第12話 落雷の爪痕
コンビニの買い物のわりに、随分な量になってしまった。カゴの中にはカップ麺やパン類、ペットボトルのお茶とジュース、袋菓子にゼリーにアイスクリーム、栄養ドリンクに眠気覚ましドリンク、そして、猫缶にカニカマ。なかなかにカオスな状態だった。時々、夕方のシフトでも大量に買い物をしていく客がいて、この客は何をこんなに買い物するのだろうと疑問に思っていたが、客には人それぞれ、色々と事情があるのだと妙に納得してしまった。
松井がバーコードをスキャンしながら、カオスな買い物を不思議そうに見る。
「夜中に随分な買い物だなぁ。」
「ちょっと買出しで……」
「猫と宴会でもするのか?」
「まぁ、似たようなものです。」
松井が器用に大量の買い物をビニール袋につめ、渡してくれる。
「補導されないように気をつけて帰れよ、高校生。」
「はい、お疲れ様です。」
両手に買い物袋をさげたら、さすがにクロとは手がつなげない。ちょっと残念な気持ちになって、レジを去ろうとして、松井に呼び止められた。
「おい、説明なしか?」
「はい?」
「彼女?」
松井の眼は興味津々といった色をしていた。そう言われてはじめて、恭一は自分にクロのペルソナが見えていることに気がついた。
帰宅した2人を迎えたのは、弘介と志朗の爆笑の声だった。
「どうしたの?」
買い物袋を提げて部屋に戻った恭一の言葉に、おかえりと2人は声をかけると、2人とも画面に視線を戻した。爆笑はしているが、弘介の手元は忙しく動いていた。
「おしゃべりはいいけど、間に合わなくなっちゃうよ。」
言って恭一は買い物袋から補給物資を取り出す。栄養ドリンクを弘介に手渡し、ちゃぶ台の上にはウーロン茶を置いた。
「サンキュー、恭一。頑張って三十九時間ほど戦うよ。」
「何が何でも間に合わせてよ。」
「任せとけって。」
「それから、眠気覚ましね。」
眠気覚ましドリンクの小さな瓶を弘介に手渡すと、弘介はニヤっと笑った。
「おお。大人の香りがする。いよいよ修羅場ってかんじがするねぇ。」
「できれば、経験したくないけどね。弘介が寝そうになったら、容赦なく、目の下にタイガーバーム塗るから、覚悟しといてよ。」
「それは勘弁だなぁ。」
「なに笑ってるのさ。」
がけっぷちに立たされているはずなのに、弘介は笑っていた。
「いいや、もうこうなったら修羅場を楽しむしかないって。」
「……どんだけプラス思考なのさ。」
「一人じゃパンクしてただろうけどさ。俺には親友と可愛い猫と頼もしいオバケがついてるからな!」
「何それ!」
2人でしばらく笑ってから、それぞれ修羅場を楽しむ覚悟を決めた。恭一は冷蔵庫に補給物資をしまって、再び部屋に戻ってくる。冷やさなくてよい。パンやカップ麺は袋に入れたまま脇によけておいた。その拍子に、底の方でガチャっと音がした。恭一はそうだと思い出して、袋の底から猫缶を取り出した。
「ほら、クロのだよ。」
振り返ってクロを見る。クロは志朗の隣で大人しく丸くなっていた。エメラルドグリーンの瞳は少し眠たそうにこちらを見ている。ペルソナはまた、見えなくなってしまった。さっきのあれは、幻かなにかだったのだろうか。でも、まだ手にはつないだクロの手の感触が残っている気がして、じっと手を見た。少しだけ、幸せを掴んだ気がしたのに、それはすでに砂のようにさらさらと零れ落ちてしまっていて、もう何処にもなかった。結局、クロは猫缶には釣られてくれなかった。恭一はひとつため息をついて、志朗を見た。
「じいちゃん、何を馬鹿笑いしてたの?」
「うあ?」
「ほら、僕が帰って来た時、すごく笑ってたじゃない。」
「ああ、そうだったな。」
そう言って志朗は恭一の方を向いてあぐらを組み直した。
「弘介から、聞いたぞ。お前、ハッピーエンドが嫌いなんだってな。」
「え?」
「弘介のゲーム、少しやらせてもらったんだ。」
恭一が留守の間は幸枝のパソコンが空いていたから、そこで勝手にやったらしい。
「姉ちゃんのパソコン勝手にさわらないでよ。」
「減るもんじゃなし、いいだろう?」
「僕の命が縮んでもいいのかよ?」
烈火のごとく怒り狂う姉の姿を想像して、ひとつ身震いをすると、恭一は志朗にもう一度聞いた。
「で、ゲームをやってどうだったのさ。よくマウスなんか使えたね。じいちゃん。」
「オバケだからな、なんでもありだ。マウスくらい使える。」
「便利だね、オバケ。」
「お前も一回死んでみるか?」
「遠慮しておく。」
「早速、ティティナ=クロフォードのシナリオをやってみたぞ。」
ティティナというのは、“White Fairy”の登場人物の一人で、主人公に思いを寄せる年下の女の子だ。病弱でほとんどベッドの上から動くことができず、ただ死が訪れるのを待っているだけだ。彼女の好きなことは、主人公の冒険の話を聞くこと。そして、それは恋心に発展し、冒険に出ても、必ず自分の元に帰ってきて欲しいという願いに変っていく。
主人公はティティナのために、何でも願いの叶うという雪の花を、厳しい雪山まで取りに行くのだが、ティティナの望みは雪の花ではなく、自分の元に帰ってきてくれる主人公だったというオチで、最初に書き上げたときには、主人公が雪の花を持ち帰った時には、命の火が消えかけていて、最後に思いを伝えて死んでしまうという話だった。
「……どこまでやったの?」
「レベル上げとかすっとばしたからな、最後までやったよ。」
「どう?」
「納得いかんな。」
まったくもって遺憾であるといわんばかりに言い切ると、志朗は続けた。
「なんでティティナは死ななければならないんだ?」
「え?」
「一生懸命生きようとしている人が死んでしまうのは、どんな場面だって哀しいぞ。」
「でも、あの、必死に生きようとしたティティナが純粋な心で願ったのは、主人公がいつも冒険から無事に帰ってくることで、それさえ叶えばいいっていうはかない思いを表すためには、死んじゃったほうがいいかなって……」
「そんな理由で殺したのか!」
「いや、僕が殺したわけじゃ……」
「必死に生きている人間なら、あんなにあっさりと死を受け入れたりしないぞ。人間てのは死を前にすると、どんなきれいごとを言っていたとしても、醜く足掻いて、必死に生きたいと願うものだぞ。」
自分と大して年齢の変らない少年に説教をされて、あっけにとられてしまったが、そう言えば中身はじいちゃんなのだと思うと、随分と言葉に重みがあった。
「……それって、経験?」
「うん、まあな。」
死んでいる人間に言われれば、説得力もあるものである。
「じいちゃんも死にたくなかった?」
「当たり前だろ、すっごい苦しかったんだからな。」
「……最後の時、何考えた?」
普通聞けないことなので、思いきって恭一は聞いてみた。死ぬ瞬間、人は何を考えるんだろう、走馬灯のように人生がフラッシュバックするというが本当だろうか。
「苦しくてそれどころじゃなかった。」
「……そうだよね。」
案外普通の答えが返ってきて、納得してしまう。しかし志朗は少しだけ考えると、言葉を付け足した。
「だけどな、自分が死んだらクロはどうなるかって考えたぞ。」
志朗の横でクロがぴくりと耳を立てた。
「お前たちクロに対して興味ないみたいだったからな。わしが死んだら、クロに水や餌をやってくれるか心配だったな。」
「普通、家族のこととか心配するんじゃないの?」
「お前の父さんもいい大人だし、お母さんもしっかりしているし、何も心配ないだろう。あの2人がいれば、幸枝もお前も大して心配じゃなかったが、クロにはわししかいなかったからな。」
恭一は何も言えなかった。
「それに、クロはわしにできた一番最後の家族だからな。」
そう言って志朗はクロの頭を愛おしそうに撫ぜた。クロはくすぐったそうに目を細めると、志朗にされるがままになっていた。恭一が頭を撫でようとすると、クロは少し身構える。自分とクロの距離と、志朗とクロの距離。あまりに違いすぎて恭一は少し悔しかった。
「家族……か……」
クロはいつになったら自分のことを家族と思ってくれるだろうか。自分はクロの世界になれるだろうか。絶望的な距離感に目の前が暗くなった。
「大切なものはしっかり抱きしめていないと、なくなってしまうぞ?」
「え?」
一瞬にして現実に引き戻される。恭一は何を言われたのかよくわからなかった。
「大切だと思ったら、きちんと手を伸ばせ。一度手にしたら、絶対に手を離すな。」
志朗の目から少年のような輝きが消えた。その瞳の色は、恭一がよく知る年老いた志朗の瞳の色だった。
「ティティナも主人公もそうだ。幸せはすぐ側にあるのに、手を伸ばそうとしない。どうしてだ、願えば幸せになれるのに。」
話をゲームに戻されてきょとんとしていると、志朗は静かに続けた。
「悪いのはティティナや主人公じゃない。それを書いた恭一だよ。恭一は、幸せを掴むのが怖いのかい?」
「幸せを掴む……?」
「そう、幸せを掴むのが怖いようにしか見えない。正確に言うと、幸せを掴もうとして、掴めなかった時に傷つくのがいやで、手を伸ばすことを諦めているんじゃないか。いつも最悪の場合を考えて、傷つかないように、必要最低限の幸せを掴んだら、あとは先まわりして諦めているんじゃないのか?」
ゲームの話をされているのか、自分の話をされているのか、恭一はだんだんわからなくなってきた。
『最後まで抱える覚悟がないなら、手なんか差し伸べないで。』
ふと、先ほどの塀の上のクロの声がよみがえる。クロは、最初から自分の浅はかな考えなんてお見通しだったのだ。うわべだけで差し出した手にすがるほど、クロは幼くはなかったのだ。
「ティティナも主人公も後少し、手を伸ばせば幸せがつかめたんだ。雪の花に願えばよかったんだ。一緒にいたいって。」
「あ、でも、あれは……」
「奇跡っていうものは、それを強く願う者にしか起こらないんだよ、恭一。」
諭すように志朗は言うと、ゆっくりと恭一の言葉を待った。
「……どうしたらいいだろう。」
志朗の言葉に、どう返していいのかわからず、恭一は答えを求めてしまう。そんな孫を優しく見ると、志朗はゆっくりと言葉を紡いだ。
「転んだときは、よく考えてから立ち上がればいい。だけど、男なら転んでもすぐに立ち上がって、走り出して掴まなきゃいけない手もあると思うぞ。」
「考えずに走って、また間違えたらどうするのさ。」
「ハッピーエンドを選ばないよりかは、選んで失敗する方がよくないか。傷ついてもいいじゃないか、自分の思いだけは伝えられる。」
志朗の言葉は不思議だった。こんがらがっていた恭一の心をゆっくりとほどいて、自分自身の思いに気づかせようとしてくれている。生きているうちに、もっとしゃべっておけばよかった。そんな後悔を抱きながら、恭一は今度こそしっかりと志朗をみた。
「ありがとう、じいちゃん。」
「おう。」
結局、爆笑の理由を聞きそびれてしまった。どうせ、ハッピーエンドにならなさぶりを、笑っていたのに違いないだろう。そんなことはもう、どうでもよくなっていた。
そこで、やっと思い当たった。ティティナのシナリオは、最後は書き直して、とりあえずのハッピーエンドにしたはずである。
「……じいちゃん、あのさ、ティティナのエンド、どうなった?」
「え、主人公に看取られて死んだが?」
「うわぁぁぁぁぁ!」
恭一は頭を抱えて声をあげた。びっくりして集中していた弘介も手をとめて恭一を見た。
「弘介、ティティナのエンド、前のままだぞ!」
「あれ、え、ああ!そっか、あのアップデートって午後にやったんだっけ。」
弘介の顔色がさっと変る。そうだ、ティティナのシナリオは早くにテストプレイが終わっていたので、別にシナリオを保存していたのだ、弘介のパソコンに。
「やっべぇ、元データ消えてるわ。急いでテキストを追加入力しなくちゃ!」
慌てた様子で、いくつもフォルダを開いてデータがないことを確認すると、弘介は何枚かのメモを見ては、新たに何かを書き込んだ。残りの時間でやることのスケジュールを調整しているらしい。
「……僕でできない?」
お気楽な弘介なりに現実的に考えて、絶望的なタイムスケジュールに目の前が真っ暗になりかけたとき、恭一がそう言った。
「恭一が……?」
「プログラムとかよくわかんないけど、僕がやってやれる?」
弘介は少し考えてから、慎重に考えを口にした。
「本当はやらせたくないけど、時間を考えると、やってもらうしかない…か。シナリオ原本にどの台詞をどの画面に差し込むか赤ペンでメモってたはずだから、その指示通りにフォーマットに入力してくれるなら。あ、恭一のパソコンが生きてるから、シナリオ原本はデータであるよね、細かい作業だけど、コピペでいける。」
「わかった、やるよ。」
「よし、フォーマットへの入力の注意を言うから、二十五分で頭ん中いれて。」
「わかった。」
鞄の中からA4の紙束を取り出すと、弘介は恭一に渡した。それは恭一が書いたシナリオ原稿だった。しかし、その行間にはたくさんの文字が赤字で書かれており、また細かくシーンごとに線が引かれて区切られていた。正直、わからないことの方が多そうで臆してしまいそうだったけれども、恭一は、今は何も諦めたくはなかった。
二十五分弱のマシンガンのような弘介の要領説明を必死に頭に叩き込み、作業内容を確認する。半分もわかっていないが、作業を進めながら理解するしかない。そして、恭一は諦めきれない思いを口にした。
「弘介、ごめん。無理はわかってる。でもどうしても僕のわがままを聞いてほしいんだ。」
「なんだよ、前のシナリオのまま行こうってのはナシだぞ。」
前のシナリオ段階ではもうアップしているわけだ。ティティナが死んでエンド。ここに目を瞑れば、作業の遅れはなくなる。しかし、弘介はプログラムだけでなく、シナリオ内容も自分が納得したものでなければいやだった。ところが、恭一が口にしたのは、弘介の想像をはるかに超える内容だった。
「そんなことは言わないけど、弘介には迷惑かける。」
きっぱりと恭一が言い切るので、弘介は視線をあげて恭一を見た。恭一はバカみたいに真面目な顔で、弘介を見ていた。
「ごめん、納得のハッピーエンドにしたいんだ。今からラストを書き直させて欲しい。」
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