら2人を見守る志朗、その横で丸くなっているクロ。奇妙な連帯感で結ばれた4人は、この緊迫した修羅場を思い思いに共有していた。
「恭一、ティティナのラストどうなるの?」
「まだわかんない。」
「わかんないって、大丈夫なのか?」
「必ず、答えは見つけ出すから、お願いだからわがままさせてくれ。」
「……わかったよ。だけど、リミットは十六日の0時までな。それまでに納得のラストができなかったら、前の原稿でいくから。」
「……わかった。」
お互い目を合わすこともしなかったが、もはやアイコンタクトも必要ないくらいに、2人は作業にシンクロしていた。阿吽の呼吸というのは、こういうことを言うのかもしれない。人は修羅場になると、いろいろと限界を超えて力が発揮されるものだ。
恭一は弘介の作ったフォーマットに、メモどおりにテキストをコピペしながら、必死にティティナの最後を考えた。慣れない作業をしていることもあり、ぜんぜん考えがまとまらない。それでも、ティティナと主人公の気持ちに寄り添って考えてみた。ティティナが掴もうとして諦めた幸せとは何なんだろうか、主人公が掴もうとして臆した幸せとは、なんなのだろうか。
「恭一、手が止まってるぞ。」
志朗の声で我にかえる。作業は進めなければならない。ハッピーエンドは手繰り寄せなければならない。二兎追うものは一兎も得ずというが、今は追うしかない。
テキストのコピペは、ティティナが雪の花を取ってきて欲しいと主人公に願うところだった。そうだ、ティティナはどうして、雪の花をとってきて欲しいと主人公に願ったのだろうか。なんでも願いがかなうという伝説のある雪の花。しかし、最初の恭一のシナリオでは、ティティナは雪の花に『かならずあなたが私の元に帰ってこれますように』と願うのだ。無理矢理ハッピーエンドにしたシナリオでは、『私の病気を治してください』に変えて、主人公と結ばれるようにしたのだが。
手を休めないようにしながら、考えてみる。ティティナが最初に、自分の体を治すという願いを持たなかった理由。思考の海に疑問を一滴落としてみる。雫は波紋を作って思考の海に静かに波をたてて広がっていく。気持ちは随分と静かだった。
ティティナは――ティティナは冒険者である主人公が好きだったのだ。いつも出かけていく背中を見送るのは寂しかったけれども、冒険の話を聞かせてくれるときのきらきらした眼が好きだったのだ。だから、主人公に帰ってきて欲しいというわがままを言い続けるのが苦しかったのだろう。自分の隣にずっと居てくれる主人公は、ティティナの好きな主人公の姿ではないから。
何か、話の尻尾を掴んだ気がした。恭一はあわててワープロソフトを起動させると、今浮かんだキーワードをメモした。しかし、一瞬広がった想像も、文字にしてしまったとたん現実味を帯びて、それ以上の広がりが失われてしまう。必死に手繰り寄せようとすればするほど、画面には陳腐な文言しか入力できない。焦ってはいけない。焦って妥協した幸せつかませてはいけない。必死に生きようとしている2人が、本当に願う幸せを見つけてあげられるのは、自分だけなのだ。
遠のいてしまったひらめきを追いかけるのを恭一はやめて、画面のウインドウを切り替える。大きく息を吐くと、再びゲームのフォーマット画面を表示させると、作業に戻った。
大丈夫だ。絶対にハッピーエンドをつかまえてやる。誰に向けた言葉でもなかったが、恭一は心の中でそうつぶやいた。夏の短い夜はすでに明けかけて、薄い光が外から差し込みはじめていた。
夜が明けてからの作業は過酷だった。差し込む日差しは強烈に、部屋の中を温めていく。汗は吹き出て、だらだらと流れ落ちるし、もう暑いを通り越して、頭が煮えそうだ。
弘介と恭一はぬらしたタオルを首にかけ、熱中症対策を怠らずに、黙々とパソコンに向かっていた。しかし、暑いものは暑いし、徹夜で作業をしているのだ、眠いものは眠い。
「おい、弘介、寝るな。」
「いてぇっ!」
ぺしっと音がしたので、見てみると、弘介が太もものあたりを孫の手で志朗に叩かれていた。
「やべー、なんか今、幻みてたわー」
「これが終わったら、好きなだけ寝ていいから、今は耐えるんだ。」
そう言って、恭一は弘介に眠気覚ましドリンクを手渡す。
「これって、一日一本までって書いてあるけど。」
側面の注意を読みながら弘介が言う。
「そんなこと言ってられないでしょ。昨日も一昨日も飲んでないんだから、大丈夫だよ。」
「飲まなかった分、キャリーオーバーするの!?」
冗談を言うのにも、気力がなくなってきている。恭一もいったんパソコンから目を離して、栄養ドリンクを一本飲んだ。弘介は向かい側で苦そうな顔で眠気覚ましドリンクを飲む。
「弘介の作業の進捗具合は?」
「うん、ちょっと予定より遅れ気味だけど、なんとか。恭一は。」
「入力は予定通り。だけど、少しでもスピードアップして、書き直しに時間を割きたい。」
「無理はすんなよ。俺はあれでいいと思ってるんだから。」
「……うん。」
再びパソコンのモニターに目を落とす。単調な文字が並ぶ画面にくらくらしながら、再び入力作業に戻った。恭一の背後で志朗の動く気配がした。ビニール袋がたてるガサガサという音が響いたあと、パシュっという缶を開ける小気味良い音がした。クロに餌をやっているのだろう。せっかく高級な猫缶を買ったのに、自分で餌をやれなかった。なんだかとても残念だった。美味しいところは、全部自分の手には回ってこない、人生なんてそんなもんなんだと恭一は思った。
「人生先回りして、諦めてどうする。」
昨晩の志朗の言葉が甦る。しかし、どうだ、現実は。猫に高級猫缶ひとつあげることさえできない自分がハッピーエンドなんかつかめるのだろうか。考えると不安になってきた。わがままを押し通しているが、よくあんなに自信たっぷりにやってみせると言い切ってしまったものだ。後悔よりもあきれてしまう。
恭一は振り返ってクロを見た。クロは餌皿からおいしそうにウェットフードを食べているところだった。クロの様子を幸せそうに、志朗が見ている。幸せそうな二人に割り込むことなどできないように見えた。
時計が正午を指すころには、恭一も弘介も、いろいろな意味で限界だった。そこに志朗が沸かした熱湯をいれたヤカンを持って現れたのだから、部屋の温度が一気に上がった気がした。
「じいちゃん、俺らを殺す気かよ?」
弘介が虚ろな目で言った。恭一も黙って頷く。
「昼飯、食わんと体がもたんだろ?」
「そうか、昼ごはんはカップ麺か……」
恭一が部屋のすみに置いておいたコンビニの袋を手繰り寄せると、中からいくつかのカップ麺と割り箸を出した。志朗に熱湯を注いでもらうと、確実に部屋の温度は1℃上がった気がした。
「あづい。なんで激辛ラーメンなんて買ってきた!」
汗をだらだらと流しながら、弘介が言う。文句を言うなら食べなければいいのに、そういうものでもないらしい。不平を言いながら弘介は2リットルのペットボトルから直接ウーロン茶を行儀悪く飲んだ。零れたウーロン茶が、口の端から零れてTシャツを汚す。
「だったら何で、それ選んだんだよ。」
無難に味噌ラーメンをすすりながら、恭一が言う。こちらも粒のように汗が浮いて、だらだらと流れ始めていた。しがらく、お互いのラーメンをすする音だけが部屋に響く。あっという間にたいらげると、ラーメンカップを床に下してパソコンをちゃぶ台の上にもどした。腹がいっぱいになり、疲労はある。午後は眠気との戦いだと思った。
「あと、十二時間だからな。」
「え?何が??」
汗を滝のように流しながら、弘介が言った。
「ティティナのシナリオだよ。」
「……うん、わかってる。」
少し自信なさげに答えてしまって、恭一は苦笑した。やると言ったのは自分なのに、何を弱気になっているのだろう。
「笑ってる場合じゃないだろ?」
「ごめん、ちょっとピンチが楽しくなってきた。」
「お、逆境を楽しむ気になってきたか?」
「うん、テンションあがってきたよ。」
「じゃあ、そのテンションでひとつシナリオをよろしく!」
そう言って、弘介はパソコンの作業に戻っていく。二人の視界の隅で、静かに志朗が動いて、食べ終わったカップ麺を片付けようとしていた。カップを持ち上げた拍子に、蓋のラベルがぱたりと落ちて、恭一の使うノートパソコンのキーボードの上に落ちた。
「おお、すまん!」
「ちょ、やめてよ、じいちゃん、姉ちゃんのパソコン汚したら、マジ殺され……」
キーボードの上に落ちた、ちょっと反り返った蓋に視線を落とす。ラーメンのおいしそうな写真の横に、細かい字がいっぱいかかれている。
「どうした、恭一?」
「ごめん、ちょっと黙って!」
何かがつかめそうだった。何かが文字通り降りてきていた。恭一はこれをネタの神様と呼んでいたが、ネタが浮かぶときは一瞬のひらめきのようなもので、それを逃したら、何処かに霞のように消えてしまうのだ。このネタの神様はラストチャンスかもしれない。絶対逃してはダメたった。
ラーメンの蓋を見る。何の変哲もない激辛ラーメンの蓋だ。これを見て、何を閃こうとしているのか、客観的に見れば、どうしようもなく滑稽に見えるだろう。しかし、何かがひっかかるのだ。恭一は蓋に触れずに、顔を近づけて文字をよく読んでみた。細かい成分表示の下に何かが書かれている。どうやら、プレゼントの案内らしい。
ラーメンの蓋の裏に当たりが印刷されていればA賞。今人気のJ-POPアーティストのシークレットライブに招待されるらしい。恭一の前の蓋の裏には何も印刷されていない。つまり、はずれだ。しかし、プレゼントの応募要項には続きがある。はずれの蓋を5枚集めるとそのJ-POPアーティストのアルバムCDがあたるかも知れないB賞に応募できると言うのだ。いわゆるダブルチャンス賞というやつだろう。いつも思うことだが、この賞品の設定がよくわからない。このアーティストのライブに行きたくて仕方がない人は、必死にこの当たりを求めてラーメンを食べるかもしれない。しかし、そんな人ははずれを5枚集めてアルバムCDを応募するのだろうか。シークレットライブに行きたくてラーメンを食べるような人は、とっくにアルバムCDなんか持っているのではないだろうか。
――そう、とっくに。
頭のどこかでカチっと音がした。ティティナの本当の願いなんて、とっくに決まっていた。それは自分の体を蝕む不死の病気を治すことでも、主人公に無事に自分の元に帰ってきて欲しいなんてきれいごとでもなかった。もっとわがままで、憧れに近いもの。
恭一は激辛ラーメンの蓋を弾き飛ばすと、キーボードを激しく叩き始めた。このインスピレーションが消えないうちに、今浮かんだものを形にしなければならなかった。横で、志朗が、ごみを床に落とすなと苦言を呈すが、そんなことにはかまっていられない。無心にパソコン上に物語を紡いでいった。そして、手を休めることはなく、ひとつだけ残った疑念を口にする。
「弘介、一個聞いていいか?」
「何、先生?」
「ゲームタイトルの“White Fairy”ってなんか意味あるの?」
先生と呼ばれるのを訂正することもしないで、恭一はさらに聞いた。この返答次第で、シナリオの続きがどうなるかが決まる。
「……ごめん、実はあまり意味ない。」
「え?」
「特に意味がある言葉じゃないんだ。」
申し訳なさそうに弘介が言う。その困ったような顔を凝視していると、弘介が慌てて付け足した。
「えーっと、俺の好きなアーティストのシングルの曲のタイトルなんだよね。いい曲でさ、このゲームの雰囲気にぴったりなんだよ。」
何のフォローにもないことを言う。いつもの恭一ならつっこみを入れるところだったが、この答えは恭一にとって実は好都合だった。
「なら、どんな設定がついても、いいよね?」
「え、ああ、うん。」
「じゃあ、タイトルの意味づけ、ティティナのシナリオでもらうから!」
キーボードの上に指を乗せ、ひとつ深呼吸をすると、恭一は一気に物語の世界に没頭し、降りてくる言葉を形にし続けた。ネタの神様、今はどこにも行かないで下さい。もしもネタの神様の姿が見えたのなら、その服の裾でも握って話さなかったに違いない。かじりつくようにパソコンに向うと、一気に恭一は自分の内に浮かんだ風景を言葉にして書きあげた。
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